‘Slovenija’ カテゴリーのアーカイブ

スロヴェニアでラーメン RAMEN v Sloveniji

2005年7月14日 木曜日

いや、スロヴェニアでインスタントラーメンが売られていることは意外でも何でもない。東南アジアあたりで生産された日本のメーカーのライセンス品?はかなり以前からヨーロッパ各国で入手可能だった。

ただたんに、このブログで取り上げられていたのがちょっと面白かった。
The Glory of Carniola: Master of Translation!

スロヴェニア在住アメリカ人のブログのようだが、この項目は、ラーメンのパッケージに各国語で書かれた調理法説明の中で、他の諸語では水500 ml となっているのに、スロヴェニア語だけ1Lになっているということで、画像も掲載されている。お湯の量を倍にしてしまったら、それは薄く不味くなってしまうだろう。

DAMAE RAMEN とは、おそらく「出前」なのだろう。「出前一丁」か。たぶん「ダマエ」と発音されているはずだ。

その下に、RAMEN とは何物なのかを説明しているのだろう、 Japonska juha z rezanci ヌードル入りの日本のスープ、と書かれている。もとのブログの著者は気に留めていないが、これが問題の核心かもしれない。スロヴェニアの人々にとってはそれが分かりやすいのだろうけれど、なんだか主従が逆だ。細い、あるいは細かいスープ用パスタの入ったブイヨン系のスープはスロヴェニアでもとても美味しいのだが、それと同類と捉えられているのか。たしかに、お湯の量を倍にしたら、完全に「ヌードル入りのスープ」になってしまうかもしれない。だからこそ、スロヴェニア語への訳者は1リットルこそが正しいのだと思ったのかもしれない。
「スープに入ったヌードル」と書いていればよかったのか。Japonski rezanci z juho… これではパスタに別皿でスープが付いてくるみたいか。Japonski rezanci na juhi?… ほんとうはどう言えば誤解がないか、スロヴェニア語で考える能力は、いまの僕には無い。

ほんのわずかな「誤訳」が大きな誤解をまねく。まあ、この例は全体として瑣末なものだけれど。

「from スロヴェニア」

2005年7月6日 水曜日

村上龍主宰のメールマガジンJMMで、リュブリャーナ在住の成田真巳さんという方のスロヴェニアからの発信が始まった。「ナズドラウィエ! from スロヴェニア」。7月6日発行の No. 330 は、その第2回。最新号のうちはここでも読める

スロヴェニアに関心のある人は読んでおいて損はないだろう。

Pehtranka

2005年6月15日 水曜日

カタカナに移すのであればペヒトランカ。スロヴェニアの、タラゴン入りのロールケーキ。スロヴェニア語でタラゴンは pehtran ペヒトラン。それが入ったロールケーキが pehtranka ペヒトランカ。

スロヴェニアは、スウィーツ (slaščice スラシュチツェ)、ケーキ (pecivo ペツィーヴォ) の類いがまた、実はとてもおいしい。

ロールケーキ(ケーキというより少しパンに近い)は Potica ポティツァと言い、蜂蜜入り、クルミ入りなど、さまざまな種類のレシピがある。その中でも、このペヒトランカがいい。他のポティツァが「〜のポティツァ」と呼ばれるのに対して、このタラゴン入りのものだけは、同様の pehtranova potica という言い方もあるものの、pehtranka というたった一語で言う言葉が存在する。

このペヒトランカを、ボヒンのバカンスアパートに滞在した折、家主のマリヤおばちゃんが作って食べさせてくれたのだった。

タラゴンというと、フランス料理のイメージが強いが、こうしたお菓子に使ってその甘い香りがとてもよく生きているのは、このペヒトランカを措いて僕は知らない。

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この画像はここから拝借した。ロシアン・タラゴンだ。このオーストリアのサイトでは、40もの言語でのハーブの呼び名が纏められている(日本語まである)。こういう各国語対照のハーブ名辞典を作りたいなと思っていたのだが、屋上屋を架すところだった。そもそも40言語なんて僕には無理だ。

ふしぎなのは、スロヴェニア語でタラゴンを指すペヒトランという名が、孤立しているように見えることだ。他に似た名で呼ぶ言語がない。お隣のクロアチア語でも、タラゴン、エストラゴンの系統の呼び名しかない。

肝心な(?)ペヒトランカのレシピだが、スロヴェニアのお菓子レシピ本で最も権威があるのが、『シスター・ヴェンデリーナのケーキ』というこの本。カラー図版の美しい大型本。もちろんペヒトランカのレシピも詳しく載っている。詳しすぎて、きちんと日本語にして紹介する余裕と能力が、いま、ない。
Marija Ilc, sestra Vendelina “Pecivo sestre Vendeline” Ljubljana: Vale-Novak, 1995.

英語によるレシピならば、たとえばここで読める。
Slovenia News

また、クルミ入りポティツァのレシピだけだが、ここも英語。タイトルの通り、「スロヴェニア語旅行会話」のサイト。
Slovene for Travelers
オマケとして挙がっている例文が、「(この)ポティツァはすばらしい。」 Potica je izvrstna.

最近知ったのだけれど、このペヒトランカは結婚式によく作るものらしい。タラゴンが妊娠を促すと考えられているからのようだ。

ボヒン(7)コムナ小屋から黒湖(つづき)

2005年6月2日 木曜日

コムナ Komna は、コムナ小屋から西や北に広がる台地の名前で、ボヒンの大きな谷全体のどん詰まりの上部にあたる。コムナ小屋から (13:00) 北に向かって歩いていくコース、右手はそのコムナがボヒンに落ち込む断崖だが、コムナ台地は大きく、コースはしばらく台地の上の大きなゆるやかな谷の中、石灰岩の白色が支配するまばらな樹林の中を小さく上下する。やがて急登があり、道は断崖のすぐ近くに出て、ボヒンの湖の展望が開ける。
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この写真はそのあたり。ちょうど、あのサヴィツァ滝の断崖の真上のあたりだ。手前の石灰岩の白さに、後景のはるか下の湖がすっかり暗く沈んでしまっている。ご覧いただきたいのは、石灰岩のわずかなくぼみに花を付けているタイムだ。下の牧草地にタイムやヤロウがふんだんに生えていることは前に触れたが、ことにタイムは、かなりの標高の条件の厳しいところにもよく生えている。そしてまた香りがいい。
フランスのすぐれた料理人は、野や山の中に、とりわけ香りのよい香草の生える「秘密の場所」を持っていて、決して他人には教えないのだ、といった話をどこかで読んだ記憶がある。こういうところに生えているこういうハーブを見ると、そんなこともあるのだろうなと思える。

やがて道は急斜面の下りとなり、一気にČrno jezero(チュルノ・イェーゼロ、黒湖)のある谷に降りていく (14:40)。黒湖は、トリグラウ七湖の一つ。流れ込む川も流れ出す川もない、やはり地下水脈が地上に顔を出していできている小さな湖。水位はそのときどきで著しく変化するが、長さ150m、幅80メートルほど。ここでも、エメラルドの色をした水は透明度が高い。あたりを覆うトウヒの森が水面に黒い影を落としており、それゆえの名前のようだ(これより上の湖の周りには森林はなくなる)。水温はあたりの湖の中では高めで、泳ぐのにちょうどよく、長い歩きでほてった体を冷やしている登山客がときどきいる。
crno_jezero.jpg

ここから北の方に向かって、七湖谷と呼ばれる大きな谷が弓なりにトリグラウ山のほうに続いている。トリグラウへの登山道の一つ、長い長い道だ。この黒湖は七つの湖の一番下。そしてここは、依然、ボヒンの大きな谷のどん詰まりの断崖の上だ。つまりボヒンを取り囲む山々は、その奥、湖の北から西にかけてもっとも急峻な断崖となっているのだが、その断崖の上に、さらに台地や尾根や谷がはるかに連なっている。その端っこにあるのがこの黒湖。

ということはだから、ここからボヒンへの下りもまた、ほとんど断崖のような急な斜面に付けられた道を辿っていくことになる (14:50)。この斜面にはコマルチャ Komarča (梯子)という名が付いている。イドリヤの博物学者 Breton Balthasar Hacquet (1739-1815) は、ここを最も早く訪れた人物の一人だが、登るのが困難な地点の多くで、生えているトウヒの枝を短く落とし、それを梯子のように使って乗り越えたといい、そこからこの斜面も Komarča と呼ばれるようになったのだという。(Peter Skoberne, Triglav National Park. Ljubljana, 1991 による)

とは言え、今現在歩いているかぎり、樹林に覆われたジグザグの、普通の登山道だ。降りきって振り返ったとき、このほとんど垂直に見える壁のどこにあの道があったのだろう、どこを歩いてきたのだろう、と訝ることになる。やがて針葉樹の植林帯に出て、さらに下ると、川の左岸を、ホテル・ズラトロクのあるウカンツ Ukanc からやってくる道に降り立つ(15:55)。出発地のサヴィツァ小屋は、右へ歩いて木橋を渡ればすぐだ。

サヴィツァ小屋から、このときは、夏のみの Turist Bus (16:20) で Polje ポーリェの村へ行き、そこの食堂 “Pristavec” で夕食をとった。この食堂は、いまはない。

ボヒン(6)コムナ小屋から黒湖

2005年5月29日 日曜日

ボヒンではもちろん本格的な山歩きのコースにも事欠かない。南ボヒン山脈の縦走については以前に書いたし、トリグラウ登山についてもいずれ書くつもりだ。

ボヒン湖の奥、サヴィツァ滝を訪れるベースになるサヴィツァ小屋 Dom Savica (653m) から (8:25)、滝への道を離れ、南西方向の急な斜面に作られた長いつづら折れの道を上っていく。この斜面も部分的に腐葉土に覆われているだけの石灰岩質なのに、ブナの巨木の林になっている。やがて傾斜がゆるやかになって、谷の道となり、奥へ奥へとたどっていくと、三階建ての大きな Dom na Komni の山小屋 (1520m) に着く(10:30)。約2時間。小屋は有人で、ヤギが飼われている。サヴィツァ小屋からこのコムナ小屋までは、荷物専用のリフトが敷設されている。
dom_na_komni.jpg

このあたりの地形は氷河によって形成されたもので、谷はU字状、つまり斜面の勾配がきつく、いったんその谷の上に出ると、比較的平らな台地状に広がっているところが多い。ここもそうで、急斜面の樹林の中を登ってきてここまで出ると、あとは西方にずっと石灰岩台地が続いている(当然凹地もたくさんあって、かなりでこぼこしている)。コムナ小屋 (11:30) からほぼ平坦な道を15分ほどのところに、もう一つの山小屋、Koča pod Bogatinom (ボガティン下小屋 1513m)がある (11:45-12:45、昼食)。これは第一次大戦のとき、オーストリアの地区司令部だった。この小屋を過ぎて、なおも西へとたどり、金鉱が出るという伝説のあったボガティン山の北、ウラトツァ Vratca 峠 (1803m) を越え、さらにいくつかの峠を越えていくと、ボヒンの外側、ソチャ川 Soča の谷、トルミン地方に出る。…ようだ。地図で見る限り。(つまり、Koča pod Bogatinom から先は、僕自身は歩いたことがない。)

そもそも、サヴァ・ボヒンカの川沿いにボヒンスカ・ビストリツァに鉄道が通される以前は、この山越えの道が、ボヒンと外界とを結ぶ唯一の道であったらしく、また、第一次大戦時には、「軍用道路」であったらしい。もちろん車が通れるような道ではないが、サヴィツァ小屋からのジグザグの道が山道にしては異様に広いのはそのためだろう。

このボヒンの西側、トルミン地方は、第一次大戦のときに、前線となった。コバリート Kobarid の町には、それを記念する戦争博物館がある。ヘミングウェイが『武器よさらば』で描いたのも、この地の戦闘だ。

たびたび引いているハントケの小説『反復』、設定では1960年代半ばのはずだが、主人公は、ボヒンを去るとき、どうやらこの道を歩き、山上の要塞跡で一夜を明かしている。

まだボヒン滞在中で、荷物全部を抱えてこの大きな山越えをする用意のなかった僕は、ボガティン下小屋まで往復したあと、コムナ小屋から北東の道をたどり、チュルノ・イェーゼロ Črno jezero (黒湖)に向かうことにした。(つづく)

ボヒン(5)

2005年5月26日 木曜日

ボヒンの軽いウォーキング・コースは、一つ一つ特色があって楽しい。

湖の奥のサヴィツァ小屋 Dom Savica からサヴィツァ滝に登るコースはすでにあちこちで紹介されている。伝説のまといつくこの高名な滝は実際一見の価値がある。が、そこまでの道はコンクリートで固められてしまっている。

北の谷のスタラ・フジーナの集落から、狭く深い峡谷をほとばしるモストニツァ渓谷を歩いていくと、谷の奥は、たぶん氷河時代に形作られたU字谷だろう、意外にも大きく広がった気持ちのよい牧草地になっていて、そのどん詰まりにやはり滝。(上のサヴィツァ滝に行くコースと、このコースは、入り口のキャビンで入山料を払う。)

同じスタラ・フジーナを出発点に、ストゥードル山 Studor の北側を登り、ウスコウニツァ Uskovnica の台地に広がる大きな牧草地の中を歩くコース。途中、Lom や Mlaka の集落では、そこで作られたチーズ (sir) を味わうことができる。(1950年代後半まで、高地の28ヶ所の牧草地でチーズが作られていたが、現在ではすべてスレドニャ・ヴァース Srednja Vas の工場に集約されている、と Steve Fallon のガイドブックにはある。しかし少なくとも1996年にはこれらの集落でも作って売っていた。)ボヒンのチーズはハードタイプで、とっつき、素っ気無い感じだが、じわりと広がる味わいがある。ウスコウニツァから西に向かって降りていくと、先のモストニツァの奥の牧草地に出る。(チーズや蕎麦粉を使った伝統的な山の食事は、スターラ・フジーナの民俗博物館、Planšarski Muzej に隣接する食堂でも試せる。)

ボヒンスカ・ビストリツァを基点に、鉄道の線路をくぐり、その南東方向、ネムシュキ・ロウト Nemški Rovt の集落からラウネ Ravne の集落まで、南ボヒン山脈の基部の山腹に点在する牧草地と森林をめぐるコース。樹林の中にぽっかりと空いた草地が次々に現れる。森の中のこういう草地をドイツ語で Lichtung と呼び、それを晩年のハイデガーが哲学的ジャーゴンに仕立て上げたことはよく知られている。背の高い黒々とした森に囲まれてぽっかりと現れる目にも柔らかな草地は、かすかな不安の影をまとった安心感のような、不思議な感覚を呼び起こす。

ボヒンスカ・ビストリツァの西、南の谷の南寄りに、おだやかに起伏する丘がある。Dobrava ドブラヴァという名がついている。氷河時代のモレーンだ。全体が牧草地になっていて、作業小屋が点在するこの丘は、ハントケの『反復』で重要な舞台の一つとなっている。ボヒンスカ・ビストリツァに投宿した少年は、毎日ここに登って、兄の遺品である古い大きなスロヴェニア語=ドイツ語辞書に読みふける。このドブラヴァをめぐるコース。明るく開けた丘の上からは、四囲の山々の眺めがとてもいい。そのまま西にたどると、カムニェの隣のポーリェの集落に降りる。『反復』の拙訳の表紙カバーに使った写真はここだ。

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同じくボヒンスカ・ビストリツァから、ポザブリェノ Pozabljeno (忘れられた土地、といった意味だろうか)を通って、これも山腹から湧き出すビストリツァ川の源泉 Izvir Bistrice に到るコース。大部分は林道歩きだが、泉に到る直前、左側の斜面からも滝が吹き出していて、水量の多いときは、通行も困難になる。夏でもなにしろ冷たい水なのだ。一時期、ここをダムにしてしまう愚かしい計画があったが、どうなっただろうか。泉から北側の斜面を登ると、ジュラン Žlan の集落を通って、ポーリェの村に出ることもできる。

ボヒン湖の北岸をだどるコース。南岸は自動車道が走っていて(その脇に遊歩道はあるが)、キャンプ場もあるのに対して、北岸は静かだ。

夏場、どのコースも本当に気持ちがいい。命の洗濯、という古めかしくもキッチュな表現がつい頭に浮かぶ。

ボヒン(3) ボヒンのハーブ

2005年5月24日 火曜日

アパートは、家主のアドルフさんが自分で建てたと聞いた。敷地はそのまま牧草地。わずかな生け垣のほかは、庭を囲う塀はない。これは村のどの家でも同じだ。

初夏、この草地の植物たちが、色とりどりの花を付ける。いわゆる「ハーブ」の代表格、タイム (dt: Thymian, slo: timijan) やヤロウ (dt: Schafgarbe, slo: rman) は牧草地のいたるところに生えていて、草地を一歩歩けば踏みつけることになる。写真はチコリ(dt: Wegwarte, slo: potrošnik, cikorija)の仲間だと思われる。これもそこかしこに生えている。朝霧の中で、ぼうっと発光するように咲いている青い花(ハルデンベルクか?)はとても美しい。

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先に書いたように、アパートと家主の家の建っている敷地自体が一面牧草地で、その一部が畑、菜園になっている。さまざまな野菜の他、スープセロリやタラゴンなどもそこで栽培している。このあたりの家はどこもそんな自給用の菜園を持っていて、おそらくだからボヒンスカ・ビストリツァあたりのスーパーに行っても、特に葉ものは、あまりよい品を置いていない。推測だが、買うのはバカンス客で、地元の需要はあまりないということではないか。

家主の夫人、マリヤおばちゃんは、僕がこうした植物に関心があると知ると、図鑑を貸してくれたり、いろいろ気づかってくれた。一緒に庭を歩き、あら、こんなのも生えてるわよ、と言って「ぶち!」…こちらが止めるまもなく折り取ってしまうのには参った。ある種途方もない贅沢さ、豊かさ。折ってくれたのは、たしかたった一本咲いていたウサギギク(dt: Berg-Wohlverleih, slo: arnika) だった。

カムニェの村のバス停わきの草地には、初めて見る花弁の無いカモマイル (dt: Kamille, slo: kamilica) が生えていた。和名を知らないので、「坊主カモマイル」と勝手に名付けることにした。花びらのない以外は、15〜20センチの丈も甘いリンゴのような香りも普通のジャーマン・カモマイルに変わらない。

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ボヒン(2)

2005年5月22日 日曜日

だいぶ間があいてしまったけれども、これはなぜスロヴェニア? – ボヒン (1)の続き。

前に書いたように、ボヒン地方は周りを山に囲まれた、尾瀬を一回りか二回り大きくしたような地形の地域。ただし尾瀬と違って、下は湿原ではなく、牧草地と湖。一番奥に、透明度の高い、美しい緑色の水をたたえる大きな Bohinjsko jezero ボヒン湖。さらにその奥のどん詰まりに、断崖の途中(カルスト地形の地下水脈だ)高さ78mから落ちてくる Slap Savica サヴィツァ滝。

ボヒンの入り口であるボヒンスカ・ビストリツァから一番奥まで、道路が一本通っている。正確に言うと、ボヒンスカ・ビストリツァから湖までの間は、ボヒン地方は、間に低い山脈を挟んで、南北に分かれていて、道もそれぞれに通っている。北側のほうが、少し標高が高く、幅が狭い。どちらも、道の両側は牧草地。その中に、ぽつりぽつりと小さな集落が点在する。

カムニェは、そういう集落の一つ。南側の谷の、ちょうどボヒンスカ・ビストリツァと湖の中間の、40戸ほどの小さな村だ。八畳ほどのスペースに、食料品から洗剤から文房具まで詰め込まれた小さな小さな、スーパーというよりは「よろず屋」と言ったほうがいい店が一軒あるだけの集落。1994年にボヒンに漂着した二年後の1996年夏、ひと月ほど、この村のR家のバカンス・アパートを借りた。

bohinj0012s.jpgアパートのバルコニーからの眺め。朝霧がかかっている。

周囲は牧草地。ドイツ語で言えば Wiese、スロヴェニア語で言えば travnik。裏手すぐに、ボヒン湖から流れ出す、夏でも身を切るように冷たい川、サヴァ・ボヒンカ。その川の向こうには、北の谷との間を隔てる標高1000メートルたらずのルードニツァから伸びる尾根の樹林が迫っている。南側、牧草地のむこうには、ヴォーゲルからチュルナ・プルストにいたる標高2000メートル弱の南ボヒン山脈が美しい。東のボヒンスカ・ビストリツァや西の湖のざわめきも、ここには届かない。

アパートは周囲の家と同じような造りの家、一階と二階に二つずつのアパルトマン。あてがわれたのは二階。居間と、寝室、キッチン、シャワー、おまけのようなシングルベッドが置かれた天窓付きの小さな部屋。主な客はリュブリャンチャンつまり首都リュブリャーナの人間と、オーストリア人やイタリア人らしい(いずれも隣国)。

そこで晴耕雨読ならぬ晴歩雨読の生活を送った。主に天候の悪いとき、家にこもって読んだり書いたり翻訳したりの仕事をして、天候に恵まれれば周囲の野や山を出来るだけ歩き回った。

店やレストランの集中しているボヒンスカ・ビストリツァと、観光の中心でボヒン湖の入り口にあって数件のホテルを擁するるリブチェウ・ラースとのちょうど中間の村、まわりに何もないと言えばない。ある週末、リュブリャーナからの客がアパートの別の部屋を借りていて、僕がずっとここにいると言うと、こんなところで退屈しないか、と訊いてきた。そんなことは全くない、と答えた。(たぶん続く)

スロヴェニア・ワインの用語1

2005年4月4日 月曜日

スロヴェニア・ワインの用語。スロヴェニア・ワインのラベルは創意に富んだ美しいものが多い(全般にスロヴェニアはデザインセンスにすぐれる)が、スロヴェニア語のみで表記されている場合が多い。だからワインを飲むためのミニ・スロヴェニア語講座その1。スロヴェニア語は固有名詞でもなんでもデタラメなカナがあてられることが多いので、音訳も掲げる:

zelo suho (ゼロ・スーホ):極辛口、very dry, brut (スパークリングワインのみ)
suho (スーホ):辛口、dry
polsuho (ポウスーホ):中辛口、semi-dry
polsladko (ポウスラトコ):中甘口、semi-sweet
sladko (スラトコ):甘口、sweet

参考: Mišo Alkalaj “Wines of Slovenia” Ljubljana: DZS, 1996
本書は現在手に入りにくくなっているが、その内容の大半はこちらで読むことができるようになっている。

スロヴェニア語学習日記のblog

2005年4月3日 日曜日

senozeta.jpg

〈難解なスロヴェニア語習得への道。ほとんどゼロから始めてどのくらいの期間で「言いたいことを言える」ようになるのか?実験開始!〉というサブタイトルで、スロヴェニア語学習日記のブログを始められた方がいらっしゃいました。物好きな(?)同志(!)としてエールを送ります。僕はいまだに言いたいことがちっとも言えません。
SLOVENIJA

スロヴェニア語の数字は特に大変ですよね。

あれ? トラックバックができない?

# 写真はボヒン地方、セノジェータ senožeta の牧草地にて。