Bonn 大学のオーケストラ、collegium musicum にはオーディションがあった。4月と10月、各学期のはじめに。日本の大学オケは、たいていは誰でも受け入れ、新入生が初心者として楽器を触り始めるケースが多く、その中からはまれにぐんぐん上達していく人もいるわけだが、ドイツの大学ではそういうチャンスはないことになる。(もっとも、ドイツの大学は日本と制度が違い、年限をくぎった「卒業」もなく、7年生、8年生なんてざらだから、大学に入ってから楽器を始めて、少し力を付けてからオーディションを受けることは可能と言えば可能だ。)最初の学期はこのオーディションを逃し、2学期目、春に受けた。ボン大学の本館の隣に、Behrendt という書店がある。そのショーウィンドウの真ん中の扉を開けて狭い廊下を回り込んでいくと、collegium musicum の事務局があった。奥は案外広くて、一応フルオーケストラが入れる練習場、その手前に事務局。階下に小さな個人練習場のような狭い部屋がいくつかあって、そこが控え室、オケの入れる練習場がオーディション会場だった。
控え室に押し込まれたのは、7、8人だったか、ほとんどドイツ人らしき学生ばかりで、ヴァイオリンもいればファゴットもいた。一人一人、上の部屋に呼ばれてオーディションを受けた。番になって上がっていくと、小広い練習場の真ん中にグランドピアノがあって、そこに指揮者のおじいちゃんが一人いた。曲目は、自分で持ってきた自由曲と、向こうから渡される譜面。自由曲は、シベリウスの協奏曲にしようかブルッフにしようか迷っていて、その場でどっちにしましょうかと尋ねてどっちでもいいよという答えにブルッフを弾いたように記憶する。課題曲が問題だった。次の演奏会に入っていた「プルチネッラ」の第一ヴァイオリンのパート譜。うかつにも、それまで聞いたことすらなかった。いや、中学か高校の頃、ヴァイオリンとピアノ伴奏の版を、イツァーク・パールマンのコンサートで聴いていたはずだが、まるで覚えていなかった。いくらストラヴィンスキーがバロック風、ペルゴレージ風に書いた曲とはいえ、ストラヴィンスキーはストラヴィンスキーだ。しょっちゅう拍子がかわる。それを初見でやらされて、何度もつまづいた。その都度、もう一度やってみなさいと言われたものの、生きた心地がしなかった。
合否はその場で言い渡されたのだったか、どうだったか忘れたが、蓋を開けてみるとその学期のオーディションで合格したのは僕だけ、入ってみればメンバーの中の外国人も僕だけだった。ストラヴィンスキーの初見が今ひとつだったからだろう、第二ヴァイオリンに入れられた。古典派以降の曲で第二ヴァイオリンのほうが易しいなんてことはないことは、少し音楽が分かっている人なら知っているはずだが、そこらへんは割合古いドクサで動いているようだった。コンサートマスターと、管楽器の大部分は、ケルンの音大の学生たちだった。指揮者の息子のヴォルフガング(明らかに親はモーツァルトを意識してこの名を付けたのだろう)が比較文学の学生で、コントラバスを弾いていた。コントラバスのソロもあるプルチネッラでは大活躍だった。
練習は週1回、あのオーディション会場となった練習場ではなく、大学本館の真ん中にある大きな講堂で、ふだんは行われていた。この写真はいまの collegium musicum のサイトに掲げられているもので、ファイル名からして最近韓国などに演奏旅行したときのメンバーらしい。写真の場所が、ふだんの練習場であり本番会場である講堂、Aula だ。最初の演奏会の曲目はプルチネッラと、あと何だったか。
面白かったのは、その夏の終わりにあったキプロスへの演奏旅行だ。
いいですね、このお話。どんどん続きが読みたいです。
ご本人が写っている、当時の写真なんかアップしてもらえたらもっといいんだけど。
毎度コメントども。
それがねえ、あまり写真は残っていなくて、その残っているはずのわずかな写真も、最近引っ越したあとでどこ行っちゃったんだか…。
tsujigaku さんももうすぐ日本にお引っ越しですね。ヤだろうけど、頑張ってください。チューリヒ日記も店じまいになるのか…。
協奏曲の楽しみ(24)――G. ペルゴレージ『マンドリン協奏曲』
ジョバンニ・ペルゴレージ(1710 – 36) の曲を聴いたことがない、という人にも、名前だけは結構知られていると思います。というのはストラヴィンスキーのバレエ…
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