Bowmaster

bowmasterヴァイオリン初心者が弓の「持ち方」を安定させるためのアクセサリ。Super-Sensitive Music Instrument Companyという、なんだかなーという名前の会社の製品。フルフルさんのところで教えていただいて、購入してみた。Amazon.com に出ていたので、他の本を注文するついでに買えば送料の点でも有利かなと思ったが、実体は、amazon.com に間借りしているだけの別の小売店で別会計。本と一緒に送ってもらうことはできなかった。品物は6.95ドル。送料が22.50ドル。送られてきた大きな箱のいっぱいの詰め物の中に、ころっと入っていた。(昔のコーンフレークのおまけを思い出す。)

ぼく自身が使うためではない。大学の「宗教センター」で活動している音楽団体の、初心者の学生を「診る」ことがある。たいていは合奏の指導をしているのだが、個人レッスンみたいなこともやる。で、その中でも弓の持ち方を教えるのはとても難しい。それで、彼らに感じをつかんでもらうためのきっかけや補助になるだろうか、と思ってポケットマネー(って死語か?)で入手した。

言うまでもないことかもしれないが、自分ができるということと教えられるということはまったくもってイコールではない。

甲野善紀さんの周辺の書物をまとめて読んでからか、体の各部をいかに連携させて使っていくかが肝心だということが明確に分かってきてからは、ある程度できている学生が困っている場合、わりあい的確なアドバイスができるケースが多くなってきた。チェロの学生が、隣り合った弦を連続して交互に移弦するやり方に苦労していた時、肩からひじ、手へのラインが繋がっていないのがすぐに見え、手先だけでこねているのが分かったから、肘をちょっとあげてごらん、と言ってやることができた。そこに一つのラインを作り出すためだ。とたんに学生の顔が明るくなった。

でもこれはある程度できている学生の場合だ。まったくの初心者に弓の「持ち方」を教えるのは、難問のなかでもとりわけ難問に属すると思う。

弓の持ち方、いろいろな人がいろいろに表現を工夫して書いている。

ひよこをつかむように(ぎゅっとにぎったらひよこは死んでしまうよ)、とか、

しかしこの手の言葉は、分かってしまっている人から見ると、なるほどね、などと思うのだが、分かっていない人が読んでもさっぱり意味が分からないというケースが少なくない。そこにはどうしても、言わば「暗闇の中の跳躍」が、跳んでしまって、分かってしまって初めて分かる(まるでトートロジーだが)という事態が存在するのだ。

たとえば、動詞一つとっても、「持つ」「握る」「つかむ」のいずれも、適正な状態からはズレた表現になってしまう。弓が手の中にすぽっとはまっている感じ、「弓に演奏させる」感じなのであって、言わば他動詞の能動態で表現することは到底不可能なのだ。ところがこれから習得していこうとする人は、これも言ってみれば「主体」として、「能動的に」、弓に対してアプローチしていくしかない。不作為の作為が必要だ、という、禅問答みたいな話になってしまうのだ。

歳経りたツタのように弓にきゅうっと絡み付いている学生の右手指を弓から一本一本引きはがし、この指はここらへん、指の形はこんなふうに円く、親指はこんな形でこのへんに、小指の先は六角形の弓身のこの面に当てて、などとやって、いちおうそれらしい形にするのだが、本人がすぐにそれを自分のものにできるわけではない。他のことに気を取られていると(そして楽器演奏には気を取られるようなさまざまな要素が絡み合っている)、あっという間にへんなところに力が入り、右手の形もくずれてしまう。だから右手の形を安定させるこの小道具は役に立つかもしれないと思ったのだ。

まったく、この手の、教育の方便としての道具を作らせたら、いまだにアメリカ合州国人たちの右に出るものはないと思う。明らかにある種の合理主義と、オプティミズムと、独特の熱意とエネルギーが感じ取れる。(ヨーロッパの連中だったら恥ずかしくてこんなもの作れないだろうという気がする。)

まもなく期末試験期間。学生たちの音楽活動はしばらく休止するから、この小道具を実際に使ってみるのは少し先のことになる。少しでも効果があればよいと思う。

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