‘Wandern’ カテゴリーのアーカイブ

スロヴェニアの小学校の人工岩壁

2009年10月18日 日曜日

近頃はボルダリングが流行りだしているらしい。wander-z さんのボルダリングジムの人工岩壁の画像を見て、そういうものがスロヴェニアの小学校にもあったことを思い出した。

日本の学校は、どうやら法で定められているわけでもないのに、どこもそれなりの広さの「校庭」を備えている。ヨーロッパの学校は、あの「プチ・ニコラ」を読んでも分かるとおり、街中のふつうの建物で、校庭と言えば狭い内庭しかないところが多い。

数年前、子供がスロヴェニアのリュブリャーナで半年ほど通っていた小学校は、城山の麓にあり、やはりごくごく狭く細長い裏庭のような「校庭」しかなかった。背後はすぐ石垣で、その上を、斜面を登る道路が通っていて、いく筋かの住宅があった。その端の校舎の壁に、ボルダリングジムのような登攀用の突起が付けられていたのだった。高さはせいぜい2メートル程度。シュタイナー系の私学だったが、この設備はシュタイナーよりもスロヴェニアであればこそだったのではないかと思う。

山口由美さん(『世にもマニアな世界旅行』)の表現で言えば「小さくて体育会系の国」、スロヴェニアは、ヨーロッパアルプスの東端に位置していて、登山が「国民的スポーツ」だということになっている。旧ユーゴの最高峰でもあったトリグラウは、標高はたかだか2864mとは言え、森林限界はかなり低く、非常にアルペン的で急峻な石灰岩質の岩嶺。森林限界も2500メートル辺りだと思う。富士山に登らずば日本人にあらずみたいなつまらない台詞と同様、トリグラウに登らずばスロヴェニア人にあらず、みたいな言い回しがあるようだ。ちなみにぼくとかみさんはかつてトリグラウの肩にあたる小トリグラウまで登った(そう言えばその話はまだ書いていなかった)が、知り合ったスロヴェニア人はほとんど登ったことがない奴ばかりだった。(と言う自分は富士山に登ったことがない。)

倶留曽山

2008年11月8日 土曜日

11月2日日曜日、倶留曽(くろそ)山に行った。奈良と三重の県境、標高1038メートル。とても評判高く人気のあるらしい山で、以前から気になっていた。ずいぶん前のこと、たぶんぼくが関西に来たばかりの頃だったはずだが、六甲かどこか、山の上でたまたま言葉を交わした中年の女性が、関西でおすすめの山は?と訊ねたときに、言下に倶留曽山の名を挙げていたことも印象に残っていた。が、ウチからだと少し遠くて、なかなか行けなかった。その山に、三連休の中日、思い切ってでかけた。

自宅を7時過ぎに出て、JR環状線に乗り継いで鶴橋へ。近鉄の特急に乗り換えて、名張下車。近鉄特急が全席指定とは知らなかった。一本遅らせて、名張到着が少し遅くなった。9:30発曾爾(そに)高原行きのバスを待つ人たちの行列は、すでにたいへんな長さになっていた。例によって、年配の登山客の方々がほとんど。バスは一台増発になったが、列の最後尾だったぼくらには当然座ることはかなわず。しかも、ふつうは旅程40分あまりのところ、この夏、途中の香落渓(かおちだに)でがけ崩れがあって通行止めになっているとかで、バスは大きく迂回路をとり、1時間半もかかるのだった(どこを通っているのかよく分からなかったのだが、後で考えてみると、帰路にも通った太郎生の側から古光山の南をぐるっと回り込んで行ったのではないかと思われる)。子どもたちは運転席のすぐ横に立たせ、前方を見ているようにと言ったのだが、もともと乗り物に弱い下の子供は、やっぱり途中でげろげろやっていた。

あたりは室生火山群とかいう、火山性の地形で、うねるような大きな曲線と、切り立った玄武岩の崖の直線との組み合わせが、ちょっとセクシーだ。バスの終点から林の中の道を少し上ると、「国立曾爾青少年自然の家」の前を通って、広やかなススキの原に出る。たいへんな人出だ。直下まで車で来ている人たちが多いらしい。普通の革靴や、ハイヒールで歩き回っている人も少なくない。大変だと思うのだが。

正面は二本ボソという名のピーク。その直下の急斜面までススキが広がっている。登山道は、その斜面の中腹を、ちょうど大きなくの字を描くように、まず左に、そして右に折れて進む。ススキの原だから、上の方まで、歩いている人たちがよく見える。登りながら見下ろす、凹地状の広い曲面にひろがるススキの原の風景は、独特の美しさがある。ススキの穂が逆光の中で輝く。青蓮寺川の谷をはさんだ向こうには、鎧岳、兜岳の特徴的な山容が見えている。くの字の先は、二本ボソと同じ稜線上の亀山峠(810m)。峠には強い風が吹いていて、最初の登りの汗が一気に冷える。おにぎり(出がけにコンビニで買ってきたやつだ)を一つずつ食べる。

そこから尾根筋を二本ボソに向かう。稜線の左側(奈良県側)はいま上ってきたススキの原。右側(三重県側)は針葉樹に覆われた断崖。このコントラストも印象的だ。二本ボソの少し手前でススキの原は終わり、左側は広葉樹、右側は針葉樹になる。二本ボソの頂上直前に小屋があり、入山料を取る。大人500円、子供200円。紅葉の倶留曽山の写真を配した立派なチケットのようなものを渡される。ここから先、倶留曽山までは、柳原林業なる持ち主の私有地なのだ。小屋の裏手には、この料金所までの「通勤」専用らしいモノレールの軌道がある。山林での物資運搬によく使われる小さいやつだ。ここまで来て戻ろうかと考える人もいる(このときも実際いた──関西人に違いない)ようだが、いったん樹林で失われていた眺望が、このすぐ先の二本ボソの頂上(996m)で、再び一気に広がるのだった。ほぼ360度の眺望。正面にはちょうど紅黄葉に彩られた倶留曽山。ここでもう一つずつおにぎり。

倶留曽山に続く尾根はいったん一気に下り、登り返す。山頂の眺望は、回りの樹々のため、やや限られている。コンロで湯をわかし、カップ麺を食べる。三度目の昼食。なにしろガキどもは、このカップ麺を何よりも楽しみにしているようなのだ。やれやれ。そのうち、もう少しまともな料理もやってみたいと思う。ともかく、重たい2リットルペットボトルの水を半分減らす。ちょっと失敗だったかなと思ったのは、自分用のカップ麺を「激辛」タイプのものにしてしまったことだ。山で食事をしたら、カップ麺の汁といえどもやたらに捨てるわけにはいかない。当然すべて飲んでしまうべきだと思われて、それには激辛というのはちょっと不利なのだった。おまけの「さらに辛くするペースト」なんてのも入れてしまって、それでもどうにかすべて胃に収めた。とそのとき、こどもがまだ半分も食べていない自分のカップ(彼のは「シーフード」)をひっくり返した。あ〜あ。少し冷めるのを待って、麺を大方拾い集め、ゴミ袋に入れる。しかし塩分をたっぷり含んだスープは山頂の土に吸われてしまった…。

気を取り直して、北側にさらに稜線をたどる下山路に入る。次のバスが15:12発。到底間に合いそうにないが、子どもたちはそれに乗るのだと行って駆け降りていく。樹林の中の細い道。倶留曽山までは人がかなり多かったが、この時間、倶留曽山からこちらのこの道を歩いている人はほとんどいない。やがてT字路に行き当たり、右に少し行くと三ツ岩という眺望ポイント。倶留曽山を背後から振り返る。三重県側の眺めがよい。もとの三差路に戻って、杉林の中を西浦峠に下りる。峠から東へ、どこまでも続く暗い杉林の中をジグザグに下り続けて(よくある「七曲り」という名前がついていて、これがけっこう長かった)、ようやく舗装された道路に出る。「池の平分岐」(アスファルトの路面に直接白ペンキで行き先が書かれている)を過ぎて、集落のなかをゆるく下っていく。正面には、大洞山の立派な姿が、すでに傾いた陽に映えている。

中太郎生(なかたろう)のバス停に下りついたのは3時45分くらい。当然12分発には乗れず、その次は5時5分。バス停は造り酒屋の真ん前。かなり大きな構えの店の前は駐車スペースになっていて、隅の方には丸太のテーブルとイスもある。山を下りてきてこの本数の少ないバスを待つ登山客グループが、ここで残りの食料で酒盛りをしていることもあるという。酒屋で、あまごの甘露煮や地酒(その名も倶留曽山という)を土産に買い、子どもたちにはアイスクリームを買い与え、そのまま店の前で時間を潰す。子供二人は勝手にじゃれあっていた。1.5キロほど奥に行けば「姫石の湯」という温泉があったのだが、そこまで行く気力もなかった。

バスがやってきた頃には、山かげの辺りはすっかり暗くなっていた。バスは名張川の谷沿いの夜道を延々と走っていく。子どもたちはそれぞれの席で眠り呆けている。6時少し前、名張駅到着。快速特急で往路を戻り、帰り着いたのは8時ごろ。行きのバスが迂回中で長かったり、帰りのバス待ちが長かったりしたが、それでも行く価値のあるコースだったと思う。

ガイドブックでは、逆コースを紹介していることが多い。ぼくらの歩いた道のそのまま逆か、太郎生から倶留曽山東麓の池の平を行って、亀山峠に登り、倶留曽山を往復してから曾爾に下りるコース。東から西へ、陽の当たる側を追っていくことになり、最後は夕日に照らされるススキの曾爾高原というわけで、盛夏以外はたしかにそのほうがよさそうだ(曾爾側にも「お亀の湯」という温泉がある。しかし曾爾高原を出る最終バスが 15:27 ということだったので、間に合わなくなるリスクが大き過ぎると思い、今回は西から東への方向をとった。山麓に自家用車で乗りつけて、往復するのが一般的なのかもしれない。一番いいのは山麓に一泊ゆっくりすることだろうが。

# この項はあとで画像などを追加する予定です。

東六甲赤子谷とGPS

2008年9月17日 水曜日

9月9日。抜けるように青い空の初秋の朝、一人で六甲の赤子谷に出かけた。
六甲はつまらないなどとぼやいてばかりいても仕方ない。近くてさっと出かけられるメリットは確かにあるし、少し(ぼくにとって)新たなコースを開拓しようと思っていたところ、いくつかのサイトで目に留まったのが赤子谷。手軽そうな沢登りのコース。宝塚から有馬に向かって少し入ったところから、六甲縦走路に出る。

デジカメを持ち、Sony の GPS-C1 をリュックにぶら下げて、家を出た。ほんとうは、iPhone に入れた GPS トラッカーソフト、iTrail
icon を試しに使おうと思っていたのだが、出発直前に iPhone のトラブル。実際、とくに何か新たなソフトを入れようとしたりすると、よく固まる(帰ってから修復した)。なんだか Mac OS X の初期の頃のようで、実にわくわくするが、そういうことに馴染のない方には iPhone はまだまだ薦められないと、正直、思う。もう1,2年したら、みんなに使ってもらえると思うし、使ってもらいたいと思うけれど。(この直後に出た iPhone のアップデート 2.1 で、このあたりはかなり安定した。「ふつうの人」に薦められるようになるのも案外早いかもしれない。)

9時10分宝塚発のバス(時刻表)で9時18分ごろ一本松下車。車道を少し戻る。北側は大規模な採石場で、その轟音がずっとひびいている。緑色の橋(赤子谷のガイドでよく出てくる千都橋の一本上流の橋だ)を渡って、反対の坂道を登って行く(いったん千都橋にも行ってみた)。左右は企業のグラウンドだが、一般向けの営業をしているようでもある。でも平日のいま、人の姿はなかった。

あちこちのサイトに書かれているとおり、やがてゲートと鉄条網で道が塞がれている。その手前左に降りていく道があり、ちょっと行くと沢沿いに入っていくことができる。この小道は、すぐに、先ほど塞がれていた林道風の道(のゲートの内側)に出る。左に進んで、夏草に埋もれている西宝橋を見て通りすぎると、山道らしくなってくる。これもあちこちに「壊れている」と書かれている木橋は、修復されていた。この橋で右岸に渡り、道通しにそのまま2つほどの堰堤を越えることになる。この道が川に出たところが、赤子谷左俣・右俣の合流点。なんとも細い、この先に滝場があるとも思えないような、小川、小さな川だ。左右の流れにはさまれたあたりは、小さな広場のようで、飯盒炊さんなどの炊事用だったのか、人の頭ほどの石がごろごろ。小さなケルンもある。

左右の流れの真ん中を進んで、少し先で左俣の流れに入る。小さな石組みの堰堤を二つ、左から越えていくと、5メートルの滝。「赤子滝」という札が付けられている。右から高巻きし、すぐ上の小滝の落ち口に降りて、流れの左に渡る。また堰堤を越えて進んでいくと、ゴルジュの入り口。両岸が切り立った、狭い廊下状の部分で、奥行き30メートルくらい。すごいというほどのものでもないが、こういうゴルジュは六甲では珍しいのだそうだ。好天が続いたせいもあるだろうが、全体に水量は少ない。ゴルジュの中ほどの小滝も、軽く越える。

ゴルジュを抜けたところで沢筋は右に90度曲がる。その少し先で、再び左に曲がるところが、次の滝。3段くらいで10メートル(5段と数えているサイトもある)。最下段は左から越えたが、結局そこから右に残置ロープのところに逃げ、最上部は斜め左に抜けた。その上の2条の滝は右を直登。

二ヶ所ほど、沢は左右に分かれる。本流っぽいほう、白や赤のテープの目印が目立つほうをたどる。いくつかの小滝を越え、ほとんど水のなくなった谷筋をたどる。古い石積みがあるあたりまで来ると、まるで水はなくなる。このあたりの登りが単調できつく感じる。完全に沢でも何でもない、ただの斜面の急登になると、間もなく稜線に飛び出す。高圧線の鉄塔の真下だ。11時8分。そのすぐ向こうが六甲の縦走路。縦走路を2,3分左に、宝塚方向にたどって、それから左に一登りすると岩倉山の山頂。石積のかまどのような中に不動明王(?)が鎮座する。ここで早めの昼食。三等三角点だが、眺望はない。

それから鉄塔のところまでもどり、さらに縦走路を西に向かう。鉄塔からほんの少しのところで、左に出る道がある。行き止まりなのだが、樹林の中の縦走路と一転して、周囲は草原で、南方向の展望が素晴らしい。すぐ下に行者山の尾根が見え、その向こうは甲山と北山貯水池。そしてはるかに大阪湾の全体が見渡せる。快晴のなかの快晴のこの日、ここの日差しは強烈で、それから小暗い縦走路に戻ったとき、目が慣れるまでにかなり時間がかかった。

そこからさらに縦走路を少しだけ西に進むと、分岐がある。十字路で、いくつもの道標が立っている。左に、縦走路を離れて、ゆずり葉台方面に行く道が下っている。その反対、右側に行く道には、明確な道標はないが、赤子谷右俣に降りていくルートのはずだ。その方向には、少し奥まったところに、わけの分からない標識がある。

左にゆずり葉台方面に向かう。譲葉山と行者山の鞍部まで来ると、詳細な地図のついた懇切な道標がある。ここで今日初めて他の登山者にあう。光が丘か行者山からきた年配の男性。そのままゆずり葉台方面に歩いていった。ぼくは道標にしたがってゆずり葉台に向かう道を離れ、光が丘のほうに下る。途中、行者山に登る道を分ける。前半は水のまったくない谷道。それがすうっと尾根に上がると、あとは尾根通しに下っていく。このあたりの空気と風を、今回もっともさわやかに感じた。山道の最後の最後、あくまでも尾根通しに下る道と、左に改めて谷に降りていく道に分かれる。労力的には大差はなさそう。谷に降りる道を選ぶと、大きな砂防ダムのところに出る。砂防ダムの上流側には、ついさっきまでは影も形もなかった水が現れ、ちょっとした池になっていて、藻が白い花をつけている。ダムの前面に、急な階段がついていて、水の流れるところまで降りる。地図から判断して、この上流には汚染源はほとんどないだろうと考え、空いたペットボトルに水を汲む。でもそこからほんの少し下ると、尾根通しの道を合わせ、光が丘の住宅地に飛び出す。

ここはまだ標高200メートル以上ある高台。住宅街の、強烈な光にみちた、さほど広くない道には、人っ子一人いない。下っていくと、不意に光が丘北のバス停が現れた(時刻表)。一時間に1,2本のバスまで、ありがたいことにあと10分あまり。バス時刻の5分ほど前になると、どこからともなく人が現れた。ほとんどが年配の、4,5人。来たバスに乗り込むと、止まる停留所ごとに3,4人の人が乗り込んで、座席はあっという間に一杯になった。バスは急な坂道を下っていく。やがて逆瀬川の駅に着く。

GPS-CS1K は Sony がデジカメのアクセサリの一つとして販売している製品。GPS ガジェットとしてはもっとも手軽な品だ。付属ソフトの GPS Image Tracker で、GPS-C1 から読み込んだ位置情報を、時刻を照合することによって写真データに埋め込んでくれる。ところが Sony 製品の常として、付属するこれは Windows 用オンリー。

GPS-C1のデータそのものは、Mac でも LoadMyTracks (無料)で変換してやれば、Google EarthTrailRunner に持っていって、地図上にトレイルを表示させることができる。USB で GPS-C1 を繋げば USB ストレージとして認識される。GPS-C1 のデータは単なるテキストファイルなので、あとはそれをデスクトップに引っぱり出せばよい。以前は、Mac OS X のバグで、GPS-C1 はストレージとしても認識されなかったのだが、Mac OS X 10.5.3 でこの点は改善されたようだ。

写真と GPS データをまとめて扱うとなると、現在のベストは JetPhoto Studio だろう。GPS-C1 のデータも直接読み込むことができる。それについてはまた改めて書こうと思う。

武奈ヶ岳山麓、八ツ淵の滝

2008年8月19日 火曜日

魚止めの滝六甲はつまらないと言えばつまらない。水はきたないし、稜線には車が走りまくっているし。関西で最も手近で山らしい山と言えば比良だろう。というわけで、8月10日、快晴の日曜日、子供二人と比良の武奈ヶ岳山麓の八ツ淵の滝へ。いや、ほんとうは武奈ヶ岳まで登るはずだったのだが…。

7時25分JR西宮駅発、尼崎で快速に乗り換え、あとは直通で8時55分、湖西線の近江高島着。殺風景な中にガリバーの巨大な像が立つ近江高島駅前からは9:03と10:23発のたった2本、ガリバー旅行村行きバスがある。その9:03発に乗る。日曜日でもあり、老(若)男女の登山客が多くて、通常のミニバスに加え、同時刻発のガリバー村行き臨時直行バスが出た。その直行バスに乗る。

バスを降りてすぐのブースで入山料一人300円を払う。そこから舗装道路を少し上がるとガリバー村の正門で、駐車場には多くの車が停められていて、脇に売店がある。売店では、旅行村の宿泊客向けに、ちょっとした食品や洗剤やフリスビーなどを売っている。そこで持参し忘れたライターを買う。そこから左手にミニ天文台を見て、山道に入る。このあたり、ガリバー村利用者のための遊歩道が何本か出ている。

八淵の滝は、魚止めの滝、障子の滝、唐戸の滝、大擂鉢、小擂鉢、屏風の滝、貴船の滝、七遍返しの滝の総称。日本の滝100選にも選ばれているのだそうだ。ここが詳細な遡行図を掲げてくださっていて、それをプリントして持参した。遊歩道をそのまま大擂鉢まで行けばよかったのだが、最初の魚止めの滝で沢に降りた。それが失敗。ここから障子の滝までが、思いがけずかなりの難所だった。

ばしゃばしゃ水に入れる装備であればさほどでもないところも多かったかと思う。でもぼくらはふつうの軽登山靴履きで、あまり濡れたくはなかった。おまけに丈足らずの子供連れ。それだけでコース取りがずっと難しくなる。魚止めの滝は左岸に渡り、右側から越えるのだが、渡ること自体は(水量にもよるだろうが)さほど難しくなくても、左岸に取りつくには大岩を上から回らなければならなかった。そのあとのルート探しも決して容易ではなかった。

障子の滝障子の滝上部は、石伝いに右岸に渡り、そこから垂直の壁の溝を、鎖と、壁に打ち込まれた黄色いコの字型のステップを頼りに登って行く。これは普通の山歩きのレベルとは隔絶したスリルがある。長男はどうにかすいすい登っていった。しばらく待たせて次男にもゴーサインを出す。一度、5,6メートル上(いや、もっとあったかも)の岩壁で、次男が足を滑らせ、片足が宙に舞うのが見えてひやりとする。なんとか安全なところまで登ったのを見極めて、自分も登り出す。岩壁を登り詰めると、そこからは少しもろい岩の斜面の急登しばしで遊歩道に出る。出たところには、ここからの下りは禁止の標識があった。こういう岩場の下りは登りの何倍も難しい。ここまでで2時間費やしており、この時点で山頂まで行くのは無理だと判断する。

沢登りの経験のない方や子供連れの方には、くれぐれも魚止めの滝〜障子の滝部分には入らないよう警告しておきたい。この部分はパスしてまっすぐ大擂鉢に向かうべきだ。大擂鉢から上も鎖場や梯があるが、障子の滝のところほどの壁はないし、道は決まっていて、沢の中でコース取りに頭を悩ませるところもない。

武奈ヶ岳は、かつてはイン谷口からリフトとゴンドラを利用して比較的容易に入山できた。それが数年前に上のスキー場とともに廃止されて、それで八淵の滝からのコースがクローズアップされてきた気配がある。そのために、このコースの(一部の)難しさについて、一般向けのガイドブックで徹底していない部分があるように思う。子供連れの場合は特に気をつけた方がよい。

大擂鉢遊歩道を少し歩いて大擂鉢まで行く。大擂鉢は、直径10メートルほどだろうか、大きな池状の滝壺だ。ここで昼食。子どもたちは靴を脱いで中に入って遊ぶ。ここだけが目的なら、水着を持参してもよかっただろう。

屏風の滝ここから少し上の屏風の滝、貴船の滝まで往復したが、屏風の滝の下はそれなりの深さと、かなりの奥行きのある、翡翠色の水をたたえた瀞状になっていて、実際、水着のおねいさんたちが水遊びしたり甲羅干し(これもそろそろ死語か)していたりした。旅行村からここまで遊びに来ているのだろう。

100選に入るだけあって、八淵の滝はあくまでも美しい。魚止めの滝から障子の滝部分も、切り抜けてみれば面白かったが、大擂鉢から上だけでも、一度訪れる価値はあるだろう。

芦屋地獄谷とロックガーデン

2008年6月8日 日曜日

芦屋地獄谷先週の日曜、梅雨入り宣言の前日、わが家の毎年恒例のコース、芦屋地獄谷へ。

長くもなく、特別難しいところもなく、しかし変化に富んだ小滝がいくつもかかり、六甲にしては水がきれいで、アプローチも便利。

高座の滝から、ロックガーデンの尾根の先端を乗り越えて、沢に下りる。すぐ左手に砂防ダムがあって、土砂がたまり、広場のようになっている。

下のこどもは一つだけ、去年は丈が足りずに直登をあきらめ、大きく巻いた滝があった。それも今年はクリア。

カワトンボ「小便滝」下でしばし水遊び。川トンボやそのヤゴ、そしてヒキガエルが姿を現す。小便滝からは、これまで来た5、6回は、大きく巻いて砂防ダムを越え、そのまま沢通しに風吹岩まで登ったが、今回は初めて、ここからB懸尾根に向かうことにする。

最初は小便滝上流の、両岸の崖の迫った暗い廊下状。ほとんどがドイツ語もどきが多い日本の登山用語でなぜかそれだけフランス語でゴルジュ(喉)と呼ばれる地形だ。それを抜けるとA懸垂岩の岩塔の基部に出る。その途中まで登って、谷通しで来たこのコース最初の展望を楽しみながら、昼食。と言ってもおにぎりだけ。

万物相その先は、B懸尾根を、いくつもの岩塔群の基部を回り込みながら進んでいく。途中、「万物相」と呼ばれる岩のかたまりを越え、さらに進むと、ロックガーデン主稜の尾根道に飛び出す。ちょうど向かい側に、高座谷に下りる道も分かれている。そこから風吹岩まではすぐ。

いつも風吹岩からはロックガーデン主稜か高座谷を下っていたが、今回は岡本に下ることにする。保久良神社の梅林を過ぎ、八幡谷沿いの住宅地に出る。このあたり、ちょうど今頃、野生のゲンジボタルが飛ぶらしく、地元のおじさんがそのことを告げる手作りポスターをあちこちに貼る作業をしていた。

住宅街の中を下って、岡本駅へ。

三草山(みくさやま)564m

2008年3月31日 月曜日

ツクシ先日、こども二人を連れて能勢の三草山に行った。

能勢電鉄の山下駅9:30着。9:50の阪急バス(時刻表)に乗り、森下下車。西に向かって道路を少し歩き、右に岐尼神社を見て、左に折れ、山田川と長谷川にかかる橋を渡って、長谷川に沿って、農道と畦道を進む。

岩坪古墳慈眼寺の少し手前、小さな道標に従って左の雑木林の中の斜面を一登りすると、岩坪古墳がある。横穴式円墳遺跡。羨道部分はしっかり残っているが、崩落の危険もあるのだろう、立ち入りを禁ずる札が立ててある。天井の崩れた古墳の上から中を覗き込みながら、腹ごしらえをする。(この登りの途中、雄雌の雉を見かけた。)

[map:34.956518,135.375552]

長谷の棚田下の舗装路に戻り、慈眼寺を過ぎ、一番奥の棚田の中の道を上がっていく。道々、路傍のツクシやフキノトウを摘む。実はこれが今回一番の目当て。ここ数日の陽気ですでに花の開いてしまっているフキノトウも多かった。

才ノ神峠から15分ほどの登りで三草山山頂。今日のコースでは、岩坪古墳往復の道を除くと、この部分だけが本来の山道だった。山頂からは南面の展望がよい。東、南、西それぞれの展望を説明するプレートが設置されていて、有馬富士や、六甲山、五月山、妙見山などがはっきり見て取れる。北面は樹林のため、剣尾山などは見えない。

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三草山山頂からの展望。
(QuickTime VR。マウス操作で360度ご覧になれます。)



三草山南面の桜以前に何度か来たときは、山頂からそのまま東に向かい、ミドリシジミの保護区「ゼフィルスの森」を通って慈眼寺に下りた。今回は才ノ神峠に戻り、そこから南に、槻並(つくなみ)に向かって下る。舗装された道だ。三草山山頂も桜の名所らしいが、開花はまだだった。その南面のこのあたりでは、薮の中から枝を差し伸べた若い桜がいっぱいに花をつけていた。往路、文字通りの道草で時間がかかったので、下りはかなり急ぐ。

槻並・仁部の宇宙人槻並最奥の仁部集落では、宇宙人(?)が迎えてくれる。なんだかなあ。

そこからさらに、しっかり舗装された道路を1時間半歩く。猪名川の支流、槻並川が形づくる開けた谷だ。山里の中の立派な道には、ほとんど車が通らない。このあたり、曜日によってはミニバスが走っているらしい。猪名川町ふれあいバス。(うわ、また「ふれあい」だ。どうして日本の田舎の自治体はこうまでこの言葉が好きなのだろう? まっとうな意味を持ってこの言葉が使われている場合ももちろんあるのだろうけれど、ほとんどの場合、要するにコミュニケーション(能力)の欠如から生じる空隙を埋めるためにこの語が置かれているように思われる。つまり、「ふれあい」と口にされる場面には、ほとんどの場合、コミュニケーションの不全が存在する。ちなみに、日本全国の「ふれあい」をネタにした面白おかしい「社会学的」な語りが、パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』 (ちくま文庫)に見られる。)

槻並ずっと舗装道路歩きでは疲れるし退屈なので、ところどころ並行して通っている農道を歩く。

首案山子宇宙人にひきつづき、ちょっとぎょっとさせてくれるのがこの案山子(?)。農家の人がかつて洋品店でもやっていて、転用したのか。なかなかシュールなセンスである。

このへんも、路傍にはつくしがたくさん。でもほとんどは頭が開ききってしまっている。才ノ神峠に登り着くまでにずいぶん採ったことでもあり、こどもたちももう摘もうとはしない。

tsukunami.jpg延々と歩いて、槻並川が猪名川に合流する地点、屏風岩のところで道も交通量の多い川西篠山線に出る。2時に三草山山頂をあとにして、4時屏風岩発のバスにちょうど間に合った。バスを日生中央駅で降り、能勢電鉄に乗って帰る。

フキノトウは蕗味噌や天ぷらに。ツクシは佃煮にして、こどもの友だちの家や先生に「お裾分け」されていった模様。小学校の先生はツクシを食べたことがなかったらしい。ちょっと驚き。

五月山

2008年3月24日 月曜日

今日は上ケ原の休耕中の畑にわさわさ生えているペンペン草の花を摘んできて、おひたしにした。以前にも書いたことがあるが、わが家の春の定番。美味。案外知られていないように思う。菜の花を淡く柔らかくした感じ。

この前の春分の日はあいにく朝から雨。10時すぎには、相変わらず曇天ではあるものの、雨は上がったようだったので、下のこどもを連れて池田の五月山(さつきやま)に向かう。ここも、ずっと気になっていながら、今回が初めて。

DSC00750.jpg駅から、関西に多いアーケードの商店街を抜けて、坂道を登り、五月山公園のミニ動物園へ。

DSC00764.jpgすぐ近くの公園管理事務所で地図をもらい、「望海亭コース」を登る。しっとりした雑木林というか里山の風景だ。望海亭跡のテーブルでおにぎりの昼食。そこから少し歩くとすぐに分岐。右に「自然とのふれあいコース」をとる。五月山ドライブウェイの通る尾根の下をほぼ水平に進んでいく道。「ふれあい」ねえ。ぼくの嫌いな日本語の一つだ。またすぐに右に「ひょうたん島コース」を分け、さらに進む。

DSC00772.jpg途中、吊り橋もある。どう見ても吊り橋を架ける必然性などない場所(脇を歩いていける)で、どちらかというと一発もののフィールドアスレチックというか、遊具というか、ともかくちょっとした変化を与えてはくれる。

吊り橋を渡ったあたりから空を見上げる。

DSC00784.jpgその先は刈り払われた笹原で、風景が一変し、気分が一新する。

もう一度車道に出ると、あたりは霊園として開発されてしまっている。ちょうどお彼岸で、お墓参りに来ている人たちがかなりいる。ここまで、ほんの数本、この数日だけ運行されるバスもあるらしい。霊園の間を登ってちょっとした休憩所のある眺望点に出る。甲山が小さく見えていた。

DSC00793.jpgさらに墓地の中を通ってひと登りすると、一応の「頂上」、「日の丸展望台」。ぐるぐるスロープを登っていく妙な建築だ。面白がっていればいいのだろうけど、どうも関西人はぐるぐる回るのが好きなような気がする。六甲山上の間抜けな「回る展望台」は数年前に廃されてほっとしたものだった。

DSC00807.jpg相変わらず空はどんよりとしたままで、たまに数滴の雨粒も落ちてくる。何より、風がどんどん強くなってきて、肌寒い。谷筋なら風は当たるまいということで、帰路は杉ケ谷(すがたに)コースをとる。途中堰堤(砂防ダム)があって、やや高巻きし、ロープ伝いに降りるところがある。

DSC00811.jpg「池田市緑のセンター」をすぎ、バス道に出て、西を目指して戻る。途中から右手は五月山公園になり、ミニ・フィールドアスレチックのような木造遊具のある「木の体験広場」がある。

児童公園の西端からの道を降りていったら、道に迷った。あてずっぽうに歩いて、無事往路の商店街に行き当たる。

ポンポン山

2008年3月12日 水曜日

春めいてうららかな一日、ポンポン山に登った。京阪間で人気の高い低山。関西に来てからずっと気になっていながら長年行く機会がなかった。

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ポンポン山山頂

阪急高槻市駅(バス停の名前は阪急高槻駅)から川久保に行く数少ない高槻市営バス(9:10発)は、年配の登山者の方々でいっぱいだった。9:35 分頃、終点の川久保着。バス停のすぐ先で橋を渡り、川久保渓谷の左岸を歩きはじめる。しばらく行くと集落が終わり、一般車通行止めの林道歩きになる。ずっと渓谷沿いを歩く。この沢はところどころに小滝をかけ、せせらぎが耳に心地よい。紅葉の頃も良さそうだ。

右に釈迦岳方面に向かう道を分け、左に急坂を登るとまもなくようやく林道が終わる。このあたりにはわずかだが雪が残っていた。朽ちかけた木橋を何度も渡り返して、水量の減った谷底を歩くようになってまもなく、左は雑木林、右は杉の植林帯の丸太の階段状の急登になり、それが右に90度曲がってゆるく登って行くようになると、釈迦岳とポンポン山の間の尾根に出る。ここからポンポン山の山頂はすぐ。11時だった。

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川久保渓谷

山頂からはほぼ360度の眺望があるが、春霞であまり遠くまでは見えなかった。ヤマガラが囀っている。それほど広くはない頂上には、20人くらいの登山者がいた。大半は高齢の方々。昼食を摂って20分あまり休憩し、北に、出灰(いずりは)への道をとる。急な尾根筋の下り。

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下山路から明神ケ岳方面の展望

前の晩に時代小説作家多田容子さんの『自分を生かす古武術の心得』(集英社新書)なんて本を読んでいて、かなり「歩き方」を意識して歩いた。靴底を地面と平行に、極力「蹴る」ということをせずに、腰骨から歩を進めるように、腰の辺りを後ろからだれかに押してもらっているかのように、歩く。蹴らないからだろう、最初の長い舗装道路歩きや、山を下りてからの車道歩きがあまり苦にならなかったし、ある程度のスピードも出た。今までの歩き方だと、土の道にくらべて、舗装道路は明らかに疲れたのだが、それがなかった。山道の急登になっても、わりあい楽に足が前に出たような気がする。

ところが、下りが少しぎくしゃくしていた。元々、下りで膝を抜く歩き方はできていて、どちらかと言えば下りは得意、かなりのスピードで駆け降りるのも平気だったが、今回はそれがうまくいかなかった。あとで左足の付け根に少々突っ張るような、軽い痛みも感じた。今までは、登りで無駄に使っていた筋肉が、それによってこそ適度にほぐれて、下りの時にうまく機能していたのではないか、今回は省エネスタイルの登りで、それがなかったからではないか、とも思われた。でもそれがどの筋肉、どの部位なのかまでは分からない。たぶん単純に歩き方を元に戻すべきではないのだ。スキルに属することで、一皮剥けるときに、一時的に前より悪くなる、そういう現象の一種と捉えて、もう少し検証し工夫していくべきなのだろう。甲野善紀さんに発する「古武術」系のディスクールの良質なものは、必ず「自分の頭と〈身体〉で」考え、工夫していくことの重要性を説いている。多田さんも書いている:

良い結果が出ている中で、新しい感覚を試すのは動機に欠ける。ところが師匠の導きなどにより、環境ややり方、道具などを変えることで、「悪い結果」を体験すると、このままでよいとはどうしても思えなくなり、すみやかかつ必然的に、次のステップへ踏み出すようになる。 (44)

稽古とは新しい領域に挑むことであり、今の自分に百パーセント理解できるような状態に至っても、たかが知れている。自分のまだ知らない世界、境地があると認識することが、進歩の大前提だ。(180)

とにかく過去の形を潰し、捨て去る。それだけで、何かが見えはじめる場合もあるのだ(181f.)

山道が終わって、尸陀(しだ)寺跡(若い頃の一休宗純が庵を編んでいたところだそうだ)で橋を渡り(12:05)、出灰川沿いの車道歩きになる。

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出灰の風景

枚方亀岡線の車道に出たところ(12:25着)に出灰のバス停があるが、ここでバスを待つことはしない。この道を停留所一つ奥へ行ったところに高槻森林観光センターがあり、そこには樫田温泉なる温泉もある。それを楽しみに、次々やってくるダンプトラックを避けながら、ひたすら車道を歩いた。15分後、森林観光センター着。ところが…温泉は

臨時休業

だった。骨折損害の疲労収入。がっかりして座り込んでいたちょうどその時、川の向こうの道路を、やはり本数の少ないバスがぶおーと音立てて通り過ぎていった。次のバスは14:28。もともと、一風呂浴びてこの2時台のバスに乗ればちょうどよかろう、と思ってやってきたのだった。あと1時間半、ここでぼーっとしている他どうしようもない…。

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「お知らせ」

2組ほど、車やバイクで来て、やはり臨時休業に無念そうに帰っていった人たちがいた。それからしばらくすると、山頂で一緒だった72歳の I さん(とあとでお名前とお歳をうかがった)が車でいらした。出灰の登山口に車を停めて山頂往復して、やはり最後に温泉、とここまで車を走らせて来られたのだった。その I さんの車に、JR高槻駅近くまで乗せていただく。I さん、ありがとうございました。商店街を抜けて阪急高槻市駅まで歩き、帰りの電車に乗る。

六甲越え有馬温泉

2007年11月27日 火曜日

日曜日、山越えをして有馬温泉に行った。芦屋川駅ではバスが出た直後だったので、タクシーで東お多福山登山口へ。東お多福山というのは六甲では珍しく笹原の、木陰のない山で、今ごろから春先にかけてが適期だ。日陰がないから夏はたまったものではない。東お多福山からだらだらと雨ケ峠に下り、そこからはかつて神戸の海と有馬を結んだ魚屋道(ととやみち)と呼ばれる道。本庄橋跡から七曲がりの急登を経て一軒茶屋へ。六甲の尾根を縦断する自動車道の通る場所だ。六甲最高峰を往復して、有馬に向かって下る。このあたりはいかにも昔の街道っぽい、平らかで幅の広い道だ。ここ数年、何度か一人で来た時、一軒茶屋から有馬への下りは、いつも白石谷に入っていたので、この道を歩くのはしばらくぶり。白石谷はちょっとした「沢下り」だから、小さな子供連れの今回は避けた。丁寧に巻き道を選んでいけばそれほど難しくはないのだが、白石谷への分岐点には、「熟達者向け、危険」と書かれた道標がある。久しぶりに歩いた魚屋道有馬側は、道標やベンチがずいぶん整備されていた。

今回は意外と若いカップルが山道を歩いているのが目に付いた。

大昔、山というのは若いムサい男たちの世界という印象があった。「山男よく聞けよ」とか「おれたちゃ街には住めないからに」といった歌の文句が鬱屈した当時の男どもの(今から見れば)下らない空気を今に伝えている。その後女性の登山家がちらほら輩出し、今井通子をモデルにした小説を新田次郎が書いたりした。90年代だったか、高年層の山歩きブームが起き、状況が一変する。NHKが、そういう年代相手に、百名山の番組を組んだりした。骨粗鬆症という、スロヴェニア語の単語のように発音の難しい言葉が発明されて流通し、一種の健康ブームとなって、山はおばちゃんたちであふれ返った。なにしろそこらの街角で世間話をしているのとまったく変わらぬ様子で、まったく息が上がることもなく、しゃべくりながら集団で歩いていくのだからすごい。ことに六甲などでは顕著だ。

その裏側で、若年層の山離れが起きているように思えたのだ。統計などに当たっているわけではないただの印象だが、バブル期に、大学生も多くの者が車を持つようになって、彼らにとって六甲などはもっぱら車で登るところであるように思えた。「しんどい」ことは、その果てにどんな楽しいことがあろうと、敬遠する傾向も強まっているように思えた。だから今回山靴をはいて登ってきているカップルを何組も見て、少し意外に思ったのだ。一種のリバイバルの波が起きているのだろうか? 長引く不景気で学生がビンボーになり、新たなレジャーとして山が「発見」されたのか。

まあどうでもいいや。いろいろな年齢層の人が山歩きの楽しさを知るのはともかく悪いことではない。ぼく自身は中学高校の頃から丹沢や奥多摩といった低山を中心に、細く長く山歩きをしてきた。厳しい冬山も、重たいテントを背負った山行も、岩登りも知らず、たかだか易しい沢止まりの、アマチュア・ウォーカーだ。

今年は遅かった紅葉も、いつのまにかやや盛りを過ぎているようだったが、好天の空の青に赤や黄がくっきりと映えていた。

有馬の「金の湯」はかなり混んでいた。関西弁の他に、中国語や韓国語やドイツ語や英語が聞かれた。都市近郊のオンセンはわれわれが思っている以上にインターナショナルな観光地と化しているのだ。バスで芦屋川に出ようか宝塚に出ようか迷って、宝塚にした。宝塚駅の手前で渋滞に入ってしまい、ずいぶん時間がかかった。芦屋に出ていれば、これはないはずだった。名塩駅で降りて、JRで宝塚に出るべきだったかもしれない。渋滞の間、左側の車窓を満月が煌々と照らしていた。

ぼくはふだんろくに運動をしていない。徒歩通勤で坂道を登ってはいるが、それ以外では月にせいぜい一度か二度の山歩きだけ。日曜にこうして歩くと、次の日、出勤で歩く時、足だけはすっすっと前に出る。でも体全体は疲れている。特に上半身が重い。これは別に鍛えなければダメだということなのだろう。

剣尾山

2007年10月14日 日曜日

剣尾山(けんびさん)へ家族で行った。天気がよければ奈良・三重県境の倶留曽(くろそ)山まで出かけるつもりだったが、昨晩の予報ではわずかに雨。それで諦めて少し寝坊したら、今朝になっての予報は、日差しは期待できないものの「曇り」。慌てて電車・バスの時刻などを調べて、もう少し近場の北摂・剣尾山に初めて登ることにした。

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横尾山の肩から振り返る剣尾山

能勢電鉄山下駅前から9:58のバスで行者口へ。玉泉寺を過ぎてしばらく舗装された道路をまっすぐ登って行くと、左手がキャンプ場になり、間もなく右に行者山登山口がある。

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行者山登山口

整備されすぎているくらい整備された道で、丸木の階段は好みの分かれるところだろう。尾根上の一ピークである行者山直下には、さまざまな大岩があり、かつて修験者の修業場だったという。小さなお堂があって、周囲の乾いた土にはアリジゴクがたくさんいた(子どもたちはすり鉢状の巣に指を突っ込んでアリジゴクを捕まえるコツをここでようやくつかんだようだ)。
比較的平坦に雑木林の中を通ったり、階段のしっかり組まれた急登が交互に現れる。能勢は栗の産地だが、この山道にも小さな毬がたくさん落ちている。六地蔵を過ぎ、右に大阪府の青少年野外活動センターに下る道を分け、月峯寺跡を過ぎると、ようやく剣尾山の頂に着く。ここまで、かなり長丁場の登り。行者口を出たのが10:40ごろで、小さな子ども連れでは、ここまでで2時間40分かかってしまった。

剣尾山は、大きな花崗岩塊の点在する、展望のよい山頂だ。天気はほんの時折弱く日が差すだけで、あくまでも曇りだったが、眺望は利いた。京都方面では愛宕山や比叡山まで見える。標高784メートル。どこかで「大阪府の最高峰」というコピーも目にしたような記憶があるのだが、それはどうも正しくないらしい(もう少し北の深山が最高)。すぐ隣の横尾山にしてからが、1メートル弱高い。

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剣尾山頂のほぼ360度の展望(QuickTime VR。マウス操作で360度ご覧になれます。)

昼食後、そのまま北に向かい、分岐点で明治10年の「摂津 丹波 國界」と書かれた石標を見て、左に笹の多い尾根をたどる。

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「國界」の石標

かなりの標高差下って登り返すともう一本石標があり、間もなく横尾山。この間、シカ(ニホンジカは、大阪府下ではこのあたりの山域にのみ棲息するという)よけらしく、植林された幼木が皆、地面から1.5メートルくらい、白いプラスティックの筒に覆われている。この道は、笹藪がかぶさって悪いという記述もガイドブックやネットで見られるが、最近になって整備されたらしい。笹はしっかり切り開かれている。途中、見慣れない白い草の花が数株あって、帰ってから調べたらセンブリだった。

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センブリの花

横尾山からそのまま西に進むとすぐに、これもシカよけだと言われる黒い幕の張られた柵に行き当たる。ここから、柵沿いに、急な尾根を南に下る。登りの尾根とは、植生も空気もまるで違うのが面白い。特に高圧線鉄塔下の草地を過ぎたあたりからしばらくは、六甲のような砂岩土壌かと思われる土に変わり、左右は実にさまざまな潅木に縁取られた、一種の庭園のような道になる。六甲のロックガーデンの尾根のような岩のごろごろする急坂も通って、やがて「山頂広場」と名付けられた小さなピークから下は、「能勢の郷」の遊歩道がいく筋も通っている。適当な道を選んで下りていくと、最初に登山口に入った車道に出てしまった。

温泉の看板に従ってキャンプ場を横切り、能勢温泉に行って一風呂浴びる。大人一人600円。「かんぽの宿」を名乗っていたはずだが、現在の看板は「能勢温泉」になっている。大部分は日帰り入浴客らしき人々が大勢来ている。露天風呂もあって気持ちがいい。露天風呂には、虫や落ち葉も自然の客である、仲よく一緒に入ってやれというような趣旨の掲示があった。たぶんそんなことで文句を言う客もいるということだろう。実際には、こういうところでは断られることも多いはずの入れ墨のおじさんも仲よく入浴していた。

この近くの三草(みくさ)山に登った帰りに汐の湯温泉のほうに入ったことがあるが、古色蒼然という感じで人も無愛想だった。そちらは1000円。食事や宿泊は分からないが、日帰り入浴に限って言えば、どちらかを選べと言われたら答は決まっている。

すぐ下のバス停から、17:29のバスで山下駅に戻る。多くは車できているようで、バスの乗客はわれわれともう一組だけだった。