レイト・スターターという日本語は、どうやらヴァイオリン(とその他の弦楽器?)に関してのみ用いられる。この言葉、柏木真樹がひねり出して広めた。本人もそう書いているから間違いないだろう。しかしまあよくぞ普及したものである。でもその普及ぶりには理由があったのだと思う。
英語的におかしいという文句がある。英語的におかしいのはもちろんだが、英語と勘違いして英語圏に行って使ったりしなければいい。これは日本語なのだ。「テレビ」はおかしいからTVとか television と言え、というようなものではないだろうか。(どちらかというと個人的には「マンション」や「ホームページ」のほうがずっと気持ち悪い。でもこれらの日本語に文句を言う筋合いはない。自分では使わないだけだ。)
これが「差別語である」(最近ネット上の二箇所ほどで見かけた)というのも事実とズレているように思われる。どちらかというと、この言葉はもっぱら自称として使われているからだ。(逆に差別はむしろこれを差別語であると言う人々の側にあるのではないか。)まあ、自称としての「逆差別」だという見方もあり得ないではないが。
重要なことは、この言葉が、この言葉にあてはまる人たちにとって、一種の確かなアイデンティティを作り出しているという事実だ。たんに遅く始めた人たち(が自ら)をくくる言葉としてこの言葉があって、「でも楽しい」「でもがんばっている」というところに繋がっている。楽器は小さいうちに始めなければ、という言説は昔からあって、遅く始めることには、たしかにもちろん不利なところもたくさんあるから、それは間違ってはいないのだけれど、そのために、遅くなって始めた人たちを語る言葉が存在しなかった。そういう人たちは存在していても存在しないも同然だったのだ。そんな事情があって、いや、そういう人たちもたくさんいるんだよ、と認識させたのがこの言葉であり、そういう人たちに自らを語る手段を与えたのがこの言葉なのだと考えるべきだろう。
早く始めようが、どんなに指が回ろうが、どんな難曲を(一応)こなそうが、センスのない者、怠け者(これは僕のことだ)はダメなのだ。レイト・スターターという言葉は、そういう区別とは別のところにある。僕としては「レイト・スターター」の人たちを応援するだけだ。