…というのは、もちろん、中島義道氏の、あとの諸作はどうでもいいぐらいすぐれた江湖デビュー作(いや、ウィーン本のほうが先か)のタイトル。川端康成のもじりですね。
三月半ばに日本に舞い戻ってきて、まずはあえて成田に降り、神奈川県の某小都市にしばらく滞在しておりました。商店街の街頭広告放送は健在でした。小さな商店が、それぞれに、シロート臭い田舎臭いコマーシャルを流していく街頭放送。なかなかせつないものがあります。
関西は阪神間の某市の公立中学。校舎には「心で野球を!」という意味不明の幕が掲げられております。毎日、3時ごろだったかな、誰もいない校庭に向かって、ということは近隣の住宅に向かって、毎日同じ、泰西名曲を切り刻んでメドレーにしたものを流しておりました。少し離れたところに引っ越して、幸いあれを耳にすることもなくなりましたが、いったいあれはどのような教育的配慮によるものだったのだろう? 付近住民はなぜなにも言わないんだろう? 学校の近くに落ち着くということはありえない。孟子のお母さんならもう1回引っ越ししなければなりません。孟母四遷。
その近くの某幼稚園。園児たちの下園時には、さして性能のよくない園庭のスピーカーからよく分からない音楽が大音量で流されます。付近住民はなぜ何も言わないんだろう? 赤ん坊が寝ている家だってあるだろうに。
さほど遠くない某大学。昼休み、真ん中の芝生周辺で、ラジオの語りを模した「放送」が大音響で流されます。学生のやる放送ごっこ。
子どもたちは「うるさい日本」で生きていかなければならないわけですから、これらは、もしかしたら、それに対する耐性を付けてやろうという配慮なのかもしれません。でもそれ自体が「うるさい日本」を再生産しているので、その元を断ち切ったほうがいい。
選挙の候補者の宣伝カー。「うるさい日本」の代表選手。ひたすら空虚な名前の連呼と「お願いします」の繰り返し。政策の中身は不明。「みなさまの暮らしを守る××です!」─おめーが騒音で暮らしを破壊してるってーの。たぶんあれは、公職選挙法が悪い。
日本の CD ショップ。たいして広くもない店の一角では J-Pop が、もう一角ではクラシックが流れ、入り交じって、ひどいことになっています。とうてい静かに「音楽」を選ぶ環境ではない。
某家電チェーン店。「聖者が街にやってきた」の替え歌をガンガン流してます(他の家電店も似たようなもの)。もうちょっと静かなら、ゆっくり色々選んで買ってしまうかもしれないのに、店内にいるのが苦痛で、どうしても必要なものがあるときだけ、そそくさと行って、そそくさと必要なものを買って、店外に脱出します。どうも沈黙や静かさというものに対する恐怖があるらしい。
話がそれましたが、とりあえず教育機関の話。リュブリャーナの幼稚園にも小学校にも、スピーカーはありませんでした。あったとしても使われていなかった。小学校では音楽は生徒たちが奏でるもの。幼稚園では、お昼寝の時間にちっぽけなCDラジカセみたいなので音楽を流したりしていましたが、それ以外のものはない。スピーカーは要らない。もちろん、大学も、構内に垂れ流す放送なんてない。その道に進む人に放送の勉強は必要? なら大学FM局でもぶったてるか、コスト的・手続き的に無理なら、そろそろ podcasting でもやったら? ラジオのいいところはさ、聴きたい人がチューンして音量も設定して聴くのであって、強制はされないってことだよ。
なんでそんなことを言うのかって? 「異文化理解」ですよ。異文化理解って言葉にもし意味があるとするなら、自文化を自明ならざるもの、異様なものとして眺める視線を獲得すること以外にない。

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>>さほど遠くない某大学。昼休み、真ん中の芝生周辺で、ラジオの語りを模した「放送」が大音響で流されます。学生のやる放送ごっこ。
その放送ごっこしてるうちの一人に私の元恋人がいます。
>さほど遠くない某大学。昼休み、真ん中の芝生周辺で、ラジオの語りを模した「放送」が大音響で流されます。学生のやる放送ごっこ。
静かにしてしまって、学生さんが芝生でゆっくり思索なんぞしたら、このガッコーのおかしさに気づいちゃうでしょーが。作戦なんじゃないですか。あれ。「聖者の行進」替え歌で、商品をゆっくり選ぶ余裕を与えないのと同じですよ、きっと。
> くぼ さん
それが何か?
> tsujigaku さん
そうだとすれば、なおさら。気づいちゃったほうがいいと思うけどな。
「聖者の行進」が正しいタイトルでしたか。
いや、「聖者が町にやってきた」だったかも。The Saints go marching in が原題でしたよね。本当は、聖者が天国に入っていく、というような意味の歌だと思うんだけど。come じゃなくて go だもんね。ガッコーのおかしさは、うるさくたって気づくはずなんだけど。
ちょっとググってみたら、ずいぶんいろいろバリエーションがあるみたいですね。初めて知ったのですが、もともと主に葬送に使われてブルース調で演奏された曲だというのが面白い。出自を考えるとずいぶんあまり賢明とは言えない使われ方もしているようにも思いますが、たぶんそういった出自こそが、意識されないまま、あの曲の魅惑の核をなしていて、そんな使い方も誘発してしまっているのでしょう。やれやれ。
某家電チェーン店、最近久しぶりに行ったら、「聖者の行進」は止めていました。そのかわりにオリジナルの妙な歌が流れていて、やかましいことに変わりはない。あのBGMを止めるのを「やってみます」と言ってみませんか?