およそ十年前、最初の子供が生まれたばかりの頃、ボンに再び1年間住んだ。住まいは、中央駅の裏手の、Musikerviertel 音楽家地区と呼ばれるあたりに見つけた。弦楽器工房が一軒あることはあるが、別に音楽家が集住しているとか、そんなことはまったくなくて、たんにその辺りの通りの名前が、作曲家の名前を冠するものが多いだけだ。(日本の住所は「ブロック」制だが、欧米の住居表示は「通り」が基準になる。)3、4階建ての集合住宅の連なる、まあ、「閑静な住宅街」だったかと思う。
住んでいたアパートは、ヴェーゼンドンク通りとリヒャルト・ヴァーグナー通りの角にあった。アパートの、それもまさにわれわれが住んでいた1階の部屋の外壁には、マティルデ・ヴェーゼンドンクが、晩年の一時期、ここに住んでいた旨を記したプレートが打ち付けられていた。
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このあたりの街路名がいつ整備されたのか分からないが、おそらく、ヴェーゼンドンクが住んでいた場所から北にのびる通りをヴェーゼンドンク通りと名付け、それに直交するやや長い通りをリヒャルト・ヴァーグナー通りと名付け、ついでに付近の通りにも音楽家の名前を付けていったのではないかと推測する。「モーツァルト通り」があり、その1番地は「ホテル・モーツァルト」という家族経営のこじんまりしたホテルで、ボンに出かけるときは以前からしばしば利用していた。「ベートーヴェン広場」があり、その近くには「ベートーヴェン薬局」があった。ボンはベートーヴェンの出身地だが、この界隈が何か取り立ててベートーヴェンにゆかりがあるということはなかったはずだ(通りの名前は「リスト通り」)。
ボンの「中央」駅は、旧市街のはずれにある。そこからほど近いところに「旧墓地」があり、よく知られたシューマン夫妻の墓や、ベートーヴェンのおっかさんの墓などがある。ずっと前に書いた掃天星図のアーゲランダーの墓もここ。
駅の裏手、旧市街とは反対側の「音楽家地区」は、ボンから、かつては別の町というか村だったエンデニヒに行く道筋に当たる。エンデニヒは、1904年の合併で、ボン市に含まれている。そのエンデニヒにあるのが、シューマンハウス。晩年のローベルト・シューマンが入っていた精神病院。今は1階と2階の一部が市営の音楽図書館、2階の残り部分がシューマン記念館になっている。「音楽家地区」のわが家からシューマンハウスまではさほどの距離ではなかった(今地図で確かめたら800mほどだ)から、よく自転車で通った(特に自転車用に整備された道もあった)。ベビーカーを押しながら、バスで行くこともあったし、散歩がてらに歩いて行くこともあった。シューマンハウスでは楽譜や音楽関係の文献をよく借りた。市立図書館共通の利用カードがあって、それがここでも通用した。
エンデニヒには、ベビー用品店や、自然食品店もあって、そういう店にもよく行った。生まれたばかりの赤ん坊を抱えていたからでもあるし、自然食料品店では多少高価ながら日本の食材もそれなりに置いていたからだ。
とにかくよくベビーカーを押して散歩にでかけた。
「間もなく[...]男はこどもを街のあちらこちらへ長い散歩に連れ出すようになった。いつも行っていた雑踏の大通りとは反対の方向に歩いていくと、単調な古くほの暗い地区が、地面にはさまざまな色彩がさし、舗道には空が照り映えて、これまでこの街のどこでも見たことがないような姿を現す。こうしてはじめて、そしてまた歩道と道路の間で梃子のように乳母車を上げ下ろしする動きとともに、この街は「こどもの生まれた街」となる。」(ペーター・ハントケ『こどもの物語』)
ハントケのこの「街」はおそらくベルリン。僕らがいたのはボン。僕らの子供はボンで生まれた訳ではなかったが、生後すぐだったし、以前に1人や2人で滞在した時とは、街は明らかに違って見えた。「歩道と道路の間で梃子のように乳母車を上げ下ろしする動き」などは、ハントケならではの現実のキャプチャのしかただと思うが、つよいリアリティをもって読めた。(日本の街路、華奢なバギーでは、これは感じられなかったかもしれない。)
「ベートーヴェン薬局」のならびにギリシャ人のやっているSirtakiというギリシャ料理屋があって、時々お世話になった。ギュロスやスブラキが美味かった。テイクアウトもできた。ギリシャ料理につきもののウゾ。僕はギリシャに行ったことがないのだけれど、ドイツのギリシャ料理屋はたいていどこでも、無料で食前酒に出してくれた。店に行ってテイクアウトを頼んでも、待っている間ウゾが出てきた。ドイツ人客たちはいったいに蒸留酒=アル中の飲むものと思っているふしがあって、あまり飲もうとしないようだった。ギリシャ料理屋の店の人々は、僕らが飲むと、うれしそうな顔をすることが多かったように思う。
周りが住宅ばかりのリヒャルト・ヴァーグナー通りには、キオスクが一軒と、それからあと1軒だけ、スペイン人がやっているスペイン料理屋があった。ギリシャ人のギリシャ料理、スペイン人のスペイン料理は、ある意味で、ドイツに住む時の楽しみだ。ジビエやウサギを食べた記憶もある。ドイツ料理では考えられない、日本料理のような、魚の塩焼きもあって、とにかく肉も魚も美味かった。気候のいいときは白い壁に囲まれた裏庭の席で、寒いときや悪天候のときは屋内で、食事をした。バギーに乗せたままの、生後1年に満たなかった子供に、デザートのクレム・カタランを一口与えたときの、まるで「この世にはこんな美味しいものがあったのか」とでもいうような目の輝きが、忘れられない。2、3年経って訪れたとき、店は凡庸なイタリア料理屋になっていた。あのスペイン人たちはどこへ行ってしまったのだろう?











