外国語のカナ発音表記

easy_french.jpgフローラン・ダバディー監修の『イージーフレンチ』(学習研究社)というフランス語会話本、数年前に出ていたらしいが、最近になって知って、ぱらぱら読んでいる。集められているフレーズのセンスもいいのだけれど、カナ発音の振り方が面白い。Tu parles français ? が「テュパンフロンセ」という具合。ある種のマジメな人は、えっ? と思うに違いない。標準的な仏和辞典や参考書のカナ表記では、「テュパるルフランセ」あたりになるだろうか。でもぼくは逆に、「テュパンフロンセ」に、なるほど、と思ってしまった。

この本のはしがきのような部分の一節に、こんなふうに書かれている。「…たまにフランス語には、日本語には存在しない発音もあるのは事実。カタカナで完ペキに再現するのは無理。そこで、実際、ぼくが話す発音を複数の日本の人にじっくり聞いてもらって、話し合いながら、カタカナをあてはめてみたのだ。」

ドイツ語などでも同じことだが、標準的なカナ表記には、機械的な変換テーブルというか、対応一覧表みたいなのがある。それらは、聴いた感じ、よりも、どちらかというと文字(綴り)に根拠を置いていると言ってよいだろう。この本はそういう行き方をとっていない。実際に言われる音を、先入観抜きで日本語的な耳で聴いたらどう聞こえるか、というところからカナ表記を作り上げていっているわけだ。

「テュパンフロンセ」の例で面白いのは、フランセではなくてフロンセというのもあるけれど、なにより「パン」の部分だ。面白い。しかし人によっては一番違和感を覚えるであろう箇所だ。PARLES の R はどのみちそんなに際立った音ではないから省略している。で、その次の L が、「ル」ではなくて「ン」にされている。これは音そのものから出発して考えれば、じゅうぶんに納得できる。L と N の調音点(口の中でその音を出すところ、口の中の形)は非常に近い、というかほとんど同じだ。それを、L は N ではないという思いこみで「ル」という表記にこだわるから、学習者の R だか L だかなんだかよく分からない、どのみち通じない発音を生み出してしまうのではないか。いや、まあ、フランス語の R は英語の R とも、日本語のラ行音とも全く違う、のどの方を鳴らす音だから、R だか L だか、ということはないか。いずれにしても、L にしては曖昧な音を、「ル」表記は生み出す、ということにしておこう。

ちなみにその R のほうは、この本では「ハ」にされたりしている。たとえば Y’a rien! は「ヤハヤン!」。これも調音点と実際に出てくる音を考えれば納得がいく。「リヤン」と書いて、このカタカナが表わす日本語の音の通りに発音するよりも、「ハヤン」と発音した方が、確かにまだフランス語に近い。

L のほうの話に戻ろう。N も L も、重要なのは、舌先が上の歯茎に押しつけられる点であるはずだ。だとすれば、後ろに母音がない場合の L も N のつもりで発音してしまえばいい。だから、PARLES が「パるル」ではなくて「パン」になっていることには、納得がいくのだ。語尾の es は発音されないから、L のあとには母音はないと言っていい。だとすれば「ン」でいいではないか。

ただしこれはこれで問題がないわけではないと思う。それは日本語の「ン」の特性から来る。多くの場合、日本語の「ン」は n ではなくて ng、つまり舌先が動かない鼻音だからだ。別の言いかたをすると、日本語で「ん」と表記される音は、一種類ではない。「神田(かんだ)」と言う場合と、「考える(かんがえる)」と言う場合の「ん」は全く違う。後ろに d が来る前者は舌先が上歯茎に付く n であり、後者は舌先が動かない ng である。で、PARLES を「パン」と表記する場合、この「ン」は前者の音の意味で理解されなければならないのだ。あまり正確な言いかたではないが、英語ドイツ語などで N で綴られる音は、大部分が、日本語で言えばナ行音に出てくる N であって、そして日本語の「ン」は、多くがそういう N ではない。

外国語の発音をカタカナで書くなんて、という意見が、一昔前は大勢だったような気がする。IPA の発音記号を覚えなさい、なんてね。それが、初学者用の辞書や参考書を中心に、すっかりカナ書きが定着してしまった。方便として、べつにいいと思うのだが、上に書いたように機械的で慣習的な変換テーブルががちがちに決まっていて、ミスリーディングな場合も少なくないように思う。そしてこの変換テーブル(それはほぼ「ローマ字」──日本語の表記法の一つだ──に重なり合う)は、日本の多くの外国語学習者にも、先入観として、そうとうにしみ渡っている。

N と「ン」の件について言えば、以前、独和辞典編纂などにもかかわっている知人と話をしていて、たとえば Bahnhof って、「バーンホーフ」ではなくて「バーヌホーフ」と表記してしまったほうが、「正しい」発音を「誘発」できるのではないのか、と訊ねたことがある(だから上のテュパンフロンセも、ぼくだったらテュパヌフロンセと書くかもしれない。でもこれはこれで、N のあとに本来存在しない母音を誘発してしまう可能性もないではない)。でも、当時、その知人が言うには、それは分かる、でもおじいちゃん先生たちが、そういうのは反対するんだよ、ということだった。そういうことなのだ。『イージーフレンチ』の amazon.jp でのカスタマーレビューなどを見ても、この本のカナに違和感を表明しているものがかなりある。なかには「間違っている」と断定してしまっているものもあったりする。やれやれ、だよね、フローラン?

固定した変換テーブルの知識が、耳を塞いでいるということはないだろうか。じつのところ、フランス語ならフランス語と日本語のカナの間の変換テーブルなど、フランス語そのものには本質的に関係がない。それを、「日本のフランス語学習」のよき(?)伝統にとらわれてしまうとすれば、あまりいいことであるはずがない(ほかの言語でも同じ)。耳を、開くべきだ。そして所詮便宜にすぎないカナ表記については、どうせならもう少し柔軟な使い方を考えてもいいのではないかと思う。つまり、フランス語の音をよく知らない人が「テュパるルフランセ」というカナにしたがって発音しても理解される可能性は極めて低い。「テュパンフロンセ」のほうがはるかにマシだということだ。

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