ドイツの大学オケ、アマオケ (3)

その年の9月、大学オケのキプロス演奏旅行があった。一週間。出し物はベートーヴェンの『フィデリオ』全曲。
大学のオーケストラと合唱団で、フランクフルト(もちろんアム・マインのほう)からキプロスのラルナカ空港へ飛んだ。ソリスト(歌手)はプロ、そのうち一人はキプロス出身だった。一週間、海辺の、リマソルだったか、リゾートホテルに三食付き、毎日練習は午前中にちょこちょこっと、本番のない日の午後は海辺でのんびりしたり、ヴィーナスが生まれたと言われる浜や古い遺跡の残る海岸や山地の村にバス遠足したり。指揮者が何かのコネクションで資金を取ってきたらしく、全旅費込みでわれわれの個人負担はたしか350マルク、3万円弱だった。楽器をやっていてよかった、儲けた、と思ったものだ。

ドイツにしばらくいた後でキプロスに行くと、日本(の関東地方)とは気候風土はまるで違うのに、どこか懐かしい気がした。その感覚に決定的に寄与していたのは、少しして気づいたのだが、電柱だった。ドイツでは送電線も地下にもぐっている。電柱のある風景が久々だったのだ。それに、もとイギリスの植民地だったから、車が左側通行だった。古い日本車がたくさん走っていた。

山地の村では、斜面にへばりついたような家々の前にそれぞれちいさなベンチがしつらえられていて、そこにおばあさんたちが座ってレース編みをしていた。そんなところにも、売店には日本のフィルムメーカーの緑色の看板があった。

のんびりした午後、数人のメンバーたちと海岸で、強い日差しを浴びながら、ごろごろする。トップレスの女の子たちがいて(地中海岸のリゾートではありふれている)、メンバーの一人が、「見るなよ、見るなよ」と皆に諭すように言う。もちろんそんなことをわざわざ口にする本人が一番意識しているので、なんだかおかしかった。

コンサートは最初、首都ニコシアのやたらに天井の高いホールで1回。この演奏は録画され、その年のクリスマスにキプロスの国営テレビで放映されたと聞いた。

面白かったのは2回目の方。会場が海辺の断崖絶壁の上の、ローマ時代の円形劇場だったのだ。もちろん屋根はない。昼のステリハで海からの風がものすごいことが分かったので、本番前、町で洗濯バサミを買ってきて譜面を留めた。円形劇場の音響というのはさすがで、本当に一番奥の、上の席まで音がぴっと届く。しかも音が混じり合わず、弦の一人一人の音までくっきり分離して届いてしまうので、近代のオーケストラ向きとは言えないし、普段群れのなかに半ば隠れていられるわれわれ弦楽器も、ちょっとした緊張感を味わった。

オペラ『フィデリオ』、別に舞台装置もなく、たいした衣装も演出もなしに、ぶっ通しで全曲やった。入場料がいくらに設定されていたのかは知らない。夜、照明のともされた円形劇場に来ていたお客は、周辺のホテルに泊まっているフランスやイギリスからのリゾート客が多く(もともとイギリスの治下にあって、いまも「英連邦」に属していることになっているキプロスは、イギリス人観光客が多い)、その中に地元の富裕層といった感じの人々がまじっていた。演奏が終わった時、そういうキプロス人親子が客席から僕をめがけて降りてきた。それはそれはかわいい幼稚園ぐらいの女の子と、サングラスをかけた、ぶっといぶっといその母親。プログラムとペンを差し出して、あなたは日本人だろう、サインしてくれという。この子はこの前、一週間、日本へ行ってきたのだ、と言って、親子で「どんぐりころころ〜♪」と歌いだすのだった。もちろん日本語で。漢字でサインしてやった。名前も連絡先も聞かなかったことを後悔した。あの子は、あと十数年も待っていたら、とてもとてもすてきな女性になったに違いない。しまった…。でもしかし、それからさらに十数年したらあの母親のようになるのに違いない。まあいいや…。

生暖かい夜、どこかのレストランの庭で行われた打ち上げで飲んだキプロスの赤ワインは、気のせいか、海の香りがした。
席上、ギリシャ系キプロス出身のソロ歌手は、ギリシャ系とトルコ系のキプロスの分断状態について、悲鳴じみた調子を交えながらドイツ語で一席ぶっていた。彼の姿勢自体が明らかに分断を強化しているのを感じ取った僕は、うんざりして、つい、「そーかそーかわかったわかった Jaja!」と間の手を入れてしまった。男はこちらをじろりと睨み、周りは一瞬凍っていたが、その後は何事もなかったかのように、宴は進んでいった。失敗と言えば失敗だったけれど、まあいいか。(2004年のEU加盟でも、いまさらながら一緒になってほしいトルコ系を振り切って、ギリシャ系は単独加盟に踏み切った。)

# いままで気づかなかったのだけれど、これは1989年9月末の話だ。当時、ドイツもまた分断国家で、しかもちょうどこのおよそ1ヶ月後、ベルリンの壁が崩壊したのだった。もちろんそれは、周りのドイツ人たちも、誰一人、予想もしていなかった。

高緯度にあって、夏の日の長いドイツは、秋口、逆に急速に日が短くなり、暗くなっていく。キプロスからの帰りの飛行機から見ると、ドイツは寒々として、鈍色の雲に覆われていた。

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