外国語の教師というのは、自分の専門以外の言語をたまには学んでみるべきではないかと思う。商売にしてだらだら続けていれば、だれだってある程度はできるようになるのが当たり前で、その結果、初学者がいかに学ぶべきか、その学びをサポートする意味でいかに教えるかという反省が欠落しがちになるからだ。(こういうことを言うとなぜか怒り出す教師がいるのだが──なぜか、「おまえは傲慢だ」、と。自分が一から十まで「謙虚」でありえているとは思わないし、そうあるべきだとも思っていないが、しかしなぜこの議論が「傲慢」なのかは不明だ。)自分の母語を教えていたりするなら、なおさらだ。
ここでは「聴く」ということに関して。
今なお生き延びている LL教室というのも困ったものだと思う。あれは、(カセット)テープレコーダーというものがまだまだ貴重で、誰もが購入できるわけではなかった時代の遺物だろう。週に1回ばかり、あんなところに押し込まれて、一時間ほどヘッドフォンを耳に当てたところで、たいした効果が出るわけはない。
LL ではない教室でも、週1回の授業に、プレイヤーを持ち込んで、その場でだけちょろちょろと聴かせるのも、すでによほどデキる学生を相手にしているのでない限り、あまり意味はない。
学生の時、たしか二年生の時だったと思うけれど、ある教師が授業にドイツ語のテープを持ってきていきなり聴かせた。かなりまっとうなドイツ語の、長めの、まとまりのあるテクストの朗読のようなものだったと思う。僕らは全然分からなかった。その時、僕は、教師(尊敬すべき先生ではあったのだけれど)に向かって、こんなもの、いきなりただ聴かせたってダメでしょ、と批判したのを覚えている。
そこまで、学生たちが聴くことを十分に取り入れた積み上げをしてきているか、さもなくばそこから何十回となく繰り返し聴かせるのでなければ、こんなやり方に意味はないことは明らかではないかと思う。やっている教師としては、「生きた」言語を聴かせて、追々これぐらいは分かるようにならなければいけないんだよということを認識させ目標設定させているつもりかもしれないし、あるいは単に教室での自分の発音に自信がなくてネイティブの録音にすがっているのかもしれない。僕の二年生の時の教師はたぶん前者だったのだと思う。しかしこれ、学生としてはフラストレーションがたまり、意気阻喪するだけではないのか。おそらくあの先生ご自身は、長年ドイツ語と関わり、ドイツでも学生をやり、そうしたなかで、いつのまにか聴けて使えるようになっていたはずだ。
この問題は、ここ20年ぐらいの、特に最近の数年間の、オーディオ・テクノロジーの急速な変化(やはり進歩と呼ぶべきか)がからんでくる。(つづく)
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はじめてコメントさせていただきます。
東京在住のしらちゃんと申します。
外国語教師に関しての意見に賛成です。
特に英語の先生は英語以外の外国語を勉強してほしいと
思います。私が大学浪人している時の英語の先生で、
ヘブライ語を習い始めた先生の話はおもしろかったー。
他の生徒は全然興味を示さなかったですが(苦笑)。
ところでこのBlogを知ったのは、「木村元彦とペーター・
ハントケ」をネットで検索したのがきっかけです。
フランスのコメディー・フランセーズで来年、
ペーター・ハントケの作品の上演予定があったところ、
彼がミロシェビッチ元大統領の追悼集会に参加したことで
上演中止になり、そのことに対する賛成派と反対派の意見が
ぶつかっていると新聞に載っていました。
いろいろな意味で、ユーゴの「問題」はまだまだ終わって
いないですね。
しらちゃんさん、こんにちは。
そのニュースは知りませんでした。ありそうなことです。ハントケのテクストは、『空爆下の…』に限らずいわゆる「純文学」的作品でも、文学そのものの位置がすっかり凋落してしまった現在になお、読まれるべき一定の価値があると考えています。読まれるといいのですが。