‘No category’ カテゴリーのアーカイブ

地形模型

2006年9月16日 土曜日

小学生の頃、たしかニッチといったかな、そういうメーカーの地形模型作成セットでいくつか作った。厚手のボール紙に等高線が描かれていて、それを彫刻刀で切り抜いて順に貼り重ねていくもの。夏休み前のデパートなんかで売っていて、必ずしも入手しやすくはなく、ネットなどなかった当時、手紙でまとめて注文・購入したような記憶もある。そのことをふと思い出してネット上で探してみたけれど、どうやら今は消えているみたいだ。

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六甲山の1:100000模型

(もちろんそういう商品でなくても、たとえば自分で1/25000地形図をコピーして白ボール紙に貼って作ればいいので、そういうことをしたこともある。そういえば、カメラ屋や文具店などにおいてあった当時のコピー機で作ったコピーは、ジアゾ式といったっけ、独特の臭気があったなあ。)

そのかわりに、現在はニシムラ精密地形模型というところが同様の工作セットを出していることが分かった。それでオンラインで注文して作ってみたのが画像の六甲山。素材はボール紙のかわりにスチレンボード。彫刻刀ではなくてカッターナイフの使用が指示されている。切り抜いて、ボンドで貼り重ねていく。かつてのものと違って、最初から標高によって彩色されている。

トシのせいで、眼鏡をかけたままだとこういう作業が少々辛くなってきた。眼鏡をはずして、カッターナイフや彫刻刀を持った手に顔を近づけて作業しているザマは、まるで棟方志功だ。わだばゴッホになる! やれやれ。(いや、棟方志功はもちろん不世出の芸術家だったけれど、この格好は決してよくないでしょ。で、今作業中の僕が似ているのはその格好だけなんだから。)

六甲山の見える土地に移ってきてすでに十年余り。水が汚ねえ、上は車ばかりじゃねえか、堰堤が多すぎる、などと文句を言いながらも、なんと言ってもウチから近いし、山らしい道を求めて自分の脚でもちょこちょこ歩いてきた。だが、いまひとつ地形がつかめない。いつも使っている昭文社の登山地図は、あまり美しいとは言えない陰影がほどこされていて、等高線がよく読めない。国土地理院の地形図を見ればいいのだけれど、なんだか惰性で登山地図ばかり使ってきた。それで、地形がよく分かっていなくて、住まいから眺める六甲も、どれがどのピークなんだか、あまり正確に分かっていなかったのだ。

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芦屋地獄谷

さすがに家のベランダからの眺めと模型とを見比べると、よく分かりましたね。手前のゴロゴロ岳から荒地山にかけての稜線の後ろに、主脈がかすかに覗いている状態を、作った模型の横から眺めて確かめる。そもそも荒地山が見えているのだということもはじめて認識した。後ろに覗いているピークの一つが西お多福山らしいことには、醜悪な鉄塔から気づいていた。ウチから一番近い甲山は、1:100000模型では、ポチっと吹き出たニキビのようだ(実際あれは溶岩でできたニキビだけど)。他にも、摩耶山のロープウェイとケーブルがどう架かっているのかもよく分かった。

先日、夏の終わり、子連れで、芦屋地獄谷を風吹岩まで遡行してきた。そのときのコースも、あとで、模型上で子どもと確認した。

え、Google Earth を使えばいいって? あれも楽しいけれど、やっぱり自分で作るのは違います。

# 追記: これを書いてから国土地理院のサイトに行ってみたら、二万五千分の一地図のオンライン無料閲覧サービスを「試験的に」始めていた。「立体視サービス」なるものもやっていて、一瞬、俯瞰図かなと思ったら、小さな範囲の地図を微妙にずらしたもの2枚を同時に見るやつ。近ごろ「目が良くなる」というウリではやっている立体視そのものだった。目は良くなりそうな気がするが、なんだかなあ。

どくしょかんそうぶんの思い出

2006年8月5日 土曜日

そういえば、子どもの頃、どくしょかんそうぶんが大嫌いだった。それが、大学院は独文に行き、「専門」としてはいちおう「文学」を掲げていることになっているのだから、一見、皮肉だ。でも、文学の専門家が書くべきものは、幸いどくしょかんそうぶんではないのだ。先日触れた三森ゆりかさんの本を読んでいて、改めて思った。

子どもの頃、本が嫌いだったわけではない。むしろ好きで、まわりの子どもたちの中ではたくさん読んでいたほうではないかと思う。小学校の6年間、「としょいいん」をずっとやっていたような記憶もある。

しかし、たぶん小学一年生のときのこくごで、授業として学校の図書室に最初に行ったときのことではないかと思うが、何でも好きな本を選んで読めと言われ、それからその本について「かんそうぶん」を書かされたのだった。そのとき僕がうかつにも書架から抜き出してしまったのは、『たろうのおでかけ』という絵本だった。ざっと通読したが、とにかくつまらない。ぬまたせんせい(決して嫌いではなかった)からかんそうを書けと言われて困った。結局、ひたすら「つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった…」と書いて原稿用紙を埋めたのを覚えている。「かんそう」なのだから、これしかない、そう書くしかなかったのだと、いまでも、言える。

この本、とうに絶版かと思いきや、今でも手に入ることをアマゾンで確認した。上にリンクしたとおり。書名はくっきり覚えているし、たろう君がどこかにでかける話であったことは、その書名から明らかだったが、それ以上のことは何も覚えていない。このリンク先の紹介によれば、「たろうは友だちの誕生日のお祝いに、犬や猫たちと大急ぎででかけます。町の中を急ぐ様子が、守るべき交通規則を交えながら、ユーモラスに語られていきます。」ということだったのだ。

現物を読み直したわけではない。アマゾンの買い手の評によれば、「お友達のまみちゃんのおうちに早く行きたいたろう君。 そんなたろう君たちの行動が、急いでいるときこそしっかり交通ルールを守りましょうというメッセージを分かりやすく伝えてくれています。」「道を歩くときは、ふざけないで。。。。、走っちゃ駄目だよ。。。。、信号みてね。。。。、横断歩道渡ってね。。。。。。」だそうで、ストーリーとしてはいかにもつまらなさそうだ。たぶん、小学一年の僕は、そんなのあたりまえじゃんと思い、その教育臭をクサく思ったのではなかったか。同じ評によれば、「外歩きを始める最初の頃に、読んであげるといいですね。」ということで、なるほど、小学生にもなって自分で読む本ではなかったのだとも思える。

僕の「つまらなかった。つまらなかった。つまらなかった…」をぬまたせんせいがどう評価したのかは覚えていない。(そういえば、中学の頃にも同じようなことがあった。有島武郎の『小さき者へ』だったと思うが、読まされ、「感想」を書かされた。やはりひたすら罵倒の言葉を書き連ねたことと、井上先生の「よほど気に入らなかったようだ」というコメントは覚えている。)あの小学一年の時、「かんそう」ではなくて分析を要求され、その手ほどきを受けていたら、どれほど違ったことかと思う。

同僚が、大学の商学部生相手に文学の「人文演習」をやっている。何か本を選んで発表せよと言ったら、セカチューを選んできたのがいて、同僚は、「きみはムシか!」と怒ったのだそうだ。みんなが読んでいるから、光があるから、そっちにぶーんと飛んでいくムシと同じではないか、という意味だ。でも扱いようによっては面白くできるでしょ、と言うと、扱いようもなにもない、まんま「感動」してしまっているのだ、ということだった。

メディアリテラシーも糞もない。それ以前のレベル。ここまでの国語教育にかなりの問題があることは確かだ。さて、どうしたものか。

塀を蹴るのは禁止

2006年7月29日 土曜日

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Kicken verboten!

いや、別にたいした意味はないです。三森ゆりかさんの『外国語で発想するための日本語レッスン』(白水社)を読んでいたら、横断禁止の標識が、横断禁止の文字がなかったとしても横断禁止を意味するものとして「読む」ことができる、というひたすらマジメな分析が、絵の分析の例として挙げられていて、ちょっと茶々を入れてみたくなっただけです。

文章その他の対象について、「感想」ではなくて、分析的にアプローチし言語化することがどれほど重要であり、とくに日本の外とのコミュニケーションにはいかに欠かせない技能であるか、そのスキルを身に付けるためにはどうすればいいのかを語った『外国語で発想するための日本語レッスン』そのものは、とてもよい本です。おすすめ。(そう言えば、小学生の頃、「どくしょかんそうぶん」が嫌で嫌で仕方なかったのだった。)

ただまあ、たんなる茶々だとは言ったけれど、この「絵」の解釈が、教師が勝手に思い込んだ正解が決まっていてそれ以外は誤りとされるという由緒正しい(著者が批判しているはずの)ニッポンの国語教育を、少しなぞってしまっているのではないかなということは言えそう。

この本の例示のところどころに、そういう言わば不徹底な部分があって、あれっと思うのだけれど、書物全体の、あるいは著者の、指している方向は概ね正当なものだと思えます。情緒的でも直感的でもない「読み」を、初等教育にも活かしていかなければ、という方向。

この本と重なり合い補い合う関係に立つと言えるのが、西林克彦『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』(光文社)。これについてはもしかしたらまた書きます。

コメントができなくなっていたらしい

2005年7月9日 土曜日

少し前にMovableTypeのバージョンアップをしたときあたりから、コメントができなくなっていたらしい。いや、かなり以前、コメントスパム除けの細工をしたときにミスしていたのかもしれない。シムさんからご指摘いただくまで気付いていなかった。(どうもコメントがつかないなあとは思っていたけれど。)あわてて確かめてみると、コメント関連のcgiファイル名がおかしくなっていたようだ。
たぶん直ったと思うので、皆様どうぞよろしくお願いします。

そうそう、シムさん、トラックバックと Go Shimward! での関連記事、ありがとうございました。

ローマ法王に関する常識テスト

2005年4月16日 土曜日

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ドイツの雑誌、GEO のサイトが、4月2日のヨハネ・パウロ二世の逝去で関心が高まっている(少なくともドイツ語圏で)のを受けて、「ローマ法王に関する知識テスト」を掲げている。(ドイツ語)
GEO.de – Wissenstest: Die Päpste
全15問。「ある法王はトリニタ・ディ・モンティ教会の前に座っていた足の悪い人に、イエスのように〈起ちてゆけ〉と言った。言われた人は信じて立ち上がろうとしたがコケてしまった。この逸話の法王はだれか」なんてのもある(知るか、そんなの)が、「法王はつねにローマにいたわけではない。14世紀にはどこにいたか」なんて易しいのもまじっている。3択で順次答えていくと、そのつど正誤と解説が表示され、最後にもう一度「復習」ができる。

日本語でも、
教皇(ローマ法王)を知ろう – [よくわかる政治]All About
の記事が基本をしっかりまとめてくれている。

上のGEOの問題、ドイツ人たちはどれぐらい正解できるのだろう? ドイツ人ったっていろいろいるけれど。

そう言えば、十年前、ドイツのおばちゃんが、「イスラムってカトリックだったかしら、プロテスタントだったかしら」とのたまっていた、と知人から聞いた。アメリカがイラクを敵に選んで以来、さすがにもうそこまでの Ignoranten はいなさそうだが。