‘リュブリャーナ日記 2005/06’ カテゴリーのアーカイブ

最終日の日記

2006年3月15日 水曜日

リュブリャーナ滞在最終日の今日、日差しは弱いものの、幸い雪も雨も降っていなかった。昼過ぎまでアパートの近くからせっせと小包を発送。昼食は burek で簡単に済ませる。午後3時、家主夫妻がやってきて、まだ払い込みが済んでいない光熱費を計算し、それをさっ引いた分の敷金を返してくれる。
今晩一晩は市内のホテルに。家主はわれわれの荷物を見て、ホテルまで運んでくれた。感謝。

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城山から見下ろすプレシェレン広場

アパートのネット接続は昨日の午後で切れてしまったので、このホテル・ウニオン Hotel Union でメールチェック(各室に LAN コンセントがあり、宿泊者は無料で使いたいだけ使える)。アパートからの接続では入れなかった日本の某プロバイダに、このホテルからだとすんなり入れて、Mail は長時間掛けて昨年九月からの7千通あまりのメールをせっせとダウンロードしていた。(このプロバイダのアカウントからは Gmail に転送していたので、そちらで見てはいたし、このアカウントに来るメールの8割はスパムなのだが。)

最後の晩は、さんざんお世話になった友人Bと、gostilna Figovec で夕食。
明日は早朝にタクシーで空港に向かい、ウィーン経由で日本に戻る予定。

Bをはじめ、いろいろお世話になった方々に、どうもありがとう。

ということで、「リュブリャーナ日記 2005/06」は一応おしまいです。しかし下書きのままほったらかしているものも、まだ書いていないこともたくさんあるし、スロヴェニアの紹介は続けて行きたいので、ペースは落ちると思いますが、暇を見ては「リュブリャーナ日記 2005/06 拾遺」でも書いていくつもりです。

お読みくださっていた方々に改めて感謝します。どうもありがとうございました。そして「拾遺」のほうも、よろしくお願いいたします。

それではまた。

明日の朝は早いけれど、子供たちも大好きな1951年版 Kekec の挿入歌ででも目覚めることにしよう。
Dobra volja je najbolja…

追記:16日。朝6時半、フロントで頼んでおいたブルニク空港への「シャトル・タクシー」に乗る。これまで日常だった車窓風景が、急に、遠ざかっていくように見える。ウィーンで3時間の乗り継ぎ待ち。今更ウィーンの街でもなく、そもそもそれには短すぎる中途半端な時間だが、空港の無線LANは問題なく使えた。空港地下のスーパーでは、日本のスーパーにあるような、寿司のセットも売っていた。

リュブリャーナ近くの3つの古都 (2) カムニク Kamnik

2006年3月12日 日曜日

カムニクはリュブリャーナの北東23キロ。ツーリズムの点では、現在は、街自体への関心からより、ここから先の Velika Planina やカムニク・アルプスへの拠点(あるいはたんなる通過点)としてしか意識されないのかもしれない。古い街というよりは古ぼけた街だ。それでも、丹念に見て歩けば、けっこう面白いものが見つかりそうな予感を抱かせる街だ。kamnik01.jpg
「小さな城」から見る町並。
残念ながら北の山々は雲に隠れている。

カムニク(「石」の意)は、中世を通じてリュブリャーナやクランとクランスカ地域の経済的・文化的な覇を競った。何世紀もの間、トゥヒン谷 Tuhinjska dolina を通って東のコロシュカやシュタイエルスカ地方に向かう道を押さえて通商の鍵を握っていたが、この道が1600年頃南よりのトロヤーネ峠 Trojane 経由になってからはルートを外れてしまい、街は深い眠りに落ちる。19世紀末にここを終点とする鉄道がリュブリャーナから通されて、少し目を覚ましたのだが、今はまた静かにまどろんでいるように見える。

リュブリャーナからはおよそ20分に一本あるバスが便利だ。カムニクのバス駅から道を隔ててすぐ北のツーリスト・インフォメーションの女の子は(少なくともこれまで僕が行ったときには)いつでもヒマそうで、お客があればとても親切に熱心に応対してくれる。

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「小さな城」は街の中心部の小さな丘の上にあり、高さ約10メートルだけ飛び抜けている。Andeški 伯たちはすでに12世紀にここに城を建てたが、現在は、城壁の名残しかない。ロマネスクのポルタルをもち、2つの階からなる城のチャペルは、よく保たれている。上の階には貴族が、下の階には使用人たちが入ったのだという。(こういう教会は、ドイツのボンの外れのグラウラインドルフでも見た。)いつのことか審らかではないが、ここの城主夫人であったヴェロニカは、教会を建てるため援助してやることを断り、半身をヘビに変えられた。性格のきつい女だったということになっていて、資金援助を乞われたとき、怒りのあまりチャペル入り口の壁をゲンコツで叩いた。(ネネちゃんのママ? いや、あれはウサギのぬいぐるみか。)現在でも入り口右側にはその跡が残っているという。面白いことに、19世紀末、カムニクは街の紋章にこのヴェロニカを採り入れる。

「古い城」はずっと高いところにある。街の東側、山の上に、13世紀にAndeški 伯たちが建てたままの城の廃墟が残って街を見下ろしている。Andeški 伯のあと、ここは、ガレンベルク伯、ツェリェ伯、Turjačani が居城とした。1511年の地震で崩壊し、再建されたが、当主の娘が落雷で死んだ時に彼らはこの城を捨てた。そして17世紀後半、城は最終的に破壊された。現在では、廃墟脇に食堂が建ち、そこまで登る自動車道もある。
街のバス駅からバスで渡ってきた橋を渡り返すと、そこは城山の絶壁。自動車道と川に沿って右手、南のほうに少し歩くと断崖が切れ、登山道がある。小さな山でありながら、一歩入るとかなり深い山の雰囲気が漂っている。鞍部近くの草地に出たら左のほうに登って行く。まもなく城壁の廃墟の門を二つくぐり抜けて山頂に着く。山小屋ふうの食堂は、パスタと自家製サラミくらいのメニューしかないが、これがおいしい。そして何より、好天の時は、北のカムニク・アルプスの眺めが恐ろしくいい。もっとも、今回、2月に行った時は、あいにく天気に恵まれず、かろうじてカムニク鞍部 Kamniško sedlo (1903m)の広い雪面が見えていたが、両脇のブラナ Brana 山 (2252m) もプランヤーヴァ (2394m) も雲に覆われ隠れていた。

ところで、例の『こどもと行く山』というガイドブックは、北の道からの城山へのコースも載せていて、こんなふうに付言されている。

「カムニクには、リュブリャーナからの訪問客にとっての魅力がもう一つある。列車で行くことができるという点だ。これは、現代の車社会では、多くのこどもにとって、特別な体験だ。街ではまず〈小さな城〉を訪れてから〈古い城〉に登り、それから快く疲れた体を列車に乗せて帰ろう。」

そうなんだろうね。でも、ウチは車ないもん。それに、この線路、平日は一時間に一本程度の列車が走っているけれども、土曜日曜祝日は廃線同様。一本も列車は走らないのだ。

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「小さな城」の南側のバーには、ティトーの肖像が飾られていた。かつてユーゴスラヴィア中の学校や店や公共施設のいたるところに掲げられていて、現在では骨董市ぐらいでしか目にしなくなった肖像だ。もしかしたらたんなるシャレなのかもしれないが、ここでもカムニクは少しばかり時間を止めているように見える。

Kamnik は、北のカムニク・アルプスの山々、Velika Planinaの高原、Kamniška Bistricaの集落、広大な植物公園 Arboretum のある Volčji Potok、温泉のある Snovik などへの拠点となる。Kamnik を中心に運行している Kam-Bus 社のバス時刻表は、Kam-Busのサイトで手に入る(なんとエクセル・ファイルだが)。また、Kamnik から峠越えでスロヴェニアで最も美しい谷と言われる Logarska dolina に行くバスが、日祝のみ、一日一往復だけ出ている。カムニク発が朝の6:55。ロガルスカ・ドリーナ発が 16:55。(2006年3月現在。)

参考: Kamnik のツーリスト・インフォメーション

プレチニク (4) NUK(聖ミハエル教会の話の余白に)

2006年3月11日 土曜日

NUK と言えば、そう、機能、感触ともにママの乳首に一番近いNUK(ヌーク)の乳首なら、初めてのママでも安心です…ってそれはドイツのベビー用品メーカー。

nuk01.jpgNUK北面の入り口
ここにマウスポインタを乗せてはいけません。

NUK という呼び名はどちらかというとベビー用品のほうにしっくりくるような気もするが、リュブリャーナでは国立・大学図書館のこと。Narodna in Univerzitetna Knjižnica の略称だ。

簡素な湿地の教会とは対照的にモニュメンタルなプレチニク作品が、リュブリャーナ中心部にあるこの国立・大学図書館。しかしほぼ並行して造られたこの二つの建築は、実はたいへん似通っている。

  • どちらも石とレンガを組み合わせた壁を使っている。これはプレチニクの他の作品ではあまり出てこないようだ。
  • どちらも正面から二階に上るまっすぐな長い階段を持つ。(NUK の階段は内部、教会の階段は外部)
  • どちらも、本体の閲覧ホール、会堂はその階段の先に横長に位置している。
  • もちろんどちらもふんだんに特徴的な柱の使い方をしている。
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NUK の階段

NUK の場合、来館者は北面の入り口から入って、ほの暗い階段を上り、二階の明るい閲覧室に到る。暗き蒙昧から啓蒙の光あふれる空間への上昇という(純朴な…というのは余計か)観念が形象化されているわけだ。

聖ミハエル教会の場合は、この階段は外にある。そして登り着いた地点から、建物のうちで天に最も近い鐘楼がまっすぐ立っているわけだ。つまりこの場合は天への道を形にしていると考えていいのだろう。

NUKの階段まわりのコの字型の建物を取り払って階段を剥き出しにしてしまえば、聖ミハエル教会になってしまうわけだ。

二十世紀前半の、啓蒙と宗教の関係…。

Bloß nicht!? リュブリャーナでチェヴァプチッチ

2006年3月11日 土曜日

ドイツの出版社が出しているガイドブック Marco Polo シリーズは、コンパクトで使いやすい。その巻末にはつねに、”Bloß nicht!” というコラムがあって、その国/地域で「これだけはやってはいけない!」という注意事項が書かれている。国や地域によってはかなり面白いものもあるのだが、“Slowenien” スロヴェニアの巻のそれは比較的おとなしくて、二番目が「無灯火での走行」、三番目が「不十分な装備で山に入ること」、4番目が「スロヴェニアのアイデンティティを軽んじること」となっている。

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〈ハランバーシャ〉のチェヴァプチッチ

無灯火で走ってはいけない、というのは少し説明が要るかもしれない。スロヴェニアでは、日中もロービームでヘッドライトを点けていなければならない。バックのときに後退灯を点けなければならないのはもちろん、追い越しの際には必ずウィンカーを使わなければならない。(もっとも、最近は日中のヘッドライトが減った気がする。法が変わったのか?)

そして一番目が「ユーゴ料理を注文すること」。

チェヴァプチッチ čevapčič やラジュニチ ražniči の名で知られる「南スラブ」のグリル料理とスロヴェニア料理をごっちゃにしてはいけない、のだそうだ。これらは長年にわたってわれわれ(=ドイツ人たち)にとっての「ユーゴスラヴィアの味覚」のイメージを代表してきたものだが、本来、旧ユーゴのなかでももっと南の国々のものであって、スロヴェニアの料理店ではあまり注文しないほうがよかろう、という。これらはスロヴェニア料理の店のメニューにも今でも載ってはいるし、それもノスタルジーからではなくて、需要があるからなのだが、料理店の野心的な経営者なら、そうした〜チッチの時代が終わることを望んでいる、というのだ。

実際、味付けも済んでいて、フライパンで炒めればOKというような半製品チェヴァプチッチもスロヴェニアのスーパーの食肉コーナーでよく見るので、この警告をどこまで深刻に受け止めるべきかは判断の難しいところだが、チェヴァプチッチが決してスロヴェニア料理ではないこと、少なくともスロヴェニアの人々には自分たちの料理とは見なされていないことは間違いない。

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トルココーヒー。
Drina というタバコが一本添えられて出てきた。

今日の午前はおよそ10箱の小包を抱えてせっせと近くの郵便局に運んだ(意外にも土曜も午前中は開いていた)。そしてそろそろ食料を買い込むのを控えて外食が増えそうな気配のわが家を、今日、Fさんが連れていってくれたのが Harambaša ハランバーシャ。サライェヴォ出身の人がやっている店。入り口には「サライェヴォにようこそ!」と書かれている。言わば「本場もの」だろうし、リュブリャーナで〜チッチが食べたくなったら、(スロヴェニア料理の店ではなく)こういう店に行って心置きなく注文すればいい。食後のいわゆる「トルココーヒー」もいい。(Hvala! > Fさん)
店は街の中心部から南寄り。三本橋からなら、リュブリャーニツァの左岸川縁を、対岸の旧市街が切れる聖ヤコプ橋 Šentjakobski most まで歩き、川沿いから一本西側の、リュブリャーナ大学建築学科の建物の脇の狭い道、Vrtna ulica をちょっと入ったところ。

Harambaša
Vrtna ulica 8, Ljubljana
Tel: 041 843 106

引っ越し作業(が進まないこと)と半年の変化

2006年3月10日 金曜日

結局引っ越しには郵便を使うことにした。せっせと箱を詰めて、さあ、今日のうちに大半を持って行こうと思ったら、ひどい雪で断念。小さな郵便局が比較的近くにあるのだが、抱えて一個一個持って行こうというのだから、これでは身動きがとれない。結局引っ越し作業は週明けのぎりぎりまで持ち越しそうだ。

ボンから帰る時はヤマト運輸に依頼した。ここスロヴェニアには日本の運送業者はどうやら入っていない。日本からこちらへ輸送する海運業者はあるらしいのだが、なんと片道。というか、地球を一周しているんだそうで、こちらから日本へだとアメリカを回って行くことになってしまう。

さて、今のアパートのネット接続は今日で解約になるので、数日はこのブログも更新を休むことになるかもしれません。(←勘違い。解約は14日付けになってました。惚けてる。)

ここで、このブログでとり上げたもので、その後変わってしまったものをリストにしてみましょう。(すでにブログの中で変化自体について触れたものもありますが。)

  • カフェ・レストラン〈トリグラウ〉のオーナーが替わり、ラーメンを出すのをやめてしまった。
  • ウチのすぐ近くの199トラル・ショップが閉店してしまった。
  • ウチから30秒のスーパー Mercator が閉店してしまった。
  • Mercator 傘下に入らずにがんばっていたボヒンのスーパー Lipa が、Mercator に次ぐチェーンの Tuš 系になってしまった。
  • リュブリャーナにようやく日本大使館が開設された。ただし「本格営業」は今夏からの模様。
  • “Kekec in Pehta” の本は、大学文学部近くの書店でようやく見つけた。
  • ボヒンスカ・ビストリツァのペンション・Tの朝食のコーヒーは、ステンレスタンクに入ったものではなく、その場で豆を挽いて入れるマシンに替わった。

この項はあとでまた手を入れます。

フライトのリコンファーム

2006年3月10日 金曜日

こっちに来るときに、オーストリア航空を使ってウィーン経由で来た。日本からリュブリャーナへの直行便はないから、普通、ウィーンやフランクフルトなどから乗り継ぎになる。ヨーロッパ内の中継地からはいずれも一時間程度。

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(出所)

チケットは中継地の航空会社の名前で購入できるが、いわゆる共同運行便で、リュブリャーナへの実機は(たぶん)みんなスロヴェニアのアドリア航空のもの。
行きと帰りで半年以上の間があいた今回は、帰りの便のリコンファームが必要だった。

アドリア航空のサイトには、リコンファームは不要だが、乗り継ぎのある場合はそちらで必要になる場合があると書かれている。

日本の旅行代理店で教えられていたオーストリア航空のリコンファーム用電話番号は、「リュブリャーナ 2020 121-3」とされていたので、携帯からリュブリャーナの市外局番 01 を付けてかけたら、繋がらなかった。改めて確認すると、リコンファーム先の市外局番は 04。どうやらリュブリャーナからは東京と成田ほどにも離れているブルニク空港の番号らしい。04 2020 122, 123。朝7時から夕方6時までで、土日祝はなんとお休み。
Austrianのサイト上部の “Kontakt” リンクから確認できる。

ちなみにルフトハンザは…そのサイトの World Wide リンクからはスロヴェニアは出てこない! Ljubljana – Ljubljana od A do Žによれば、市内のオフィスの住所は Gosposvetska cesta 8 で、電話は 01 434 72 46。

ついでに書いておくと、スロヴェニアの電話番号リストで、市外局番が 06x になっているものにときどきお目にかかる。リュブリャーナが 061 になっていたりする。これはユーゴ時代の番号なので、現在は真ん中の6を取って 01 にしなければならない。(041 というのは携帯の番号なので、4を取ったりしてはいけない。)

ネボティチュニク Nebotičnik

2006年3月9日 木曜日

ずいぶん前のエントリで、大昔のリュブリャーナで筑波大のS先生にお会いした話を書いた。昨秋の初め、筑波から一団の先生方がリュブリャーナに講演にいらっしゃる機会があって、そのあとB先生のお宅で開かれたパーティに僕も招いていただき、そこでS先生と実に十数年ぶりの再会を果たした。でもS先生は最初は僕のことが思い出せないようだった。

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「僕は十…前にネボティチュニクで先生にナンパされたんですよ」と言うと、彼女はちょっと慌てていた。
S 先生:ええっ、ちょっと待って…。
ぼく:やっぱり遊びだったのね…(笑)。
S 先生:ああ、思い出してきた、思い出してきた!

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城山から見るネボティチュニク

まあ、こっちも歳を食ったことだし、すぐに気づかれなくても当然だ。それはまあどうでもいいのだけれど、1990年に彼女に会ったのが、リュブリャーナの目抜き通り、スロヴェニア通り(当時はティトー通りといった)の真ん中の、「バルカン最古の高層建築」 ネボティチュニク Nebotičnik 最上階のカフェだった。カフェは残念ながら現在では閉鎖されているし、周りには当然もっとずっと背の高いビルが建って、高さの点では当然地味な存在になっている。それでも、この建物は一時代を画したアウラを今でも放っているように思える。試しに建物の北側、Štefanova ulica シュテファン通りの入り口から入ってみよう。黒大理石のふんだんに使われたほの暗いホール。そこから、ずっと上まで途切れなく続く螺旋階段を見上げる。

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プレチニクの弟子筋のウラディミール・シュビッツ Vladimir Šubic の作品。それまでは、6階建てまでの建築しか許されていなかったらしい。1931年にこのビルが建てられたとき、ヨーロッパでは9番目に高い建物で、バルカンでは初の高層建築だった。ニューヨークのロックフェラー・センターとほぼ同時期で、同様の象徴的な意味を負わされていた。一二階に商店を置き、最上階にカフェ、間はオフィスや住宅という振り分けも、少なくともバルカン半島では、ここから始まっているわけだ。(このあたりは、Andrej Hrausky, Janez Koželj, “Architectural Guide to Ljubljana”, Ljubljana: Darila Rokus, 2004 の記述に従う。)

そういえば、昨秋、リュブリャーナでの住まいを決めるときに、このネボティチュニクの中のアパートも出ていたのだけれど、パスしてしまった。

Nebotičnik というのは、摩天楼、Skyscraper と全く同じ意味だ。

リュブリャーナで和食の食材を手に入れる

2006年3月9日 木曜日

ヨーロッパのメジャーな街にはたいてい中国(ったって広い)韓国日本東南アジア諸国の食材をごっちゃに売っている怪しげな(でも便利な)「アジア食材店」があるけれども、リュブリャーナにはそれらしいものは見当たらない。もしかしたら僕が知らないだけかもしれないが。

で、日本的な食材が手に入るところとしては、いわゆる「自然食品」店がまず第一に挙げられる。ドイツで Bio-Laden というやつ。スロヴェニアでも biotrgovina。

たとえば、市内では、Maxi Market の地階、Mercator スーパーの外側の通路にある “Maxi trgovina za zdravo življenje” (「健康な生活のための Maxi の店」 Trg Republike 1, tel. 01/ 431 22 76)。海苔、梅干し、味噌、蕎麦などが手に入る。

あるいは BTC 内のホール9 (Dvorana 9)にある カルチェク Kalček。ここはなかなか充実した Bio ショップで、上記に加えて豆腐も扱っている。ここもオンラインショップもやっていて、ためしにそのサイトの左上、naravna hrano (自然食品)→ makrobiotika とクリックしていってみよう。Daikon (切り干し大根だ)、Dashi、Hatcho miso、Hojicha、Kuzu、Rižev kis (米酢) といった商品がずらりと並んで出てくる。

以上が「自然食品」店。

街の真ん中NAMAデパートの地階食料品売り場や、Šiška の Mercator Center に「ダマエ一丁」が置かれていることは前に書いた。割り箸も Maxi の Mercator で手に入る。
シーズンには青空市場に Kaki や Naši (洋梨ではない梨)が出回ることは前に書いたし、椎茸も市場にある。白菜も kitajske zelje 中国のキャベツの名でいたるところで売っている。ダイコンが出てくることもある。おすすめは repa と呼ばれる白蕪から作られる漬け物(という言い方は正確ではないが)だ。これはスロヴェニアではたいへんポピュラーで、しかも大根に食感・味わいがよく似ており、和食にも合う。

醤油は日本では見かけない、しかし日本製の、まともなものが、あちこちのスーパーに置かれている。

わが家では以上のようなところで満足していたが、もう少し付け加えるなら:

現在では、ネットショップでも和食の食材が手に入る。おつまみランド Otsumami Land(日本語・英語・ドイツ語)はドイツのネットショップ。相当色々なものを扱っていて、スロヴェニアにも送ってくれる。ただし送料がかなりかかる。

日本食レストラン Sushi Mama のご主人は時々オーストリアのクラーゲンフルトやウィーンまで車で買い出しに行かれると伺った。

プレイボーイ誌の巨大ポスター

2006年3月8日 水曜日

スロヴェニアの街中や、幹線道路脇には、相当な数の巨大ポスター用スペースが設置されている。一つ一つが大きい上に、リュブリャーナ周辺だけでも大変な数にのぼるのに、あまり貼り替えているシーンに行き当たらない。それが一夜にして貼り替わっているのだから感心する。

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ポスターも人物も Playboy 誌とは関係ありません。

前々から、そういう媒体でのセクシュアリティやヌードに対するスロヴェニアの閾値は低いというか、許容範囲が広いことには気づいていたが、最近そういうスペースのいたるところに掲示されている Playboy 誌(スロヴェニア語版)のポスターはなかなかのもので、ここでネタにしたいと思いながらどうとり上げようかと考えているうちに、The Glory of Carniola に先を越されてしまった。

このポスターについて、62パーセント以上が「いいじゃん」と答えたという、スロヴェニア Finance 誌のアンケートを引き合いに出していて、タレ込みの多い blog は強いなあと改めて思う。画像もあちらを見ていただくことにしよう。Finance 誌のもっとクリアな画像へのリンクもある。

それはともかく、アメリカ人の筆者はこれを「アメリカではたぶん見られないもの」のカテゴリーに入れていて、もしもこんなポスターがアメリカで貼り出されたらどれほどの騒ぎになるかと言っている。スロヴェニアでそれと同等の騒ぎを引き起こすのは、「ピラン湾をクロアチアにやってしまえ」といった発言ぐらいかなあと忖度している。おそらくこの種のものに対する日本の閾値は、通勤電車の車中でタブロイド紙を広げているおぢさんたちなどを想起してみると、アメリカ合州国よりかなり低く、スロヴェニアよりはちょっと高いくらいだろう。

もっとも、リュブリャーナ市内でも、胸の部分が何者かによって塗りつぶされているものも何枚か目にした。Finance 誌調査の37パーセントに属する人々か。

私? 私は別にイヤではないです。…わー、ぶたないで!

プレチニク Plečnik (3) または市バスの終点への旅(いくつめだっけ)

2006年3月8日 水曜日

リュブリャーナの南方に広がる湿地の真ん中に立つ聖ミハエル教会 Sv. Mihael。これもプレチニクの作品。

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素人目にも、とてもユニークな教会建築。1階は司祭の住居で、建物正面の長い階段が2階の教会堂に導く。

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教会の内部。西側に配されたオルガン席が見える。
写真右が祭壇。

四隅に石とレンガを積んだ壁を立て、中央には人造石(コンクリート)の太い柱を4本×2列。間を板で埋め、前後の柱4本は中からも内からも見えている。完全に建物の内部に立つ4本の柱には、それぞれに異なった文様が描かれている。間々には細い木の柱も何本も配され(その柱頭部にも独特の彩色が施されている)、それで木の梁と屋根を支えている。木の扱いは、スロヴェニアの民俗的な木工の伝統を意識して取り入れているのだが、その空間は、Peter Krečič が書いているように、ヨーロッパの教会というよりは日本のお寺を思わせる。

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背面。

祭壇はこの横長の長方形の身廊の中に入り込んだ形で配されている。外から見ると、その背後には丸く突き出し、半ばツタに覆われた石造りの部分があるのだが、ここは1階の司祭居室とつなぐ階段が入っているらしい。おそらく厨房もあるのだろう、正面からは目立たない煙突から湯気が上がっていた。

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正面階段と鐘楼

しかし何よりユニークなのはその鐘楼だろう。有り体に言えば、「内部」を持たない石積みの壁に穴をあけ、屋根を載せただけのもの。鐘楼の裏手左側から鐘楼に開けられた「穴」を通って、狭い階段が正面側を斜めに登っている。それはもう一度穴をくぐり、鐘楼裏側を登って、上部中央の一番大きな「穴」に吊るされた鐘のところに到る。

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鐘楼を真横から見る。

正面階段を上がってきた人々は、この鐘楼の下に開けられたアーチをくぐって会堂の扉を開け、中に入ることになる。

規模は小さく、建材には安価なものが用いられて、明らかに、限られた予算で、本来仮の建築として造られたものだが、「限られた予算」とプレチニク的な「才能」が遭遇するとこんなものができてしまうという、きわめて印象深い例だ。リュブリャーナ市内から半日、ちょっとでかけるだけの価値はある。「民俗的な、ほとんどこどものような敬虔さへのプレチニクの感覚が表現された、プレチニク建築の好例」(Peter Krečič)。

参考: Peter Krečič “Das Ljubljana von Plečnik” Ljubljana: Cankarjeva založba, 1991.

この教会へは、市バスで、つまりジュトン一個で行ける。19番で終点 Barje (=湿地)下車。終点のバス停はここでもループになっている。すぐ後方の十字路を突っ切って、まっすぐな道を500メートルのところ。
Google Earth 用 KMZファイル

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氷の花

ちょうど数日前の大雪であたりは真っ白。周りは湿地で、水路が縦横に走っている。教会まで行く道の両脇にも水路がある。その凍り付いた水面に、湿地の霧と低温の賜物だろう、こんな氷の花が無数に「生えて」いた。