‘Wandern’ カテゴリーのアーカイブ

ウィーンの森の最高峰 Schöpfl (893m)

2012年1月27日 金曜日

シェップルとでも音訳しておこうか。「ウィーンの森の最高峰」であるらしい。(ちなみにドイツ語圏で「森」Wald と言えば、たいていはなにがしかの山地だ。)

かなり長めのコース。6月28日火曜日、朝早くに目が覚めたし、一日中好天という予報だったし、行ってみることにした。

Rekawinkelの駅舎地下鉄4番線で終点ヒュッテルドルフHütteldorfまで行き、Sバーンに乗り換え。15分ほどで、レーカヴィンクル Rekawinkel 下車。6:45ぐらい。ザンクト・ペルテンとウィーンの中間の峠。この路線のトンネル工事で作業員の人たちの集落が形成され、その後避暑用の別荘地になっていったらしい。瀟洒な駅舎。

R0011731跨線橋を渡った南側から登山道が始まる。森の中の林道状の道をゆるやかに登っていく。林の向こう、朝日に輝いて見えるのは牧草地だ。

R0011734と、間もなくアウトバーンA1を渡る橋。

R0011739少し行くと、地元の車道を二回渡り返す。この辺りからは、西南西に向かって延びる幅の広い長い尾根の上を、フォルストホーフの峠まで、だいたいにおいて辿っていくことになる。しばらく登りになって、森がやや明るくなると、鉄塔の建つヨッホグラーベン山 Jochgrabenberg (645m) の南面を通る。そこからまた下り。

厩舎のある草地を右にかいま見て少し行くと、三たび車道に出て、そこがホーホシュトラース=シュヴァーベンドルフル Hochstraß-Schwabendörfl の集落。山の村だ。標高は560mほど。8:30。

Hochstrass台地状の南面は広い牧草地になっていて、展望が開け、とても気持ちがよい。広大な牧草地の中、道に沿って、ぽつんぽつんと家が建っている。建築中の住宅もある。

R0011769集落の中の一軒。

R0011765集落の中心部。前方左奥に見えているのが今日の目的地シェップル。

山の中、森林のど真ん中だが、実はアウトバーンA21が近くを通っていて、ウィーン市内からここまで車でのアクセスは悪くないはず。それで、あまり「山の民」ではない人も住居を建てつつあるようだった(憶測)。どんな土地かはここの村のサイトに掲載されている鳥瞰写真を見ていただくのがよいだろうと思う。

R0011780集落を通り抜け、車道の下をくぐり、アウトバーンA21にかかる橋を渡り、林の中に入っていく。

Falkensteiner Hütte人気のない宿屋ブルダの前を通り過ぎ、ハーゼンリーゲル山 Hasenriegel (616m) の東面を巻くと、まもなくファルケンシュタイン小屋 Falkensteiner Hütte。週末以外は閉じられている小屋の前の階段で少々休憩して、ゆるやかな下りに入る。ホーホシュトラースの手前で山の住民かと思われる軽装のおばあちゃんが犬を散歩させているのに出会った以外は、ここで初めて反対方向から歩いてきた登山客然としたおじさん3人組とすれ違った。

Hametbergさらに2キロほど歩くと、ハーメトベルクHametbergで林を抜け出す。11:00。広々とした牧草地が開け、その上にシェップルの山容が見える。木蔭で牛が草を食んでいる。道標に従って牧草地を突っ切り、谷から登ってくる車道に降り、フォルストホーフ Forsthof の峠(564m)に到る。

R0011817峠からがシェップルの登り。この峠までは車で来て、シェップル山頂を往復して帰る人たちが多いようだ。しばらくはやたらに馬のいる広い牧草地の中の舗装道の登り。

R0011826その後、ようやく樹林の中の山道らしい山道の急登になる。ここからは、子供連れも含めた数人とすれ違ったり追い越したりした。

水場やがて山腹を右に巻き気味に登っていく少ししっかりした道に出る。途中、半円形の石釜のような形にコンクリートで固められた水場を過ぎると、まもなく山頂。

Schnitzel auf dem Schöpfl山頂の山小屋兼食堂 シェップル小屋 Schöpflhütte でシュニッツェルを注文して昼食にする。ちょうど午後1時。飲むと歩けなくなってしまうのでビールやワインは我慢する。まだこの先は長い。

シェップル小屋ものすごい晴天で日差しはきつい。が、風も強烈で、戸外の席に日陰を提供していたパラソルは閉じられてしまった。

R0011838山頂と言ったのは正確ではない。小屋があるのは山頂直下。腹を満たして13:40、腰を上げる。木立の中の一登りで本当の山頂。そこには簡素な鉄骨組の展望塔がある。一段一段カンカンと音を立てながら上まで登って、しばし展望を楽しむ…が吹きさらしの鉄骨、風が強くて長居はできない。展望塔からの眺めはこちら(QTVR 2.1MB)

R0011854早々に降りて、裏の道を下り、小さな牧草地を通り抜けて、南への下山にかかる。大部分の人はフォルストホーフに戻るので、こちらに来る人は少ない。

R00118572.5キロぐらいか、ひたすら樹林の中の下り。

St. Corona眼下に大きな牧草地が広がると、その下が山麓の村ザンクト・コロナ St. Corona (580m) だった。村に降りて再び舗装道路歩き。

R0011865腹は山頂で満たしていたが、実は持参したペットボトルが小さすぎて、中身は既に空。晴天下の歩きで喉はカラカラだった。まだあと丘二つ越えなければならない。この村唯一の食堂で喉を潤していこうと考える。食堂の前に掲げられた看板には、

Essen Sie bei uns / sonst verhungern wir beide!
(当店でお食事を。さもないとお客様も私どもも飢え死にしてしまいます!)

と書かれている。ウマいことを言う。さあ入ろう…と思ったら閉まっていた。月火定休。こういう店が多く月曜定休なのは知っていたが、火曜もだった。飢え死にしてしまえ!

R0011866午後3時の強烈な日差しに照りつけられながら、仕方なく店の前の坂道をゆるゆると登っていき、小さな峠越えにかかる。

その先は谷道(あくまでも舗装された車の通れる道)のゆるやかな下りで、本当に小さなノイヴァルト Neuwald の集落を通り過ぎ、ザンクト・コロナから4キロほどで、トリースティング川の本流(と言ってもあくまでも山の中の細い渓流)にぶちあたる。さてそこからが最後の登りだ。

R0011874標高差ほんの150mほどの丘越え。なのだけれども喉が渇いてバテている身にはけっこうきつかった。尾根の上にはやはり小さな集落があって、そこから先は帯状に広がる牧草地の中の道になる。峠で再び大勢の牛さんたちの脇を通り過ぎ、

R0011875あとはひたすらてくてく下る。

R0011877ヤギの群れがいた。

R0011885雑草が生い茂ってまったく廃線状態の線路を横切って、地方道に下り、少し東に歩いてから登り返すとようやくカウムベルク Kaumberg の小さな小さな街。歩きの終着点。このときちょうど5時ごろ。あとはバスで帰るだけ。のはずだったが…。

Kaumberg小さな小さな街の小さな小さな中央広場 Marktplatz の真ん中には小さな小さなロータリー状の公園になっていて、風呂桶のような奇妙な泉水がある。そのすぐ横にローカルバスが停まっていた。すぐ脇の小さなスーパーの奥に併設されている場末のスナックみたいなカフェでコーヒーを注文し、さらにスーパーで買ったジュースを飲む。

この広場からは、一日一本だけのウィーン(Südtiroler Platz) 行き直行バスが、6時過ぎにでるはずだった。ウィーンの中心部まで、乗り換えなしで1時間で戻れる。そのバスの時刻の頃合いを見計らってカフェを出て、さっきローカルバスが停まっていた小公園で待つ。別のローカルバスが前を通り過ぎていった。どうもここが停留所というわけではないらしい。横の方には、バスの待合所のような木組みで屋根付きの小さな建造物があるが、狭い広場(って形容矛盾だな)じゅうに停められた車はその前も塞いでいて、バス停として機能しているようには見えない。いったいどこで待っていればいいのか迷っていると、大型バスが走ってきた。たしか女性の運転手。前面には「ウィーン空港」(!)の表示。えっと思う間もなく、小公園の前に突っ立っている僕など一顧だにせず、走り去っていった。

いや、あれは違うだろう、乗るべきバスはまだこれから来るに違いない、としばし待つ。来ない。やっぱりあれだったらしい。しかし何であんな行き先表示だったのか。確かに空港行きリムジンに使われるような大型だったが…。そもそもバス停はどこなのか。スーパーで確かめようと思ったがすでに閉まってしまった。人通りはほとんどない。待合所の小屋に書いてあった番号に電話してタクシーを呼ぼうとしたが、あんたどこにいる?ああカウムベルク?今日はもうそっちには行かない、とのお返事。広場には古ぼけて人気のない宿屋らしき建物も立っている。ここで一泊? 大休止も含めると歩程ほぼ10時間。地下鉄終点から電車で15分ほどのレーカヴェインクルから歩きはじめたわけだが、いやー、思えば遠くに来たもんだ。

…などと感慨に耽っている場合ではない。思いついてあわててiPhoneの乗り換え案内アプリを引っ張り出す。18:17の最終ローカルバスに乗って乗り継ぎしまくると、なんとか今日中に帰れそうだ。やってきたそれらしいバスを、腕を振って必死で止める(そんなことしなくても停まったような気もするが)。他に客のいない車内に乗り込んで、ヴァイセンバッハ Weissenbach へ。そこでまた別のバスに乗り換えてレオーバースドルフ Leobersdorf というこれもド田舎の駅に 19:50 着。夏のことでまだ明るいが、周りには店の一軒もない。しばらく待ってS-Bahnの終電でメードリング Mödling へ。そこで電車を乗り換え、さらにバスに乗り継いで、9時頃、家にたどり着く。さすがに暗くなっていた。ヒーツィング駅のスタンドで買ってきた焼きそばを食い、風呂に入って寝た。

参考:Harald Rötzer, Wiener Gegenden – Ausflüge in und um Wien. Tyrolia, 2006.

ヴォトルーバ教会とすぐそこの自然

2012年1月16日 月曜日

「ウィーンの森」の魅力は、森とヴィーゼ(草地・牧草地)の交替にあるように思う。そこにブドウ畑が混じる。6月7日火曜日、天気もいいので、久しぶりにウィーンの森に出かけることにする。Harald Rötzer “Wiener Gegenden”というガイドブックに紹介されているコースの一つ。市街地のすぐ背後の森の中のヴィーゼをつないで歩くコースだ。前の記事のラインツ動物公園のすぐ南側にあたる。このガイド、コンパクトにウィーン周辺のあちこちを紹介してくれるのはいいのだが、記述が不明確(=あいまい)だったり不正確(=間違っている)だったりして、たまに困らされる。

R0011437Dommeyergasse のスーパーでスポーツドリンクとチョコを買い、市電60番でMaurer Hauptplatz へ。停留所からちょっと戻った所が交差点で、そこから左に入る。
R0011444ゆるやかな坂を上っていくと、ヴォトルーバ教会。彫刻家Fritz Wotruba (1907-1975) の設計。1976年落成。152個の大小さまざまなコンクリートの直方体を組み合わせたデザイン。シンメトリーを拒否した不規則な隙間にはめ込まれたガラスを通して内部に光が落ちる仕掛け。当時のことで、こんなデザインには相当な反対があった一方、すでに完成前から新しもの好きと美術愛好家が見にやって来たという。様式的には「ブルータリズム」に数え入れられるらしい。残念ながら中に入ることはできなかった。この教会の建っている丘をGeorgenbergという。 このあたりはもとは兵営で、何もなかったとのこと。今はすぐ手前までが住宅地だ。
R0011458教会の背後に天文観測用のSterngarten(星の庭)があるというのだが、灌木の中にこれかなあという地面がコンクリートの小さな空き地があるだけだった。そこから林の中の踏み跡を適当に下っていくと、橇遊び用の広いヴィーゼの端に出る。筍の皮を3枚向き合わせたような自然観察案内板が立っている。
R0011469そこから右に、ヴィーゼの下端を限るプラタナスの並木道がある。その入り口には車止めがある。この並木道を進むと、右に分かれ道が二つ。次の目的地 Pappelteich(ポプラ池)へはここで真ん中の道に進むべきだったのだが、ガイドの記述が曖昧で、そのまま谷の真ん中を通る並木の舗装道路をずんずん降りていった。
R0011479最後は再び車止めを抜け、左右に住宅のあるIn der Klause という通りになってしまった(画像はその中の一軒)。そのまま下っていくと、Kalksburgの街だった。
R0011480仕方なく引き返し、途中の橋のところで、ほとんど水のない谷沿いに、北に入ってみる。そのうち広めの林道状の道に出た。これが本来のコースらしい。
R0011486そのまま左に辿ると、ギューテンバッハ谷 Gütenbachtalらしい自動車道に出た。この道をそのまま北西方向に歩く。時折車の通る舗装道路だが、左右は灌木の茂みとヴィーゼばかり。途中でガイドブックを見直すと、自動車道に平行した土の道があるらしいことが分かり、生け垣のような茂みをくぐって入れる所をさがしてそちらに移る。しばらく歩くと、大きなヴィーゼに出て、森の際を右手に登っていくかなり広い道がある。どうもはっきりしなかったが、たぶんこれだろうと思って登っていく。
R0011487途中鉄扉のついた防空壕のようなものがある。その先は森の中。
R0011490かなり歩いてから、食堂 Gasthaus zur Schießstätte の道標が現れる。本道を離れて左に近道をたどると間もなく、その食堂に着いた。近くまで車で入れるらしく、あまり歩けそうもないお年寄りがかなり来ている。ターフェルシュピッツを注文して昼食。
R0011498そこから行きに通ったポプラ池への分岐までは幅の広い、森の中をまっすぐ下って行く明瞭な道だった。
R0011502せっかくなので改めて池に寄っていくことにする。三辺をコンクリートに囲われ、北側だけが石積みの、ただの人工池だが、確かに色々な生き物がいる(近頃のウィーンの森は生物多様性の保護をウリにしているらしい)。小さめの蓮の花が咲いている。亀もオタマジャクシもたくさんいるし、トンボも、イトトンボも含めて何種類も飛んでいる。周りには子どもたち。
R0011511分岐まで戻り、並木道を少し戻って、そこからまたよく分からないまま右手の森の中に入る道をみつけて行ってみる。と、いったん駐車場のようなところに出てしまった。iPhoneの方位磁石で見当をつけ、とにかく右に右に、再び森の中に入っていく。あまり間違ってはいなかったようで、間もなく端にぶどう畑のある広いヴィーゼに出る。この辺り、Himmelswiese (天/空のヴィーゼ)と呼ぶらしい。ウィーン南部の眺めがよい。

R0011517さらにいくつかのヴィーゼを縫うようにして歩き、よく分からないまま左方向にたどると、ぶどう畑の間の石畳の道になった。作業をしている人がいる。

カルクスブルク墓地の脇を通り過ぎると住宅地に出た。ツェムリンスキー通りZemlinskygasse。60Aのバス停のあるロダウン通りRodaunerstr.を通って、ブライテンフルト通りBreitenfurter Str. に下り、それを東に向かって歩くと、まもなく市電60番の高架がある。階段を上って、Breitenfurter Str./Lieingbr. の駅。そこから市電でDommeyergasseに戻る。

ラインツ動物公園とヘルメス・ヴィラ

2012年1月15日 日曜日

6月の土曜日の昼前、日曜月曜の連休を控えて買い物に行こうと出支度をしていて空を見たら、あまりに好天なので、そのままラインツ動物公園に歩きにいくことにした。

R0011521市電60番でヘルメス通りHermesstraßeへ。11:36のバス60Bはほぼ直線の道を走って終点のラインツ門 Lainzer Tor 11:41着。

ウィーンの動物園(Tiergarten)というとシェーンブルン庭園の中にあるものが知られているが、こちらも Lainzer Tiergarten という名前。だがカルトブリュンドル山 Kaltbründlberg (508m) を中心とする広大な自然公園。一帯は、例によって元々は皇室の狩猟場。ハプスブルク家の狩猟気違いは相当なもので、皇太子ルドルフは、一度など、捕えてあった290頭のイノシシを放たせたものをすべて仕留めた上に鹿狩りを行なったという。市民に開かれたのは1918年。当初は戦後の窮乏のなかで市民に薪を提供するのが目的だったらしい。

ここでも、市街地のすぐ近くに自然に近いこんな広大なフィールドが広がっていることを体感するコースを歩く。

R0011527ラインツ門を入ったあたりは平地で、舗装された真っすぐな並木道が山に向かって延びている。門を入ってすぐの建物の自然教育展示をざっと見て、並木道を歩き出す。左手は児童公園。右手の網で囲われた広いヴィーゼ(草地)の奥に、鹿の群れが見える。ここでは午後二時になると餌付けが見られるらしい。ヨーロッパバイソンや馬もいるそうだ。
R0011531メインストリートの右側に平行している土の道を歩いていくと、やがてメインストリートを離れて右に入っていく。ヴィーゼの奥の森の蔭に、ヘルメス・ヴィラが姿を覗かせている。手前のヴィーゼには、一面に菜の花のような黄色い花が咲いていた。道はヴィーゼの端、森の際をうねうねと曲がりながら続き、ヴィラの左翼に向かう巨大な唐檜の立ち並ぶ道にぶつかる。

R0011534ヘルメス・ヴィラは、フランツ・ヨーゼフが晩年のエリーザベトのために建てた城館。ピンクの壁がいかにもなスイーツな建物だ。当初は Villa Waldruh 「森の安らぎのヴィラ」と名づけられるはずだった。しかし旅行マニアのエリーザベトはこんなところにじっとしていたくない。彼女は自らベルリンの彫刻家に注文してヘルメス像を作らせた。旅人の守護神だ。それをヴィラの夫の部屋の真ん前に建てさせた。一種の嫌味だと取るしかなさそうに思われる。一方フランツ・ヨーゼフは、Sisiがここで快適に過ごせるようにあらゆる手を尽くした。ヘルメス・ヴィラにいたるメインストリートはウィーン周辺で最初に電気による街灯が点されたし、Sisiのために電話も引かれたという。(ちなみに、Sissiというのはロミー・シュナイダー主演のの同名の映画以降流布するようになったもので、歴史的なエリーザベトはSisiないしLisiと呼ばれていたらしい。)

ヴィラは現在は博物館になっていて、文化史的な展覧会が時々行なわれている。建物の正面右翼はレストランになっていて、前のテラスにも席が設けられている。ここで昼食にしたい誘惑にかられるが、この先の行程を考えて我慢する。

R0011542唐桧の道を戻り、少し行くと、左手から最初の並木道が合している。右に、林とヴィーゼの中の道をたどる。途中で一頭だけ、イノシシを見かけた。ディアナ門に行く道を見送ると、道は右に折れる。
R0011558間もなくHirschgstemm ヒルシュグシュテムという食堂。元々はルドルフ皇太子が猟に出かける前に朝食を摂るための館だった。ここまで、ヴィラから7キロほど、遊歩道はカルトブリュンドル山の南麓をぐるっと円を描きながら回り込んでくる感じ。完全に舗装されている。
R0011563すでに一時半ぐらいだったが、ここからが登りなので、食事はやはり我慢。ここまでは舗装道路だったが、ここからは土の道。林の中の広い道をゆるやかに登っていく。山頂を通らないショートカットの道を左に見送ってなおも行くと、Kaltbründlbergカルトブリュンドル山 508m の山頂。フーベルトゥス展望台 Hubertuswarte という名の直方体の塔が建っている。小さな窓しかない螺旋階段を登って上に出ると、360度の眺望(QTVR画像)。
R0011587塔を降りて、幅広い稜線上の、林の中のゆるやかな下りにかかる。30分ほどで稜線を横断する道との三叉路に出る。正面は再びヴィーゼ。右手にRohrhaus ローアハウスという食堂がある。ここで昼食。すでに2時半ぐらい。 (ヘルメス・ヴィラからここにまっすぐ登ってくる道もある。)

R0011603北に向かって、舗装道路を下る。左右は樹林。20分ほどで、再び三叉路。左から、山の登り口で分かれた裾野道が来ている。その道を右へ、ニコライ門のほうへ向かう。ところどころにヴィーゼが現れる。間もなく、道標がある。このまま舗装道路を進んでもニコライ門に着くが、尾根の背を越えていく土の道、Waldwegが分かれている。もう一登りすることになるが、こちらを選択。ゆるやかな登りだが、これがきつかった。まもなく道は平坦になり、左に折れて下り始める。右に、また左に折れ、ヴィーゼの中を進むと、ちいさなチャペルのあるニコライ門。4時ごろ。

門を出て、しばらくまっすぐ下り、右に向かうと、Hütteldorfの駅。U4でHietzingまで戻り、BILLAで食料品の買い物をして、市電で5時ごろ帰宅。 風呂に入り、肉詰めピーマンを作って夕食。

プラーター

2011年5月16日 月曜日

R00112424月中旬の平日、プラーターに行った。ここの遊園地のことは、たいていのガイドブックに載っているし、iPhone用の無料のガイドアプリもある。観覧車は映画「第三の男」であまりに有名だ。プラーターシュテルンの駅を降りると、観覧車のある遊園地はすぐに目に入る。

 

R0011244まるでディズニーランドの(いや、この手の遊園地一般の、か)原型みたいだなあと思う。ジェットコースターの類いは、いったい何種類あるんだろうか。そのほかの絶叫マシンにも事欠かない。ウォーターシュートの人魚像がエグかった。一人で行ったから、どれか入ってみよう、やってみようという気は最初から全くなかった。遊園地自体の入場に料金を取られるということはない。外から眺めて唯一面白そうかなと思ったのはミラーハウス=迷路だった。

 

R0011243プラーターは、皇帝マクシミリアンII世が、ウィーンに近いドナウの岸辺を整備させて、自分たちの狩猟場にした。1766年以降、一般人が入れるようになり、ウィーン人にとっては初めての、街に近いレジャー地になった。1873年の世界博覧会(万国博)以降、プラーターはさらに開発される。目玉はロトゥンデと呼ばれる巨大な円蓋の建築だったが、これは1937年に焼失した。1878年には博覧会跡地に競馬場が、1897年には巨大観覧車が、1928年にはミニ鉄道が、1931年にはスタジアムが造られる。こうした建築物と、その背後の広大な森林、草地が共存している。

 

R0011245平日なのにかなりの人出だった。園内にある Schweizerhaus スイスハウスという野外席も広い食堂というかビアガーデンは、元は皇帝の賓客があたりで狩猟をするための館だったとか言われている。1868年には食堂として開業し、1920年にバドワイザーの輸入業者だったカール・コラジクの手に渡る。ここで昼ご飯かなあと思って出かけてきたのだが、平日だというのにあまりの混雑に気圧されて、すわることなく出てきてしまった。

 

R0011254この Wurstelprater と呼ばれる辺りは、普通と言えば普通の遊園地だ。僕がすごいなあと思ったのは、ガイドブックにはあまり記されていない、その先だ。遊園地の端にあるスイスハウスを通り過ぎると、まもなく遊園地の外に出てしまう。この先2キロほどを走ってぐるっと戻ってくるミニ鉄道、リリパット鉄道の線路を越えると間もなく、プラーターの軸をなす壮大な並木道に出る。三車線というか五車線というか、車は通らないのだから車線という言い方はそぐわないが、南東に向かって、あくまでも真っすぐな並木道がずどんとのびている。真ん中の広い道と、その両側に平行に走る細めの道は舗装されている。そのさらに外の両側に、土の道がある。それぞれの「車線」の間とその外側は、プラタナスの6列の並木。全長4.5キロ。ということはリング一周分と同じくらいの長さだ。果てが見えない。両側は緑地で、静かだ。地図上では見ていたが、スケール感が掴めなかった。実際にこの並木道に立って、その規模に驚く。6km2。セントラルパークの2倍近い広さだそうだ。

R0011258R0011267バギーを押して散歩する人、ジョギングする人、二人乗りのレンタサイクルを漕ぐ人、馬で散歩する人。

 

R0011261しばらく並木道を歩いて、横から入ってくる市電1番線の終点になっているところで斜め右ににそれ、土の道に入る。左右は Jesuitenwiese ジェズイットの草地と呼ばれる明るい草原とまばらな林。その先右側は驚くべき広さの児童公園がある。橇遊びのための丘もあり、人工雪設備もあるそうだ。途中、数多くの道が交差しているあたりで左に折れると深い森。果ての見えない森林の中を歩くとやがてまた並木道に出る。北側はスタジアム。その入り口に小さな屋台のような店があって、ソーセージで昼食にする。

 

R0011265それからまた並木道を離れ、Heustadelwasserと呼ばれる水路に沿った舗装された遊歩道を歩く。途中でプラーターとドナウを横断する自動車道A23/E59をくぐる。自動車道の橋の真下に橋がある。道は弧を描いて並木道に戻る。

 

R0011273さらにしばらく進むと、真ん中にルストハウスLusthausというレストランのあるロータリーで並木道は終わる。ルストハウスは八角形の建物で、皇帝ヨーゼフII世が、「だれもが入れるように」建てさせたと言う。前三月期以降、レストランになった。

 

僕にとってさらに面白かったのはその先だ。Lusthausの裏手から左斜めに、今度はLusthauswasserと呼ばれる水路に沿った道に入っていく。ここまで来る人は限られている。これまでのなにがしか整備された道と違って、この先はかなりワイルドな感じの土の道になる。倒木が多い幅の狭い道で、ここまでは自転車の連中も、ジョギングする人たちも、入ってこない。

R0011277ここにはビーバーがいるのだ。ビーバーなんて、幼い頃からアメリカ産のアニメでだけ知っていたような気がする。どこかの動物園で見ていたかもしれないが、記憶にない。その本体にはお目にかかれなかったが、その仕事のあとが、ここの水辺では無数に見られる。必ず、鉛筆の先のような円錐形に削っている。

 

R0011295

斜めにドナウ川方向に向かっていた水路と道は、川縁の自動車道の下の林道のような道に行き当たって終わる。この道を北西方向に戻る。途中、Kirchlein Maria Grün 緑のマリア小教会というチャペルが森に囲まれて建っている。Aspernallee を横断し、Stemmerallee を右に辿ると、間もなくSバーンの線路の下をくぐる。このあたりもシュレーバー菜園から発した住宅地になっている。Drechslers Schutzhaus という食堂/ビアガーデンの脇を通り、ちょっと坂を上ると、80B/77Aのバスの停留所がある。このバスで地下鉄U2のStadion駅まで行き、地下鉄で帰る。三時間の散歩。

スロヴェニアの小学校の人工岩壁

2009年10月18日 日曜日

近頃はボルダリングが流行りだしているらしい。wander-z さんのボルダリングジムの人工岩壁の画像を見て、そういうものがスロヴェニアの小学校にもあったことを思い出した。

日本の学校は、どうやら法で定められているわけでもないのに、どこもそれなりの広さの「校庭」を備えている。ヨーロッパの学校は、あの「プチ・ニコラ」を読んでも分かるとおり、街中のふつうの建物で、校庭と言えば狭い内庭しかないところが多い。

数年前、子供がスロヴェニアのリュブリャーナで半年ほど通っていた小学校は、城山の麓にあり、やはりごくごく狭く細長い裏庭のような「校庭」しかなかった。背後はすぐ石垣で、その上を、斜面を登る道路が通っていて、いく筋かの住宅があった。その端の校舎の壁に、ボルダリングジムのような登攀用の突起が付けられていたのだった。高さはせいぜい2メートル程度。シュタイナー系の私学だったが、この設備はシュタイナーよりもスロヴェニアであればこそだったのではないかと思う。

山口由美さん(『世にもマニアな世界旅行』)の表現で言えば「小さくて体育会系の国」、スロヴェニアは、ヨーロッパアルプスの東端に位置していて、登山が「国民的スポーツ」だということになっている。旧ユーゴの最高峰でもあったトリグラウは、標高はたかだか2864mとは言え、森林限界はかなり低く、非常にアルペン的で急峻な石灰岩質の岩嶺。森林限界も2500メートル辺りだと思う。富士山に登らずば日本人にあらずみたいなつまらない台詞と同様、トリグラウに登らずばスロヴェニア人にあらず、みたいな言い回しがあるようだ。ちなみにぼくとかみさんはかつてトリグラウの肩にあたる小トリグラウまで登った(そう言えばその話はまだ書いていなかった)が、知り合ったスロヴェニア人はほとんど登ったことがない奴ばかりだった。(と言う自分は富士山に登ったことがない。)

倶留曽山

2008年11月8日 土曜日

11月2日日曜日、倶留曽(くろそ)山に行った。奈良と三重の県境、標高1038メートル。とても評判高く人気のあるらしい山で、以前から気になっていた。ずいぶん前のこと、たぶんぼくが関西に来たばかりの頃だったはずだが、六甲かどこか、山の上でたまたま言葉を交わした中年の女性が、関西でおすすめの山は?と訊ねたときに、言下に倶留曽山の名を挙げていたことも印象に残っていた。が、ウチからだと少し遠くて、なかなか行けなかった。その山に、三連休の中日、思い切ってでかけた。

自宅を7時過ぎに出て、JR環状線に乗り継いで鶴橋へ。近鉄の特急に乗り換えて、名張下車。近鉄特急が全席指定とは知らなかった。一本遅らせて、名張到着が少し遅くなった。9:30発曾爾(そに)高原行きのバスを待つ人たちの行列は、すでにたいへんな長さになっていた。例によって、年配の登山客の方々がほとんど。バスは一台増発になったが、列の最後尾だったぼくらには当然座ることはかなわず。しかも、ふつうは旅程40分あまりのところ、この夏、途中の香落渓(かおちだに)でがけ崩れがあって通行止めになっているとかで、バスは大きく迂回路をとり、1時間半もかかるのだった(どこを通っているのかよく分からなかったのだが、後で考えてみると、帰路にも通った太郎生の側から古光山の南をぐるっと回り込んで行ったのではないかと思われる)。子どもたちは運転席のすぐ横に立たせ、前方を見ているようにと言ったのだが、もともと乗り物に弱い下の子供は、やっぱり途中でげろげろやっていた。

あたりは室生火山群とかいう、火山性の地形で、うねるような大きな曲線と、切り立った玄武岩の崖の直線との組み合わせが、ちょっとセクシーだ。バスの終点から林の中の道を少し上ると、「国立曾爾青少年自然の家」の前を通って、広やかなススキの原に出る。たいへんな人出だ。直下まで車で来ている人たちが多いらしい。普通の革靴や、ハイヒールで歩き回っている人も少なくない。大変だと思うのだが。

正面は二本ボソという名のピーク。その直下の急斜面までススキが広がっている。登山道は、その斜面の中腹を、ちょうど大きなくの字を描くように、まず左に、そして右に折れて進む。ススキの原だから、上の方まで、歩いている人たちがよく見える。登りながら見下ろす、凹地状の広い曲面にひろがるススキの原の風景は、独特の美しさがある。ススキの穂が逆光の中で輝く。青蓮寺川の谷をはさんだ向こうには、鎧岳、兜岳の特徴的な山容が見えている。くの字の先は、二本ボソと同じ稜線上の亀山峠(810m)。峠には強い風が吹いていて、最初の登りの汗が一気に冷える。おにぎり(出がけにコンビニで買ってきたやつだ)を一つずつ食べる。

そこから尾根筋を二本ボソに向かう。稜線の左側(奈良県側)はいま上ってきたススキの原。右側(三重県側)は針葉樹に覆われた断崖。このコントラストも印象的だ。二本ボソの少し手前でススキの原は終わり、左側は広葉樹、右側は針葉樹になる。二本ボソの頂上直前に小屋があり、入山料を取る。大人500円、子供200円。紅葉の倶留曽山の写真を配した立派なチケットのようなものを渡される。ここから先、倶留曽山までは、柳原林業なる持ち主の私有地なのだ。小屋の裏手には、この料金所までの「通勤」専用らしいモノレールの軌道がある。山林での物資運搬によく使われる小さいやつだ。ここまで来て戻ろうかと考える人もいる(このときも実際いた──関西人に違いない)ようだが、いったん樹林で失われていた眺望が、このすぐ先の二本ボソの頂上(996m)で、再び一気に広がるのだった。ほぼ360度の眺望。正面にはちょうど紅黄葉に彩られた倶留曽山。ここでもう一つずつおにぎり。

倶留曽山に続く尾根はいったん一気に下り、登り返す。山頂の眺望は、回りの樹々のため、やや限られている。コンロで湯をわかし、カップ麺を食べる。三度目の昼食。なにしろガキどもは、このカップ麺を何よりも楽しみにしているようなのだ。やれやれ。そのうち、もう少しまともな料理もやってみたいと思う。ともかく、重たい2リットルペットボトルの水を半分減らす。ちょっと失敗だったかなと思ったのは、自分用のカップ麺を「激辛」タイプのものにしてしまったことだ。山で食事をしたら、カップ麺の汁といえどもやたらに捨てるわけにはいかない。当然すべて飲んでしまうべきだと思われて、それには激辛というのはちょっと不利なのだった。おまけの「さらに辛くするペースト」なんてのも入れてしまって、それでもどうにかすべて胃に収めた。とそのとき、こどもがまだ半分も食べていない自分のカップ(彼のは「シーフード」)をひっくり返した。あ〜あ。少し冷めるのを待って、麺を大方拾い集め、ゴミ袋に入れる。しかし塩分をたっぷり含んだスープは山頂の土に吸われてしまった…。

気を取り直して、北側にさらに稜線をたどる下山路に入る。次のバスが15:12発。到底間に合いそうにないが、子どもたちはそれに乗るのだと行って駆け降りていく。樹林の中の細い道。倶留曽山までは人がかなり多かったが、この時間、倶留曽山からこちらのこの道を歩いている人はほとんどいない。やがてT字路に行き当たり、右に少し行くと三ツ岩という眺望ポイント。倶留曽山を背後から振り返る。三重県側の眺めがよい。もとの三差路に戻って、杉林の中を西浦峠に下りる。峠から東へ、どこまでも続く暗い杉林の中をジグザグに下り続けて(よくある「七曲り」という名前がついていて、これがけっこう長かった)、ようやく舗装された道路に出る。「池の平分岐」(アスファルトの路面に直接白ペンキで行き先が書かれている)を過ぎて、集落のなかをゆるく下っていく。正面には、大洞山の立派な姿が、すでに傾いた陽に映えている。

中太郎生(なかたろう)のバス停に下りついたのは3時45分くらい。当然12分発には乗れず、その次は5時5分。バス停は造り酒屋の真ん前。かなり大きな構えの店の前は駐車スペースになっていて、隅の方には丸太のテーブルとイスもある。山を下りてきてこの本数の少ないバスを待つ登山客グループが、ここで残りの食料で酒盛りをしていることもあるという。酒屋で、あまごの甘露煮や地酒(その名も倶留曽山という)を土産に買い、子どもたちにはアイスクリームを買い与え、そのまま店の前で時間を潰す。子供二人は勝手にじゃれあっていた。1.5キロほど奥に行けば「姫石の湯」という温泉があったのだが、そこまで行く気力もなかった。

バスがやってきた頃には、山かげの辺りはすっかり暗くなっていた。バスは名張川の谷沿いの夜道を延々と走っていく。子どもたちはそれぞれの席で眠り呆けている。6時少し前、名張駅到着。快速特急で往路を戻り、帰り着いたのは8時ごろ。行きのバスが迂回中で長かったり、帰りのバス待ちが長かったりしたが、それでも行く価値のあるコースだったと思う。

ガイドブックでは、逆コースを紹介していることが多い。ぼくらの歩いた道のそのまま逆か、太郎生から倶留曽山東麓の池の平を行って、亀山峠に登り、倶留曽山を往復してから曾爾に下りるコース。東から西へ、陽の当たる側を追っていくことになり、最後は夕日に照らされるススキの曾爾高原というわけで、盛夏以外はたしかにそのほうがよさそうだ(曾爾側にも「お亀の湯」という温泉がある。しかし曾爾高原を出る最終バスが 15:27 ということだったので、間に合わなくなるリスクが大き過ぎると思い、今回は西から東への方向をとった。山麓に自家用車で乗りつけて、往復するのが一般的なのかもしれない。一番いいのは山麓に一泊ゆっくりすることだろうが。

# この項はあとで画像などを追加する予定です。

東六甲赤子谷とGPS

2008年9月17日 水曜日

9月9日。抜けるように青い空の初秋の朝、一人で六甲の赤子谷に出かけた。
六甲はつまらないなどとぼやいてばかりいても仕方ない。近くてさっと出かけられるメリットは確かにあるし、少し(ぼくにとって)新たなコースを開拓しようと思っていたところ、いくつかのサイトで目に留まったのが赤子谷。手軽そうな沢登りのコース。宝塚から有馬に向かって少し入ったところから、六甲縦走路に出る。

デジカメを持ち、Sony の GPS-C1 をリュックにぶら下げて、家を出た。ほんとうは、iPhone に入れた GPS トラッカーソフト、iTrail
icon を試しに使おうと思っていたのだが、出発直前に iPhone のトラブル。実際、とくに何か新たなソフトを入れようとしたりすると、よく固まる(帰ってから修復した)。なんだか Mac OS X の初期の頃のようで、実にわくわくするが、そういうことに馴染のない方には iPhone はまだまだ薦められないと、正直、思う。もう1,2年したら、みんなに使ってもらえると思うし、使ってもらいたいと思うけれど。(この直後に出た iPhone のアップデート 2.1 で、このあたりはかなり安定した。「ふつうの人」に薦められるようになるのも案外早いかもしれない。)

9時10分宝塚発のバス(時刻表)で9時18分ごろ一本松下車。車道を少し戻る。北側は大規模な採石場で、その轟音がずっとひびいている。緑色の橋(赤子谷のガイドでよく出てくる千都橋の一本上流の橋だ)を渡って、反対の坂道を登って行く(いったん千都橋にも行ってみた)。左右は企業のグラウンドだが、一般向けの営業をしているようでもある。でも平日のいま、人の姿はなかった。

あちこちのサイトに書かれているとおり、やがてゲートと鉄条網で道が塞がれている。その手前左に降りていく道があり、ちょっと行くと沢沿いに入っていくことができる。この小道は、すぐに、先ほど塞がれていた林道風の道(のゲートの内側)に出る。左に進んで、夏草に埋もれている西宝橋を見て通りすぎると、山道らしくなってくる。これもあちこちに「壊れている」と書かれている木橋は、修復されていた。この橋で右岸に渡り、道通しにそのまま2つほどの堰堤を越えることになる。この道が川に出たところが、赤子谷左俣・右俣の合流点。なんとも細い、この先に滝場があるとも思えないような、小川、小さな川だ。左右の流れにはさまれたあたりは、小さな広場のようで、飯盒炊さんなどの炊事用だったのか、人の頭ほどの石がごろごろ。小さなケルンもある。

左右の流れの真ん中を進んで、少し先で左俣の流れに入る。小さな石組みの堰堤を二つ、左から越えていくと、5メートルの滝。「赤子滝」という札が付けられている。右から高巻きし、すぐ上の小滝の落ち口に降りて、流れの左に渡る。また堰堤を越えて進んでいくと、ゴルジュの入り口。両岸が切り立った、狭い廊下状の部分で、奥行き30メートルくらい。すごいというほどのものでもないが、こういうゴルジュは六甲では珍しいのだそうだ。好天が続いたせいもあるだろうが、全体に水量は少ない。ゴルジュの中ほどの小滝も、軽く越える。

ゴルジュを抜けたところで沢筋は右に90度曲がる。その少し先で、再び左に曲がるところが、次の滝。3段くらいで10メートル(5段と数えているサイトもある)。最下段は左から越えたが、結局そこから右に残置ロープのところに逃げ、最上部は斜め左に抜けた。その上の2条の滝は右を直登。

二ヶ所ほど、沢は左右に分かれる。本流っぽいほう、白や赤のテープの目印が目立つほうをたどる。いくつかの小滝を越え、ほとんど水のなくなった谷筋をたどる。古い石積みがあるあたりまで来ると、まるで水はなくなる。このあたりの登りが単調できつく感じる。完全に沢でも何でもない、ただの斜面の急登になると、間もなく稜線に飛び出す。高圧線の鉄塔の真下だ。11時8分。そのすぐ向こうが六甲の縦走路。縦走路を2,3分左に、宝塚方向にたどって、それから左に一登りすると岩倉山の山頂。石積のかまどのような中に不動明王(?)が鎮座する。ここで早めの昼食。三等三角点だが、眺望はない。

それから鉄塔のところまでもどり、さらに縦走路を西に向かう。鉄塔からほんの少しのところで、左に出る道がある。行き止まりなのだが、樹林の中の縦走路と一転して、周囲は草原で、南方向の展望が素晴らしい。すぐ下に行者山の尾根が見え、その向こうは甲山と北山貯水池。そしてはるかに大阪湾の全体が見渡せる。快晴のなかの快晴のこの日、ここの日差しは強烈で、それから小暗い縦走路に戻ったとき、目が慣れるまでにかなり時間がかかった。

そこからさらに縦走路を少しだけ西に進むと、分岐がある。十字路で、いくつもの道標が立っている。左に、縦走路を離れて、ゆずり葉台方面に行く道が下っている。その反対、右側に行く道には、明確な道標はないが、赤子谷右俣に降りていくルートのはずだ。その方向には、少し奥まったところに、わけの分からない標識がある。

左にゆずり葉台方面に向かう。譲葉山と行者山の鞍部まで来ると、詳細な地図のついた懇切な道標がある。ここで今日初めて他の登山者にあう。光が丘か行者山からきた年配の男性。そのままゆずり葉台方面に歩いていった。ぼくは道標にしたがってゆずり葉台に向かう道を離れ、光が丘のほうに下る。途中、行者山に登る道を分ける。前半は水のまったくない谷道。それがすうっと尾根に上がると、あとは尾根通しに下っていく。このあたりの空気と風を、今回もっともさわやかに感じた。山道の最後の最後、あくまでも尾根通しに下る道と、左に改めて谷に降りていく道に分かれる。労力的には大差はなさそう。谷に降りる道を選ぶと、大きな砂防ダムのところに出る。砂防ダムの上流側には、ついさっきまでは影も形もなかった水が現れ、ちょっとした池になっていて、藻が白い花をつけている。ダムの前面に、急な階段がついていて、水の流れるところまで降りる。地図から判断して、この上流には汚染源はほとんどないだろうと考え、空いたペットボトルに水を汲む。でもそこからほんの少し下ると、尾根通しの道を合わせ、光が丘の住宅地に飛び出す。

ここはまだ標高200メートル以上ある高台。住宅街の、強烈な光にみちた、さほど広くない道には、人っ子一人いない。下っていくと、不意に光が丘北のバス停が現れた(時刻表)。一時間に1,2本のバスまで、ありがたいことにあと10分あまり。バス時刻の5分ほど前になると、どこからともなく人が現れた。ほとんどが年配の、4,5人。来たバスに乗り込むと、止まる停留所ごとに3,4人の人が乗り込んで、座席はあっという間に一杯になった。バスは急な坂道を下っていく。やがて逆瀬川の駅に着く。

GPS-CS1K は Sony がデジカメのアクセサリの一つとして販売している製品。GPS ガジェットとしてはもっとも手軽な品だ。付属ソフトの GPS Image Tracker で、GPS-C1 から読み込んだ位置情報を、時刻を照合することによって写真データに埋め込んでくれる。ところが Sony 製品の常として、付属するこれは Windows 用オンリー。

GPS-C1のデータそのものは、Mac でも LoadMyTracks (無料)で変換してやれば、Google EarthTrailRunner に持っていって、地図上にトレイルを表示させることができる。USB で GPS-C1 を繋げば USB ストレージとして認識される。GPS-C1 のデータは単なるテキストファイルなので、あとはそれをデスクトップに引っぱり出せばよい。以前は、Mac OS X のバグで、GPS-C1 はストレージとしても認識されなかったのだが、Mac OS X 10.5.3 でこの点は改善されたようだ。

写真と GPS データをまとめて扱うとなると、現在のベストは JetPhoto Studio だろう。GPS-C1 のデータも直接読み込むことができる。それについてはまた改めて書こうと思う。

武奈ヶ岳山麓、八ツ淵の滝

2008年8月19日 火曜日

魚止めの滝六甲はつまらないと言えばつまらない。水はきたないし、稜線には車が走りまくっているし。関西で最も手近で山らしい山と言えば比良だろう。というわけで、8月10日、快晴の日曜日、子供二人と比良の武奈ヶ岳山麓の八ツ淵の滝へ。いや、ほんとうは武奈ヶ岳まで登るはずだったのだが…。

7時25分JR西宮駅発、尼崎で快速に乗り換え、あとは直通で8時55分、湖西線の近江高島着。殺風景な中にガリバーの巨大な像が立つ近江高島駅前からは9:03と10:23発のたった2本、ガリバー旅行村行きバスがある。その9:03発に乗る。日曜日でもあり、老(若)男女の登山客が多くて、通常のミニバスに加え、同時刻発のガリバー村行き臨時直行バスが出た。その直行バスに乗る。

バスを降りてすぐのブースで入山料一人300円を払う。そこから舗装道路を少し上がるとガリバー村の正門で、駐車場には多くの車が停められていて、脇に売店がある。売店では、旅行村の宿泊客向けに、ちょっとした食品や洗剤やフリスビーなどを売っている。そこで持参し忘れたライターを買う。そこから左手にミニ天文台を見て、山道に入る。このあたり、ガリバー村利用者のための遊歩道が何本か出ている。

八淵の滝は、魚止めの滝、障子の滝、唐戸の滝、大擂鉢、小擂鉢、屏風の滝、貴船の滝、七遍返しの滝の総称。日本の滝100選にも選ばれているのだそうだ。ここが詳細な遡行図を掲げてくださっていて、それをプリントして持参した。遊歩道をそのまま大擂鉢まで行けばよかったのだが、最初の魚止めの滝で沢に降りた。それが失敗。ここから障子の滝までが、思いがけずかなりの難所だった。

ばしゃばしゃ水に入れる装備であればさほどでもないところも多かったかと思う。でもぼくらはふつうの軽登山靴履きで、あまり濡れたくはなかった。おまけに丈足らずの子供連れ。それだけでコース取りがずっと難しくなる。魚止めの滝は左岸に渡り、右側から越えるのだが、渡ること自体は(水量にもよるだろうが)さほど難しくなくても、左岸に取りつくには大岩を上から回らなければならなかった。そのあとのルート探しも決して容易ではなかった。

障子の滝障子の滝上部は、石伝いに右岸に渡り、そこから垂直の壁の溝を、鎖と、壁に打ち込まれた黄色いコの字型のステップを頼りに登って行く。これは普通の山歩きのレベルとは隔絶したスリルがある。長男はどうにかすいすい登っていった。しばらく待たせて次男にもゴーサインを出す。一度、5,6メートル上(いや、もっとあったかも)の岩壁で、次男が足を滑らせ、片足が宙に舞うのが見えてひやりとする。なんとか安全なところまで登ったのを見極めて、自分も登り出す。岩壁を登り詰めると、そこからは少しもろい岩の斜面の急登しばしで遊歩道に出る。出たところには、ここからの下りは禁止の標識があった。こういう岩場の下りは登りの何倍も難しい。ここまでで2時間費やしており、この時点で山頂まで行くのは無理だと判断する。

沢登りの経験のない方や子供連れの方には、くれぐれも魚止めの滝〜障子の滝部分には入らないよう警告しておきたい。この部分はパスしてまっすぐ大擂鉢に向かうべきだ。大擂鉢から上も鎖場や梯があるが、障子の滝のところほどの壁はないし、道は決まっていて、沢の中でコース取りに頭を悩ませるところもない。

武奈ヶ岳は、かつてはイン谷口からリフトとゴンドラを利用して比較的容易に入山できた。それが数年前に上のスキー場とともに廃止されて、それで八淵の滝からのコースがクローズアップされてきた気配がある。そのために、このコースの(一部の)難しさについて、一般向けのガイドブックで徹底していない部分があるように思う。子供連れの場合は特に気をつけた方がよい。

大擂鉢遊歩道を少し歩いて大擂鉢まで行く。大擂鉢は、直径10メートルほどだろうか、大きな池状の滝壺だ。ここで昼食。子どもたちは靴を脱いで中に入って遊ぶ。ここだけが目的なら、水着を持参してもよかっただろう。

屏風の滝ここから少し上の屏風の滝、貴船の滝まで往復したが、屏風の滝の下はそれなりの深さと、かなりの奥行きのある、翡翠色の水をたたえた瀞状になっていて、実際、水着のおねいさんたちが水遊びしたり甲羅干し(これもそろそろ死語か)していたりした。旅行村からここまで遊びに来ているのだろう。

100選に入るだけあって、八淵の滝はあくまでも美しい。魚止めの滝から障子の滝部分も、切り抜けてみれば面白かったが、大擂鉢から上だけでも、一度訪れる価値はあるだろう。

芦屋地獄谷とロックガーデン

2008年6月8日 日曜日

芦屋地獄谷先週の日曜、梅雨入り宣言の前日、わが家の毎年恒例のコース、芦屋地獄谷へ。

長くもなく、特別難しいところもなく、しかし変化に富んだ小滝がいくつもかかり、六甲にしては水がきれいで、アプローチも便利。

高座の滝から、ロックガーデンの尾根の先端を乗り越えて、沢に下りる。すぐ左手に砂防ダムがあって、土砂がたまり、広場のようになっている。

下のこどもは一つだけ、去年は丈が足りずに直登をあきらめ、大きく巻いた滝があった。それも今年はクリア。

カワトンボ「小便滝」下でしばし水遊び。川トンボやそのヤゴ、そしてヒキガエルが姿を現す。小便滝からは、これまで来た5、6回は、大きく巻いて砂防ダムを越え、そのまま沢通しに風吹岩まで登ったが、今回は初めて、ここからB懸尾根に向かうことにする。

最初は小便滝上流の、両岸の崖の迫った暗い廊下状。ほとんどがドイツ語もどきが多い日本の登山用語でなぜかそれだけフランス語でゴルジュ(喉)と呼ばれる地形だ。それを抜けるとA懸垂岩の岩塔の基部に出る。その途中まで登って、谷通しで来たこのコース最初の展望を楽しみながら、昼食。と言ってもおにぎりだけ。

万物相その先は、B懸尾根を、いくつもの岩塔群の基部を回り込みながら進んでいく。途中、「万物相」と呼ばれる岩のかたまりを越え、さらに進むと、ロックガーデン主稜の尾根道に飛び出す。ちょうど向かい側に、高座谷に下りる道も分かれている。そこから風吹岩まではすぐ。

いつも風吹岩からはロックガーデン主稜か高座谷を下っていたが、今回は岡本に下ることにする。保久良神社の梅林を過ぎ、八幡谷沿いの住宅地に出る。このあたり、ちょうど今頃、野生のゲンジボタルが飛ぶらしく、地元のおじさんがそのことを告げる手作りポスターをあちこちに貼る作業をしていた。

住宅街の中を下って、岡本駅へ。

三草山(みくさやま)564m

2008年3月31日 月曜日

ツクシ先日、こども二人を連れて能勢の三草山に行った。

能勢電鉄の山下駅9:30着。9:50の阪急バス(時刻表)に乗り、森下下車。西に向かって道路を少し歩き、右に岐尼神社を見て、左に折れ、山田川と長谷川にかかる橋を渡って、長谷川に沿って、農道と畦道を進む。

岩坪古墳慈眼寺の少し手前、小さな道標に従って左の雑木林の中の斜面を一登りすると、岩坪古墳がある。横穴式円墳遺跡。羨道部分はしっかり残っているが、崩落の危険もあるのだろう、立ち入りを禁ずる札が立ててある。天井の崩れた古墳の上から中を覗き込みながら、腹ごしらえをする。(この登りの途中、雄雌の雉を見かけた。)

[map:34.956518,135.375552]

長谷の棚田下の舗装路に戻り、慈眼寺を過ぎ、一番奥の棚田の中の道を上がっていく。道々、路傍のツクシやフキノトウを摘む。実はこれが今回一番の目当て。ここ数日の陽気ですでに花の開いてしまっているフキノトウも多かった。

才ノ神峠から15分ほどの登りで三草山山頂。今日のコースでは、岩坪古墳往復の道を除くと、この部分だけが本来の山道だった。山頂からは南面の展望がよい。東、南、西それぞれの展望を説明するプレートが設置されていて、有馬富士や、六甲山、五月山、妙見山などがはっきり見て取れる。北面は樹林のため、剣尾山などは見えない。

codebase="http://www.apple.com/qtactivex/qtplugin.cab"
height="300"
width="400"
> height="300" width="400"
type="video/quicktime"
pluginspage="http://www.apple.com/quicktime/download/"
autoplay="true"
controller="true"
scale="tofit"
/>


三草山山頂からの展望。
(QuickTime VR。マウス操作で360度ご覧になれます。)



三草山南面の桜以前に何度か来たときは、山頂からそのまま東に向かい、ミドリシジミの保護区「ゼフィルスの森」を通って慈眼寺に下りた。今回は才ノ神峠に戻り、そこから南に、槻並(つくなみ)に向かって下る。舗装された道だ。三草山山頂も桜の名所らしいが、開花はまだだった。その南面のこのあたりでは、薮の中から枝を差し伸べた若い桜がいっぱいに花をつけていた。往路、文字通りの道草で時間がかかったので、下りはかなり急ぐ。

槻並・仁部の宇宙人槻並最奥の仁部集落では、宇宙人(?)が迎えてくれる。なんだかなあ。

そこからさらに、しっかり舗装された道路を1時間半歩く。猪名川の支流、槻並川が形づくる開けた谷だ。山里の中の立派な道には、ほとんど車が通らない。このあたり、曜日によってはミニバスが走っているらしい。猪名川町ふれあいバス。(うわ、また「ふれあい」だ。どうして日本の田舎の自治体はこうまでこの言葉が好きなのだろう? まっとうな意味を持ってこの言葉が使われている場合ももちろんあるのだろうけれど、ほとんどの場合、要するにコミュニケーション(能力)の欠如から生じる空隙を埋めるためにこの語が置かれているように思われる。つまり、「ふれあい」と口にされる場面には、ほとんどの場合、コミュニケーションの不全が存在する。ちなみに、日本全国の「ふれあい」をネタにした面白おかしい「社会学的」な語りが、パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』 (ちくま文庫)に見られる。)

槻並ずっと舗装道路歩きでは疲れるし退屈なので、ところどころ並行して通っている農道を歩く。

首案山子宇宙人にひきつづき、ちょっとぎょっとさせてくれるのがこの案山子(?)。農家の人がかつて洋品店でもやっていて、転用したのか。なかなかシュールなセンスである。

このへんも、路傍にはつくしがたくさん。でもほとんどは頭が開ききってしまっている。才ノ神峠に登り着くまでにずいぶん採ったことでもあり、こどもたちももう摘もうとはしない。

tsukunami.jpg延々と歩いて、槻並川が猪名川に合流する地点、屏風岩のところで道も交通量の多い川西篠山線に出る。2時に三草山山頂をあとにして、4時屏風岩発のバスにちょうど間に合った。バスを日生中央駅で降り、能勢電鉄に乗って帰る。

フキノトウは蕗味噌や天ぷらに。ツクシは佃煮にして、こどもの友だちの家や先生に「お裾分け」されていった模様。小学校の先生はツクシを食べたことがなかったらしい。ちょっと驚き。