‘No category’ カテゴリーのアーカイブ

母なる超自我の命令

2009年5月25日 月曜日

enjoyEnjoy. 某ファストフードのドリンクの容器に書かれていた言葉。そう言えば、Apple 製品のおしゃれなパッケージにも同じ言葉があったっけ。これは英語ならではなのではないだろうか。ドイツ語の Viel Spaß! は根本的なニュアンスが違うし、そもそも命令法ではない。Genieß! とは言わない気がする。日本語にしても、ぴったり対応する言葉が思いつかない。楽しみなさい、とか、楽しんでいらっしゃい、とか、いかにもホンヤクではないか。

もちろんこのことから、享楽を命じる「母なる超自我の命令」(ジジェク)が、日本やドイツなど、英語圏以外のところでは見られないということにはならないだろう。モダン以後の世界に生きる私たちは、実質的に、そういうわいせつな命令の声に日々晒されていることは間違いないと思う。

医者の名は

2009年3月26日 木曜日

西宮北口駅の北側にずどんと伸びる、比較的新しく広い道路。両側は住宅のほかはほとんどがびょういんとびよういん。その医院のいくつかが面白い。いや、単に名前が、だが。

「まき」さんは原さんとか伊達さんとかと(別姓にしないかぎり)ケッコンできない、などという古いネタがあるが、医院の名前にも同じような問題があるらしい。

setonaikaiこの内海、じゃなかった、内科医は、何気に楽しい。

okashika科名の前に姓を付けるのが普通の医院の名だが、ここはそれをよほど避けたかったらしい。そんなに気にしなくても、そんなに可笑しかぁないですよ。ね。

次世代?ワールド?ホビー?フェア?

2009年1月19日 月曜日

子供の要望で、次世代ワールドホビーフェアなるイベントに、思い切って、行ってきた。うん、ぼくにとっては相当に思い切った決断だったのだ。18日、京セラドーム。こういうイベントはすべからくこんなものかもしれないが、ひどいものだった。球場のフィールドにビニールシートをかぶせ、そこに各社のブースが並ぶ。N天堂と、Sニー・コンピュータ・エンターテインメントと、S学館と、ソフトウェアハウス各社のイベント。ターゲットはおそらく小学校高学年あたり。

フロアは「ゲーム&ホビー会場」と、隅っこの柵で仕切られた「スペシャルグッズ販売会場」に分かれており、同じフロアながら、それぞれ違う入り口から入らなければならない。10時くらいに京セラドームに着いて、まず「ゲーム&ホビー会場」へ。球場の外、場内の通路を行列を作ってぐるぐる歩かされること1時間あまり。場内は大混雑で、いちおう「会場マップ」は手渡されているものの、円形の会場でどこに何があるかを把握するのがまず難しい。丸天井には、巨大なコナンやピカチュウやドラえもんが浮いている。各社ブースではぞれぞれに漫画家のサイン会をやったり、特典グッズを配布したりしていて、そこにまた行列ができる。サイン会の行列の方はそれなりに考えて準備していたようだが、それ以外の行列の捌き方はまったく場当たり的で、かなりの長さの行列ができてしまってからロープやら柵やらを持ち出して整備していた。ブースとブースの間の通路は決して広くはなくて人でいっぱいで、何の行列がどこから始まっていてどこが最後尾なのかも分かりづらい。「スペシャルグッズ販売会場」は別だが、「ゲーム&ホビー会場」の各種ブースでもいろいろ販売していて、何がどこで手に入るのかも分かりづらい。

結局のところ、マンガの創造者であらせられる先生方のサインなどにはいっさい興味を示さず、「Pンギンの問題」のちゃちなプレート一枚を獲得して満足した子どもたちと「ゲーム&ホビー会場」から脱出したのが正午を大きく回った頃。折から外は雨。球場の中にあったマクドナルドで食料を調達し、満席の店を出て(この店ではそもそも何も言わなくてもデフォルトでテイクアウト用の袋に入れて商品を渡された)、場外のどうにか雨のかからないところで立ったまま昼食。それから傘も持たずに小雨に打たれながら、「スペシャルグッズ販売会場」に入るための行列に並ぶ。最後尾には、「入場まで150分」と書かれた札を掲げた男が立っている。2時間半。まさかそこまではかかるまいと高をくくって並ぶ。それが間違い。建物の中に再び入ることができたのは案外早かったが、それから先が長かった。雨に配慮して、屋内の行列を長くしたらしい。球場をとりまく円形の通路をずっーと奥までゆっくりゆっくり進んで、折り返し、それから入ってきたゲートを再び通り過ぎて、その先まで延々歩く。午前午後の行列を合わせて、たぶん京セラドームを2周以上はしたのだと思う。周囲には、ぐったりした子供を疲れた表情で抱き上げる親。ゆっくりゆっくり進む行列について歩きながら、持参したDSで黙々とゲームをしている子供。うんざりした様子で列から抜け出して帰っていく親子。最後は狭く区切られた長い階段を降りて、フィールドに到達する。将棋倒しの恐怖。もちろんそれを恐れて、警備員たちもぴりぴりしている(こういう構造の会場選択にも問題がありそうだ)。最後の最後のこのあたりで、警備員に食って掛かる親がいた。主催者と契約した警備会社のそのまたバイト君に怒りをぶちまけたところでどうなるものでもあるまいと思うが、気持ちは分かる。

ま、このイベント、この大阪を皮切りに東京など各地で行われるようで、ここ大阪はパイロット的な位置づけなのかもしれない。ここでの失敗や不手際が以後の会場での改善に役立つことを祈ろう。

で、「スペシャルグッズ販売会場」。最初に書いたように、「ゲーム&ホビー会場」と同じ球場のフィールドの、片隅に区切られた狭い場所。だから、階段を降りてきたとき、おお、この場所を目にするのは何時間ぶりだろう、と、妙な感慨にとらわれる。丸い天井には、相変わらずドラえもんやコナンの巨大なハリボテが浮いている。そしてこれだけの苦難を経て到達した販売会場、もともとたいした品揃えのわけでもない上に、めぼしいものは既に完売。子どもたちが当てにしていた「先行販売」グッズも、とうに売り切れ。そして販売会場に入ってまもなく、場内に「蛍の光」が流れ出す。4時で閉場なのだ。

で、イベント名称に関する疑問。どこが「次世代」なんだろう。中身自体が現行のDSやPSPと、S学館の古典的なマンガ雑誌媒体に乗っかったものでしかない。このイベントの提示のしかた、客の捌き方は前世代以前でしかない(もちろんここで Apple の MacWorld 撤退の話を思い浮かべる)。どこが「ワールド」なんだろう。内容も客も、ニッポンローカルでしかない。どこが「ホビー」なんだろう。ゲームしかないではないか。「ホビー」に括られるであろう世界は、もっとずっと幅広く、奥深い。フェア? もう何も言うまい。いや、何らかの「お祭り」を求める心性は、どこまでもぼくらに付きまとうものなのかもしれない。そのフェア=「お祭り」は、いま、どういうものであるべきなのだろうか。それは今のぼくにはよく分からないが、少なくとも「コレジャナイ」とは言えそうに思う。

祭りの話はさておいて、話が飛ぶようだけれど、要するに「みんな」が追っているものを追ったら駄目なのだ。『「みんなの意見」は案外正しい』なんて本もあるようだが、少なくとも「みんなの趣味」はたいていの場合正しくないか、少なくとも質が高いとは言えないし、それを追うことはほとんどの場合自分のためにはならない。でも子供は一度ある程度「みんな」に染まる必要があるようにも思われる。それが親としては悩みどころだ。

6時間あまりの滞在の間、4時間以上を行列に費やして、めぼしい所期の品も手に入れられなかった子どもたちが、妙に納得し満足しているようなのが、いじらしいというか救いというか哀れというか。

ひたすら人ごみというものを忌避してきたぼく自身にとっては、大阪万博(古!)以来の行列と人ごみだったかな。野球に関心がないから、球場に入ったのも久しぶり。だから苦痛は感じながらも、物珍しさに面白がっていたところもないではない。でもまあ、もう、一生、二度と、この手のところに出かけていくことはないだろうなという気がする。

風邪の効用

2008年12月6日 土曜日

やれやれひどい一週間でありました。月曜にどうも調子がでないなと思いつつ風呂に入って寝た翌日から40度近い熱で三日間寝込むハメに。こどものような高熱はこどもの時以来かどうか、いずれにしても記憶する限りでは出したことがないので、まさに脳が沸騰してせっかくかすかに繋がっていたシナプスがぷちぷち音立てて切れていくような(←もちろん医学的にはデタラメです)快感すらおぼえたと言ってもいいかもしれません。ひたすらまどろみ、うつらうつら目覚めてはまた眠る。その間の夢が、どうもひたすらワケの分からない換算を次々にやっているような感じでした。結局医者にかからなかったので正確なところは分かりませんが、たぶんすでに流行り出しているというインフルエンザではなく、風邪の一種ではあろうかと。主な症状はひたすらの高熱。金曜にようやく37度台後半まで下がったところで急いで勤め先に行って、とうに締切を過ぎていた紀要論文の初校を提出し、最低限の用事を済ませ、次の仕事を命じている書類がたまっていたのを持ち帰り。
いまはごく普通の喉風邪のような症状。熱もそれほど出なくなりました。

しかしまあ思いがけず数日間の休肝日になったし、一種の強制リフレッシュになったのかも。そういえばかつて野口晴哉が「風邪の効用」
を唱えていましたっけ。

ちょっとばかり溜めてしまった年末ルーティンワークをこなしていかなければならないので、これからまたちょっとお篭り状態になりそうです。

きせつのごあいさつ

2008年10月11日 土曜日

年賀状が苦手。クリスマスカードが苦手。

郵便局はもう年賀状の予約を受け付けているらしい。気の早い、商売熱心なことだ。郵便局の書き入れ時みたいな年賀状、ウチでも毎年頭をしぼって、ずっと出していた。子供の頃はゴム版や木版で何か絵柄を作って刷って出していた。結婚してからは、夫婦で出かけた旅先の風景写真を選んで、写真屋に注文していた。家族写真を使ったことはない。受け取る賀状の大半はそうだし、案外親戚や知り合いにはそのほうが分かりやすくていいのかもしれないが、自分たちの写っている写真を使おうという気にはどうしてもなれなかった。子供を持つようになってからは、干支にちなんだ絵などを子供に描かせて──一種の搾取である──それをスキャンしプリントして使ったりした。何の芸もなく決まり文句が印刷されただけの年賀状を出すことははばかられた。「インターネット」が普及しはじめた頃、年賀メールが流行り、叩かれ、すたれたが、あれをやろうとははなから思わなかった。いちおうオリジナルの写真は画像を使った年賀状でも、送るならば、一言何か手書きで書き添えて送りたいと思った。でも結局何の文句も思いつかなくて、そのまま発送したことも少なくない。

でもそろそろ限界だなあという気がする。

多くの職場がそうなのかもしれないが、僕の職場も11月から12月にかけてが一番ばたばたしている。この時期、年賀状のことなんか考えてはいられない。ヨーロッパの知りあいには、クリスマスカードを送りたいところだが、やっぱり到底やっていられない。(こちらがクリスチャンでもないのに、という議論はここではおいておく。アメリカでは、一時「多文化主義」の締めつけがあって、Happy holidays という表現が好まれていたが、近ごろはまた「クリスマス」という単語を復活させる傾向が出てきているとか。宗教的心情がないとは言わないが、エスタブリッシュされた宗教に個人的にかかわることのないぼくにとってははどうでもいいことだが。)今年の正月というか去年の年末は、とうとう一通も年賀状を出さなかった。文字通りの欠礼で、年賀状をくださった方々、どうも失礼いたしました。

年賀状を郵便局の謀略と呼ぶのはおそらく行き過ぎにしても、かつて自明であったこの習俗が、もはや自明ではなくなりつつあることは確かだと思う。「お年賀」はもう少し古くからあったのだろうが、郵便の、ハガキの、「年賀状」が明治期以降の発明だったことは明らかだ。「お年始」に相手のお宅にうかがうのが「本来」で、年賀状はその、やや礼を欠いた代理、という言説は、少し古い世代にはよく見られる。いずれにせよ、年賀状が前島密よりも古いということはあり得ない。相撲やプロ野球同様、年賀状も(しぶとく細々と存続しつつも)衰退していくのではないか。

「年賀状のやりとりだけのつきあい」という言葉がある。過去に深いかかわりがあっても、今現在はつながりの薄くなっている人たちに対して、最低限のつながりを維持する機能も年賀状にはあることは明らかだ。いちおう生きてるぞー。なにかそういった繋がりや縁を確認する儀式が年に一度は必要だというのはもっともな考え方だと思う。で、いま考えているのは、バースデーカードを増やしてはどうかな、ということ。これだと365日に散っているわけで、それが面倒だ、一括して処理できた方がよいという人もいるかもしれないけれど、一気にあらゆる人に送って、かつそれぞれ相手に応じて書き込む文句を考えるというほうが、ぼくにとっては難しいし苦痛に感じられる。相手にとって特別な日に、その相手のことだけを考えてカードを送る(もちろんネットでだ)ほうが、いいことだし、楽だと、ぼくは思う。このアイディア、問題は相手の誕生日を知らなければならないという点だ。

少なくとも、年賀状とたかだか暑中見舞(とこれらと対応するお中元、お歳暮)に集約されてしまっている日本の状況はどうなのかなあと思う。ドイツのちょっとした店に行くと、誕生日に限らずありとあらゆる口実のグリーティングカードが売られていて、それを眺めているだけでも楽しめるのだが、とにかく、日本にくらべて、コミュニケーションの機会がよい意味で分散されている気がするのだ(もちろん彼らにとってクリスマスの圧倒的優位はゆるがないだろうが)。

殿堂とかけて生涯ととく。そのココロは。

2008年9月17日 水曜日

T さんが、他人のある書物の副題が、ある新刊案内で、まるっきり打ち間違えられたまま配信されていたことに憤慨していた。「殿堂にかけて生涯」。たしかに意味が分からん。

ぼくは謎かけみたいだなと思って、そのココロは、の先を一生懸命考えてみたんだけれど、ろくな答えが浮かばなかった。だいたい、「殿堂」「生涯」では話の広げようがない。生涯一捕手とかいいながらイロイロやっているおじさんの野球殿堂入り(ちなみに1989年)の話か。ダメだ。

音だけで考えたらどうだろう。でんどうとかけてしょうがいととく。

電動とかけて障害ととく。大昔、×沢アキが×HKの「連想ゲーム」を降板させられたときの神話的エピソードを思い出す。障害とは「しばらくお待ちください」という文字を表示して静止したテレビ画面。(そういえば、テレビのそういう場面も、まったく見なくなった。そのことの意味は、また考えて/調べてみる必要があるかもしれない。ところで、ここで言われている放送はぼくは見ていないので、本当かどうかは知らない。だから神話。)

伝導とかけて渉外ととく。渉外というのは内部と外部のインターフェースなわけで、あまり内部のことが効率良く伝導してしまってもいけないものなのかもしれない。

伝動とかけて傷害ととく。

うーん、やっぱり全然面白くならない。

でもね、「伝道にかけ生涯」ってのが、どうやら伝記かと思われるこの本の副題の正解らしいんだが、なんともベタな正解だと思う。小学生向けの偉人伝みたいだ(あ、ほんとうにそうなのかも)。それもクリスチャンの小学生限定だ。かなり絞られる。してみると、あの「誤植」は、読者の間口を広げようという書店または取り次ぎの戦略なのかもしれない。

いや、そもそもこの「正解」も現時点では推測に過ぎない。もしかしたら「伝道に欠けた障害」なのかもしれない。いや、「おでん、どう? 煮かけた生姜イイ」なのかもしれない。ますます訳が分からないが。(だいたい、なんでショウガが出てくるのだ。おでんなら辛子だろう。)

うーん、宮沢章夫さんの文章(茫然とする技術 (ちくま文庫))のうんと下手なマネみたいなブログになってしまった。近ごろとみにカタくなっている頭、相当に柔軟体操が必要だ。

Message Board

2008年8月20日 水曜日

message_board.jpgぼくらが気づきもしないうちにいつの間にか身の回りから消えているものがある。先日久し振りに見かけて、ああ、そう言えば、こんなものがあったのだ、いつの間にか消えていっていたんだな、と思ったのがこれ。特急から各駅停車への乗り換えのため、ふと降り立った山陽電鉄須磨浦公園駅にて。(画像はクリックで拡大)

伝言板。昔はどこの駅にもあった。ぼくが学生の頃も、どこでだったかは忘れたが、まだ使っていたようなかすかな記憶がある。たいていは、グループでどこかにでかけて、どこぞの駅で集合というとき、一人や二人ちっとも来ないやつがいて、もういいや、伝言板に書いておこう、と言って、みんなで集合場所を離れたのではなかったか。

駅の伝言板、いまでも案外残されているのかもしれないが、ほとんど気づくことはない。おもにケータイのおかげで、使われることもなくなったのだろう。ケータイの普及が公衆電話を片隅に押しやっていったことは見やすい。でも「伝言板」のことは気づかなかったし、そういうものがあったことすら失念していた。

この海岸の駅の伝言板も、まっさらで、だれも何も書き残してはいなかった。チョークが置いてあったかどうか、確認するのを忘れた。この画像からは、あるかどうか分からない。

そしてこの伝言板がこれも古典的な「文明堂のカステラ」の広告と奇妙にマッチしている…。

Message board は、形を変えて、ネット上などではまだ生き残っている。漢語ではなぜか「掲示板」と呼ばれることのほうが多いようだ。

Taspo!

2008年6月17日 火曜日

「タスポ」が、当たり前のことながら機能していない。導入初日、中学生の子供に自分のカードを貸してしょっぴかれた母親のニュースが出ていた。いや、これは「例外」であって、未成年に喫煙させないという当初の「目的」は果たしているのかもしれない。でもそういう話やデータは今のところ聞かない。そして一方コンビニは「タスポ特需」にわいているという。予想通りとは言え、かえって在庫・流通量を増やしているというのだから、笑える。

もちろんあんなところに個人情報を提出するのはいやだから、ぼくもタスポカードなど取得していない。政治的にうまく動いて、いまどきただのカード読み取りという原始的なテクノロジーでひと儲けした企業があるというだけの話だ。タスポカードのかわりに、運転免許証でも買えるようにする自販機を当局が承認したというニュースもあったが、その後どうなったかは聞かない。しごくまっとうに、「顔認証」で年齢を判断して販売する自販機を作ったメーカーもあるらしく、それが現に設置されているところもあるらしい(実はそれが雑誌などのオジさんの写真をかざすだけで通ってしまう「バグ」があるというからまた楽しい)。しかしそういう意味では、昭和的な「角のタバコ屋の看板娘」が復活すればいいだけの話だ。たとえその「娘」が60代、70代であっても。現状はつまるところコンビニがその代わりになっている。いまやほとんどの喫煙者にとっても意味のなくなった自販機はすべて撤去されてよいし、それは「街並み」の「景観」の点からも(たぶん電力消費の、したがってエコロジーの観点からも)きわめて望ましい。タスポの破綻が明らかな今、それが実行されないとすれば、だれが見ても(喫煙者から見ても非喫煙者から見ても)おかしな話だろう。

自販機の話を措くと、一箱1000円に、などという「運動」をやっている国会議員たちもいるらしい。さなきだにまともな議員立法の貧しいこの国の国会、もっと他にやることがあるだろに。タバコなんて、世の中からなくなればいいのに、というとっても素直で短絡的なブログも見かける。まあ、ブログなんてそのレベルの言説が大半だ。(このブログもそうですよ、もちろん。)

1000円、やってみたら面白いと思う。あるいはあのおめでたい国アメリカ合衆国1920年代の禁酒法のような禁煙法とか。きっとどこか産の闇タバコの流通ルートがあっという間にできあがるのではないだろうか。1000円というのは、名目上は「健康に害があるかもしれない喫煙の抑止」と言いながら増収目的なわけだが、いずれにしてもその目的が果たされることはないだろう。

いまやタバコは「他者の享楽」の代名詞みたいになりつつある。それが気に入らない。民族(!)的な対立の根底には、つねに「他者の享楽」への憎悪があるというミレール=ジジェク的な指摘はおそらく正しい。われわれはイェルサレムの地に喫煙者の楽園を打ち立てる運動を起こすべきなのだろうか? かりにタバコが消滅したら、彼らはその次のターゲットをどこに求めるのか、それが、楽しみというか恐ろしいというか。クリストファー・ラッシュが言った「ナルシシズムの時代」というのは、この件に照らしてもまったく正鵠を射ていると思う。両切りピースを吸いつつ92で亡くなった祖父と、タバコなど吸わずに50代で癌で亡くなった(ええ、もちろん副流煙のせいでしょうとも)母親を持つ僕(不思議におめでたいことに、日本は今なお世界一の長寿国であるらしい)は、タバコをやめるかもしれないし、やめないかもしれない。しかしかりにやめたとしても、この手の「キャンペーン」を無自覚にやっている連中、つまり何か一つの「悪」を見つけてそれを叩きさえすれば調和的な社会が実現するかのような古典的な幻想に淫している連中とは一線を画していたいものだと思う。

100円ドリンク

2008年5月7日 水曜日

100yen.jpgどうでもいいことなのですが、淡路島公園でこどもたちと一緒に長いローラー滑り台を2回滑ったら尾骶骨のあたりを擦りむきました。ひりひり痛え。

これもどうでもいいことなのですが、ときどき見かける100円がウリの飲み物の自販機。ウチの近くにもあって、そこに貼ってある「ワンコインドリンク」という文字を眺めるたび、グラスの縁から顔を出して首を傾げている子犬の姿を想ってしまうのはぼくだけでしょうか。(クリックで拡大→)

泣いたあかおに

2007年2月18日 日曜日

子どもの幼稚園の「生活発表会」を観てきました。不思議な名前のイベントですが、要するに子どもたちが演劇やって親たちに見せるわけです。

akaoni.jpg
ないたあかおに

出し物は、年少児が、元祖ドーピングの話(ねずみのすもう)、年中児が、雪国の貨幣経済が機能せずに互酬的な物々交換に回帰するという話(かさじぞう)、年長児が、差別の解決のためやらせを行なっても別のところにしわ寄せが行って解決にはならないという話(泣いたあかおに)でした。あかおにの話は今村仁司風に第三項排除の物語だと言った方がいいかな。

僕自身が子どもの頃は、「戦後民主主義」がもっとも元気だった時期のはずですが、それでも、幼稚園のお芝居で、お姫さまは一人に決まっていた。それが、今は、平等化が進行したと見るべきか、ダブルキャストどころか、トリプル、クアドループル・キャストは当たり前らしい。しかも公演ごとに交替する普通のダブルキャストなどとは違って、一斉に出てくるわけです。お地蔵様は6人(6体?)はいてもいいわけですが、十数人いたし、青鬼は8人、赤鬼にいたっては16人が4人ずつ交替で出てくるという方式でした。まあ一つの約束、様式が成り立っていると見るべきなのでしょう。

さすがに年長児たちの演技はそれなりに上手で、最後、青鬼の残した手紙を読んで赤鬼が泣くシーンでは、観客席の多くのご婦人が目尻をぬぐっておいででした。

この芝居で青鬼の1/8を真剣な顔で演じていたウチの子どもにとっては、これが幼稚園最後の大きなイベントだったことになります。