カルスト

カルスト、というと人はまず山口県の秋吉台、秋芳洞を思い浮かべるのではないか。だがこのカルストがスロヴェニアの地名であることを知る人は多くはないと思う。正確には、スロヴェニア語ではクラース Kras。そのドイツ名がカルスト Karst だ。(イタリア語では Carso。)この固有名をとって、同様の石灰岩質の地形をカルスト地形と呼ぶようになったわけだ。

カルストは、アドリア海の一番奥。現在、海岸部はトリエステ(スロヴェニア名トルスト Trst)を含むイタリア領が伸びていて、その背後に隆起する台地の地域。カルストと言えば鍾乳洞で、ポストイナ鍾乳洞や世界遺産登録されているシュコツィヤン鍾乳洞は日本でも知られているかもしれない。でも僕が好きなのは、小さな村々があって、人の生活があるカルスト台地だ。

カルストの土地は痩せている。石灰岩質で、雨水の浸食を受けやすく、水はほとんどすべて地中に入って地下水系になってしまうから、川はほとんどない。降水量が少ないわけではないが、地表からはすぐに消えてなくなってしまうのだ。水がないから、耕作には適さない。カルスト地方で畑になっているのは、ほとんどがドリーネの底だ。カルスト台地の陥没地、凹地。まわりが石灰岩ばかりの土地で、ドリーネの底にはテラロッサ terra rossa と呼ばれる赤い土がたまる。そのわずかな土が、耕作に利用されている。あとはただ岩の露出した草地が広がっている。その中に、ぽつりぽつりと、高い塀で風に守られた小さな村が点在する。

テラロッサは石灰岩が崩壊してできたもの。酸化アルミニウムと酸化鉄(ヘマタイト)の含有量が高い。赤い色は後者に由来する。

(でもカルスト特有の陥没地形を表すのに用いられるドリーネ doline という単語、もともとはスロヴェニア語でたんに「谷」を表す単語(の複数形)にすぎない。ドリーネを指すスロヴェニア語は vrtača ウルターチャだ。)

水がないから、森林もない。(この地方に木がほとんどないのは、かつてアドリア海岸を支配したヴェネツィアが、あの海の中に家を建てるために、わずかな樹木を伐採しまくったからだという話もあるが。)土も少ないからレンガも貴重だ。当然、家はみんな石造りだった。雨樋までが石造りで、シュタニェルにはそういう雨樋のある家が残されている(現在ではもはや記念物扱いだが)。

kras0001s.jpg石の雨樋。その下には kraška hiša 「カルストの家」と書かれた黄色いプレートが打ち付けられている。もはや記念物。

シュタニェル Štanjel は、カルスト台地の上の集落としては大きいほうだ。一つの丘をまるまる占めている。だが、集落の中の家の大半は打ち捨てられているようで、荒れている。ほんのわずかの家に、人の気配があり、そういう家は逆にとてもきちんと手入れされている。丘の麓には、このあたりで唯一の鉄道の駅がある。

冬、カルスト地方を含むアドリア海東岸は、イタリア語で(ドイツ語でも)ボーラ Bora と呼ばれる冷たい風が海に向かって吹き下ろす。スロヴェニア語ではブルヤ Burja。樹木のないカルストは吹きさらしになる。風は乾燥を強める。家々はこの風を避けるように塀を廻らしている。この風にさらされて、硬くしまった生ハムが作られる。窪地のドリーネの底は、このブルヤからも守られている。風はドリーネの上を吹き過ぎる。
夏の日差しは強い。日照りが続くこともしばしばだ。

kras0002s.jpg ドリーネの底のぶどう畑

kras0003s.jpg 赤い土

(そういえば、この地中海の北岸一帯、南フランスなども、似た土壌なのではないだろうか。初めてエクサン・プロヴァンスへ行ったとき、赤い土の色に驚き、ようやくセザンヌの描いた色が腑に落ちた。)

ドリーネの底のテラロッサで栽培されるブドウで、このあたり特有のものは、Kraški teran クラシュキ・テラン(カルストの土)という品種。そのブドウから、赤インクのような異様に鮮やかな独特の色合いの赤ワインが作られる。並外れて酸味の強いワインだ。これが、同じ土地で作られる生ハム(プルシュート pršut)やオリーブに、とてもよく合う。

カルストのブドウは、上の方で枝葉を広げるように仕立てられる。これは蔭を作って、土壌を夏の日差しから守る意味がある。気候風土に合わせた作り方だが、これは収穫作業をよりハードにする。頭上に手を伸ばして実を取っていくことになるからだ。(このあたりは Mišo Alkalaj “Wines of Slovenia” Ljubljana: DZS, 1996 からの受け売り。)

(スロヴェニアワインについて日本語ではたとえばVisi-vinを参照。ここのウェブマスターは、おそらく日本でただ一人、スロヴェニア語もちゃんと分かっているワインエキスパートのMYさん。)

シュタニェルから、いくつものドリーネの縁を回り込むようについている道路を歩いて半時間ほどのところに、フルシェヴィツァ Hrševica という村がある。この、なんでこんな辺鄙なところに、というようなところにグルチャという名前の食堂がある。農家の兼業で、週の半分くらいしか開いていない。大滝秀二系のおじいちゃんがあるじで(お元気だろうか?)、風よけの塀に囲まれた庭に並べられたテーブルで、自家製の生ハム、自家製のオリーブ、自家製のクラシュキ・テランのワインを出してくれる。生ハムは固く締まっていて、それを薄く薄く削いで出す。固くしなやかな木を鉋で削いだような感じだ。あるガイドブックによると、トリエステあたりのグルメがよく訪れるという。(トリエステはこのカルスト台地の直下の海岸部のイタリア領にある。)
kras0004s.jpg フルシェヴィツァ村の食堂 Grča グルチャの生ハムと赤ワイン。

初めてカルストを歩いたとき、最初、ドリーネの存在に気づかない。半日も歩いて、しだいに目が慣れてくると、ドリーネをドリーネとして認識できるようになってくる。「ドリーネ」という言葉の知識と、自分が目にしているものとが、しばらくたってから重なり合い、結びつく。ものが見えるとはどういうことか(これはきわめてハントケ的なテーマでもある)。面白い経験だった。

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