大学院生のとき、ドイツ(当時は西ドイツ)から金をもらってドイツの大学(ボン大学)に行かせてもらった。ドイツの大学というのは、学問の府だということになっているからか、クラブ・サークルの類はほとんどない。公認の団体として存在するのは、オーケストラと合唱団ぐらいではないかと思う。Bonn 大学にも、collegium musicum という名の学生オーケストラがあった。
僕はヴァイオリンを弾く。最初の学期、余裕がなくて大学のオーケストラには入らなかった。そのかわり、Tannenbusch にあった学生寮のすぐ近くで練習していたアマオケに顔を出した。そのとき練習していた曲すら覚えていないが、メンバーはおじいちゃん(医者が多かった)、おばあちゃんがほとんどの、養老院みたいなとんでもないオケだった。死ぬほど下手。たとえば、crescendo が出てくれば subito forte になってしまうし、diminuendo ならその逆。こういう、日本のド下手なアマオケによくある症状は、彼らも一緒なんだ、ドイツ人だからちゃんと出来るというわけではないんだ、下手なオケは同じなんだ、という認識は貴重だった。
指揮者は、どこかで専門家としての教育を受けた40ぐらいの男だったが、どうにもならなかった。声部ごとに色鉛筆できれいに色分けされた彼のスコアは、むしろそのダメさ加減を語っていた。
チェロに例外的に若い女の子がいた。顔にソバカスの目立つ、ベルリン出身の、ボン大学の学生だった。年齢が近いから、おのずと話をするようになった。ひどいよね〜このオケ、という話になって、何となく二人一緒に退団した。僕が3回ぐらい出た後だったか。事務元締めの Groß というおばちゃんは、辞めると言ったら、彼女が出来たから辞めるとはなんという性格だ、と罵っていたが(なんかボンではおばちゃんに罵られてばかりいたみたいだ)、べつに彼女は「彼女」になったわけではない。辞めてから、デュオを試みたことがあるけれども、全然話にならなかった。レベル的には、彼女にはあのオケがちょうどよかったのかもしれず、僕の道連れになるべきではなかったのかもしれない。彼女のほうは僕を「彼氏」にするつもりだったみたいだが、結局そうはならなかった。
ただ、彼女が僕に向かって語りかけてくる言葉によって、ある意味でドイツ語の世界に入らせてもらったような気がする。duzen で、ひたすら僕ひとりに向かって語りかけられる言葉。外国語をモノにするには彼氏/彼女を作ればいい、なんてことは当時もよく語られていたけれども、そうなりさえすればいいというものでもないことは明らかだ(日本人の奥さんを持ちながらいつまでたっても日本語がまるでダメなアメリカ人などは日本でよく目にする)。でも、今では名前すら覚えていない彼女(いや、いま思い出した。たしか Klaudia クラウディアだった)が語りかけてくる言葉には、自分がそれまでとは違うところにふっと入り込んだような感覚を味わったのを覚えている。それだけは感謝しておかなければいけない。
次の学期、大学のオーケストラに入った。
Twitter
> 日本人の奥さんを持ちながらいつまでたっても日本語がまるでダメなアメリカ人などは日本でよく目にする
そうそう。でもそうならない夫婦もあるけど、どこが違うんだろう。悪いのは夫なのか妻なのか……。あるいは同僚か。
毎度コメントをどうも。
でもこれ、まずいですよ〜。返答に困ってしまう。
あ、やばかったら削除してくださいな。アメリカ人は読まないだろうけど。