‘Herbes – Kräuter’ カテゴリーのアーカイブ

鶏肉のタラゴンソース

2008年8月31日 日曜日

l861.jpgぼくも料理はたまにするのですが、レパートリーは非常に狭く、レシピのお世話になることが多い。いまはネットで面白そう・美味しそうなレシピがさっと引っぱり出せるので有難いことです。

結構重宝するのが、ボブとアンジー レシピ検索PC 用サイトもあるけれども、この iPhone / iPod touch 用に最適化されたサイトが見やすく使いやすい。オフラインで読めるようにセーブしておける機能もあるし、また材料や手順にはチェックボックスが付いていて、買い出しのときにリストとして使ったり、料理の進み具合をチェックしていくことができるようになっており、隅々までよく作り込まれています。

Yahoo! 内のレシピ検索も、Yahoo! の他のサービス同様、iPhone / iPod touch に対応している。ここは、同じ URL で、iPhone / iPod touch でアクセスすると、自動的に専用のデザインで表示する。ただし検索をかけると、その先は通常の PC 用サイトになってしまう。まあ、そうであっても iPhone で見るのに特に問題はないのですが。

今回お世話になったのは、フランス生活情報 フランスニュースダイジェストにある「かんたんレシピ」。ここも特に iPhone 対応ではありません。

タイム、セージ、ローズマリーあたりはベランダにも生やしてあって、ウチの料理の定番の味付けになっている。ところが、タラゴンは、以前、スロヴェニアの話で、タラゴン入りロールケーキのことを書きましたが、料理としては、香りは好きなんだけれども、どうも本格的なフレンチをやらないと使えないような印象があります。で、上記サイトに出ていたのが、鶏肉のエストラゴンソース。日本でふつう英語名でタラゴンと呼ばれるこの草がフランス語ではエストラゴン(前に書いたようにスロヴェニアではペヒトラン)。タラゴンのことを言うのにベケットの話から入るあたりがフランス専門サイトらしい感じです。

このレシピで「グゼール酢」と書かれているのは、ちょっと何だろうと思いました。要するにシェリー酒のヴィネガーのことらしい。スペインのヘレス Jeres 地方の白ワイン。英語訛りだとシェリー sherry になるわけです。そのフランス名 xérès は、ロワイヤル仏和辞典によればグゼレス、ケレス、クセレスなどと、リトレによればケレスと、発音するようですが、グゼールという表記がどこから出てきたのかは分かりません。後ろの e にもアクサン・グラーヴが付いているわけで、発音されないことはないだろう。面白いことに、「グゼール酢」で Google で検索すると、唯一ヒットするのが、当のこのレシピページ。唯一なのです。柴田書店の「料理百科事典」サイトでは、ケレスという表記で出てきます。

ええと、それはちょっと余談。で、実際に作ってみたメモ。レシピと同じ、4人分です。

いつもはキュウリなどといっしょに味噌を付けて丸かじりする以外に食べ方を知らなかったエシャロットをみじん切りにして、炒めます。4人分で1個と書いてあるのですが、かなり増やしてもよさそうです。わりあいすぐに水を注いでしまったのですが、アメ色とは言わないまでも、もう少し炒めておいてもよかったかもしれません。

「水、またはとりがらスープ」。水をどぼどぼフライパンに注いで、顆粒のとりがらスープのもとを適当に振り入れました。ただ、1500cc というのは少し多すぎる気がしたので、1000cc くらいにしたかな。できあがってみて、さらにもう少し減らしてもよかったかもしれないと思いました。この分量だと、一種のクリームシチューのような風情になってしまいます。

ワインビネガーと書いてあるのは、当然白ワインのビネガーでしょう。「グゼール酢」とともに、「コーヒースプーン2杯」と書いてあるのですが、ここらへん、すべて目分量というか瓶から直接いいかげんに注いだので多すぎたらしく、仕上がりは子どもたちには酸っぱい、酸っぱいと不評でした。家人はこの暑い季節にはこれくらいの酸味がちょうどいい、と言っておりましたが。今回、あらゆる分量を適当にやってしまいました。

シブレットというのは、これも英語名でチャイブと呼ばれることの多い、西洋わけぎ。こいつもベランダに生やしてあったのを取ってきて刻みます。エストラゴンは、葉っぱをむしって使います。

鶏肉は、他の部位でもよさそうですが、このレシピ通りに一切炒めることなく煮込むだけですんでしまうのは、ささ身だからこそでしょう。

生クリームは200cc のパックを丸ごとどぼどぼ。この生クリームのモノによって、相当仕上がりの味が違ってきそうです。

コニャックも適当にどぼどぼと。この料理のために、箱に入っているような酒を、久し振りに買いました。残りは飲料としていずれ順調に消費されていくことでしょう。

出来上がりは上々。付け合わせはサヤインゲンとマイタケとコーンのバター炒め(これは家人の担当)。ボルドーの安い白ワインが結構合いました。出来てすぐがつがつと食べてしまったので、写真はなし。上の画像は、もとのサイトから拝借したものです。タラゴンがふわりと香る。子どもたちも、酸っぱいことには文句を言いつつ、それ以外はいいとかなんとか言って、食べておりました。タラゴンを使うレパートリー、今後も増やしていきたいものです。

ところで、チャイブやタイムやセージやローズマリーは丈夫で栽培しやすく、上に書いたように、ベランダに生やしてあってよく使うのですが、タラゴンは今回スーパーで購入。タラゴンは栽培が難しいという印象があります。何度も挑戦しては枯らしてしまう。しかしちょうど今、この夏に布引で買って植えてあった苗が(また)枯れかけたと思ったら、その下の土から3本ほどの新芽が顔を出してきています。今回の料理に使うには間に合わなかったのですが、今度こそは大きく育ってくれればと思います。好きなんですよ、タラゴン。ペヒトランカも作りたいし。

大昔、まだハーブ類のことをよく知らなかった頃、アルルのレストランで、ラタトゥイユが出た。ギャルソンに、これ、いい香りだね、何が入っているの? と訊ねると、厨房で訊いてきます! と言って引っ込んだ。その後、支配人と何か話している最中に、後ろから耳元で、「エストラゴンが入ってました!」と叫ばれたときにはちょっとびっくりしたのでした。そうだよな、タラゴン入りのラタトゥイユも、そのうち試してみよう。(しかし、厨房まで訊きに行かなければ分からなかったのか、あのギャルソンは。)

アロマテラピーとオリエンタリズム

2006年9月21日 木曜日

1998年に、ボンにいたとき、友人のエーベルハルトにさそってもらって、郊外の小劇場でハントケの『観客罵倒』を観た。登場する俳優は二人だけで、お互いにしゃべりあっていたかと思うと次第に客席に向かって罵詈雑言を吐き始める、そういう「演劇」だ。金属フレームで組まれた5、6段の客席の下に車輪が仕掛けてあって、芝居の途中で黒子が客席全体を前方の壁に向かって押していき、しばらくの間観客はただの壁と向き合わされたり、まあいろいろと時代に合わせて趣向が凝らされていた。周りの観客はすでに心得たもので、罵声をあびせられても、壁とにらめっこさせられても、ひたすらきゃあきゃあ言って愉しんでいる感じで、きっと30倍以上は(ってどういう数字だか分からないが)あったと思われる1960年代末の初演当時のインパクト(途中で憤然と席を立つ観客がいたなどということ)は想像する他なかったが、ともかく面白かった。

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ドイツで購入したアロマオイル

次第に俳優が観客を罵倒し始めるこの芝居の現代風アレンジで付け加えられたセリフの中に、「アロマテラピーやってるやつら」というのがあって、なかなかセンスがいいと思った。近ごろは日本でもいたるところでエッセンシャルオイルが売られるようになった。(「セラピー」は英語の発音を模したもの。ドイツ語、フランス語なら「テラピー」。)

そこでまるっきり話が飛ぶが、サイードによるオリエンタリズム批判からずいぶん経つというのに、「アロマ」界では、セクシー=オリエンタルという観念連合がまだ生き残っているらしい。エッセンシャルオイルは、おおまかに4つぐらいのカテゴリに分けられることが多いのだが、その中でイランイランとかジャスミンとかサンダルウッド(白檀)あたりがこのカテゴリに分類される。
イランイランやサンダルウッドは東南アジア産だけれど、オリエンタルという言い方が必ずしも産地に対応するものではないことは明らかだ。赤ん坊のイエスがプレゼントに貰ったことになっているフランキンセンス(乳香)は、エチオピアからイランあたりが産地だが、オリエンタルに分類されることはまれだ。柑橘系のベルガモットも、モロッコやチュニジアが産地だけれど、「オリエンタル」ではない。
注意深い書き手やショップはすでに「エキゾチック」、「ロマンティック」とか「セクシー」といった単語のみを使っているが、「オリエンタル」というレッテルもまだまだ健在で、どうやらそれは「催淫作用がある」「官能的」というのと同義なのだ。典型的なオリエンタリズム。「エキゾチック」という単語にしたって、(もともとヨーロッパの人間が)自分たちの欲望を外部に投影して見かけ上切り離し、自分たちのことじゃありませんよという顔をする方向性をもっていた点で「オリエンタル」と同じだ。

また話が変わるけれど、ドイツでは「クリスマスの焼き菓子の香り」や「レープクーヘンの香り」のオイルも売っていた。いったいどういう「効能」が謳われていたのだったか。

キイチゴの愉しみ

2006年6月12日 月曜日

本のタイトルは『りんごの本』だが、頁を繰っていくとさまざまな果物が次々に現れる。色が鮮やかだし、一頁おきに透明フィルムになっていて、それをめくると果物の断面図が現れたり、なかなか楽しい。最後に出てくるのがベリー類。大きな赤い苺(ストロベリー)の描かれたフィルムのかげに、いろいろな漿果の絵が隠れている。

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で、この頁のテクストが、「さんぽをしたとき、立ちどまってよくみてごらん。野イチゴ、ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリー、コケモモ、いろいろみつかるかもしれないよ。」…これはフランスのガリマール社の絵本の翻訳なのだ。日本で散歩をしても、犬が棒に当たることはあっても、私たちがこういった果実にぶつかることは、残念ながら、まずない。

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『りんごの本』

 

実は、ヨーロッパに行った時のささやかな愉しみの一つが、「さんぽをしたとき」、こうしたベリー類に出会うことなのだ。

スロヴェニアのボヒンの山地や、フランスのアルザスの山で、ブラックベリーやラズベリーを摘んだ話は以前に書いた。スロヴェニアのピランでも、城壁にむかって登る坂道の途中、ブラックベリーが多くの実を付けていた。ドイツのマインツやデュースブルクの大学近くの住宅地や森の際で、生け垣のように、なかば野生のように茂っているブラックベリーの大きな実をいくつも摘んで食べたこともある。(ただし、あまり低い位置に実っているものは、犬や野生動物が接触している可能性があり、雑菌がついているかもしれないから食べないほうがよいという。)ドイツの市街地には、小振りな実を付けるリンゴも多い。

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ラズベリー、Himbeere, malina

ヨーロッパに行かれたら、「さんぽをしたとき、立ちどまってよく見て」ごらんになってはいかが?

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ブラックベリー、Brombeere, robidnica

しかし日本ではとにかく散歩してもこういう収穫はあまり期待できない。でもこうして実を摘んで食べる愉しみは知ってしまっているので、この春、スロヴェニアから戻ってから、ブラックベリーとラズベリーとブルーベリーの苗木を買い求めた(宝塚山本のあいあいパークにて)。ウチは集合住宅で庭はないから、大きめの鉢を買ってきて、ベランダで育てる。このうち、ラズベリーは先日初収穫した。暗赤色に濃く色づき、しっかりとした味と香りだった。まだ木が小さいから、一度に3、4個ずつしか採れないが。ブラックベリーも、桜色の花の後、緑色の粒々の実がたくさん付き、ようやくそれが色づき始めている。ブルーベリーは…あまり期待できそうにない。世話のしかたをもう少し研究して、来年に賭けるとしよう。

野山のベリー類ではないが、スロヴェニアの家々には、よほど街の中心部の集合住宅でないかぎり、必ずと言っていいほど菜園がある。葉物や豆類、ニンジンなどが植えられている。(面白いのは、田舎の鉄道の駅。石造りの箱形の、どっしりとして、しかし小さな駅舎の脇には、ほとんど必ず菜園があって、何本もの丈の高い支柱には豆のつるが絡みつき、伸び上がっている。住み込みの駅員がつくっているのだろう。)そして彼らの菜園には、多くの場合、何らかの果樹が加わる。ことに温暖で果物が豊富なヴィパーヴァ地方の家の庭には、果樹が必ずあり、シーズンには、プルーンの青紫色の実や、かすかに赤いリンゴや、小さく丸い黄色の杏(マレリツァ)がたわわに輝いている。一つの豊かさのイメージ。

実は、日本のベリー類を集めた国産絵本もある。古矢一穂絵、岸田衿子文『きいちごだより』福音館書店、2001年。動物や昆虫が、自分のすみかのあたりのキイチゴについて、他の仲間に手紙で語りかける体裁。4歳から小学校初級向き。これで見ると、日本にも実はけっこういろいろなベリー類が生えているらしい。でも僕が唯一覚えているのは、初夏の六甲の布引の奥、新道が開かれてあまり人が歩かなくなった、地蔵谷から天狗道に登る旧道で、くさいちごを見つけたことぐらいだ。林の中、丈は低く、二三粒しかついていなかったが、ほのかに甘かった。

Salbei は「セージ」だってば

2005年7月21日 木曜日

前のペヒトランカに関するエントリに、ここのハーブ名各国語辞典がすごい、と書いたけれど、フローラとフォーナの名前の日本語表記というのは結構問題だ。

英文学の古い翻訳で、マンネンロウというのがよく出てくる。これがローズマリーのことだと知ったときの衝撃は大きかった。大昔の大学の英語だかドイツ語だかの先生で、植物の名前が出てくると、全部「トネリコ」にしてしまった豪傑(というか無知)がいた、というようなエピソードもかつてどこかで誰かが書いていたのを読んだ記憶がある。

ドイツ語の Salbei ザルバイ。たしかに「サルビア」でもあるんだけれど、どうもほとんどの場合日本で今では英語式に言うハーブの「セージ」のことのようだ。しかし独和辞典にはそう書いてないから、間違われることが多い。今の日本語でセージはセージでしょう。ちょっと気の利いたスーパーならどこでもそういう名前で売っているのだから。

シンチンゲル、南原、山本『新現代独和』(三修社)はもはや古典だが、ここに言う「サルビア、ヒゴロモソウ(とくに葉は薬用)」の「ヒゴロモソウ」って、セージのことなんだろうか。確かに料理以外に「薬用」にもなるだろうけど。(追記:広辞苑によればヒゴロモソウは「サルビア」の別称だそうだ。)
『フロイデ独和辞典』(白水社)も、もともとあまり期待できない『新アポロン独和辞典』(同学社)も、ドイツ語の新語は積極的に取り入れていることがウリらしい日本のドイツ語学会のドンの書いた『アクセス独和辞典』(三修社)も、けっこう頼りにしている小学館の『独和〈大〉辞典』も、すべてあっけらかんと素っ気なく「サルビア」。と思ったら、『クラウン独和辞典 第2版』(三省堂)だけは、「サルビア、セージ」としてあった(初版電子ブック版を確認したら「サルビア」のみだった)。濱川先生のクラウンはエラい。

最近、ヴァルター・メアス『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生』を平野卿子さんの巧みな日本語訳(河出書房新社)で読んでいて、この「サルビア」が出てきてしまって、あらら、と思ったのだった。

実は同じミスを、僕自身、大昔にやった翻訳でやっている。

まあこれだけあらゆる独和に「サルビア!」と合唱されると、多くの翻訳者がそうなんだと思ってしまうのも無理もない。独和辞典の編者たちの責任だよね。もっとも、もちろん「セージ」という〈日本語〉が成立したのがたかだかここ十年ぐらいだという事情が一番大きいのだけれど、ことはドイツの奇妙にねじれた食事情にも絡んでいるのではないか。ドイツ語圏の食事情がある意味で貧しいのはよく知られているけれど、これはおそらく「伝統料理」にあまりハーブ類が出てこないことが大きい。フランスやイタリアやスロヴェニアではハーブ類を巧みに使う料理が多いけれど、そういうのはドイツ語圏にとってはどこか外国のもの、特別なものというイメージがある。古くからドイツで使われているハーブと言えば、クミン (Kümmel) の種とか、ピクルスに使うディル (Dill) ぐらいだろうか。今やドイツにもハーブ類をふんだんに使ったレシピをたくさん載せている料理本や料理雑誌はものすごく多いのだけれど、いったいこれどこのドイツ人が作るの?という印象がある。なんだか、陸続きなのに、あるいは陸続きだからこそ、近隣諸国のハーブの使い方を含めたそういう美味しい料理法を取り入れてしまうと、まるでアイデンティティが崩壊してしまうみたいなのだ。ラカン風に言えば一種の「去勢の論理」。

一昨年の夏、マインツのライン河畔のレストラン Rheingoldterrasse Café で食べたセージを効かせた豚肉料理はうまかった。でもそういうのはイタリア料理ということになっているわけ。

そういう状況だから、独和辞典編集者たちが、特に個人的にハーブ類に関心を持っていない場合、その関連の訳語選定や記述が素っ気無くなるのは必然なのだ。

ちなみに、スロヴェニア語では žajbelj ジャイベル。いずれにせよラテン語の salvus が起源らしいが、ドイツ語とは微妙に音韻が交替しているのが面白い。

追記。『木村・相良』(博友社)も念のため見てみた。「サルビア(しそ科の植物で薬用・料理用)」となっている。この辞書が出版されたのは1963年で、その時代、「セージ」という〈日本語〉は存在しなかったはずなので、そう書かれていないのは当然だろう。しかし「料理用」とも書かれているということは、今日僕らが知っているセージをしっかり押さえていることを示している。木村相良もエラかった。

さらに追記。小学館『独和大辞典』第二版にも、サルビアに加えて、「セージ」が記載されていた。

ボヒン(4)ルードニツァ山など

2005年5月25日 水曜日

ボヒンは周りをスロヴェニアの最高峰トリグラウをはじめとする高山に囲まれ、本格的な登山(たとえば以前のこのエントリを参照)のベースとなる土地だが、軽いウォーキングのコースにも事欠かない。ボヒンスカ・ビストリツァやリブチェウ・ラースの観光案内所で手に入る Bohinj の一万五千分の一地図は、そういうコースを一ダースほど載せている。

野生のオレガノ (dt: Oregano, slo: origano, dobra misel) の一大群落を見つけて感激したのは、そうしたコースの一つ、ボヒンスカ・ビストリツァからサヴァ・ボヒンカの川沿いを下流に向かって歩き、グルメチツェ滝 slap Grmečice へ向かうコースの途上だった。イタリア料理によく使われるオレガノは、南欧起源ということになっているから、イタリアにも遠くないここでこうして生えていても不思議はないが、現実に群落にぶつかると、嬉しかった。

野生のミント (dt: Minze, slo: meta) の一種を、最初に見つけたのは、カムニェの隣村サヴィツァからボヒンスカ・ビストリツァに向かう車道の脇。ついで、ルードニツァの登山道だった。

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ルードニツァ Rudnica は、ボヒンの南の谷と北の谷を隔てる山で、標高946メートル。この山への道も、同じ地図に載っている。カムニェなどのある南の谷は標高500メートル程度だから、標高差はたいしたことはないが、勾配はきつい。下から見上げた斜面は森林と断崖がまじりあって、断崖の一部は激しく崩落したガレ場になっているのが下からも分かる。この南の谷からのルードニツァのコースは、ボヒンに入って、周りの本格的な登山コースに行く前の足慣らしにちょうどいいかもしれない。

カムニェからは、例のよろず屋の前を通って、川沿いの野道(ここでもブラックベリーが摘める)をまっすぐ、となりのサヴィツァ Savica の村まで行き、そこで橋を渡って少し右へ歩くと、2、3軒の民家をはさんで登山口がある。左に向かう林道を離れ、ひたすらまっすぐ急な登山道を登っていくと、やがて左に折れて、ガレ場を渡る。上のミントの写真はこのあたり。このあとは山陵直下の10メートルもない断崖を右に見ながら、ゆるく左に巻いていくことになる。広葉樹林の中の歩き。そのちょっと暗い道が尽きて、稜線上の小さな明るい牧草地に飛び出したとき、息を呑む。まだ刈り取りが終わっていなければ、赤、青、紫、黄色のとりどりの花、その向こうにぽっかりと浮かぶ、最高峰トリグラウの白い姿。稜線上のコルにあたるこの牧草地のこの光景には、初めて訪れたとき、心底ゆさぶられたのを覚えている。
道はそこから東に向かって樹林のゆるやかな稜線上をたどる。右手は先ほど下を歩いてきた断崖だ。この尾根には Široka polica シローカ・ポリツァ (「広い棚」)という名前がついている。10数分で、もう一つの牧草地の作業小屋の脇を通って、北にむかって一登りすると、ルードニツァの山頂だ。樹林の中だが、東面は断崖で、眼下にセノジェータの牧草地、その向こうに南北ボヒンを隔てるもう一つの山、シャウニツァ Šavnica が見える。
復路は往路を戻ってもいいし、稜線上の牧草地から北の谷のスターラ・フジーナ Stara Fužina へ降りてもいい。

ハーブの旅からの手紙 1996 南仏篇

2005年5月11日 水曜日

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かつてPeopleという今はなきパソ通の「ハーブガーデン」にポストしたリポート。

「仕事の関係で4ヶ月ほどヨーロッパにおりました。実は野生のハーブを見てくるというのが裏のテーマの一つでした。

「最初に一週間ほど、南フランスを回りました。駆け足でしたが、それでも野生のミント、タイム、フェンネル、マロウが確認できました。本当にみんな野草、ほとんど雑草なんですよね。マロウはそれこそどこにでも生えて、花を咲かせていました。フェンネルもあちこちで見かけました。細く分かれた葉先の一本一本が厚みと艶を持っていて、とても香りの高いものです。特にゆっくり見ることができたのは、F村のペトラルカ博物館の裏手の草地でした。

「こういう野生の植物を「庭」に整形してしまったのがイギリス人、狭いベランダで気候や土壌の違いに悪戦苦闘しながら一生懸命に栽培しているのが日本人ということなのでしょう。ベランダで必死に「栽培」しているのが馬鹿馬鹿しくなります。(もっとも、スイスのローザンヌの駅裏でも、窓辺に置かれた貧弱な料理用ハーブ一式みたいなプランターを目にしました。)

「南仏の名物ラヴェンダー畑は車でかなり入ったところから広がっていますが、6月初旬では残念ながら灰褐色のボサボサした株が並んでいるだけでした。

「かえって寒冷なはずのドイツの街中で、歩道に置かれた石造りのプランターにラヴェンダーやセイジが植え込まれているところが多く、そういうところのラヴェンダーは、5月末から6月でも、意外にも花をつけ始めていました。

「いずれにしても、われわれの多くがあれだけ苦労しているラヴェンダーが、あっけらかんと何の苦もなく元気に育っているのはくやしいというか羨ましいというか」

…現在では、日本の気候に適したラヴェンダーが多く出回るようになり、一般家庭で栽培するのは少しも難しくなくなった。でも1995年ごろ、日本で「ハーブ」がはやり始めたころは、ラヴェンダーを育てるのはとても難しく感じられたのだ。

アスパラガス - Dubrovnik 1

2005年4月18日 月曜日

庭のないアパート暮らしだと、ついこんなものに手を出す。
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近くの「ホームセンター」で購入。紙箱をあけると、ポリ袋の中に土が入っていて、そこに直接水をやっておくと、アスパラガスが伸びてくる。パッケージ写真のような立派なのはもちろん出てこない(世話の仕方が悪かっただけ?)。鉛筆、いや、箸ほどの太さのものが数本収穫できただけ。

…いや、野生のアスパラガスだと思えばいいのだ。

1989年の春にドブロヴニク Dubrovnik (ユーゴスラヴィア。いまのクロアチア)の民宿に泊まったとき、宿のこどもと裏山に野生のアスパラガスを採りにいった。
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ボンの大学にいたときのことで、大学の哲学の先生、ヨーゼフ・ジーモンが主催するニーチェをテーマにしたセミナーが一週間、ドブロヴニクであって、それに参加した。ドブロヴニクは「アドリア海の真珠」。まわりをぐるりと取り囲む城壁とともに、古い町並みがそっくり残っている。
Dubrovnik Online, Travel Guide for Dubrovnik and Dubrovnik Region
Grad Dubrovnik – City of Dubrovnik
歴史的な参考書には、バリシァ・クレキッチ 田中 一生(訳)『中世都市ドゥブロヴニク』がある。

観光案内的・旅行記的な情報は、日本語でもすでにネット上にふんだんに見つかるはずだ。上の Dubrovnik Online には美しい写真集もある。旧市街の外には当時すでにリゾートホテルもあった。そのころはまだユーゴスラヴィア解体前。紙幣にはティトーの肖像があった。ドブロヴニクの町の外、小さな岬の上に、セミナーハウスがあって、当時のユーゴはそういうところに安い価格で国際セミナーを一生懸命誘致していたのだと推測する。

僕にとって初めての「東欧」だった。ボンから寝台列車でウィーンへ。数日いて、リュブリャーナに移動して二三泊し(これが僕にとって本当に初めてのスロヴェニアだった)、そこからまた寝台列車でアドリア海岸に出て、それからきらきら光るアドリア海岸沿いにバスでドブロヴニクまで行った。旧市街のすぐ外のバスターミナルで降りると、民宿の客引きにきているおばさんたちが何人もいた。ルーム、ルーム、ツィメル、ツィメル…。ツィメルというのはドイツ語の Zimmer のことだった。

そういうおばさんの一人につかまって、セミナーハウスにも宿泊施設があることは分かっていたのだけれど、これも面白いか、と泊まることを承知した。客引きに一生懸命だったのだろう、(本来付かない)夕食も食べさせる、とおばさんは約束した。まあ、一二泊してみて、気に入らなかったら途中で出るよ、と言ってオーケーした。僕はクロアチア語はからきしだったから、片言のドイツ語や英語の会話だったはずだ。

おばさんの家は、ドブロヴニクの旧市街からはちょっと離れたところ、バスで数分、それからさらに坂道を上ったところにあった。
男の子が二人いた。立ち入って尋ねたりはしなかったが、亭主の姿は見かけなかった。おばさんは、ちょっと疲れた、キッチンドリンカーのような気配があった。上の子は、中学二年生ぐらい。とてもしっかりしていて、習い始めたばかりの英語をけっこう上手に使いこなし、通訳の役を果たしてくれた。最初、他に客はおらず、夕食はこの家族と一緒に摂った。海辺の町、魚介類がおいしかった。料理にはたいていオリーブオイルをふんだんに使った。

時間のあいていた午後、この上の息子と裏山に野生のアスパラガスを採りにいった。石灰岩の岩がごろごろしていて、わずかに木が生え、下薮の生い茂った道らしい道もない斜面に入っていって、探す。アスパラはやはり細いもので、ひょろひょうろと一本ずつ伸びている。子供は薮の中に次々に見つけて摘んでいく。そのうち僕も慣れてきて、見つけられるようになった。「この人すごいよ、すぐに見分けられるようになったよ」と、帰ってから、子供は母親に報告していた。これもオリーブオイルで炒めて、みんなで食べた。(たぶん続く)

Capsella bursa-pastoris

2005年4月13日 水曜日

Shim-K さんの「菜の花のおひたし」に反応して:

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そろそろ時季は終わりだけれど、ナズナの花のおひたしが美味い。白い花穂の部分だけを摘んで、茹でるというよりさっと湯がいて、芥子醤油で和える。菜の花をずっと柔らかくしたような味わい。ナズナというかぺんぺん草の花を摘んでいる人など他に見たことがないから、案外知られていないのではないか。
もちろん、七草の一つなのだから、根元の方からまるごと茹でてもいいのだが、花のところだけをさっと湯に通すのが、またいいのだ。

これは、この本に教わった。

野草の料理
甘糟 幸子

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現在はこの単行本でしか手に入らないようだが、手元にあるのは1981年の中公文庫版。扉に著者から僕の母あての献辞が1983年8月という日付とともに書かれている。著者には僕は面識はないし、母は直後に50歳少しで亡くなっているから、どういう知り合いだったのか、どういう機会にいただいたのかも分からない。
もともと野を歩くのは好きだけれど、この本のおかげで、四季折々、さらに楽しみが加わっている。

# またカテゴリが増えてしまった…。