‘Germans’ カテゴリーのアーカイブ

Amazon.de の前身のこと

2005年11月21日 月曜日

メインページに改めて amazon.de へのリンクバナーを張り直していて、ふと思い出したのだけれど、そういえば、amazon に買収される前のドイツのオンライン書店は、 ABC Bücher といったのだった。そのころから僕はときどき注文を出していた。

Auf die Hauptseite dieses Blogs wieder den Banner-Link zum “Amazon.de” einfügend, habe ich mich unversehens daran erinnert, dass der Online-Bücherladen damals vor dem Ankauf durch Amazon “ABC-Bücher” hieß. Da war ich schon Kunde gewesen.

96年か97年頃だったか、その ABC-Bücher からメールが来た。販売ページの日本語版を作りたいから翻訳をやってくれないか、というのだった。ドイツの本を注文する人たちはドイツ語でいいのではないか、と尋ねたら、英語で注文してくる人が多いという答えだった。だから日本語のページを作りたいのだ、と。特定のテクストだけで、そんなにすごい量ではなかったし、まあ時間はなんとかやりくりできたから、引き受けることにした。

War es 1996 oder 1997? weiß ich nicht mehr. Die Buchhandlung schickte mir eine E-Mail: Sie möchten eine japanische Seite errichten. Und fragte, ob ich beim Übersetzen behilflich sein könnte. Auf meine Frage, ob die Japaner, die deutsche Bücher bestellen, nicht Deutsch können, kam die Antwort: Die meisten gaben Bestellungen auf Englisch auf. Die zu übersetzenden Texte waren nicht so viel und ich hatte damals noch Zeit. Den Auftrag nahm ich auf mich.

翻訳作業がかなり進んだころになって、ふと気がついた。日本語とドイツ語の特殊文字は共存できないのではないか。当時はまだユニコードが一般化する前だった。その疑念を伝えたとたん、連絡は途絶えた。そして間もなく、ABC-Bücher は Amazon に吸収されてしまった。あのときやりとりしていた相手は今でも Amazon.de にいるのかどうか。オンラインショップのサイトも、まだたかだか家庭的な、手作りっぽい時代だった。

Als ich mit dem Übersetzen ziemlich voran kam, kam mir Zweifel, ob Japanisch und deutsche Umlaute koexistieren können. Zu jener Zeit hatte sich die Unicode noch nicht durchgesetzt. Nachdem ich den Zweifel äußerte, kamen keine Antworten mehr. Und bald danach folgte der Ankauf der Firma durch Amazon. Ob die Leute, die damals mit mir E-Mails gewechselt hatten, noch bei Amazon.de bleiben? Das war so eine Zeit, wo die Online-Läden noch häuslich, hand-made-artig waren.

うーん、スロヴェニア語が一段落したらドイツ語ももう少しブラッシュアップしなくては。(スロヴェニア語では到底この程度にも書けないところがちょっと悲しいが。)しかしこれでも、たとえば当時の ABC の人の目に触れたりしたら楽しい。

うんちしたのはだれよ!

2005年10月10日 月曜日

リュブリャーナから国境を越えて週末に出かけたクラーゲンフルト(オーストリア)の書店で見つけたこのぬいぐるみ、何者か分かりますか?

Maulwurf

ドイツ産のこの絵本のキャラのもぐらくんなのだ。



“うんち したのは だれよ!” (ヴォルフ エールブルッフ, ヴェルナー ホルツヴァルト)

もぐらくんがあたまにうんちをされて、犯人をさがしにでかける絵本。日本語もいい。

ぬいぐるみを見て、一も二もなく買ってしまったことは言うまでもない。うんちがじつによくできている。…って感心していていいのかどうか知らないが、タグを見ると、オランダのメーカーが中国で作らせているようだ。

原作はこちら。machen (する)だけで表現できるドイツ語もすごいと言えばすごい。「だれがあたまにしたのか知りたいと思ったもぐらくんのお話」、という日本語では通じないよね。「うんちしたのはだれよ!」って邦題はそれはそれで見事。



“Vom kleinen Maulwurf, der wissen wollte, wer ihm auf den Kopf gemacht hat, Miniausg.” (Werner Holzwarth, Wolf Erlbruch)

W杯日本代表の合宿地はボン?

2005年10月5日 水曜日

asahi.com によれば、来年のワールドカップ日本代表の合宿地がほぼボンに決まりそうだとか。

ボンが第一候補 06年W杯の日本代表の合宿地

「スタジアムに近く、ホテルもすばらしい」のか…。かつてのべ3年暮らしていながら、スタジアムがどこなのか思い浮かばないし(ボンにサッカースタジアムなんてあったっけ? ケルンがすぐ隣町だということを言っているのだろうか?)、ホテルの話も、いつも短期訪れるときは小さなホテルを選んでいるからピンと来ない。

でも、そう言えば、開催地ケルンのスタジアムには、その昔、たった1回、行ったことがあるのだった。

スタジアムはたしか東西に走る市電のどちらかの終点だった。1988年のことで、日本のJリーグが正式に発足する前だったと思う。ドイツの国民的スポーツ、当時の日本のプロ野球に対応するもの、という認識で、とりあえず、一度行ってみるか、という感覚ででかけた。

もともと集団でやるスポーツに対するセンスのない僕は、サッカー自体には関心がなく、よいプレーを見たとしてもそれと分かるわけでもなかった。とにかくサッカーを観に行くというよりは「ドイツ人が好きなサッカー」を観に行くという感じだった。地元ケルンのチームとレーファークーゼンの試合。たしかレーファークーゼンがオウンゴールで3点失って負け、というひどい(それは僕にも分かった)試合だった。

当時の僕にもはっきり分かったのは、日本よりも階層性の強いドイツ社会で、スタジアムに来る人々も偏っているということだった。いまどきはどういう表現が適切なのか分からないが、ブルーカラーっぽい男たちが圧倒的に多くて、試合中、あちこちから動物的な咆哮が聞かれた。(ドイツ人の男達の深いバリトンやバスの声で唸られると、なかなか迫力がある。)隣の男はそれほどワイルドではなかったが、最初から最後までひたすら Mensch, Mensch! とつぶやいていた。

いわゆるインテリの男たちも、熱狂的なサッカーファンであることには変わりないのであって、家でテレビにかじりついているのだ、と聞いた。でもスタジアムにはやってこない。

89年にベルリンの壁が崩れたとき、ベルリンからはるか西のボンの町では、あまり熱気のようなものは感じられなかった。が、そのあとのワールドカップでドイツが優勝したときは、クラクションをけたたましく鳴らしながら街中を(と言っても中心部は歩行者天国だからその周辺を)走り回る車が何台もあった。

キノコ

2005年8月7日 日曜日

キノコのことを、あまりよく知らない。

先日、近くの低い山に行ったら、ちょうど気候と時期がぴったりだったのだろう、実にさまざまなキノコが生えていてびっくりした。大きなもの、小さなもの、白いもの、茶色いもの、赤いもの、近ごろ店に出るようになったヤマブシタケらしきものも、あれはアミガサタケだったのかなというものもあった。でも目的は別にあったので、ほとんど素通り。

オーストリア出身のペーター・ハントケという作家は相当なキノコ好きでもあって、『反復』“Die Wiederholung” (1986) でもケルンテンの林でキノコを採る話が出て来たし、1000ページ超の「不作法なまでにぶ厚い」作品、『無人の入り江の一年』“Mein Jahr in der Niemandsbucht” (1994) でも、その相当なページ数にわたって、主人公はパリ近郊の森林でキノコ狩りに興じている。1999年の小品、『森のルーシー』 “Lucie im Wald mit den Dingsda” (タイトルは Lucy in the Sky のもじり)になると、ハントケ自身に重なるなんだか情けない父親と、刑事である母親との間に生まれたルーシーという10歳の女の子が、初めは父親のキノコ狂いを嫌っていながらしだいに染まっていき、最後はなぜか投獄されてしまった父親をキノコのおかげで救い出してハッピーエンドになるという、かなり強引なメルヘン。作家自身の手になる10葉ほどのイラストが美しい。

ドイツ人がキノコが好き、キノコ狩りが好き、ということはよく言われているし、どこの町の市場にも、おいしそうなキノコが色とりどりの野菜や果物と並んで売られている。ドイツでは、薬剤師になるにはキノコに関する知識が必須で、人々が、自分で採ってきたキノコを薬局に持っていくと、食べられるかどうか鑑定してもらえる、という話も話としては知っている。薬剤師がみてくれるとは言っても、毎年毒キノコで中毒する人も多いらしい。(ドイツに限らず、フランスとかチェコとか、ヨーロッパの多くの国でこのあたりの事情は共通しているようだ)。でもいくらかドイツで生活したことがあるとは言っても、たかだか1、2年、一度は学生寮住まい、一度は家族とともにアパート住まいをしていただけの僕は、ドイツ人たちのそういう「生活」をあまりよく知らない(南仏、スペイン、スロヴェニアで野生のハーブを探した話やクロアチアで野生のアスパラガスを採りに行った話は以前のエントリに書いたけれど、キノコは未知の世界)。シーズンにホームステイでもすれば、あるいはもう少し腰の据わった家族同士の付き合いなぞすれば違うのだろうし、とにかく一度ドイツのキノコ狩り、やってみたいと思っているのだが。日本でもやればよさそうなものだが、これがなかなか難しい。

日本では一般人(その定義は問題だが)が自分でキノコ採りに行くことはあまりない。ごく少数、ほんとうに好きな人たち、ほんとうによく知っている人たちがいるだけだ、と言って間違いではないだろう。街角の薬局で確認できるわけでもないから、食べられるか否か判定する自信のない人たちにとっては、スーパーで売られているわずかな品種が食用で、山や町や公園で見かけるキノコは無意識のうちにすべて「毒キノコ」だと思ってしまう(思うことにしてしまう)のも無理はない。 「きのこ専門の画家」の小林路子は、こんな話を書いている。東京のとある公園の木の切り株に出ていたエノキタケをスケッチしていると、小学生の女の子と母親が通りかかる。女の子が叫ぶ。「お母さん! きのこがあるよ! ナメコみたいなきのこだよ!」母親は子どもの手をぐっと引いて言う。「毒きのこよ! 触るんじゃないの!」…エノキタケだってのに。小学校低学年とおぼしき女の子の「ナメコみたい」のほうが限りなく正解に近いのだ。この母親の視線はいったい何を見ていると言えるのか。この問題をキノコに限らず僕らがものを見るときの姿勢一般に敷延すれば、お手軽にとても教訓的な結論が得られるけれど、それはここで語るまでもあるまい。

この本の著書あとがきで、小林さんは自分の作品をイギリスの植物園に寄贈した話に関して書いている。「日本は、量、種類ともに、きのこに恵まれた国である。だが、日本の大学には菌類専門の講座もないし、それに、私の絵を大事にとっておいてくれそうな博物館もない。」独自色を出すことに汲々としていながら周囲の後追いしかしていない地方私大あたり、充実した菌類学の学科でも立ち上げてはいかがかとも思う。ロビー活動でもやって法案を通し、卒業生を全国の薬局に送り込む…。もっとも、文系中心で来たところは難しいかもしれないし、何より既存の諸大学薬学部の反撃がすごそうだけれど。

それはともかく、ふと手に取ったその小林さんのこの本、とっても面白かった。



“森のきのこ採り―すぐそばにあるアナザー・ワールド” (小林 路子)

ふとしたきっかけでキノコにのめりこみ、描くキノコ(食用・有毒を問わず)を求めていたるところに出かけていく話が、四季に分けて語られていく。本文のわけの分からない(自己イメージなのだろう)クマちゃんの出てくるモノクロの絵もいいけれど、栞のように投げ込まれたカードのタマゴタケとカバーの折り返しのエノキタケだけがカラーイラストで、それがはっとするような美しさを放っている(こんどこの人のきのこの画集も探してみよう)。何より話の中身が面白い。僕もせめて案外身近にあってかつ売られているものとは全然違うという野生のエノキタケぐらい(もちろん食えるものがいいのだ)、見つけ/見分けられるようになりたい…。

オーストリアの大学

2005年7月16日 土曜日

ドイツの大学に入学試験はない。ギムナジウム(=高校)の卒業試験(アビトゥーア)=大学入学資格試験であって、それに合格しさえすれば、誰でも、どこの大学にでも、原則、入れる。ヨーロッパ諸国の大学は、どこもおおよそ似たようなシステムであるらしい。Abitur にあたるのは、たとえばフランスではバカロレア。これは学生にとってもメリットが大きそうだが、大学関係者としては特にうらやましいシステムだ。膨大な入試業務の負担を免れ、本来の教育や研究に注力できるのだから。日本の「センター試験」というのは、その失敗した類似品だと言える。

それはともかく、このシステムは、ヨーロッパ全体でほぼ同じとはいえ、外国人学生の受け入れに関しては、各国で微妙に違っていたようだ。
それで、EU裁判所が、オーストリアに対し、自国の学生と同条件で外国人学生を受け入れよという勧告を出した。
Österreich muss Unis für Ausländer stärker öffnen | tagesschau.de

オーストリアは、外国人には、出身地の大学の学籍がないと、国内の大学で学ぶ資格を認めなかった。つまりたとえばドイツ人学生は、アビトゥーアは通っていても、いったんドイツの大学に籍を置かなければ、オーストリアの大学で学ぶことはできなかった。

日本人学生の場合は、日本に高校卒業試験=大学入学資格試験というのがないため、日本でとにかくどこかの大学に入りさえすれば、アビトゥーアを取ったものと見なされ、たとえばドイツではあとドイツ語試験に通りさえすれば、あちらの大学に入ることができる。つまり(高校まで日本で過ごした)日本人があちらに行く場合、どのみちなんらかの大学に入ったことをもって入学資格に代えるのだから、関係ないのだが、ドイツでは、アビトゥーアを取りさえすれば大学に入れるとは言え、一部の人気学科(法学、心理学、医学など)にはNumerus claususと呼ばれる定員制限があり、一応アビトゥーアを取っても、成績如何では順番待ちになる。つまり入学資格は持ちながら、大学に入っていない人たちがいるわけだ。そしてオーストリアの、本国の大学に籍を持っていなければ外国人の留学を認めないというシステムは、そういう人たちにとっての障害になるのだった。

もし今回の勧告に従えば、外国の、とくに言語障壁のないドイツの学生が、本国の Numerus clausus を避けて、対応するオーストリアの大学の諸学科にどっと入ってくるのではないか、とオーストリアは戦々恐々としている、ということらしい。

Die Entdeckung der Currywurst

2005年7月12日 火曜日

この前、カレーソーセージをネタにしたら、Uwe Tim による小説、4309204392.09._PE_SCMZZZZZZZ_.jpg
『カレーソーセージをめぐるレーナの物語』
の邦訳が出ていて、この浅井晶子さんの翻訳であわてて読んだ。レーナと呼ばれるある女性の愛の物語が、一般に流布しているベルリン起源説とはちがった、ハンブルクを舞台としたカレーソーセージの起源神話となり、それがさらにそのまま戦中戦後のドイツの歴史の語りにもなっている。一人の女性に焦点化した戦争時代の物語という意味では一頃までのNHKの朝ドラに重なるのだが、ウーヴェ・ティムのストーリーテラーとしての力は確かなものだし、翻訳もなかなかいい。訳者とともに、自分は「本物の」カレーソーセージを食べたことがないのかも知れぬ、という気にさせられる。

ドイツ関連本

2005年7月5日 火曜日

サッカー・ワールドカップやら「日本におけるドイツ年」やらで、一般向けのドイツ関連の本が少し増えているようだ。そんな中からたまたま目にとまったもの。

ドイチュラント ドイツあれこれおしながき
輸入雑貨店の店頭で見つけて手に取った。つまりそういう店に似あう本。著者のアンテナにひっかかったものを並べた、目一杯偏ったドイツ紹介。それがそれで面白い。5年前ドイツで暮らし始めたとき自分とドイツを結ぶものと言えば「ケストナーだけ」だったという著者、「いつも〈今日はどんな切り口でこの国をこの街を味わおう〉かと考える。喫茶店のメニューを眺めるときのあのわくわく感がたまらなく好きだから、同じように書き並べてみた。ドイツの魅力的なあれこれを」、という冒頭の文句にこの本のコンセプトが要約されている。ベルリンのカフェ、ベルリンの熊たち、カール・マルクス・アレー、ベルリンの書店、ドレスデンのケストナー博物館、E. O. プラウエンの『おとうさんとぼく』、ドイツの古本、ドイツのレコード、ザントマン、ニュルンベルクのクリスマスの市、犬の街ベルリン、エーリヒ・メンデルスゾーンの建築、ベルリンの蚤の市、などなど。写真などのグラフィックが美しく、いっぱいに開いて見たい本なのに、製本が粗末で、ページがばらけやすいのが難点。なお、65ページの、ビリー・ワイルダーが1954年版の『エーミールと探偵たち』を監督したというのは誤りだろう。前のエントリで触れたが、31年版の脚本を書き、54年版にはそのまま台本作家として名前がクレジットされているだけだ。監督はいずれも別の人物。

ゲルマンQ―ドイツ語初心者向け雑学クイズ
新書サイズで黒赤黄の思いきりキッチュなカバーデザイン。「日本におけるドイツ年 2005/2006」参加作品、だそうだ。要するに外来語として何らかの形で日本に入っているドイツ語の単語を主なネタに、260あまりのミニ・クイズに仕立てたもの。知るということが未知のものを既知のものに還元していくことだとするならば、謳い文句通り、「ドイツ語初心者」の語彙学習にはこの本は確かにプラスになるだろう。いや、僕が気がついていなかったものもいくつかあった。
帯に引用された「この本を読んでみるとドイツ語が頭の中に入りやすい気がしました」という高原直泰の文句が微妙に正直でいい。「気がしました」…。

Asterix

2005年7月3日 日曜日

以前にドイツ語版『ヒカルの碁』に関するエントリでちょっと触れたけれども、日本のコミックやアニメがどっと入りだす以前、ドイツで一番知られていたマンガは『アステリックス』ではないかと思う。ストーリーマンガの文化が貧困なドイツのこと、これもオリジナルはフランス産。オリジナルの最初の出版は1959年のことで、もはや古典と言っていい。およそ30巻が出ている。

一昔前は、ドイツの駅の売店にはどこでも置いていたが、さすがにいささか古く感じられるようになってきたようだ。それでもドイツではまだまだがんばっていると言えるのではないかと思う。(どちらかというと、本家フランスのほうでやや勢力が弱まってきているように思う。)剰え、ドイツ版は、標準ドイツ語のみならず、各地の方言版まで出版している。シュヴァーベン方言版アステリックス、ベルリン方言版アステリックス、ケルンテン方言版アステリックス…

時はローマ時代。いまのフランスにあたるガリアのほとんど全土がローマ軍に支配される中、ブルターニュ地方のある村だけはローマ軍に屈せず、むしろローマから来た連中を蹴散らし、自立を守っていた。その村の若者二人、アステリックスと相棒のオベリックスが物語の中心。

もう十年ぐらい前のことになるけれど、僕がドイツで暮らしていたとき、このアステリックスのドイツ語版を片っ端から読んだ。ローマ時代特有の事柄を指す語彙も多く登場するのだけれど、それより、ほどほどに口語的な表現をこの漫画からずいぶん学んだ。
Ich bitte dich! とか、Wenn ich daran denke, dass… とか。

かなり前のことだが、日本でデーブ・スペクターという妙に日本語の流暢なアメリカ人タレントがいて、日本語はマンガで学んだ、と言っていた。むべなるかなと思ったものだ。

ドイツでも人文主義教養がすたれて久しく、ドイツの大学生が知っているラテン語はこのアステリックスに出てくるフレーズだけだ、などとも言われていた。Alea jacta estとかね。ラテン語はともかく、実際、ドイツの大学で学生仲間にアステリックスの話題を持ち出せば、100パーセント通じた。そういう点でも、アステリックスは役に立った。

ストーリーは、イラストのSempeと組んで書いたあの名作児童文学〈プチ・ニコラ〉の作者ゴシニー(1926-1977)。面白くないわけがない。(Folio Juniorシリーズで出ていた〈プチ・ニコラ〉シリーズのオリジナルも片端から読んだものだ。)絵はユデルゾ(1927-)。このユデルゾの絵が巻を追うごとにどんどん巧くなっていくのも面白い。このユデルゾ、どうやら色覚異常だったようで、1巻目の彩色は目茶苦茶なのだが、その後、色のほうは助手に任せたらしく、まともになる。残念ながらゴシニーのほうは1977年に早世し、その後、ユデルゾ一人で何卷か出すのだが、ストーリーの面白さは明らかに劣っている。

私見では、二人三脚の油がもっとものっているのがスイスやベルギーを舞台にした卷あたりではないかと思われる。

オリジナルのマンガやアニメが充実しすぎている日本では残念ながらあまり知られていないけれど、アステリックスの世界的な知名度というのは相当なものだ。アステリックスには全世界にコレクターが存在する。色々な言語で出されているのを収集するのだ。僕もドイツ語版全巻のほか、フランス語オリジナルも含めて10カ国語ぐらい、1、2冊ずつ持っている。もちろん英語版も出ているし、時代設定にふさわしく(?)ラテン語版もある。日本ではほんとうにマイノリティだけれども、それでもこんなファンサイトが存在する。また、マンガそのものは知られていないのに、Asterix のキャラを使ったフランス語や英語学習用のCD-ROMも一時日本版が出されていた。

2、3年前の正月、NHKがアステリックスの3話ほどを、吹き替えで放映していた。残念ながら翻訳台本もダメダメ、声優もセンスなし。あれでは、これだけアニメの発達した日本で売れるわけがない。もっとも、なんらか古代ローマのイメージが身近にあるヨーロッパ各国と違って、日本の読者にはローマ軍だのは疎遠すぎ、そういう基盤の点でそもそも少し入りにくいのだということも言える。

日本語で売る話はさておき、フランス語やドイツ語の勉強をしている人には、ぜひそれぞれの言語バージョンのコミックを読むことをお勧めしたい。日本のコミックのドイツ語版/フランス語版を読むのもいいけれど、別の文化的な背景に接することができる点では、あちらのマンガのほうがいい。(ちなみに、アルゼンチン原産の4コママンガに Mafalda マファルダという女の子が主人公の同名のマンガがあって、これもドイツ語版も出ている。これもとてもよい。もちろんスペイン語を知るためにオリジナルを読むのもいいだろう。)

Currywurst – カレーソーセージ

2005年6月22日 水曜日

ドイツの街角の屋台で買って食べるソーセージが美味いことは知られている。ってか、それしかないかも。

Die Rückkehr der Currywurst
Brandenburger Tor: Der heiße Kampf um die Currywurst – Reise – SPIEGEL ONLINE – Nachrichten
などの記事によれば、ベルリンの中心部、ブランデンブルク門に近い官庁街でやっていたソーセージの屋台、場所柄に相応しくないなどの議論があって長年存続が争われていたが、このたび公式に営業が認められ、20日、改めて小さな新しい屋台が開いたという。店は国会議事堂とブランデンブルク門のちょうど中間、エーバート通りにあり、屋根に書かれたスマイリーつきの “Wurst :-) ” で遠くからもすぐに目につく。
再開にあたっての営業権獲得に際しては、30あまりの応募者から、このエルケ・ツィーシャンというおばちゃんが選ばれた。Spiegel が載せている、”Für die Noch-Regierung ist das die politisch korrekte Currywurst” というせりふがいい。どうにかまだやっているらしいあの政府にとってはこれが政治的に正しいカレーソーセージなのよ。抗生物質も着色料も使わない豚のソーセージ。さらに、毎週ドイツのちがった州の特産ソーセージを売る。
初日、最初の政治家のお客は、SPDの元司法相、ヘルタ・ドイブラー=グメーリンだった。首相のシュレーダーと消費者保護相のレナーテ・キューナストは招待してやったのに来なかった。
値段は、普通のもカレー味のも2ユーロ50。二人の店員とともに、一日平均500本を売る。

少しだけ別の話題の、この記事
NETZEITUNG DEUTSCHLAND: Berlin bekommt ein Currywurst-Museum
によれば、2006年3月末、ベルリンに「カレーソーセージ博物館」が開館するらしい。私立博物館で、詳しい場所は明らかにされていないが、「マルチメディア」を使った施設で、もちろんその場でソーセージを買って食べることもできるという。

なんでも、カレー味のソーセージを初めて売ったのが1949年のベルリン、カント通りとカイザー・フリードリヒ通りの角にあったヘルタ・ホイヴァーというおばちゃん(いや、当時の年齢まで調べたわけではないから女性、と書くべきか)の屋台であったとかで、そこにはすでに記念プレートが掲げられているようだ。

しかし、日本にラーメン博物館があっても分かるが、ドイツのカレーソーセージの博物館って、ちょっと貧しすぎやしないか。たとえばマルチメディアを駆使した大阪たこやき博物館、なんて、想像できるだろうか? (いや、なんか、本当に存在していそうでこわい。)ま、カレーソーセージ博物館、どんなものができるのかは見てのお楽しみかもしれない。

Tanzen, tanzen!

2005年4月10日 日曜日

tanzen.png

ボン大学のオーケストラにいたとき。あの事務局の奥の練習場で打ち上げをやった。
やがて、だれかがラジカセで音楽を流して、ダンスが始まった。けっこう踊れる学生が多い。僕は見ているしかなくて、少し口惜しかった。彼らが踊れるのは、習ったから。

ここでダンスというのは、いわゆる社交ダンスの類い。

- ラテン系の人々は人間ってのは生まれつき踊れるものだ、ダンスなんて習うものではない、と確信していて、実際踊れる。(以前に紹介したアキン監督の映画『ソリーノ』の末尾で、白血病のはずの母親が息子の結婚式で楽しげに踊るシーンなども印象的だった。)
- ドイツ人はダンスは習うものだと思っていて、子供の頃、ダンス教室に通わされるから踊れる。
- 日本人はダンス教室に行かなければ踊れないと思っていて、かつ普通は習いにいかない。従って踊れない。

例によってこの手の一般化というのはおもしろがるためにある。認識のためではなくて娯楽のため。だから、あまり信じ込みすぎないように気をつけなければいけないけれども、ドイツの町ではよくダンス教室の看板を見かけるし(Web 上でも ‘Tanzschule’ で検索をかけるとごまんと出てくる)、ドイツ人が子供の頃ダンス教室に行かされるというのは大方事実のようだ。

ドイツ語の Podcasting、Schlaflos in Münchenが、先日(4月1日)、そのダンスを話題にしていた。男の子が15歳くらいになると、母親がダンス教室に行かせる。女の子にモテるように。ところが近頃は女の子の方が踊れないので、男の子がせっかく習っても…という話。

追記:Schlaflos in München はhttp://www.annikrubens.de/に引っ越したようだ。

追記その2:
イタリア人にとって、ダンスが習うものではないのと同様、音楽(歌)も習うものではないらしく、小学校に音楽の授業は無いそうだ。一貫している。