マネキン

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フィンランドに日本ブームが、キター!? | エキサイトニュース

ヨーロッパ全般の現象なのであって、フィンランドでも、ということには、格別ニュース性はあるだろうか。様々なマンガのフィンランド語訳は、英語、フランス語などに比べればはるかに遅かったかもしれない。ぼく自身は、初めて『コナン』を読んだのは、丸善で見つけたフランス語訳によってであったし、初めて『ヒカルの碁』を読んだのはドイツで見つけたドイツ語版によってであった。それに「ポッキー」が「Mikado」の名で売られていたのはフランスに限ったことではない。

エキサイトニュースの記事で興味をひかれたのは、日本(少なくともアジア)女性ふうのマネキンの画像だ。これはぼくにも初見だった。

マネキンというと、白人女性っぽいのが一般で、なぜ日本の衣料品店のマネキンはみんな毛唐なのだ?といったプチ・ナショナリズム的な言説も、一頃たまに見かけた。でもそういうのを読んで、当時ぼくが思ったのは、そこらにいそうな人たちと同じようなマネキン人形がショーウィンドウに立っていることこそブキミ unheimlich なのではないだろうか、日本のマネキンが白人なのは、どこか抽象的つまりリアリティが欠けていて、だからこそある意味でまともなのではないのか、ということだった。たしか小松左京だったか、車で走っていた男が、前の車の後部ガラスに死んだ恋人の姿が見えて仰天し、事故死した、実は彼女は生前マネキンのモデルをやっていたのだった、というショートスリラーを書いていたのではなかったか。マネキンがリアルだったらブキミなのである。だから逆に、白人の世界に白人女性をかたどったマネキンしか存在しないということは、どうなんだろう、もしかしたら一種の貧しさかもしれないな、と思っていたのだ。そこらにいそうなマネキンだったら、ああ、この服はこういうキレイな人にこそ似合うものなのね、というネガティブな効果も考えられる。日本では、白人ふうのマネキンは、リアリティがないから抽象的で、だからこそ機能している部分があるのではないのか。

その逆の現象が、ここでは起きている。ヨーロッパでアジア女性ふうのマネキン。「フィギュア」の収集なんかと絡めて、もう少し精神分析的に(?)つっこんで考えてみる価値はありそうだ。

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