伊那佐山(637m)・井足岳(550m)

伊那佐山に行ってみた。三月中旬。例によって『関西日帰り山歩きベスト100』だけ見て。室生山地や高見山、三峰山への入り口、榛原からすぐの里山。いい感じの普通の低山だった。

榛原の駅から15席ほどの奈良交通のミニバスで10分足らず、9:20比布下車。降りたのは僕だけ。このあたりは「山と高原地図」には収録されていないので、FieldAccessアプリで地形図を見ながら歩く。

比布バス停。

比布バス停。

田園地帯。芳野川沿いの車道を、伊那佐山の姿を眺めながら歩く。

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伊那佐山を見ながら歩く。

 

「竹橋」を渡り、

竹橋。歩行者用の側道橋がある。

竹橋。歩行者用の側道橋がある。

道標に導かれるまま、集落の中の道を上がり、登山道に入る。

榛原山路集落の中の道標と丁石。十六丁とある。

榛原山路集落の中の道標と丁石。十六丁とある。

ここが登山道入り口ということになるだろうか。でもコンクリート舗装。

ここが登山道入り口ということになるだろうか。でもコンクリート舗装。

また道標と丁石がある。十三丁。

また道標と丁石がある。十三丁。

朝、慌てて出てきて、片目にコンタクトを入れていなかった。登山道に入ってしばらく、八丁の丁石があるあたりで、服や荷物を調整するのに小休止。朝食にサンドイッチを食べ、コンタクトを入れた。iPhoneのフロントカメラを鏡代わりにしたのだが、ちょっと苦労した。そのとき、年配の男性が一人通り過ぎて行った。その後は最後まで、土曜なのに、誰にも会わなかった。

ここで一休み。

ここで一休み。

道がつづら折れ(どこぞのサイトには「つづれ織り」と書いてあったが何だそれ?)になって、三丁目の丁石のあるコーナーを過ぎてひと登りすると、ようやく自然林になり、

二丁付近。ようやく上(左)側は自然林になる。

二丁付近。ようやく上(左)側は自然林になる。

二丁の丁石の先のコーナーに、「天狗岩」への分岐がある。ちょっと下って小さく登り返すと天狗岩。このコース一番の展望ポイント。吉野から大峰の山並が望まれる。

天狗岩から吉野・大峰の山々の眺め。

天狗岩から吉野・大峰の山々の眺め。

『ベスト100』には「猿岩」と書かれている。岩の中に、かつては「猿岩」と書かれた板が付いていたはずの標識の支柱だけが残っている。岩の背後の松の幹には、PCでプリントして防水した、妙に熱を帯びた注意書きがくくり付けられている。最近のもののようだ。美しいかと言えば美しくはない。

天狗岩背後の注意書き。

天狗岩背後の注意書き。

天狗岩から元の道に戻って、緩い坂をたどるとすぐに伊那佐山山頂。

天狗岩分岐から伊那佐山山頂への緩やかな登り。

天狗岩分岐から伊那佐山山頂への緩やかな登り。

神社と、倒壊しかけて立ち入り禁止の札のある休憩所がある。神社周囲の石垣に下がっている絵馬はどれもかなり古い。

伊那佐山山頂。都賀那岐神社。

伊那佐山山頂。都賀那岐神社。

倒壊しかけている休憩所。

倒壊しかけている休憩所。

神社の左奥に展望プレートがあり、そこだけ視界が開けている。プレートには遠く霞む金剛山の名は記されていたが、目の前の音羽三山については、山の姿形は描かれているものの、名前すらなかった。

山頂から北西の眺め。右奥に金剛山が霞んでいる。中景は音羽三山。

山頂から北西の眺め。右奥に金剛山が霞んでいる。中景は音羽三山。

神社の右奥に三角点があり、井足岳への道もそこから続いている。

社殿裏の三角点。

社殿裏の三角点。

井足岳への道の入り口。

井足岳への道の入り口。

再び植林地。急降下。すぐに林道に下り着く。

林道に下り着く。

林道に下り着く。

そこに、「榛原町観光協会」が設置した警告板がある。これまで無数のハイカーたちに無視され続けてきた看板だ。

観光協会による警告看板。

観光協会による警告看板。

井足岳という名前はどう読むのか。『ベスト100』は「いたりだけ」というルビを付している。しかし地元の観光協会が設置した看板がわざわざカタカナでイダニ岳と書いているし、地形図(井足岳の名は記されていない)で見ると、山麓の集落、上井足に「かみいだに」と読みが付いている。やはり「いだにだけ」なのだろう。難読である。

ルートは、この看板のある林道を少し左に進み、コンクリート舗装になる右手、林道造成でできた極細の尾根のようなところを登ると、まあ普通の山道になる。

林道から井足岳への道への入り口。

林道から井足岳への道への入り口。

『関西日帰り山歩きベスト100』も「ワイルド」とか記述していたし、帰ってからネットで見たら、二三年前の記録で倒木や藪が大変と書いている方もあった。今回藪を漕ぐことはなかったし、古い倒木は多いものの、通行が困難ということもなく、ピンクや黄のテープのおかげもあって、特に道に迷うこともなかった。この2年ぐらいの間に、手を入れてくださった方があるのかもしれない。多少のルートファインディングの経験があれば問題はない。

510mの鞍部に出て、地形図にはその先の小ピークを左から巻いていく破線が描かれているが、それらしい道は分からなかった。よく見ると、ピンクのテープが、ピークに登る方向に付いている。それに従って登ると、小ピークの上には巨石がいくつも顔を出していた。

小ピークの上。

小ピークの上。

その奥から、左に急下降。下り切ると、地形図が記していた水平の林道様の道を横切り、前方の小尾根脇の道に入る。道はすぐに尾根の上に上がり、左に鹿よけの網が現れる。

左に獣除けの網。

左に獣除けの網。

あとは概ねだらだらと尾根筋を辿り、

井足岳に続く尾根道。ところどころ異様に幅広くしっかりしている。

井足岳に続く尾根道。ところどころ異様に幅広くしっかりしている。

最後に井足岳への急登になる。井足岳の山頂部は、L字と言うか「く」の字型になっている。下辺の尾根の途中にひょっこり飛び出して、水平に近い稜線を左に回り込んで行くと、L字の一番上が井足岳の山頂だった。樹林の中で、展望はないが、明るいし、そこそこの広さがあり、静かな場所だった。山名を記した札がやたらに掛けてある。間もなく正午になり、突如どこか山麓の施設から時を告げる「エーデルワイス」のメロディーが聞こえてきておいおいと思ったが(人里近い低山だとこういうことはままある)、それも止むと、静寂が戻る。しかし何でエーデルワイスだったのだろう?

井足岳山頂。

井足岳山頂。

わかった、もうええちゅうに。

わかった、もうええちゅうに。

ここで本日の山メシ。オニオンスープのリゾット。フリーズドライのほうれん草が便利に使えた。

オニオンスープのリゾット。

オニオンスープのリゾット。

その材料。

その材料。

井足岳からの下りは再度植林地の中の急下降。ほぼ直線的に下っていく。

植林地の急下降。

植林地の急下降。

標高450mで山腹の水平道に出て、

水平道に出た。

水平道に出た。

それを左にたどると谷を渡り、

丸木橋で谷を渡る。

丸木橋で谷を渡る。

反対の小尾根に登っていく。この辺りは明るい自然林になるが、

自然林の小尾根。

自然林の小尾根。

またしても植林地の下降になり、370m付近で二つの沢の合流点に下り着く。左に巨岩を見ながら丸木橋で沢を跨ぎ、

左手に大岩を見ながら

左手に大岩を見ながら

再び丸木橋で沢を渡る。

再び丸木橋で沢を渡る。

しばらく右岸沿いの道になる。三たび沢を渡って、道は次第に沢から離れる。右下に人家が見えてきて、分岐から右に下ると船尾の集落。

船尾の集落に出る。山道終わり。

船尾の集落に出る。山道終わり。

谷の奥に三郎岳が見える。

三郎岳が見える。

三郎岳が見える。

「伊勢本街道」の369号線の車道を左へ。

伊勢本街道。

伊勢本街道。

橋の袂に鳥居があり、そこから川沿いに左に進むと墨坂神社。

墨坂神社。

墨坂神社。

境内から「山」の字の形の額井岳が見える。

「山」の形の額井岳。電線が邪魔。

「山」の形の額井岳。電線が邪魔。

春日大社から移築したという社殿にお参りし、左手の方に回っていくと、「御神水」があった。小さな池と祠があり、蛇口まで用意されている。

御神水。

御神水。

しかしそこに設置された説明板に、なんだかなーと思う。

トンデモ系説明板。

トンデモ系説明板。

「効能 当社 5万パワー(水道水の100倍)」って何だよそれ。ありがたいものはただありがたいままに置いておけばいいので、そこにトンデモ的、エセ科学的な言葉を持ってくることは、むしろ神様への冒瀆ではないだろうか。(と思ったらこんな記事を見つけた。)

神社の前から、歩行者用の赤い橋で川を渡り、13:30頃、榛原駅に戻り着いた。9.6kmの軽い歩き。

神社前の橋。

神社前の橋。

駅前でしばしぼーっと過ごし、14:10の送迎バスで美榛苑の温泉へ。日帰り入浴の風呂は宿泊者用とは別になっていて、『ベスト100』の額井岳の項に書かれているような、登山靴不可ということはない。ただ玄関に「登山者は靴をよく拭え」という注意書きはある。ぬるりとした感触の湯。露天はない。本館の売店で榛原名産だという大きな栗紅芋を買って、15:00の送迎バスで榛原駅へ。鶴橋に出て帰宅。

交野山 341m

先週の生駒山に続き、交野山(こうのさん)に行ってみた。生駒山系北端の、標高にすれば生駒山の半分ほどの山。

交野のみ野のさくらがりにはまだ少し早い。だが交野市は「かたのし」、山は「こうのさん」。ややこしい。おそらくかつて音読みがカッコいいと思われていた時代があったのではないかとも思うが、それにしても「こうの」という重箱読みは中途半端である。高野山と区別が付かなくなることを避けたのか。

出発点の私市も難読地名だ。なんでこれが「きさいち」になるのか(どうやら私=后きさきという古い用法が元らしい)。家を出るのが遅くなって、その私市に着いたのは11時少し前。京阪の支線の終点。チープに小洒落た駅だが、駅前には何もない。

私市駅。

私市駅。

今回も『関西日帰り山歩きベスト100』のコース取りにほぼ従う。『関西周辺週末の山登りベスト120』もほぼ同じルートを逆コースで紹介している。私市駅から落ち着いた感じの住宅地を抜けて歩いて行くと、路傍に小さなお堂があった。いや、お堂ではなく、地元産の蜂蜜のディスプレイだった。茨木養蜂園。購入は少し戻ったところの喫茶店に行け、と地図が掲げられている。

蜂蜜の宣伝だった。

蜂蜜の宣伝だった。

先ほど気付かずに通り過ぎた角の喫茶店〈がんぴ〉まで戻る。レンゲ、アカシア、百花、サクラからの四択。自宅へのみやげにレンゲの蜂蜜を購入。これから山歩きだというのに、荷物を増やしてどうするというところだが、今日は周回コースではなく、ここには戻らないから仕方ない。ハチミツ担いで一日歩くことにする。季節限定のサクラも買うべきだったか。

購入した蜂蜜。帰宅後に撮影。

購入した蜂蜜。帰宅後に撮影。

元の道を改めて進むと、すぐに山の中に入っていく。この辺り既にいい感じの自然林。沢沿いの道になる。沢の中には苔むした巨石が詰まっていて、流れのかなりの部分が沢音だけ響かせながらそういう岩の下に隠れている。

「月の輪滝コース」入り口付近。

「月の輪滝コース」入り口付近。

新しそうな木橋で左岸に渡り、岩壁の細い道を少し登ると、巨岩の間に挟まるようにして月の輪滝が落ちている。

月の輪滝。

月の輪滝。

道を戻って、右岸に設置された階段を登ってこの滝を巻く。

滝を巻く階段。

滝を巻く階段。

月の輪滝の上あたりの道。

月の輪滝の上あたりの道。

「岩善水」という小さな札のある水場があった。

岩善水。

岩善水。

月の輪滝コース続き。

月の輪滝コース続き。

古くて大きい堰堤を二三越えると、道は平坦になって、「大阪府民の森」の一つ、「くろんど園地」に入る。

堰堤を越える。

堰堤を越える。

とにかくこの沢沿いの道はなかなかいい感じだったと思う。浅山幽谷って感じ(←そんな言葉はない)。

堰堤の上で、流れは「すいれん池」と呼ばれる池になっており、「くろんど園地休憩所」の小屋がある。まっすぐ行けばくろんど(黒添)池を経て奈良側に出るが、左に桜並木の「主要園路」を辿る。ガードレールの付いた、林道風の幅広い道だ。シーズン前の準備があるのだろう、管理用の車がたまに走ってくる。桜はまだ開花の気配もない。

くろんど園地主要園路。

くろんど園地主要園路。

ダム池の脇を通り、延々歩く。

延々とこんな感じ。

延々とこんな感じ。

「交歓広場」が現れ、道は広場を回り込んで登っていくが、徒歩のこちらは、広場を突っ切って階段を登る。

と、キャンプ場の管理棟の前に出る。ここで「生駒山系まるごとハイキングマップ」を購入。500円。周囲にはバーベキュー用のかまどや炊事場やベンチ・テーブルが並んでいる。そのまま主要路を東に向かい、ゆるく下るとT字路。左に折れて北上する。間もなく木道の掛けられた「八ツ橋湿地」。ラクウショウ(落羽松、沼杉)の林になっていて、これも植栽したものだろうが、ミズバショウが咲き始めていた。

八ツ橋湿地。

八ツ橋湿地。

落羽松。

落羽松。

やがてゲートと駐車場がある。車でキャンプ場に来る客は、ここに駐車して、この先(つまり僕の歩いてきた方向)には、徒歩で進むらしい。結構距離あるぞ。荷物の多い人のために用意された一輪車が何台も立てかけてある。

一輪車。

一輪車。

さらに林道状の道を進むと、園地のゲートを出て、舗装された一般道に出る。

くろんど園地榜示(ほうじ)ゲート。

くろんど園地榜示(ほうじ)ゲート。

それにしても、すいれん池・休憩所からキャンプ場を経てここまで、左右の自然林はいい感じだし、池や湿地もありはしたものの、そして一応は土の道であって舗装はほとんどないものの、一時間近く一貫して林道風の道歩きで、これはちょっと退屈だった。園地の中には、右にも左にもいろいろなコースがあるので、それを選択していけばいいのかもしれないが、そうなるとまたかなりのアップダウンが増えることにはなるだろう。

車道を左に下って行く。谷あいの棚田が現れる。

車道途中からの風景。

車道途中からの風景。

道が右に曲がり、さらに左にカーブするところに、菅原神社の石鳥居がある。その手前、右側の地道を登る。この上も棚田。すぐに左に折れて、小さな尾根を回り込むと、その先にも棚田が続いている。

棚田の脇を進む。

棚田の脇を進む。

その谷を登り詰めると、ため池があり、左手に進むと〈交野市野外活動センター〉。

ため池。向こうに見えるのが「野外活動センター」。

ため池。向こうに見えるのが「野外活動センター」。

小汚いバラックとコンクリートブロックのトイレの間から奥に進むと、炊事場やテーブル、ベンチがあって、意外にも何人かのハイカーが休憩していた。小さなキャンプ場だ。夏季6〜9月のみの営業らしく、今は人の手が入っている気配はない。金網には、かつてここにやってきた学校の団体などが残したらしい記念の焼き板(にアクリル絵の具だろうか?)のプレートがいくつも掛けられているが、もはや風化してほとんど読み取れない。1998年といった数字が読み取れた。一頃はよく利用されたが、最近はあまり、なのだろうか。

キャンプ場利用記念の焼き板のプレート。

キャンプ場利用記念の焼き板のプレート。

そこからさらに北への道は再び林道風になり、旗振山の東麓を巻いて、坂を下るとまたゲートを抜け、一般道に出る。左に取って100mほど行くと、交野山への登り口があって、山道になる。登り口には、なぜか真っ赤なソファーが置かれている。

交野山登り口。

交野山登り口。

階段道を登って尾根に出ると、向こうに交野山が姿を見せる。

交野山が姿を見せる。

交野山が姿を見せる。

そこから右にさらに階段を登ると、310mの小ピークで、分岐になっている。

分岐。「交野山山頂」の標識は左下を向いている。

分岐。「交野山山頂」の標識は左下を向いている。

道標があって、右はゴルフ場管理道路へ、交野山山頂へは左に下ることになっている。ちょうどその時、男性二人組が右の道から姿を現して、交野山に登るならこっちの方が近いよと教えてくれた。地形図で見ても分かるが、左の道は、いったん谷へ相当に下って登り返すかたちになるようだ。教えられた通りに右に下ると、すぐにゴルフ場脇の平坦な舗装道路に出て、それを少し歩くと、左に朱塗りの鳥居の立つ、交野山への登り口があった。

ゴルフ場管理道路からの交野山入り口。

ゴルフ場管理道路からの交野山入り口。

そこから入っていくと、左の谷から登ってくる道と合流(道標通り・ガイドブック通りに歩けばそちらから登ってくることになったはずだ)、さらにいくつかの鳥居をくぐって、最後の岩場に掛けられた小さなコンクリートのはしごを二つ登る。

最後の岩場が現れる。

最後の岩場が現れる。

コンクリート製のはしご。

コンクリート製のはしご。

三宝荒神の小さな社があり、

三宝荒神。

三宝荒神。

その上が交野山の山頂だった。観音岩と呼ばれるこの山頂の巨石は何か唐突で、そして確かに眺めがいい。ちょっと靄がかかった天気だったのは残念。

山頂の「観音岩」。

山頂の「観音岩」。

観音岩の上からの眺望。残念ながらこの日は今ひとつ。

観音岩の上からの眺望。残念ながらこの日は今ひとつ。

今回の山メシは手抜きで、アルミ鍋に入ったうどん。と言うか、ちょうど賞味期限のものが家にあったので、仕方なく背負ってきたのだ。

交野山からは北に、急な階段道を下って行く。

交野山からの下り。

交野山からの下り。

三たび車道に出て、横断して左に水平道をたどると、

また車道を横断する。

また車道を横断する。

白旗池に出る。池を回り込んでいくと、〈交野いきものふれあいの里〉センター。本当にお役所というのは「ふれあい」が好きである。

白旗池から交野山を振り返る。

白旗池から交野山を振り返る。

そのまま池沿いに進むと、両側はゴルフ場の敷地らしく、金網フェンスに挟まれた道になる。小さなトンネルをくぐり、

トンネル。

トンネル。

T字路を左に、国見山に向かう。三月末まで、国見山東側の谷沿いのコースは登山道改修工事のため通行止めだという警告がところどころに立てられている。

国見山への道。

国見山への道。

アップダウンの少ない道が続いて、国見山の南東の肩に出る。そこから沢沿いに下って行くのが件の改修中の道で、オレンジ色のフェンスが立てられ、「通行止め」と書かれている。左に階段道を登って、

国見山山頂への階段。

国見山山頂への階段。

国見山の山頂に着く。

国見山山頂到着。

国見山山頂到着。

ここも眺めがいい。淀川を隔てて、大山崎あたりからポンポン山、さらに北には京都市街が見えている。

国見山山頂から北の眺め。

国見山山頂から北の眺め。

国見山山頂からまた交野山を振り返る。

国見山山頂からまた交野山を振り返る。

国見山からさらに北にまっすぐたどる尾根道は問題はなさそうだ。細いがしっかりした尾根道を下って行くと、250mの小さなピークに展望デッキが設えられている。

展望デッキ。

展望デッキ。

国見山からの下り道。

国見山からの下り道。

さらに下って行くと、ヒノキの植林帯に入り、その途中で道は右の谷に下っている。でも暗くじめじめした植林地の下の、その先の道はよく見えない。尾根筋をまっすぐ進む踏み跡もあるのだが、そちらには道を塞ぐように小枝が束ねて置かれている。この先に進むな、という警告の印だ。でも尾根通しのそちらに進んでみることにした。

道はここで右の谷に下りていく。でも左に尾根通しに進んでみた。

道はここで右の谷に下りていく。でも左に尾根通しに進んでみた。

しばらくは問題なかったが、やがて踏み跡は不明瞭になった。でも尾根の先、下り着くべき先の谷の道は白くはっきり見えている。右の小さな谷の向こうの斜面に、指示通りに歩いて行ったら通ったのであろう道も見えている。小尾根先端の急斜面を木や笹に掴まりながらどうにか下り切り、藪の下の細い流れを慎重にまたぎ越し、少し藪を分けると、道に出た。あの、国見山の肩から谷沿いに通じている道だ。下り着いたところは通行止め区間の最後にひっかかっていて、左に数十メートル歩くと、オレンジ色のフェンスが立てられている。が、その脇の小屋の裏は問題なく通れるようになっていた。

そこを抜けると、妙にモダンな風景が広がる。『関西日帰り山歩きベスト100』がグラウンド兼貯水池と記述している辺りは、今は「津田サイエンスヒルズ」という大規模な産業団地となって様相を変えており、今っぽい白い巨大なハコがいくつも建っている。反対側、山裾の国見池は残っていて、そこに降りる小道には進入禁止の意味らしいロープが張られていたが、六七人のおじさんたちが釣りをしていた。山裾をまっすぐ西に進む道をとればガイドブック通り津田駅に行くはずだが、途中、北に、サイエンスヒルズの中を行く。「生駒山系まるごとハイキングマップ」も、津田駅に出る道ではなく、日帰り温泉施設の〈スパバレイ枚方南〉を経由して藤阪駅に出るこちらの道を掲載している。ひと風呂浴びて帰ることができれば好都合だ。北大阪高等職業技術専門校の脇を通って、歩行者用の階段を下り、

歩行者用の階段を下る。

歩行者用の階段を下る。

道路を横断して向かいの歩道に入るとすぐに〈空見の丘公園〉がある。小さな池のほとりにコンクリート擬木のイスとテーブルが設置されている。ここで最後の休憩。

空見の丘公園。

空見の丘公園。

さらに進んで、第二京阪を橋で越えると、あった。温泉だ。

あった。

あった。

さあ、汗を流そう。うまくすればあとは送迎バスで駅に出られるかもしれない。と思ったら、

え?

え?

ってオイ! 「予め」ご了承下さいも何も、何も聞いてないよ。玄関前の掲示で「予め」もないもんだ(まあ、数日前からこの掲示はここにあったのでもあろう)。ここは年中無休のはずだが、よりによって今日臨時休業…。

しかたなくそのまま歩き続けて藤阪駅に向かう。あたりは新興住宅地だ。地形図を頼りに、駅まで近そうな道を選んで歩く。途中で左に折れると、元からの集落らしい部分に入る。人一人がやっと通れるような細い道を抜け、307号線を横断し、枚方津田高校の横を通ってまた橋を渡ると、藤阪駅が見えた。京橋に出て、帰宅。

藤阪駅が見えた。

藤阪駅が見えた。

月の輪滝の沢筋のコースは悪くないし、園地は良心的に整備されているし、交野山山頂の巨岩とそこからの眺め、国見山からの眺めは一見の価値がある。同じ生駒山系だから、先週の生駒山と同じような泥道に出くわすかと思ったが、意外にもそれはほとんどなかった。生駒よりはずっと山としての品もある。が、地味といえば地味なコースだった。

生駒山 642m━車道、鉄塔、喋る自販機、泥地獄

山好きの関東人で、丹沢や奥多摩をホームグラウンドにしてきて、関西に移住してショックを受けたことの一つは、何で山の上にこんなに車道が走っているんだということだった。今日では一種の貧困にしか見えないが、おそらくある時代の関西の経済界のセンスを表しているのだろう。

自動車道だけでなく、人工的な建造物も多い。さすがに既に取り壊されたが六甲の「回る展望台」とか。

しかしこうした山上の建造物の「起源」は、関西では社寺なのかもしれない。金剛山、高野山、比叡山、愛宕神社など今なお健在のところもたくさんあるし、かつていたるところの山上に寺社があった。信長や秀吉の焼き討ちにあったり、おそらくもっと多いのは明治期の廃仏棄釈によって廃された寺かもしれない。本当にあちこちの山の上に、寺の跡がある。そして六甲枝垂れも、大野山のプラネタリウムも、そうした山上の寺社建築の末裔なのかもしれない。

山を「歩く」ことをこととする現在の人間からすると、そうしたものは、特に古さびた寺社は一応別にすると、興ざめでしかない。(もっとも、時代は変わって、最近はスキー場だけでなく、ロープウェイやリフトの廃止・撤去も相次いでいる。)

生駒山というのは、メジャーな名前だ。阪奈の境に連なる600mあまりの山脈。関西ネイティヴだと、子供の頃に親に山上遊園地に連れて行かれたり、遠足で登ったりしたものだったりするのではないだろうか。しかし長じてから関西に移った僕は、行ったことがなかった。山歩きの観点からすると、山上に遊園地はあるわけだし、尾根筋を縦貫して自動車道は走っているし、あまり面白くなさそうだ。それでも、名前は僕でも知っているぐらい有名だし、関西の登山コース100選みたいなガイドブックには必ず出てくるし、一度行ってみないとなあと思っていた。あの暗峠の実態も自分の目で見ておきたい。3月初旬、出かけた。

近鉄枚岡駅を出てすぐに枚岡神社。

枚岡神社

枚岡神社

健脚お守り700円。登山客をしっかり商売相手に取り込んでいる。
健脚お守り ¥700。

健脚お守り ¥700。

本殿まで石段を上がり、まずは右に梅林へ。6〜7分咲きだった。広場では幼稚園児の団体が遊んでいた。ここの立派なトイレを使う。
枚岡梅林。

枚岡梅林。

道を戻って本殿前から反対側の駐車場に下り、通り抜けると幅広い道。しっかり整備された遊歩道。椋ヶ根橋の手前で右に、沢沿いの道を登り、間もなく赤いアーチの豊浦橋。
豊浦橋。

豊浦橋。

これを渡って舗装道路を横断し、桜広場エリアの中の幅広い遊歩道を登っていくと、六角形の東屋のある額田山展望台。すでに大阪平野の展望が開けている。
額田山展望台。

額田山展望台。

展望台から元の道に戻らず、そのまま上左に向かう道を取り、少し先の分岐を右へ。小さなピークを越えて、元の道に合流する。この辺りまでは幅広い遊歩道だが、ここから先は普通の山道という感じになる。周囲は自然林(杉などのモノカルチャーな植林地ではない、という程度の意味で言っている)で、案外気持ちよく歩ける。ウグイスも囀り始めている。

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案外いい感じの自然林。

案外いい感じの自然林。

山頂が近づく頃、一天俄かに掻き曇って、雪が降り始めた。初めは細雪程度。それがだんだん強くなってきた。冷たい風も増してきた。信貴生駒スカイラインの下をくぐり、最後の階段道を登っていくと、鉄塔や電線が目に飛び込んでくる。
信貴生駒スカイラインの下をくぐる。

信貴生駒スカイラインの下をくぐる。

最後の階段。いきなり電線、鉄塔…。

最後の階段。いきなり電線、鉄塔…。

稜線上の幅広い道に出ると、行く手には赤白に塗り分けられたのやら、巨大な鉄塔がいくつも並んでいる。
稜線に出たところの風景。

稜線に出たところの風景。

車道を横断し、冬季休業中の山上遊園地の開放された門を入って進む。ジェットコースターやらパターゴルフやら、様々な施設が並ぶ中を行くと、波型鉄板をカマボコ型の屋根にした、大きな休憩所があった。いくつものテーブルとベンチが並んでいる。雪を避けて、その屋根の下に入る。その真ん前が子供用SL列車の線路で、ループの中に、哀れな生駒山三角点が見える。642m。
生駒山三角点。

生駒山三角点。

登山の観点から見るからいけないので、遊園地自体は、子供を遊ばせに連れてくるには、まあ、良さそうではある。
休んでいると、これまた俄かに空が青みを増し、雪は止んだ。日が差してきたその瞬間、空中にキラキラと舞うものがあった。雪ではない。ダイヤモンド・ダストだ。こんなところで見られるとは。これは儲け物だった。でも寒い。
元の道を戻る。左右の巨大鉄塔のいくつかは、放送局の名前のプレートが付いている。TVの中継塔らしい。テレビを見ない人間にとっては、ますますテレビ無用の感が強まる。憶測にすぎないが、現在の技術なら、もっと小さな目立たない建造物でも、十分な出力と地域カバーができるのではないか。少なくとも、景観に関するまともな規制の強い国であれば、そちらの方向に進化していそうだ。
山頂部南端の塔。とってもモダンで素敵。この下から暗峠への道に入る。

山頂部南端の塔。とってもモダンで素敵。この下から暗峠への道に入る。

生駒山山頂部から暗峠への下りは、ズルズルベタベタベチョベチョの泥道だった。周囲は笹薮。滑って転倒しないよう、細心の注意を払いながら歩く。先に歩いた人がずるりと滑った痕跡が随所にある。
暗峠への道。この先は泥地獄。

暗峠への道。この先は泥地獄。

どうにか生駒スカイラインに交差するところに辿り着いて、そのパノラマ展望台で休憩。車道の屈曲部の先に造られた広場で、駐車スペースとベンチ、四阿があり、確かに眺めがいい。しかしここでも自販機が、「まいどー、あったかい飲み物、どうですかー」と喋りくさっていた。うるせーよ。
信貴生駒スカイライン、パノラマ展望台。

信貴生駒スカイライン、パノラマ展望台。

ベンチの足元に、太さ1センチ、長さ20センチほどの枝切れが落ちていた。ははん。先行者が、これで靴底の泥を落としたのだろう。僕もそれに倣うことにする。
ちょうど四年前にウィーンのシュテファン大聖堂裏の登山用品店で買って、その年のウィーンの森をはじめとして、これまでさんざんあちこち歩かせてきた靴だから、もうかなり靴底がすり減っている。
展望所から、急斜面に付けられた乾いて細い階段道を一息下ると、その先はまた笹薮に挟まれた泥道が延々と続くのだった。せっかくきれいにした靴底に、また泥が容赦なく付着する。こういう道をバランスを取りながら下っていくのは、思った以上に全身各所の筋肉を使う。(それを感じたのは、翌朝だった。筋肉痛にはならなかったが。)ストックがあったほうがよかったかもしれない。いやーいい全身運動になりました。(棒)
さらに二度自動車道をかすめ、ようやく暗峠に出る。「石畳の国道」として有名な場所。予想通り、芝居の書き割りみたいな薄っぺらい哀しい風景だった。すぐ横を信貴生駒スカイラインのコンクリート橋が通っている。多くの書物でここを紹介して掲載されている写真は、この車道を背にして、ほとんど同一のアングルで撮影されている。その位置、その角度でのみ、どうにか絵になるのだ。
暗峠。定番アングル。

暗峠。定番アングル。

暗峠から民家の間を入り、また車道をかすめ、コンクリートの坂道を登り詰めると、いくつもの道が交差する曖昧なピークに出る。ヤマケイのガイドブックが「大原山」という名前で紹介している場所だが、あまり山頂という感じはしない。
大原山。

大原山。

道標に従って、テトリスのブロックのようなコンクリート橋で小さな池の真ん中を通り、西に向かう。高圧線の鉄塔があって、その先が「ぼくらの広場」。ネーミングについてのコメントは控えよう。ここは確かに眺めはいい。西から北、大阪平野が一望で、その向こうの六甲山や淡路島は霞んでしまっていたが、南方、信貴山から葛城・金剛にいたる山並みは、とても美しかった。まばらな木々の周りにそれぞれ低い生垣が設えられていて、その中にベンチが置かれている。
「ぼくらの広場」。

「ぼくらの広場」。

信貴山、葛城・金剛山の山並み。

信貴山、葛城・金剛山の山並み。

そういうベンチの一つに陣取って、本日の山メシ。赤貝とお麩の土手煮。例によって「げんさん」レシピ。

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赤貝とお麩の土手煮。

赤貝とお麩の土手煮。

しかしまた曇ってしまい、冷たい風も吹き付ける。急いで食べて下山にかかる。大原山の分岐まで戻り、鳴川峠に向かう。右は神威寺の所有地らしく、なんとしばらくはブロック塀沿いの道である。やれやれ。
鳴川峠への道。このあたりはいい感じ。

鳴川峠への道。このあたりはいい感じ。

鳴川峠では、また信貴生駒スカイラインの下をくぐらされることになる。
鳴川峠。

鳴川峠。

鳴川峠からの下りも、泥道に悩まされた。山地によって、土の質が違う。風化花崗岩の六甲山や湖南アルプスでは、登山道がこういう泥道になることは少ない。生駒・金剛山地では、粘土質なのか、泥になりやすい。生駒の大阪側にやたらと(ドロドロになりにくい土を敷き込んだ)遊歩道が整備されているのは、このためもあるのかもしれない。
(この日は平日で、歩いている人もさほど多くなかったが、この数日後の日曜に行かれた友人キバラーさんのお話では、高齢者を中心に人が多く、転倒して半身泥まみれになっている女性、転倒して骨折している男性などを見かけたという。まさに阿鼻叫喚の泥地獄である。「全編ほぼヌタ場」なのは、雨後でなくてもあまり変わらないらしい。ガイドブック類は、このコースを難易度★ではなく、★★★で紹介すべきなのではないか。)
標高300mぐらいか、道が沢に沿うようになると、ようやく路面も安定し、歩きやすくなった。
古い道標。

古い道標。

一旦舗装道になり、道標に従って再び左の山腹を巻く山道に入り、少し行くと、竹林となり、千光寺に下り着く。
ネコノメソウがもう咲いていた。千光寺付近。

ネコノメソウがもう咲いていた。千光寺付近。

集落の中の道路をしばらく下って行くと、「ゆるぎ地蔵」。本当に揺らいでいるらしく、ブルーシートが被せられ、危険さわらないで下さい、と書かれている。
集落の中を下る。

集落の中を下る。

シートで覆われたゆるぎ地蔵。ここから右に下る。

シートで覆われたゆるぎ地蔵。ここから右に下る。

そこに道標があり、ハイキングコースは右の沢に下って、再び地道になる。
沢沿いの道。

沢沿いの道。

右に巨岩が迫っているところがあって、それが清滝磨崖仏。あとは左下に大和平群の田園を見下ろしながら、ずっと山の中腹を辿っていく道になる。
大和平群の田園。

大和平群の田園。

やがて舗装された農道となり、急激に下ると、右の尾根の先端と、左のぽこんとした小山の間を通る。小山には山口神社が祀られている。
間もなく近鉄元山上口駅。ここから800mのところに、かんぽの宿大和平群があり、日帰り入浴ができるらしい。しかしそちらに行くコミュニティバスは30分ほど前に出てしまっており、泥道下りで疲れた身体でそこまで歩く気力もなく、そのまま電車に乗る。
というわけで、さて、一回は行ったぞ、もう行かなくていいや、というのが当面の結論。

歩くことを学ぶ

歩くというのは、言葉と並んで、幼少の頃に覚えて、誰でもできることになっている。それでも、言葉と同様、さまざまな問題をはらんでいて、実はかなり上手い下手がある事柄のように思える。

内田樹は乳児の四足歩行(つまり這い這い)と対比して、二足歩行についてこう言っている。

本能が命じる標準的な「正しい」歩行法というものは存在しません。ときどき「正しいウォーキングの仕方」というようなことを教えている人がいますけど、あれは嘘です。世界中のすべての社会集団は固有の歩行法を採用しています。それは正しい歩行法が存在しないからです。直立歩行する限り、どんな歩き方をしても間違っているんです。もし標準的な正しい歩行法がひとつだけしか存在しないのであれば、進化の淘汰圧によって正しい歩行法をする種だけが生き残っていて、世界中の人間がみな同じ歩き方になっているはずです。でも、なっていない。(『日本霊性論』NHK出版、2014. p.138)

この言葉はおそらく正しいのだろう。とは言え、ここに繋げて次のように言うことができるだろう。絶対的な正解はなくとも、「より良い」歩き方を探っていく余地はあるだろうということが一つ。そしてそれは、決して完成される(唯一の正しいやり方が存在する)ものではなく、変わっていく余地を残すものだろうということがもう一つ。

したがってまた逆に、これはダメだろ、というのはある。少し古いガイドブックの「登山の心得」的なページで、「下りは前かがみで」などと書いているものがあり、呆れたことがある。下りで前かがみというのはあり得ない。それは普通「屁っ放り腰」とよばれているはずで、むしろ不安定で転倒しやすくなる。

もちろんここで主に念頭に置いているのは、登山の場合の歩き方だ。能勢博『山に登る前に読む本』講談社ブルーバックス、2014は色々な点でとても学ぶところの多い本だが、登り下りの「仕事量」を語って人間の体をまるでひと塊りの剛体のように扱っており、その点はどうかと思う。歩行はさまざまな骨と筋肉の協働した動きであって、体の使い方によっては、エネルギー消費でも筋肉・骨格の負担でも大きな違いが出てくるはずだ。

この点でも参考になることが多いのは甲野善紀氏の書物。氏とご子息の『驚くほど日常生活を楽にする武術&身体術』2014を(登山関係の出版が多い)山と渓谷社が出したのは炯眼だと思う。その第一章「日常の身のこなし」には、「歩く・のぼる」というセクションがある。

  • 踏み出す足ではなく、後ろに残る足の方をメインに意識する。これは、能勢が「後ろ足の膝関節をなるべく伸ばして登る」と言っているのと平仄が合う。登りであれば、後ろ足の膝裏が伸びる感じを意識すればいい(下りでは、膝裏は必ずしも伸びない)。試みに、踏み出す足の方に意識を集中してみると、てきめんに足が重くなり、速度も落ちる。この違いはとても明確で、面白い。
  • 大股でまたぎ越さなければならないところ、路面の不安定なところ、階段の続くところでは、「虎拉ぎの手」が効く。なぜか体全体に一本の筋が通り、歩きが安定し、速度も上がる。

この延長上に、こんなことも言えそうだ。

  • 路面の安定したところ限定だが、後ろ足に意識を置いて、前に出す足の滞空時間をほんのすこし延ばす。そうすると歩幅が広がり、速度も速くなる。路面の安定した緩傾斜の下りや平地で特に有効だ。

以前に何かの本や雑誌で見て知り、もはや出典が思い出せない、もう少し基本的なポイント:

  • 登り下りを問わず、上体(というより腰か)はつねにできるだけまっすぐに。下りの場合、上体を原則起こしたままにすると、足元を見るにはやや下目遣いになる。それでOKだと思われる。
  • 登りはかかとから、下りはつま先から:踏み出す足については、登りはかかとから、下りはつま先から接地するように意識する。そうすれば登りではつま先、下りではかかとも自然と地面につくわけで、要するに靴底の接地面積をできるだけ大きくしろという教えだ。これを意識すれば、登り下りとも、滑ったり転倒したりする可能性はずっと低くなる。
  • カニ歩きの積極的利用:段差の大きい登り下りでは、横歩きが骨格にもかなっており、有効。安全で安定する。
  • 重力走法:登りで、蹴らない。筋力を使わない。重力にまかせて、前に倒れこむ。その先に、足を踏み出す。そして後ろ足をすっと引き抜いてまた倒れこみつつ前に出す。上の「後ろ足を意識」というのにもつながっているだろう。「蹴る」のは前足を踏み込んだ瞬間の動きだ。後ろ足が伸びることを意識するというのは、蹴ることの正反対だと言っていい。
  • ナンバ歩き:右足と左腕が同時に前に出る近代以降に一般化した歩き方ではなく、右肩と右足が同時に前に出るような、腰のひねりの入らない歩き方。腕組みをしたり、腰の後ろで手を組むような姿勢をとると、自ずとこの歩き方になる。疲れてきて自然とこの形になることも多い。場合によってはこれを意識的に使うことが役に立つ。

以上のようなところが、とくにここ3年ほど、実地で試しながら検討してきた僕の現時点での認識。一緒に山歩きをする仲間や家族にこうしたポイントを教えると、確実に「楽になった」「足首の痛みがなくなった」などの反応が返ってくる。つまり上記は全体として、いかに無駄な力を抜くか、無駄な動きを排するかという方向を向いている。(たとえばカロリー消費自体が目的、自己目的であるのなら、以上の逆に、前足を意識し、重力走法は使わず、一生懸命「蹴る」のがいいのかもしれない。)「歩く」ことに関心を抱かれる方のご参考までに。さらによりよい「歩き方」をご存知の方はご教示ください。

高見山

1月25日日曜、高見山の霧氷登山に行ってきた。関西の「霧氷登山」の、金剛山や三峰(みうね)山と並んでポピュラーな目的地。この時期、霧氷を見に山に登るのは、金剛山では経験があるが、高見山は初めて。

シーズン中の週末と祝日だけ、近鉄榛原(はいばら)駅から奈良交通が直通の登山客用「霧氷バス」を走らせている。榛原駅を降りると、三峰山に行くバスと、高見山に行くバスに乗る登山客の行列がそれぞれできている。高見山行きのバスは行きが8:15と9:15の二便ということになっているが、この間に、乗客が集まり次第増発し、発車するようで、全員が座れるようにはからってくれて、さらに吉野杉の割り箸三膳ずつと、たかすみ温泉の割引券が付く。しかも車中で「登山届」用紙がちびた鉛筆とともに回ってくる。帰りの便の乗客数予想に活かされるのだろうが、至れり尽くせりである。普通の路線バスの車両だが、全員が座れるというのが凄い。シーズンのポビュラーな地域の登山バスというのは、ぎゅう詰めで立って、というイメージがあったので驚いた。もう何年も前のことになるが、ススキのシーズンの倶留尊山に行った時の名張からのバスは本当にギチギチで、しかも通常の経路が土砂崩れか何かで迂回路をとり、1.5倍以上の時間がかかり、大変だったのを覚えている。

終点の「高見山登山口」バス停で降り、トイレを済ませ、登山届ポストに車中でもらって記入した用紙を型通りに入れ、歩き始める。

最初のうちは細く長い尾根の上をたどる道。旧伊勢南街道の一部で、ところどころに石畳がある。雲母曲(きららひじ)を登り詰めると、やがて林道の通る小峠に着く。小峠〜大峠間の旧伊勢南街道と林道は通行止めとのことなので、小峠から急坂を尾根に上がる。950mあたりで路面の凍結しているところがでてきたので、軽アイゼンを着ける。登山口にはまったくなかった雪が次第に増えていく。1020mで主尾根に乗ったあたり(後述するように登山地図に誤った分岐が描かれているあたり)から、見事なエビの尻尾━霧氷が現れる。樹林のせいで展望は意外となく、単調と言えば単調な尾根の登りが続く。それだけに笛吹岩で得られる南側の展望、その先の北側の展望は嬉しい。もちろんそこまでの間も、充実した霧氷の鑑賞ができる。霧氷にも色々のタイプがあるが、ここではほとんどエビの尻尾タイプのものばかりのようだった。土日二日続きの好天の二日目だったので、時折バラバラと頭上から溶けかけたエビフライが落ちてくる。

高見山の山頂からの眺めは素晴らしい。すぐ東には三峰山。室生、大峰、台高の山々の360度の眺め。条件がよければ、富士山まで見えるというが、残念ながらそこまでの眺望は、この日はなかった。「関西のマッターホルン」とかいう思い上がった(?)ニックネームもあるらしい高見山、実際三峰山あたりから眺めると端正で美しいようだが、要するに山頂がとんがっていて狭い。山頂のすぐ東側、かなりの傾斜地にも、多くの人が座り込んで昼食を摂っている。山頂西側直下の避難小屋の上は展望台になっているが、その上も、小屋の中も、座り込んでいる人でいっぱいだ。小屋の前になんとか場所を確保して、雪の上に座布団を敷き、「豚もやし鍋」を作って食べる。

山頂からしばらくは、元来た道を戻る。小峠分岐から、平野への道に入る。

「小峠分岐(杉谷平野分岐)」と、そこからたかすみ温泉への道のラインは、『日帰り山歩きベスト100』の地図は、例によってデタラメである。この部分は、ヤマケイの『関西周辺週末の山登りベスト120』も、昭文社の『山と高原地図』も同様。いずれも、高見山主尾根の1020m付近に分岐を記しているが、実際の分岐はそこから西南西に伸びる枝尾根の、940mの小ピーク付近であり、やや北寄りのさらに小さな尾根に沿った平野道は、780m付近で谷に下っていく。その谷底に、樹齢700年という高見杉と、避難小屋が立っている。地図に描かれている分岐点には、誤解を招くような枝道もないし、多くの人が歩いているコースだから、地図のせいで迷う可能性は低いが、できれば改善を望みたい。(追記:2015年版「山と高原地図」では修正されている。)  「小峠分岐」の少し前でアイゼンを外してしまったのだが、分岐から平野に向かう道は、しばらくは尾根の北面を進む。そこが凍っていることもあるので、まだしばらくはアイゼンを付けておいたほうがいいかもしれない。実際、このあたりですっ転んでいる人を多く見かけた。

登山地図では道は「下平野」に下ることになっているが、どうもそのような分岐には気づかなかった。道なりに下って行くと、平野川を渡る橋を渡って、右に川べりの通路に下り、少し行くと「たかすみ温泉」だった。わりとシンプルな、でも露天も気持ちのいい温泉。バスでもらった割引券を使って入る。そして「霧氷バス」の帰りの便は、もっぱらこの温泉前の駐車場から出る。この帰りの便も、行きと同様、公式には15:00と16:00の二便ということになっているが、実際にはその間にも、乗客が集まり次第発車していく。

『クヮルテットのたのしみ』

エルンスト・ハイメラン『クヮルテットのたのしみ(増補改訂版) 』アカデミア・ミュージック、2012

『クワルテットのたのしみ』原著初版が出たのは、1936年のことらしい。ドイツが抜き差しならぬ方向に向かい始める時期だが、今はその点について立ち入る必要はないだろう。リンク先は1978年の版。

名エッセーとして評価が高いらしく、ドイツでは2006年に朗読CD(オーディオブック)も出ている。

ぼくは中学の頃カルテットを始めた。神奈川県の田舎から御茶ノ水に出かけて、地元のレコード店(楽器も少し扱っていた)のオヤジさんに教えてもらってあったアカデミア・ミュージックちゅー店に初めて行ってみて、譜面づらだけ見てなんとかなりそうだと思った弦楽四重奏曲の演奏譜を小遣いで買って帰った。大判で黄色い表紙、粗悪な紙質の、ブライトコップ版のハイドンの変ホ長調作品33-2だった。学校のオーケストラの友人たち3人を狩り集めて弾いたはずだ。

ちょうどそのころ、まさにその輸入楽譜店、アカデミア・ミュージックから中野訳『クヮルテットのたのしみ』の初版が出た。当然のことに、むさぼり読んだ。もちろんエッセイとして味わうというよりは、貴重な実用書として読んでいた。はなから訳者が大量に補足を加えた楽曲カタログ部分もありがたかった。

なのだけれども、およそ十年後、自分でドイツ語を学び、原文を読むようになって、翻訳が相当に無茶苦茶であったことに驚くことになる。原文にない(多くの場合「日本的」な)文言も数多く付加されているし、場合によっては、翻訳が原文と正反対の意味になっているところもある。2012年に出た「改訂増補版」は、期待したのだが、誤訳の山は手付かずだった。

『クヮルテットのたのしみ』訳書の何箇所かのサンプルと、対応箇所の原著(1978年版)からの試訳を掲げる。訳書からの引用はblockquoteにして、特に気になる文言を太字にする。順序は不同。

「その意味で次のことが明らかとなる。よほど特別の事情がない限りベートーヴェンの後期の作品をとりあげて、実りのある演奏を望むということはまず時間の無駄であろう。そのような作品を敬虔に、効果的に演奏するためには、曲の精神的な意味、内面的なものにプレイヤーは入りこんでいなかればならない。」(22頁)
[原著からの試訳]:「ここで一つはっきりさせておかなければならない。よほど特別な状況でないかぎり、たとえばベートーヴェンの後期の作品を人前で演奏できるほどに仕上げようというのは、ハナから見込みがない。そのような作品は、徹底的な研究を通じて、心の中に所有することで満足すべきものである。」

ここには精神論は何もない。

「クワルテットがピッタリ合うようにするためには、リーダーの足先によってではなく、個人と個人との交際によってやりなさい。最初の出のとき、休止符のあとの出のとき、互に顔を見合わせなさい。」(23頁)
[原著からの試訳]:「クワルテットで指揮者の役割を果たすのは、第一ヴァイオリンのつま先ではなく、お互いに見合い、聴き合うことだ。1小節のゲネラルパウゼのあとの出のとき、お互いを見合うこと。それだけで練習時間がずっと節約できる。」

プローベはいいから日本式に飲み会をやれとでも?

「とにかく座った。次に音を合わせる。本当というと席に並ぶ前にピッチを合わせる方がよい。どのようにして調子を合わせるか──だがネクタイの結び方を習ったことのある人がいるだろうか──調子を合わせることについて特別の意見はない。耳の欠陥がなければ誰にでもできることであり、もし欠陥があれば生まれつきか訓練不足なのだから今さら忠告してもはじまらない。」(13頁)
[原著からの試訳]:「とにかく座った。次に音を合わせる。そんなのは当り前じゃないか? たしかにチューニングをやらない者はいない。だが一生ネクタイのちゃんとした結び方を知らずに過ごす人間というのもいるのだ。同様に、チューニングもどうやればいいのか分からないアマチュア音楽家はゴマンといる。彼らは耳に欠陥があるわけではない──でなければ今さら忠告してもはじまらない──そうではなくて、単に訓練不足なのだ。」

だから忠告はすべきなんです。

ここでクワルテットのメンバーの間で、礼儀にあまり慣れていないビギナーのためにちょっと注意しておこう。音楽のアマチュアは思った通りのことを口にするが、専門の音楽家は心得ている。」(8頁)
[原著からの試訳]:ここでビギナーのためにちょっと注意。クワルテットのメンバーの間で、礼儀なんてものは滅多にない。思った通りのことを口にする点で、音楽のアマチュアは専門の音楽家と変わらない。」
さらに、このあとの5、6行は訳者によるまったくの創作、付加らしい。ハイメランはお作法の話など何もしていないのだ。

「以上の準備が終わったら、皆の来るのを忍耐強く待つこと。譜面台の前に座って、何か奏き始める。──これから奏くかもしれない曲とは違う別の曲などを。松脂や弱音器の用意は別にしなくともよい。めったに使わないし、そのうちに誰かが置き土産に忘れていく。賢明な人は始める前に用意している。ところがいざ使うときになってとこにもなく4人が部屋中探しまわっても出てこない。帰ってからどこかにころがっていたなどということはよくあることだ。」(7頁)
[原著からの試訳]:「以上の準備が終わったら、皆の来るのを忍耐強く待つこと。譜面を広げるのはあまり意味がない──どうせ別の曲をやろうということになるのだ。松脂や弱音器は用意しておくとよい。これから来るお客様たちへのお土産にうってつけだからだ。つまり、皆が帰ったあとでイライラしないためには、こういうものは黙って持って帰られてしまうものだと思っておけ、ということである。クワルテット演奏を本当に愛するのならそれぐらい最初から覚悟しておくことだ。」

というわけで、できれば改訳版が出てほしいし、それと同時に、こういう書物の存在をそもそも教えてくれたことに感謝せざるを得ない一種懐かしい翻訳であり、かつそれ自体名調子であることは疑いを容れない中野訳も、なんらかの形で残していってもらいたいものだと思う。

高御位山

2014年の最後は高砂市の高御位(たかみくら)山へ。播磨富士とも呼ばれる山だ。かつて六甲の黒岩谷西尾根でたまたま同道した年配の女性に、どこか面白い山は、と尋ねたとき、即座にこの山の名前が口にされていたのを覚えていた。確かに特異な山で、面白かった。

全体に岩山で、高木がなく、そのため標高は低いにもかかわらず少々アルペン的な風貌があり、眺望もすぐれている。一種の縦走コースで、アップダウンはかなりあり、その多くが大きな一枚岩の急斜面で、体力的な要求度は意外と高め。歩いたのは、JR山陽線の曽根駅から出発して、宝殿駅に出る「全山縦走」ルートで、かなりきつかった。度々引き合いに出している岡弘俊己『関西日帰り山歩きベスト100』が(難易度⭐︎1つで!)紹介しているルートだ。ショートカットコースが多数あるので、短めのコースを設定して気軽に楽しむのもいいかもしれない。他のガイドブックはこの山を、たいていこれよりも短めのコース取りで紹介している。木蔭はないから、陽射しのあまり強くない季節の、風の弱い日がオススメということになる。この日はほぼその条件に合致していたと言える。春は山麓の桜や、稜線上のツツジが美しいという。

出発点の曽根駅は標高4m。駅前にデイリーヤマザキと自販機はある。

JR山陽本線曽根駅。

JR山陽本線曽根駅。

駅を出て右へ。突き当たって左折。溜池の脇を通って陸橋で国道2号線を渡り、すぐに脇道へ。

陸橋を渡る。

陸橋を渡る。

2、3軒先の民家の間に小さな登り口がある。

地味な登山口。

地味な登山口。

丈の低いネズがたくさん実をつけている。

ネズの実。

ネズの実。

すぐに高さ50mほどの岩盤に行き当たる。へえ、これを登るのかと思ったが、この先、そんな箇所だらけなのだった。

最初の岩盤登り。

最初の岩盤登り。

岩盤の上は尾根道になる。

最初の尾根から西側の眺望。

最初の尾根から西側の眺望。

経塚山古墳が口を開けている。

尾根上に口を開けている経塚山古墳。

尾根上に口を開けている経塚山古墳。

狂い咲き?のツツジ。

狂い咲き?のツツジ。

また岩盤の登り。

また岩盤の登り。

中所登山口からの道との合流点。

中所登山口からの道との合流点。

小さなピークが三つ。一つ目は豆崎奥山という名前が付いているらしい。

豆崎奥山の三角点。

豆崎奥山の三角点。これから歩く鷹ノ巣山から高御位山までの稜線が見えている。

二つ目のピーク。

二つ目のピーク。

三つ目は190m。これから辿る山並みの全体が見えている。百間岩を登る人たちがカラフルな蟻のように見えている。

山脈の全体が見えるようになる。一番奥が高御位山。

山脈の全体が見えるようになる。一番奥が高御位山。

百間岩が見えてきた。その右に続くのが鷹ノ巣山。

百間岩が見えてきた。その右に続くのが鷹ノ巣山。

そこから峠へ、標高88mまで、いったん一気に100mほど下る。峠で右から鹿嶋神社からの道が合流する。ここから登ってくる人が多いようだ。公衆トイレは「老朽のため」閉鎖されている。すぐ先に茶店でもあったか、よくわからない構造物と、かなり古そうな円形の展望台がある。

百間岩。

百間岩。

百間岩下の展望台。

百間岩下の展望台。

その背後から、百間岩の標高差100mの急登が始まる。小野アルプスの紅山の一枚岩の斜面もなかなかだったが、こちらの方が一回り規模が大きい。

いよいよ百間岩の登り。

いよいよ百間岩の登り。

百間岩。

百間岩。

百間岩。

百間岩。

百間岩を登りきって振り返る。

百間岩を登りきって振り返る。

百間岩上の高圧線鉄塔。電波反射板のある次の小ピークを眺める。

百間岩上の高圧線鉄塔。電波反射板のある次の小ピークを眺める。

電波反射板のピーク付近から背後を振り返る。瀬戸内海が光っている。

電波反射板のピーク付近から背後を振り返る。瀬戸内海が光っている。

木がないから、尾根上の道が遠くからもくっきり白い筋になって見える。これが森林限界を超えた高山のような雰囲気を醸し出していて、鷹ノ巣山への登りは、八ヶ岳の赤岳を思わせたりもする(スケールはおよそ10分の1だが)。

鷹ノ巣山の双耳峰。ちょっと八ヶ岳の赤岳っぽく見えないこともない。

鷹ノ巣山の双耳峰。ちょっと八ヶ岳の赤岳っぽく見えないこともない。

鷹ノ巣山東峰からの下り。

鷹ノ巣山東峰からの下り。

鷹ノ巣山東峰から岩盤の急下りのあとは、しばらくほぼ真東に向かって、高低差の小さい稜線歩きになる。南に瀬戸内海、明石大橋、淡路島、四国。北側には、播州中部の山並みがどこまでも続いている。

ちょっと平坦な尾根道が続く。

ちょっと平坦な尾根道が続く。

長尾からの枝尾根の道を合わせるところで休憩。

高御位山が近づいてきた。

高御位山が近づいてきた。

その少し先。

その少し先。

最後に下って登り返すあたり。

最後に下って登り返すあたり。

最後のひと登り(これも一枚岩)で、高御位山。電波反射板の裏を回って登り着くと、鳥居と祠があり、その先に巨岩の山頂がある。その北側の陰に、公衆トイレと高御位神社がある。東側に六甲山地もくっきり見えるようになる。

高御位山山頂付近。

高御位山山頂付近。

山頂の鳥居。

山頂の鳥居。

最初の鳥居の脇のベンチで、本日の山メシ。またまた「げんさん」レシピの、鮭ハラミスモーク缶のクリームパスタ。『げんさんの山めしおつまみ』本でも、ブログでもなく、学研ムック『ウルトラライトスタイル』掲載の記事で紹介なさっていたレシピだ。冬のベランダで健気に生きていたチャービルの葉も持ってきた。元のレシピではサラダ用のスパゲッティを使っているが、大きめのZIPロックならフルサイズのスパゲッティがまるごと入るということに気づいて、試しに茹で時間9分の麺を水と一緒に入れて持ってきた。NHKの番組で紹介されたこの方法、水分を含んだ麺は確かにあっという間に茹で上がって、時短になるのだが、仕上がりはなぜかインスタントラーメンのように、くねくねになってしまった。これだったら、時短テクを使わずにサラスパで作った方がいいかもしれない。乾麺のパスタを水とともにZIPロックに入れておくというこのTIPSは、仕上げにたっぷりの水で茹でることはできないし水を捨てることもできない山では、マカロニやファルファッレのようなショートパスタの方が向いているようだ。

本日の山メシ。

本日の山メシ。

その材料。

その材料。

山頂の岩峰。

山頂の岩峰。

東に六甲山地を望む。

東に六甲山地を望む。

山頂の神社。

山頂の神社。

山頂から南、これから向かう尾根と加古川市街を眺める。

山頂から南、これから向かう尾根と加古川市街を眺める。

このコースに迷うようなところはほとんどないが、高御位山山頂からの下りは注意が必要かもしれない。神社直下にはしばらくのあいだ石段の参道が続くが、そのまま辿ると北側の「成井高御位神社」に下るらしい。宝殿方面にさらに尾根を辿るのであれば、いくつかのベンチの置かれた南東方向の岩盤の真ん中から下りていくことになる。前述の通り、このコースには一枚岩の急斜面が何度も現れるが、登りよりも下の方が厄介だ。このコース取りで最大の岩盤下りはこの高御位山山頂からのものになる。つま先をしっかり付け、上体を伸ばし、時に横歩きも使いながら下りる。

山頂直下は立派な参道になっている。

山頂直下は立派な参道になっている。

こっちへ下る。

こっちへ下る。

岩盤の途中から高御位山山頂を振り返る。

岩盤の途中から高御位山山頂を振り返る。

岩盤下り。

岩盤下り。

また山頂を振り返る。

また山頂を振り返る。

瀬戸内海の眺め。

瀬戸内海の眺め。

また大きな岩盤があり、途中に高圧線鉄塔がある。

また大きな岩盤があり、途中に高圧線鉄塔がある。

再び山頂を振り返る。

再び山頂を振り返る。

急下りが終わり、最初南東に向かっていた尾根は、円弧を描いて西向きになり、その先に高圧線の鉄塔が立っている。辿ってきた山並みの眺めがいい。さらに南に進む。東側か西側か、電波条件の悪いらしい集落の家庭用テレビアンテナが纏められて立っているところを過ぎ、少し登り返すと183mのピーク。

山頂から2本目の鉄塔を過ぎると、アンテナが纏めて立てられている脇を通り過ぎる。

山頂から2本目の鉄塔を過ぎると、アンテナが纏めて立てられている脇を通り過ぎる。

183mピーク付近から加古川市街を望む。

183mピーク付近から加古川市街を望む。

そこから東に向かう尾根上をたどり、米相場の伝令所跡や、「太閤岩」を過ぎて、もう一度高圧線鉄塔に出会い、そこから真東に下ると加古川市の辻の集落。

最後の尾根。

最後の尾根。枯れた笹が金色に輝く。

太閤岩。

太閤岩。

下山口。

下山口。

市街地に下りてから気づいたのだが、「かこタクシー」というコミュニティバスのようなものが運行されている。舗装路を歩くのは趣味ではないという人は、時間が合えば、宝殿駅までこれを利用するのも手かもしれない。このコースだと、下り着いた辻登山口から南に300m歩いた十字路に、「辻」停留所がある。時刻表を見たらちょうどあと数分で来そうだったけれど、今回は意地で宝殿駅まで歩き通してしまった。

ヨアヒムの右ひじ

以前にヴァイオリンの右腕について触れた時に、たしかfacebookのどなたかのコメントで、ヨーゼフ・ヨアヒムのことが話題にのぼった。よく知られたアドルフ・メンツェルのこの絵を元に、やたらに「弓元で肘をを下げる」ドグマは、ヨアヒムに発するという主張だっだ。

メンツェルによるヨアヒムの肖像。

メンツェルによるヨアヒムの肖像。

このメンツェルによって描かれた姿は、現代の奏法とは違ったところがあったとしても、よほど特殊な条件下でないと不自然で、不合理だ。肘の位置も、弓に対する手指の形も奇妙だ。これはどういう瞬間を捉えたものなのか、画家はそもそも正確に写し取っているのか、ヴァイオリン演奏の動きというものを画家は分かっているのか、疑問が多く、この絵をもってヨアヒムの奏法について云々するのは不可能だろうというのがぼくの見方だった。

前から積ん読してあったこの本を改めて開いてみた。
Karl Courvoisier “The Technique of Violin Playing: The Joachim Method” (Dover)
『ヴァイオリン演奏の技法:ヨアヒム・メソッド』。これは、ヨアヒムの直弟子でフランクフルトにいたカール・クールヴォワジエが書いた”Die Grundlage der Violin-Technik”(1873) と、”Die Violin-Technik”(1878) という二冊の本をもとに、1880年、H. E. クレービール(シンシナティ・ガゼット紙の記者?)が米語へと編訳したもののリプリントだ。クールヴォワジエは、1冊目の “Die Grundlage” に、ヨアヒムのお墨付きを得ている。ここにはこうある。

The majority of violin methods lay down the rule that the proper position of the elbow at all times ist as near the body as is possible. This is another of those superficial precepts which need only to be analysed to show their absurdity. (p.34)

いちおう日本語にしてみよう。

大多数のヴァイオリン・メソッドが、肘はいつでもできるだけ体に近いところにあるのが適切な位置だという教えを垂れている。これは浅薄な処方の二つ目だ。これを検討すれば、それらのメソッドが馬鹿げていることが示されるだけだ。

「二つ目」というのは、この数ページ前の、手と弓の関係について論じられている部分で問題にされていたことに加えて、ということだ。そこでは、シュポーアとダーフィトが批判されている。

これはヨアヒム自身ではなくその弟子が書き留めたもので、それをさらにアメリカ人が編集しているということから若干の留保が必要かもしれない。いずれクールヴォワジエの原文にはあたってみたい。しかし、次の二点は明確だと思う。つまり、 「肘をやたらに下げる」ことが激しく批判されていること、その批判はどうやらヨアヒム自身によるものであるらしいということだ。つまり、肘を下げることは、ヨアヒムにとって、「浅薄」で「馬鹿げた」ものだったのだ。

そしてまた、ヨアヒム以前の教えには「肘を下げる」ことを要求するものが「大多数」だったらしいこともうかがえる。シュポーアやダーフィトがそうらしいのだが、その点については今後確認できればしていきたい。カール・フレッシュがヴァイオリン奏法の「古いドイツ派」と呼んだのはそのあたりだったのか。

ちなみにヨアヒムは、1831年生まれで、20世紀初頭(1907)まで存命だったのだ。そんなことも知らなくて、ちょっと驚いた。

 

稲村ヶ岳(大峰山系、1726m)

※画像は後で追加します。

10月中旬、二週続きの台風のあと、先週末は友人二人と大峰山系の稲村ヶ岳へ。土曜の午前から昼にかけて仕事が入ってしまったので、午後の出発。そうでなければ土曜のうちに観音峯展望台まで登り、みたらい渓谷を歩くつもりだったのだが、土曜は「現地入り」のみ。

前泊の宿

夜7時、下市口発の終バスで洞川(どろがわ)温泉バス停に着くと、思いがけず、宿の翠嶺館の若主人が車でお迎えに。宿は登山者を主な客とする民宿で、洞川温泉街を抜けた外れに近いところにある。歩けば30分ぐらいかかる。早く夕食を済ませてもらいたいという宿側の都合もあったのかもしれないが、これはありがたかった。車窓から見た、多数の提灯のともる温泉街は、いまどき凡庸な喩えで申し訳ないが、『千と千尋の神隠し』のような雰囲気があった。

宿は新装間もないようで、とてもきれいだった。夕食後に入った風呂も、温泉ではないようだったが、清潔で十分に広かった。夕食はすべて自家栽培の野菜のてんぷらと川魚がメインで、地元の名水を使った豆腐や胡麻豆腐も、すべて美味しかった。

名水を沸かして、持参の空のテルモスに詰めてくださるようお願いする。宿泊は「登山客プラン」で申し込んでいて、翌日の朝食は、早立ちのために、おにぎり弁当の形で用意しておいてくれる。ついでに昼食用の弁当もお願いする。いずれも晩のうちに用意されて、翌朝、宿泊者は勝手に取って出て行くシステム。精算は夜のうちに済ませる。理にかなっている。すべては快く対処された。

レンゲ辻へ

早寝をこころがけて、翌朝は4時半に起き、心づくしの「お手紙」が添えられた朝食と昼食をピックアップして、5時出発。外はまだ暗く、オリオン座が輝いていて、天の川も見える。細い月に向かって、舗装道路を歩き始める。ぽつりぽつりと街灯があるが、暗いところもあって、ヘッドランプ(ヘッデンというジャーゴンはいったいどこから来たのだろう?違和感があって僕は使えない)をリュックから取り出す。暗い中を、日帰り登山の人たちだろう、車が次々に追い越していく。

そのうち、空が白み始めた。途中の清浄大橋の駐車場で、朝食のおにぎりを一つ食べる。
かなり明るくなった頃、ようやく舗装された林道の終点に着く。ここまで1時間45分。木製階段の急登りがあって、沢筋に入る。河原のちょっと広くなったところで、二度目の朝食。

昨晩、コースについて宿の若主人に相談したとき、このレンゲ坂谷経由のコースは奨めないと繰り返し言われた。二つの台風のあと、どうなっているか確認していないという。

こちらとしては、沢筋の道からレンゲ辻に登って法力峠側の山腹道を下りるか、法力峠側から登ってレンゲ辻から下りるか、周回の向きはどちらがいいか、と尋ねたつもりだった。沢沿いの道は、道と一応呼べるものがあるルートならば、下りの方が迷う可能性は小さい。登りだと、枝沢が次々に分かれていって、間違った方向に入り込む可能性が生じる。下りではそれはない(逆に、道のないところで迷った場合は、沢に降りるべきではなく、尾根をたどるべきだというのは、よく言われるところだ。念のため)。尾根や山腹の道は、往々にして変化が乏しく、登りに使うと辛いことが多い。大抵の場合、沢筋の道の方が変化に富んでいて、あまり辛くなく登れる。そんなところを考えていて、相談した。

が、宿として奨めるのは、法力峠経由の山腹コースのピストン。相談してくる登山客(この場合は僕だが)のスキルレベルも分からないわけだし、正しい対応だと思う。「自己責任で」ということで、レンゲ坂谷から登ることにした。結果としては、特に問題はなかった。暗い中を歩き出したから、最初の舗装道路歩きが長いのはむしろ好都合だったし、谷に入っても道標はところどころにあるし、迷い込みそうな枝谷にはロープが張られて進入しないように対処されているし、それらはこの二回の台風で特に損傷してもいないようだった。もちろん、まったくの初心者向けではないかもしれない。

ブナ林の中や、谷底の大岩の間を縫うように登っていく。日の出は6時ごろだったはずだが、北の谷のここにはまだ陽は射してこない。谷の両側はるか上に見える小さなピークが輝き始める。

ようやく稜線が見えてきて、笹の斜面のジグザグ道を詰めると、レンゲ辻に飛び出す。ここで太陽と本日初の対面。ここまで、宿から4時間。反対側の谷のかなり急な斜面は、一面、銀緑色の笹原。周囲の樹々は、地味に黄葉している。正面に大普賢岳。左を見上げると、山上ヶ岳の大きな岩場。長めの休憩。山上ヶ岳への尾根の入口には、女人結界門が立っている。

ここから山上辻まではほぼ水平だが、相当な急斜面に付けられた細い道だ。前半は念仏山の北斜面を、後半は尾根の南側を進む。その間の比較的に広い尾根の上に乗ったところで少し休憩する。二三人の男性が追い越していった。おそらく前夜山上ヶ岳の宿坊に泊まった人たちか、早朝車で来て、山上ヶ岳を回ってきた人たちだろう。そのうちの一人はチェコ人の若い男だった。日本語はあまりわからないらしい。片言覚えたつもりだったチェコ語はすっかり忘れていたので、英語で二言三言ことばを交わす。

あとちょっとで山上辻だというあたりで、あまりないことだが、ひざ上がピキピキいいはじめた。こういうときは休むに限る。詳しいメカニズムは能勢博『山に登る前に読む本』で知ったが、筋肉内に蓄えられているグリコーゲンを枯渇させてしまうとまずいらしい。ほんのちょっと休めば問題なく回復する。が、無理をすればあとあとまで響く。こういう休憩が、グループだと思うようにとれないことがあるが、幸い同行者二人は数分快く休ませてくれた。

稲村小屋、大日山、稲村ヶ岳山頂

山上辻の稲村小屋は、昨晩泊まった翠嶺館と同じ経営で、下の宿でもてなしてくれた主人の父上が詰めている。11時前、翠嶺館の宿泊者ということで、小屋にリュックを置かせてもらい、大日山と稲村ヶ岳山頂を空身で往復してくることにする。これもありがたかった。ただ、ちょうど電池切れ寸前だったiPhoneの予備バッテリーをリュックに入れたまま置いてきてしまい、大日山山頂に着いたところで電池切れ。GPSロガーとして使っていると、電池の減りが早い。そこから戻るまでの写真も、同行者頼みとなった。

親爺さんの話では、食事はこの山上辻で、というのが徹底するのに50年かかったという。稲村ヶ岳の山頂はさほど広くはないデッキが設えられていて、四囲の展望が楽しめるようになっている。二十人ほどのツアーがそこで弁当を広げてしまって、他の人がデッキに登れず、眺望が楽しめなかったというケースがあったという。ガイド付きのツアーでもそんなことをやらかしてしまうのだ。それより何より、食えば催す。かつて、稲村ヶ岳山頂周辺は、人間の糞尿による汚染がひどかったのだと言う。山上辻なら、トイレもある。

今年の紅葉・黄葉は、夏の天候不順のせいで、あまり鮮やかにはならなかったのだとも聞いた。

大日山の登りはほどほどにスリリングだったし、稲村ヶ岳山頂からの眺めは素晴らしかった。

1時ごろ、山上辻に戻って、小屋のすぐそば、道の脇のテーブルで昼食。例によって「げんさん」レシピで、「鮭缶鍋」を作る。翠嶺館宿泊者特権?で、足りない椅子も出していただき、味噌汁までご馳走になった。ありがとうございました。

この日の天気、前日の予報では午後に小雨の可能性が伝えられていたが、ずっと快晴だった。午後になって雲が少し増え、遠く南の八経ヶ岳のあたりは山頂部が雲に覆われてきているのが見えた。

法力峠経由で母公堂までタッタカ下りる。そこから車道を歩いて、洞川温泉センターに向かう。朝は暗くてよく見えなかった「ごろごろ水」の採水場がすごかった。40台ぐらいは停められる駐車場の周りに水管が巡らせてあり、一つ一つの駐車スペースごとに蛇口が付いている。駐車場は車でほぼ一杯で、何十本ものペットボトルに水を詰めている人たちが大勢いた。駐車代と、取水の権利はコミになっているらしい。われわれのようなエコな歩行者はどういう扱いになるのか、よく分からなかった。車を停めるわけでもないのに、その分の金を取られるとしたら癪だ。結局通り過ぎてしまった。下り切る前の水場で汲んでおくのだった。

洞川温泉センター

翠嶺館に立ち寄り、下山の報告と、レンゲ坂谷の様子に関する報告をしようと思ったが、ひと気がなかった。温泉街を通り過ぎ、みやげに陀羅尼助丸など買おうかなあと思いつつ人の姿の見えない何軒もの店の前を通過し、4時過ぎ、きれいな日帰り入浴施設の洞川温泉センターへ。シンプルな、いい湯だった。湯上がりの休憩所脇には、地元名産のショーケースもあるのだが、展示しているだけで、実際に売っているのはペットボトル入りのごろごろ水ぐらい。近隣の店を食わないためだろう、飲食店もない。実にすっきり商売っ気がない。

打ち上げ

温泉を出て、バス停へ。5月から11月まで限定の17:55の終バスで下市口へ向かう。打ち上げをどこでやるかが問題だった。阿倍野橋まで戻ってしまってからが簡単だが、今回のメンバーの一人は奈良市民で、できれば大阪まで戻らずに帰りたいというのも当然のところ。昨晩おそく見た下市口周辺は暗く、あまり店がありそうにも見えなかったが、同行者二人はバスの中でアンドロイド携帯で必死に店を調べていた。僕はうとうとしかける。そのうち、下市口で一軒見つけたという。ああ、下市口駅まで行かずに、手前のバス停で降りたら近いかもね、とひとこと言って僕は眠りに落ちる。しばらくして目覚めると、二人はすでに店に電話を入れており、下市口の確か一つ手前、西迎院(さいこういん)前バス停で降りればよいということも確認済みだった。

バスを降りてすぐ、〈川富〉というその居酒屋はあった。ビールで乾杯し、お腹いっぱい食べて、一人1100円だった。洞川温泉や天川方面からの山旅の帰りにオススメできる。

下市口から20:48の特急で大阪阿部野橋へ。11時ごろ帰宅。いろいろなご厚意もあり、また何より大峰の深い山そのものが素晴らしく、満足度の高い山旅だったと思う。

宝塚・惣川谷支流

惣川谷支流は一昨年の11月に行って以来ちょうど二年ぶり二度目。宝塚市街からごく近くにあるのに、美しく立派な滝をいくつもかける沢。高層住宅、採石場、ゴルフ場、自衛隊演習地に囲まれていながら奇跡のように残っている沢。そう思っていたが、たぶん事情は逆だ。そうしたものに囲まれてしまっているからこそ、余計な砂防ダムも作られず、残ってきたのだ。上流にゴルフ場もあり、もちろん水質はいいということはない。しかし前回はうっすら白っぽく濁っていた水が、今日は見た目、澄んでいた。ありがたい。前回は沢を抜けてから道を失い、ゴルフ場に迷い込んでえらい目にあった。そのあたりを確認したいというのも一つあった。

家を出たのが10時近く。宝塚駅からすみれガ丘東行き10:30のバスで5分ほど、すみれガ丘一丁目で下車して歩き始める。宝塚北高校や老人ホームを眺めながら、車道を北西に向かってひたすら歩く。

すみれガ丘1丁目。

すみれガ丘1丁目。

やがて惣川にかかる橋を渡って、T字路となって33号線に合流。わずかに北に歩いたところで、ガードレールを跨いで沢に降りる。

橋から見下ろす惣川。前方は採石場。

橋から見下ろす惣川。前方は採石場。

いつもながら(って2回目だが)、このあたりは、ここを走る車からだろう、投棄されたゴミがひどい。

車道から谷に下るところ。この「意識の低さ」は凄まじい。

車道から谷に下るところ。この「意識の低さ」は凄まじい。

降り立ったところは惣川本流で、わずか下流に左から目的の惣川谷支流が流れ込んでいる。その入り口には、東側の採石場の、沢への立ち入りを禁ずる旨の看板があるが、看板は真横を向いて、奇妙な高さに宙づりになっている。警告はsuspendされているのだから、なかったことにしてよかろう。(をい

惣川本流は正面で右に曲がっている。左から惣川谷支流が流れ込んでいる。

惣川本流は正面で右へ曲がって流れている。左から惣川谷支流が流れ込んでいる。

惣川谷支流の入り口。

惣川谷支流の入り口。

すぐに小滝がいくつか現れる。小さい滝ながら、じゃぶじゃぶ行ける沢装備ではなく、普通の山靴だったので、最初からちょっとした緊張を強いられる。三つ目ぐらいか、1mもない滝は、淵があって、左の岸壁をへつるように滝に近づき、落ち口を跨いで越す。

最初の小滝の連続。

最初の小滝の連続。

小さな滝だが、右岸をへつり、落ち口をまたぐようにして越える。

小さな滝だが、右岸をへつり、落ち口をまたぐようにして越える。

採石場からの小橋が頭上に掛かるあたり、ちょっとした岩が迫って、水に浸からずにそのまま進むことはできない。岩を乗っ越す。ロープも下がっている。

この岩を乗り越えて進む。ロープが下がっている。

この岩を乗り越えて進む。ロープが下がっている。

左に、階段状の水路が降りてきている。地形図で見ると、上はため池らしい。

沢の左に、階段状の水路がある。

沢の左に、階段状の水路がある。

階段状の水路。段差は大きく、明らかに歩行用ではない。

階段状の水路。段差は大きく、明らかに歩行用ではない。

少し平流が続き、やがて惣川大滝が見えてくる。

しばらく平流。

しばらく平流。

惣川大滝が見えてきた。

惣川大滝が見えてきた。

10mくらいの立派な滝。左は大きな岩壁になっている。

惣川谷大滝。

惣川谷大滝。

前回は、滝の右から、採石場側を回って無理やり巻いて、ひっつき虫だらけになったが、今回は100mほど手前、岩壁が始まる手前の左手の急斜面に付けられた高巻き道をとる。ロープが渡されており、それを辿ると、やがて右に、岩壁の上に導かれる。垂直に近い壁の狭い棚のようなところを渡って(この間ずっとロープが張られている)、大滝の落ち口の少し上流に降りる。振り返ると、大滝の落ち口は小さいながら見事なゴルジュになっているのが分かる。

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巻道の途中から、沢の東側の採石場、すみれガ丘の住宅、六甲山の東端を眺める。

かなり急な斜面をトラバースする巻道。

かなり急な斜面をトラバースする巻道。

沢に戻ったところから、ゴルジュ状の大滝の落ち口を振り返る。

沢に戻ったところから、ゴルジュ状の大滝の落ち口を振り返る。

左から伸びた大きく平らな岩盤の先を沢が細い流れとなって下っているところを過ぎると、傾斜がゆるやかになり、二段の小滝を挟んで、しばらく滝はなくなる。この区間は、おもに左岸を通る踏み跡をたどる。

大きな岩盤の端を流れる沢。

大きな岩盤の端を流れる沢。

この先はしばらく平流。

この先はしばらく平流。

小滝の一つ。

小滝の一つ。

沢の中でも、所々ゴミが目立つ。黒いスポンジのシートのようなものや、絨毯の切れ端のようなもの。いったいどこから来るのだろう。

F5は落差1〜2mだが、大きな淵を持つ。じゃぶじゃぶ行けば瀑芯を越えられそうだったが、右側の大きく高巻く道をとる。

F5。

F5。

小さな滝に大きな淵。右からへつって越える。

小さな滝に大きな淵。右からへつって越える。

水辺の砂地に、獣の足跡。フィールドサインというやつ。どうやらタヌキのようだ。

だれのあしあと?

だれのあしあと?

小さいのに、下に大きな淵を構える滝が多い。

小さいのに、下に大きな淵を構える滝が多い。

F6, F7 に行く道と、それを高巻きしてF8に行く道の分岐に出る。

F6, F7 に行く道と、それを高巻く道の分岐。

F6, F7 に行く道と、それを高巻く道の分岐。

右に、沢を渡り、F6を見にいく。大岩の狭間をまっすぐ落ちる滝で、これも立派。上部は左に折れてさらに続いているのが見て取れる。ここでF6を眺めながらオニギリを一個。ここからさらにスリリングな斜面を高巻いてF7を見にいく道があるのだが、そこで行き止まりだし、今回はパス。

F6。この滝も美しい。

F6。この滝も美しい。

F6から分岐に戻って、急斜面にロープの張られた巻道を登る。垂直に近い印象を与える、40mぐらいの激登りだ。

巻き道。

巻き道。

登り切ると、F6, F7 の上の、小さな岩峰に出る。この沢コース中で唯一眺望が開ける箇所で、振り返ると、辿ってきた谷の向こうに、東六甲の量塊と、その麓にへばりつく住宅群が見える。対岸にも岩壁が切り立っている。上流を見ると、すぐそこに、薄い褐色の土の斜面が見える。

巻道の上の岩峰からの眺望。

巻道の上の岩峰からの眺望。

対岸の岩壁。

対岸の岩壁。

上流の土砂の斜面が見える。

上流の土砂の斜面が見える。

そこからは、F8を下に見ながらの急下りになる。F9の手前左の斜面が、前回にはなかったのだが、大きく崩落している。この二年の間のいつかの台風の傷跡だろう。崩落した斜面を慎重に渡って、F9の前に出る。F9はほぼ垂直に落ちる4~5mの滝で、左手に狭い棚があり、そこを伝ってよじ登る。何本ものロープが設置されている。この沢の中でもスリリングな箇所の一つだ。以前は古い革の鐙が下がっていて、大丈夫かなと思いつつ足をかけ、登った記憶がある。その鐙はなくなり、かわりに一本のロープの末端にループが作られていた。しかし今日はどうも気分が乗らず、少し手前から巻道を辿る。

F9。

F9。

巻道はF9をかなり過ぎてから、F10の手前で沢に降りる。F10は右隅に水流があり、その左は階段状の広い岩盤で、そのどこでも登れる。

F10。

F10。

F10を越すと、沢は左に曲がり、F6の上から見えた、土砂の押し出された醜い斜面になる。自衛隊演習地。この上に、林道状の道が作られている。前回は押し出された土の斜面を登ったが、土砂はさらに押し出されて急傾斜になったように思われ、登れる感じではなくなっている。左にさらに沢筋を少し辿り、流れを通す二つの穴が空いた壁のような橋のところで上にあがる。遡行終了。13:30くらい。バスを降りてからちょうど3時間だ。

押し出された土砂。

押し出された土砂。

遡行終了点。

遡行終了点。

こうした道を造る「演習」なのだろう。橋は造成された道の終端にあり、その先は行き止まりで、どこかへと導く「道」の意味はない。多分、ここで行われているような「演習」で培われた経験が、被災地の復興などに生かされているのだろう。

いや、橋の先にも道はある。両側にロープの張られた山道で、登るとゴルフ場のはずれの複雑な地形の砂山に行き着く。が、行き止まりのようだ。この道も、「演習」の一環で作られたのかもしれない。前回はここを登り、戻る途中で強引に沢に下って登り返し、ゴルフ場に入ってしまった。本当は、F10の上の遡行終了点から、なおも山道があって、ゴルフ場の東の尾根から、中山へのメインの尾根に行けるはずなのだが、その道の入り口がわからない。おそらく「演習」による道路造成のおかげで、遡行終了点の地形が変わってしまっているのだ。昭文社の地図に破線で描かれている道は、ゴルフ場の東のへりに接している。前回、ゴルフ場に入り込んで、その端を注意しながら進んだのだが、道は見つけられなかった。途中のグリーンから、見当をつけて疎林の急斜面の道のないところを無理やり登ったら、この上なくはっきりした尾根道に出た。F10の上から続いているはずの道だ。そのときは、そのまま登り方向にたどり、中山の主尾根に合流したところから下った。どうも、この時に出た尾根道(地形図で461mピークから西に伸びる尾根)を、上から逆に辿ってみないと、道の確認は難しそうだ。(追記:結局2日後、これをやった。上から下りてきて道を確かめた。記事末尾参照。)

今回は、砂山には登らず、林道状の道をたどった。あの尾根に乗る道はやはりわからず、林道状を延々歩く。「雷管保管庫」と書かれた箱や、「指揮所地域」と書かれた札が道脇に立っている。

林道状の道。

林道状の道。

造成された道の上から惣川谷支流を振り返る。

造成された道の上から惣川谷支流を振り返る。

やがて「やすらぎ広場」の上に出た。そこから、中山寺奥之院に向かって、だだっ広い遊歩道が通じている。初めて知った。すみれガ丘の高層住宅群ができたあたりで整備されたのだろう。十年以上前、清荒神から奥之院へは何度か登っているが、その頃はたんなる山道だった。

奥之院への遊歩道。

奥之院への遊歩道。

少し登ったところ、道の左上に設置された東屋でしばし休む。ちょうど2時頃。「火気厳禁」とでかでかと書かれていた。この屋根の下でガスコンロを使っても、屋根を燃やしてしまうことはあるまいと思ったが、ここでの山めしはあきらめる。

東屋。

東屋。

さらにそのまま遊歩道をたどり、奥之院へ。その本堂も、いつの間にかぴっかぴかの朱塗りに変わっていた。本堂前のイチョウと紅葉のコントラストが美しい。

中山寺奥之院。

中山寺奥之院。

奥之院本堂。

奥之院本堂。

散り敷いたイチョウ。

散り敷いたイチョウ。

もちろん寺の境内でも煮炊きをするわけにはいかない。既に14時を15分ほど回っていたが、奥之院参道をそのまま夫婦岩まで下ることにする。

奥之院参道。

奥之院参道。

奥之院参道。

奥之院参道。

奥之院参道から兜山を望む。

奥之院参道から甲山を望む。

20分ほどで夫婦岩に着き、遠くに甲山を眺めながら、本日の山めし。手抜きバージョンで、一人分のおでんがパックになっているものを鍋にあけて温めただけ。それと残りのオニギリ一個。おやつの時間である。

夫婦岩。

夫婦岩。

山めし。

山めし。

その材料。(というかそのまま)

その材料。(というかそのまま)

夫婦岩からは旧参道を下って、最近改称した阪急中山観音駅へ。

奥之院参道旧道。

奥之院参道旧道。

享保の文字の見える丁石。

享保の文字の見える丁石。

奥之院旧参道。

奥之院旧参道。

中山観音駅で、宝乃湯の送迎バスまでは時間があいてしまったので、路線バスで一駅、JR中山駅まで行き、そこから歩いて温泉へ。有馬高槻構造線上にあって、有馬と同じ金泉が楽しめる。露天部分は、眺めこそないが、広くてバリエーションに富んでいる。

前回は湯上がりを阪急の駅まで歩いて風邪を引いた。懲りたので、一時間に一本の送迎バスを、17:03の便まで待つ。併設の市場で、西谷産の葉付き大根を土産に買った。中山観音から阪急で帰宅。

*追記:この2日後、上から下ってみて、遡行終了点からの道を確認した。両側から掘っていったトンネルが繋がったような、ほとんど εὕρηκα と叫んで風呂から飛び出したくなるような気分だった(歩いていたので、風呂には入っていなかったけど)。すっきりした。その時の委細についてはまた書くかもしれないが、ここでは惣川谷支流の遡行を終えてから中山最高峰に至るのに必要な情報に絞って記しておく。
遡行終了点から尾根に上がる道の入り口は、造成された広い道を少し登って、道が左に曲がる地点、道の左側に小さな平地が整地されている所の左手にある。地形図で、ちょうど標高300mの等高線に囲まれた小さな島のような地形のところと、その東側の不定形な小尾根の間、切り通しのようなところを通る道が隠れている。ここを下って、右に、再び沢沿いに進んで行けばいい。(あとで気づいたのだが、地形図には実はここに破線が描かれている。)

ここを入る。

ここを入る。

この沢沿いに戻る地点には、古い案内板があり、かつてはメジャーなコースだったことを窺わせる(奥之院西園地という言葉が標識には見える)。惣川谷支流の源流である平坦な小沢沿いに、何度か渡渉を繰り返しながら意外に幅広い道が続いている。ちょうど350mの等高線のあたりで、沢を離れ、左(北)の小尾根への急登になる。尾根に出たところは尾根末端の小ピーク(地形図には現れない程度の)との間の鞍部で、反対側にゴルフ場が見える。そこからは右に、尾根通しの明瞭な道が、主尾根の461mピークまで続いている。461mピーク直前からは、階段とコンクリート擬木の手摺もあり、これもまたかつてはポピュラーなコースだったことを示しているようだ。惣川谷支流の遡行がもともとメジャーだったとは考えられないが、今の「やすらぎ広場」あたりから北西に向かってきて、この道に入るコースがよく歩かれていたのではないかと思われる。