ペルナンブーコ2

弓職人とペルナンブーコ材の現在に関しては、2005年7月16日付けの「ベルリン新聞」紙のヴォルフガング・クーナトの記事が、読みやすく興味深いストーリーとなっている。Magazin とあるから、ドイツの新聞によくある、週末版の付録誌に掲載されたものだろう。掻い摘んで紹介したい。

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ペルナンブーコの木。
画像は
Global Trees Campaign より。

主人公は旧東独ドレスデン出身の弓職人ヨッヘン・シュミット氏。ペルナンブーコ、あるいはドイツ名でフェルナンブーク材は子供の頃から知っているが、生きて生えているその木を見るのは初めて。数人の仲間とともに、ブラジルの熱帯林をしばらく歩いて、まれにみる見事な木の前に立った。

ドイツには弦楽器の弓のメーカーが40軒ある。全世界ではその10倍程度。ほとんどが個人経営。全世界で、年間およそ8万本の弓が造られていると見られる。

弓メーカーはペルナンブーコ材が頼りだ。これに代わる素材はない。約250年前から、この木が使われてきた。「ヴァイオリンは弓だ」と言ったのは18世紀の名手ヴィオッティ。楽器本体よりも弓を重視する奏者も少なくない。そのヴィオッティの時代、音楽史上の革命が起こっている。フランスの時計職人だったトゥルテが、弦楽器の弓の形態を完成させたのだ。そのトゥルテがそれまでの素材に替えて選んだのがペルナンブーコ材。

トゥルテの弓は、楽器からより大きな音を引き出すことが可能で、それは時代の要請に適っていた。音楽が、貴族の室内で楽しまれるものから、大ホールで市民が聴くものとなっていったからだ。フランス革命の時期、史上初めて「野外コンサート」が開かれている。この時期に近代的な弓が形作られたのは必然であった。

ベルリン・フィルのヴァイオリン奏者ペーター・ブレムは、楽器も弓も等しく重要だと見なす。彼の持っている弓はいずれも100年ほど経った3本で、価格はどれも約1万ユーロ。「歳をとるほど軽い弓のほうがよくなってくる」というブレムは、57グラムのヴォワランを愛用している。繊細な音楽ほど軽い弓。逆にブルックナーなどでは62グラムのヒルの弓を使う。500ユーロの安弓を使うことは考えられないが、5万ユーロのオールド・ボウを求める人がいるのは理解できる。

シュミットの子供の頃の回想。「オイストラフ、ロストロポーヴィチなど、ソ連のスターがみんな、DDR(東ドイツ)にやってきた。彼らはDDRでカネを稼ぎ、そのカネでDDRで楽器や燕尾服を買った。連中は私の父のところに出入りしていたのだ。」祖父の代から続いてきた弓メーカーとして、DDR時代も経営を続けていくことができた。なんと言っても外貨を稼ぐからだ。だが国がブラジルで買い付け、弓メーカーに割り当てるペルナンブーコ材の品質は粗悪なことが少なくなかった。


※トゥルテ、ヴォワランについては「フランス弓辞典」
あたりをご覧ください。

東側の体制が崩壊したとき、シュミットは、祖母のアドバイスに従って、フォークトラントのマルクノイエンキルヒェンへ行き、ベルナンブーコを買いあさった。マルクノイエンキルヒェンはドイツのかつての楽器製造の中心地で、戦前には150人の弓職人がいた。シュミット「90年代初頭に、たくさんの木を買いましたよ。一部はマイスターが戦争で亡くなった工房で、おかみさんがストックに手を付けていなかったところから。」こうしてシュミットは何トンもの木を手に入れた。「一番いいのは、60年や80年前のものです。最近になるほど品質は落ちている。環境破壊の影響かもしれません。」ともあれ、ヴァイオリンの弓一本の木は40グラムあまり。数トンということは、当面は困ることはないということだ。

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ドイツの中でのフォークトラントの位置。
http://de.wikipedia.org/wiki/Vogtland による。

※フォークトラント。原文では Voigtland となっていたのを訂正。ザクセン州、テューリンゲン州(以上2州は旧東独)、バイエルン州、ベーメン(チェコ)4国の境界付近の地域。シューマンの故郷ツヴィッカウもこの地にある。現在のフォークトラントは、楽器製造の伝統もウリの一つとして、保養地として売り出し中らしい。フォークトラントの観光局サイトを参照。


弓に使われる木材は、加工する前に最低8年は寝かせておかなければならない。だから弓メーカーはすべてストックを持っている。そのため、ブラジルでペルナンブーコが絶滅の瀬戸際にあり、自分たちの仕事が長期的に見て危機に晒されていることに彼らが気付くには時間がかかった。

ペルナンブーコ材の故郷はブラジルの大西洋海岸森林地帯。1500年4月22日にカブラルが初めてブラジルに上陸したとき、ブラジル東海岸の南北130万平方キロを覆っていた。そしてその後のブラジルとは、何世紀にもわたって海岸部だけの国と言ってよかった。もっぱら沿岸部が伐採され、開墾され、開発されてきて、内陸部に人が入っていったのはずっと後になってからだった。

アマゾンの原生林の伐採が国際的に問題視されていたとき、沿岸部の森林については誰も何も言わなかった。それはもはや壊滅状態だったのだ。「アマゾンの森林以上に、大西洋岸森林は、ブラジル最大の環境破壊の悲劇の舞台だったのです」とリオデジャネイロ植物園の研究所長アロルド・カバルカンテ・デ・リマは言う。元の130万平方キロのうち、現在残っているのは、5万2千平方キロにすぎない。それも、小さな切れ端のように、ぽつり、ぽつりと。

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16世紀(オレンジ色)と21世紀初頭(紫色)のブラジル大西洋岸林の広がりを示す。
http://www.ipci-comurnat.org/eng04.htm より。

トゥルテがヴァイオリンの弓に最適な素材としてペルナンブーコ材を発見する以前から、赤色の染色材料としてのペルナンブーコには大きな需要があった。ブラジルがヨーロッパ人によって「発見」されて4年後には、毎月100トンのペルナンブーコがヨーロッパに送られた。当時の船の大きさを考えれば、驚くべき量である。1502年にはすでに、ポルトガル王はこの染料木材を国家独占下に置く布告を出し、それが以後358年間続く。19世紀半ばの合成染料の発明によってこの天然素材は急速に価値を失う。実はその数年前には国家独占の上がりはイングランド銀行によって差し押さえられていた。

不確かな推測に過ぎないが、5世紀のあいだに、2千2百万本のペルナンブーコが伐採されたという。400年前にもペルナンブーコの乱伐を禁止する法はあった。守られていないのは今日の環境保護法も同じだ。今日ブラジルで伐採される熱帯林材の86%、年間3千万立方メートルは、非合法だ。かつてと違うのは、その大部分はブラジルの国内で取引され、外国人を利することはないということだ。

シュミットら弓職人たちは、ペルナンブーコを伐り出すために大西洋海岸林へ行ったわけではない。ペルナンブーコを救うためだ。この木は、500年前から知られていながら、分かっていないことはたくさんある。いまブラジルのどこにどれだけ生えているのか。ペルナンブーコの亜種は3つあるが、その地理的分布はどうなっているか。どのように繁殖するか。遺伝子構造はどうなっているか。どのような土壌や気候を好むのか。栽培し、今後も利用していくためにはこれらは不可欠の知識だが、どれも欠けているのだ。目標は、50万本を植えて、遠い未来の弓製造に利用すること。

現在活動している弓職人のほとんどは、直接その恩恵にあずかることはないだろう。伐採が可能になるのは30年後のことだからだ。よい木は必要だが、それほど大量には要らない。年間250立方メートルほどだろうとシュミットは言うが、もっと大きな数字を挙げる者もある。

仲間の弓職人の多くは、「ペルナンブーコ料金」を価格に上乗せし、また他の職人は金や弓を寄付している。ウィーンのコンツェルトハウスでは、ペルナンブーコの保全のためのチャリティコンサートも開かれた。

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ペルナンブーコ材。上が12年、下が27年のもの。
この赤い心材部分のみが使われるわけだ。
出所:IPCI

ペルナンブーコ木はブラジルのバイア州南部で栽培することになっている。たとえば600ヘクタールあまりの、あるカカオ・プランテーション。農業改革で、土地を持たない52戸の家族に譲与されたものだ。弓メーカーたちは、彼らにペルナンブーコの世話を依頼して金を払う。一昨年(2003年?)からカカオ価格は6割も下落しているだけに悪くない副業だ。遠いいつかこの木が売れるようになって手に入るであろう金だけが目当てなら、今現在のペルナンブーコ材のブラックマーケット価格にも話が行かざるを得ない。だがその話は避けたい。カカオ農園にはすでに成木となっているものも何本かあり、売れば立方メートルあたり140〜300ユーロになるとなれば、農家にとっては誘惑的である。

だがまず現存するペルナンブーコの調査が済まないことには、ブラジルの自然保護官庁 Ibama は商用化の相談には応じない。そうしないと、弓メーカーが、たとえば数十年前に植林された木の利用について交渉することもできないのだ。ストックがますます減ってきている今、これは中期的な問題解決のための緊急の案件なのだが。

特にやっかいな立場に立たされるのはブラジルの弓メーカーたちだ。ペルナンブーコ材の取引はブラジルではおよそ5年前から非合法になっており、彼らのストックの一部も非合法なのだ。弓職人のマルコ・ラポーサは傑作な当座の解決方法を見つけ出した。ペルナンブーコ材は色と音を作り出す目的ばかりに使われてきたわけではない。シロアリにも強いため、以前はしばしば線路の枕木や牧場の柵にも利用されてきた。昨年末から、ラポーサは80本以上の保存状態のよい柵木を買い取ってきた。ひびさえ入っていなければ、その一本一本から10本の弓を作ることができるのだ。

「ベルリン新聞」の記事の紹介は以上。
ポルトガル語やブラジルについて無知なこともあり、思わぬミスを犯しているかもしれない。お気付きの場合はお知らせください。



コメント / トラックバック2件

  1. kwan より:

    久しぶりに覗いたら紫になってました。お元気そうで何よりです。
    で、Voigt/Voigtlandも間違いではありません。古い綴りと発音で、Voigtさんもいます。土地の人はまだ旧名を使うのかも。
    Vo(i)gt=advocatusだそうですが、悪代官の支配する地だったのでしょうか。爪弾く代わりに音を出してくれる道具の職人がいたから、というわけではないみたいです。

  2. takuya より:

    へえ、それは知らなかった。ご指摘どうもありがとうございます。

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