六甲越え有馬温泉

日曜日、山越えをして有馬温泉に行った。芦屋川駅ではバスが出た直後だったので、タクシーで東お多福山登山口へ。東お多福山というのは六甲では珍しく笹原の、木陰のない山で、今ごろから春先にかけてが適期だ。日陰がないから夏はたまったものではない。東お多福山からだらだらと雨ケ峠に下り、そこからはかつて神戸の海と有馬を結んだ魚屋道(ととやみち)と呼ばれる道。本庄橋跡から七曲がりの急登を経て一軒茶屋へ。六甲の尾根を縦断する自動車道の通る場所だ。六甲最高峰を往復して、有馬に向かって下る。このあたりはいかにも昔の街道っぽい、平らかで幅の広い道だ。ここ数年、何度か一人で来た時、一軒茶屋から有馬への下りは、いつも白石谷に入っていたので、この道を歩くのはしばらくぶり。白石谷はちょっとした「沢下り」だから、小さな子供連れの今回は避けた。丁寧に巻き道を選んでいけばそれほど難しくはないのだが、白石谷への分岐点には、「熟達者向け、危険」と書かれた道標がある。久しぶりに歩いた魚屋道有馬側は、道標やベンチがずいぶん整備されていた。

今回は意外と若いカップルが山道を歩いているのが目に付いた。

大昔、山というのは若いムサい男たちの世界という印象があった。「山男よく聞けよ」とか「おれたちゃ街には住めないからに」といった歌の文句が鬱屈した当時の男どもの(今から見れば)下らない空気を今に伝えている。その後女性の登山家がちらほら輩出し、今井通子をモデルにした小説を新田次郎が書いたりした。90年代だったか、高年層の山歩きブームが起き、状況が一変する。NHKが、そういう年代相手に、百名山の番組を組んだりした。骨粗鬆症という、スロヴェニア語の単語のように発音の難しい言葉が発明されて流通し、一種の健康ブームとなって、山はおばちゃんたちであふれ返った。なにしろそこらの街角で世間話をしているのとまったく変わらぬ様子で、まったく息が上がることもなく、しゃべくりながら集団で歩いていくのだからすごい。ことに六甲などでは顕著だ。

その裏側で、若年層の山離れが起きているように思えたのだ。統計などに当たっているわけではないただの印象だが、バブル期に、大学生も多くの者が車を持つようになって、彼らにとって六甲などはもっぱら車で登るところであるように思えた。「しんどい」ことは、その果てにどんな楽しいことがあろうと、敬遠する傾向も強まっているように思えた。だから今回山靴をはいて登ってきているカップルを何組も見て、少し意外に思ったのだ。一種のリバイバルの波が起きているのだろうか? 長引く不景気で学生がビンボーになり、新たなレジャーとして山が「発見」されたのか。

まあどうでもいいや。いろいろな年齢層の人が山歩きの楽しさを知るのはともかく悪いことではない。ぼく自身は中学高校の頃から丹沢や奥多摩といった低山を中心に、細く長く山歩きをしてきた。厳しい冬山も、重たいテントを背負った山行も、岩登りも知らず、たかだか易しい沢止まりの、アマチュア・ウォーカーだ。

今年は遅かった紅葉も、いつのまにかやや盛りを過ぎているようだったが、好天の空の青に赤や黄がくっきりと映えていた。

有馬の「金の湯」はかなり混んでいた。関西弁の他に、中国語や韓国語やドイツ語や英語が聞かれた。都市近郊のオンセンはわれわれが思っている以上にインターナショナルな観光地と化しているのだ。バスで芦屋川に出ようか宝塚に出ようか迷って、宝塚にした。宝塚駅の手前で渋滞に入ってしまい、ずいぶん時間がかかった。芦屋に出ていれば、これはないはずだった。名塩駅で降りて、JRで宝塚に出るべきだったかもしれない。渋滞の間、左側の車窓を満月が煌々と照らしていた。

ぼくはふだんろくに運動をしていない。徒歩通勤で坂道を登ってはいるが、それ以外では月にせいぜい一度か二度の山歩きだけ。日曜にこうして歩くと、次の日、出勤で歩く時、足だけはすっすっと前に出る。でも体全体は疲れている。特に上半身が重い。これは別に鍛えなければダメだということなのだろう。

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