‘Wandern’ カテゴリーのアーカイブ

五月山

2008年3月24日 月曜日

今日は上ケ原の休耕中の畑にわさわさ生えているペンペン草の花を摘んできて、おひたしにした。以前にも書いたことがあるが、わが家の春の定番。美味。案外知られていないように思う。菜の花を淡く柔らかくした感じ。

この前の春分の日はあいにく朝から雨。10時すぎには、相変わらず曇天ではあるものの、雨は上がったようだったので、下のこどもを連れて池田の五月山(さつきやま)に向かう。ここも、ずっと気になっていながら、今回が初めて。

DSC00750.jpg駅から、関西に多いアーケードの商店街を抜けて、坂道を登り、五月山公園のミニ動物園へ。

DSC00764.jpgすぐ近くの公園管理事務所で地図をもらい、「望海亭コース」を登る。しっとりした雑木林というか里山の風景だ。望海亭跡のテーブルでおにぎりの昼食。そこから少し歩くとすぐに分岐。右に「自然とのふれあいコース」をとる。五月山ドライブウェイの通る尾根の下をほぼ水平に進んでいく道。「ふれあい」ねえ。ぼくの嫌いな日本語の一つだ。またすぐに右に「ひょうたん島コース」を分け、さらに進む。

DSC00772.jpg途中、吊り橋もある。どう見ても吊り橋を架ける必然性などない場所(脇を歩いていける)で、どちらかというと一発もののフィールドアスレチックというか、遊具というか、ともかくちょっとした変化を与えてはくれる。

吊り橋を渡ったあたりから空を見上げる。

DSC00784.jpgその先は刈り払われた笹原で、風景が一変し、気分が一新する。

もう一度車道に出ると、あたりは霊園として開発されてしまっている。ちょうどお彼岸で、お墓参りに来ている人たちがかなりいる。ここまで、ほんの数本、この数日だけ運行されるバスもあるらしい。霊園の間を登ってちょっとした休憩所のある眺望点に出る。甲山が小さく見えていた。

DSC00793.jpgさらに墓地の中を通ってひと登りすると、一応の「頂上」、「日の丸展望台」。ぐるぐるスロープを登っていく妙な建築だ。面白がっていればいいのだろうけど、どうも関西人はぐるぐる回るのが好きなような気がする。六甲山上の間抜けな「回る展望台」は数年前に廃されてほっとしたものだった。

DSC00807.jpg相変わらず空はどんよりとしたままで、たまに数滴の雨粒も落ちてくる。何より、風がどんどん強くなってきて、肌寒い。谷筋なら風は当たるまいということで、帰路は杉ケ谷(すがたに)コースをとる。途中堰堤(砂防ダム)があって、やや高巻きし、ロープ伝いに降りるところがある。

DSC00811.jpg「池田市緑のセンター」をすぎ、バス道に出て、西を目指して戻る。途中から右手は五月山公園になり、ミニ・フィールドアスレチックのような木造遊具のある「木の体験広場」がある。

児童公園の西端からの道を降りていったら、道に迷った。あてずっぽうに歩いて、無事往路の商店街に行き当たる。

ポンポン山

2008年3月12日 水曜日

春めいてうららかな一日、ポンポン山に登った。京阪間で人気の高い低山。関西に来てからずっと気になっていながら長年行く機会がなかった。

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ポンポン山山頂

阪急高槻市駅(バス停の名前は阪急高槻駅)から川久保に行く数少ない高槻市営バス(9:10発)は、年配の登山者の方々でいっぱいだった。9:35 分頃、終点の川久保着。バス停のすぐ先で橋を渡り、川久保渓谷の左岸を歩きはじめる。しばらく行くと集落が終わり、一般車通行止めの林道歩きになる。ずっと渓谷沿いを歩く。この沢はところどころに小滝をかけ、せせらぎが耳に心地よい。紅葉の頃も良さそうだ。

右に釈迦岳方面に向かう道を分け、左に急坂を登るとまもなくようやく林道が終わる。このあたりにはわずかだが雪が残っていた。朽ちかけた木橋を何度も渡り返して、水量の減った谷底を歩くようになってまもなく、左は雑木林、右は杉の植林帯の丸太の階段状の急登になり、それが右に90度曲がってゆるく登って行くようになると、釈迦岳とポンポン山の間の尾根に出る。ここからポンポン山の山頂はすぐ。11時だった。

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川久保渓谷

山頂からはほぼ360度の眺望があるが、春霞であまり遠くまでは見えなかった。ヤマガラが囀っている。それほど広くはない頂上には、20人くらいの登山者がいた。大半は高齢の方々。昼食を摂って20分あまり休憩し、北に、出灰(いずりは)への道をとる。急な尾根筋の下り。

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下山路から明神ケ岳方面の展望

前の晩に時代小説作家多田容子さんの『自分を生かす古武術の心得』(集英社新書)なんて本を読んでいて、かなり「歩き方」を意識して歩いた。靴底を地面と平行に、極力「蹴る」ということをせずに、腰骨から歩を進めるように、腰の辺りを後ろからだれかに押してもらっているかのように、歩く。蹴らないからだろう、最初の長い舗装道路歩きや、山を下りてからの車道歩きがあまり苦にならなかったし、ある程度のスピードも出た。今までの歩き方だと、土の道にくらべて、舗装道路は明らかに疲れたのだが、それがなかった。山道の急登になっても、わりあい楽に足が前に出たような気がする。

ところが、下りが少しぎくしゃくしていた。元々、下りで膝を抜く歩き方はできていて、どちらかと言えば下りは得意、かなりのスピードで駆け降りるのも平気だったが、今回はそれがうまくいかなかった。あとで左足の付け根に少々突っ張るような、軽い痛みも感じた。今までは、登りで無駄に使っていた筋肉が、それによってこそ適度にほぐれて、下りの時にうまく機能していたのではないか、今回は省エネスタイルの登りで、それがなかったからではないか、とも思われた。でもそれがどの筋肉、どの部位なのかまでは分からない。たぶん単純に歩き方を元に戻すべきではないのだ。スキルに属することで、一皮剥けるときに、一時的に前より悪くなる、そういう現象の一種と捉えて、もう少し検証し工夫していくべきなのだろう。甲野善紀さんに発する「古武術」系のディスクールの良質なものは、必ず「自分の頭と〈身体〉で」考え、工夫していくことの重要性を説いている。多田さんも書いている:

良い結果が出ている中で、新しい感覚を試すのは動機に欠ける。ところが師匠の導きなどにより、環境ややり方、道具などを変えることで、「悪い結果」を体験すると、このままでよいとはどうしても思えなくなり、すみやかかつ必然的に、次のステップへ踏み出すようになる。 (44)

稽古とは新しい領域に挑むことであり、今の自分に百パーセント理解できるような状態に至っても、たかが知れている。自分のまだ知らない世界、境地があると認識することが、進歩の大前提だ。(180)

とにかく過去の形を潰し、捨て去る。それだけで、何かが見えはじめる場合もあるのだ(181f.)

山道が終わって、尸陀(しだ)寺跡(若い頃の一休宗純が庵を編んでいたところだそうだ)で橋を渡り(12:05)、出灰川沿いの車道歩きになる。

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出灰の風景

枚方亀岡線の車道に出たところ(12:25着)に出灰のバス停があるが、ここでバスを待つことはしない。この道を停留所一つ奥へ行ったところに高槻森林観光センターがあり、そこには樫田温泉なる温泉もある。それを楽しみに、次々やってくるダンプトラックを避けながら、ひたすら車道を歩いた。15分後、森林観光センター着。ところが…温泉は

臨時休業

だった。骨折損害の疲労収入。がっかりして座り込んでいたちょうどその時、川の向こうの道路を、やはり本数の少ないバスがぶおーと音立てて通り過ぎていった。次のバスは14:28。もともと、一風呂浴びてこの2時台のバスに乗ればちょうどよかろう、と思ってやってきたのだった。あと1時間半、ここでぼーっとしている他どうしようもない…。

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「お知らせ」

2組ほど、車やバイクで来て、やはり臨時休業に無念そうに帰っていった人たちがいた。それからしばらくすると、山頂で一緒だった72歳の I さん(とあとでお名前とお歳をうかがった)が車でいらした。出灰の登山口に車を停めて山頂往復して、やはり最後に温泉、とここまで車を走らせて来られたのだった。その I さんの車に、JR高槻駅近くまで乗せていただく。I さん、ありがとうございました。商店街を抜けて阪急高槻市駅まで歩き、帰りの電車に乗る。

六甲越え有馬温泉

2007年11月27日 火曜日

日曜日、山越えをして有馬温泉に行った。芦屋川駅ではバスが出た直後だったので、タクシーで東お多福山登山口へ。東お多福山というのは六甲では珍しく笹原の、木陰のない山で、今ごろから春先にかけてが適期だ。日陰がないから夏はたまったものではない。東お多福山からだらだらと雨ケ峠に下り、そこからはかつて神戸の海と有馬を結んだ魚屋道(ととやみち)と呼ばれる道。本庄橋跡から七曲がりの急登を経て一軒茶屋へ。六甲の尾根を縦断する自動車道の通る場所だ。六甲最高峰を往復して、有馬に向かって下る。このあたりはいかにも昔の街道っぽい、平らかで幅の広い道だ。ここ数年、何度か一人で来た時、一軒茶屋から有馬への下りは、いつも白石谷に入っていたので、この道を歩くのはしばらくぶり。白石谷はちょっとした「沢下り」だから、小さな子供連れの今回は避けた。丁寧に巻き道を選んでいけばそれほど難しくはないのだが、白石谷への分岐点には、「熟達者向け、危険」と書かれた道標がある。久しぶりに歩いた魚屋道有馬側は、道標やベンチがずいぶん整備されていた。

今回は意外と若いカップルが山道を歩いているのが目に付いた。

大昔、山というのは若いムサい男たちの世界という印象があった。「山男よく聞けよ」とか「おれたちゃ街には住めないからに」といった歌の文句が鬱屈した当時の男どもの(今から見れば)下らない空気を今に伝えている。その後女性の登山家がちらほら輩出し、今井通子をモデルにした小説を新田次郎が書いたりした。90年代だったか、高年層の山歩きブームが起き、状況が一変する。NHKが、そういう年代相手に、百名山の番組を組んだりした。骨粗鬆症という、スロヴェニア語の単語のように発音の難しい言葉が発明されて流通し、一種の健康ブームとなって、山はおばちゃんたちであふれ返った。なにしろそこらの街角で世間話をしているのとまったく変わらぬ様子で、まったく息が上がることもなく、しゃべくりながら集団で歩いていくのだからすごい。ことに六甲などでは顕著だ。

その裏側で、若年層の山離れが起きているように思えたのだ。統計などに当たっているわけではないただの印象だが、バブル期に、大学生も多くの者が車を持つようになって、彼らにとって六甲などはもっぱら車で登るところであるように思えた。「しんどい」ことは、その果てにどんな楽しいことがあろうと、敬遠する傾向も強まっているように思えた。だから今回山靴をはいて登ってきているカップルを何組も見て、少し意外に思ったのだ。一種のリバイバルの波が起きているのだろうか? 長引く不景気で学生がビンボーになり、新たなレジャーとして山が「発見」されたのか。

まあどうでもいいや。いろいろな年齢層の人が山歩きの楽しさを知るのはともかく悪いことではない。ぼく自身は中学高校の頃から丹沢や奥多摩といった低山を中心に、細く長く山歩きをしてきた。厳しい冬山も、重たいテントを背負った山行も、岩登りも知らず、たかだか易しい沢止まりの、アマチュア・ウォーカーだ。

今年は遅かった紅葉も、いつのまにかやや盛りを過ぎているようだったが、好天の空の青に赤や黄がくっきりと映えていた。

有馬の「金の湯」はかなり混んでいた。関西弁の他に、中国語や韓国語やドイツ語や英語が聞かれた。都市近郊のオンセンはわれわれが思っている以上にインターナショナルな観光地と化しているのだ。バスで芦屋川に出ようか宝塚に出ようか迷って、宝塚にした。宝塚駅の手前で渋滞に入ってしまい、ずいぶん時間がかかった。芦屋に出ていれば、これはないはずだった。名塩駅で降りて、JRで宝塚に出るべきだったかもしれない。渋滞の間、左側の車窓を満月が煌々と照らしていた。

ぼくはふだんろくに運動をしていない。徒歩通勤で坂道を登ってはいるが、それ以外では月にせいぜい一度か二度の山歩きだけ。日曜にこうして歩くと、次の日、出勤で歩く時、足だけはすっすっと前に出る。でも体全体は疲れている。特に上半身が重い。これは別に鍛えなければダメだということなのだろう。

剣尾山

2007年10月14日 日曜日

剣尾山(けんびさん)へ家族で行った。天気がよければ奈良・三重県境の倶留曽(くろそ)山まで出かけるつもりだったが、昨晩の予報ではわずかに雨。それで諦めて少し寝坊したら、今朝になっての予報は、日差しは期待できないものの「曇り」。慌てて電車・バスの時刻などを調べて、もう少し近場の北摂・剣尾山に初めて登ることにした。

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横尾山の肩から振り返る剣尾山

能勢電鉄山下駅前から9:58のバスで行者口へ。玉泉寺を過ぎてしばらく舗装された道路をまっすぐ登って行くと、左手がキャンプ場になり、間もなく右に行者山登山口がある。

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行者山登山口

整備されすぎているくらい整備された道で、丸木の階段は好みの分かれるところだろう。尾根上の一ピークである行者山直下には、さまざまな大岩があり、かつて修験者の修業場だったという。小さなお堂があって、周囲の乾いた土にはアリジゴクがたくさんいた(子どもたちはすり鉢状の巣に指を突っ込んでアリジゴクを捕まえるコツをここでようやくつかんだようだ)。
比較的平坦に雑木林の中を通ったり、階段のしっかり組まれた急登が交互に現れる。能勢は栗の産地だが、この山道にも小さな毬がたくさん落ちている。六地蔵を過ぎ、右に大阪府の青少年野外活動センターに下る道を分け、月峯寺跡を過ぎると、ようやく剣尾山の頂に着く。ここまで、かなり長丁場の登り。行者口を出たのが10:40ごろで、小さな子ども連れでは、ここまでで2時間40分かかってしまった。

剣尾山は、大きな花崗岩塊の点在する、展望のよい山頂だ。天気はほんの時折弱く日が差すだけで、あくまでも曇りだったが、眺望は利いた。京都方面では愛宕山や比叡山まで見える。標高784メートル。どこかで「大阪府の最高峰」というコピーも目にしたような記憶があるのだが、それはどうも正しくないらしい(もう少し北の深山が最高)。すぐ隣の横尾山にしてからが、1メートル弱高い。

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剣尾山頂のほぼ360度の展望(QuickTime VR。マウス操作で360度ご覧になれます。)

昼食後、そのまま北に向かい、分岐点で明治10年の「摂津 丹波 國界」と書かれた石標を見て、左に笹の多い尾根をたどる。

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「國界」の石標

かなりの標高差下って登り返すともう一本石標があり、間もなく横尾山。この間、シカ(ニホンジカは、大阪府下ではこのあたりの山域にのみ棲息するという)よけらしく、植林された幼木が皆、地面から1.5メートルくらい、白いプラスティックの筒に覆われている。この道は、笹藪がかぶさって悪いという記述もガイドブックやネットで見られるが、最近になって整備されたらしい。笹はしっかり切り開かれている。途中、見慣れない白い草の花が数株あって、帰ってから調べたらセンブリだった。

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センブリの花

横尾山からそのまま西に進むとすぐに、これもシカよけだと言われる黒い幕の張られた柵に行き当たる。ここから、柵沿いに、急な尾根を南に下る。登りの尾根とは、植生も空気もまるで違うのが面白い。特に高圧線鉄塔下の草地を過ぎたあたりからしばらくは、六甲のような砂岩土壌かと思われる土に変わり、左右は実にさまざまな潅木に縁取られた、一種の庭園のような道になる。六甲のロックガーデンの尾根のような岩のごろごろする急坂も通って、やがて「山頂広場」と名付けられた小さなピークから下は、「能勢の郷」の遊歩道がいく筋も通っている。適当な道を選んで下りていくと、最初に登山口に入った車道に出てしまった。

温泉の看板に従ってキャンプ場を横切り、能勢温泉に行って一風呂浴びる。大人一人600円。「かんぽの宿」を名乗っていたはずだが、現在の看板は「能勢温泉」になっている。大部分は日帰り入浴客らしき人々が大勢来ている。露天風呂もあって気持ちがいい。露天風呂には、虫や落ち葉も自然の客である、仲よく一緒に入ってやれというような趣旨の掲示があった。たぶんそんなことで文句を言う客もいるということだろう。実際には、こういうところでは断られることも多いはずの入れ墨のおじさんも仲よく入浴していた。

この近くの三草(みくさ)山に登った帰りに汐の湯温泉のほうに入ったことがあるが、古色蒼然という感じで人も無愛想だった。そちらは1000円。食事や宿泊は分からないが、日帰り入浴に限って言えば、どちらかを選べと言われたら答は決まっている。

すぐ下のバス停から、17:29のバスで山下駅に戻る。多くは車できているようで、バスの乗客はわれわれともう一組だけだった。