このところ、ダルクローズやフルトヴェングラーを読んでいて、音楽に関する言説に現れる「機械的」mechanisch, mécanique という言葉について改めて考えている。ダルクローズもフルトヴェングラーも、この語をネガティブな意味で使っている。
現在では、機械的・無機的/有機的 という対と、デジタル/アナログ という対が共存しており、いずれも極めて曖昧に比喩的に用いられている。
しかし今日の「機械」は、もはや「機械的」という比喩でイメージされるものとは必ずしも合致しなくなっている。デジタルはあくまでも量子化された離散値を扱うが、最小値を小さくしていくことで、連続値に近づく。今日ではまた、必ずしも均等ではない、一定の法則に従って伸縮する「拍」をデジタルに描くことも、さほど困難ではないはずだ。「機械的」という言葉で喚起されるイメージは、同じ離散値でも、最小値がひどく大きいし、あくまでも均等で、微細なゆらぎを表現することはできないもの、なのではないだろうか。19世紀的な「機械」のイメージ、古典的な時計の、つまりは振り子のイメージだ。
「機械的」とは、広辞苑では、こうだ。比喩的な用法として問題になるのは (1), (2)。
きかい‐てき【機械的】
(1)機械が動くように単調な動きを見せるさま。「–に手を動かす」
(2)個性的でなく、型どおりのさま。「–に処理する」「–に目を通す」
(3)力学的。力学の法則に還元できる過程についていう。
(広辞苑 第4版)
Duden の Das große Wörterbuch の mechanisch の項で、ここで問題にしているような比喩的な用法は4番目に挙がっており、
4. a) ohne Steuerung durch Willen od. Aufmerksamkeit [vor sich gehend, geschehend]; automatisch: eine -e Bewegung; m. antworten; b) gleichförmig u. ohne Nach-, Mitdenken, Überlegung vor sich gehend:
© 2000 Dudenverlag
とある。意志や注意によるコントロールなしに、というあたりは、ダルクローズの使っている「機械的」とは正反対なのだが、これは実はあまり大きな問題ではない。(ダルクローズにとっては、「機械的」は本能やインスピレーションと対立し、「知性」や「意志」の側に算入される。)
ここで gleichförmig 一様に、という語が重要だろう。広辞苑が「単調な動き」という言葉で捉えていた側面が、ここにもたしかに見られる。つまり、「機械的」という比喩で表わされるイメージには、自動的な、意志の媒介を経ない、といっただけでなく、等速運動、もっとはっきり言えば均等拍のイメージも不可欠の構成要件として含まれている。ということは確認しておくに値するだろう。
おそるべきことに、Das große Wörterbuch の Metronom の項には、mit Metronom spielen, üben (メトロノームに合わせて演奏する・練習する)という「用例」が当然のように出ているのだった。
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