‘Musik’ カテゴリーのアーカイブ

RENCON 2011 in Padova

2011年7月12日 火曜日

7月6日、イタリアのパドヴァ。第8回 Sound and Music Computing Conference (SMC)の一部として行なわれたコンピュータ・プログラムによる「表現的な演奏」のレンダリングを競うコンテストRENCON (Musical Performance Rendering Competition for computer systems)。候補曲としていわゆるクラシックのスタンダードなピアノ曲が20曲リストされていて、当日その中からくじ引きで一曲を決め、その後一時間で各チームはそれぞれのプログラムによってレンダリングをする。くじで決まったのは、ベートーヴェンの悲愴ソナタの三楽章だった。その後、各チームの演奏(時間の都合で冒頭の1、2分のみ)を聴き、会場からとネットからの投票で「よい演奏」の順位を決める。参加チームは日本、イタリア、オーストリアからの6チーム(うち1チームはキャンセル)。

会場に参加してみて、ここにはそもそも巨大なパラドクスと言うかアポリアがあることに改めて気づく。良い演奏の特徴を取り出すためには、どれが、何が、良い演奏なのか予め分かっていなければならないというパラドクスだ。

盲滅法にパラメータをいじったところで、それはサルにタイプライターを与えてシェークスピアのソネットを打ち出す確率に賭けるに等しい。 「名演奏」の特徴を抽出したデータベースに基づいているのだという演奏もあったが、少なくとも何を名演奏とし、そのどの部分をどのように抽出すべきかというところでやはりこのアポリアが顔を出していたであろうことは、何より結果が物語っている。

実際のところ、どの演奏も、結局は恣意的な「ルバート」のオンパレードだったと言える。強弱やタッチもいじっていたようだが、それは常識的な範囲に収まっているか、さして効果的ではないかのどちらかだった。(その中で、指揮の身振りにインターラクティブに反応するプログラムは、いくらかの可能性を感じさせ、楽しめるものではあった。)

こうした試みがあくまでもピアノを基準に、ピアノを一種のモデルとして行なわれていることもやや問題かもしれない。データを送り込んで演奏させることができるピアノ(YAMAHA製)のそれ自体の完成度が高く使いやすいということもあるだろうが、ピアノは音楽の美を発見するのに決して適した楽器ではない。

では、こうしたコンピュータによる「表現的な演奏」の試みは必然的に児戯にとどまるということだろうか。そうは思わない。その唯一の可能性は、音楽が分かっている者がプログラミングに関わる場合をおいてあり得ない。もちろんここでも、「音楽が分かっている者」を見出す問題において、パラドクス状況は変わらないと言えるかもしれない。だが可能性はある。そしてそれが一旦うまく動き出せば、音楽教育へのフィードバックを通じて、リアルな演奏にも貢献して行けるようになる希望もある。要はそこを狙わなければせっかくのテクノロジーも宝の持ち腐れだということだ。(もう一つ、19世紀後半から20世紀初頭の音楽学で「フレージング論」として語られていた言説を読み込み、応用するという手もかなり有望そうに思えるが、そういうことをやっている形跡はない。)

「表現的な演奏」はこうした理工学系の人々や認知心理学系の人々に好んで使われている用語だが、私見ではさらに、その少なくとも一部は、たとえば本来の拍節の「定義」の一部として取り込まれるべきものだと考えている。フィードバックの一つの可能性。ここで興味深いのは、くじ引きで演奏曲を決めるに際してリストに挙っていた候補曲が、バッハ、スカルラッティを除けば、1750-1900年の曲ばかりだったことである。旧来、「クラシック」のスタンダードとされていた時代のものばかりだ。「表現的な演奏」という用語が、主にこの時代の音楽に向けられたものであることが分かる。旧来のスタンダード、つまり当たり前。ある時代に行なわれていた「当たり前」は、当たり前であるがゆえに、言語化・理論化されない。当たり前であるがゆえに、その後の時代にはむしろ忘れ去られる。近年饒舌な古楽研究、極論すればハナから「理論」的な「現代音楽」と違って、実はこの時代の音楽、演奏については、もっとも(まさに何がしかるべき、良い演奏なのかを説明する)言葉=理論が足りない。それを曖昧に補うかのように適用されているのが「表現的」という単語であるわけだ。

ともあれ、司会のHさん、お疲れさまでした。

晩、SMCの「オープニングコンサート」も行ってみた。面白いのだが、そんなに延々聞かせるようなものではあるまいと思った。最初の三曲は、それぞれチューバ、ヴィオラ、フルートのソロが断片的に奏でる音をリアルタイムで拾ってサンプリングし、それをスピーカーから被せていくようなもの。ソリストたちは、自らの音の亡霊たちとアンサンブルするわけだ。しかし長すぎた。ソナタ形式のように構成上ある程度長さが決まってくるような構造があるわけでなし、各五分位が適切なところではないかと思った。文字通りの「同工異曲」。客席中央付近でMacBookを操作していた男は「暖かい」拍手に自己満足を満面に湛えて挨拶していたが、前半の三曲一時間を聴いたのち会場を出た。

聴いて学ぶこと

2011年6月4日 土曜日

以前に外国語のカナ表記について触れて、「所詮カナによる音訳は原音を表せるわけではない、と言ったけれど、しかし本当はこう言うべきだろう、〈文字は音を表さない〉と。文字に音を見出すことができるのは、すでにその音を知っている者だけだ…。」と書いた。外国語は、ネイティブの発音を大量に聴くことなしに、まともな発音、発声、メロディに到ることは不可能だ。同じことは音楽についても言える。

鈴木メソッドは、ボウイングの指導のしかたは滅茶苦茶だし、教本の鈴木鎮一のフィンガリングもセンスのかけらもない(左手のフレームという概念が欠落している。驚異的な長寿ののちにお亡くなりになって、教本も改訂されるかと思ったが、その動きはないようだ)が、「レコード」を聴いて真似るよう試みさせるという一点が、その一点だけが、正しかったと思う。

まなぶは真似ぶだという言説は日本には昔からあるのだが、そこを妙に禁欲的になって、演奏を学ぶ人に対して、初期段階から、演奏を聴かずに「楽譜を読む」ことを要求するような風潮が一部にあって、おかしなことになっている。(メトロノームな演奏が猖獗を極めているのも、原因の一つにはここにある。)まともな演奏をたくさん聴いていなければ、楽譜を「読む」ことなどできはしない。上の言葉になぞらえて言えば、「楽譜は音楽を表わさない。楽譜に音楽を見出すことができるのは、すでに音楽というものを知っている者だけだ」ということになるだろう。鈴木は音楽を幼児の言語習得に喩えていた。幼児が言葉を自ら使うようになるのは、ひたすら大量に聴いたあとだ。話すのも、ましてや読むのも書くのも、その後でしかありえない。

ドイツの、あるいはウィーンの連中は、最初から自ずと多数のまともな演奏を耳にして育っている。そういう環境ではない国で、録音音源を聴くことを禁ずるのは、まったく倒錯している。

その上、演奏のような微妙なスキルにかかわる事柄は、いまだに、すべてが理論化・言語化されているわけではない。(「すべて」が言語化可能かどうか分からないが、いまだに言語化されていない一部の問題について、言語化しようというのが、いま現在の僕自身の課題ではある。)であってみれば、実際のすぐれた演奏=パフォーマンスを聴く以外に、学びようはない。

日本語を母語としない人で、語られる日本語をほとんど耳にせず、しかし日本文学を原文で深く理解している人というのは、もしかしたらありうるかもしれない。しかしそういう人は日本語をしゃべれないし、朗読もしないほうがいいだろう。

ある程度のレベルに達した奏者が、人の演奏を聴く場合や、さらに真似する場合はどうだろうか。表面的な猿真似と深い理解にもとづいた模倣は違う、と言いたいところだが、これはかなり危うい、難しい区別だ。いずれにせよ、ここでもあまり禁欲的になる必要はないだろうと思う。以前にも書いたことがあるが、学生時代、アルバン・ベルク四重奏団のビデオを擦り切れるほど繰り返し見て、画面から分かる限りのボウイングをスコアに書き取ってみたことがある。これはものすごく勉強になった。モーツァルトの弾き方が少しは分かったような気がした。またモーツァルトとベートーヴェンでは、弓の使い方を相当に変えていることにも気づいた。(ついでながら、同団のメンバーによるレッスンは、教えられる側が何かぶつけていかないかぎり、何も教えてくれないレッスンなのだそうだ。まずは録音・録画から盗めるだけ盗んでしまったほうが賢明とも言えるかもしれない。)いや、部分的な猿真似と真摯な真似びは、やはり区別が可能かもしれない。そして後者の前提になるのは、初期段階からの「聴く」経験なのだ。

特定の演奏家の「解釈」ないし弾き方に引っ張られる恐れを口実に、聴くことを排除したがる人もいるだろう。それもあまり理由にならない。これは、というものを、真似できるものなら真似してみればいい。一度徹底的に。絶対に同一にはならない。所詮、と言うか、幸い、と言うか、自分の演奏にしかならないのだ。あとでまた他のいろいろな演奏も聴いてみればいいし、その上で、その後で、改めて自分でスコアに向き合ってみればいい。どちらかというと、こういう分野では、はなからオリジナルを目指したオリジナリティはカスのことが多い。

教本に付属する音源の質についてはコメントを控えるが、今はその他にもCDやDVDであらゆる演奏に接することができる。その中には素晴らしいものもある。

もちろん、新作初演となれば、人の演奏を聴くわけにはいかない。また、ある程度のレベルに達したら、何も聴かずにいきなり楽譜に向かい合うことも当然、時に必要だろう。しかしそれはあくまでもある程度のレベルに達したら、の話であって、最初から「聴く」ことを排除するのは、根本的に間違っていると言うべきだろう。

拍子という「謎」

2011年4月29日 金曜日

拍子とは不思議なものです。拍子とは何なのかは、知られていません。拍子を語るきちんとした言葉は、まだ存在しません。──え?学校で習ったよ、強弱の、強拍と弱拍の周期的な繰り返しだって。──そう言われるかもしれない。確かに、現在にいたるまで、流布している「拍子を語る言葉」、標準的な拍子の定義は、概ねそのようなものです。音楽辞典の定義を見ましょう。

metre. Term used of regular succession of rhythmical impulses, or beats, in poetry and mus., e.g. 3/4 and 6/8 being described as different kinds of metres. Rhythm is no longer accepted as a sufficiently precise definition, metre being considered as the basic pulse and rhythm as the actual time‐patterns of the notes within a measure. E.g., in 3/4 the 3 beats—strong, weak, weak—are metrical, while the time‐values of the notes actually heard are the rhythm.
From The Concise Oxford Dictionary of Music (Oxford University Press) — © Oxford University Press 2004, 2006, 2007

これは、日本の音楽辞典が今手元にないもので、iPhone版のThe Concise Oxford Dictionary of Music の metre=拍節の定義です。こうした定義が、拍子という現象を的確に捉えていると言えるかどうか。「周期的な繰り返し」regular succession というのは良さそうに思えます。問題は「強弱」です。上の定義ではpulseとか、strong, week, week という辺りがこれに当たります。

「周期的な繰り返し」は必要です。音楽的なコミュニケーションのために、つまり聴き手が弾き手の音楽を受け取り、「乗る」ことができるために、必要です。音楽を聴く中で、次に現れてくる音楽の形を、何らかのレベルで半ば無意識に予測し、備えること。それが「乗る」ということでしょう。もちろんたとえば和声進行も「次」を予測するうえできわめて重要な働きをします。が、それだけではない。というより、和声は「次」を予測させはしますが、「周期的な繰り返し」には直結しない。

強弱での説明は、それが音楽的なデュナーミクとどう関わってくるのか考えただけで無理が見えてきます。強弱に代えてアクセントという言葉が使われることもありますが、同じことです。そのあたりに気づいている人々は、たいていの場合、「重さ」という言葉を使っています。強拍と呼ばれる拍は重い。弱拍は軽い。この軽重による説明は、「分かっている人には分かる」ように思えますし、それなりにしっくりくる部分もあります。しかし、ということは「分からない人には分からない」。

では、強弱では(必ずしも)ない、和声(だけでは十分)ではないとすると、いったい何が「周期的な繰り返し」を支えているのでしょうか。

音楽家なら、おそらく拍子のなんたるかは身体で知っている。しかしそれを言葉にしようとすると難しいし、現実に拍子の核心を捉えるような標準的な言葉は存在しません。

拍の長さの規則的なゆらぎ。それがここでの一つの答えです。と言うより、拍子というのは、間違いなく、強弱も和声もリズムも(もちろんフレージングにも)すべて絡み合った複合的な現象ですが、その中で、拍の長さというのは、特別に軽視されてきた、あるいは見過ごされてきた要素なのであって、だからこそ、この要素に着目することが、拍子という現象を(望むらくは)最終的には総合的に、改めて捉えなおしていくうえで、鍵になるのではないかと考えられるのです。

ここから逆に、従来の拍子の捉え方ないし定義の問題も明らかになってきます。アクセントや強弱による拍子の説明は、通常、拍の長さについては何も言っていません。まさにその「言っていない」ことによって、拍はすべて均等な長さを持つ(このような拍子を「均等拍」と呼んでおきましょう)のだと思われています。ここにはもちろん、メトロノームという「問題」も絡んできます。

ここで企図しているのは西洋古典音楽の拍子を捉えなおすための試論です。西洋古典音楽という言い方は、普通のようでいて、たとえば音楽学の専門家の方には異様に聞こえるかもしれません。要はいわゆるウィーン古典派から、19世紀一杯ぐらいまでの欧州の、いわゆる「クラシック」のスタンダードに属する音楽のことだと考えてください。拍子=周期的な繰り返しを表わす手段は沢山ありますし、バロック以前の音楽も、あるいは現代の日本を含めたポピュラー音楽も、どちらかというと簡明な「周期的な繰り返し」の手段を活用しており、かつむしろ均等拍を前提していたり親和性が高かったりするのですが、それに対して、この「クラシック」の拍子には特異な性質があったと考えられるのです。その特質を捉えることがここでの課題です。

まずは「強弱」について考えてみましょう。

拍子感覚のちがいを体感するには

2011年4月28日 木曜日

以前に、村治佳織さんのこんな発言を引用したことがあります。

村治:[...] 私は二十歳のころ日本舞踊を半年やりました。面食らったのは拍子の取り方が上から下に落ちるような感じだったこと。クラシックは下から突き上げる拍子の取り方をするのです。その感覚がうまくつかめませんでした。

[日本経済新聞 2007.1.1 元旦第三部2面 新春対談「今に生きる東西の古典 伝統と新風で受け継ぐ」村治佳織、市川染五郎]

「上から下に落ちる」と「下から突き上げる」。これは「分かる人には」すごくよく「分かる」のですが、そうでない人に説明するのは難しい。それをどう説明したらいいのか、ずっと考えていたわけです。で、最近思いついたことは、やはり動作を通じて身体で感じてもらうのがよさそうだし、それは可能なのではないかということです。二通りの動作を、それぞれ「日本的」な拍子感覚と「クラシック的」な拍子感覚でやってみます。

1a. 指揮のような動作・日本編
いったん両腕を下に垂らします。肘から先を、水平より少し上ぐらいに楽に上げてみてください。手のひらは、そうですね、下に向けておきましょうか。そこから、ほんの少し上に向かってのテイクバックが必要かもしれませんが、腕全体がまっすぐ下に伸びるくらい、両脇に振り下ろして、また元の位置に降り戻してください。振り下ろした時、上体も自ずと少し前屈みになるのに任せます。それが「日本的」な拍子です。振り下ろしたところが拍の頭になります。
1b. 指揮のような動作・クラシック編
今度は、同じ出発位置(水平より少し上の位置)から、ちょうど水平ぐらいの位置へ下向きに叩く動作をして、それからその反動を使うようにして、肘から先を上に振り上げ、もう一度水平位置まで叩きおろして、やはり反動で自然に元の位置に戻ってください。手首の柔らかいスナップを加えるのもいいでしょう。それが「クラシック」の2拍子です。この場合、水平に叩くところが拍の頭になります。元の位置から水平位置を3回叩いてから振り上げれば、3拍子になります。
2a. 手を叩く動作・日本編
別の動作にしてみましょう。先ほどと同じようにいったん腕を垂らし、肘から先をほぼ水平よりちょっと上に上げ、今度は手を垂直に、手のひらが内側に向かい合うようにします。そこから、肘より先を、おへそのあたりの高さに向かって振り下ろして手を打ち合わせ、また打ち合わせたときの軌道を逆に通って元の位置に戻します。この場合も、振り下ろした時、上体は自然にやや前屈みになるはずです。それが「日本的」な拍子です。
2b. 手を叩く動作・クラシック編
同じ位置から、今度は、ほんのわずか上に向かって、手を打ち合わせます。打ち合わせた手は、先ほどとは違って、左手は左回りに、右手は右回りに、円を描くようにして(逆回転にしてしまうと「日本式」に近づきます)、繰り返し打ち合わせることになります。打ち合わせる場所は胸か首あたりの高さです。これが「クラシック」の拍子です。2回ごとに叩いたあとの円を少し大きく取れば2拍子、3回ごとなら3拍子、4回ごとなら4拍子(以下5拍子6拍子…と同じ)です。

このようにすれば、「違い」をなんとなく体感していただけるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。少なくとも取っ掛かりにはなりそうです。オーケストラのメンバーに、こうした動作をやってみてもらうことも考えられます。しかしこれでも多少苦しい説明ではあります。「日本的」とした動作でも、ほんの少しアレンジすれば、「クラシック的」な拍子もまったく表現不可能ではないし、その逆もしかりだからです。

さらにまたこの違いを身体動作抜きで言葉にしようとすると、きわめて難しいことになります。まだまだ考えなければならないことがありそうです。

ブレーメンの音楽隊

2011年2月14日 月曜日

住まいのわりあい近くに、「ブレーメン」という小さな楽譜店があります。いつも感じの良い女性の店員さんが一人で店番をしています。店の名前は、おそらくグリムの「ブレーメンの音楽隊」の話からきているのでしょう。



ロバ、犬、猫、鶏、いずれも高齢で飼い主の役に立たなくなった4匹の家畜たちが、殺される運命を避けて、ブレーメンの町を目指す。「死ぬよりゃましなことはどこへ行ったって見つかるさ」という名文句は、作家のカール・ツックマイヤーが引用して使っている。現代のブレーメンの町の真ん中の広場、市庁舎脇には、1953年に建てられた4匹のブロンズ像があって、町のシンボル的な存在になっています。



でも、ご存じかと思いますが、「ブレーメンの音楽隊」はブレーメンには行っていないし、当然、音楽隊にも入っていない。

ブレーメンに向かう途中の森で夜を迎えたとき、4匹は偶然に「盗賊たち」の家を見つける。中をのぞくと盗賊たちが豪華な夕食の最中。この悪い連中(盗賊ではありません、動物たちです)は悪知恵を働かせて、盗賊たちを脅かして出て行かせ、まんまとご馳走にありつく。一度盗賊の手下が戻ってくるも、見事撃退して、そのままそこに居着いてしまい、安楽に暮らす。めでたしめでたし。と言うか、かわいそうな盗賊たち…。と言うか、ブレーメンと音楽隊はどこへ行ったんだあ。



要するに、市民でも農民でもないアウトサイダー同士の分捕り合いの話なんですね。

ブレーメンも、音楽隊も、動物たちを集結させ駆り立てる幻想にすぎない。そもそも、もともとの話にはブレーメンという固有名はなかったらしい。それがあとで付け加えられた。だいたい、高齢で働けなくなった動物たちが、ブレーメンでなら音楽隊に入れてもらえると考えるところが、当時のブレーメンの音楽のレベルに対する、周囲からの評価を反映していると考えられています。でも今のブレーメンの人たちはそんなことにはお構いなく、この話に愛着を抱いているようです。



ではクイズ。グリムのテクストでは、ロバと犬は、音楽隊に行ってそれぞれ何の楽器を演奏することになっていた、というか、演奏するつもりになっていたでしょうか。



正解は、ロバがリュート、犬がティンパニです。蹄でどうやってリュートを弾くんだか。(多くの翻訳では「ギター」になっています。)猫はセレナーデ(ドイツ語で「夜の音楽」Nachtmusik)が得意、鶏も声を買われており、いずれもヴォーカル志望だったと思われます。



ブレーメンの音楽隊、ドイツ語
おおまかな日本語訳

Wikipedia ドイツ語版の Bremer Stadtmusikanten
日本語版の「ブレーメンの音楽隊




人は拍節感を持っている

2009年11月3日 火曜日

多くの奏者が自ずと拍節感を備えていること、アンサンブルを練っていく上で拍節感を自覚的に捉えることが鍵になってくることなどなどを、具体的な例によって示すことができるように思う。

モーツァルトの交響曲第31番ニ長調「パリ」終楽章。

Mozart Sinfonie Nr.31 in D, 4.Satz

Mozart Sinfonie Nr.31 in D, 4.Satz


冒頭から8分音符の走句を持たされるセカンドヴァイオリンにとって悩みの種の楽章。冒頭から8小節間、セカンドヴァイオリンが8分音符で走り回る間、ファーストヴァイオリンは4分音符主体の断片を沿わせていき、9小節目でトゥッティになる。ここで特に問題になるのは、7小節めから8小節めの移り行きである。ここがなぜか合わない。いや、なぜかではなく、実はその理由ははっきりしている。この8小節フレーズ、セカンドヴァイオリンは8小節めの第1拍ですでにトニカに入ってしまうのだ(その前はcisの導音である)。そのため、7小節めの終わりで「自然な」アウフタクト的なわずかな伸びが生じる。そのため、順当に8小節目でドミナントから9小節目のトニカに向かうファーストヴァイオリンとずれができてしまう。本来新たなフレーズが始まるのは9小節めからである。だからここで「縦の線を揃える」ために必要なことは、セカンドヴァイオリンが、8小節目第一拍に入るときにエイやっという感じにならず、ここはがまんしてさらっと通り過ぎ、9小節目への入りをアウフタクトとしてしっかり感じ取ることなのだ。

このことの意味をしっかり見極めよう。トニカにエイやっと入る感覚、つまりカデンツの感覚を、奏者たちは自ずと持っており、かつ(ここが重要なところだが)それが拍の伸縮と結びついているということだ。

もう一つの例。これもモーツァルト。交響曲40番ト短調、第1楽章。35-36小節。
<a href="http://dme.mozarteum.at/">NMA Online </a>より引用。
2拍子のこの楽章こうした部分は特に、1拍めよりも2拍めのほうが自ずと(もちろんわずかに)長くなっている。たいていの人はそのように〈正しく〉弾いていて、しかも自分がそう演奏していることに気づいていない。このことに気づかされたのは、これも中クラスの某アマオケで、この部分のヴァイオリンと低弦がどうしても合わないということがあったからだ。よくよく観察してみると、あまり音楽的にセンスがあるとは言い難いおじいちゃんチェロが、二つの二分音符を完全に均等な長さで演奏していて、自分は正しい、と、頑としてゆずらない。ヴァイオリンの連中は、正しく演奏していたのだが、自分たちのやっていることを自覚的に捉えていないから、このおじいちゃんをどうすることもできなかった。

ここでも重要なことは、少なくともこの部分のヴァイオリン奏者たちは、無自覚に、正しい拍節感をもって演奏していたということだ。(そしてそのことを僕に教えてくれたのがあのおじいちゃんだったということだ。)

Bonn: 「音楽家地区」とシューマン・ハウスの思い出

2009年10月30日 金曜日

およそ十年前、最初の子供が生まれたばかりの頃、ボンに再び1年間住んだ。住まいは、中央駅の裏手の、Musikerviertel 音楽家地区と呼ばれるあたりに見つけた。弦楽器工房が一軒あることはあるが、別に音楽家が集住しているとか、そんなことはまったくなくて、たんにその辺りの通りの名前が、作曲家の名前を冠するものが多いだけだ。(日本の住所は「ブロック」制だが、欧米の住居表示は「通り」が基準になる。)3、4階建ての集合住宅の連なる、まあ、「閑静な住宅街」だったかと思う。diewohnunginbonn

住んでいたアパートは、ヴェーゼンドンク通りとリヒャルト・ヴァーグナー通りの角にあった。アパートの、それもまさにわれわれが住んでいた1階の部屋の外壁には、マティルデ・ヴェーゼンドンクが、晩年の一時期、ここに住んでいた旨を記したプレートが打ち付けられていた。
大きな地図で見る

このあたりの街路名がいつ整備されたのか分からないが、おそらく、ヴェーゼンドンクが住んでいた場所から北にのびる通りをヴェーゼンドンク通りと名付け、それに直交するやや長い通りをリヒャルト・ヴァーグナー通りと名付け、ついでに付近の通りにも音楽家の名前を付けていったのではないかと推測する。「モーツァルト通り」があり、その1番地は「ホテル・モーツァルト」という家族経営のこじんまりしたホテルで、ボンに出かけるときは以前からしばしば利用していた。「ベートーヴェン広場」があり、その近くには「ベートーヴェン薬局」があった。ボンはベートーヴェンの出身地だが、この界隈が何か取り立ててベートーヴェンにゆかりがあるということはなかったはずだ(通りの名前は「リスト通り」)。

ボンの「中央」駅は、旧市街のはずれにある。そこからほど近いところに「旧墓地」があり、よく知られたシューマン夫妻の墓や、ベートーヴェンのおっかさんの墓などがある。ずっと前に書いた掃天星図のアーゲランダーの墓もここ。

駅の裏手、旧市街とは反対側の「音楽家地区」は、ボンから、かつては別の町というか村だったエンデニヒに行く道筋に当たる。エンデニヒは、1904年の合併で、ボン市に含まれている。そのエンデニヒにあるのが、シューマンハウス。晩年のローベルト・シューマンが入っていた精神病院。今は1階と2階の一部が市営の音楽図書館、2階の残り部分がシューマン記念館になっている。「音楽家地区」のわが家からシューマンハウスまではさほどの距離ではなかった(今地図で確かめたら800mほどだ)から、よく自転車で通った(特に自転車用に整備された道もあった)。ベビーカーを押しながら、バスで行くこともあったし、散歩がてらに歩いて行くこともあった。シューマンハウスでは楽譜や音楽関係の文献をよく借りた。市立図書館共通の利用カードがあって、それがここでも通用した。

エンデニヒには、ベビー用品店や、自然食品店もあって、そういう店にもよく行った。生まれたばかりの赤ん坊を抱えていたからでもあるし、自然食料品店では多少高価ながら日本の食材もそれなりに置いていたからだ。

とにかくよくベビーカーを押して散歩にでかけた。

「間もなく[...]男はこどもを街のあちらこちらへ長い散歩に連れ出すようになった。いつも行っていた雑踏の大通りとは反対の方向に歩いていくと、単調な古くほの暗い地区が、地面にはさまざまな色彩がさし、舗道には空が照り映えて、これまでこの街のどこでも見たことがないような姿を現す。こうしてはじめて、そしてまた歩道と道路の間で梃子のように乳母車を上げ下ろしする動きとともに、この街は「こどもの生まれた街」となる。」(ペーター・ハントケ『こどもの物語』

ハントケのこの「街」はおそらくベルリン。僕らがいたのはボン。僕らの子供はボンで生まれた訳ではなかったが、生後すぐだったし、以前に1人や2人で滞在した時とは、街は明らかに違って見えた。「歩道と道路の間で梃子のように乳母車を上げ下ろしする動き」などは、ハントケならではの現実のキャプチャのしかただと思うが、つよいリアリティをもって読めた。(日本の街路、華奢なバギーでは、これは感じられなかったかもしれない。)

「ベートーヴェン薬局」のならびにギリシャ人のやっているSirtakiというギリシャ料理屋があって、時々お世話になった。ギュロスやスブラキが美味かった。テイクアウトもできた。ギリシャ料理につきもののウゾ。僕はギリシャに行ったことがないのだけれど、ドイツのギリシャ料理屋はたいていどこでも、無料で食前酒に出してくれた。店に行ってテイクアウトを頼んでも、待っている間ウゾが出てきた。ドイツ人客たちはいったいに蒸留酒=アル中の飲むものと思っているふしがあって、あまり飲もうとしないようだった。ギリシャ料理屋の店の人々は、僕らが飲むと、うれしそうな顔をすることが多かったように思う。

周りが住宅ばかりのリヒャルト・ヴァーグナー通りには、キオスクが一軒と、それからあと1軒だけ、スペイン人がやっているスペイン料理屋があった。ギリシャ人のギリシャ料理、スペイン人のスペイン料理は、ある意味で、ドイツに住む時の楽しみだ。ジビエやウサギを食べた記憶もある。ドイツ料理では考えられない、日本料理のような、魚の塩焼きもあって、とにかく肉も魚も美味かった。気候のいいときは白い壁に囲まれた裏庭の席で、寒いときや悪天候のときは屋内で、食事をした。バギーに乗せたままの、生後1年に満たなかった子供に、デザートのクレム・カタランを一口与えたときの、まるで「この世にはこんな美味しいものがあったのか」とでもいうような目の輝きが、忘れられない。2、3年経って訪れたとき、店は凡庸なイタリア料理屋になっていた。あのスペイン人たちはどこへ行ってしまったのだろう?

室内楽とは

2009年3月23日 月曜日

brainin何年前だろう、京都の弦楽器店で、アマデウス四重奏団メンバーによる公開レッスンがありました。アマデウスは1987年にもう活動は止めていたので、元アマデウスと言うべきかもしれません。

アマデウスカルテット最晩年の公演を東京で聴きに行ったことがありました。ブレイニンが、指板の上で途方もないフォルテッシモを出していたのが強烈な印象に残りました。(弦のことをあまりご存知ない方のために注釈しておくと、ふつう、弦楽器の強音は駒寄りで出すんですね。指板寄りはふつう弱音。つまりあり得ない弾き方だったわけです。)

公開レッスンは、生き残りメンバーが一人一人それぞれに会場を充てられて同時に指導。僕はブレイニンがやっていたレッスンを見に行きました。狭い会場で聴衆は十数人。生徒役はたしか東京芸大や大音の1、2年生のカルテット、曲目も覚えていないし、うーん、そんなとこで突っ込まれていないでよ、という出来でした。そのうえ、ドイツ語通訳の女の子がどうにもならなくて、ブレイニンは彼女を無視して英語で生徒や聴衆に向かって直接しゃべり始める。そのときのやりとりがちょっと面白かった。

ブレイニン:室内楽 chamber music とは何でしょう?
僕:(だれも返事をしなかったので)室内(in a chamber)で演奏する音楽でしょう。
ブレイニン:(わが意を得たりというふうに)そうですね。室内。どういう室内でしょうか。それが問題なのです…。

そのあとの講釈によると、chamber (独:Kammer)という言葉で、狭い部屋を考えてはいけない。宮殿の広間をイメージすべきなのだ、ということでした。ブレイニンの講釈が歴史的にどこまで正しいかは判断が難しい気がします。19世紀には、実際、室内楽はブルジョワ(死語だな)の家庭でおおいに楽しまれていたわけですし。ただまあ、ようするに、ちまちました演奏をしていた生徒たちに対して、もっと大きな空間を考えて弾きなさいよというアドバイスだったわけですね。

自分でヴァイオリンを構えて弾き始めると、肩にというより、でっぷりふくらんだお腹にちょこんと楽器が載っているように見えました。今だったら、どう見てもメタボ呼ばわりされるのではないかという…。

そのブレイニンも数年前に亡くなったのですね。

ブレイニン追悼の2枚組CD:

以上は以前某所に出した記事に少し手を加えて再録したもの。こんなの書いていたことを思い出したのは、ありちゅんさんのところで、若かりしクララ・ヴィーク(のちのクララ・シューマン)にウィーンから与えられた die kaiserlich-königliche Kammervirtuosin という称号のことが出ていたから。この場合の Kammer- も、宮廷の、王室のといった意味なのでしょう。

検定商売、コンクール商売

2009年2月9日 月曜日

先日、電車に乗っていたら、某週刊誌の中吊り広告で、漢字検定関連記事の見出しが目に入った。その雑誌と記事を読んだわけではないから正確なところは分からないが、一種のぼろ儲け告発のような文言の見出しだった。いずれにせよ、資格検定が、うまくやれば美味しい商売であろうことはすぐに想像がつく。

でも日本通訳協会なるものが破産したニュース(2008年10月)も記憶に新しい。

2001年から「文部省認定」がなくなってきたことが影響しているのだろうか。何の裏も取っていない素人の憶測だが、日本通訳協会の場合は、たんにマネジメントの問題だったのではないかという気がする。全体の趨勢はむしろ逆であるように思えるからだ。文部省認定廃止が明らかになったときに出ていた記事にこんなものがある。

無くなるのは「文部科学省認定」のお墨付きなのであり、検定試験自体をすぐに無くす必要はないのです。TOEICのようにこのお墨付きが無くても企業や学生から圧倒的支持を受けている資格試験がある反面、国家資格であるかのように誤信させることで存続を図ろうとする試験があるとしたらそれはご退場願いたいということなのでしょう。

お墨付きが無くなった途端に、受験者が減り、検定制度自体が成り立たなくなる資格試験は確かに出てくるでしょう。

むしろそういう資格試験はなくなってもらっても良いのではないでしょうか?

今後は、本当に社会から必要とされる検定試験は残り、そうでないものは淘汰されてゆくことになります。筆者はそれで良いと思うのです。
文部科学省が認定試験の全廃を表明 「英検」は無くなるの? – [資格]All About

この筆者の、ある意味楽観的な見通しとは逆に、それでも「いい商売」の「検定」はなくならない。むしろ増加傾向にあるように思える。つまり、「文部省認定」が消えたことで、認定されているものとされていないものの差はなくなった。この状況はむしろ有象無象の「検定」業者に取ってはチャンスだと考えることもできる。そしてまた Yahoo! などがネット上で行う無害でお気楽な「検定」はどんどん増えている。

たとえば某香料系検定なども、一つの例として面白い。少々の受験料で合格率は9割以上。これに通っていることを履歴書に書いたりするほうが恥ずかしいくらいだ。でもその先の「資格」があって、それは検定主催者側の「講習」を高額な受講料を払って受けないと獲得できないことになっている。まあ、一つの「ビジネスモデル」としては、成り立ってしまうのだな、これが。

いつのまにかなんだかやたらに増殖していてびっくりするのが音楽コンクール商売。ぼくが子供の頃は、国内のコンクールはほとんど耳にしなかった。音楽コンクールと言えば、中村紘子のチャイコフスキーだの、ロン・ティボーだの、小沢征爾のブザンソンだの、国外の世界的なものと、国内のごく少数のものに限られていた。いまは違う。あまりに数が多いものだから、それ専門の情報誌も存在するほどだ。もちろんその中身の多くは相当に疑わしい。つい最近も、某音楽コンクールで、はるかに有能な参加者をさしおいて、審査員の息子が優勝してしまうという微笑ましいケースも見られたようだ。

さて、運営側の利得はさておくとして、この種の「資格」の存在意義はどこにあるだろうか。

もちろん、どんないい加減な資格であろうと、それに合格するためには最小限の勉強やトレーニングはすることになるだろう。だから本人にとっては、少なくとも、勉強するため、練習するためのちょっとした中間目標にはなる。

対外的というか対他的には、なにがしかのスキルを身につけていることを、実際にそのスキルを実践して見せなくても、人に信じてもらう所に意味がある。実演する時間や機会が得られにくいことだってあるだろう。そういう場合に便利なのだ。

ただまあ、特定のスキルを「評価」する立場にあるひとなら、相手のスキルそのものを、免状ではなく、自分の目や耳でも判断できるひとであってもらいたいものだとは思う。そういう「見る目」を養うことまで「資格」が阻害しているとすれば、ちょっと問題なのだが、この「見る目」、評価する能力こそが、多くの方面で、実は希有なものになってしまっているのではないのか。そのことがまた、いかがわしい検定商売コンクール商売を繁栄させているのではないのか。もちろん検定やコンクールに限らない。だれそれが難関大学の入試を通ったから優秀だとか、通ったからヘンなやつなのだ、という判断が貧しいことは、ちょっと考えれば分かる。

体幹からの音楽

2009年1月5日 月曜日

音楽をするのであれば、肝心なことは、体幹から、体の中心から、体の中から音楽をするということだ、と言ってしまうこともできるだろう。(ただし、これはまったく正しいことではあるものの、大づかみすぎて誤解の余地も大きい言いかたでもある。)

たとえば、均等拍で演奏するということは、音楽の外側から、手袋をして音楽を触っているようなものだ。もっとも…「体の中」にすっかりメトロノームがしみ込んでしまっている奏者も、いまどき、もしかしたら珍しくないのかもしれない。しかし、その場合、旋律や「歌」が体の中から出てくることはないだろう。そういう奏者が音楽の名に値する音楽をすることは、たぶん、あり得ない。

ある曲を練習するということは、その最初の重要なフェイズとしては、その音楽を assimilate (同化吸収)して、体の中に取り込んでいくということだ。そうしていったん取り込んで(「自分のものにして」という古典的な言い回しも思い浮かぶ)、そこで改めて自分の中から express (外に出す)していくわけだ。「技術」的な問題ももちろん考えなければならないが、このとき、一つ一つの音符は、そのあるべきところに自ずとぴたりぴたり収まっていく。そうなっていないのであれば、まだじゅうぶんに「自分のもの」にできていないということだ。

もちろん、このような言い方もまた、不完全で、おおいなる誤解の余地を残している。このような言い方では、一種の容器や袋のような「自分」のイメージがあって、そこに「音楽」を出し入れするというメタファーが前提されている。それよりも、「音楽」が大元にあって、「自分」はたとえば風のようにそれに乗るだけだ、という言い方の方が適切な状況や相手もあることだろう。