ひょっとこの群れ─後舌高母音の記述について

前々から不思議で、調べてみようと思いつつそのままになっていることの一つがこれ。

音声学で、後舌高母音などと呼ばれる音。日本語にはない。ドイツ語の u とか o の音。フランス語にも英語にも韓国語にもスロヴェニア語にもある。たいていの初学者用参考書には冒頭に発音に関する記述があって、たいていのもので「口をとがらせて」とか「唇を突き出して」と書いてある。それが不思議なのだ。

この音、口を尖らせるのではない。少なくとも、尖らせる、という言い方は明らかにミスリーディングであると思う。日本語としての普通の「尖らせる」の感覚でやった場合、この音は出ない。唇を、肛門のように、と言ったら尾籠にすぎるか、ともかくひきしぼること、そして舌を後ろに引くことが要件なのだ。

ところが「とがらせる」「突き出す」と書き、かつ舌のことにはまったく触れていない記述が多い。

あらゆる言語の参考書にこういう書き方が行われている。書き手は、自分でまともな発音ができていないか、できているけれども自分で自分がやっていることが分かっていないか、何にも考えていないかのいずれかだろうと思われる。

たぶんもともとは一種の誤訳だったのだろうと思われる。おそらく明治か大正期のどこかに起源があって、それがあらゆる言語参考書にそのまま引き継がれてきているのだろうと思う。その起源を調べてみたいと思っているのだが、いまだに着手できずにいる。

コメント / トラックバック6件

  1. tsujigaku より:

    > みたいと思っているのだが、いまだに着手できずにいる。

    ってなことが積もり積もっていくのがこの稼業ですね。
    数え上げたらキリがない。でも着手するには時間がない。

  2. 原由利子 より:

    早速拝見に伺いました!口をとがらせて、という発音解説の表記は、まま見たことがあります。時代がすすんでいるのに、大昔の言い回しを固定化して使っているのは不思議なことだなあと思いました。ふと、以前見たフィガロの結婚の日本語上演で、冒頭フィガロが長さを計るしぐさをしながら歌う歌詞で「〜尺、〜尺…」と歌っているのを思い出しました。未だ堀内敬三さんの邦訳を使っている訳で時代感覚がずれまくりだなあと感じたのを記憶してます。

  3. takuya より:

    tsujigaku さん

    うん。そういう面もある。でもキリがないほどのネタは僕はないんですけどね。ただ一つ一つがまるで違うジャンルに遠く散っている。ま、たんに怠惰なだけかもしれません。

  4. takuya より:

    原さん、ご来訪ありがとうございます。
    「口をとがらせて」はマズいと思うんですが、フィガロの「尺」はどうなんでしょうね。なにしろ18世紀末の作品なんで、ギャップがあるほうが正しい、という考え方もありそうです。
    堀内さんのお仕事の評価は別として、逆にいま僕らがダ・ポンテのリブレットを日本語にするとして、「尺」なんて使うことは思いもよらない。のは、それだけ「教養」の幅が狭くなっているのだという気もしないでもありません。
    もちろん、徹底的に現代化して日本語にするという立場もあり得ますが。

  5. 原由利子 より:

    もいちど参りました。確かに作曲された年代を鑑みて訳をする必要があるとも思いなおしましたが今後主体となるリスナーの層が「尺」という語を耳にしてどう感じるのか、その辺も興味深いところです。
     わたくしの祖母の世代あたりですと、そのような言い回しもごく自然にしていたように思います。初めて我が連れ合いと会わせました折、背が高い彼を見るや「まあお背が高いこと!身の丈はいかほど?何尺くらいですの?」なんて申していましたから、ははは。
     所で、ブログはあまり更新頻度が高くなく昨今またHPを更新しだしておりますので、是非ともこちらの方にご訪問いただければ幸いです!(お越しの際は是非とも掲示板に一言頂けましたら嬉しゅうございます)

  6. takuya より:

    原さん
    そうですね、どう受け止められるのか。
    ちょっとズレますが、そもそもフィガロを日本語で歌うのって大変でしょうね。
    ほうほう、背の高いご主人なんですね。

    はい、そちらのRSSは常時チェックしていますよ。

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