‘リュブリャーナ日記 2005/06’ カテゴリーのアーカイブ

近況

2006年3月7日 火曜日

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二月末、シュコフィヤ・ローカの城にて
リュブリャーナ滞在もあと10日を切ってしまった。このブログを始めたのが昨年の2月19日だったのだが、一周年もいつの間にか過ぎ、下書きのまま放置しているものも含めるとエントリは300を超えた。日本の関東地方ではようやく春一番が吹いたということだが、こちらの冬と春のせめぎあいは一進一退。

2月の後半、かなり気候が緩んで、もう冬はおしまいかなと思ったら、よりによって冬を追い払うはずのクレントヴァニェやカーニヴァルの直後から、また何度か雪に見舞われ、一昨日はリュブリャーナでおそらくこの冬一番の大雪だった(クレントたちが余計な騒ぎをしなければ冬はおとなしく退散したのかも、という気になる)。それでも、いったん降り止めば、少しずつ気温は上がっているので、雪の消えるのも早い(微妙な湿り気のせいで、降ると真冬よりも木々にはぼってりと雪が付く)。日本語では「ひと雨ごとにあたたかくなる」と言ったように思うが、こちらでは「ひと雪ごと」なのか。

もっとも、昨年に引き続き、「異常気象」なのかもしれない。昨年のスロヴェニアは、1月2月が暖かいと思ったら3月にひどく冷え込んで大雪になったと聞いた。今年もそれに近いものがあるかもしれない。

日本への引っ越し準備はじたばたするばかりでいっこうに進まない。

こちらでやるつもりだった仕事は二度にわたるデータ喪失のおかげもあって五分の一も片付かず、スロヴェニア語の習得も家族連れのせいで(ということにしておこう)予定の五分の一程度。まあ、人生なんてそんなものか。もうちょっと、誰にも分かる、分からない人も分かる勲章を取ることに熱心にならなければいけないなあとは思うのだが、なにせ Schlaraffenleben だから。

リュブリャーナ近くの3つの古都 (1) クラン Kranj

2006年3月6日 月曜日

リュブリャーナからいずれも25キロ程度の距離に、三つの古い町がある。クラン、シュコフィヤ・ローカ、カムニク。三つとも旧市街は中世の面影を残し、三つともかつて交易拠点としてまた手工業の町として栄え、三つとも近代に鉄道が通され、19世紀から20世紀に工業都市として発展した。

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プレシェレンの書斎

2月半ば、クランの町にでかけた。

プレシェレンは晩年、と言っても40代だが、クランの町でようやく弁護士として開業して生活していた。たった3年たらずで亡くなる。当時彼が住んでいた家が、よくあるように、記念館として公開されている。

入ってみると、小学生の団体が2グループほどいて、ガイドの説明を聞いていた。他には客はいなかった。

英語やドイツ語で出版されている多くのガイドブックが、ここの展示に添えられた解説はスロヴェニア語ばかりだから、スロヴェニア語の分からない人は行ってもあまり得るものがないかも、と書いているのだが、そういう状況は最近になって変化したようで、少なくとも各室に置かれた大きなパネルは、スロヴェニア語と英語の二言語になっている。これでわれわれのような無学文盲なものでも展示を楽しめる。

受付兼ミュージアムショップの店員みたいなおばちゃんに、スロヴェニア語が分かるの? と聞かれ、一応、少しね、と答えるとたいそう感激してくれた。リュブリャーナではさすがにそういうことは少なくなってしまったけれども、ほんのちょっと離れたクランではまだこういうことがある。英語はそれほど達者ではないけれども、とても親切で、次々に色々なパンフレットをくれたうえに、ほんの話の糸口のつもりで「麗しきヴィダ」の英訳か独訳は置いてないんですかと尋ねると、必死で探してくれたし(結局なかったが)、ここクランでおいしい地元料理の食べられるレストランはどこですか、と家人が片言のスロヴェニア語で尋ねると、わざわざ出てきて、百メートルあまり離れたおすすめレストランの前まで案内してくれたりした。(結局子供を迎えに昼過ぎに幼稚園・小学校に行かなければならないわれわれは、町をうろうろしているうち、そこで食べる余裕はなくなってしまって、入れなかったのだが。ちなみに、彼女が教えてくれたのは、旧市街に入ってすぐ左手の gostilna Kot。)

kranj01.jpg街から見るカラヴァンケの山並み

kranj02.jpg聖カンティアヌス教会 Sv. Kancijan 入り口上部の「オリーブ山」のレリーフ

kranj03.jpg同教会の天井

kranj04.jpg同教会。壁の装飾。

kranj05.jpg中央広場の家に描かれた聖フロリアンの絵。1750年と記されている。

クランは、リュブリャーナからバスで30分あまり。ボヒンなどの山岳方面に向かう時に何度となく通っているのだが、これまでは素通りだった。しかしバスの車窓からは見えなかった旧市街はとても魅力的だし、人が優しい(ヒマ?)。リュブリャーナからほんの数十キロで、カラヴァンケの山々がぐっと近くなり、町から見る山並みもとても美しい。

Cankarjeva ulica 4 の民芸・美術品店 M-Arts は、品揃えがちょっと洒落ていて薦められる。

リュブリャーナのカーニヴァル

2006年3月5日 日曜日

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プトゥイのクレントを見て、グラーツから帰った翌日、2月25日土曜日が、リュブリャーナのカーニヴァルだった。
半月ほど前から、デパートでもスーパーでも199トラルショップでも文房具屋(!)でも、やたらに変身グッズ、仮装グッズが売られていて、ここのカーニヴァルはどういうことになるのだろうかと思っていたら、「本番」はこの土曜だった。その少し前から、街には仮装してふらふら歩いている子供や親子連れを見かけるようになった。

会場は、例によって、青空市場南東の交差点からプレシェレン広場まで。例によって、ここを通るバスは迂回になる。プレシェレン広場の薬局前には臨時のステージが造られる。11時過ぎ、空砲を撃つ黒覆面の男と巨大な頭の警官二名とニワトリ二名の露払いでパレードが始まる。ニワトリは、鶏の羽をまいて歩く。いいのか、人々がトリに戦々恐々としているときにこんなことして。
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そのあとに、色々な学校や周辺の村の農協などのグループの仮装パレードが続く。

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pust05.jpg「クリム観光協会」の「ケケッツ」グループ。トラクターに牽かせた「山小屋」と一緒にやってきた。

pust06.jpgクレントたちもいた。「本場物」と違って腰の振りが今イチ(?)

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ドイツのライン地方、ボンのカーニヴァルは何度か見た。ここリュブリャーナでは、ボンのように大きな山車が動いて、「カメレー」と意味不明のかけ声をあげる人々の上にお菓子を撒いてくれるわけでもなく、練り歩く区間も短いが、それでも何より、沿道に立って見物する人々が心から楽しんでいるようで、いい表情をしていた。

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週明け火曜、子供を小学校に迎えに行ったら、クラスの子供たちはみんなウサギだのカエルだのライオンだのチョウチョだのに化けていた。どうやら一日中、この格好で授業を受けていたらしい。

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カーネーション

2006年3月4日 土曜日

ながらく自前の国家を持たなかったゆえに言語こそがアイデンティティの拠り所であったとされるスロヴェニアは、しかしもちろん、デザイン言語においても独自のものを持っている。プレチニクの建築言語も独特だけれど、民衆レベルではたとえばこれ。
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これは観光客相手の土産物屋で売っているテーブルクロス/飾り布/ハンカチ。あちこちで見かけるが、これはプトゥイで購入。

nagelj.png(出所)

カーネーションはスロヴェニアではことに好まれて national symbol (国花、という日本語にしていいのだろうか?)となっており、地方の民家では、ゼラニウムやペラルゴニウムなどと並んでしばしば窓辺に飾られる。

上のデザインは歴史があり、このような形で様式化されたものが最初に現れたのは16世紀であるとも言われる。先が三つに分かれた赤い花弁を並べたデザイン。茎や葉は、緑のこともあるが、多く青が使われる。伝統のある意匠なのだ。ゆりかごなどの木工品にペイントされているのがよく見られる。しばしばマリアの絵や IHS の組文字とともに描かれて、「神の贈り物」である子供への愛を表す。

carnation_paint.jpgこれはスレドニャ・ヴァス(ボヒン)の宿のレセプションの扉にペイントされたもの。

carnation_copper.jpgこれもスレドニャ・ヴァスにて。民家の壁に飾られた銅製の飾り。

スロヴェニアを訪れたら、このカーネーションを探して歩くのも面白い。

赤いカーネーションは慈愛と愛を表す。ローズマリー、ゼラニウムとともにカーネーションを使ったコサージュは、愛と忠実と希望を表すものとして、女の子たちが、兵役に行く男の胸に着けたものだという。

参考:
Slovenska Zamenja

Meanings & legends of flowers

プレチニク Plečnik (2)

2006年3月4日 土曜日

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リュブリャーナの街の南寄り、トルノヴォ Tornovo 地区に、プレチニクが住んでいた家があって、現在そこはプレチニク記念館になっている。街の中心部から歩いて行ける。火水木の10時〜14時と、16〜18時、土曜の10時〜14時のみ開館。ガイド付きツアーでのみ見て回ることができる。学生500トラル、一般1,000トラル。

2月の半ば、このプレチニク記念館に出かけた。

受付には無愛想なおばさんがいた。一人1000トラルを払い、少し待つと、ガイドが現れた。笑顔のとても魅力的な二十代の女性。こちらが片言のスロヴェニア語を使うと、ああ、分かるんですね、私の言葉でガイドしましょうかと言われたが、やっぱり英語にしてくれと頼む(情けねー)。

建築家は自分の住まいも好きなように改造している。南側、ガラス張りの温室風のスペース。真円形の仕事部屋。壁の形状にぴったり合わせた折りたたみの小テーブル。三本橋の下流、市場に繋げて造るつもりだったらしい「肉屋橋」の模型も興味深い。残念ながら館内は撮影禁止。

プレチニク記念館とは別に、リュブリャーナ郊外のフジーネの城館に、「リュブリャーナ建築博物館」が設置されている。「建築博物館」とは言っても、常設展はプレチニクのみ。その仕事が、ウィーン時代、プラハ時代、リュブリャーナ時代に分けて、モノクロ写真のパネルと、彼の設計図とで、通観できるようになっている。ここはガイドなしで勝手に見て回る。20番のバスで、終点 Fužine 下車。

fuzina.jpgFužine 城はリュブリャーニツァ川に面している。

fuzine_hof.jpg城の内庭。奥の塔状の部分が入り口。

fuzine_most.jpg城のすぐ脇、プレチニクっぽいデザインの橋。

fuzine_ljubljanica.jpgその橋から見たリュブリャーニツァ川。市内と違っていい表情をしている。

Arhitekturni muzej Ljubljana のサイトで、プレチニク記念館 Plečnikova zbirka とフジーネ城 Grad Fužine の情報が得られる。(スロヴェニア語/英語)

旅の備忘録 グラーツ

2006年3月3日 金曜日

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プトゥイのクレントたちを見てすぐ、19:03の InterCity246 で Pragersko 乗り換え (19:17-19:35)、IC502 で 19:52 マリボル帰着。クレントヴァニェで混み合うことも予想して、プトゥイ泊にしなかったのだが、平日のこの日は、案に相違して人出も決して多くなく、イベント自体、地元の人たちのお祭りというなごやかな雰囲気だった。たぶん、週末や、カーニヴァル本番の火曜あたりは、かなりの人が集まるのだろう。

翌23日木曜、10:20 の列車で国境を越え、まだ行ったことのなかったグラーツ(オーストリア)に向かった。グラーツまでは一時間ほど。例のヴィザ問題を抱えているので、オーストリア側の官吏に、入国スタンプを捺してくれとわざわざ頼む。言わないと、何も捺さずにパスポートを返してくることがある。

グラーツの宿は決めていなかった。

中央駅前の停留所に3番の市電がちょうど停まっていて、運転席のおばちゃんに中心部に行くかと尋ねると行くというので、飛び乗る。ついでに、ツーリスト・インフォメーションに行くにはどこで降りればいいかと尋ねると、あまりよく分からない様子で、とにかく Jakomini Platz が中心部だ、そこで降りりゃいい、というお返事。実際は、一つ前のほうが近かった。

ともかくツーリストインフォに行き、ホテルを紹介してもらう。家族連れ一部屋で泊まれるような選択肢は案外多くはなく、3つか4つの中から、Hotel Weizer を選んで連絡を入れてもらう。こういう「飛び込み」は、子供連れで動くようになってからはやったことがなかったが、まあまあうまくいった。

Hotel Weizer は、旧市街の中央広場から橋を渡ってすぐのムール川沿いにたつ中規模の4つ星ホテル。ツーリストインフォからも歩いて5分程度。一番上の写真は客室からの夜景。

タカコ・メロジーさん流にレセプションの男性を品評したくなる。中背、やや細面で総ひげながらとてもにこやかなマティアス。歳は三十代半ばぐらいか。非常に如才ない。この街で子供用の玩具を扱っている店はどこかと尋ねると、即座に必要な答えを返したうえで、出かけようとするこちらに向かって「お金は十分持っていますか?」と来る。─だといいんだけど。戻ってくると、何やら黒服の男たちがレセプション前に七八人も立っていて応対している隙間からこちらの姿を見つけてさっと鍵を渡してくれて、その上、「出費しましたか」。─もう破産しちゃったよ。

オーストリアには宮廷社会の Diener の優れた伝統が生きているのかもしれない。…といった複雑性の縮減というか要するに単純化は、健康のためにはいいのだけれど、副作用もあるから気をつけなければいけないが。

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部屋にあったこの札もちょっと感心した。修理の必要だと思われるところがあったら裏面に書いてドアの外に掛けておいてくれという札。

世界遺産になっているこの街については、日本語でもあらゆる形で紹介されているから、ここでいちいち書くには及ばないだろう。このあたりも、スロヴェニア系の人々の混住地域。街でも時折スロヴェニア語が聞こえた。

年末にドイツに行った時もそうだったけれど、リュブリャーナで物質的にふだんさほどの不自由なく暮らしていても、こちらに来ると、ショーウィンドウにあふれる商品に圧倒される。そういうところは、スロヴェニアは、よきにつけ悪しきにつけ、まだまだ地味だ。

しかしまたグラーツの街には、物乞いの姿もスロヴェニアよりはるかに目立ったし、広場の片隅にビール缶やワインのボトルを抱えてたむろしている青年〜中年の男女も目についた。それでも、彼らは彼らで勝手にやっている感じで、決して(たぶんふつうは)人に絡んだりする感じではなく、街全体の雰囲気が悪いわけではない。住んでみたらまた違うかもしれないが、旅行者には(たとえば旅行者ズレしているウィーンなどと違って)、おだやかに親切に接しているように感じられた。たった一日の印象だから、あてにはならないが。(実は今回の滞在地を決めたとき、リュブリャーナ以外の選択肢として、グラーツも入っていたのだった。)

昼食は、中央広場の片隅に新しげな Tokyo という日本料理屋があるのを見つけて、まあ久しぶりだったし、入った。スタッフは中国系ばかりのようで、大方、競争の激しい中華をやめて和食レストランに切り替えたのではないかと推測された。料理は、インチキな割には頑張っているかなという感じ(グラーツにはもう一軒もっとまともな日本料理屋があるらしい)。

城山にケーブルカーで登る。城山の多くの遊歩道が、冬季の凍結による危険を避けるためだろう、閉鎖されていた。名物の時計塔、旧市街の眺め。有名なフィットネス階段は通行できたが、城山の縦穴を降りていくエレベーターを使った。ケーブルカーもエレベーターも市電やバスの24時間チケットで乗れる。夕食は『地球の迷い方』にも載っている Sackstr. 10 のAltsteirische Schmankerstubeで。

翌日は、Hofgasse の老舗パン屋を覗いたり、王宮あとの建物の有名な二重螺旋階段を登ったりして、さらにその裏手の市立公園 Stadtpark まで歩いた。実はグラーツもハントケ絡みで、作家はここで法学部の学生をやっていたのだった。長編デビュー作『雀蜂』が西ドイツ(当時)のズーアカンプから出版されて作家デビュー、中退。この市立公園の Forum Stadtpark は、言わばハントケの出発点だったようだ。行ってみると、公園の真ん中のガラス張りの小美術館で、今はちょっとアヴァンギャルドな展覧会をやっていた。公園に面した側の中央には、今度オーストリアがEU議長国になった際に作られて物議をかもしたポスターの一つが麗々と掲げられていた。

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ハントケは、グラーツについては、管見の限り、特に何も書いていないように思う。作品に描かれている土地を追う「ハントケ・オリエンテーリング」は、作家の言葉がいかに風景を見えさせてくれるかという点でつねに興味深いのだけれど、こういうたんなる「ゆかりの地」(笑)めぐりをやっていると、自分がとってもまじめで古典的で日本的な文学研究者になったような気がしてくる。(そういえば、ここグラーツはプレチニクの出発点でもあった。)

最後に、子供の希望で城山のエレベーター降り口にある洞窟トロッコ列車へ。線路の左右の穴が、おとぎ話のシーンを表現した機械仕掛けの人形たちのジオラマになっていて、運転手のオジさんがとぼけた顔で面白おかしい解説を加えながら奥まで行って、また戻ってくる。山の中に掘られた横穴に敷かれたトロッコというおおげさな舞台と、ジージーとモーターの音の聞こえる人形たちの安っぽく古ぼけた感じが微妙にズレていて、可笑しいと言えば可笑しい。

グラーツにはもう一泊するつもりだったのだが、この日は雪が降り出していた。早々に切り上げることにして、14:02 の EC101 「プレチニク」号でマリボルを経てリュブリャーナ17:32着。

スロヴェニア・ワイン:マージョラムの香りのワイン

2006年3月2日 木曜日

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写真はリュブリャーナのアパートのわが「家庭菜園」。たった半年だから、大々的に栽培するわけにもいかない。だからこれだけ。タイム (timijan)、セージ(žajbelj)、ローズマリー(rožmarin)。いずれも、ここに住みはじめた頃に、青空市場でポット苗を買ってきたもの。ずいぶんわが家の食生活に役立ってくれた。あとチャイブ (drobnjak) もあったのだが、さすがにそれは寒くなってきた頃早々に枯れてしまった。シソの種も持参して蒔いたが、かつて春からボンに住んだ時は大きく育ったけれど、こちらの秋になってからでは一向に発芽しなかった。

ところで、この家庭菜園(というか単なる植木鉢だが)にはないし、料理にもそれほど使うものではないけれど、マージョラム (majaron) も好きなハーブの一つ。その香りのワインの話。

ムシュカート Muškat というのは、すぐに分かるようにマスカット。フランスで言うミュスカテル種のこと。
ラニーナ Ranina はムシュカートの一変異種らしいが、スロヴェニア東北部からオーストリアにかけての地域固有種ということになっている。

このミュスカテル系のワインには、ものによって、マージョラムのような香りを持つものができるらしいことを、今回のスロヴェニアで初めて知った。Ranina 自体、地域が限られるのでそれほど多く売られているわけではないが、その中でも一番ありふれて手に入りやすいのがRadgonske goriceのこれ。

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2004年の辛口 (suho)。きりっとした味と、マージョラムのような甘い香りがマッチしてとてもいい。899トラル。
Ranina 種ならすべて同じような香りかというとそうではなくて、先日ためした Jeruzalem-Ormož の ranina は、リュブリャーナのワイン祭で金賞を取ったというだけあっておいしいことはおいしかったが、マージョラム的な香りはまったくなかった。

強烈なのはこれ。これは生産本数が多いようで、割合あちこちの店で見かける。

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甘口。コーペル産。なにしろ「甘いムシュカート」 sladki muškat という名前で売られているのだから、その甘さは半端ではない。その甘さに、強烈なマージョラムの香りが加わるのだから、これは「強い」。決して悪いのではない。デザートワインとしてか、これだけで味わうべきものだろう。1109トラル。

プレチニク Plečnik (1)

2006年3月2日 木曜日

「スロヴェニア用語の基礎知識」人名編で詩人プレシェレンに次いで出てくるべきは、建築家・都市計画者、ヨージェ・プレチニク Jože Plečnik (1872-1957)。リュブリャーナに来れば、まず間違いなく建築家プレチニクの名を耳にするし、その作品を目にしないことなどありえない。「プレチニクのリュブリャーナ」というのはすでに出来上がった一つの概念だ。
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出所

プレシェレン広場の三本橋はいやでも目につく。そしてそこから始まる市場のアーケード。三本橋より少し上流の靴屋橋。国立・大学図書館。ジャーレの大墓地の門やいくつかの建築、僧院を改造した野外劇場のクリジャンケ。

プレチニクの作品には古典古代的な列柱や柱頭飾り、ピラミッド、球などのモチーフが繰り返し出てくる。そのエクレクティズムはポストモダンの先駆なんてレッテルを貼られてしまうのだけれど、一つのまぎれもないプレチニク様式とでも言うべきスタイルになっており、リュブリャーナの、あるいはいくつかの他の都市でも、いたるところで目にされるそれは、スロヴェニアの風景に一種の統一感を与えている。

ひと月ほど前、1月23日がプレチニクの誕生日だった。1872年のことだ。子供の頃から絵の才能を示したらしいが、家具職人だった父親は、彼が家業を継ぐことに固執した。そのため行ったグラーツの工芸学校で、プレチニクは初めて都市計画と建築にかかわりを持つことになる。新たな環状道路の計画に助手として参画することが許されたのである。
父親が亡くなって1892年、プレチニクはウィーンに行き、「ウィーン分離派」の首魁オットー・ワーグナーに師事する。ウィーンでの最初の数年は、主に建築内装と家具のデザインに集中する。家具職人的な仕事には、プレチニクは生涯を通じて立ち戻っている。不況の時代にそれで金銭を稼ぐことができたということもあったようだが、彼の建築の細部にも、このスキルとセンスが生きていることは間違いない。

プレチニクは1911年にプラハに講師として招聘される。10年間、プラハにいて、城と大統領府の修築にも関わる。初めて建築の才能を発揮する機会を与えられたわけだ。(フランツ・カフカとは黄金小路かどこかですれ違っているはずだ。プレチニクがリュブリャーナに戻った翌年、カフカは『城』を書きはじめている。)

しかしその作品、まぎれもなく見落としようもなくそこに存在しているにもかかわらず、プレチニクの死後、急速に忘れられ、再評価が始まったのは1986年にパリのポンピドゥ・センターで行われた大規模な回顧展からだったらしい。Daniela & Friedrich Köthe Slowenien のちょっと皮肉な表現によれば、それ以来、スロヴェニアでも「プレチニク多幸症」が広まった。

リュブリャーナの都市像として、プレチニクがモデルにしたのはアテネなんだと言われている。(2003年1月12日付けの Dnevnik 紙特別版、Plečnik’s Ljubljana and the function of architectural elements and details と題された無署名の記事による。)その建築に列柱や柱頭などの意匠を古代ギリシャから借りているからというだけではなくて、リュブリャーナ市内でプレチニクが関わった建造物を眺め渡してみると、全体として、古代ギリシャの都市のレパートリーを現代的に翻案したものになっているというのだ。プレチニクにとって、リュブリャーナ城はアクロポリス、ジャーレの墓地はネクロポリス、オレルのスタジアムはもちろんスタディオン、議会広場はアゴラ、市場はストイア、それに劇場。要するにギリシャの都市を都市たらしめていた要素にすべて手をかけているわけだ。

Vinoteka

2006年3月1日 水曜日

リュブリャーナのいい店は、商店にしても飲食店にしても、建物に囲まれた内庭など、目につかない、知る人ぞ知るという場所に隠れているという印象がある。チョプ通りから引っ込んだパン屋しかり。前に触れたレストラン、As もしかり。そして、レストランも併設するワイン専門店 Vinoteka も。

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鉄道の駅の北側、目抜き通りのスロヴェニア大通り Slovenska cesta が線路をくぐってウィーン通り Dunajska cesta と名を変えてすぐの東側が、リュブリャーナのメッセ会場なのだが、Vinoteka はこの中 (Dunajska 18)。バスならば6、7、8、11、12、14、19、20、21番で Razstavišče 下車。
緑色に塗られた味気ない金属フェンスに囲まれたメッセ会場、小さな入り口のところには、この店の小さな看板が出ているのだが、中を覗いてもそれらしいものは見えない。

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いつも、メッセ会場は外からちらりと覗いて通り過ぎるだけだったので、この店がどこにあるのかはわれわれにとって長らく謎だった。実は、入ってすぐの大きな円筒形のガラス張りの建物の地下にあるのだった。建物を回り込んで行くと、この入り口がある。

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このチープモダンな建物の地下に、15年ぐらい前、古い樫の木のワイン樽材をふんだんに使って、この店は作られたのだった。トラック6台ぶんの木材だったという(Slowenien: Hundert köstliche Entdeckungen. Kultur, Küche, Keller.の記述による)。ドイツの古い町のラーツケラーを思わせるような空間が、そうして創り出された。(一番上の写真)

vinoteka06.jpgレンズ豆のスープ(手前)とキノコのスープ(右奥)。

vinoteka05.jpg子牛のメダイヨン(手前)と七面鳥の(ニセ)サフランソース(右奥)。

地階の扉をくぐってまっすぐ前がレストラン。ちょっと洗練された感じのスロヴェニア料理がレパートリー。シックな店だが、昼時、メッセ会場の設営工事にかかわる人たちなどが、かなりカジュアルな感じで入ってくる。

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扉を入って右手がワイン販売専門店。スロヴェニア中から800種類のワインを揃える。現在の主は Igor Femec という。店を預かるアンドレイは英語もかなり上手で、気さくに相談に乗ってくれる。われわれは、ここで、日本に持ち帰るスロヴェニア・ワイン、12種類各2本を選んでくれるよう頼んだ。主人は次々に選び出して並べていく(マリボルの農業学校のワインもあった!)。24本が決まって、さあて、十万トラルくらい行ってしまうかなと思っていたら、実際は5万トラルあまりだった。さすが安くておいしいスロヴェニアワイン。ただ、問題は運送料なのだが…。

Gostilna Vinoteka GR

Dunajska 18

Tel.: 01 431 50 15

Fax: 01 431 63 52

レストラン 10〜23時、ワインショップ 10〜19時。メッセ期間中以外は日祝休業。

リュブリャーナの市バス

2006年2月28日 火曜日

郊外のスーパーやシュマルナゴーラに市バスで行く話などを書きながら、リュブリャーナの市バス LPP (Ljubljanski potniški promet) についてはこれまで特段の説明をしてこなかった。ということで、実用情報第二弾(苦笑)。

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シンボルカラーは緑。センターはスロヴェニア通り Slovenska cesta の停留所 Bavarski dvor 近くの一角、奇妙な螺旋形の広告塔のある広場の南側にある。そこで緑色の表紙の小さく畳まれた路線図が手に入る。リュブリャーナで暮らすならこれは必須だろう。(ここにもあるが、なんと .swf ファイルだ。)

バスに乗るには、ジュトンという特別なコインを使う。
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一円玉くらいの大きさ。žeton と呼ばれて、町中のキオスク trafika で手に入る。気候のいいときに出るチョポヴァ通りの中央郵便局前のみやげものの屋台でも売っている。緑色の八角形のステッカーが販売店の目印だ。

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ジュトンにはリュブリャーナの市の紋章であるドラゴンが描かれている。一枚190トラル。これ一枚で、市内バスの路線で一乗りであれば、どれだけの区間でも乗れる。これを使わずに乗車して現金で払うと、300トラル取られる。このシステムはユーゴ時代以来の遺産だ。紙の回数券ではなくプリペイドカードでもなく、回収されて再利用されるところがむしろエコロジカルだと言えるかもしれない。

Dajte mi deset žetonov.  ジュトンを10枚下さい。

車を持たずにちょこちょこ利用していると結構ジュトンがなくなる。長めの滞在であれば、定期券の利用を考えた方がいいかもしれない。これも路線内はどこからどこへでも乗れるらしい。通学用は4000トラル/月、一般用は7500トラル/月。
料金表はここ

ドイツやオーストリアのバスは、どの扉からも乗車できて、無賃乗車もやろうと思えばできてしまう。そして時々、途中の停留所から突然検札官が乗り込んできて、無賃乗車の乗客から法外な罰金を取る。だが、リュブリャーナのバスは、最前部の運転手のところからしか乗車できない(検札も見たことがない)。

時刻表は無いに等しい。停留所に貼ってあるのは、まるで暗号だ。だいたい何分間隔で来るかしか分からない。バス停で人が待っていたら、ああ、間もなく来るのかな、程度に考えるしかない。たいていの路線はかなりの頻度で走っている。
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車両はたいていドイツ(MAN)製。国産らしいものは、まるで小学校の教室のようなベニヤの椅子で、バスがカーブするたびに、尻の軽量な私などはずるずる滑る。

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とくに三本橋からスロヴェニア・ツーリスト・インフォメーションまでの通りは、何かというとイベントで通行止めになり、バスも迂回する。迂回 obvoz 情報も、上記 LPP サイトに掲載される。