‘Musik’ カテゴリーのアーカイブ

人は拍節感を持っている

2009年11月3日 火曜日

多くの奏者が自ずと拍節感を備えていること、アンサンブルを練っていく上で拍節感を自覚的に捉えることが鍵になってくることなどなどを、具体的な例によって示すことができるように思う。

モーツァルトの交響曲第31番ニ長調「パリ」第4楽章。

Mozart Sinfonie Nr.31 in D, 4.Satz

Mozart Sinfonie Nr.31 in D, 4.Satz


冒頭から8分音符の走句を持たされるセカンドヴァイオリンにとって悩みの種の楽章。冒頭から8小節間、セカンドヴァイオリンが8分音符で走り回る間、ファーストヴァイオリンは4分音符主体の断片を沿わせていき、9小節目でトゥッティになる。ここで特に問題になるのは、7小節めから8小節めの移り行きである。ここがなぜか合わない。いや、なぜかではなく、実はその理由ははっきりしている。この8小節フレーズ、セカンドヴァイオリンは8小節めの第1拍ですでにトニカに入ってしまうのだ(その前はcisの導音である)。そのため、7小節めの終わりで「自然な」アウフタクト的なわずかな伸びが生じる。そのため、順当に8小節目でドミナントから9小節目のトニカに向かうファーストヴァイオリンとずれができてしまう。本来新たなフレーズが始まるのは9小節めからである。だからここで「縦の線を揃える」ために必要なことは、セカンドヴァイオリンが、8小節目第一拍に入るときにエイやっという感じにならず、ここはがまんしてさらっと通り過ぎ、9小節目への入りをアウフタクトとしてしっかり感じ取ることなのだ。

このことの意味をしっかり見極めよう。トニカにエイやっと入る感覚、つまりカデンツの感覚を、奏者たちは自ずと持っており、かつ(ここが重要なところだが)それが拍の伸縮と結びついているということだ。

もう一つの例。これもモーツァルト。交響曲40番ト短調、第1楽章。35-36小節。
<a href="http://dme.mozarteum.at/">NMA Online </a>より引用。
2拍子のこの楽章こうした部分は特に、1拍めよりも2拍めのほうが自ずと(もちろんわずかに)長くなっている。たいていの人はそのように〈正しく〉弾いていて、しかも自分がそう演奏していることに気づいていない。このことに気づかされたのは、これも中クラスの某アマオケで、この部分のヴァイオリンと低弦がどうしても合わないということがあったからだ。よくよく観察してみると、あまり音楽的にセンスがあるとは言い難いおじいちゃんチェロが、二つの二分音符を完全に均等な長さで演奏していて、自分は正しい、と、頑としてゆずらない。ヴァイオリンの連中は、正しく演奏していたのだが、自分たちのやっていることを自覚的に捉えていないから、このおじいちゃんをどうすることもできなかった。

ここでも重要なことは、少なくともこの部分のヴァイオリン奏者たちは、無自覚に、正しい拍節感をもって演奏していたということだ。(そしてそのことを僕に教えてくれたのがあのおじいちゃんだったということだ。)

Bonn: 「音楽家地区」とシューマン・ハウスの思い出

2009年10月30日 金曜日

およそ十年前、最初の子供が生まれたばかりの頃、ボンに再び1年間住んだ。住まいは、中央駅の裏手の、Musikerviertel 音楽家地区と呼ばれるあたりに見つけた。弦楽器工房が一軒あることはあるが、別に音楽家が集住しているとか、そんなことはまったくなくて、たんにその辺りの通りの名前が、作曲家の名前を冠するものが多いだけだ。(日本の住所は「ブロック」制だが、欧米の住居表示は「通り」が基準になる。)3、4階建ての集合住宅の連なる、まあ、「閑静な住宅街」だったかと思う。diewohnunginbonn

住んでいたアパートは、ヴェーゼンドンク通りとリヒャルト・ヴァーグナー通りの角にあった。アパートの、それもまさにわれわれが住んでいた1階の部屋の外壁には、マティルデ・ヴェーゼンドンクが、晩年の一時期、ここに住んでいた旨を記したプレートが打ち付けられていた。
大きな地図で見る

このあたりの街路名がいつ整備されたのか分からないが、おそらく、ヴェーゼンドンクが住んでいた場所から北にのびる通りをヴェーゼンドンク通りと名付け、それに直交するやや長い通りをリヒャルト・ヴァーグナー通りと名付け、ついでに付近の通りにも音楽家の名前を付けていったのではないかと推測する。「モーツァルト通り」があり、その1番地は「ホテル・モーツァルト」という家族経営のこじんまりしたホテルで、ボンに出かけるときは以前からしばしば利用していた。「ベートーヴェン広場」があり、その近くには「ベートーヴェン薬局」があった。ボンはベートーヴェンの出身地だが、この界隈が何か取り立ててベートーヴェンにゆかりがあるということはなかったはずだ(通りの名前は「リスト通り」)。

ボンの「中央」駅は、旧市街のはずれにある。そこからほど近いところに「旧墓地」があり、よく知られたシューマン夫妻の墓や、ベートーヴェンのおっかさんの墓などがある。ずっと前に書いた掃天星図のアーゲランダーの墓もここ。

駅の裏手、旧市街とは反対側の「音楽家地区」は、ボンから、かつては別の町というか村だったエンデニヒに行く道筋に当たる。エンデニヒは、1904年の合併で、ボン市に含まれている。そのエンデニヒにあるのが、シューマンハウス。晩年のローベルト・シューマンが入っていた精神病院。今は1階と2階の一部が市営の音楽図書館、2階の残り部分がシューマン記念館になっている。「音楽家地区」のわが家からシューマンハウスまではさほどの距離ではなかった(今地図で確かめたら800mほどだ)から、よく自転車で通った(特に自転車用に整備された道もあった)。ベビーカーを押しながら、バスで行くこともあったし、散歩がてらに歩いて行くこともあった。シューマンハウスでは楽譜や音楽関係の文献をよく借りた。市立図書館共通の利用カードがあって、それがここでも通用した。

エンデニヒには、ベビー用品店や、自然食品店もあって、そういう店にもよく行った。生まれたばかりの赤ん坊を抱えていたからでもあるし、自然食料品店では多少高価ながら日本の食材もそれなりに置いていたからだ。

とにかくよくベビーカーを押して散歩にでかけた。

「間もなく[...]男はこどもを街のあちらこちらへ長い散歩に連れ出すようになった。いつも行っていた雑踏の大通りとは反対の方向に歩いていくと、単調な古くほの暗い地区が、地面にはさまざまな色彩がさし、舗道には空が照り映えて、これまでこの街のどこでも見たことがないような姿を現す。こうしてはじめて、そしてまた歩道と道路の間で梃子のように乳母車を上げ下ろしする動きとともに、この街は「こどもの生まれた街」となる。」(ペーター・ハントケ『こどもの物語』

ハントケのこの「街」はおそらくベルリン。僕らがいたのはボン。僕らの子供はボンで生まれた訳ではなかったが、生後すぐだったし、以前に1人や2人で滞在した時とは、街は明らかに違って見えた。「歩道と道路の間で梃子のように乳母車を上げ下ろしする動き」などは、ハントケならではの現実のキャプチャのしかただと思うが、つよいリアリティをもって読めた。(日本の街路、華奢なバギーでは、これは感じられなかったかもしれない。)

「ベートーヴェン薬局」のならびにギリシャ人のやっているSirtakiというギリシャ料理屋があって、時々お世話になった。ギュロスやスブラキが美味かった。テイクアウトもできた。ギリシャ料理につきもののウゾ。僕はギリシャに行ったことがないのだけれど、ドイツのギリシャ料理屋はたいていどこでも、無料で食前酒に出してくれた。店に行ってテイクアウトを頼んでも、待っている間ウゾが出てきた。ドイツ人客たちはいったいに蒸留酒=アル中の飲むものと思っているふしがあって、あまり飲もうとしないようだった。ギリシャ料理屋の店の人々は、僕らが飲むと、うれしそうな顔をすることが多かったように思う。

周りが住宅ばかりのリヒャルト・ヴァーグナー通りには、キオスクが一軒と、それからあと1軒だけ、スペイン人がやっているスペイン料理屋があった。ギリシャ人のギリシャ料理、スペイン人のスペイン料理は、ある意味で、ドイツに住む時の楽しみだ。ジビエやウサギを食べた記憶もある。ドイツ料理では考えられない、日本料理のような、魚の塩焼きもあって、とにかく肉も魚も美味かった。気候のいいときは白い壁に囲まれた裏庭の席で、寒いときや悪天候のときは屋内で、食事をした。バギーに乗せたままの、生後1年に満たなかった子供に、デザートのクレム・カタランを一口与えたときの、まるで「この世にはこんな美味しいものがあったのか」とでもいうような目の輝きが、忘れられない。2、3年経って訪れたとき、店は凡庸なイタリア料理屋になっていた。あのスペイン人たちはどこへ行ってしまったのだろう?

室内楽とは

2009年3月23日 月曜日

brainin何年前だろう、京都の弦楽器店で、アマデウス四重奏団メンバーによる公開レッスンがありました。アマデウスは1987年にもう活動は止めていたので、元アマデウスと言うべきかもしれません。

アマデウスカルテット最晩年の公演を東京で聴きに行ったことがありました。ブレイニンが、指板の上で途方もないフォルテッシモを出していたのが強烈な印象に残りました。(弦のことをあまりご存知ない方のために注釈しておくと、ふつう、弦楽器の強音は駒寄りで出すんですね。指板寄りはふつう弱音。つまりあり得ない弾き方だったわけです。)

公開レッスンは、生き残りメンバーが一人一人それぞれに会場を充てられて同時に指導。僕はブレイニンがやっていたレッスンを見に行きました。狭い会場で聴衆は十数人。生徒役はたしか東京芸大や大音の1、2年生のカルテット、曲目も覚えていないし、うーん、そんなとこで突っ込まれていないでよ、という出来でした。そのうえ、ドイツ語通訳の女の子がどうにもならなくて、ブレイニンは彼女を無視して英語で生徒や聴衆に向かって直接しゃべり始める。そのときのやりとりがちょっと面白かった。

ブレイニン:室内楽 chamber music とは何でしょう?
僕:(だれも返事をしなかったので)室内(in a chamber)で演奏する音楽でしょう。
ブレイニン:(わが意を得たりというふうに)そうですね。室内。どういう室内でしょうか。それが問題なのです…。

そのあとの講釈によると、chamber (独:Kammer)という言葉で、狭い部屋を考えてはいけない。宮殿の広間をイメージすべきなのだ、ということでした。ブレイニンの講釈が歴史的にどこまで正しいかは判断が難しい気がします。19世紀には、実際、室内楽はブルジョワ(死語だな)の家庭でおおいに楽しまれていたわけですし。ただまあ、ようするに、ちまちました演奏をしていた生徒たちに対して、もっと大きな空間を考えて弾きなさいよというアドバイスだったわけですね。

自分でヴァイオリンを構えて弾き始めると、肩にというより、でっぷりふくらんだお腹にちょこんと楽器が載っているように見えました。今だったら、どう見てもメタボ呼ばわりされるのではないかという…。

そのブレイニンも数年前に亡くなったのですね。

ブレイニン追悼の2枚組CD:

以上は以前某所に出した記事に少し手を加えて再録したもの。こんなの書いていたことを思い出したのは、ありちゅんさんのところで、若かりしクララ・ヴィーク(のちのクララ・シューマン)にウィーンから与えられた die kaiserlich-königliche Kammervirtuosin という称号のことが出ていたから。この場合の Kammer- も、宮廷の、王室のといった意味なのでしょう。

検定商売、コンクール商売

2009年2月9日 月曜日

先日、電車に乗っていたら、某週刊誌の中吊り広告で、漢字検定関連記事の見出しが目に入った。その雑誌と記事を読んだわけではないから正確なところは分からないが、一種のぼろ儲け告発のような文言の見出しだった。いずれにせよ、資格検定が、うまくやれば美味しい商売であろうことはすぐに想像がつく。

でも日本通訳協会なるものが破産したニュース(2008年10月)も記憶に新しい。

2001年から「文部省認定」がなくなってきたことが影響しているのだろうか。何の裏も取っていない素人の憶測だが、日本通訳協会の場合は、たんにマネジメントの問題だったのではないかという気がする。全体の趨勢はむしろ逆であるように思えるからだ。文部省認定廃止が明らかになったときに出ていた記事にこんなものがある。

無くなるのは「文部科学省認定」のお墨付きなのであり、検定試験自体をすぐに無くす必要はないのです。TOEICのようにこのお墨付きが無くても企業や学生から圧倒的支持を受けている資格試験がある反面、国家資格であるかのように誤信させることで存続を図ろうとする試験があるとしたらそれはご退場願いたいということなのでしょう。

お墨付きが無くなった途端に、受験者が減り、検定制度自体が成り立たなくなる資格試験は確かに出てくるでしょう。

むしろそういう資格試験はなくなってもらっても良いのではないでしょうか?

今後は、本当に社会から必要とされる検定試験は残り、そうでないものは淘汰されてゆくことになります。筆者はそれで良いと思うのです。
文部科学省が認定試験の全廃を表明 「英検」は無くなるの? – [資格]All About

この筆者の、ある意味楽観的な見通しとは逆に、それでも「いい商売」の「検定」はなくならない。むしろ増加傾向にあるように思える。つまり、「文部省認定」が消えたことで、認定されているものとされていないものの差はなくなった。この状況はむしろ有象無象の「検定」業者に取ってはチャンスだと考えることもできる。そしてまた Yahoo! などがネット上で行う無害でお気楽な「検定」はどんどん増えている。

たとえば某香料系検定なども、一つの例として面白い。少々の受験料で合格率は9割以上。これに通っていることを履歴書に書いたりするほうが恥ずかしいくらいだ。でもその先の「資格」があって、それは検定主催者側の「講習」を高額な受講料を払って受けないと獲得できないことになっている。まあ、一つの「ビジネスモデル」としては、成り立ってしまうのだな、これが。

いつのまにかなんだかやたらに増殖していてびっくりするのが音楽コンクール商売。ぼくが子供の頃は、国内のコンクールはほとんど耳にしなかった。音楽コンクールと言えば、中村紘子のチャイコフスキーだの、ロン・ティボーだの、小沢征爾のブザンソンだの、国外の世界的なものと、国内のごく少数のものに限られていた。いまは違う。あまりに数が多いものだから、それ専門の情報誌も存在するほどだ。もちろんその中身の多くは相当に疑わしい。つい最近も、某音楽コンクールで、はるかに有能な参加者をさしおいて、審査員の息子が優勝してしまうという微笑ましいケースも見られたようだ。

さて、運営側の利得はさておくとして、この種の「資格」の存在意義はどこにあるだろうか。

もちろん、どんないい加減な資格であろうと、それに合格するためには最小限の勉強やトレーニングはすることになるだろう。だから本人にとっては、少なくとも、勉強するため、練習するためのちょっとした中間目標にはなる。

対外的というか対他的には、なにがしかのスキルを身につけていることを、実際にそのスキルを実践して見せなくても、人に信じてもらう所に意味がある。実演する時間や機会が得られにくいことだってあるだろう。そういう場合に便利なのだ。

ただまあ、特定のスキルを「評価」する立場にあるひとなら、相手のスキルそのものを、免状ではなく、自分の目や耳でも判断できるひとであってもらいたいものだとは思う。そういう「見る目」を養うことまで「資格」が阻害しているとすれば、ちょっと問題なのだが、この「見る目」、評価する能力こそが、多くの方面で、実は希有なものになってしまっているのではないのか。そのことがまた、いかがわしい検定商売コンクール商売を繁栄させているのではないのか。もちろん検定やコンクールに限らない。だれそれが難関大学の入試を通ったから優秀だとか、通ったからヘンなやつなのだ、という判断が貧しいことは、ちょっと考えれば分かる。

体幹からの音楽

2009年1月5日 月曜日

音楽をするのであれば、肝心なことは、体幹から、体の中心から、体の中から音楽をするということだ、と言ってしまうこともできるだろう。(ただし、これはまったく正しいことではあるものの、大づかみすぎて誤解の余地も大きい言いかたでもある。)

たとえば、均等拍で演奏するということは、音楽の外側から、手袋をして音楽を触っているようなものだ。もっとも…「体の中」にすっかりメトロノームがしみ込んでしまっている奏者も、いまどき、もしかしたら珍しくないのかもしれない。しかし、その場合、旋律や「歌」が体の中から出てくることはないだろう。そういう奏者が音楽の名に値する音楽をすることは、たぶん、あり得ない。

ある曲を練習するということは、その最初の重要なフェイズとしては、その音楽を assimilate (同化吸収)して、体の中に取り込んでいくということだ。そうしていったん取り込んで(「自分のものにして」という古典的な言い回しも思い浮かぶ)、そこで改めて自分の中から express (外に出す)していくわけだ。「技術」的な問題ももちろん考えなければならないが、このとき、一つ一つの音符は、そのあるべきところに自ずとぴたりぴたり収まっていく。そうなっていないのであれば、まだじゅうぶんに「自分のもの」にできていないということだ。

もちろん、このような言い方もまた、不完全で、おおいなる誤解の余地を残している。このような言い方では、一種の容器や袋のような「自分」のイメージがあって、そこに「音楽」を出し入れするというメタファーが前提されている。それよりも、「音楽」が大元にあって、「自分」はたとえば風のようにそれに乗るだけだ、という言い方の方が適切な状況や相手もあることだろう。

レイト・スターター

2008年11月1日 土曜日

レイト・スターターという日本語は、どうやらヴァイオリン(とその他の弦楽器?)に関してのみ用いられる。この言葉、柏木真樹がひねり出して広めた。本人もそう書いているから間違いないだろう。しかしまあよくぞ普及したものである。でもその普及ぶりには理由があったのだと思う。

英語的におかしいという文句がある。英語的におかしいのはもちろんだが、英語と勘違いして英語圏に行って使ったりしなければいい。これは日本語なのだ。「テレビ」はおかしいからTVとか television と言え、というようなものではないだろうか。(どちらかというと個人的には「マンション」や「ホームページ」のほうがずっと気持ち悪い。でもこれらの日本語に文句を言う筋合いはない。自分では使わないだけだ。)

これが「差別語である」(最近ネット上の二箇所ほどで見かけた)というのも事実とズレているように思われる。どちらかというと、この言葉はもっぱら自称として使われているからだ。(逆に差別はむしろこれを差別語であると言う人々の側にあるのではないか。)まあ、自称としての「逆差別」だという見方もあり得ないではないが。

重要なことは、この言葉が、この言葉にあてはまる人たちにとって、一種の確かなアイデンティティを作り出しているという事実だ。たんに遅く始めた人たち(が自ら)をくくる言葉としてこの言葉があって、「でも楽しい」「でもがんばっている」というところに繋がっている。楽器は小さいうちに始めなければ、という言説は昔からあって、遅く始めることには、たしかにもちろん不利なところもたくさんあるから、それは間違ってはいないのだけれど、そのために、遅くなって始めた人たちを語る言葉が存在しなかった。そういう人たちは存在していても存在しないも同然だったのだ。そんな事情があって、いや、そういう人たちもたくさんいるんだよ、と認識させたのがこの言葉であり、そういう人たちに自らを語る手段を与えたのがこの言葉なのだと考えるべきだろう。

早く始めようが、どんなに指が回ろうが、どんな難曲を(一応)こなそうが、センスのない者、怠け者(これは僕のことだ)はダメなのだ。レイト・スターターという言葉は、そういう区別とは別のところにある。僕としては「レイト・スターター」の人たちを応援するだけだ。

Cooper と Meyer の、リズムと拍子に関する議論

2008年10月4日 土曜日

クーパーとマイヤーの『音楽のリズム構造』(1960)は、よい訳者にめぐまれたこともあり、この手の書物の中では、日本でも比較的よく読まれているほうではないかと思う。だが、その議論には根本的な問題があるとぼくは思う。

「リズムと拍子の相互作用は複雑である。一方では、ある楽曲の客観的な組織づけ─時間的な諸関係、旋律的・和声的な構造、強弱表現法(デュナーミク)など─がアクセントと弱拍(非アクセント)を作り出し、両者の関係を規定している。そして、これらアクセントと非アクセントがなんらかの規則性をもって生じたときに、拍子を特定するように思える。この意味では、リズムを生み出す諸要素が、拍子をまた生み出すのである。」 (123)

リズムやアクセント構造が拍子と一致することは少なくない。つまりリズムやアクセントが拍子の構造を支え、規定する要素として機能しているケースは多い。そのことは疑いを容れない。問題は、拍子がリズムやアクセントから独立し、対立しつつ存在することもありうるということである。

「他方、拍子は明らかにリズムからは独立して存在することができるが、これは、拍子がなんらかの確定的なリズムの組織づけなしに存在できる、という意味だけでそう言えるのではない。リズムの組織づけが、確立されている拍子と衝突したり、それにさからって働くこともありうる、という意味でもそう言えるのである。」(同所)

このようにクーパー&マイヤーは、拍子とリズムが対立し衝突しうることを確認し、その諸現象を記述していくのだが、拍子がリズムやアクセントの支えなしにいかにして存立しうるのかに関する考察はない。拍子がひとえにアクセントやリズムに依存しているのであれば、そのリズムが、書かれている縦線や拍子記号と食い違っている場合、拍子はただ無化されているだけで、リズムに「衝突」したり「対抗」したりすることは不可能なはずである。衝突や対抗が「感じられる」のであれば、拍子は別の原理ないし基盤によって生きているのだ。

この点をクーパー&マイヤーはまったく見ていないことがよく分かるのが、上の引用のすぐ後の、シューマンのピアノ協奏曲の第3楽章に関する次のような議論だ。

「しばしば作曲家は、演奏家が真の拍子の構造を解釈し、またそれを聴き手に伝達してくれることを当てにして、拍子記号と小節線をいくぶん無頓着に──単に便利な道具として──使っている。[引用者注:そういう作曲家もありえないではない。]たとえば、シューマンのピアノ協奏曲(イ短調)の終楽章は、楽章を通して3/4で書かれているが、80小節めで入ってくる旋律は、第一次レベルでは非常に強力な2拍子であり、したがってそこではもはや、拍子の構造を実質的には表わしていないことになる。この場合、それ以前の3拍子が、演奏家ならびに聴衆の心と運動反応の中で引き続いていることから、音楽はいくぶん緊張を孕んだ──ヘミオラのような──ものになっている。そしてまた他方で、新しい拍子は、それ以前の6/4(2×3/4)ではなく、3/2(3×2/4)のようになっている。」(124)

そうだろうか。通常第二主題と見なされるホ長調のこの部分、2小節組の各1小節めの第一拍の四分休符は、第一拍ゆえの「重さ」(ここではとりあえずこの語を使っておく)が感じられなければならない。これはあくまでも「弱起」の音型なのだ(シューマンの、バッハ、ヘンデルやその当時の舞曲の研究の影響が指摘されている)。各組2小節めの四分休符は、中間拍であるために逆に「軽い」。この箇所を2拍子だと見なしてしまえば、先にクーパー&マイヤーが述べていたはずの「リズムと拍子の対立」は無化されてしまう。たしかに、クーパー&マイヤーは、この箇所以前の3拍子の言わば「残像」との間に対立・緊張の効果を見ているようだが、緊張はこのフレーズ自体の内部にあると言うべきである。単純な2拍子として弾き飛ばすなら、まさにシューマンが意図したであろうその緊張を、雲散霧消させてしまう。そもそも、シューマンがここで本当に2拍子を望んでいたならば、改めて2/4の拍子指示を書き込むことができたはずである。シューマンがそうはしていないことを、クーパー&マイヤーは単なる「手抜き」だと言っているわけだ。シューマン自身が評論の中で(吉田秀和の注釈によればとっとと死ねという意味で)十字架を謹呈したマイヤベーアや、あるいはロッシーニあたりならともかく(いや、彼らはそもそもこんな音楽は書かない)、シューマンにそれはないのではないか。

クーパー&マイヤーは挙げていないが、シューマンのきわめてよく似た書法は、たとえば交響曲第3番の冒頭にも見られる。この旋律を、シューマンはなぜ3/2ではなく3/4で書き出したのだろうか。これは曲の劈頭であり、ピアノ協奏曲でクーパー&マイヤーが想定しているような、それ以前の部分の「残像」はあり得ない。もちろん逆に、3/2かと思って聴いているといつの間にか──というより7小節めからだろうが──3/4になる、という「効果」は考えられないではない。しかしその場合は対立・緊張ではなく、単なる曖昧さと言うべきだし、「効果」としてはかなり限られたものになるだろう。何より、クーパー&マイヤーがピアノ協奏曲で考えているような「手抜き」の記譜であるなら、シューマンは最初から3/2で書き、ここで明らかに3/4となる7小節め以降をそのまま3/2で書いたのではないだろうか。

われわれの拍節理解(両端拍がわずかに長くなり中間拍がわずかに短くなる)によれば、ここでシューマンがやっていることは明快に説明がつく。第1小節3拍目から第2小節1拍目へとタイで繋がれたヴァイオリンと木管のB(変ロ音)は、二つの両端拍の上にあるがゆえに、長く、「重く」なる。この部分を3/2拍子として「解釈」してしまった場合、このBは中間拍(第2拍)となり、短く、「軽く」なり、またそれによってこのフレーズ全体が恐ろしく軽快なものに性格を変えてしまう。「ライン」の愛称で知られるこの交響曲は(これはシューマン自身の命名ではないようだが、この曲が作曲家のライン河畔、デュッセルドルフへの赴任を契機として書かれていることは事実である)、3/4であるからこそ、ライン川(シャフハウゼンではなくデュッセルドルフ辺りの!)の悠揚とした流れが想起されもするのであって、3/2ではとんでもない急流になってしまう(そういう演奏もまま耳にするが)。この曲は3/4 でなければならないのだ。

「機械」のメタファー、「機械的」ということ

2008年9月26日 金曜日

このところ、ダルクローズやフルトヴェングラーを読んでいて、音楽に関する言説に現れる「機械的」mechanisch, mécanique という言葉について改めて考えている。ダルクローズもフルトヴェングラーも、この語をネガティブな意味で使っている。

現在では、機械的・無機的/有機的 という対と、デジタル/アナログ という対が共存しており、いずれも極めて曖昧に比喩的に用いられている。

しかし今日の「機械」は、もはや「機械的」という比喩でイメージされるものとは必ずしも合致しなくなっている。デジタルはあくまでも量子化された離散値を扱うが、最小値を小さくしていくことで、連続値に近づく。今日ではまた、必ずしも均等ではない、一定の法則に従って伸縮する「拍」をデジタルに描くことも、さほど困難ではないはずだ。「機械的」という言葉で喚起されるイメージは、同じ離散値でも、最小値がひどく大きいし、あくまでも均等で、微細なゆらぎを表現することはできないもの、なのではないだろうか。19世紀的な「機械」のイメージ、古典的な時計の、つまりは振り子のイメージだ。

「機械的」とは、広辞苑では、こうだ。比喩的な用法として問題になるのは (1), (2)。

きかい‐てき【機械的】
(1)機械が動くように単調な動きを見せるさま。「–に手を動かす」
(2)個性的でなく、型どおりのさま。「–に処理する」「–に目を通す」
(3)力学的。力学の法則に還元できる過程についていう。
(広辞苑 第4版)

Duden の Das große Wörterbuch の mechanisch の項で、ここで問題にしているような比喩的な用法は4番目に挙がっており、

4. a) ohne Steuerung durch Willen od. Aufmerksamkeit [vor sich gehend, geschehend]; automatisch: eine -e Bewegung; m. antworten; b) gleichförmig u. ohne Nach-, Mitdenken, Überlegung vor sich gehend:
© 2000 Dudenverlag

とある。意志や注意によるコントロールなしに、というあたりは、ダルクローズの使っている「機械的」とは正反対なのだが、これは実はあまり大きな問題ではない。(ダルクローズにとっては、「機械的」は本能やインスピレーションと対立し、「知性」や「意志」の側に算入される。)

ここで gleichförmig 一様に、という語が重要だろう。広辞苑が「単調な動き」という言葉で捉えていた側面が、ここにもたしかに見られる。つまり、「機械的」という比喩で表わされるイメージには、自動的な、意志の媒介を経ない、といっただけでなく、等速運動、もっとはっきり言えば均等拍のイメージも不可欠の構成要件として含まれている。ということは確認しておくに値するだろう。

おそるべきことに、Das große Wörterbuch の Metronom の項には、mit Metronom spielen, üben (メトロノームに合わせて演奏する・練習する)という「用例」が当然のように出ているのだった。

リトミックとオイリュトミー

2008年9月23日 火曜日

ちょっと気になって調べている途中なのだが、基本的なことのはずなのにまだ調べきれずにいる。オイリュトミーとリトミックの関係だ。

フランス語 Wikipedia の Rythmique の項目は書きかけらしく、

La rythmique est une méthode d’éducation musicale élaborée par le pédagogue Émile Jaques-Dalcroze, fondée sur la musicalité du mouvement

たったこれだけとそっけない。

ドイツ語 Wikipedia の Eurythmie の項目の冒頭は、

Die Eurythmie (auch Eurhythmie, gr. Gleichmaß von Bewegung oder schöne Bewegung) ist eine expressive Bühnentanzkunst, die Anfang des 20. Jahrhunderts (etwa 1908-1925) in Deutschland und der Schweiz im Umkreis von Rudolf Steiner, dem Begründer der Anthroposophie, entstand. Äußerlich ähnelt sie entfernt dem klassischen Ballett, sie wird aber im Allgemeinen weniger artistisch und körperbetont inszeniert.

とあって、ドイツとスイスでシュタイナーの周辺で成立したとはあるが、ダルクローズの名前は出てこない。

これが、New Oxford American Dictionary (Mac OS X 付属のもの)だと、

eurythmics
a system of rhythmical physical movements to music used to teach musical understanding (esp. in Steiner schools) or for therapeutic purposes, created by Émile Jaques-Dalcroze.

となって、シュタイナーとダルクローズが結びつけられている。

Encyclopedia-Britannica は、eurythmics をもっぱらダルクローズと結びつけており、この文脈でシュタイナーへの言及はない。(話がそれるが、Encyclopedia-Britannica オンライン版は、ちょっと検索するたびに、ユーザー登録をしろ、とうるさい。が、iPhone 用の Web アプリ版だとそういうこともないし、iPhone に最適化された画面で、大変読みやすい。)

ここらへんで気づいたのは、ともかく、英語圏では、ダルクローズの rythmique のことを eurythmnics と呼ぶらしいということだ。シュタイナーの Eurythmie は、通常、eurythmy と訳されているらしい。

eurythmics とeurythmy ──なんとも紛らわしい。

英語版 Wikipedia の Eurythmy の項目は、もっぱらシュタイナーに関わっているし、Eurhythmics の項目は、もっぱらダルクローズに関わっている。

してみると、両者を繋げているのは、New Oxford American Dictionary (NOAD) だけだ。NOAD が勘違いしているということだろうか? 

それにしても、シュタイナーとダルクローズの軌跡は同時代のスイスで交差しているはずだし、リトミックとオイリュトミーの内容は、重なり合うところが少なくないから、まったく無関係とは考えにくい。だが、NOAD を例外として、オイリュトミー/シュタイナーの解説はリトミック/ダルクローズに触れることがないし、逆もまたしかり。日本でも「リトミック」と「オイリュトミー」はまったく別に布教されており、両者はたがいに関心も持っていないように見える。(「関係はない」という断定も、ざっと見た限りでは見当たらないのだが。)不思議だ。

どなたかお詳しい方がいらっしゃいましたらご教示ください。

便利な曲

2008年9月23日 火曜日

プレーヤーにとって便利な曲というのがある。たいしたことがなくても超絶技巧に聞こえる曲というのはその一つだろう。ヴァイオリンではその代表格がチャルダッシュあたりだと言えるかもしれない。モンティの原曲は本来はマンドリンの曲だそうで、マンドリンでやったらどうなのかはぼくにはわからないが、これに対して、ものすごく難しいのに、聴くと地味な曲というのは、ショーアップしたいプレーヤーには当然ありがたくない。クラシックではどちらかと言うと後者のほうが多いような気がする。

だからレパートリーとしてまず最初にチャルダッシュを持ってくるヴァイオリニストに出会ったら、眉に唾をつけていい。チャルダッシュでぼくが思い出すのは、スロヴェニアのノヴァ・ゴリツァのカジノ・ホテルのレストランだ。

そこに来ていたヴァイオリニストというか、「楽士」という名がぴったりだと思うのだが、彼が披露していた曲の一つがチャルダッシュだった。かなり年配のプレーヤーで、チャルダッシュでも「省略」している音が少なくなかった。それでも「聴ける」んですよ、あの曲なら。そういう曲なんです。