野坂岳 (913m)

9月初めの金曜日、伊吹山へ行こうか木曽駒ケ岳に行こうか迷って野坂岳にした(何でだよ)。

関西百名山の一つ。敦賀三山の代表で、別名敦賀富士。通常の区分では「北陸」だし、「関西の山ベスト〜」の類にはあまり収録されないが、『関西百名山地図帳』と『関西周辺の山ベストコース250』には載っている。大阪6:30発の「サンダーバード1号」に乗れば、敦賀7:57着で、悠々日帰り圏内。自由席もガラガラだった。

敦賀駅のベンチには恐竜が座っていた。

敦賀駅。
敦賀駅。

西に大きく野坂岳が見えている。ここから8:15の小浜線に乗り継いで粟野から歩き出せばいいのだが、敦賀駅前からタクシーを奮発(死語か?)する。¥2,890。女性の運転手さんで、ン十年敦賀に住んでいるが、野坂岳には登ったことがないという。

8:30頃、「野坂いこいの森キャンプ場」奥の登山口の駐車場で降ろしてもらう。粟野から歩いていれば、ここまで車道歩き40分だ。全体で一時間ほどのアプローチ時間短縮。

登山口からはキャンプサイトの脇を、まっすぐな舗装された道が、相当な急傾斜で登っている。

登山口。
登山口。

それが途切れるあたりの左に、野鳥観察用の小屋があり、その前には「クマ注意!」という黄色地に朱書の看板が立っている。念のためリュックに下げた鈴をチリンチリン鳴らしながら行くことにする。その先の道は小石のゴロゴロする林道状になって続くが、相変わらずかなりの急坂だ。

林道状の急坂。
林道状の急坂。

登山口の駐車場には3、4台の車が止まっていたが、その一台からちょうど降りて身支度をしていた年配の女性は、とっとと歩いてあっという間に姿が見えなくなった。と思ったらこの後、こちらがまだ一の岳手前をヒイヒイ言いながら登っていたあたりでもう下ってきた。健脚ですねえと声をかけたら、地元の方で、しょっちゅう登っているとのこと。

息を切らせながらしばらく行くと沢を渡って右岸に移る。

沢を渡る。
沢を渡る。

少しの間、道は沢よりも高いところを通る。

右岸の道。
右岸の道。

やがて再び沢に近づき、左岸沿いに登るようになる。この谷筋も、マツカゼソウが多い。ちょうど小さな白い花をつけはじめたところだった。

ここで再び左岸へ。
ここで再び左岸へ。
マツカゼソウ。
マツカゼソウ。

休み休み登り、まだまだかなあと思っていると、思いがけずあっさりトチノキ地蔵に着いた。

トチノキ地蔵。
トチノキ地蔵。

お地蔵さんは沢の右側にあって、まわりをトリカブトが取り囲み、長い花梗にふさのように薄紫の花をいっぱいに付けている。背後にはあまり大きくはないトチノキらしい木が一本生えている。お地蔵さんの下の岩間からは、清水が流れ出している。敦賀の名水。

トリカブト。
トリカブト。
お地蔵さん。
お地蔵さん。

青葉山ぐらいしか知らないのだが、このあたりの山は、標高は低くても、冬に雪の多い気候のせいか、普段歩いている同じくらいの標高の太平洋側の山と違って、植生とか空気とか水とか、どことなくもっと高山のような、凛としたものを、少しだが感じる。それが嬉しい。

清冽な沢を渡って、最近設置されたとおぼしい数段の金属の階段を上がり、沢を離れて尾根へ向かって斜上する。

沢を離れて登る。
沢を離れて登る。
北側、敦賀湾と西方ガ岳の展望が開ける所がある。
北側、敦賀湾と西方ガ岳の展望が開ける所がある。

道はジグザグに進んで、標高550mでようやく尾根に乗る。そこはちょっとした広場になっていて、腰を下ろすのに手頃な石が二つ。その脇から真横に伸びてから上に生い立ったヤマボウシが一本。

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その先、尾根通しの踏み跡もあるが、メインの登山道は尾根のやや北寄りを登っては折り返して尾根に乗り、というラインを繰り返す。

ここまでの間に、おそらく地元の、早朝登山の人たちが5、6人下っていった。

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道が修復されて、短い区間ロープが張られたところを過ぎると、行者岩分岐。

行者岩へは、まず水平に進む。この辺り、冬に雪深い山によく見られるように、木々は雪に横向きに押し倒されては伸び上がるように生育しており、そうした木々の下をくぐるように進むことになる。ほんの数十メートル行くと、道は突如左に、急斜面の窪の岩登りになる。僅かな距離、岩根や灌木につかまりながらよじ登ると行者岩。狭いが、眺めはいい。

行者岩への登り。
行者岩への登り。

分岐に戻り、もう一度尾根上の小さな広場があり、さらに登ると「一ノ岳」の標識のある展望地。山頂ではないが、登山道はこの背後の一ノ岳山頂は通らない。ちょうどいいところのちょうどいい休憩ポイントで、ありがたい。石の祠とベンチがあり、一段下は小さな芝生の広場になっている。北東の眺めが開けている。

「一の岳」
「一の岳」

さらにジグザグにひと登りすると稜線に乗り、道も平坦な部分が多くなってくる。ニノ岳の標識も、ピークの上にはなく、かすかな鞍部のようなところに立っている。

「二の岳」
「二の岳」
ブナ林。
ブナ林。

あたりはいい感じのブナ林になる。三の岳の標識が立っているところもあまり顕著なピークではないが、尾根が屈曲するところで、木の間越しに野坂岳の山頂がすぐそこに見える。実際、もう一踏ん張りで避難小屋、そのすぐ先が山頂。

避難小屋。
避難小屋。

避難小屋はしっかりした作りの板の間で、隅に祠が安置されている。そう言えば、登山口の案内看板には、「野坂嶽権現像は麓の高庄山宗福寺の境内にある権現堂に安置されており山開きの日には山頂に祀ります」とあった。山麓から権現像を担ぎ上げ、避難小屋の中のお堂を山頂に移して、その中にお祀りするのだろうか。

避難小屋の中の祠。
避難小屋の中の祠。
野坂岳一等三角点。
野坂岳一等三角点。

山頂は丸い芝生の広場になっていて、かなりの広さがある。360度の展望だが、今日は少々靄がかかっている。ちょうど来合せた地元の方のお話では、武奈ヶ岳、青葉山、伊吹山など、普段なら見えるはずの山が見えないという。もう少し寒くなると、白山もくっきり見えるそうだ。それでも、敦賀三山のあと二つ、西方ガ岳と岩籠山はもちろん、西には横山岳と金糞岳が、南にはこの野坂山地に連なる三国山と赤坂山がはっきり見えているし、もちろん入り組んだ敦賀湾の見晴らしもいい。周囲の山々を記した単なる地図タイプの展望案内板と、一等三角点がある。

野坂岳山頂から南。中央の遠くにとんがっているのが三国山。その右に一段低くポチッと尖っているのが赤坂山。
野坂岳山頂から南。中央の遠くにとんがっているのが三国山。その右に一段低くポチッと尖っているのが赤坂山。
野坂岳山頂から東。やや右寄り奥が金糞岳。その左手前が横山岳。
野坂岳山頂から東。やや右寄り奥が金糞岳。その左手前が横山岳。
野坂岳山頂から北。敦賀湾と西方ガ岳(左)。
野坂岳山頂から北。敦賀湾と西方ガ岳(左)。

東風がびゅうびゅう吹いていたので、わずかに西よりに陣取り、本日の山メシ。豚角煮のネギもみじ。失敗。『山登りABC 山のおつまみ』のレシピなのだが、コンビニパックの角煮とうずらの卵を鍋に入れ、白ネギを散らして煮込み、もみじおろしをかけて完成…のはずが、入れたのはもみじおろしではなく「もみじおろしの素」であった。ラベルには黒々と「もみじおろし」と書かれていたのだが、小さな字の「名称」の欄をよくよく見ると、「もみじおろしの素」とあった。つまり大根おろしと和えなければいけなかったのだ。そうと知っていれば、フリーズドライの大根おろし(そういうものもあるのだ)も持参したのに。要するに単なる液体唐辛子。つまりは大根おろし抜きのもみじおろしを加えてしまった料理は、予期したのとは微妙に違う味になり、まあ食べられないことはなかったけれど、最後、スープを飲み干すのに少々難儀した。

豚の角煮ネギもみじ。のはずだったもの。
豚の角煮ネギもみじ。のはずだったもの。
その材料。
その材料。

食後、今一度四囲の眺めを楽しみ、下りにかかる。往路を戻る。途中、ヤマボウシの実を摘んで口に入れる。見た目ちょっとゴツゴツした赤い実は、さっぱりした甘さがある。

名残のホツツジ。
名残のホツツジ。
イワヒゲ。
イワヒゲ。
下山途中、北の眺め。
下山途中、北の眺め。
カタバミ。
カタバミ。
ヤマボウシの実。これが食べられることは案外知られていない。
ヤマボウシの実。これが食べられることは案外知られていない。
ミゾホオズキ。
ミゾホオズキ。

一ノ岳で再び休憩。一ノ岳からの尾根道は、尾根通しの踏み跡を辿って少し短縮。トチノキ地蔵の水場でプラティバスに水を汲む。

登山口のキャンプ場から、今度は粟野駅まで歩く。車道歩きだが、最初の「野坂憩いの森」施設内は、車道がS字に回り込んでいる部分にショートカットになるような道がついている。立派なトイレのある第一駐車場からは車道歩き。

車道が舞鶴道をくぐる直前、沢沿いにもう一つ高速をくぐるトンネルがあり、そこから粟野駅への近道がないか入ってみた。トンネルの向こうで舗装道路は高速の側道になって東に向かっている。まっすぐ下る地道があったが、すぐ先で草がかぶっており、これを突き進むのはリスクが大きそうだと思っておとなしく引き返す。ひたすら車道にしたがって西からぐるりと回りこみ、線路をくぐるトンネルも抜けた先で右に坂を登ると粟野駅。15:00着。

粟野駅。
粟野駅。

駅前には自販機のほか何もない無人駅だが、まだ新しいログハウス風のすっきりと洒落た駅舎で、立派なトイレと待合室からなっている。隅にはやはり「平成15年度 電源立地特別交付金」というプレートがあった。

15:21の2両編成のワンマンカーで敦賀に戻る。一旦外に出て、土産物の売店などウロウロ見ていたら(羽二重餅と鯛寿司・鱒寿司を購入)、サンダーバードを一本逃し、一時間待つハメに。16:42のサンダーバード32号で大阪に。帰りの自由席は一杯で、かろうじて座ることができた。

敦賀駅のホームから野坂岳を振り返る。
敦賀駅のホームから野坂岳を振り返る。

芦屋川地獄谷から荒地山黒岩へ

芦屋川地獄谷へ久しぶりに。昨年11月以来。風吹岩のあたりに出たら、まだあまりよく知らない奥高座のほうを歩いてみようと、当初から目論んでいた。

イノシシに注意!!
イノシシに注意!!

高座の滝のところに、こんな掲示があった。イノシシで凶暴化している個体があって、風吹岩付近で襲われる人が相次いでいるという。僕の知人も、あまり経験のない初心者だが、昨年末、雨ヶ峠付近でやられている。多分同じイノシシだろう。今日も途中の林の中で、散乱している登山客の荷物を見た。そのイノシシの仕業に違いない。とっとと牡丹鍋にしてしまえば、と思うのは素人考えか。

地獄谷は、10か月前に比べても崩落が進んでいる気がした。四、五年前までは安定していたのに、その後どんどん崩れてきていて不思議だ。ゲートロックは崩壊し、入渓点はガラガラの岩の堆積になっている。

入渓点。以前はここから美しい小滝だった。
入渓点。以前はここから美しい小滝だった。

一つ一つの滝はあまり姿を変えてはいないが、それぞれの間の沢床は、落ちてきた岩で様子が変わっている。

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こういう崩落は、いつ起こっているのだろう? 歩いている間に岩が落ちてきたらヤだな、せめてヘルメットぐらいかぶって行くべきかななどと思いつつ、結局丸腰、いや丸頭のままで出かける。他にも多くの人が、何も変わらぬ様子でこの沢に入っている。イノシシの件と違って、どこかが警告を出しているというニュースも、僕が知らないだけかもしれないが、見かけない。

小便滝
小便滝

小便滝の上、唯一の砂防ダムを越えたところからの上流部は、ほとんど無傷のままだ。両岸にシダの茂るナメ滝も、二段の大滝も、変わりはないように見える。

上流部最初の滝。
上流部最初の滝。
二段の大滝。
二段の大滝。

最後、魚屋道に出る本谷を左に分け、まっすぐ風吹岩への急斜面を登る。上述の、イノシシによる荷物の散乱を見たのは、ここで風吹岩に出る直前の林の中だ。風吹岩でのエモノを、ここまで引きずってきて、鼻先で中身をあらためたのだろう。

今日の風吹岩には、人とネコしかいなかった。リュックを地面に下ろさず、高圧線鉄塔の脚に引っ掛けている人がいた。イノシシ対策の一方法だろう。

上空は曇り気味ではあったけれど、この時期にしては視界も良好で、生駒、二上山、大和葛城山、金剛山、岩湧山のラインも、淡路島方面も、くっきり見えていた。

風吹岩から、今日の目的地、黒岩に向かう。少しロックガーデン主稜を戻って、荒地山第二堰堤の上に下り、沢に沿って登っていくことも考えていたが、逆に「銀座通り」を北に向かい、途中で右に、なかみ山、荒地山へのコースに入る。その先すぐに右に向かう踏み跡に入ってみる。適当に進むと高座谷源頭部に下り、それからどうやら重ね岩に向かって登る道になった。「銀座通り」の途中の重ね岩からここに直接下りてくればよかったか。重ね岩直前で左にとると、重ね岩東の小尾根を通り、標高400mぐらいで改めて高座谷に下りた。対岸を登り返すと左岸通しの道に出て、それを左に辿り、右方向に急斜面の岩の道を息を切らせながら登ると、黒岩に着いた。

確かにここはいい。標高500mほど。荒地山の南に突き出した小尾根の突端に当たる所に巨石が折り重なっており、その真ん中に松の木が生えて、亭々と枝を広げ、恰好の日陰を作ってくれている。突き出した小尾根の先だから、眺望は180度以上のパノラマだ。風吹岩以上に、吹き過ぎる風も眺めも気持ちがいい。

黒岩から東の眺め。
黒岩から東の眺め。
黒岩の松。
黒岩の松。

おそらくこの場所を知る人は少なくない。けれどもガイドブックや雑誌記事に大っぴらに書かれることはまずない。知人に連れて行ってもらった「秘密の場所」なんて名前で出てくることはママある。奥高座のこのあたり、迷路のように網目のように道が走っている。そうした道も、ほとんどは単なる踏み跡の域を越えた、きわめて明瞭なトレイルだ。それだけ(少なくとも延べ人数にして)多くの人が歩いているということだ。それでもガイドブックにはならない。あるいは載らない。このあたりを好んで歩き回っている人の頭の中にだけ、地図が存在する感じだ。僕も追い追い脳内地図を作っていきたい。あたりの地図をネットで公開してくださっている方もあるのだが、高低も分からない道のラインと、要所要所のスポット名が記されているだけだ。知る人は少なくなくても、あくまでも「知る人ぞ知る」スポットなのだ。黒岩は、決して広いスペースではないから、10人もいたらいっぱいになる。丹生山系とはまた違った意味で、とてもデリケートな地域なのだ。実際、このとき黒岩にいたのは6人ほど。あとからポツリポツリと、ソロ登山者が背後から現れては、あーこんなに人がいるのか、仕方ない、今日はここで休むのはやめておくか、という感じで立ち去っていく。

黒岩での本日の山メシは、「げんさん」レシピを少しだけアレンジした「すだちぶっかけそうめん」。前の晩にそうめんを茹でて冷凍しておいて持参。程よく自然解凍したところに、かけ汁をかけ、ツナ缶、オクラ、ミョウガ、シソ、トマトをのせるだけ。火を使わず、山で茹で汁を処理する必要もないのがミソ。山で茹で汁を捨てるわけにはいかない。水を少なめにして茹でて飛ばせば捨てずに済むが、ネットリ感は残る。それが気にならないほどスダチのスライスをぶち込むレシピも秀逸だったが、あらかじめ茹でておくこのレシピも、日帰りか初日限定だが、なかなかのアイディアだと思う。

すだちぶっかけそうめん
すだちぶっかけそうめん

黒岩で一時間以上もまったりと過ごした後、登ってきた急坂を下り、高座谷に沿った道を行く。左岸、右岸、第二堰堤を越えて左岸、荒地山堰堤を過ぎたあたりから先、左岸通しの道しか歩いたことがなかったが、右岸に移る。途中、小滝と不動明王像を見て、

不動明王。
不動明王。

ロックガーデン主稜の末端に合流する。

ロックガーデン主稜に出たところからの眺め。
ロックガーデン主稜に出たところからの眺め。

今朝たどった地獄谷を右に見下ろして、高座の滝へと戻り着く。

追記:ふと思い出して「六甲山系アラカルート」さんのところを覗いたら、奥高座に関しても詳細な地図とルート紹介があった。今まで六甲の他の部分に関しては散々お世話になっていたのに、奥高座に関してだけはなぜかこのサイトをチェックしていなかった。この機会に、この大変な労作に感謝を表しておきたい。
と同時に、こうした情報があっても、奥高座の「知る人ぞ知る」という色合いには変わりがないものと考える。

剣山 (1955m)

剣山に行った。4年ぶり4回目。家族の行楽で、いつも夏。いつも車で出かけて見ノ越手前の「ラフォーレ剣山」に泊まり、翌朝リフトで西島まで上がってしまい、それから上を歩き回って、宿に戻ってもう一泊、3日目に山麓のあちこちを観光して帰るというパターン。百名山の一つに名を連ねるに恥じない、大きな山、美しい山、花の山、眺望の山だが、百名山の中でも最も手軽に登れる山となっている。

「ラフォーレ剣山」はかつての国民宿舎。夫婦池の雄池のほとり、丸笹山の登山口にある。標高1400mで、真夏でも涼しい。管理されるご夫婦のもてなしは暖かい。食事はたっぷりしているし、外の草花や山を見ながら入れる大きなガラス張りの浴室も気持ち良い。山歩きの昼食用の弁当の依頼もできる。

夫婦池雄池にラフォーレ剣山から下る道。
夫婦池雄池にラフォーレ剣山から下る道。
夫婦池雄池。
夫婦池雄池。

天候に恵まれ、一回目と三回目は剣山山頂から次郎笈まで行った。二回目は悪天候で、雨の中を大剣神社まで歩いて撤退。今回は、霧の中、行場道をまず一ノ森へ、そこから剣山に登り返して戻ってきた。剣山から東に延びる尾根の上の顕著なピークが一ノ森であり、南西〜西へ延びて三嶺みうねまでいたる尾根の最初の顕著なピークが次郎笈だ。どちらも剣山から1.5kmほどの距離にある。

次郎笈じろうぎゅうコース

まず以前に2回歩いている(と言っても2回目ももう4年前のことだが)おそらく最もポピュラーなコースについて記しておきたい。リフト終点の西島から刀掛けの松を通り、灌木の中を最短コース(尾根道コース)で剣山山頂に向かう。剣山から次郎笈までの笹原の吊り尾根歩きは爽快な大展望が魅力だ。その展望を楽しむためには天気がよくなければならないし、天気がよければ、日陰はまったくないから、紫外線対策と、じゅうぶんな水分の持参が必要だ。

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剣山から次郎笈への道。前方の山が次郎笈。

次郎笈 (1930m) の山頂直下まで、笹原とコメツツジの道だ。その山頂も、眺望がよく、殊にこちらから眺める剣山は美しい。山頂に少々アブが多く煩いが、人をやたらに刺す類ではない。

復路は元の道を下ってもいいが、西に三嶺に向かう急坂(上の写真の右側の稜線)を下り、途中で右に、次郎笈の北西の山腹を横断する道(画像の右斜面に見えている水平道)に入って次郎笈峠まで戻る。その途中に吹き出す水場の水は、もしかすると剣山の御神水より冷たく美味しい。

次郎笈峠から吊り尾根を戻り、剣山に向かって少し登り返したところで左に、今度は剣山の西面を巻く樹林の道(遊歩道コース)に入ると、30分ほどで西島駅。(ただし御神水下から西島への水平道は現在通行止め。これについては後述。)

一ノ森コース

今回はほとんどずっと霧の中だった。今回の道は、リフト終点から剣山に直上する尾根道を途中まで登り、刀掛けの松から北東側山腹の行場道に入る。行場付近は何本かの道がある。最初の分岐はどちらをとってもいい。左に下る道を行くと、キレンゲショウマの群落があるらしいが、今回は右に、一ノ森への道標に従って進む。キレンゲショウマ以外にもカニコウモリやサラシナショウマの群生地、その他様々な植物が見られ、展望を旨とする次郎笈への道と違って、霧の中でもむしろ楽しめる。今回はパスしたが、途中の行場巡りも面白そうだ。

ヤマハハコ。
ヤマハハコ。
オトギリソウ。ちょっとピンボケ。
オトギリソウ。ちょっとピンボケ。

tsurugi2016a - 3

オタカラコウの群落。
オタカラコウの群落。
カニコウモリの群落。
カニコウモリの群落。
ミゾホオズキ。
ミゾホオズキ。
シコクブシ(トリカブト)。
シコクブシ(トリカブト)。
シコクフウロ。散りかけている。
シコクフウロヒメフウロ。散りかけている。

苔むした巨木の多い樹林の道で、不動の岩屋を右上に見て進むと、古剣谷源頭部の流れの脇にもキレンゲショウマが群生している。キレンゲショウマはリフト沿いの足元や山頂直下にも植えられているし、ラフォーレの玄関先にも鉢植えがあるが、やはりこうした環境の中に自生する姿でこそ際立つ花のように思われる。

左側は鹿よけの網。
左側は鹿よけの網。

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行場道の大岩。
行場道の大岩。
キレンゲショウマ。
キレンゲショウマ。
シシウド。
シシウド。
古剣谷源頭部のサラシナショウマとキレンゲショウマ。
古剣谷源頭部のサラシナショウマとキレンゲショウマ。

そこから道はいったん下り、両剣神社で下から回ってきた道に合すると、緩やかに登りながら一ノ森への稜線を目指す。途中、追分への分かれ道があり、その追分方向に進んだところにお花畑があるはずだが、追分とこことの間に崩落があったとかで、この入り口で道はふさがれている。

霧の中の道。
霧の中の道。

稜線に出たところに殉難碑がある。1965年3月、雪崩のために亡くなった剣山測候所技官、大谷好徳氏を追悼するもの。(宮尾登美子『天涯の花』には吉田勝の名で登場する。)碑文は新田次郎。ここからは笹原の道。尾根を左に進むとすぐに道は二手に分かれる。左は稜線直下の北側の山腹を一ノ森ヒュッテに向かう道。右は稜線上を直接一ノ森のピークに向かう道。右に取り、途中コモノギクの花も見て、急登しばしで一ノ森の二つのピークの鞍部に出る。左に折り返すように登ると一息で一ノ森山頂。

コモノギク。
コモノギク。コモノとは御在所岳のある菰野から。

この山頂も笹原で、天気がよければ剣山、次郎笈をはじめとして360度の大展望のはず。鞍部に戻って、そのまま直進すると、200mで、三等三角点のあるもう一つのピークに至る。今一度鞍部に戻って、右(北)に下ると一ノ森ヒュッテ。あたりはゴヨウマツの樹林。小屋の前には何組ものテーブルとベンチがある。四国の山塊の東端に位置して、ご来光の良さが売りであるらしい。でも今日は霧に巻かれて半径50mより先は何も見えない。ヒュッテのそばに、レイジンソウの群れがあった。午後に雷雨の予想もあったので、ヒュッテには入らず、すぐに剣山に向かう。

一ノ森ヒュッテ前のレイジンソウ。
一ノ森ヒュッテ前のレイジンソウ。

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樹林の山腹道を殉難碑の鞍部まで戻り、さらに稜線伝いに剣山山頂を目指す。すぐにシコクシラベとゴヨウマツの樹林の中のニノ森への登り坂になる。

二ノ森の祠。
二ノ森の祠。

ニノ森を過ぎると、伸びやかな笹の稜線の道になる。

笹原の中の道。
笹原の中の道。

ここも晴れていれば眺めがいいことだろう。もうひとしきり、急登で樹林を抜けると、あとは笹原の中の剣山への登り。

剣山山頂はすぐそこなのだが見えない。
剣山山頂はすぐそこなのだが見えない。

この道も二つに分かれていて、山頂に直接向かう道と、右をやや巻き気味に頂上ヒュッテに向かう道がある。右をとって頂上ヒュッテと神社(剣山本宮宝蔵石神社)の間の階段を登り、木道を歩いて剣山山頂へ。

剣山本宮宝蔵石神社。
剣山本宮宝蔵石神社。

相変わらず霧で展望はほとんどなかったが、山頂のベンチで昼食。ラフォーレ剣山で作ってもらったお弁当+「げんさん」レシピのタイカレー・ビーフン

頂上ヒュッテと神社の間の階段を下って戻り、もう一つ鳥居をくぐって見ノ越方面へ。ここでまた道は二分する。刀掛けの松へとまっすぐ下る最短の道(尾根道コース)と、左に大剣神社を経由するコース。左に行く。

大劔神社の御神体。
大劔神社の御神体、御塔石。
大劔神社。
大劔神社。

大剣神社の下の御神水おしきみずを汲んで帰ろうと考えていた。1985年に環境庁(当時)が選定した名水百選のひとつ。そのための空のペットボトルやプラティバスも用意してあった。お塔石を背後にしたバラックの大剣神社からまっすぐ西島のリフト駅に向かう道(大剣道コース)もあるが、神社前から下の「遊歩道コース」に下る道があり、その途中に小さな社と御神水がある。御神水は小さな井戸状に囲われていて、そこから柄杓で汲むようになっている。遊歩道への道をさらに一段下ったところに、御神水から管が引かれていて、水を汲むにはそちらの方が具合がいい。(帰ってからコーヒーを淹れるのに使った。)

御神水。
御神水。

水を汲んで、そのまま下り、遊歩道コースで西島に出るつもりだった。ところが下りきったところから西島方面へは、登山道の崩落とかで通行止めになっている。先述のようにこの遊歩道コースは剣山から次郎笈側に下りたところから、剣山の西の山腹を巻いてくる道だ。吊尾根からここまでは無傷だが、ここから先は通行止めなのだった。だから吊尾根から来た人は、ここから大剣神社まで登って抜けるしかない。僕らも結局大剣神社まで戻ることになった。この予定外の登りが少しコタエた。大剣神社前で改めて一息入れ、大剣道コースを西島に向かう。このあたりもしっとりとした樹林の中の道だが、トリカブト(シコクブシ)以外の花は目立たない。

リフトで下り、車で宿に戻る。戻って少しして、雷雨になった。ラフォーレ剣山からは、夫婦池を囲む樹林の上に、剣山の山頂だけが、天気が良ければ、望まれる。ちょうど夕食どき、雨が上がり、霧が晴れて、山頂が見え、ちょうどその山頂から発するように、虹が出た。

ラフォーレ剣山から、森の上に僅かに覗く剣山山頂と、その真上に生い立つ虹。
ラフォーレ剣山から、森の上に僅かに覗く剣山山頂と、その真上に生い立つ虹。

翌日は祖谷に下り、二重かずら橋を渡って楽しみ、琵琶の滝に立ち寄り、さらに大歩危・小歩危を回ってから帰宅。

ラ・フォーレつるぎ山
〒779-4306
徳島県美馬郡つるぎ町一宇
字葛籠6198-2

TEL 0883-67-5555
冬季は休業

館内ではとくしま無料WiFiが使える。
また建物前のテラスにある彫刻はポケストップ。(笑)

『天涯の花』

宮尾登美子『天涯の花』
宮尾登美子『天涯の花』

宮尾登美子『天涯の花』を、帰ってから、読み返した。1997年の小説で、剣山のキレンゲショウマが世に広く知られるきっかけになった。あとがきで自ら告白しているように、宮尾が行ったのは見ノ越までで、山道は歩いていないし、キレンゲショウマが実際に咲いている場所にも行っていない。だから山中の描写には、微妙な違和感を覚えるところもある。キレンゲショウマが剣山にしかないかのようなセリフもある(実際には石鎚山などにもある)。しかしそうした点を差し引いても、やはり上手い物語作者なのだなと思う。

剣山登山について記しているブログをあさっていたら、興味深い話に行き当たった。大劔神社にたまたま来合せていらした宮司さんと話をしたという方の記事

大剣神社には偶然宮司さんとお話が出来て、例の宮尾登美子の小説の話を持ち出すと意外な内輪話が聞けた。「天涯の花」では捨て子の女の子を宮司さんが育てますが、実際は男の子でその子が目の前で話をしている宮司さんだった。宮尾登美子さんが取材に徳島市内のホテルにみえられて話をした。それをヒントに女の子の話として小説に書いたのだ。へ~~

 

丹生山系(番外):多田繁次『北神戸の山やま』と奇妙な空白

十代から二十代の頃のホームグラウンドは丹沢や奥多摩だった。関西に移り住んだのは三十過ぎだから、関西の山の事情にはもともと疎い。以前にも書いたが、丹生山系は地形図を見て魅力的だなとは思ったものの、とっかかりが得られず、ようやく歩くようになったのはこの2月からだ。

丹生山系のガイドは、「北区ハイキングレクリエーションガイド」(2012)を除けば存在しないと思っていた。『山田郷土史第二篇』(1979)は貴重な資料だが、ガイドブックではないし、当然ながら淡河側のことはほとんど出てこない。

多田繁次『北神戸の山やま』
多田繁次『北神戸の山やま』

1983年刊のこの本、多田繁次『北神戸の山やま』のことを知ったのはつい最近のことだった。神戸新聞出版センターの「兵庫ふるさと散歩」シリーズの一冊として刊行されており、前半が丹生山系のさまざまなコースの記述にあてられている。丹生山系の登山記録のブログをいくつか拝見していて、時々目に入ってきたのが本書の名前だ。先日、芦谷川を歩いた後、Amazonの古本で探して手に入れた。同じ著者の『なつかしの山やま』(1990)は少し前にやはり古書で入手して目を通していた。

多田繁次は、加藤文太郎とも交流があった明治39年 (1906年)生まれの登山家。氷上郡というから現在の丹波市の出身だ。

本書のカバーの裏表紙側には、「神戸市の背後で千古の眠りをつづけてきた丹生・帝釈山系をはじめ、親しみやすく、しかも野趣あふれる神鉄沿線の山やまを初めて紹介した待望の書」とある。「初めて紹介した…書」つまり空前であったわけだが、それだけでなく、ほとんど絶後でもあるように思われる。

読んでいて気づくのは、六甲をクサして丹生山系を持ち上げるのは僕の独創などではなく、とうの昔、50年以上昔に多田がやっていたということだ。その一方、今なお丹生山系が「良さ」を多く残していることは事実とは言え、その丹生山系でも、すでにいかに多くのものが失われ消えてしまっているかということに気づかされて愕然とする。

不思議なのは、上に触れたように絶後であることだ。本書の後、2012年の「北区民まちづくり会議」による上記パンフレットを例外として、丹生山系のガイドは途絶しているように見える。以前にも書いたように、関西の山ベストコース100とか250とかの類のガイドブックには、散発的に取り上げられるにしても丹生山、帝釈山止まり、まれに稚児ヶ墓山まで出てくるだけで、丹生山系のそれ以外の部分が紹介されることはまずない。特に北側、淡河・八多側はまったく出てこない。そこには奇妙な空白がある。何かこの山地は登山対象にはならないもの、一種のタブーとして隠されなければならないものであるかのようだ。

某登山用品店がやっていたTV番組でこの山地が取り上げられた時(タイトルは「六甲山地 丹生山系縦走」だった)もそうだったが、まるで六甲の一部のような扱い方をされることも少なくない一方で、六甲のガイドブックが丹生山系に言及することは決してない。例外は、そしてこれが僕が丹生山系に関する記述に触れた一番最初だったと思うが、茂木完治・手嶋享『すぐ役立つ 沢登り読本』東京新聞出版局、1991 が、六甲の三ツ下谷を紹介した末尾に、「このまま道を辿り六甲の縦走をしてもよいが、山田川を一時間下り丹生山地の柏尾谷へ行く事を勧める。この谷は全谷ナメの連続でささやかに楽しませてくれる」と書いていたことだ。

折しも、「山と高原地図 六甲・摩耶」2016年版は、それまで何の登山道の記述もないまま図面の左上に残っていた丹生山地の部分に須磨アルプスの地図をはめ込んで、丹生山系を完全に…抑圧した。と精神分析的な言い回しを使いたくなる。

他方、谷筋を除く丹生山系の道の多くは、その間に、モトクロスやオフロード車によって蹂躙されている。つまりそうしたライダーたちドライバーたちには、この山地は知られている。この問題はすでに多田の時代にも起こっていたようで、何箇所かで言及が見られる。彼らバイカーたちの情報源は何なのだろうか。

丹生山系を歩き始めたばかりでまだ何も知らなかった今年の初め、「丹生山系というのは、どうやらハイカーとバイカーの間の戦場なのだ。そこに行政も絡んでくるのだろう。たぶん地権者も」と予感を書いた(丹生山系3)が、問題はハイカーとバイカーの関係だけではない。観光学的に、とでも言おうか、何かとても奇妙なことが、丹生山系に関しては起こっているように思われる。登山や観光の対象として完全に認知され、ある意味完全な均衡に達しているといえば達している例えば六甲と違って、丹生山系をめぐる言説には、妙な多層性、その層相互の噛み合わなさ、不思議な多数の大きな空白がある。

単純に資本の問題でもあるだろう。登山・観光による多くの受益者がいると推察される六甲と違って、丹生山系ではそうしたカネの循環は今でもほとんどなさそうに思える。

多田に話を戻せば、モトクロスの問題、中山大杣池周辺の開発の問題、「中山林道」の問題などの告発も見られるが、おそらく決定的だったのは、やはり芦谷川支流の「淡河環境センター」の建設だったのだろうと思われる。芦谷川遡行記事の中でも引用したが、多田は、『なつかしの山やま』の中で、極めて高揚した文章で、この芦谷川支流を讃えている。『北神戸の山やま』では、「神戸の秘境」の章見出しのもとに、屏風谷、鳴川谷、芦谷川渓谷が扱われているが、「環境センター」に関するより直接的な言及は、帝釈山の項にある。

しかし、がまんできないのは、神戸市が岩谷峠を淡河町へ越えたところにある投町山と、神戸の秘境と言われる芦谷渓谷を、ゴミと産業廃棄物の埋立処分地に決定したことである。もし計画が実施されると、この県道をゴミ運搬のダンプカーが間断なく往き来するので、おちおちハイキングを楽しむこともできなくなる。現在(五十七年三月)「北神戸の自然と文化を守る会」が起こしている反対運動の成功を祈る。(『北神戸の山やま』p.29)

文中、五十七年とあるのは昭和57年、1982年のことである。問題の核心は芦谷渓谷を潰してしまうことそのものにあったはずで、そこにゴミ運搬のダンプカーの話を持ってきてしまうのは、話がずれ、弱めてしまっている。が、多田の悲憤は十分に伝わってくる。そして、本書のはしがき(「はじめに」)末尾には「追記」として、次のように記されている。

最近、前記丹生山系の景勝地で大規模な自然破壊の計画が、こともあろうに神戸市によって進められようとしている、というショッキングなニュースが流された。
かけがえのない「神戸の秘境」を守ろう、と立ち上がった、山を、神戸を愛する市民の総力が成果を挙げることを念願しながら、筆を進めて行く──。(同書 p.3)

結局こうした反対運動は実らなかったわけだ。同時代にことの成り行きを追っていた人には自明のことだろうが、後から読む者にとっては、この事情を知って初めて、『なつかしの山やま』の中の丹生山系を扱った唯一の章、あの芦谷川支流の魅力についての高揚した一節を含む「神戸の秘境を行く」がなぜ「懐旧編」のもとに置かれているのかも理解できる。1990年刊のこの本で、この丹生山系の章は、

昭和四十三年一月から一年間にわたって、神戸のタウン誌『センター』に「神戸の秘境」と題して連載したものを抄録することにした。今から僅かに二十年前の「丹生・帝釈山系」の姿である。

との、喪失感を匂わせる前フリから始まっている。

きちんと確認したわけではないが、推測するに、1982年以降、多田は丹生山系についてはほとんど語っていないのではないか。そしてこの多田の沈黙は、その後の、多田に限らず丹生山系を紹介する言葉の消失、沈黙につながっているように思われる。だから『北神戸の山やま』による丹生山系紹介は空前であると同時に絶後なのだ。その後は、僕らのような能天気なブログが、散発的に「行ってみた」記を紹介しているだけなのである。

『なつかしの山やま』の「神戸の秘境を行く」の1968年の文章は、当時進行していた中山大杣池周辺の開発に触れた後、最後にこんな風に言っている。

広い山地に恵まれた神戸市域で、せめて、この「丹生・帝釈山系」だけはこのままの姿で、自然保護地区として残すことができたなら、百年先の子供達はどんなに感謝することだろう。恵まれた自然公園を持つ神戸市は全国民羨望の都市になるだろう。

大杣池周辺はキャンプ場として開発され、北側から車道が通された。芦谷川支流は潰され、コンクリートで埋葬されてしまった。尾根や山腹の道は、二輪四輪の轍に荒らされている。それでもなお、丹生山系は、歩く者にとって、例えば(多田もよく言っていたように)六甲と比べて、魅力に満ちている。屏風谷、鳴川の谷筋は、多田が記した時代からほとんど変わっていないように見える。そうした「昔ながら」の丹生山系は、またもしかすると皮肉なことに、芦谷川支流の消滅を悲しんだ多田が沈黙してしまったからこそ残っているという側面もあるのかもしれない。

土地所有者との関係では、『北神戸の山やま』にはこんなエピソードが見られる。

さらにわかりきったことであるが、ゴミや空缶などを捨てたり、珍しい花木を取らぬように。数年前「グラフこうべ」で屏風谷の概略と写真を紹介したことがあった。その後で、地元の所有者から市当局へ厳重な抗議と苦言があった。くれぐれも注意して、谷歩きをたのしんでもらいたい。(p.86)

直接には、紹介記事が出て入山者が増え、その入山者の中に不心得者がいて、ゴミを捨てたり植物を盗ったりした。所有者の抗議はその点にのみ向けられていたようにも読めるが、そもそも紹介記事の掲載そのものにも向けられていたようにも推し量れる。

先に触れたように、開発がある意味行くところまで行き、山歩きやレジャーの地としての「合意」ができあがっている六甲と違って、丹生山系をめぐるディスクールは、あるいは価値観は、極めて不安定であるように思われる。そうであるからこそ手付かずで残されてきた部分も多いと同時に、それがいつ不意に破壊されてしまうかもしれないという危うさも感じられるのだ。

丹生山系8:芦谷川遡行

鳴川右俣屏風谷に続く、丹生山系の沢歩き第三弾。いずれの沢も、かつての杣道の名残で、沢に並行する地道があるようだ。つまり沢靴に履き替えてジャブジャブやらずとも、普通のトレッキングシューズで楽しむ途もありそうだ。前の二本でも、今回も、そうした道は断片的に目にし、また一部歩いてもいる。そうした道を通しで辿る歩き方も、どの沢についても、いずれ改めて試してみたい。ともかく今日は「沢歩き」である。

多田繁次は、昭和43年(1968年)にこの芦谷川を絶賛してこう書いている。ここに言う中山谷とはこの芦谷川のことである。

山径はこんな路であってほしい──という夢を叶えてくれるのが中山谷(土地の人はあし谷またはあしら谷と呼んでいる)を登る谷路である。(多田繁次『ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま』p.243)

8:10三田駅発の神姫バス三木営業所行きで約40分、中山下車。

中山バス停。
中山バス停。

バス道をそのまま西に歩くとすぐに芦谷川に架かる橋になる。左に折れて、川沿いに進む。すぐに土の道になる。左手にはクズなどの植物が茂り、オニヤンマ、シオカラトンボなど、さまざまなトンボが飛んでいる。川の水は透明ではあるものの、ある種の藻が繁茂していて、やや汚れていることが窺える。

右岸沿いの道を進む。
右岸沿いの道を進む。
クサギの大きな株があった。
クサギの大きな株があった。

ずっと右岸を進み、突き当たりに橋があって左岸に移る。

橋で左岸に渡る。
橋で左岸に渡る。
ボタンヅル。
ボタンヅル。

その先、コンクリート擬木の欄干のある小橋でもう一度右岸に渡る。9:10。道はその先、コンクリート舗装で登り坂になっている。

コンクリート擬木の橋。
コンクリート擬木の橋。

その坂に腰を下ろして、スニーカーからフェルト底の沢靴に履き替える。橋の前後から沢に下りるのは厄介そうだったので、橋を渡ってすぐ、右に草地をかき分けて進み、適当なところで入渓。鳴川とも屏風川とも違い、両岸の山が迫って、狭く暗め。鳴川も屏風谷も、入渓点は明るく広い河原だったわけだが、それはその下流に砂防ダムがあったということにほかならない。

入渓点。
入渓点。

すぐにダム状に石を積み上げた所があり、左から来ている杣道で越える。

石積み堰堤。
石積み堰堤。

すぐ先、左側の岩壁を、植物の根が粗い網目状に覆っている。

岩壁を覆う木の根。
岩壁を覆う木の根。

9:30、最初の滝。右からやや巻き気味に越す。

最初の滝。
最初の滝。

10:05。次、滝は小さいが、やはり滝壺は深い淵を作り、両岸が切り立った岩壁になっている。右の壁のクラックに手をかけてへつれるかと思ったが、ちょっと厳しい。左手前から草付きを巻き上がれそうだったが、その先で下降に苦労することになりそうだ。

二番目の滝。滝自体は小さいが…。
二番目の滝。滝自体は小さいが…。

結局、右の後方に戻るように大きめに高巻くと、上には杣道の痕跡があり、立派な炭焼き窯の跡もあった。天井は落ちているが、まぐさ石は残っている。少し先で沢に戻る。

天井の落ちた炭焼き窯。向こうが前。楣石の残る釜入り口が分かる。
天井の落ちた炭焼き窯。向こうが前。楣石の残る釜入り口が分かる。
サワガニ。
サワガニ。
奥に見えているのが三番目の大きめの滝。
奥に見えているのが三番目の大きめの滝。

三番めの滝の滝壺も両岸が切り立った深く大きな淵。滝の左手は、岩壁に囲まれた入り江のようになっている。左から極力小さく巻き、入り江の直上を通って上へ。

三番めの滝。
三番めの滝。
同じ滝を左から見る。
同じ滝を左から見る。
同じ滝を巻き道の途中から見る。
同じ滝を巻き道の途中から見る。

10:30、沢の右側に、石を積んで金網をかけた奇妙な構造物がある。上に登ってみると、短い水路状になっていて、左岸沿いの奥から径20cmほどの水管が延びて、そこから水が噴き出している。

沢の右に、石積みの構造物が現れる。
沢の右に、石積みの構造物が現れる。
水路のような形。
水路のような形。後ろから水管が来ている。

水管はこの先左岸沿いに延々と続いていた。おそらく「環境センター」から来ているのだろう。なぜその水管が必要なのかはわからないが、ここにこの石積みがあるのは、管からの水流で地形が変わることがないようにという配慮なのだろうか。水は石積みの下から浸み出すというか流れ出すようになっている。

そこからしばらく、流れが平凡なこともあり、ちょうど左岸沿いにかなり広く明瞭な道が続いているのでそちらを歩く。ダム状に石が積まれて、橋のようになっている。右岸を登ってきた道が、ここで沢を渡って左岸の道に続いているようだ。

堤防状の橋。
堤防状の橋。
アキノタムラソウ?
アキノタムラソウ?
左岸のはっきりした道。
左岸のはっきりした道。
このガの名前は…?
このガの名前は…?

やがて踏み跡は沢に下りていく。対岸に続いている気配だったが、そのまま再び沢の中に入って進むことにする。この沢では、あまり魚を見かけなかった。このあたりのちょっとした淵になったところで、15cmぐらいまでの魚影を見たが、それより下流でも上流でも、目にしなかった。サワガニやヒキガエルは見かけた。

ヤブ蚊は結構いた。散々虫除けスプレーはしていて、歩いている間は気づかなかったのだが、両肘のあたりを何箇所も刺されていることに、帰ってから気がついた。やっぱり半袖はまずかったか(下は長ズボンだった)。

11:15、話に聞く、沢がコンクリート護岸の水路と化している部分にさしかかる。左右に、人ひとりが歩けるような狭い棚が設けられている。

コンクリート水路と化した沢。
コンクリート水路と化した沢。

数十メートル進むと、右から急勾配のコンクリート水路がおりてきている。この上が「淡河環境センター」だ。

支流(右)と本流(左)。
支流(右)と本流(左)。

この支流こそが、かつて多田繁次が絶賛した場所だったのだろう。多田は昂揚感に満ちた文章でこう書いている。

その出合で小休止して右から落ち込む支流の、岩崖に砕けるすさましい急湍に心打たれた私は、その次の休日に一人で未知のその支流を探訪した。
それはその奥の投町山から発する谷川との出合までの短い区間ではあったが、その間に渓流の静と動と、それを囲む岩崖と深林との調和が、自然の巧みな構成美を描いて私の心を魅了した。相寄る両岸から張り出した広葉樹林の陰で満々と水を湛えた渕の奥高く二段、三段と小さな滝が静かな鼓動を奏でながら白い布を懸けているのを前景に(六ノ滝)、谷奥へ遡って行くに従って切れ目のない岩床と岩壁の不思議な造形を、あるいは駆けあるいはよどむ流水の変化が、豊かにおおう樹の間に幽玄の趣を添える。中ほどの所に、この山系の谷には珍しい「平滑の滝」のミニ版がある。斜度約二〇度、長さ約一〇メートルで、岩盤のくぼみを急速に滑り落ちた水は、谷幅いっぱいの円形の渕を形成、そこによどむ水面を、無数のミズスマシが無心に遊泳しているのだ。恐らく神戸市内最大のミズスマシの住家である。(同書 p.244)

傾斜の緩い流れがほとんどの丹生山系にあって、この急峻な支流がいかに見事、見ものであったかは、想像に難くない。しかしつい最近丹生山系に入るようになった僕はそれを見逃してしまったし、今後未来永劫、見ることのできる人はいないのだ。沢筋は比較的に原状が保たれていてありがたい丹生山系だが、そのどうやら最も美しかった部分はこうして消滅している。この「淡河環境センター」のことを「廃棄物処分場」「ゴミ捨て場」と遡行記事でお書きになっている方もあるが、どのような機能を果たしているのか、神戸市のサイトを見ても判然としない。おそらく市民生活に必要な役割を担っているのだろう。しかしそれがなぜここに作られなければならなかったのかは不明だ。

この対岸の台地の上は中山大杣池だ。

本流をそのまま進むとすぐに護岸は終わる。

本流の護岸はすぐに終わる。
本流の護岸はすぐに終わる。

谷はぐっと細くなり、表情を取り戻す。水もきれいになったように見え、楽しい小滝が続く。

沢は表情を取り戻す。
沢は表情を取り戻す。
小滝が続く。
小滝が続く。

11:30。すぐ先、右の細い木の幹に黄色と黒のテープが巻かれていて、右にやや折り返すように急斜面を登る踏み跡があった。「環境センター」方面に続いているのだろうか。

丹生山系の沢の特徴の一つ、岸の青草。
丹生山系の沢の特徴の一つ、岸の青草。
同上。
同上。

11:40、斜めの細い3m滝は、左から水に浸かりながら接近して、流れの芯を登る。

斜瀑3m。
斜瀑3m。

12:20、左、志久ノ峠の北寄りに発する支流が、小滝になって合流している。

次の二段の小滝は左から近づいて越す。

二段の小滝。
二段の小滝。

次のこの滝、例によって、滝そのものは困難はないが、深い淵を湛えて直接取り付くことができない。立木を頼りに右から小さく巻き、滝の中ほどに下るように進んで、水流沿いの上半分を登ってクリア。

右から巻いて取り付く。
右から巻いて取り付く。
同じ滝。
同じ滝。
木の根が沢を横断するように伸びて、通せんぼをしている。
木の根が沢を横断するように伸びて、通せんぼをしている。
二段の小滝。
二段の小滝。

12:55、志久ノ峠西側の526mピークに発する枝沢が左から入るあたり、水流は減り、乱雑に岩が転がり、その真ん中にさらに木々が生えて、カオス。右の本流側の木に赤いテープが巻かれている。

このあたりで水流は終わりだろうかと思ッたが…。
このあたりで水流は終わりだろうかと思ったが…。
526mピークからの谷の出合付近。
526mピークからの谷の出合付近のカオス。
右、本流側の木に付けられた赤テープ。
右、本流側の木に付けられた赤テープ。

もうこの先はひたすらこんなガレ沢を詰めていくしかないのかと思ったらさにあらず。水流は再び現れ、いくつもの小滝をかける。岸には、丹生山系の沢の特徴である青々とした草が目立つようになる。

水流は再び現れる。
水流は再び現れる。
まだまだ小滝が続く。
まだまだ小滝が続く。

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4m。しかし階段状で容易。
4m。しかし階段状で容易。
沢辺の青草。
沢辺の青草。
まだ大きな淵がある。
まだ大きな淵がある。

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時々倒木が邪魔立てする。
時々倒木が邪魔立てする。
不意にはっきりした踏み跡が現れる。
時々、不意にはっきりした踏み跡が現れる。

13:40。意外だったのは、標高410mぐらいから上、両脇を青草に縁取られたなだらかなナメが延々と、200mぐらいにわたって続くことだ。多少倒木が邪魔なところもあるが、これも楽しい。こういう、標高差は小さいのに最後まで楽しませてくれる沢、どこかにもあったなと思った。湖南の吉祥寺川だ。

上流部のナメ。
上流部のナメ。

13:50、440mあたりで、稚児ヶ墓山の北東の鞍部に突き上げる枝沢を左に分けると、さすがに水流はなくなり、植林地の中のガレ沢の登りになる。最後、地形図の破線を頼りに、稚児ヶ墓山北西の550mピークの北側に出る右の枝谷を詰める。杉の落ち葉が散り敷いていて、踏み跡は判然としない。

はっきりしない踏み跡の中、唯一見かけた赤テープ。
はっきりしない踏み跡の中、唯一見かけた赤テープ。

14:15。縦走路に出たのは「き 93-10」の「つうほうプレート」の付いた道標の立つ地点。ここから先は、記念すべき僕の丹生山系入り第一弾、丹生山系縦走で歩いた道だ。

左に山腹の道を進み、尾根の上に出たところで一休みする。最後まで本流を詰めたらここに直接出たはずだ。

そしてもう一踏ん張りの急登で、稚児ヶ墓山。西峰を通過し、「墓標」のある東峰で明石大橋と淡路島を眺めながら大休止。14:35。本日唯一の展望ポイント。ススキが茂って、冬場よりもかなり狭く感じる。

本日の山メシは、タイカレー・ビーフン。普通にビーフンを調理して、最後に缶詰のタイカレーをぶっかけ、ミニトマト、チャービルを飾るだけ。いつもながら手軽で美味い「げんさん」レシピだ。

この山メシと、ここから見える明石大橋、淡路島の眺めを撮ったあと、どうもiPhoneの調子が悪いので再起動。帰ってから見たら、この二枚とその前後の写真はグレーになってまともに表示されなかった。やはり「何かいる」という稚児ヶ墓山、何者かが悪さをしたか。2月にはなんともなかったのに、やっぱり夏に「出る」ものだということか。(実はiPhoneのストレージが一杯になっていて、かつバッテリー節約に「機内モード」にしてあって、iCloudへの転送ができていなかったからである可能性が高い。)ともかくだからこのあたりから画像はない。

15:20、稚児ヶ墓山から東に下る。濡れた岩ではしっかりフリクションの効くフェルト底だが、落ち葉の散り敷いた土の道の急下りではかえって滑りやすく感じる。尾根を外れて北側の谷に下ってからとその先の志久道は、石ゴロゴロ、ガタガタの沢歩きの延長のようなものだから、再び沢靴が生きてくる。そしてこの道、足腰を鍛えるのにはなんとも最適である。

15:40、肘曲り。

縦走路に出た。
肘曲り。

志久道を南に下って、みのたにグリーンスポーツホテルの温泉に行くのは、これで4回め。16:05頃、例によって「柏尾の森ふれあい市民緑地」のベンチで最後の休憩をとり、沢靴を脱いで足を乾かし、スニーカーに履き替える。16:30まで休憩。みのたにグリーンスポーツホテル=丹生山田の里銀河の湯に16:40着。

送迎バス時刻が変わって、17、18時台には一本もない。前回は下の路線バスの停留所まで歩いて下ったが、今回は食堂で軽く夕食を摂ってから次のバスを待つことにする。

このコース、朝、バスを降りてから、グリーンスポーツホテルの敷地に下るまで、誰一人出会わなかった。そう言えば、今日は今年から「山の日」である。湯上りの食堂でハンバーグ定食のようなものを食べながら見たテレビは、富士山や高尾山が「黒山」(の人だかり)だったと報じていた。(もっとも、他の週末や休日との人数の比較はなく、「山の日」だから特別登山者が多かったというのは結論ありきで裏付けはあまりなさそうだった。)

19時の送迎バスに乗り、三宮へ。

貴重な支流は失われてしまったとはいえ、本流のみでも、歩く価値は十分にある沢だった。

六甲紅葉谷道

毎年夏に一種の社員旅行があり、近年そのほとんどの行き先は有馬で現地集合。そのたび、一人で山越えをして行くことにしている。同僚は大袈裟に驚きあきれるが、大したことをやっているわけではない。東お多福山登山口から出発したこともあれば、アイスロードから登っ(てロープウェイで下り)たことも、白石谷を下ったこともある。今回は有馬での集合時間が13:00と早めなので、上りはケーブルカーを使う。そして通行止めになっていたのが(一部)復旧された紅葉谷道を歩いてみることにする。

神戸市:通行規制情報(通行止めなど)

紅葉谷道は2014年7月の台風11号によって損傷を受け、その後とてもしっかりした復旧作業が行われたらしい。ところが2015年1月に今度はその有馬に近い林道部分で大規模な崩落があり、そちらは一年半経った今なお復旧のめどは立っていない模様。山頂部から有馬に下る方向で言えば、紅葉谷の登山道主要部分は現在問題なく通行できるものの、ロープウェイ有馬温泉駅直前の林道は通行不能だ。だから紅葉谷を下りてきたら湯槽谷山に登り返して、有馬三山を縦走して…ってそれはキツすぎる。常識的には、最後に滝川を渡ったところから右に、いわゆる炭屋道を登り返して(これも十分キツい)魚屋道に出て、有馬に下りるしかない。

紅葉谷道は、子供が小さかった頃、六甲ケーブルに乗り、当時まだあったケーブル山上駅からロープウェイ山上駅の間のロープウェイに乗り継いで、そこから歩き始め、何度か下ったことがあるが、もう10年以上歩いていなかった。今回はそれとほぼ同じ、山上の移動はバスで、やはりロープウェイ山上駅から歩き出す。下から有馬四十八滝近辺までは2年前に歩いているし、白石谷を下ったのもそう古いことではない。だからロープウェイ山上駅から極楽茶屋跡を経て白石谷出合までが久しぶりということになる。

六甲ケーブル。
六甲ケーブル。
ケーグル山上駅上にある松波大明神。ポケストップである。
ケーグル山上駅上にある松波大明神。ポケストップである。

六甲ケーブル山上駅からロープウェー山頂駅までもバスで移動。歩行者用の陸橋を通って(この道は登山地図にはなぜか記されていない)六甲ガーデンテラスの端に出て、そのまま登山道=六甲縦走路に入る。小さなコブを越えて下り、極楽茶屋跡のところで車道を横断した向かいが紅葉谷道の入り口。

ガーデンテラス〜極楽茶屋跡までだけでも、意外と様々な花が見られる。
ガーデンテラス〜極楽茶屋跡までだけでも、意外と様々な花が見られる。
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ナワシロイチゴ。
オカトラノオ。
オカトラノオ・

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ホツツジ。
ツルニガクサ?
ツルニガクサ?
フサフジウツギ。
フサフジウツギ。
縦走路の途中にもある、紅葉谷道通行止め箇所に関する掲示。
縦走路の途中にもある、紅葉谷道通行止め箇所に関する掲示。
極楽茶屋跡。
極楽茶屋跡。
極楽茶屋跡前からの南側の眺め。
極楽茶屋跡前からの南側の眺め。
極楽茶屋跡から山道に入ってすぐ、有馬三山縦走路(左)と紅葉谷道が分かれる。
極楽茶屋跡から山道に入ってすぐ、有馬三山縦走路(左)と紅葉谷道が分かれる。
紅葉谷の上部。
紅葉谷の上部。
同上。
同上。
同上。
同上。

北斜面、高めの標高、様々な条件から、このあたりはブナ林も残り、六甲山地の中でも特異な植生になっている。道の途中にある、もはや汚れて判読も厄介な案内板の神戸市森林整備事務所による解説によれば、

このあたりの気候は青森付近など東北地方に似ているといわれ、六甲山地の他の地域とは異なり、豊かな森の象徴とされるブナやイヌブナの混じった落葉広葉樹林になっています。六甲山地ではイヌブナは600m付近、ブナは800m付近より高い標高の地域にみられます。(以下略)

という。「青森付近など東北地方」という細かいんだか大雑把なんだか分からない表現がちょっと気になるが、久しぶりに歩いてみて、いい道だなと思った。紅葉谷の上部は、六甲の中でも一二を争う気持ちのいい場所ではないか。

案内板。
案内板。

かつて歩いた記憶も、水場あたりまでのこの上部のものしか残っていなかった。道はやがて谷筋を離れて左岸の上を進むようになり、それが下って沢を渡り、右岸を行くようになる。そんなことも覚えていなかった。右岸に渡ってすぐ、沢は滑滝状になっている。これも以前からあった風景なのだろうか。

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しばし左岸を水平に。
しばし左岸を水平に。
右岸に移ってすぐの滑滝。
右岸に移ってすぐの滑滝。
右岸の道。
右岸の道。

2014年の台風による道の損傷は、この右岸に渡った後、特に百間滝分岐から先の後半部分に集中している。

百間滝分岐。
百間滝分岐。

百間滝分岐の西側は、七曲滝からの水が落ちる枝沢の源頭部に当たる。以前(2014年1月末)七曲滝を見て、この道のない枝沢を笹の茎につかまりながら登って来た時も、最後、この紅葉谷道に這い上がるところで苦労した覚えがあるが、道から見下ろすと、そのあたりの土砂が大きく流失しているようだった。

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少し先、道を塞ぐがっちりした柵に「う回路」の表示がある。元の道は斜面の西側を回り込んでいたのだが、新しい道が、急な痩せ尾根の上をほぼ忠実にたどるように付けられている。両側にロープの張られた丸太階段、それから黒塗りの擬木の階段になる。

迂回路。ここから右に下る。
迂回路。ここから右に下る。
迂回路というか新しい登山道。
迂回路というか新しい登山道。
同上。続き。
同上。続き。

この迂回路に置き換えられた元の道の途中に分岐があり、蟇滝、七曲滝に行けたのだが、その道が使えなくなっていることになる。

迂回路終わり。左上から下りてきた。
迂回路終わり。左上から下りてきた。

迂回路が終わって、元の道に合するとすぐに、白石谷出合。ここもかなりの土砂が堆積している。よくよく見ると、ほとんど埋まった古い道標が見つかる。これが2014年に埋まったのか、それ以前からこうなっていたのか、僕にはわからない。

古い道標(手前)と新しい道標(奥)。
古い道標(手前)と新しい道標(奥)。

左の蟇滝から流れてくる沢が山蔭で小さな淵になっていて、たくさんの魚が泳いでいた。

魚影。
魚影。
タケニグサ。
タケニグサ。

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ヒヨドリソウ。
ヒヨドリソウ。

その先にも小さな修復箇所が何箇所かあるが、概ね元の道筋。コンクリート舗装の林道になり、滝川を渡る箇所、射場山堰堤上部は、以前は土橋の下の大きな土管を水が流れていたのが、跡形もなくなっている。ただ荒れた河原になっていて、石伝いの渡渉をすることになる。

射場山堰堤上部。
射場山堰堤上部。
フサフジウツギ。
フサフジウツギ。ここの右岸に大きな群落があったが、それも流されてしまったようだ。

とは言え、流れは浅く(大部分は伏流になっているのだろう)、特に困難はない。対岸に続く道のすぐ先は、オレンジ色のフェンスで仕切られ、通行止めになっている。

林道は通行止め。
林道は通行止め。

その右手に東屋があり、魚屋道に登る炭屋道が分かれている。本来ならばここから有馬(ロープウェイ有馬温泉駅)まで幅広い林道をタラタラ下っていくだけなのだが、今は急斜面の炭屋道を登り返さなければならない。予想通り、20分足らずとは言え、上から下ってきて、最後の最後でこれはキツい。先日の歌垣山と違って、まあ下りばかりだったからでもあるが、ここまでほとんど汗をかかなかったのが、急激に滝汗が噴き出す。

炭屋道の登り。
炭屋道の登り。

ようやく登り詰めて、魚屋道に飛び出す。最初から、二つのベンチがあるここで大休止にしようと考えていた。ホタテのジェノベーゼ・スパゲッティ。たまたま何処かのスーパーで目に止まった「ホタテのバジルソース仕立て」の缶詰を使った、珍しくオリジナルなレシピだ(<オリジナルとか言うほどのものではない)。最後にバジルの葉を飾るはずが、出がけにベランダで摘んでくるのを忘れて、画竜点睛を欠く感は否めない。

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魚屋道を下り、有馬稲荷に出て、有馬の市街へ。

有馬稲荷。
有馬稲荷。
有馬稲荷参道。
有馬稲荷参道。
有馬稲荷参道。最後の石段。
有馬稲荷参道。最後の石段。

銀の湯の向かいのモンベルでこの店だけで売っているTシャツを購入し、金の湯も過ぎて下って行くと、ちょうど「社員旅行」の宿泊先の送迎ワゴンが停まっていた。

おまけ:こんな「飛び出し坊や」はイヤだ(有馬市街地にて)
おまけ:こんな「飛び出し坊や」はイヤだ(有馬市街地にて)

歌垣山(北摂、553.5m)

北摂の歌垣山へ。去年の今頃は燕〜常念を縦走していた。このクソ暑い時期になんで低山に、しかも沢登りでもないコースに出かけたかというと、今年は妙な仕事に引きずり込まれてまとまった日程が取れないからである。ポジティブな理由もある。花だ。第一の目的はキツネノカミソリ。このクソ暑い時期に低山に咲く花だ。この辺りでは、ポンポン山や阿武山のキツネノカミソリが有名らしいが、歌垣山麓にも群生地があるらしい。
うまくすればフシグロセンノウや、ちょっと寄り道をすればもしかしたらサギソウやサワギキョウも見られるかもしれない。そうそそのかしているのは『花あるきガイド 大阪・北摂山系の植物図鑑』だ。『関西 里山・低山歩き』が掲載しているのの逆順コースでもあるが、主にこの『花あるきガイド』を参考に出かける。

妙見口からバスで本滝口へ。アスファルトの道を、まずは山と反対に西に向かって500m歩く。野間の大ケヤキを見るためだ。確かにものすごい巨木、一見の価値があった。その幹はまるでおかずクラブのゆいピーのようだ(<喩えがひどすぎる。ケヤキさん、ごめんなさい)。周囲には駐車場が整備され、車で訪れている人たちが何組もいて、売店もあった。

ときに葉叢にとまっている姿が見られるというミミズクは影も形もなかった。木を一目見て満足して、さっさと元の道を戻る。炎天下、日陰のない車道歩きはコタエる。帽子もかぶっていなかった。ゆるやかな坂道をバス停まで戻り、さらに東に歩き続ける。汗が滝のように吹き出す。早速バテて、わずかな日陰を見つけて休憩。右から、妙見山からのコースが合わさり、左へ。妙見奥の院への道。妙見山から下ってきて奥の院、そこから西に下山というルートは、三年前の春先に一度歩いている。まだしばらくは棚田の中の舗装道路だ。丘を越えると少し涼しい風が吹き付ける。道は下りになり、野間川の支流にかかる橋を渡ると、もう一つの支流に沿って、ようやく山の中に入っていく。途中、NPOの犬猫シェルターの施設があり、スタッフが犬を散歩に連れ出しているのにいつも(って二回目だが)出くわす。

今日は最初から最後まで、まるでヘロヘロの絶不調だった。どうも、このあたりまでで熱中症気味になっていたのではないかという気がする。『関西 里山・低山歩き』がしているように、ここまでの道を下山路に回す方が賢明だったのだろう。と同時に、どんなに低い易しい山でも、体調次第だし、場合によっては大きな危険も生じうるということだろう。気をつけなければ。

谷の水は、途中の溜池、今谷池から流れ出している。ここでも休憩。前に来た時は、何人もの釣り人がいたが、今回は誰もいない。堤防の奥にタープが張られ、椅子が何脚か置いてあった。ハグロトンボ?を何匹も目にした。

先に進むと、池の北側には、目的のよくわからないログハウスができていた。猪よけの柵を過ぎて、杉林の中をダラダラ登っていくと、再び柵があり、そこが奥の院の肩、峠になっている。左に登れば奥の院だが、今回はパス。少し休んでから、そのまま北側に下る。細い幅にコンクリートが流し込まれた、かなり急な下り。

やがて道幅が広がると、アスファルトの林道(地黄林道)に合流する。歌垣山へはここを左に下っていくのだが、寄り道。一旦右に坂道を登る。標高差にして50mほど登った峠を越して少し下ったところに、地黄湿原と呼ばれる湿原があるという。夏場、サギソウやサワギキョウが咲くというのだ。しかしとにかく舗装道路歩きは疲れる。そろそろ登りが終わるなというあたりでまた道の真ん中に座り込んで休憩していたら、こんなところには来るまいと思っていた車が向こうからやってきた。それも3台。しかも3台目は大きな観光バスである。慌てて立ち上がって路肩に寄る。バスの乗客はいないようだった。一体何だったんだろう? 少しして4台目がやってきた。運転していたおじさんから、大丈夫ですか、乗って行きますかと訊かれ、いや、反対方向に行くので、とご好意に感謝しつつ丁重にお断りする。うーむ。

峠を越えて歩いていくと、左の沢の先が湿原になっていた。少し先の右側も湿原と池になっている。道路沿いに柵が作られ、木々がまばらに生えた向こうが湿原。テニスコート三つ分くらいか、それ以上の広さはある。柵の一部に扉があったが、南京錠がかかっている。湿原の中に、管理用なのか、木道が敷かれているのが見えたが、入れない。遠く点々と白く見えているのは、あれはサギソウだろうか。湿原の緑は美しいが、とにかく距離がありすぎてよくわからない。双眼鏡でも持ってくるべきだったか。柵を乗り越えるのは簡単そうだったが、控えておいた。盗掘したり傷めたりする輩がいるからこういう措置が取られるのだろうが、もう少しやりようはないのだろうか…。
というわけで文字通りの骨折り損のくたびれもうけで、林道の峠越え道を戻る。はぁ。奥の院の肩からの道の合流点まで戻り、さらに林道を下り続ける。水道施設の前で、しばし休憩。ミツバが生えていたが、どうも野生のミツバで香りの高いものに行き当たったためしがない。

林道は堀越峠で一般道に出て終わる。柚原と倉垣を結ぶ道で、車やバイクが時々走ってくる。正面は石の積まれた切り通し状になっていて、登山道の続きが見当たらない。ほんの少し右に進むと、半ば草に覆われて、歌垣山への道標があった。斜めに切り通しの上に出るまでは草がかぶっていたが、その先はよく整備された明瞭な道になった。よく整備された明瞭な道、というのはつまり丸太階段の道である。丸太はまだ新しい。かなり登るといったん傾斜は緩み、階段は消える。しかししばらく行くと、また階段が続くのだった。

歌垣山女山に到着。553.5m。円板状の擬石に囲まれた三角点と、ベンチ、東屋、小さな展望台がある。展望台とは言っても、見えるのは北東方向だけである。すぐ下にトイレもある。

さらに5分歩くと、男山の山頂。こちらは整備されすぎなくらい整備されている。男山山頂部は何しろ「歌垣山公園」と名付けられているのだ。奥には何かの学習会で使われる様子のログハウス(閉まっているようだった)が、真ん中には巨大な石碑が、そして女山と同じ、方形のベンチの上に小さな屋根をつけた東屋もあるが、南側に張り出したテラスには40人ぐらいは座れそうな数、自然木のベンチとテーブルが配され、屋根も付いている。大きすぎない団体が登ってきて過ごすのに最適化されているようだ。屋根の下には、フクロウやキジや小鳥やタヌキの形に切り抜いた板を思い思いに彩色したものを横長の板に貼り付けた「レリーフ」が掲げられていた。歌垣小学校全学年40名の今年3月の作品なのだという。この休憩所のサイズは、歌垣小学校全生徒のサイズから決定されたのかもしれない。そしてそこからの南西方向の眺めは、実は全く期待していなかったのだが、とても良い。(ネットでは、眺めは良くないという記事も見たので、最近になって刈り払いが行われたのかもしれない。)遠くに六甲山、そこまでの間に重畳する北摂の山々。右端、どこから見ても、羽束山の特異な姿はすぐに目立つ。

ちなみに、女山の展望台と、男山の歌碑は、「ポケストップ」になっている。(何のことだかわからない方はご放念ください。)

日曜だというのに、他には誰もいなかった。40人分のスペースを独り占めして大休止にする。『山ごはん12か月』掲載の「げんさん」レシピで、梅鶏飯。

食後、リュックを枕にベンチで横になり、ふとiPhoneでバス時刻表を眺めたら、30分あまり後にちょうど一便ある。その次は一時間間が空く。あわてて荷物を片付け、下りにかかる。最初は階段、それから石畳が現れる。20分ほどで歌垣山登山口バス停に下り着いた。

この下りも、ほとんどが杉の植林帯である。『花あるきガイド 大阪・北摂山系の植物図鑑』は、下山路について、こう言っている。

倉垣への下り道はホオノキの林を抜けたあと沢づたいになり、ウツギやクサアジサイ、フシグロセンノウなどが見られる。やがて道は集落に入り、里の風景が広がる。流れに沿ってゲンノショウコやミズヒキ、ミゾソバなどの里の草花が咲き、周辺のクリ林の下ではキツネノカミソリが一面に橙色の花を咲かせる。

つまり期待の花はここに集中しているわけだが、バス時刻を気にして急ぎ足になっていたせいもあっただろう、目に入らなかった。クサアジサイは花が終わっているようだったし、フシグロセンノウもゲンノショウコもまったく見つけられなかった。里に出て、「クリの木の下の」キツネノカミソリも見当たらないと思ったら、先ほどまで渓流だった水が流れ下る側溝沿いに、点々と咲いているのだった。

丹生山系7:屏風谷遡行

夏で低山となればまずは沢だ。梅雨明けから間もない金曜日、丹生山系の屏風谷に行ってみることにした。上流部のかなりの部分はハイキングコースが絡むように通じており、その道は「丹生山系4 屏風谷道・大蔵山」で歩いている。

三田駅から6番乗り場発の神姫バス115(または15)系統三木方面行き、30分あまりで屏風辻下車。9:53。

屏風辻バス停。
屏風辻バス停。

棚田の中、屏風川の谷に向かって下っていく。前方に屏風谷が見えている。屏風谷の西(右)側の稜線に沿って高圧線の鉄塔が立っているので見分けやすい。

前方正面に屏風谷のV字谷が見える。
前方正面に屏風谷のV字谷が見える。
なるみ橋?
なるみ橋?

「なるみ橋」と思しき橋を渡って登り返してすぐに左折、「太田橋」を渡って右岸沿いに進み、山の中に入る。

山中の畑。
山中の畑。

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山の中の畑を過ぎると、右に、沢に向かう道が現れるが、進入禁止のロープが張られている。どのみち、このあたりの下流部には砂防ダムが2つあるはずなので、そのまままっすぐ進む。右に分かれて下る明瞭な道が現れるので、そこから下って入渓する。あたりは幅広い川原になっている。スニーカーをフェルト底の沢靴に履き替え、身支度を整える。

入渓点。
入渓点。

入渓点には、200m先で枯木谷が分岐する旨のプレートが掛かっていたが、その分岐は見落としてしまった。

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沢に入ってすぐに、ハヤだかアマゴだか、5cm から 10cm の魚影が多数見られた。少し上流では、胴だけで3〜4cmはありそうなオタマジャクシがいた。ずんぐりした胴のアメンボが水面を滑っている。丹生山系にはありがたいことにヒルはいない。虫も多くない。蚊はいたようだが、虫除けスプレーが効いたか、僕の血が不味いのか、幸い刺されずに済んだ。蛇もいないかと思ったら、一度だけ、足元から突然シュルシュルと逃げていったのがいて、ちょっとひやっとした。

岩盤の上を流れる水。
岩盤の上を流れる水。

多田繁次はこう綴っている。

金剛童子山(565m)から黒甲越、天下辻を結ぶ一連の山懐に呱々の声をあげた屏風谷は、この低い山波のあいだを縫うて「屏風」の田園地帯へ出るまでの6キロほどのあいだが、神戸の秘境と呼んでも恥しくないくらい素晴らしいのである。
ここでは六甲のように流れは慌しく落ちては行かない。際立って落差をつける懸崖や滝の間隔が相当長い距離をあけているので、その間、渓流は静かに蛇行線を描き、懸崖の岩角に散華して真珠の簾をかけ、渕は深く青く澄んでいる。なんといってもこの連峰は六甲山とは一線を画した流紋岩地帯で、その上に開発による森林破壊がなく、山全体が豊かな自然林に覆われていることが心強い。風化花崗岩のために絶えず崖崩れを起こしている六甲の、無数の砂防ダムで仕切られた谷には、も早真の渓流というものはない。(『ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま』1990年、神戸新聞総合出版センター、235-236)

文章は昭和43年(1968年)に書かれたもののようだ。六甲と比べて丹生山系を持ち上げるのは別に僕の発明ではなくて、50年前から行われていたということだ。しかしまた少なくとも沢筋に関して、丹生山系は今も大きく変わってはいないように思われるのは幸いだ。

入渓点から最後に沢を離れるまで、標高差にして100mあまりしかない。鳴川同様、両岸は切り立ってはいるものの、谷底は広く、岩盤の上を広く薄く水が流れている部分が多い。深くとも膝ぐらいまで浸かれば進むことができる。ただ鳴川がほとんど平流なのに対して、屏風谷はポツリポツリと3mほどの滝が現れる。滝そのものは難しくはなさそうでも、滝壺はかなり深い淵をなしていて、両岸が迫っていることが多い。へつって取り付けるものもあるが、泳がなければ到達できないものもある。

最初の滝らしい滝(「一の滝」のプレートがある)からして、両岸が狭まり、下に深い淵をたたえて困難。泳いで瀑芯を登ればさほど難しくはなさそうだが、今日は完全防水装備ではないので、いきなり高巻きすることになった。二、三十メートル手前の左側の木に黄色いテープが巻かれて、「捲き道」と書かれている。年配の方が付けてくださっていることが文字使いからわかる。トラロープも設置されていて、相当な急斜面を木とロープにつかまりながら10mほどよじ登る。上の平坦地を数十メートル歩いて、下りられそうな場所を見繕って沢に戻る。

一の滝。
一の滝。
一の滝の巻き道を示す黄テープ。
一の滝の巻き道を示す黄テープ。
一の滝の上の流れ。
一の滝の上の流れ。

昔の杣人たちの手のあとだろう、右岸に古い石積みのある箇所の対岸の河原で休憩。見上げると緑が濃い。

緑が濃い。
緑が濃い。

大蔵山南峠から下ってくる支流(三菱雪稜クラブの概念図によれば「広場谷」というらしい)が、左から小滝となって合わさっている。ここから先しばらくは、少し厄介なゴルジュと瀞のへつりが続く。最後の小滝を、右から左にまたぎ越す感じで抜ける。

次の滝(二の滝?)は二条になって落ちている。これも釜を持っている。左側にトラロープが張られていて、へつってアプローチできる。左の水流際を登る。

二の滝?
二の滝?
トラロープが張られ、左からへつってアプローチ。
トラロープが張られ、左からへつってアプローチ。

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その次(三の滝?)も二条で、滝自体は大したことはなさそうだが、近づけない。右手前の木に色あせた赤テープがある。そこの窪から小さく巻く。今回巻き道をとったのは一の滝とこの滝の二カ所。

三の滝?
三の滝?
巻き道の途中から三の滝を見下ろす。
巻き道の途中から三の滝を見下ろす。

左俣谷を分けてしばらく進むと、正面の壁に「屏風岩」という小さなプレートが取り付けられている。一の滝、二の滝、三の滝は、800mほどのほぼ等間隔で現れたが、ここから先は「名所」が畳みかけるように連続して現れる。「屏風岩」は斜めの逆層の岩壁で、かなりの高さがある。

屏風岩。
屏風岩。

そこで谷は左に曲がり、すぐにちょっとした淵になっている。そこにもプレートがあって、「屏風ヶ淵」と書かれている。

屏風ヶ淵。
屏風ヶ淵。
屏風ヶ淵の奥の小滝。
屏風ヶ淵の奥の小滝。

右から左に移ってその奥の小滝を越す。とすぐに、「大樋の滝」が現れる。左岸の壁に沿って細い水路状にほとばしる滝で、その脇を通行するのに困難はないが、面白い。

大樋の滝。
大樋の滝。
大樋の滝を正面から。
大樋の滝を正面から。
瀞状の箇所の一つ。
瀞状の箇所の一つ。

ほとんどT字路状に中俣谷と右俣谷が分かれる。右俣谷の上流は、黒甲越から大日地蔵への道で通っている。中俣谷出合と呼ばれるらしいこの地点、どちらが本流ともつかないが、左に中俣谷に入る。その先、流れが右に曲がるところに、「二段の滝」がある。右岸の上の方のハイキングコースから見下ろせる滝で、ハイキングコースのその地点に、案内表示があったのを覚えている(丹生山系4 に上から見た画像がある)。滝は階段状で、特に難しいところはない。

二段の滝。
二段の滝。

間もなくハイキングコースの渡渉点(道標あり)。なおも沢通しに進む。

ハイキングコースの渡渉点。
ハイキングコースの渡渉点。

「二条の滝」。これも左岸中腹のハイキングコースから見えていた滝(丹生山系4 参照)。この沢の滝の多くが二条に落ちているが、「二条の滝」はこの滝の固有名ということになるのだろう。滝には右寄りから簡単に近づくことができ、二条の真ん中を容易に登ることができる。

二条の滝。
二条の滝。

この滝を越すと、流れはやや小規模にフレンドリーになったように見えた。その先、多数の倒木の奥に、左から二条の小さな斜瀑が落ちている。倒木を越えたりくぐったりする以外は容易。ところどころまだちょっとした淵をへつるところはあるが、概ね問題なく歩ける。

倒木の奥の小さな斜瀑。
倒木の奥の小さな斜瀑。

二輪車の死骸一体を見送り、ハイキングコースが黒甲越えへの道から分かれて沢に再び下ってきたあたりで、遡行は打ち切る。

二輪車の死骸。
二輪車の死骸。

このあたり、冬から早春にかけて歩いた時は谷底から見ても青い空が広がっていたような気がするが、今は明るい緑の天井に完全に覆われていて、季節の移り変わりに改めて感心する。山道は中俣谷A沢とB沢の合流点で今一度渡渉する。その手前、道が少し広くなった真ん中に、石のかまどの跡のようなものがあり、火を焚いた痕跡もある。14:30。ここの石に座り、コンロを出して、本日の山めし。ファミチキのトマトオニオンソース煮込み。いつもながらの「げんさん」レシピ。このレシピはすでに一度、湖南の堂山で試したことがある。30分あまりの大休止。

ファミチキのトマトオニオンソース煮込み。
ファミチキのトマトオニオンソース煮込み。
ハイキングコースもしばし屏風川中俣A沢の中を通る。
ハイキングコースもしばし屏風川中俣A沢の中を通る。

午後3時を過ぎて、ヒグラシが鳴き始める。ここから天下辻まで、標高差70mほどを一気に登る。ゆるい沢の中をダラダラ歩いてきて最後にこれだから、案外キツく感じた。

天下辻。
天下辻。

天下辻からは一気に下って15:45頃、神鉄大池駅へ。大池から2駅の唐櫃台で下車、薄い金泉とジェットバスの「からとの湯」で汗を流し、体をほぐしてから帰宅。

湯上りに、いにしえの作法に則って。
湯上りに、いにしえの作法に則って。

鳴川に比べて見所も多く、派手ではないものの、楽しい沢歩きのコースだと言える。次回は荷物の防水をちゃんとして泳ぐべきところは泳ぎ、すべての滝を直登してやろうかななどとも思う。

屏風谷地図 1/2
屏風谷地図 1/2
屏風谷地図 2/2
屏風谷地図 2/2

六甲の恵み からとの湯
神戸市北区有野町唐櫃1296-1 (神鉄唐櫃台駅から徒歩2分)
TEL 078-982-2639
10:00-25:00 (受付 24:30まで)
年中無休(メンテナンス休業あり)
大人 700円

六甲最高峰、西宮市最高峰、船坂峠

梅雨入り前後、低山の花は意外に多い。だから晴れ間を狙ってせっせと出かけなければならない。それで今回は六甲山。

以前に触れた『西宮の自然を歩く』のコースを参考に歩く。南北に長い西宮市は、六甲山地を横断しており、メインの縦走路にもかかっている。芦屋川からバスで宝殿橋まで上がってしまってから歩き出すというお手軽コース。それでも後半の尾根道にはかなりのアップダウンがあり、船坂峠からの下りも石のゴロゴロする決して歩きやすくはない道なので、『西宮の自然を歩く』は「健脚向き」としている。

宝殿橋でバスを降りる。すでに標高750m。六甲最高峰まで、単純計算で標高差200mもない。東に向かって有料道路ゲート脇を抜け、すぐに折り返して坂道になる車道を登る。この季節に多いのは白い木の花だ。道路脇のあちこちに、ウツギやヤマボウシの白い花や、金銀とりまぜたスイカズラの花が見られる。モミジイチゴも実をつけていて、摘んで口に入れる。

スイカズラ。
スイカズラ。

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道路の途中で西宮から芦屋に入る。
道路の途中で西宮から芦屋に入る。
満開のヤマボウシ。
満開のヤマボウシ。

近頃は公園などに北米原産のハナミズキを植えるのが流行っているが、なぜ国産近縁種のヤマボウシにしないのか理解に苦しむ。ヤマボウシなら実も食べられるのに。

イワガラミ。
イワガラミ。
ウツギ。
ウツギ。

funasaka - 7

エゴノキ?
エゴノキ?

funasaka - 9

コアジサイ。
コアジサイ。

20分ほどで左に鳥居をくぐって石宝殿への山道に入る。道には笹がかぶっていて、膝から下がビショビショになる。石宝殿直下、右の谷が仁川の源流だそうだ。

仁川の源頭部。ってこの画像ではなんだかよくわからないが。
仁川の源頭部。ってこの画像ではなんだかよくわからないが。

登りつめると薄汚いバラックの社務所の前に出て、その左手の小高いところに石造りの小さな社がある。慶長18年 (1623) に建立されたものだという。石宝殿のピークは東に仁川、北に船坂川、南に芦屋川、南西に住吉川を発する源頭にあたり、雨乞いの場でもあったそうだ。階段下に礼拝所が設けられていて、祠はそのガラス越しに拝むしかない。掲示板にはありがたそうな言葉のよくわからない解説(私とは誰なのか。『ボヴァリー夫人』に匹敵する謎を秘めたテクストだ)と、なぜかフラメンコのポスターが貼られている。

ガラス越しに見る石ノ宝殿。
ガラス越しに見る石ノ宝殿。
礼拝所の掲示板。
礼拝所の掲示板。

西側に少し下ったところ、真新しい観音像が立ち、南から、蛇谷北山からの道が登ってきている広場で小休止。ここではコナスビの花を見つけた。地面にへばりついて咲く小さな黄色い花で、目立たない。実の色形から名付けられたようだが、茎葉も花も、ナスにはまったく似ていない。

石ノ宝殿下の広場。
石ノ宝殿下の広場。
コナスビ。
コナスビ。

坂を下って、鳥居茶屋跡の前で車道に出る。車道に沿って左側に、ハイキング用の地道がついている。ここも笹がかぶっていて、脇にはモミジイチゴが多い。ナワシロイチゴの花もあった。

車道に出る。右は閉鎖されている旧鳥居茶屋。
車道に出る。右は閉鎖されている旧鳥居茶屋。
ナワシロイチゴ。
ナワシロイチゴ。

右に旧車道の入口を見送り、すぐにトンネル。トンネルには入らず、左の山道に入る。

車道から鉢巻山への道の入り口。
車道から鉢巻山への道の入り口。
ヤブウツギ。
ヤブウツギ。

この辺りもウツギの白い花やヤブウツギの赤い花が多い。やはり笹に足元を濡らされながら登っていくと、三叉路になる。右は行き止まりだという看板が地面に落ちている。その右の道へ進む。

三叉路の表示。
三叉路の表示。
鉢巻山直下。
鉢巻山直下。

しっとりした樹林を緩く登ると、金網フェンスの中にケイ・オプティコムの鉄塔の立つ鉢巻山の山頂。898.6m。広場などはなく、電波塔の左手の立木に、山名の看板が掛けられている。ここが、西宮市の最高地点であるらしい。山頂は神戸市北区、西宮市、芦屋市の境界になっている。してみると、芦屋市の最高地点でもあるはずだが、登山地図などでは、なぜか蛇谷北山(840m)が芦屋市最高峰だとされている。芦屋市単独の、ということか。だとすると西宮市単独の最高峰はどこなのだろう。(登山地図には西宮市最高峰の記載はない。)

鉢巻山。
鉢巻山。

三叉路まで戻り、西に下る。途中、斜面が崩落している箇所があるが、通行に支障があるほどではない。コアジサイの群落があった。栽培種の大きなアジサイは文字どおり大アジで大して好かないが、山で見るコアジサイは好ましい。

崩落箇所。
崩落箇所。
コアジサイ。
コアジサイ。

右から旧車道が回り込んで来ているところで車道に出る。一軒茶屋へは、このまま車道を歩いてもいいのだが、向かいの山道に入る。この道はよく整っていて、草がかぶることもない。

一軒茶屋への道。
一軒茶屋への道。
ミズキ?
ミズキ?
ツクバネウツギの花のあと。
ツクバネウツギの花のあと。

やがて再び車道に出て、100mほど行くと一軒茶屋。落ち着かない一軒茶屋周辺を避けて、いつも通り、南に少し踏み込んだ黒岩谷西尾根上部の小さな広場で休憩。ここにもコナスビ、スイカズラ、ヤブウツギなどなど。

funasaka1 - 11

タニウツギにしては大ぶりな花。一体なんだろう?
タニウツギにしては大ぶりな花。一体なんだろう?

一軒茶屋に戻り、六甲最高峰へのコンクリート道を登っていく。山頂周辺は自衛隊の演習中で、登り口や山頂広場には、ダークグリーンの車両がダークグリーンのカモフラージュ用の網を被せられて、何台も止まっていた。周辺の草の中には、重装備の隊員が、四方を睨んでポツリポツリと座っている。登山道は開放されていて、最高峰標柱にも行くことができた。歩いていて行き交う隊員は、にこやかに会釈してくれる。何かの「防護」の訓練であったらしい。

この山頂付近には、この季節、ナワシロイチゴのピンク色の花が目立つ。

山頂南西寄りの、ベンチ代わりになる巨石が二、三点在する広場で大休止にする。本日の山めしはポークマリネりんご添え。『バテない体をつくる登山食』のレシピ。山めしにしては豪華に見えるが、肉とタマネギとローズマリー一枝とオリーブオイル、塩胡椒を放り込んだZIPロックを冷凍しておいたものを持参、櫛形の薄切りにしたりんごと一緒にフライパンで焼くだけ。手軽で、満足度が高い。りんごにはカリウムが多いところがポイントだそうだ。肉はあらかじめ小さめに切って持参してもよかったのかもしれないが、フルサイズの一枚のまま。だから食べる時に切り分けなければならない。いつもはフライパンから直接食べているけれど、フライパンの上でナイフを使うわけにはいかない。だから百均で買ったプラスチックの皿を持って行った。使えるし、軽い。

funasaka1 - 13

山のポークマリネ。
山のポークマリネ。

しばし休んで、靴紐を締め直し、下りにかかる。一軒茶屋への下りの道路脇に、登りのときは気付かなかったアリマノウマノスズクサを発見。前々から一度見てみたいと思っていた花。蔓性で、絡んだ木の枝からどこかユーモラスな面妖な花がたくさんぶら下がっている。これが見られただけでも、今日出かけてきた甲斐があったと思った。

アリマノウマノスズクサ。
アリマノウマノスズクサ。
ウツギ。
ウツギ。

funasaka1 - 17

鉢巻山を見上げる。
鉢巻山を見上げる。

車道を戻り、トンネルの手前、先ほど鉢巻山から下りてきたところから、旧車道に入る。この道は鉢巻山の北側をぐるりと回り込んでいる。阪神大震災で途中が崩壊し、使われなくなった。代わりにトンネルが掘られたのだ。放棄された車道は、特に西側半分が繁茂する植物に覆われ、ガードレール以外、元は自動車道だったことを思い起こさせるものはない。ラピュタにも通じる廃墟のイメージ。『西宮の自然を歩く』によれば、「この廃道は、自動車が入らないのとハイカーもほとんど入らないため、多様な草木が旧道路上にまで自由奔放に生えており、植物やそれに飛来する昆虫類の観察には好適な場所となっている」。途中に、地震による当時の崩落の状況などを説明する説明板があるが、それも半ば木々に覆われている。その先は、少し道が広くなり、アスファルトの路面もしっかり姿を現わす。以前、白水尾根を登ってきて、この辺りに出て、東から抜けたことがある。このあたりでアサギマダラらしい蝶も見かけた。

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かつてここは車道だった。
かつてここは車道だった。
すでに木々に覆われようとしている崩壊箇所の説明板。
すでに木々に覆われようとしている崩壊箇所の説明板。

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この向こうは白水尾根。
この向こうは白水尾根。
ヤマボウシ。
ヤマボウシ。
旧道跡。
旧道跡。

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トンネル東側の新道に出て、鳥居茶屋跡前を再び通過し、車道をそのまま進む。山肌に沿った道が右に3度目にカーブする所で左の登山道に入る。

この突き当たりを左に、山道に入る。
この突き当たりを左に、山道に入る。

六甲縦走路の一部だが、この辺り、展望はない。平坦な部分、いくらかの登り、かなりの急下りが交替する。この季節のこの区間から先は、あまり花は多くない。コアジサイがあちらこちらで見られるぐらいだ。

シソバタツナミソウ。
シソバタツナミソウ。
コアジサイ。
コアジサイ。
コガクウツギ。
コガクウツギ。
エゴノキ?
エゴノキ?
水無山山頂付近。
水無山山頂付近。
急下りの道。
急下りの道。

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途中の奇岩。
途中の奇岩。
こういう快適な箇所もある。
こういう快適な箇所もある。
イワカガミの葉。
イワカガミの葉。
船坂峠付近の北斜面の樹相。
船坂峠付近の北斜面の樹相。
船坂峠。
船坂峠。

船坂峠で縦走路を離れ、北に清水谷道を船坂に向かう。初めは斜面のジグザグ下り。やがて谷筋に降りると、水の涸れた沢床のような、石のゴロゴロする歩きにくい道になる。「美しい花や昆虫類に出会う機会の少ない道であるが、六甲山地の明るい南斜面と対照的な北斜面の地形の違いを体感するには良い谷であり、船坂で寒天業が最近まで残っていた気候の厳しさも分かるであろう」。(前掲書)

船坂峠からの下り。
船坂峠からの下り。
山道終わり。
山道終わり。

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西宮北道路の下をくぐり、棚越の道路に出る。左に下って100mほど先、そのまま右に下っていかないように注意。まっすぐ、やや登りになって、JAのところで有馬街道に出る。ちょっと暗めの切り通しのところに宝塚と有馬を結ぶ路線の「船坂」のバス停がある。

「船坂」バス停付近。
「船坂」バス停付近。
久しぶりに見たアワフキムシの泡。
久しぶりに見たアワフキムシの泡。
道路脇のタケノコ。
道路脇のタケノコ。

少し時間があったので、切り通しを超えて200mほど先、夙川への「さくらやまなみバス」も通る「船坂橋」バス停まで歩く。その横にはコンビニもある。有馬温泉に行くことも考えたが、そちらへのバスは一時間ほどない。結局宝塚に出て帰宅。

丹生山系6:鳴川右俣遡行

ずっと昔、丹生山系のあたりの地形図を初めて眺めた時から、このへんは沢が面白そうだなと思っていた。ここしばらく、何本か、尾根筋、普通の登山道を歩いてみて、この山地の概要が掴めた気がするので、そろそろ沢に入ってみることにする。一般向けに書かれた北区のハイキングガイドは当然ながら沢登りコースは紹介していない。丹生山系の沢については、「箕面里山のブログ」さん「カメさんHの山バカ日誌」さんが詳しい。今回は「箕面里山のブログ」さんの「丹生山系・鳴川右本流遡行」の記事を主な参考にして歩く。

三田駅から8:10の神姫バス三木営業所行きで、屏風辻下車。のはずが、ぼーっとしていて乗り過ごし、その次の西畑口で慌てて降りた。鳴川までの距離は大して変わらないか、むしろ近くなったような気もするので、よしとしよう。

バス停からすぐ下の斜面に、太陽光発電施設があった。

西畑口の太陽光発電施設。
西畑口の太陽光発電施設。

田園の中の農道風の道を、屏風川の谷に向かって下り、

この地区の真ん中を東西に屏風川が流れている。その谷に向かって下る。
この地区の真ん中を東西に屏風川が流れている。その谷に向かって下る。

橋を渡り、登り返す。田んぼの周りには、春の野花がたくさん咲いている。

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オオカワヂシャとジャノメチョウ。

溜池を過ぎて坂を下って行くと、

溜池。
溜池。

鳴川流域の田園になる。

鳴川は右の山裾を流れている。
鳴川は右の山裾を流れている。

この間、車には全く出くわさない。山沿いの道を進むと、途中の分岐から舗装はなくなり、

手前から来た。右に道を分け、山裾をまっすぐ進む。ここから地道。
手前から来た。右に道を分け、山裾をまっすぐ進む。ここから地道。

やがてイノシシ除けのゲートがある。

イノシシ除けのゲート。
イノシシ除けのゲート。

この扉は、細引きで結んで閉じてあった。

扉は紐で結んで閉じる。
扉は紐で結んで閉じる。

紐を解き、ゲートを通り抜けて、また結ぶ。ほんの少し歩くと、道は川に下り、入渓点となる。ここまでバス停から30分。ここで、朝食のおにぎり一個を食べ、スニーカーを脱いで、沢靴に履き替える。

沢靴に履き替える。
沢靴に履き替える。

沢に入って歩き始めてすぐ、細い木の橋が頭上にかかっていた。

細い木橋をくぐる。
細い木橋をくぐる。

水は、見た目、わりあい澄んでいる。しかしかつてこの沢は「飲まずの川」と呼ばれていたという。『山田郷土誌』(p.581)は、鉱山もあった丹生山系で、この沢水には鉱毒が溶け込んでいて、飲用にするなという戒めの名称だったのではないかと推測している。そうなのだろうと思えるが、しかしそれだと鳴川下流の水田はどうなるのだろう?

低い取水堰?があった。このすぐ先にも同じような石組の堰。そのあと、そうしたものはこの沢にはない。
低い取水堰?があった。このすぐ先にも同じような石組の堰。そのあと、そうしたものはこの沢にはない。

低い取水堰の少し先、ほとんど丁字路状に右俣・左俣が分かれる。左俣は天保池、東鹿見山、古倉山を源流としている。ここは右に進む。

浅く広い流れの中をじゃぶじゃぶ歩く。
浅く広い流れの中をじゃぶじゃぶ歩く。
最初の「滝」。1mほどで、簡単に越える。
最初の「滝」。1mほどで、簡単に越える。

「箕面…」さんは、左俣分岐から中山大杣池分岐までが「核心部」だとお書きになっている。暑い季節にじゃぶじゃぶやることを前提にすれば、そうだと思う。中山大杣池分岐までは、両岸は深く立ってはいるものの、河床は傾斜もあまりなく、幅広く明るい。1m前後の、滝と呼べるかどうかも微妙な滝は何度か現れる。流れに幅があるぶん浅く、ほとんどの部分はくるぶし程度の水深しかない。最初は冷たく感じられたが、陽が高くなって気温も上がると、水の冷たさも気にならなくなった。それでも膝上まで浸かったりましてや泳いだりする気にはなれなかったので、ちょっと深い淵は巻いたり、へつったりして通過する。クソ暑い季節だったら、自ずと違う楽しみ方になるだろう。

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丹生山系にはヒルはいない。ブンブンうるさい虫はいるかもしれないと思ったが、それもほとんどいなかった。羽の透明な、青い体の、イトトンボにしては大きめなトンボがいた(クロイトトンボかな。撮影はできなかった)。GWで週末だから、バイクの音が、遠くから聞こえたりするかと思ったが、それもなかった。ひたすら瀬音と鳥たちのさえずりと共に歩く。

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日当たりのいい小さなテラス状の岩があったのでそこで小休止。

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多田繁次『ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま』(神戸新聞総合出版センター、1990年)はこの鳴川について次のように記している。

谷川の流れに寄り沿う岸辺の樹林はコナラなどの広葉樹が多いので、清流に映える眼覚めるような若葉で谷は明るく、水中ではハヤが敏捷に泳ぎまわって愛嬌を振りまく。六甲のように花崗岩ではなく、黒褐色の流紋岩が谷を構成しているので、神戸を遠く離れた山の谷を歩いている、そんな感じを抱かせる。遡行を始めて一時間ほどのところで谷幅いっぱいに岩盤と岩石がわだかまる景勝の地がある。(p.242)

確かにそんな箇所もあった。昭和43年(1968年)に書かれた文章のようだが、ここに描かれている限りでは、今現在の状態は、幸いにもさほど変わってはいないように思える。

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中山大杣池分岐の少し手前、右岸に明瞭な踏み跡が現れる。

そこから右岸沿いの青草が敷きつめる炭焼き道を行くと、間もなく道は飛び石伝いに左岸へ渡って左斜めに上がると小流沿いの、荷車が通れるよい道となって中山の大杣池へ出て志久峠道に合流する。

これは上に掲げた画像の踏み跡のことだろう。

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中山大杣池分岐。橋の下をくぐる。左から、天保池方面からの支流が流れ込んでいる。
中山大杣池分岐。橋の下をくぐる。左から、天保池方面からの支流が流れ込んでいる。

大杣池分岐の橋は、丹生山系5で、天保池から中山大杣池に行く時に渡っている。この橋をくぐると、沢はせばまってきて、沢筋の光量も減る。しかし楽しいちょっとした小滝は、数は多くないが、この分岐よりも先にある。途中、倒木や枯れ枝が山のように詰まっている箇所があって、左の踏み跡に逃げ、そのしばらく先で流れに戻る。

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倒木、枯れ枝が詰まっている。
倒木、枯れ枝が詰まっている。
シソバタツナミソウの葉とニワハンミョウ。
シソバタツナミソウの葉とニワハンミョウ。

標高320mあたり、谷が左に90度曲がる手前に、3メートルほどの形のいい滝がある。階段状になっていて、簡単に越せる。『ひょうご低山遍歴』に

杣道を利用しながら溯っていくと、この谷最大の滝が山の静寂を破っている。その滝の上で流れが屈曲しているので珍しく深い渕ができている。青いあおい水の澱みが神秘的である。

とあるのは明らかにここのことだ。

形のいい滝。
形のいい滝。
自撮りに挑戦してみた。
自撮りに挑戦してみた。
3m滝の上はかなり大きく深い淵になっている。左をへつる。
3m滝の上はかなり大きく深い淵になっている。左をへつる。

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そのしばらく先からは、沢に並行する踏み跡を辿る。上流域には、小型の白い花をたくさん付けるシロバナウンゼンツツジが多い。このあたりで、ヤマツツジ、チゴユリ、ニョイスミレなども見かけた。石に苔が多くなる。径1〜2mぐらいの苔むした丸い岩が左斜面にゴロゴロしている箇所を通る。

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350m付近で左右から支流が入る。右の支流は溝状になって流れ込んでいる。
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ニョイスミレ。
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沢沿いの踏み跡を辿る。

370mぐらいで、1mほどの小滝の落ち口を右岸から左岸に渡ると、

滝の落ち口を渡る。
滝の落ち口を渡る。

その先に5mぐらいの滝が落ちている。これも階段状で容易。踏み跡はその右側に坦々と続いているが、水流近くを登る。

5mぐらいの滝。易しい。
5mぐらいの滝。易しい。
シロバナウンゼンツツジ。
シロバナウンゼンツツジ。

上流部の踏み跡(杣道)の途中に、摂播国境塚があるようだ。「人間の肩ぐらいの高さの石積み」で、「その前に十人ほどの人が腰掛けられる方形の石囲いが設けられている」という。何かの石積みの遺構は見つけたが、これが言われているものなのか、確信は持てなかった。今は神戸市北区に含まれる淡河は、かつては播磨国に属していた。南の山田は摂津。「地元の人たちの話では、年に一回淡河側(播磨)と山田側(摂津)との山持ちがここで出会って国境線を確認しあった」という。(『山田郷土誌』同所)

「マザーツリー」と呼んでも良さそうな巨木。
「マザーツリー」と呼んでも良さそうな巨木。

『ひょうご低山遍歴』に、

空をおおうコナラの美林、安定した両岸のたたずまいは千年も前の面影を今に伝えているように思われる。所どころで杣道が分かれるがうまく谷路を、心打つ風景を鑑賞しながら辿ると最奥の右岸で、一本のモミの古木が天を突いている。この流域の最年長、鳴川谷の “主” である。

とあるのはきっとこの木のことだろう。

390m付近で、右の支流からは、大量の土砂が押し出されてきていて、倒木もあり、荒れている。その支流側に登って越す。

標高400mあたりの二俣で、左の沢沿いに誘い込まれそうになった。花折山に突き上げる流れで、そちらに沿っても薄い踏み跡がある。沢からほんの少し離れた踏み跡を歩いてきたから、沢が二俣になっていたことにも気づかなかった。ふとFieldAccess2の地図を眺めて、違う方向に来ていることに気づいて戻った。適当に沢を渡って左岸側に行くと、はっきりした踏み跡があった。

それからいま一度、標高430mあたりで、道はいつの間にか沢筋を離れ、左の斜面をぐんぐん登り始めた。これは違うのではないかと思って戻る。踏み跡も不明瞭なところ、とにかく沢筋に沿って歩くと、沢と交差する志久道に出た。しかし後で「箕面…」さんの記述を読み返してみると、最後はあの斜面を登っていく道が正解だったらしい。地形図と照らし合わせてみると、確かに、最後の峠寄りの道標のあるあたりに出そうだ。「箕面…」さんの地図の記述で「この辺まで流れ有」とあるのは、「この辺で踏み跡は水流を離れる」と読み替えるべきもののようだ。沢の水流は、志久道と交差するところ、さらにその上まである。

志久道に出た。沢を左から来た。
志久道に出た。沢を左から来た。

石がガラガラの志久道は、沢歩きの延長のようなものだ。フェルト底の沢靴だからか、四度目にして慣れてきただけか、少し歩きやすくなったような気がした。以下は灰床(志久道が山から出るあたり)の植物。

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ツクバネウツギ。
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クサイチゴ?
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ウマノアシガタ(キンポウゲ)。花弁に独特の光沢がある。

沢コースだと、ゆっくり休憩したり山めしを作ったりするのに適したスポットはあまりないことが多い。中山大杣池分岐で橋の上に上がることも考えたが、そのまま歩いてきてしまった。志久道に出てからもいい場所はないことはわかっていた。結局、行程の終点近い「柏尾の森ふれあい市民緑地」のベンチ・テーブルのある広場で、すでに4時だったが、作ることにした。鯖水煮缶と舞茸・生姜のフォー。『バテない体をつくる登山食』のレシピ。舞茸と生姜は少し前に自宅で干したもの。そう言えば最近のもので、こんな鯖水煮缶の効能を並べた記事もあった。

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最後はいつもの道でみのたにグリーンスポーツホテルの温泉へ。スニーカーの薄い靴底がなんだか頼りない。

温泉から17時過ぎに出てきたら、頼りの送迎バスは19:00までない。これも後から考えると、付属の食堂で夕食にして、送迎バスを使えばよかったのだが、20分歩いて路線バスの蔵本バス停へ。17:50のバスで箕谷駅へ。谷上で乗り換えて三宮に出て帰宅。

蔵本付近から振り返る。
蔵本付近から振り返る。

沢登りと言うよりは沢歩き。派手な滝もなく、地味と言えば地味で、その割に長いが、まわりの自然は美しく、何より六甲ばかり歩いてきた身には、砂防ダムが一切ないことは感涙ものである。