大岩ヶ岳・東大岩ヶ岳から武田尾へ

前に大岩ヶ岳に登ったのはもう6年前、2010年の5月のことだったらしい。『もっと阪急ハイキング』という古いガイドブックを見て行ったのだが、これがJR道場駅から舗装道路を一時間半延々と歩いて川下川ダムのところから入山するというコース取り、かなり暑い日で、アプローチだけで疲れ、持参した水分も足りず、最後はバテ切っていたのを覚えている。歩くときには十分な水分の用意が不可欠だということが身にしみてわかったのがあのときだった。

今回は『関西週末の山登りベスト120』も参照しつつ、ヤマレコのtoshithyさんという方の今年4月の記録を主な参考に歩く。

8:02道場駅着。まずは踏切を渡り、前回下山に使った武庫川左岸の道路を逆に歩く。やはり車道歩きだが、45分ほど。

踏切を渡る。
踏切を渡る。

波豆川。水量が少ない。
波豆川。水量が少ない。
武庫川の左岸を千苅ダムに向かう。道がいつのまにか武庫川から離れると、やがて支流の波豆川に沿うようになる。

千苅貯水池の門。
千苅貯水池の門。
千苅貯水場の敷地は桜の名所で、花の季節には公開されているはずだが、今は門は閉まっている。フェンス沿いに右側の川べりの細い通路を進む。途中公衆トイレがある。

千苅ダム。橋を渡って左岸へ。
千苅ダム。橋を渡って左岸へ。
前方に巨大な千苅ダムが現れる。文化庁が「有形文化財」に、経産省が「近代化産業遺産」に指定しているそうだ。両者仲良く併記したプレートが設置されているが、なんだろね、この無駄感ダブり感は。

ダムの下の歩行者用の橋を渡り、左岸を少し戻ると登山口。最初はコンクリートの坂で、それから整形された枝谷の水路のフェンス沿いになる。谷沿いをなおも進むと、まもなく道は左の小尾根に登る。

水路のフェンス沿いを登る。
水路のフェンス沿いを登る。

小滝も現れる。
小滝も現れる。
都市部に近い低山の常として、この山も多数のコース、様々な踏み跡がある。『ベスト120』が言うように、地形も複雑だから、地形図は必携。

「南コース」を右に分け、さらに登ると、道は西向き斜面の中腹をトラバースするようになる。左下には千苅貯水池が見下ろせる。

右は「南コース」。ここは左へ。
右は「南コース」。ここは左へ。

千苅貯水池の湖面が見下ろせるようになる。
千苅貯水池の湖面が見下ろせるようになる。
湖水の方から、ウィンウィンという妙な機械音がする。見下ろすと、金属製の筏のようなものが湖の真ん中に浮いていて、音はそこから来ているようだった。水質調査か何かの一種のロボットなのだろうが、山の中で聞きたくはない音だった。

小さな枝谷を小さなコンクリート橋で渡り、小尾根を乗り越え、もう一つ小さな谷を同じく小さな橋で渡り、改めて尾根に乗る。

橋その1。
橋その1。

橋その2。
橋その2。
ここから尾根伝い。このあたり、道は溝状になっている。

溝状の道。
溝状の道。
砂地の明るく開けた箇所があり、最初の休憩に使える。ここで朝食のオニギリ一個。

大岩ヶ岳(右奥)が姿を現す。
大岩ヶ岳(右奥)が姿を現す。

羽束山を望む。
羽束山を望む。
左に、貯水池沿いに波豆に向かう道を分け、尾根筋を北東に向かって登る。

岩の登り。
岩の登り。
傾斜がきつくなり、それから尾根筋=道筋が90度右に曲がり、ひと登りすると356mのピークに着く。地図を見ていなければ、大岩ヶ岳山頂に着いたと勘違いしてぬか喜びしそうだ。

急斜面の登り。
急斜面の登り。
少し下って最後の急坂を登る。山頂直前、かなり大きな岩が現れる。

山頂直前の岩。
山頂直前の岩。
大岩ヶ岳の山頂は南北にのびる神戸市北区と宝塚市の境になっている。本当に眺めがいい。北側にうねって続く千苅貯水池の湖面、その先の羽束山、大船山の特徴的な姿が、絵になっている。西には有馬富士や三田市街、丹生山系、南西には六甲の山並。

山頂から北の眺め。
山頂から北の眺め。

山頂から東の眺め。
山頂から東の眺め。
山頂には一人先客がいて、ドローンを飛ばそうとしているところだった。どのくらいの距離飛ばせるのか尋ねると、1キロぐらいだそうで、今日は高速道路の撮影をするのだという。数日前にも来られていて、その時は雲海が見られたという。

オニギリをもう一つ食べて、早々に山頂を辞する。

山頂から東に下る。
山頂から東に下る。
東に下って、平坦な道になり、249mの小山の北側を横断する。249mピークを挟むように、その西側でも東側でも、丸山湿原へ下る道が分かれている。

分岐。
分岐。
今日はどちらにも下らず直進する。二つ目の分岐から6、7分急坂を登ると、大岩ヶ岳手前よりもさらに大きな岩が現れる。

東大岩ヶ岳直下の大岩。
東大岩ヶ岳直下の大岩。
その右に回り込んで稜線に出て、左に辿ると東大岩ヶ岳。大岩ヶ岳より狭いが、ここも眺めがいい。

東大岩ヶ岳からの眺め。
東大岩ヶ岳からの眺め。左端は大岩ヶ岳。
ここで本日の山メシ、Lチキの赤ワイン煮。

Lチキの赤ワイン煮。
Lチキの赤ワイン煮。

材料。
材料。
元レシピは例によって「げんさん」の「ファミチキの赤ワイン煮」。ファミチキがLチキになってしまったのは、ウチの近くのファミマがトロくて、朝早くはファミチキがなかったり、おにぎりすらほとんど品がなかったりするからだ。ローソンは舛添の選挙資金を出して以来、極力使わないようにしているのだが、仕方ない。元のレシピ、記述はないが、画像には赤や黄色のパプリカらしいものが見える。なので、(げんさんが他のレシピで使っていらっしゃる)HOSHIKOの乾燥野菜を足した。コンビニチキンごときを赤ワイン煮にしてもちょっとという感じはなきにしもあらずだが、もちろん食える。「げんさん」はこのレシピを「テント場で」の夕食として紹介なさっているので、昼食にする場合にはしっかりアルコールを飛ばすように気をつけないといけない。

食事の後、一旦北に下り、馬の背に向かう。大きな一枚岩でできた尾根は、馬の背、龍の背の名にふさわしい。先端に、小さなピークがあり、そこからの眺めもいいが、二、三人でいっぱいになりそうなほど狭い。

馬の背。
馬の背。

馬の背
馬の背から見る大岩ヶ岳。

馬の背から振り返る東大岩ヶ岳。
馬の背から振り返る東大岩ヶ岳。
東大岩ヶ岳に戻り、丸山湿原に向かう。右に下って分岐まで戻ってもよかったのだが、尾根通しに進む。この道はやや薄いものの、随所に赤テープがあり、踏み跡としては上等なほうで、とにかく尾根通しだから、尾根の屈曲部などで方向を誤らなければ、迷うことはない。

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最後は南東にゆるく伸びた尾根を下りきると、丸山北側の明瞭な遊歩道風の道に出る。すぐ左は北東から延びてきている車道の終端で、駐車場になっている。ここまで車で来て、湿原観察に向かう人がいるらしい。

丸山北側の道に下り着く。
丸山北側の道に下り着く。
道を西に向かう。丸山西分岐、丸山南分岐を過ぎて、ゆるやかな谷道をたどっていくと、第一湿原北分岐。木製の柵がめぐらされた湿原の、東側周回路を柵沿いに進む。(ここで西側周回路、291.4m三角点を通って南西に向かえば、東山橋を経て道場に帰り着く。『ベスト120』が紹介しているコース。)ところどころにベンチがある。湿原観察に一番いいのは、クソ暑い8月あたりのようだ。今は眺めわたしても何もない。浦の苫屋の秋の夕暮れ。いや、紅葉はあるし、まだ夕暮れではない。

丸山湿原の木道。
丸山湿原の木道。

丸山湿原。
丸山湿原。
湿原地帯を過ぎて沢を渡ると、第一湿原南分岐。ここから左に、川下川ダム方面に向かう。道標には「岩場あり通行注意」と書かれている。

その少し先、toshithyさんの記録のGPSトレイルは奇妙な動きを見せる。左の小尾根を越え、ちょっとした回り道をしているのだ。その分岐で空を見上げると、高圧線の電線が通っている。小尾根を越えるのはおそらくその巡視道なのだろう。距離的には回り道だが、この先の岩場は回避できるし、何か別に面白いところのある道なのかもしれない。今回はとにかくまっすぐ進む。

岩尾根を下る。
岩尾根を下る。
しばらくの沢沿いから、狭く急な岩尾根の下りになる。件の道標の注意書きはここのことを言っているのだろう。少しスリリングだ。下の方は鎖の手すりが設置されている。

岩尾根の途中から南の眺め。
岩尾根の途中から南の眺め。

岩尾根下部には鎖がある。
岩尾根下部には鎖がある。
下りきったところは左右の小沢の合流点。右の小沢にちょっとした滝がかかっている。一旦左岸に渡り、すぐにまた渡り返す。二、三回渡渉があって、190m基準点のあたりて車道に飛び出す。この入り口には道標はない。

車道に出た。左奥から出てきた。手前側に進む。
車道に出た。左奥から出てきた。手前側に進む。
車道を右に歩くと、やがて川下川貯水池の湖岸の道になる。前方に建設中の新名神の橋が見える。事故があったのはもっと西だが、あんなものが落っこったら、それは大変だわなあ。

川下川貯水池と新名神の橋。
川下川貯水池と新名神の橋。

新名神の橋の下をくぐる。
新名神の橋の下をくぐる。
川下川ダムの脇から坂道を下り、JRのトンネルの上を通過、一旦西方向、道場方向に200mほど下る。

まっすぐ進めば道場駅方面。ここで左に折れる。
まっすぐ進めば道場駅方面。ここで左に折れる。
今回は道場駅までの一時間半の車道歩きをするつもりはない。ここから鋭角左、東向きに、水平な道が分かれている。これを進む。明らかにかつて線路敷だった道だ。

元線路敷の道。
元線路敷の道。
JRの橋の真下で道を外れて武庫川の河原に下り、川下川を渡渉する。河原は大きな岩ががゴロゴロしていて歩きにくい。おまけに、大水のたびに流れてきたと思われるゴミがけっこう散らばっていて汚い。この部分は武庫川の水際なので、水量の多いときには通行困難になりそうだ。

武庫川の川辺に下りる。
武庫川の川辺に下りる。
やがて左の山腹を行く踏み跡が現れる。川下川出合から武田尾まで、武庫川は二回S字に屈曲している。言い換えれば、左岸・右岸から2回ずつ尾根が川筋に突き出している。コースは左岸通しに進むが、一つ目の尾根の先端を回り込む手前に、二箇所岩場がある。二つ目の大岩を乗り越える箇所にはロープが下がっている。

二箇所の岩場が見える。
二箇所の岩場が見える。二つ目は画面中央右寄り。

一つ目の岩場。
一つ目の岩場。

二つ目の岩場。
二つ目の岩場。
白いガードレールが現れるとその先は平坦になり、旧線路敷の面影が感じられる(ガードレールは線路敷がそこで途切れていることを示している)。

再び旧線路敷の道。
再び旧線路敷の道。
現在のJRが今一度トンネルから姿を現わすところがあり、道はその下を通っている。ここから先は林道状で、とてもしっかりしている。もとの線路敷であり、トンネル工事の際には車両が入ったりもしたのだろう。途中、かつての線路に付属していたと思われる石積みの防護壁がある。

古い防護壁。
古い防護壁。
生瀬から武田尾の間の旧線路敷はハイキングコースとして人気があり、最近改修が行われて再オープンしたばかりだが、武田尾からこちらはほとんど紹介されることはない。

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武田尾温泉が近づく。対岸の復旧作業のために、工事車両が渡る臨時の土橋ができているのを眺めて進むと、紅葉館の下に出る。無料の足湯があり、10人くらいのハイカーが集まっていた。

そのまま通り過ぎて、左に折り返して紅葉館に向かう。

紅葉館入口。
紅葉館入口。
14:40。フロントで日帰り入浴できるかと尋ねると、15:00までだがいいかと言う。長湯はしないから構わない。タオル付き(バスタオルも使える)で¥1800。日帰り温泉施設の相場が¥600、ホテルが日帰り入浴させるケースの相場が¥900~1000というところだから、その3倍、2倍。ちと高いというかかなりぼったくり感があるが、風呂はいい。黒を基調に丸太の梁を配した大浴場はきれいで落ち着いた雰囲気。露天風呂は小さいが、対岸の山々を眺めながら入ることができる。

紅葉館から5分ほどで武田尾駅。宝塚に出て帰宅。

惣川谷支流と足洗川の噴泉

元はデジタル朝日のこの記事。兵庫)川の中の岩から吹き上がる水、どうして?

中山はかなり前に何度か行ったことがあり、縦走もしたことがあったが、南側の登路としては、阪急中山駅(現中山観音駅)からの奥の院参道と清荒神駅からの道しか知らず、天宮塚を通る道は歩いたことがなかった。昭文社の登山地図には、中山桜台の住宅地ぎりぎりを通る東の尾根通しの道は記されているが、足洗川沿いの道の記載はない。だからそこに道があることも知らなかった。

上記の記事で、噴泉があるというのは、その足洗川沿いのコースの中程らしい。記事をツイートしたら、知人のにゃみさんから反応があり、では行ってみましょうかということになった。噴泉に行くだけでは歩きとして物足りないから、惣川谷支流を詰めて中山最高峰へ、下山路に足洗川コースを回る。

惣川谷支流は2012年、2014年のいずれも11月に行っている。今回もなぜか2年おいて11月。宝塚在住の登山ガイド、ライターで、六甲のガイドブックを何冊も書いていらっしゃるにゃみさんは、そこらじゅう歩きつくしているかと思ったら、意外なことに惣川谷支流は行かれたことがないという。僭越ながらガイドさんをガイドしての遡行。

宝塚駅前から9:05のすみれガ丘東行きバスですみれガ丘一丁目下車。のはずが、うっかりしてすみれガ丘中央まで行ってしまった。住宅地内の道をたらたらと戻る。宝塚北高校を回り込み、採石場沿いの車道を北に歩く。途中、鈴なりにものすごい量の実を付けたアキグミが何本もある。タンニンが強くてあまり食べられないが、リコペンもトマトの10倍ぐらあるという。

アキグミ。
アキグミ。

惣河谷支流

惣川谷に架かる橋を渡り、県道33号線に合して、少し右に歩いたところで、ガードレールを越え、ゴミの多い斜面を沢に下りる。

橋からの惣川谷。
橋からの惣川谷。

下りたところは惣川谷の本流で、20mほども右に下ったところに、左から支流が合している。ここから遡行開始。遡行と言っても普通の登山靴だし、にゃみさんに至っては軽い布靴なので、水にはほとんど入らないし、滝もほとんど高巻き。

最初の小滝。
最初の小滝。
モチツツジ。秋に咲くことも多いそうだ。
モチツツジ。秋に咲くことも多いそうだ。

やや水量が多かったか、最初の小滝の左をへつって抜けるのに少し苦労した。2年前にはなかったロープが下がっている。しばらく行くと、大滝、F1が現れる。

F1。
F1。
F1。
F1。

右から採石場の土手を通って巻くこともできるが、ひっつき虫だらけになる。今回は左、少し戻ったところから、設置されているロープに頼りながら急斜面を登る。そこから右岸の断崖の上のちょっとスリリングなトラバース。ありがたいことにずっとロープがある。東側の採石場と高層住宅群が目に入る。F1の上部が小さいながら見事なゴルジュになっているのを眺める。

F5。
F5。

いくつか小滝を見て進み、F6、F7に寄り道。どちらも立派。

sokawa-8

F6。
F6。
F7。
F7。

戻ってコース最大の激登りでF6〜F8までを一気に巻く。40度近くありそうな急斜面に、延々とロープが張られている。

巻道の上からの眺め。
巻道の上からの眺め。
巻道の上に、さらにこんな岩壁がある。
巻道の上に、さらにこんな岩壁がある。

登り詰めた岩峰で、展望を楽しみながら小休止。この上にも岩壁、対岸も岩壁。かつてよくクライミングゲレンデとして使われていたはずとのこと。

F8上部に下る。
F8上部に下る。

右下に斜瀑F8を見ながら沢筋に戻る下りもかなり急斜面。数年前の崩落地を通り、F9へ。残置ロープと鎧で左側が登れるのだが、にゃみさんは即座に巻道を選択。w

F9。
F9。

F10を難なく越える。F10の上、右側に、見慣れない鉄梯子があった。どこに出るのかの確認は次回の宿題にする。

F10。
F10。

遡行終了点〜中山最高峰

自衛隊が造成した道を回り込んで、最後の小滝を越え、土管橋で遡行終了。

遡行終了点近くの小滝。
遡行終了点近くの小滝。

ここから直接続く山道があるはずなのだが、それがどこなのか分かっていなかった。造成された道を少し登り、前回見つけた切通しの道からコース後半に入る。沢まで戻ったところに古い案内板がある。が、取り立てて役立つ情報はない。

古い案内板。
古い案内板。

ここから左に、小さな尾根通しに下る道があったので少し行ってみた。これがあの遡行終了点から続く本来の道なのだろう。次回は下からこれを登ってくることにしよう。ただ取り付き部分は草薮に覆われていそうだ。

コースは沢筋に戻ったところ、案内板の立つところからすっかり穏やかに表情を変えた沢を渡りかえしながらゆるく登る。疎林の中の緩やかな沢沿いの道が続く。

色々なキノコがある。
色々なキノコがある。

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かなり進んで左にひと登りで稜線に出る。反対側、木の間越しにゴルフ場が見える。前々回はゴルフ場の中に入り込んでしまい、そちらから強引にこの尾根に登ってきたのだった。途中、大峰山の眺めのいい場所がある。道々、植物に詳しいにゃみさんにあれこれ教えていただく。このあたりにも案外タカノツメやコシアブラが生えていることを知る。

尾根道の途中からの大峰山。
尾根道の途中からの大峰山。

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この尾根をたどり、中山最高峰の少し下、461mピークでメインの登山道に合流。その先、気まぐれに大峰山側に回り込む道を取って西側から山頂へ。

「げんさん」レシピの「山のそば鍋」を作って大休止。(ところで、商売柄か、例えば山で山メシを作ったとき、元々のレシピの出典などは記すようにしているし、山のコース取りに関しても、どのガイドブック、どのブログ記事を参考にしたか極力記すようにしているのだが、そこらへん無頓着にしれっとオリジナルであるかのように書いているブログやヤマレコ、YAMAPの記事もよく目にする。そういう感覚の方が普通なのか。)

山のそば鍋。
山のそば鍋。

下山:足洗川ルート、噴泉

メインの登山道を下り、461mピークを通り過ぎ、天宮塚への道に入る。天宮塚は枝尾根の上の小ピークで、南側の眺めがとてもいい。

天宮塚。
天宮塚。
天宮塚からの眺め。
天宮塚からの眺め。

そこからの下りは中山桜台の住宅地ぎりぎりの尾根道。しばらく進んで右の谷筋に下りていく。これが足洗川。沢沿いの道はしっかりしている。鋼製のカゴに石が詰め込まれたような堰堤、「第4号鋼製自在枠谷止」を右から越えて下り、道が右岸から左岸に渡るところで、谷の下流に噴泉が見えた。

第4号鋼製自在枠谷止。
第4号鋼製自在枠谷止。
噴泉が見えた。
噴泉が見えた。

相当に勢いよく噴き出している。噴泉の真横から沢に降り、じっくり眺める。沢の真ん中の岩の穴から噴き出す水は高さ3mにも達しようかというほど。鉄分を含んで黄色い。飛沫の当たる一帯がすべて黄色く染まっている。周囲の沢水とは明らかに質が違う。脇の登山道寄りのところからも、同じ色の水が染み出している。面白い。

噴泉。
噴泉。

ここは有馬高槻構造線に近く、この先の下山地、中山観音駅と隣の山本駅の間には、有馬同様の金泉を持つ温泉「宝乃湯」もある。噴き出している水は熱くはないが、その枝脈のようなものなのだろう。

しばし見とれてから下山の続き。これで本日のミッションは完了。「第3号鋼製自在枠谷止」を左から越えると、もう甘い実をつけているフユイチゴがあった。近くにはまだ蕾の固い株もある。

フユイチゴ。
フユイチゴ。

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夫婦岩からの道を合わせ、さらに下ると市街地。中山寺の前でにゃみさんと別れ、中山観音駅の南ロータリーに出ると、ちょうど宝乃湯の送迎バスが停まっていた(→送迎バス時刻表)。金泉にも浸かって、再び送迎バスで中山観音駅へ。阪急電車で帰宅。

にゃみさんによる記事はこちら

高安山・信貴山

家を出るのが少し遅くなった。梅田、鶴橋、河内山本で乗り換え、服部川駅から歩き始めたのはちょうど10時。

近鉄信貴線服部川駅
近鉄信貴線服部川駅

改札を出てすぐ左に、狭い路地を抜ける。

路地にあった気になる店。渋い…。
路地にあった気になる店。渋い…。

これも『関西日帰りの山ベスト100』所収のコース。

車道に出て右へ、ゆるい坂を登って行く。最初のうちは道なりだし、分岐には八尾市が設置した「高安山ハイキング道」の細い標柱・道標が立っている。

路地から出たところの道標。
路地から出たところの道標。
道なりに坂を登る。遠景右端に高安山、その横に気象レーダーが見える。
道なりに坂を登る。遠景右端に高安山、その横に気象レーダーが見える。

一箇所、分岐には標識がなく、左折して少し進んだ先に標柱のあるところがあって、そこでは少し戸惑った。

標識のない分岐。ここは左に。
標識のない分岐。ここは左に。

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分譲墓地の脇を通り過ぎると、舗装はコンクリートに変わり、坂がきつくなる。

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不動院の入り口が広場状になっていて、小さなお堂があり、そこから右に、山道が付いている。山道の入り口にはプラスティックのベンチが二つ置いてある。この道は、立石越えと呼ばれているらしい。

登山口。
登山口。

最初から少々ササのかぶさる細い道だ。やや泥っぽくもある。そう言えば、ここもあの生駒山に連なる山域なのだ。生駒山ほどひどくはないが、道の感じ、土の感じが似ている。

笹のかぶさる道。
笹のかぶさる道。

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shigisan-11

標高370mあたりで「休憩所(四阿・ベンチ)」の標識に従って左に入る。ガイドには「園地」と書かれているが、茂った笹に狭い東屋が取り囲まれている感じ。しかしこの登りコースはずっと湿った道なので、途中で腰を下ろして休憩するとすればここしかない。ありがたい施設だと言える。周囲には楓が多く、これから色付いたら美しくなりそうだ。総じて、今日の大阪側は紅葉黄葉はまだこれからという感じだったが、あとで奈良側、朝護孫子寺まで下りたらすでにかなり鮮やかになっていて、その違いに驚くことになる。

四阿。
四阿。
四阿の前の楓。
四阿の前の楓。梢の一部のみ色づいている。

東屋から上に、階段道が付いていて、少し登ったところにベンチが二つある。こちらの方が、東屋より、同じ木の間越しでも少し眺めがいい。

元の分岐に戻らず、ベンチからそのまま踏み跡を辿って登っても、上で山道に出る。ただし、そこから左に登って行ってしまうとコースを誤る(ぼくはこれをやりかけた)。踏み跡経由で登山道に出た場合は、右に下らなければいけない。少し下って戻ったところが分岐になっていて、コースはここから南方向に登る道なのだ。この分岐には、道標と石仏が立っている。

分岐の石仏。
分岐の石仏。

植林地を登り、笹やぶの中の道を行くと、生駒スカイラインに飛び出す。右のほうに「一元の宮」の巨大な看板がある。

生駒スカイラインに飛び出す。奥に「一元の宮」看板が見える。
生駒スカイラインに飛び出す。奥に「一元の宮」看板が見える。

車道を数十メートル歩いて、その看板のところから右に、幅広い道に入る。すぐに閉じられたゲートがあるが、歩行者は右隅を抜けられる。先ほど山道から車道に出たところ、向かいにハイキングコースの道標がある。これを進んでもよい。道はすぐに下って、車道をトンネルでくぐって再び西側に出て、登りになる。登ったところが先述のゲートの内側。

その先は公園状というか林道というか、整備された幅広い道になる。砂利や砂が敷き込まれているようで、生駒山系特有の泥道に悩まされることはない。

公園状の道。
公園状の道。

左右にバラック様の建物や資材置き場のようなところが現れる。点々と道標があり、それに従ってまっすぐ進む。(ガイドブックの地図では、この西側にある池の西を回り込んでいくかのようにラインが引かれているが、おそらく誤り。)「一元の宮」の建物が現れ、それからコンクリートの坂道となって、丁字路に行き当たる。道標あり。これを右に、高安山ケーブル駅方面に進む。登っていくと、レーダー測候所の白いネギ坊主が現れる。

気象レーダー。
気象レーダー。

その直前、右側の鉄板と、木の幹に「高安山」と大書されている。その山道に入って折り返すように進むと、数分で高安山の山頂に着く。ちょうど12時頃。「峰山」二等三角点 487.44m があるが、木立に囲まれた狭い山頂で、眺めはない。ハイキングコース名にも、ケーブルの駅名にも使われている「高安山」のそれ自体は、特に重視されている訳ではなさそうだ。ガイドブックも触れていない。

高安山の三角点。
高安山の三角点。

戻って、ネギ坊主のところから先に進む。ここからは、自然林の中、山腹を緩やかに下っていく広く快適な道だ。

快適な道。
快適な道。

最後に、南東の眺めが開けると同時に、ケーブル高安山駅に着く。

展望が開けると…
展望が開けると…
ケーブル高安山駅。
ケーブル高安山駅。

南側から車道も登ってきていて、バス停もあるし、飲料の自販機もある。駅の南側の小山が展望台になっていて、十二角形の東屋と、その周囲にいくつかのベンチがある。大阪側の展望が開けている。信貴山まで行ってしまうと神域なので飲食やまして調理はできないことが予測できた。実際、今日のコースでは、大休止するならここしかないだろうと思う(おそらくそれを考えてコースにここへの寄り道を織り込んだ『関西日帰りの山ベスト100』のセンスに敬服する)。なので、ここで本日の山メシ。「山のオムデミリゾット」。シエラカップに少量の湯を沸かしてデミグラスソースを袋ごと温めて取り出し、湯にコンソメを溶かし、オムライスおにぎりを入れ、最後にデミグラスソースをかけるだけという「げんさん」一流のお手軽レシピ。ずっと前に一度湖南アルプスでやった記憶がある。

山のオムデミリゾット。
山のオムデミリゾット。
材料はこれだけ。
材料はこれだけ。

30分ほどで腰を上げ、元の道を戻る。レーダー測候所を過ぎ、丁字路まで戻ったところで直進して信貴山へのコースに入る。まもなく生駒スカイラインを横断、向かいの道に入る。

再び車道にぶつかり、横断する。
再び車道にぶつかり、横断する。

幅も広く、比較的平坦な道で、「高安城倉庫跡」への道を左に見送り、緩やかに下っていく。自然林の中の道で、展望はないが、一箇所、高圧送電線の下に当たる所が刈り払われており、そこだけ南東方向の眺めがよくなっている。大きく下る直前、道の両側にベンチが二つずつ設置されている。今日の後半は、生駒的な泥の気配はなかった。

ベンチ。
ベンチ。

下ると鞍部になっていて、右下に下る道と、正面を登る道に分かれる。道標があり、右は「弁財天の滝をへて信貴山門前」とあり、手書きで「石だたみの坂道/すべりやすい注意」と付け加えられている。登り道の方には「信貴山朝護孫子寺」とある。これを登る。

「信貴山朝護孫子寺」への道標。
「信貴山朝護孫子寺」への道標。

杉植林の中の道で、少し登ったあとは、信貴山の北側山腹を大きく回り込んでいく。北東から登ってきているコンクリートの坂道に合流し、これを右に登る。

コンクリート坂に出る。
コンクリート坂に出る。

青地に白で「汗かきの毘沙門さん/信貴山奥の院」と書かれた札が立っている。今登ろうとしている信貴山が奥の院かと思ったら、奥の院はここから2kmほど北東に別に存在するらしい。坂を登るとすぐにショートカットらしい地道が分かれていた(入り口にケルンが積まれている)ので、そちらに踏み込む。少し登ったところでコンクリート坂に再び合流し、それを少し行くと、信貴山山頂部に出る。南側から登ってきている参道に合流して、右に、鳥居の並ぶ道を登ると、空鉢護法堂の立つ信貴山山頂。お堂の前からは南側の展望が開け、二上・葛城・金剛の山並みが立派だ。

空鉢護法堂。ここが信貴山山頂。
空鉢護法堂。ここが信貴山山頂。
空鉢護法堂の前から見る葛城・金剛の山並み。
空鉢護法堂の前から見る葛城・金剛の山並み。

参道を下って行く。かなりの人数の軽装の観光客が登ってきているが、大変そうだった。

空鉢護法堂への参道を下る。
空鉢護法堂への参道を下る。

やがて朝護孫子寺の境内に下り立つ。大阪側ではまだだった紅葉がここでは盛りを迎えていて、人が大勢歩いている。

朝護孫子寺。
朝護孫子寺。
朝護孫子寺。
朝護孫子寺。
境内の大榧。
境内の大榧。
境内の大トラ。
境内の大トラ。

境内の案内図は、下の観光案内所でもらえることを後で知ったが、山の上からきたぼくにはそれがない。(現地で配布されているものより一段簡略なものだが、信貴山観光協会のサイトにもマップがある。事前にダウンロードしておくといいかも。)迷路のような境内を適当に歩いて回り、どうやら入り口らしき方に向かう。巨大な張り子の虎を通り過ぎ、鳥居を抜けると、左手に休憩所があったので一休み。さらに行くと観光案内所があった。ここから右に、「開運橋」で大門池を渡る。渡ってすぐ右のあまり幅のない道に折れ、土産物屋の間を行くと、信貴山観光ホテル。

開運橋から見る大門池と信貴山観光ホテル。
開運橋から見る大門池と信貴山観光ホテル。

信貴山観光ホテル(信貴山温泉)では、喫茶または食事の利用とコミでなら日帰り入浴をさせる。フロントでそのことを確かめると、喫茶と温泉とどちらを先にするかと訊かれ、温泉と答える。¥1000払うと、「入湯料前受券」という小さなカードのようなものをくれる。それでもってまず温泉へ。

入湯料前受券。
入湯料前受券。

内風呂はシンプルな方形でかなり広い。露天は小さめだが、正面に山を望み(その頂上に空鉢護法堂が見える)、開放感がある。露天風呂の下の斜面からは桜の木が何本も生えている。花の頃も良さそうだ。しかしこの露天、男湯だけだろうが、少々距離があるとは言え、開運橋から丸見えなのだった。湯船に身を沈めてしまえば見えなくなるが、内湯から外に出てくる扉のあたりがアブナイ。まあ、別に気にしないけど。

風呂から上がって、フロントの隣にある喫茶でコーヒーとケーキのセットを注文。りんごのシブースト。喫茶の勘定(現金払いのみ)を終えて、その¥850のレシートと先ほどのカードをフロントに渡すと、¥200返金される。食事をした場合には、¥500。温泉を後回しにするなら、単にその飲食のレシートを持ってフロントに行けば、そこでそれぞれ¥800、¥500払って入浴することになるようだ。

湯上がりの喫茶。
湯上がりの喫茶。

ホテルを出て、開運橋を渡って戻り、観光案内所の角から東に下る。仁王門を過ぎ、紅葉を楽しみながら車道を横切ってしばらく行くと、信貴山バスターミナル。

道脇の紅葉。
道脇の紅葉。
仁王門。
仁王門。
信貴山バスターミナル。
信貴山バスターミナル。

がらんとした箱のような建物で、それを抜けた向こう側にバスが発着する。時刻表では、次のバスまでかなり間があく。ここから先、かつて(1983年まで)ケーブルカーが通っていた跡がハイキング道になっていて、一直線の道の両側に多数の桜が植えられているらしい。

ケーブル跡ハイキング道入口。
ケーブル跡ハイキング道入口。

近鉄信貴山下駅まで、40分ぐらいはかかりそうだが、それも一興かと思い、この道に踏み込もうとした途端、「臨時」と表示したバスがやってきた。慌ててバス停に駆け戻って乗り込む。紅葉シーズンの週末だからだろう。いつも週末は避けて平日に歩いているが、こういうラッキーなこともある。バスは信貴山下駅を経由して王子駅へ。ここからなら大阪駅までJRの「大和路快速」で一本で行ける。面倒な乗り換えがかなり減った。

鶏籠山・的場山(と龍野市街)

先日の、大阪湾南端の高森山・四国山の後、『関西日帰りの山ベスト100』が扱っている中では播磨最西端のこの山に向かう。ガイドのリード文にはこうある。

名山の多い兵庫県内では忘れられたような存在だが、地元では人気が高い的場山。

実際、手元にある十数冊の関西の山のガイドブックで、この山を取り上げているものは他に一つもない。『改訂版ふるさと兵庫100山』にもヤマケイの『兵庫県の山』にも採録されていない。

高御位山の勇姿を車窓に見て、姫路で姫新線に乗り換え、本竜野へ。ICカードが使える。姫路駅の乗り換え通路にはカード読み取りゲートがあるが、タッチしてそのまま通過してくればよい。姫路駅の姫新線ホームは、播但線ホームと微妙にぶっ違い、ズレた形で連続している。東寄りが播但線、西寄りが姫新線だ。そう言えば、ここの播但線ホームから七種山に行ったのは、この4月のことだった。

姫路駅の姫新線ホーム。
姫路駅の姫新線ホーム。
姫新線の車両は気動車で、一両、単線、ワンマンだ。1-1-1と三拍子揃っている。(二両編成のものもある。)

本竜野の駅のホームにも、駅前にも、「赤とんぼの碑」があり、子ども二人(駅前のはそこにプラス母親?)が象られている。龍野は三木露風の生地で、「童謡の里」を謳っているのだ。

駅ホームの「赤とんぼの碑」。
駅ホームの「赤とんぼの碑」。
駅舎は最近改修されたようで小ぎれいだった。駅前にはロータリーとバス停、駐車場、パチンコ屋ぐらいしかないが、駅舎には観光案内所、売店、レンタサイクルがある。これから向かう鶏籠けいろう山・的場山がしっかり見えている。醤油会社の立派な研修所、本社、工場を右に見て進む。左手には「兵庫県手延素麵協同組合」の建物もある。

醤油会社の本社。
醤油会社の本社。
兵庫県手延素麵協同組合。
兵庫県手延素麵協同組合。
セブンイレブンのある交差点で国道179号(出雲街道)に合流し、さらに西に向かい、竜野橋で揖保川を渡る。この間、正面には常に的場山の姿がある。

竜野橋の向こうに鶏籠山(右)、的場山を望む。
竜野橋の向こうに鶏籠山(右)、的場山を望む。
橋を渡った先が本来の市街地。少し進んだ先で左右に伸びる下川原商店街を右に入る。この角にある信用組合の建物にまず度肝を抜かれる。信用金庫といえば、どの街でも、四角く灰色な箱型ビルのイメージではないだろうか。

姫路信用金庫。
姫路信用金庫。
下川原商店街の街並み。
下川原商店街の街並み。
下川原商店街の街並み。
下川原商店街の街並み。
下川原商店街の中にあるたつの市消防団。
下川原商店街の中にあるたつの市消防団。
下川原商店街の中の書店。
下川原商店街の中の書店。
古い街並みが、相当によく保たれている。あとは電線の地中化を果たせば完璧だろう。もっとも、歴史的景観という意味では、やがて、「電柱のある風景」が「昭和の街並み」として意図的に再現されようになるのかもしれない。(かつてドイツからキプロスに行った時、妙に「懐かしい」風景だなと思ったら、その主因は電柱だった。)

何の標識もない十字路で、地図を頼りに左の狭い道に入る。カネヰ醤油の建物を左に、「うすくち龍野醤油資料館別館」、龍野幼稚園を右に見て緩い坂を登っていくと突き当たりが検察庁。そのデザインすら街並みに溶け込むように配慮されている。

うすくち龍野醤油資料館別館。
うすくち龍野醤油資料館別館。
龍野幼稚園。
龍野幼稚園。
検察庁。
検察庁。
そこから右に登ったところが龍野城。城門は閉じられている。後世の復元らしいが、そうした場合によく見られる手抜き感、チープさ(例えば大阪城天守閣のような)はない。

龍野城城門。
龍野城城門。
龍野城城門。
龍野城城門。
門の前の坂を右に登ると龍野歴史文化資料館。月曜なので休館。左手の駐車場を抜けて、城内に入る。これも復元らしいが立派な本丸御殿の前は公園として整備されており、桜と紅葉の名所らしい。今回は紅葉にはまだ少し早かったようだ。ベンチで身支度。

本丸御殿前からの眺望。
本丸御殿前からの眺望。
本丸御殿。
本丸御殿。
園地の北西奥が、鶏籠山登山口で、獣除けの扉がある。

鶏籠山登山口。
鶏籠山登山口。
林の中のかなりの急斜面に、つづら折れというよりは、うねるように道が付けられている。

鶏籠山への道。
鶏籠山への道。
各所に双方向矢印が取り付けられ、道を示している。
各所に双方向矢印が取り付けられ、道を示している。
龍野城はもともと山城として明応8年(1499年)に赤松村秀によって築かれた。天正5年(1577年)というから、信長の播州攻めの開始早々、四代目当主赤松広英は揖保川まで攻めてきた秀吉の軍門に下る(のちに、近頃「天空の城」として有名な但馬日和田山の竹田城に入り、その最後の城主となる)。

先ほど通ってきた山麓の平山城は、寛文12年、信州飯田から脇坂安政が転封になったときに築かれたものの復元であるらしい。鶏籠山は古い方の山城の跡なのだ。

20分ほどで、二ノ丸に着く。ベンチがあり、揖保川が見下ろせる。この先の本丸からも眺望はあるが、ベンチの類はないので、休憩するならここがいいかもしれない。

二ノ丸のベンチ。
二ノ丸のベンチ。揖保川が見える。
わずかに下って本丸、鶏籠山山頂へ。標高210m余り。城の跡らしく、尾根上は何段かの平地に削られている。

本丸=鶏籠山山頂。
本丸=鶏籠山山頂。
鶏籠山本丸跡から北に、標高差で70mほど下り、両見峠へ。

途中、的場山が望まれる。
途中、的場山が望まれる。
両見峠。
両見峠。
木立の中の暗い峠だが、ベンチ、道標、鶏籠山解説板、巨大な石灯籠がある。右に下れば三坂神社、左のコンクリート坂を下れば紅葉谷、龍野公園。ここから正面の急坂に取り付く。一応ジグザグだが、あまり左右の振れ幅は大きく取られていない。ウラジロの群生地が現れると、ようやく勾配が緩み始める。

両側にウラジロの群生地が現れる。
両側にウラジロの群生地が現れる。
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さらに登ると、的場山東尾根先端の小ピーク(300m)に着く。朽ちかけた丸太ベンチと、竹を使ったベンチがある。西側の眺望が開けている。ほんの少し下、南に張り出した岩からは、南側の景色が望まれる。

300mピークから東側の眺め。
300mピークから東側の眺め。
300mピークから南側の眺め。
300mピークから南側の眺め。中央の低い丘は「赤とんぼ荘」の建つ白鷺山。
ここからは稜線上の道を西に向かう。わずかに下ってからゆるゆると登っていく。左側の林の杉は、根方から5mぐらい、皮を剥かれたものが何本もある。ここは国有林で、国宝や重文の建築の屋根の葺き替えに使われる檜皮ひわだの採取地に指定されているという。

檜皮採取の跡。
檜皮採取の跡。
途中、センブリの花を見かけた。

センブリ。
センブリ。
左に国交省無線中継所の鉄塔が現れ、そこから道は丸太階段になる。これを登り切ると的場山山頂。394.07mの「竜野」三等三角点が埋設されている。反対側にはNTTの巨大な塔が立っている。大きな近畿自然歩道の案内板も立っている。

最後の丸太階段。
最後の丸太階段。
的場山山頂。
的場山山頂。
山頂のすぐ南に張り出したあたりはは芝生が生え、南側180度の展望がある。北側も、鉄塔脇を少し入ると眺めがいい。

山頂南側から南東の眺め。
山頂南側から南東の眺め。
山頂から北側の眺め。
山頂から北側の眺め。中央は亀山。
山頂脇の巨大なNTT電波塔。
山頂脇の巨大なNTT電波塔。
山頂のベンチで本日の山メシ。山の鴨だしキノコ鍋。レシピは→こちら。カップ麺の鴨だしスープを使うところがミソだ。鶏肉が面倒だったので、代わりに、いつか山で使おうと思って買ってあった合鴨スモーク缶を使用。ダブル鴨だしでえらく濃厚になった。近所で手に入らなかったブラウンエノキも省略。昼だったからシャルドネも省略。

山の鴨だしきのこ鍋。
山の鴨だしきのこ鍋。
材料。
材料。
シメにそばを茹でると言うよりは煮込む。

山頂へは西側から舗装道路が登ってきている。北の方、道標によれば亀山きのやまに至るという道も付いている。今日はガイドブックの言う通り、丸太階段を下って戻り、国交省の塔の基部から右に、道標のない踏み跡に入る。とは言え、道は明瞭だ。

国交省電波反射塔の基部を回り込むように入る。
国交省電波反射塔の基部を回り込むように入る。
登ってきた尾根の一つ南寄り、南東方向に伸びる尾根の上を進むことになる。登りの尾根と同じく、上部はわりあい平坦で、左右にウラジロが増えてくると急激に勾配がきつくなる。この下りが今日のコース一番の難所かもしれない。

しばらくはなだらかな尾根道。
しばらくはなだらかな尾根道。
激下り。
激下り。
次第に眺望が開ける。揖保川対岸の大きな醤油工場が目立つ。
次第に眺望が開ける。揖保川対岸の大きな醤油工場が目立つ。
途中、道の真ん中の岩が赤くなっており、傍らには「赤石」という標識もある。どう見ても岩に赤ペンキを塗っただけにしか見えなかったが、何なのだろう?

「赤岩」。
「赤石」。
ともあれ、この赤岩を過ぎるとようやく傾斜は緩み始める。

道が二手に分かれる。どちらでもいいらしいが、左を採って回り込んで行くと、野見宿禰のみのすくね神社の前に出る。南面の展望が開けている。神社は、石の扉の奥に小さな石の祠がある。相撲の元祖、野見宿禰が出雲に帰る途中、龍野で客死した。その墳墓で、扉の紋は出雲大社千家氏の家紋だという。二手に分かれていた山道は、この古墳を左右から回り込んでいたのだ。野見宿禰は当麻蹶速に対抗できる者として出雲から召し出され、勝利して当麻の地を与えられた。当麻と言えば先日登った二上山のあたりだ。

野見宿禰神社。
野見宿禰神社。
神社下の石段を降りてきた。
神社下の石段を降りてきた。
長い石段を下りた先、テラス状に伸びたところが展望台になっている。下から登ってきたらしい数人の人々が憩っていた。駅から山に向かう途中、中腹に目立っていたのはこの展望台らしい。

ここから先の道がよく分からなかった。先ほど石段を下りきった所、展望台の手前に、左右に下り道がある。ガイドには「近畿自然歩道を「赤とんぼ歌碑」方向に下」るとあるだけで、それがどちらの道なのか分からない。東側の道は幅の広い表参道風、標識はない。西側の道は狭く、下り口に(近畿ではなく)山陽自然歩道の標識はあるが、行き先を示す部分は風化して文字の判読ができない。ガイドブックのアバウトな地図は何の手がかりにもならない。

東に下る道。表参道風。
東に下る道。表参道風。
西に下る道。「山陽自然歩道」の標識がある。
西に下る道。「山陽自然歩道」の標識がある。
結局表参道風の方を下ったが、これは不正解だったようだ。大きく回り込んで、下の舗装道路を歩き、龍野神社の前を回り込んで、コースに復帰する。もっとも、途中、「力水」を見たり、聚遠亭の建物と庭園を見下ろしたりすることができた。

「力水」。
「力水」。
第44代横綱栃錦が揮毫したという「力水」の碑。
第44代横綱栃錦が揮毫したという「力水」の碑。
その先もガイドの記述は不明瞭で、龍野公園らしきところのグラウンドの北側、山裾の遊歩道を回って行ったが、グラウンドを突っ切ったほうがよかったようだ。グラウンドではお年寄りたちがゲートボールに興じていた。

グラウンド脇の道。
グラウンド脇の道。
グラウンドを抜けると、龍野動物園の入り口がある。その敷地の一部を斜めによぎって右上に登る。

龍野動物園正門。
龍野動物園正門。
動物園の中を斜めに登る。
動物園の中を斜めに登る。
このあたりの道もよく分からなかったが、車道がS字に曲がるところで、左に登る一回り狭い舗装道路が分かれている。

車道の途中から左に分かれる道。
車道の途中から左に分かれる道。
それを登って行くと、「童謡の小径」のゲートが現れた。石段とコンクリートと土の道を登る。

「童謡の小径」ゲート。
「童謡の小径」ゲート。
「童謡の小径」。
「童謡の小径」。
これが本コースの最後のオマケ。低い白鷺山(日山)の上に設けられた一風変わった公園だ。道に沿って、いくつかの童謡の石碑が建てられており、その前に人が立つと、ジジジとかすかな音がして、それから電子音でその童謡が流れる仕掛け。赤外線センサーでも使っているのだろう。ハイテクで、レトロで、キッチュな趣向。このキッチュさに対抗できるのは、グラーツ(オーストリア)のメルヘン洞窟トロッコしかあるまい(<誰も知らんだろ、そんなもん)。

「ちいさい秋」の碑。左の茶色いポールの上にセンサーが付いている。
「ちいさい秋」の碑。左の茶色いポールの上にセンサーが付いている。
最初の二つ、「小さい秋みつけた」と「月の砂漠」は音が鳴ってしまった。あとは、いかにセンサーの感知範囲を避けて通るか、あるいは感知される以前にサッと通り過ぎるかを楽しみながら(なんか違う気もするが)通過する。最後、白鷺山の山頂に当たるところには「七つの子」。

「七つの子」の碑。
「七つの子」の碑。
その碑の背後の植え込みに隠れるように、日山四等三角点(121.17m)があった。その手前に小さな展望台があり、たつの市街や揖保川のほか、背後の的場山を振り返るのに良い。改めて振り返ると、いかに急な斜面だったかが見て取れる。

白鷺山山頂の展望台。
白鷺山山頂の展望台。
展望台から的場山を振り返る。どれだけ急な斜面を降りてきたんだ…。
展望台から的場山を振り返る。どれだけ急な斜面を降りてきたんだ…。
展望台から南の眺め。揖保川が光っている。
展望台から南の眺め。揖保川が光っている。
山頂からまっすぐ進んだ先にも、もっと大きな展望台が設置されているが、こちらからは的場山は見えない。

山頂西の展望台。
山頂西の展望台。
そのまま下ると、国民宿舎赤とんぼ荘の前に出る。

国民宿舎赤とんぼ荘。
国民宿舎赤とんぼ荘。
赤とんぼ荘側の「童謡の小径」ゲート。
赤とんぼ荘側の「童謡の小径」ゲート。
日帰り入浴でもやっていて(さらにそのあと送迎バスで送って)くれれば好都合だったのだが、それはない。展望レストランが売りのようだった。宿舎の前から左に、車道を下る。途中右に下る階段があり、これをとる。そこで鹿が飛び出してきた。この下は動物園だが、こいつは野生だよな? 鹿は5メートルほど離れたところで振り返り、じっと動かなかった。写真を一枚撮って、そのまま下る。

ここから下ろうとしたら…
ここから下ろうとしたら…
鹿が現れた。
鹿が現れた。
動物園の中に下る。
動物園の中に下る。
孔雀やウサギやモルモットがいた。
孔雀やウサギやモルモットがいた。
動物園の中を通って下の道路に出る。

途中左手の道脇に、「赤とんぼの碑」がある。ここにもセンサーが仕掛けられていそうだったので、慎重に避ける。なんかミッション・インポシブルな気分だ。

赤とんぼの碑。
赤とんぼの碑。
再び旧市街を通って歩く。公民館も、図書館も、新しく作られたものだろうが、しっかり周囲との調和を考えてデザインされている。

たつの市公民館。
たつの市公民館。
その向かい、付属する駐車場と公衆トイレ。
その向かい、付属する駐車場と公衆トイレ。
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たつの市立図書館。
たつの市立図書館。
途中、鶏籠山が見えた。
途中、鶏籠山が見えた。
全体に、とても落ち着いた、閑静な街だ。今回、山歩きが目的だったからあまりじっくり見る余裕はなかったが、街歩きだけのために訪れても、なかなか充実した一日が過ごせるのではないだろうか。日本の街の中では、景観デザインがかなり上手くいっている例ではないかと思われる。「播磨の小京都」というのも決して僭称ではない。もちろん山も悪くない。他のガイドブックが触れていないのが不思議だ。

例の信用金庫のところで朝来た道に合流し(この近くで醤油まんじゅうを買って帰るつもりだったが忘れた)、対岸の巨大な醤油工場のレンガ色の外壁が夕日に照らされているのを眺めながら、橋を渡る。橋の下の広い河原には、ススキの穂がどこまでも輝いている。

橋の対岸の醤油工場。
橋の対岸の醤油工場。
橋の下の揖保川の流れ。
橋の下の揖保川の流れ。
河原のススキ。
河原のススキ。
駅から改めて振り返る鶏籠山、的場山。
駅から改めて振り返る鶏籠山、的場山。
駅まで戻って、この新しめな駅舎もまた、街に合わせて白壁とグレーの屋根で統一されていることに気づく。

トコたつウォーク:たつの市公式観光アプリ

高森山・四国山

なんばで南海に乗り換え、サザン5号でみさき公園駅へ。この特急が面白い。前4両は座席指定でクロスシート、後ろ4両は自由席でロングシートのフツーの通勤車両。どうせ自由席ならできるだけ多くの客を運べた方がいいので、合理的と言えるのかもしれない。9:04みさき公園着。

みさき公園駅前、みさき公園入り口。
みさき公園駅前、みさき公園入り口。
実物大?のナウマン象の立つみさき公園駅前から9:22の岬町コミュニティバス(→時刻表 )で終点小島住吉に向かう。

みさき公園駅。
みさき公園駅。
みさき公園駅前のコミュニティバス停留所。
みさき公園駅前のコミュニティバス停留所。
バスは20席ほどのミニバス。みさき公園駅から30分弱、最後、樹林に囲まれた峠のようなところを過ぎると海が近づく。海べりの終点で降りたのはぼくだけだった。向こうの堤防に何人もの釣り人が見える。

小島住吉バス停。
小島住吉バス停。
遠くの堤防上に釣り人たちが見える。
遠くの堤防上に釣り人たちが見える。
高森山、四国山へ。岡弘俊己『関西日帰りの山ベスト100』が紹介しているコース。紀泉国境の山の連なりが海に落ち込む、そのどん詰まりの山だ。海から登り、海へ下ることになる。

しばらく海べりの車道を歩き、和歌山県に入る。

和歌山県に入る。
和歌山県に入る。
海べりの道路を歩く。
海べりの道路を歩く。
道沿いの食堂では、海風に喉をやられたのだろうと思われる(思わずにはいられない)年配の男が、店の人間か同席者を相手に、しゃがれた大声で何かしゃべっていた。

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報恩講寺の大きな看板がある。
報恩講寺の大きな看板がある。
ここから左の旧道へ。集落の中に入る。
ここから左の旧道へ。集落の中に入る。
クサギの花。
クサギの花。
和歌山市指定文化財 嘉永橋。
和歌山市指定文化財 嘉永橋。
ここから山の方に入ると報恩講寺。
ここから山の方に入ると報恩講寺。
報恩講寺。
報恩講寺。
報恩講寺の少し先から。右奥に見えているのが高森山。
報恩講寺の少し先から。右奥に見えているのが高森山。
報恩講寺の前を過ぎ、やがて沢沿いの山道になる。海近、南国、ジャングルだ。巨大なサトウキビみたいなのも生えている。唐突にシュロも生えている。とにかく普段歩いている山とはかなり植生が違う。

サトウキビ?
サトウキビ?
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ジャングルである。
ジャングルである。
金網の橋。すぐ先で左に分かれる道があるが、直進する。
金網の橋。すぐ先で左に分かれる道があるが、直進する。
わずかに水の流れる沢沿いの道。
わずかに水の流れる沢沿いの道。
陸軍の石標も現れる。
「七丁」の丁石。
石畳の名残。
石畳の名残。
古い石段。
古い石段。
この登路は一部には石畳や石段が残っているし、いくつか丁石も残存している。かつての陸軍による石標もある。大昔はよく歩かれた道だったのだろう。しかし近年はあまり歩かれていないようで、石がゴロゴロしている上に、なぜか土がグズグズで歩きやすくはないし、あちこちに大量の枯れ枝が堆積して踏み跡がはっきりしないところもある。だから山歩き初心者にはあまり薦められない道かもしれない。赤テープ、時に黄色のテープを頼りに進む。

テープを頼りに進む。
テープを頼りに進む。
陸軍の石標が現れる。
陸軍の石標が現れる。
乾いた谷の奥、大量の枯れ枝が溜まっているところがあって、それを右に避けると、右の小尾根に登る急斜面の道が現れた。つかまるためのロープが張られている。

右の小尾根に登る急傾斜の道。深山に抜ける道で、今日のコースではない。
右の小尾根に登る急傾斜の道。深山に抜ける道で、今日のコースではない。
その入り口に、何やら札が下がっている。既に薄れかけた文字で、「まわり道ですがこちらからも高森山へ行けます」と書かれている。はて、ということは、まわり道でない道もあるわけだ。少しだけ戻ると、先ほどの枯れ枝の山を越えたところに、高森山への手作り道標があった。この「まわり道」の方向を指す道標もあって、「深山」と書かれているが、真ん中で真っ二つに割れている。

道には大量の枯れ枝が積もっている。
道には大量の枯れ枝が積もっている。
高森山へのルートは、谷筋(水はない)をなおもしばらくまっすぐ進み、やがて左の斜面を登り始める。ここにも石段の痕跡があるが、枯れ木や土にかなり埋もれている。その登りの途中で、十匹ぐらいのスズメバチがわんわん飛んでいるところに危うく突っ込みそうになってヒヤリとした。巣があるのだろう。あわてて右に避けて進むと、そっちが正しいコースだった。

谷筋を離れてからのこの道は、北に伸びる小尾根の上に向かうかと思いきや、尾根の手前で右に、山腹の斜面を尾根と平行して登り始める。この尾根は高森山から西に伸びる尾根から派生している。道は、その本体の尾根に行き当たって、ようやく稜線に乗る。

尾根に出た。
尾根に出た。
尾根に出たところにも、「←高森山」の道標がある。手前の木にも小さな札が掛かっていて、「極楽ごくらく/ええ風や!」と書かれている。札そのものの是非はともかく、小さな鞍部になっているこの場所は、これまでにはなかった微風が吹いていて、「ええ風や」には同意せざるを得ない。では一休みするか、と思ってふと見ると、ここにも木の根方にスズメバチが三匹固まって止まっている。そそくさと立ち去る。尾根の上をたどっていくと、まもなく笹が現れる。笹原はスズメバチのテリトリーではないだろうという気がして(確かな根拠があるわけではない)、ちょっとほっとする。途中、「陸四四」と刻まれた石標が立っている。

「陸四四」の石柱。
「陸四四」の石柱。
「十六丁」。
「十六丁」。
林の中のベンチ。
林の中のベンチ。
笹原の中の丁字路。ここを左へ。
笹原の中の丁字路。ここを左へ。
笹原の中の丁字路を左にとると、まもなく高森山山頂。西側だけ切り開かれていて、紀淡海峡と淡路島が望める。なぜか「高森山」ではなく「三角山」という名の三等三角点が打たれている。284.5m。

高森山山頂。あまり広くはない。
高森山山頂。あまり広くはない。
高森山から紀淡海峡の眺め。
高森山から紀淡海峡の眺め。
高森山から先ほどの丁字路に戻り、そのまままっすぐ歩く。この辺りで、今日唯一、向こうからきた登山者に会った。大きな刈り込み鋏で左右の笹を刈りながら歩いている。地元のハイカーか、公園の管理に携わる人なのだろう。さっき多数のスズメバチを見た、と言うと、先日この先で刺されたという。

高森山からこちら、稜線の右(西)側は、「和歌山市森林公園」であるらしい。今日のコースは一部その中を通る他は、その外周をぐるっと回っていくことになる。ちなみにこの公園はネット上に心霊スポット話が多数転がっている。

和歌山市森林公園の案内図。
和歌山市森林公園の案内図。
このあたりは概ねなだらかな稜線歩きだ。ヤマモモ、ウバメガシ、ヤブツバキ、トベラ、アラカシ。下草は笹からいつのまにかウラジロになる。潅木とシダの中の道だが、標高250mあたりで南の視界が180度開ける箇所がある。

途中の眺望ポイント。
途中の眺望ポイント。
アラカシ?
アラカシ?
イノシシのヌタ場だろうか。
イノシシのヌタ場だろうか。
さらに下ると、突如短いがとんでもなく急な道になり、それを登りきった小ピークに、壊れかけた三角屋根の展望テラスがある。階段も傾きかけ、入口の階段にはトラロープが張られて、そう書かれてはいないが、一応立ち入り禁止ということらしい。

唐突な急登り。
唐突な急登り。
展望テラス。壊れている。
展望テラス。壊れている。
そこから下っていくと「山頂広場」。山頂というのは、この真上に当たるあの壊れた展望テラスのピークのことだろうか。広場はかなり広く南北に長い、ベンチやテーブルが点在する草原で、かつては好展望だったと思われる西の端には五連の東屋が建っている。

「山頂広場」西端の東屋。
「山頂広場」西端の東屋。

「山頂広場」。左奥から下りてきた。コースは右奥に折り返すように進む。
「山頂広場」。左奥から下りてきた。コースは右奥に折り返すように進む。
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「山頂広場」から、出てきた道からすぐ左に折り返すように、四国山に向かう。ちょっとした急登りがあって、その先のピークにもう一つの新しく立派な展望台があった。そこに、黒々と「四国山」と書いてある。標高240m。あれ?もう着いたか。地形図では、300mほど先の、241m基準点のあるピークのところに四国山の名が書かれている。幅広い道が続いているし、気になったので行ってみることにした。241mピークのあたりは樹林に覆われて、展望も山頂広場もなかった。

241mピーク付近。
241mピーク付近。
この先で駐車場に出るらしい。展望台のピークに引き返す。おそらくこの東西500mほどの山頂部全体が四国山で、ハイカーにとってはこのピークが頂上ということでいいのだろう。ここまでなら、ガイドブックのコースタイムにあるように、山頂広場からわずか10分だ。

展望台から友ヶ島の眺め。
展望台から友ヶ島の眺め。
『関西日帰りの山ベスト100』の2007年の旧版『関西日帰り山歩きベスト100』では「丸い展望台」と書かれているが、建て直されたらしい現在の展望台は四角い。展望台からは、360度の眺望がある。六甲は霞んでいたが、紀淡海峡に、高森山からは見えなかった友ヶ島が浮かんでいるのが見える。南の海が光っている。南東に和歌山の市街。その向こうは熊野の山地なのだろう。北側の視界の大部分を占めるのは近くの山だが、その合間に、大阪湾が見えている。

しかし四国山直下の南側は、広大な山地が削られ、平らに整地され、無数のソーラーパネルが敷き詰められている。再生可能エネルギーへの転換はいいが、何かちょっと違うのではないかという気がした。言わば60年代の感覚で推し進められている太陽光発電、という感じ。

展望台の下段に腰を下ろし、本日の山メシ。舞茸とマテ茶鶏のチーズ焼き。いつもながらの「げんさん」レシピ。

舞茸とマテ茶鶏のチーズ焼き。
舞茸とマテ茶鶏のチーズ焼き。
材料。
材料。
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下山路は、最初に登ってきた方向から言うと、展望台の手前すぐ右へ、直角に曲がって下りていく急坂から始まる。そのまま尾根の一つの上を忠実にたどっていく。途中、「冬の丘」と書かれた大きな看板がある。ところどころ、当初は眺めがよかったのだろうと思われる箇所にベンチが設置されている。今は木々が伸びて眺望はなく、ベンチそのものも傷んだり壊れたりしているものもある。

尾根筋の道。
尾根筋の道。
やがて下に車道が見え、右の谷からの道と合流してその車道に出る。山道はここまでだ。出たあたりは阿振川の流れを利用した親水公園になっているようだった。シーズンも過ぎた平日の今日は、人影はない。時々車が前から後ろから走り過ぎていく。

分かってはいたことだが、このコース、ここから先の舗装道路歩きが長い。海抜0メートルから登るにしても、300m足らずの山だから、山道自体は軽いと言えば軽いが、後半の車道歩きはやはりこたえる。森林公園の西側を限っているこの阿振川沿いの道は、かつての軍用道路だそうだ。桜並木で、花の頃はいいのかもしれない。登り口の大川側と同じく、サトウキビらしい巨大な株、下手をすると10mを越しているのではないかと思われる株があちらにもこちらにも生えている。そのほかにもクズなどの植物が繁茂し、道の左右を覆い尽くしていて、川面もほとんど目に入らないほどだ。

サトウキビ?
サトウキビ?
目立つのは、「不法投棄禁止」の警告板。そして実際、左右に、冷蔵庫や流し台やこたつやソファの残骸が姿を現す。太陽光パネルの設置のためになおも山を削っているパワーショベルも見かけた。こんな道を40分も歩くと、左手に、広い芝生が見えてくる。右手の丘の上にある休暇村に付属する園地らしい。点々とベンチが配され、中に入って休憩に使うこともできる。

休暇村の芝生園地。
休暇村の芝生園地。
それを過ぎると深山の集落が現れる。ガイドでは右の丘の上の休暇村へと登っていく車道が分かれるあたりに深山バス停があることになっているが、見当たらない。和歌山バスのサイトで路線図を見ても、それらしいバス停、路線はないから、廃止されたのだろう。

ちなみに後で知ったところでは、休暇村にも海を望む露天風呂付きの温泉ができており、日帰り入浴も受け付けている。ただし12:00〜15:50限定で、15:00札止め。この日のタイムでは、行っていればぎりぎり間に合うくらいだった。大人¥1200。ここで入浴して、送迎バスで駅まで、というのもアリだったかもしれない。

かなり車の通る車道歩きが嫌になって、集落の中の路地を通り抜ける。海べりで元の道に出ると、深山海岸の砂浜が現れる。とても短い砂浜だ。

深山海岸。
深山海岸。
車道の外側に、遊歩道が設けられている。

深山海岸の遊歩道。
深山海岸の遊歩道。
それを過ぎて、城ヶ崎の付け根の峠状の部分は元の車道に戻って越す。すると加太の浜と市街地が目に入ってくる。道路脇の歩道は側溝の蓋の上なので、歩いていて快適なものではない。

側溝の蓋の上を歩く。
側溝の蓋の上を歩く。
階段を見つけて加太海水浴場の浜に降りる。でも最初は玉石の浜で、とても歩きにくい。後半は砂浜になる。薄茶色の、とても細かい砂の浜だ。

砂浜が堤防で切れるあたりで車道に戻る。釣り船の看板が目立つ。南海加太駅は左方向だが、まっすぐ進んで道なりに右へ。少し先、堤川にかかる橋で旧道に入り、さらに右へ。淡島神社の手前、「大阪屋ひいなの湯」が現れる。

大阪屋ひいなの湯。
大阪屋ひいなの湯。
新道側=海側に回り込んで正面玄関から入る。ホテルだが、日帰り入浴もできる。タオル付きで900円。フロントで料金を払い、エレベーターで上がる。露天もある風呂は最上階の5階にある。ぬめりのある重曹泉で、こじんまりとしているが、海の眺めもいい。

露天風呂は5階にある。
露天風呂は5階にある。
温泉から出て、南海加太駅まで、昭和の香りを味わいながら、20分ほど歩く。

昭和の香り1。
昭和の香り1。
昭和の香り2。
昭和の香り2。
これは大正元年ごろの洋館。最初は警察署だったらしい。
これは大正元年ごろの洋館。最初は警察署だったらしい。
加太駅であらかじめ特急指定券を買い、和歌山市駅でサザンに乗り換えて、難波に戻る。

南海 加太駅。
南海 加太駅。
こんなところにドイツ。(加太駅)
こんなところにドイツ。(加太駅)
というわけで、「ひいなの湯」は悪くないし、四国山からの展望も印象的だし、特に山から海へという点で関西では貴重なこのコース(例えば六甲から海に下りても「浜」はどこにもない)だが、車道歩きは長いし、スズメバチはいるし、登路はわかりにくいところもあるし、不法投棄のゴミは目に入るし、関西の低山を歩き尽くしたので目先を変えてみたいという人以外には薦めない。

二上山雄岳

天候不順や雑務や体調不良で一ヶ月半も山歩きに行けなかった。珍しく(無駄な)会議のない水曜日、リハビリに、標高差も歩行距離も小さめの二上山雄岳へ。

…と似たようなことを言って二月にも二上山雌岳に行ったが、下りにとったダイトレコースでヒイヒイいって、屯鶴峯ではルートが分からずさまよい歩き、えらい目に遭った。さて今回はどうか。

前回は当麻寺から雌岳に登ったので、今回は二上神社口から歩き出し、雄岳に登る。その後はダイトレ道のかわりに西へ下り、太子温泉に浸かってからバスで上ノ太子駅か喜志駅に出ようというプラン。基本的に、加藤芳樹『関西周辺週末の山登りベスト120』が紹介しているコースだ。ただしガイドでは、最後、上ノ太子駅まで歩くことになっているし、太子温泉への言及はない。

二上神社口駅から見る二上山。
二上神社口駅から見る二上山。
二上神社口からまっすぐ西に向かう。天羽雷命あめのはいかずちのみこと神社(加守かもり神社)の脇から登山道が始まる。

天羽雷命神社。
天羽雷命神社。
最初はコンクリート舗装だが、すぐに地道になり、二重のイノシシ除けゲートを開けて進むと、やがて丸太階段も現れる。

神社脇からの道。奥にゲートが見える。
神社脇からの道。奥にゲートが見える。
丸太階段。
丸太階段。
二千万年前の火山活動によって形成されたという二上山はそれなりに急峻だ。ブランクがあったし、昨晩は少し飲み過ぎたので、調子が上がらないことは想定内。ゆっくりのんびり登る。

周囲は植林地だが、道沿いには帯状に自然林が残されていて、雰囲気は悪くない。やがて気づかぬうちに植林は消える。

こちらのコースには、この二上神社口駅から以外に、一つ手前の駅、二上山駅から入るアプローチもある。その二上山駅からの道が合するところは小さな広場になっていて、ベンチが5つ設置されている。ちょうど山頂までの中間点。そこで10分近くも休みを入れ、また歩き出す。

二上山駅からの道との合流点。ベンチがある。
二上山駅からの道との合流点。ベンチがある。
この上がまた少し急登りになっていて、途中、鉄階段もある。

鉄階段。
鉄階段。
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山頂に連なる尾根に乗ると、木の間越しに葛木・金剛の山塊が見えるようになる。最後、石垣が目に入ってくると山頂。517m。大津皇子の墓所とされている場所だ。

伝大津皇子墓。
伝大津皇子墓。
雄岳の山頂部は東西に細長く、東端にあるのがこの墓所。真ん中に葛木坐二上神社があり、西端の木立の中に雄岳山頂の標識がある。

葛木坐二上神社。
葛木坐二上神社。
雄岳山頂。
雄岳山頂。

うつそみの人なるわれや明日よりは 二上山ふたかみやまいろせが見む(万葉集巻第二、大津皇子の姉大来皇女が二上山への移葬に際して歌ったとされる)

雄岳は木立のため眺望はない。やはり休憩には雌岳の方がいいと思い、雄岳山頂はさっさと通過して、馬の背に、標高差70mあまりを下る。大きく立派な木製階段が設置されている部分もある。いったいに二上山の本体部分の道はとてもよく整備されている。ところがちょっとその周囲に外れるととんでもない罠が待ち受けている…。

立派な木製階段。
立派な木製階段。
馬の背から雌岳山頂へは、男坂と女坂がある。そう呼ばれているかどうか知らないが、よくあるように、一直線に登る急な道と、途中から回り込むようにして緩やかに登っていく道があるのだ。

雌岳の登り。右に女坂が分かれる。
雌岳の登り。右に女坂が分かれる。
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女坂を通り、山頂へ。雄岳より40mあまり低いが広い雌岳山頂では、幼稚園児の団体が元気に走り回っていた。東側のベンチの一つに陣取り、奈良盆地を挟んだ東の高見山地と、南の大和葛城山、金剛山の山並みを眺めながら、本日の山メシ、マロンリゾット。『シェルパ齋藤の元祖ワンバーナークッキング』のレシピ。今までにも何回かやったことがあるが、今回はわりと美味かった。味の決め手になるのは玉ねぎスープなので、今回使ったアスザックフーズのフリーズドライ『あめ色玉ねぎのスープ』がよかったのかもしれない。もう一つ、とろけるチーズはスライスタイプのプロセスチーズではなく、一応ナチュラルチーズということになっている小袋を使ったのもポイントかもしれない。

マロンリゾット。遠景は葛城山・金剛山。
マロンリゾット。遠景は葛城山・金剛山。
材料。
材料。
馬の背に向かって再び下り、途中、左にとって下ると、ダイトレ分岐の少し先の展望台に出た。黄色く塗られた円形の建造物で、景観的にはナンだが、この上からの西の眺めは確かに悪くなかった。南の葛木・金剛も見える。

展望台。
展望台。
展望台から南西の眺め。
展望台から南西の眺め。
雌岳中腹の周回路。
雌岳中腹の周回路。
そこから下ると中腹の周回路。雌岳南側の岩屋に向かう道だが、途中の道標から右に、鹿谷寺ろくたんじ跡への道に入る。途中、露岩の下りもあって、ちょっとした変化が楽しめる。

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露岩の下り。
露岩の下り。
鹿谷寺跡は石造りの十三重塔が立ち、磨崖仏のある小さな広場。8世紀の石窟寺院の跡だという。

鹿谷寺跡。
鹿谷寺跡。
その先に「展望台」という道標があったので行ってみた。小尾根の先端のピークで、西側が開けるが、むしろ雌岳を振り返るのにいいスポットだ。

鹿谷寺跡の「展望台」。
鹿谷寺跡の「展望台」。
雌岳を振り返る。
雌岳を振り返る。
鹿谷寺跡に戻り、北に下る。舗装路が現れ、小さな薄汚い水道施設のような建物が現れる。それを過ぎると薄汚れた休憩用の東屋があり、その手前から右に、「ろくわたりの道」が分岐している。

「ろくわたりの道」はここから右に登る。
「ろくわたりの道」はここから右に登る。
そのまま下ればすぐに国道166号線に出るはずで、そちらを通る設定になっているガイドも多いが、『関西周辺週末の山登りベスト120』が指示する通り、「ろくわたりの道」を行くことにする。「ろくわたりの道」を行くということは、ここでまた登りになるということだ。湿った谷を詰め、小さな尾根に乗る。

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あまり多くの人が歩く道ではないようで、道幅は狭く、少し草のかぶる部分もある。しかし要所要所にやけに立派な道標が立っている。鉄塔手前で左の山腹に下り、一つ南の尾根に移る。尾根の先はザレになっていて、展望が開けている。

狂い咲き?
狂い咲き?
ここの木に、柿のような実が六、七個、付いていた。木の葉はどう見ても柿ではない。何だろうと思ってよくよく見ると、やはり柿の実だった。それが、木の枝に突き刺されているのだ。モズが干し柿を作っているのだろうか? 謎だ。

モズさんの干し柿??
モズさんの干し柿??
そこからは黒いコンクリート擬木の急な階段で、南阪奈道路を目指して下って行く。

南阪奈道路をくぐる。
南阪奈道路をくぐる。
道路の下のトンネルをくぐり、山腹の水路に沿った細い道をたどり、イノシシよけのゲートを出ると、田園地帯になる。

水路に沿った道を辿り、
水路に沿った道を辿り、
田園へ。
田園へ。
「ろくわたりの道」はここまで。国道166号線の車道歩きは避けられるとはいえ、あえてこの道を歩く意味はあるかというと、微妙なところだ。

ここに、竹内街道歴史資料館へという道標がある。が、その先道標は一切ない。農道をゆるゆると登って歩いて行くと、トラックの通行の多い道路に出る。横断して、反対側の農道に入る。

車道を渡って反対の農道入り口。
車道を渡って反対の農道入り口。
この入り口に、なんだか大仰な警告看板が立っている。「『農道』につき/一般車両の通行を禁じます/尚、進入され事故等が発生した場合一切の責任を負いません/鹿向谷道路委員会」いったいどんな危険な道なのか。行ってみて分かった。一応舗装されているが、途中からは全く使われていないようで、道はどんどん狭まり、人の背丈よりも高い雑草が覆いかぶさって、ほとんど路面も見えないほどになっている。

これが「農道」の真ん中。
これが「農道」の真ん中。
ここに車が突っ込んだら、場合によってはエンコするか路肩に脱輪するかもしれない。半端でない量の雑草ををかき分けかき分け進んで行くと、再び民家が現れ、薄茶色の歴史資料館の建物も姿を現した。

竹内街道歴史資料館。
竹内街道歴史資料館。
ふと見ると、ズボンや袖に、ヤブハギやセンダングサの種がいっぱいに貼り付いていた。歴史資料館の前で、五分ほどもかかったろうか、ひっつき虫どもを引き剥がす。

農道からの土産。
農道からの土産。
せっかくだから資料館を見ていこうと入ろうとした瞬間、中から高校生の集団がどやどやと出てきた。よくあれだけの人数が入っていたものだ。こじんまりとしたミュージアム。入館料¥200。途中までしか見なかったが、「竹内街道タイムトラベル」というオーディオヴィジュアルは、なかなかよくできていた。

和を以て貴しと為す汚水。
和を以て貴しと為す汚水。
竹内たけのうち街道は、最古の国道だと言われる。難波にやって来た大陸の文物が、この道を通って飛鳥に運ばれたのだ。瓦屋根の上に茅葺がかぶさった旧山本家住宅のような歴史的な建物も多く残されている。御多分に洩れず、新しめの住宅も混じってはいるが、全体として落ち着いた雰囲気を残している。山中渓の「石畳の道」よりはずっとマシだ。

旧山本家住宅。
旧山本家住宅。
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孝徳天皇陵の入り口を見て歩いて行くと、十字路があり、そこを右にとれば太子温泉。十字路に看板も出ている。だがその看板をよくよく見ると…。

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「毎月第三水曜定休」。よりによって今日がその日ではないか! 週に一度ならともかく、月に一度の休業日にドンピシャとは…。いやまあ事前調査の詰めが甘かっただけのことである。右折はやめ、ガックリと肩を落として、まっすぐ歩き続ける。スーパーなどもある市街地に出る。六枚橋バス停の場所はよく分からなかったのだが、適当に歩いていったら行き当たった。ちょうどバス(金剛バスだから乗り換え案内の類には出てこない)が来たので、喜志駅へ。近鉄で大阪阿部野橋に戻って帰宅。

喜志駅から振り返る二上山。
喜志駅から振り返る二上山。
やっぱりどうも、二上山は山を下りた辺りからが相性が悪い。二上山を決して甘くみてはいけない。降りてからが危ない。

前回のルート(ブルーグレイ)と今回のルート(緑)。
前回のルート(ブルーグレイ)と今回のルート(緑)。

野坂岳 (913m)

9月初めの金曜日、伊吹山へ行こうか木曽駒ケ岳に行こうか迷って野坂岳にした(何でだよ)。

関西百名山の一つ。敦賀三山の代表で、別名敦賀富士。通常の区分では「北陸」だし、「関西の山ベスト〜」の類にはあまり収録されないが、『関西百名山地図帳』と『関西周辺の山ベストコース250』には載っている。大阪6:30発の「サンダーバード1号」に乗れば、敦賀7:57着で、悠々日帰り圏内。自由席もガラガラだった。

敦賀駅のベンチには恐竜が座っていた。

敦賀駅。
敦賀駅。

西に大きく野坂岳が見えている。ここから8:15の小浜線に乗り継いで粟野から歩き出せばいいのだが、敦賀駅前からタクシーを奮発(死語か?)する。¥2,890。女性の運転手さんで、ン十年敦賀に住んでいるが、野坂岳には登ったことがないという。

8:30頃、「野坂いこいの森キャンプ場」奥の登山口の駐車場で降ろしてもらう。粟野から歩いていれば、ここまで車道歩き40分だ。全体で一時間ほどのアプローチ時間短縮。

登山口からはキャンプサイトの脇を、まっすぐな舗装された道が、相当な急傾斜で登っている。

登山口。
登山口。

それが途切れるあたりの左に、野鳥観察用の小屋があり、その前には「クマ注意!」という黄色地に朱書の看板が立っている。念のためリュックに下げた鈴をチリンチリン鳴らしながら行くことにする。その先の道は小石のゴロゴロする林道状になって続くが、相変わらずかなりの急坂だ。

林道状の急坂。
林道状の急坂。

登山口の駐車場には3、4台の車が止まっていたが、その一台からちょうど降りて身支度をしていた年配の女性は、とっとと歩いてあっという間に姿が見えなくなった。と思ったらこの後、こちらがまだ一の岳手前をヒイヒイ言いながら登っていたあたりでもう下ってきた。健脚ですねえと声をかけたら、地元の方で、しょっちゅう登っているとのこと。

息を切らせながらしばらく行くと沢を渡って右岸に移る。

沢を渡る。
沢を渡る。

少しの間、道は沢よりも高いところを通る。

右岸の道。
右岸の道。

やがて再び沢に近づき、左岸沿いに登るようになる。この谷筋も、マツカゼソウが多い。ちょうど小さな白い花をつけはじめたところだった。

ここで再び左岸へ。
ここで再び左岸へ。
マツカゼソウ。
マツカゼソウ。

休み休み登り、まだまだかなあと思っていると、思いがけずあっさりトチノキ地蔵に着いた。

トチノキ地蔵。
トチノキ地蔵。

お地蔵さんは沢の右側にあって、まわりをトリカブトが取り囲み、長い花梗にふさのように薄紫の花をいっぱいに付けている。背後にはあまり大きくはないトチノキらしい木が一本生えている。お地蔵さんの下の岩間からは、清水が流れ出している。敦賀の名水。

トリカブト。
トリカブト。
お地蔵さん。
お地蔵さん。

青葉山ぐらいしか知らないのだが、このあたりの山は、標高は低くても、冬に雪の多い気候のせいか、普段歩いている同じくらいの標高の太平洋側の山と違って、植生とか空気とか水とか、どことなくもっと高山のような、凛としたものを、少しだが感じる。それが嬉しい。

清冽な沢を渡って、最近設置されたとおぼしい数段の金属の階段を上がり、沢を離れて尾根へ向かって斜上する。

沢を離れて登る。
沢を離れて登る。
北側、敦賀湾と西方ガ岳の展望が開ける所がある。
北側、敦賀湾と西方ガ岳の展望が開ける所がある。

道はジグザグに進んで、標高550mでようやく尾根に乗る。そこはちょっとした広場になっていて、腰を下ろすのに手頃な石が二つ。その脇から真横に伸びてから上に生い立ったヤマボウシが一本。

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その先、尾根通しの踏み跡もあるが、メインの登山道は尾根のやや北寄りを登っては折り返して尾根に乗り、というラインを繰り返す。

ここまでの間に、おそらく地元の、早朝登山の人たちが5、6人下っていった。

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道が修復されて、短い区間ロープが張られたところを過ぎると、行者岩分岐。

行者岩へは、まず水平に進む。この辺り、冬に雪深い山によく見られるように、木々は雪に横向きに押し倒されては伸び上がるように生育しており、そうした木々の下をくぐるように進むことになる。ほんの数十メートル行くと、道は突如左に、急斜面の窪の岩登りになる。僅かな距離、岩根や灌木につかまりながらよじ登ると行者岩。狭いが、眺めはいい。

行者岩への登り。
行者岩への登り。

分岐に戻り、もう一度尾根上の小さな広場があり、さらに登ると「一ノ岳」の標識のある展望地。山頂ではないが、登山道はこの背後の一ノ岳山頂は通らない。ちょうどいいところのちょうどいい休憩ポイントで、ありがたい。石の祠とベンチがあり、一段下は小さな芝生の広場になっている。北東の眺めが開けている。

「一の岳」
「一の岳」

さらにジグザグにひと登りすると稜線に乗り、道も平坦な部分が多くなってくる。ニノ岳の標識も、ピークの上にはなく、かすかな鞍部のようなところに立っている。

「二の岳」
「二の岳」
ブナ林。
ブナ林。

あたりはいい感じのブナ林になる。三の岳の標識が立っているところもあまり顕著なピークではないが、尾根が屈曲するところで、木の間越しに野坂岳の山頂がすぐそこに見える。実際、もう一踏ん張りで避難小屋、そのすぐ先が山頂。

避難小屋。
避難小屋。

避難小屋はしっかりした作りの板の間で、隅に祠が安置されている。そう言えば、登山口の案内看板には、「野坂嶽権現像は麓の高庄山宗福寺の境内にある権現堂に安置されており山開きの日には山頂に祀ります」とあった。山麓から権現像を担ぎ上げ、避難小屋の中のお堂を山頂に移して、その中にお祀りするのだろうか。

避難小屋の中の祠。
避難小屋の中の祠。
野坂岳一等三角点。
野坂岳一等三角点。

山頂は丸い芝生の広場になっていて、かなりの広さがある。360度の展望だが、今日は少々靄がかかっている。ちょうど来合せた地元の方のお話では、武奈ヶ岳、青葉山、伊吹山など、普段なら見えるはずの山が見えないという。もう少し寒くなると、白山もくっきり見えるそうだ。それでも、敦賀三山のあと二つ、西方ガ岳と岩籠山はもちろん、西には横山岳と金糞岳が、南にはこの野坂山地に連なる三国山と赤坂山がはっきり見えているし、もちろん入り組んだ敦賀湾の見晴らしもいい。周囲の山々を記した単なる地図タイプの展望案内板と、一等三角点がある。

野坂岳山頂から南。中央の遠くにとんがっているのが三国山。その右に一段低くポチッと尖っているのが赤坂山。
野坂岳山頂から南。中央の遠くにとんがっているのが三国山。その右に一段低くポチッと尖っているのが赤坂山。
野坂岳山頂から東。やや右寄り奥が金糞岳。その左手前が横山岳。
野坂岳山頂から東。やや右寄り奥が金糞岳。その左手前が横山岳。
野坂岳山頂から北。敦賀湾と西方ガ岳(左)。
野坂岳山頂から北。敦賀湾と西方ガ岳(左)。

東風がびゅうびゅう吹いていたので、わずかに西よりに陣取り、本日の山メシ。豚角煮のネギもみじ。失敗。『山登りABC 山のおつまみ』のレシピなのだが、コンビニパックの角煮とうずらの卵を鍋に入れ、白ネギを散らして煮込み、もみじおろしをかけて完成…のはずが、入れたのはもみじおろしではなく「もみじおろしの素」であった。ラベルには黒々と「もみじおろし」と書かれていたのだが、小さな字の「名称」の欄をよくよく見ると、「もみじおろしの素」とあった。つまり大根おろしと和えなければいけなかったのだ。そうと知っていれば、フリーズドライの大根おろし(そういうものもあるのだ)も持参したのに。要するに単なる液体唐辛子。つまりは大根おろし抜きのもみじおろしを加えてしまった料理は、予期したのとは微妙に違う味になり、まあ食べられないことはなかったけれど、最後、スープを飲み干すのに少々難儀した。

豚の角煮ネギもみじ。のはずだったもの。
豚の角煮ネギもみじ。のはずだったもの。
その材料。
その材料。

食後、今一度四囲の眺めを楽しみ、下りにかかる。往路を戻る。途中、ヤマボウシの実を摘んで口に入れる。見た目ちょっとゴツゴツした赤い実は、さっぱりした甘さがある。

名残のホツツジ。
名残のホツツジ。
イワヒゲ。
イワヒゲ。
下山途中、北の眺め。
下山途中、北の眺め。
カタバミ。
カタバミ。
ヤマボウシの実。これが食べられることは案外知られていない。
ヤマボウシの実。これが食べられることは案外知られていない。
ミゾホオズキ。
ミゾホオズキ。

一ノ岳で再び休憩。一ノ岳からの尾根道は、尾根通しの踏み跡を辿って少し短縮。トチノキ地蔵の水場でプラティバスに水を汲む。

登山口のキャンプ場から、今度は粟野駅まで歩く。車道歩きだが、最初の「野坂憩いの森」施設内は、車道がS字に回り込んでいる部分にショートカットになるような道がついている。立派なトイレのある第一駐車場からは車道歩き。

車道が舞鶴道をくぐる直前、沢沿いにもう一つ高速をくぐるトンネルがあり、そこから粟野駅への近道がないか入ってみた。トンネルの向こうで舗装道路は高速の側道になって東に向かっている。まっすぐ下る地道があったが、すぐ先で草がかぶっており、これを突き進むのはリスクが大きそうだと思っておとなしく引き返す。ひたすら車道にしたがって西からぐるりと回りこみ、線路をくぐるトンネルも抜けた先で右に坂を登ると粟野駅。15:00着。

粟野駅。
粟野駅。

駅前には自販機のほか何もない無人駅だが、まだ新しいログハウス風のすっきりと洒落た駅舎で、立派なトイレと待合室からなっている。隅にはやはり「平成15年度 電源立地特別交付金」というプレートがあった。

15:21の2両編成のワンマンカーで敦賀に戻る。一旦外に出て、土産物の売店などウロウロ見ていたら(羽二重餅と鯛寿司・鱒寿司を購入)、サンダーバードを一本逃し、一時間待つハメに。16:42のサンダーバード32号で大阪に。帰りの自由席は一杯で、かろうじて座ることができた。

敦賀駅のホームから野坂岳を振り返る。
敦賀駅のホームから野坂岳を振り返る。

芦屋川地獄谷から荒地山黒岩へ

芦屋川地獄谷へ久しぶりに。昨年11月以来。風吹岩のあたりに出たら、まだあまりよく知らない奥高座のほうを歩いてみようと、当初から目論んでいた。

イノシシに注意!!
イノシシに注意!!

高座の滝のところに、こんな掲示があった。イノシシで凶暴化している個体があって、風吹岩付近で襲われる人が相次いでいるという。僕の知人も、あまり経験のない初心者だが、昨年末、雨ヶ峠付近でやられている。多分同じイノシシだろう。今日も途中の林の中で、散乱している登山客の荷物を見た。そのイノシシの仕業に違いない。とっとと牡丹鍋にしてしまえば、と思うのは素人考えか。

地獄谷は、10か月前に比べても崩落が進んでいる気がした。四、五年前までは安定していたのに、その後どんどん崩れてきていて不思議だ。ゲートロックは崩壊し、入渓点はガラガラの岩の堆積になっている。

入渓点。以前はここから美しい小滝だった。
入渓点。以前はここから美しい小滝だった。

一つ一つの滝はあまり姿を変えてはいないが、それぞれの間の沢床は、落ちてきた岩で様子が変わっている。

ashiyajigokudani - 3 ashiyajigokudani - 4 ashiyajigokudani - 5 ashiyajigokudani - 6 ashiyajigokudani - 7 ashiyajigokudani - 8 ashiyajigokudani - 9 ashiyajigokudani - 10 ashiyajigokudani - 11

こういう崩落は、いつ起こっているのだろう? 歩いている間に岩が落ちてきたらヤだな、せめてヘルメットぐらいかぶって行くべきかななどと思いつつ、結局丸腰、いや丸頭のままで出かける。他にも多くの人が、何も変わらぬ様子でこの沢に入っている。イノシシの件と違って、どこかが警告を出しているというニュースも、僕が知らないだけかもしれないが、見かけない。

小便滝
小便滝

小便滝の上、唯一の砂防ダムを越えたところからの上流部は、ほとんど無傷のままだ。両岸にシダの茂るナメ滝も、二段の大滝も、変わりはないように見える。

上流部最初の滝。
上流部最初の滝。
二段の大滝。
二段の大滝。

最後、魚屋道に出る本谷を左に分け、まっすぐ風吹岩への急斜面を登る。上述の、イノシシによる荷物の散乱を見たのは、ここで風吹岩に出る直前の林の中だ。風吹岩でのエモノを、ここまで引きずってきて、鼻先で中身をあらためたのだろう。

今日の風吹岩には、人とネコしかいなかった。リュックを地面に下ろさず、高圧線鉄塔の脚に引っ掛けている人がいた。イノシシ対策の一方法だろう。

上空は曇り気味ではあったけれど、この時期にしては視界も良好で、生駒、二上山、大和葛城山、金剛山、岩湧山のラインも、淡路島方面も、くっきり見えていた。

風吹岩から、今日の目的地、黒岩に向かう。少しロックガーデン主稜を戻って、荒地山第二堰堤の上に下り、沢に沿って登っていくことも考えていたが、逆に「銀座通り」を北に向かい、途中で右に、なかみ山、荒地山へのコースに入る。その先すぐに右に向かう踏み跡に入ってみる。適当に進むと高座谷源頭部に下り、それからどうやら重ね岩に向かって登る道になった。「銀座通り」の途中の重ね岩からここに直接下りてくればよかったか。重ね岩直前で左にとると、重ね岩東の小尾根を通り、標高400mぐらいで改めて高座谷に下りた。対岸を登り返すと左岸通しの道に出て、それを左に辿り、右方向に急斜面の岩の道を息を切らせながら登ると、黒岩に着いた。

確かにここはいい。標高500mほど。荒地山の南に突き出した小尾根の突端に当たる所に巨石が折り重なっており、その真ん中に松の木が生えて、亭々と枝を広げ、恰好の日陰を作ってくれている。突き出した小尾根の先だから、眺望は180度以上のパノラマだ。風吹岩以上に、吹き過ぎる風も眺めも気持ちがいい。

黒岩から東の眺め。
黒岩から東の眺め。
黒岩の松。
黒岩の松。

おそらくこの場所を知る人は少なくない。けれどもガイドブックや雑誌記事に大っぴらに書かれることはまずない。知人に連れて行ってもらった「秘密の場所」なんて名前で出てくることはママある。奥高座のこのあたり、迷路のように網目のように道が走っている。そうした道も、ほとんどは単なる踏み跡の域を越えた、きわめて明瞭なトレイルだ。それだけ(少なくとも延べ人数にして)多くの人が歩いているということだ。それでもガイドブックにはならない。あるいは載らない。このあたりを好んで歩き回っている人の頭の中にだけ、地図が存在する感じだ。僕も追い追い脳内地図を作っていきたい。あたりの地図をネットで公開してくださっている方もあるのだが、高低も分からない道のラインと、要所要所のスポット名が記されているだけだ。知る人は少なくなくても、あくまでも「知る人ぞ知る」スポットなのだ。黒岩は、決して広いスペースではないから、10人もいたらいっぱいになる。丹生山系とはまた違った意味で、とてもデリケートな地域なのだ。実際、このとき黒岩にいたのは6人ほど。あとからポツリポツリと、ソロ登山者が背後から現れては、あーこんなに人がいるのか、仕方ない、今日はここで休むのはやめておくか、という感じで立ち去っていく。

黒岩での本日の山メシは、「げんさん」レシピを少しだけアレンジした「すだちぶっかけそうめん」。前の晩にそうめんを茹でて冷凍しておいて持参。程よく自然解凍したところに、かけ汁をかけ、ツナ缶、オクラ、ミョウガ、シソ、トマトをのせるだけ。火を使わず、山で茹で汁を処理する必要もないのがミソ。山で茹で汁を捨てるわけにはいかない。水を少なめにして茹でて飛ばせば捨てずに済むが、ネットリ感は残る。それが気にならないほどスダチのスライスをぶち込むレシピも秀逸だったが、あらかじめ茹でておくこのレシピも、日帰りか初日限定だが、なかなかのアイディアだと思う。

すだちぶっかけそうめん
すだちぶっかけそうめん

黒岩で一時間以上もまったりと過ごした後、登ってきた急坂を下り、高座谷に沿った道を行く。左岸、右岸、第二堰堤を越えて左岸、荒地山堰堤を過ぎたあたりから先、左岸通しの道しか歩いたことがなかったが、右岸に移る。途中、小滝と不動明王像を見て、

不動明王。
不動明王。

ロックガーデン主稜の末端に合流する。

ロックガーデン主稜に出たところからの眺め。
ロックガーデン主稜に出たところからの眺め。

今朝たどった地獄谷を右に見下ろして、高座の滝へと戻り着く。

追記:ふと思い出して「六甲山系アラカルート」さんのところを覗いたら、奥高座に関しても詳細な地図とルート紹介があった。今まで六甲の他の部分に関しては散々お世話になっていたのに、奥高座に関してだけはなぜかこのサイトをチェックしていなかった。この機会に、この大変な労作に感謝を表しておきたい。
と同時に、こうした情報があっても、奥高座の「知る人ぞ知る」という色合いには変わりがないものと考える。

剣山 (1955m)

剣山に行った。4年ぶり4回目。家族の行楽で、いつも夏。いつも車で出かけて見ノ越手前の「ラフォーレ剣山」に泊まり、翌朝リフトで西島まで上がってしまい、それから上を歩き回って、宿に戻ってもう一泊、3日目に山麓のあちこちを観光して帰るというパターン。百名山の一つに名を連ねるに恥じない、大きな山、美しい山、花の山、眺望の山だが、百名山の中でも最も手軽に登れる山となっている。

「ラフォーレ剣山」はかつての国民宿舎。夫婦池の雄池のほとり、丸笹山の登山口にある。標高1400mで、真夏でも涼しい。管理されるご夫婦のもてなしは暖かい。食事はたっぷりしているし、外の草花や山を見ながら入れる大きなガラス張りの浴室も気持ち良い。山歩きの昼食用の弁当の依頼もできる。

夫婦池雄池にラフォーレ剣山から下る道。
夫婦池雄池にラフォーレ剣山から下る道。
夫婦池雄池。
夫婦池雄池。

天候に恵まれ、一回目と三回目は剣山山頂から次郎笈まで行った。二回目は悪天候で、雨の中を大剣神社まで歩いて撤退。今回は、霧の中、行場道をまず一ノ森へ、そこから剣山に登り返して戻ってきた。剣山から東に延びる尾根の上の顕著なピークが一ノ森であり、南西〜西へ延びて三嶺みうねまでいたる尾根の最初の顕著なピークが次郎笈だ。どちらも剣山から1.5kmほどの距離にある。

次郎笈じろうぎゅうコース

まず以前に2回歩いている(と言っても2回目ももう4年前のことだが)おそらく最もポピュラーなコースについて記しておきたい。リフト終点の西島から刀掛けの松を通り、灌木の中を最短コース(尾根道コース)で剣山山頂に向かう。剣山から次郎笈までの笹原の吊り尾根歩きは爽快な大展望が魅力だ。その展望を楽しむためには天気がよくなければならないし、天気がよければ、日陰はまったくないから、紫外線対策と、じゅうぶんな水分の持参が必要だ。

tsurugi2012 - 1
剣山から次郎笈への道。前方の山が次郎笈。

次郎笈 (1930m) の山頂直下まで、笹原とコメツツジの道だ。その山頂も、眺望がよく、殊にこちらから眺める剣山は美しい。山頂に少々アブが多く煩いが、人をやたらに刺す類ではない。

復路は元の道を下ってもいいが、西に三嶺に向かう急坂(上の写真の右側の稜線)を下り、途中で右に、次郎笈の北西の山腹を横断する道(画像の右斜面に見えている水平道)に入って次郎笈峠まで戻る。その途中に吹き出す水場の水は、もしかすると剣山の御神水より冷たく美味しい。

次郎笈峠から吊り尾根を戻り、剣山に向かって少し登り返したところで左に、今度は剣山の西面を巻く樹林の道(遊歩道コース)に入ると、30分ほどで西島駅。(ただし御神水下から西島への水平道は現在通行止め。これについては後述。)

一ノ森コース

今回はほとんどずっと霧の中だった。今回の道は、リフト終点から剣山に直上する尾根道を途中まで登り、刀掛けの松から北東側山腹の行場道に入る。行場付近は何本かの道がある。最初の分岐はどちらをとってもいい。左に下る道を行くと、キレンゲショウマの群落があるらしいが、今回は右に、一ノ森への道標に従って進む。キレンゲショウマ以外にもカニコウモリやサラシナショウマの群生地、その他様々な植物が見られ、展望を旨とする次郎笈への道と違って、霧の中でもむしろ楽しめる。今回はパスしたが、途中の行場巡りも面白そうだ。

ヤマハハコ。
ヤマハハコ。
オトギリソウ。ちょっとピンボケ。
オトギリソウ。ちょっとピンボケ。

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オタカラコウの群落。
オタカラコウの群落。
カニコウモリの群落。
カニコウモリの群落。
ミゾホオズキ。
ミゾホオズキ。
シコクブシ(トリカブト)。
シコクブシ(トリカブト)。
シコクフウロ。散りかけている。
シコクフウロヒメフウロ。散りかけている。

苔むした巨木の多い樹林の道で、不動の岩屋を右上に見て進むと、古剣谷源頭部の流れの脇にもキレンゲショウマが群生している。キレンゲショウマはリフト沿いの足元や山頂直下にも植えられているし、ラフォーレの玄関先にも鉢植えがあるが、やはりこうした環境の中に自生する姿でこそ際立つ花のように思われる。

左側は鹿よけの網。
左側は鹿よけの網。

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行場道の大岩。
行場道の大岩。
キレンゲショウマ。
キレンゲショウマ。
シシウド。
シシウド。
古剣谷源頭部のサラシナショウマとキレンゲショウマ。
古剣谷源頭部のサラシナショウマとキレンゲショウマ。

そこから道はいったん下り、両剣神社で下から回ってきた道に合すると、緩やかに登りながら一ノ森への稜線を目指す。途中、追分への分かれ道があり、その追分方向に進んだところにお花畑があるはずだが、追分とこことの間に崩落があったとかで、この入り口で道はふさがれている。

霧の中の道。
霧の中の道。

稜線に出たところに殉難碑がある。1965年3月、雪崩のために亡くなった剣山測候所技官、大谷好徳氏を追悼するもの。(宮尾登美子『天涯の花』には吉田勝の名で登場する。)碑文は新田次郎。ここからは笹原の道。尾根を左に進むとすぐに道は二手に分かれる。左は稜線直下の北側の山腹を一ノ森ヒュッテに向かう道。右は稜線上を直接一ノ森のピークに向かう道。右に取り、途中コモノギクの花も見て、急登しばしで一ノ森の二つのピークの鞍部に出る。左に折り返すように登ると一息で一ノ森山頂。

コモノギク。
コモノギク。コモノとは御在所岳のある菰野から。

この山頂も笹原で、天気がよければ剣山、次郎笈をはじめとして360度の大展望のはず。鞍部に戻って、そのまま直進すると、200mで、三等三角点のあるもう一つのピークに至る。今一度鞍部に戻って、右(北)に下ると一ノ森ヒュッテ。あたりはゴヨウマツの樹林。小屋の前には何組ものテーブルとベンチがある。四国の山塊の東端に位置して、ご来光の良さが売りであるらしい。でも今日は霧に巻かれて半径50mより先は何も見えない。ヒュッテのそばに、レイジンソウの群れがあった。午後に雷雨の予想もあったので、ヒュッテには入らず、すぐに剣山に向かう。

一ノ森ヒュッテ前のレイジンソウ。
一ノ森ヒュッテ前のレイジンソウ。

tsurugi2016a - 18

樹林の山腹道を殉難碑の鞍部まで戻り、さらに稜線伝いに剣山山頂を目指す。すぐにシコクシラベとゴヨウマツの樹林の中のニノ森への登り坂になる。

二ノ森の祠。
二ノ森の祠。

ニノ森を過ぎると、伸びやかな笹の稜線の道になる。

笹原の中の道。
笹原の中の道。

ここも晴れていれば眺めがいいことだろう。もうひとしきり、急登で樹林を抜けると、あとは笹原の中の剣山への登り。

剣山山頂はすぐそこなのだが見えない。
剣山山頂はすぐそこなのだが見えない。

この道も二つに分かれていて、山頂に直接向かう道と、右をやや巻き気味に頂上ヒュッテに向かう道がある。右をとって頂上ヒュッテと神社(剣山本宮宝蔵石神社)の間の階段を登り、木道を歩いて剣山山頂へ。

剣山本宮宝蔵石神社。
剣山本宮宝蔵石神社。

相変わらず霧で展望はほとんどなかったが、山頂のベンチで昼食。ラフォーレ剣山で作ってもらったお弁当+「げんさん」レシピのタイカレー・ビーフン

頂上ヒュッテと神社の間の階段を下って戻り、もう一つ鳥居をくぐって見ノ越方面へ。ここでまた道は二分する。刀掛けの松へとまっすぐ下る最短の道(尾根道コース)と、左に大剣神社を経由するコース。左に行く。

大劔神社の御神体。
大劔神社の御神体、御塔石。
大劔神社。
大劔神社。

大剣神社の下の御神水おしきみずを汲んで帰ろうと考えていた。1985年に環境庁(当時)が選定した名水百選のひとつ。そのための空のペットボトルやプラティバスも用意してあった。お塔石を背後にしたバラックの大剣神社からまっすぐ西島のリフト駅に向かう道(大剣道コース)もあるが、神社前から下の「遊歩道コース」に下る道があり、その途中に小さな社と御神水がある。御神水は小さな井戸状に囲われていて、そこから柄杓で汲むようになっている。遊歩道への道をさらに一段下ったところに、御神水から管が引かれていて、水を汲むにはそちらの方が具合がいい。(帰ってからコーヒーを淹れるのに使った。)

御神水。
御神水。

水を汲んで、そのまま下り、遊歩道コースで西島に出るつもりだった。ところが下りきったところから西島方面へは、登山道の崩落とかで通行止めになっている。先述のようにこの遊歩道コースは剣山から次郎笈側に下りたところから、剣山の西の山腹を巻いてくる道だ。吊尾根からここまでは無傷だが、ここから先は通行止めなのだった。だから吊尾根から来た人は、ここから大剣神社まで登って抜けるしかない。僕らも結局大剣神社まで戻ることになった。この予定外の登りが少しコタエた。大剣神社前で改めて一息入れ、大剣道コースを西島に向かう。このあたりもしっとりとした樹林の中の道だが、トリカブト(シコクブシ)以外の花は目立たない。

リフトで下り、車で宿に戻る。戻って少しして、雷雨になった。ラフォーレ剣山からは、夫婦池を囲む樹林の上に、剣山の山頂だけが、天気が良ければ、望まれる。ちょうど夕食どき、雨が上がり、霧が晴れて、山頂が見え、ちょうどその山頂から発するように、虹が出た。

ラフォーレ剣山から、森の上に僅かに覗く剣山山頂と、その真上に生い立つ虹。
ラフォーレ剣山から、森の上に僅かに覗く剣山山頂と、その真上に生い立つ虹。

翌日は祖谷に下り、二重かずら橋を渡って楽しみ、琵琶の滝に立ち寄り、さらに大歩危・小歩危を回ってから帰宅。

ラ・フォーレつるぎ山
〒779-4306
徳島県美馬郡つるぎ町一宇
字葛籠6198-2

TEL 0883-67-5555
冬季は休業

館内ではとくしま無料WiFiが使える。
また建物前のテラスにある彫刻はポケストップ。(笑)

『天涯の花』

宮尾登美子『天涯の花』
宮尾登美子『天涯の花』

宮尾登美子『天涯の花』を、帰ってから、読み返した。1997年の小説で、剣山のキレンゲショウマが世に広く知られるきっかけになった。あとがきで自ら告白しているように、宮尾が行ったのは見ノ越までで、山道は歩いていないし、キレンゲショウマが実際に咲いている場所にも行っていない。だから山中の描写には、微妙な違和感を覚えるところもある。キレンゲショウマが剣山にしかないかのようなセリフもある(実際には石鎚山などにもある)。しかしそうした点を差し引いても、やはり上手い物語作者なのだなと思う。

剣山登山について記しているブログをあさっていたら、興味深い話に行き当たった。大劔神社にたまたま来合せていらした宮司さんと話をしたという方の記事

大剣神社には偶然宮司さんとお話が出来て、例の宮尾登美子の小説の話を持ち出すと意外な内輪話が聞けた。「天涯の花」では捨て子の女の子を宮司さんが育てますが、実際は男の子でその子が目の前で話をしている宮司さんだった。宮尾登美子さんが取材に徳島市内のホテルにみえられて話をした。それをヒントに女の子の話として小説に書いたのだ。へ~~

 

丹生山系(番外):多田繁次『北神戸の山やま』と奇妙な空白

十代から二十代の頃のホームグラウンドは丹沢や奥多摩だった。関西に移り住んだのは三十過ぎだから、関西の山の事情にはもともと疎い。以前にも書いたが、丹生山系は地形図を見て魅力的だなとは思ったものの、とっかかりが得られず、ようやく歩くようになったのはこの2月からだ。

丹生山系のガイドは、「北区ハイキングレクリエーションガイド」(2012)を除けば存在しないと思っていた。『山田郷土史第二篇』(1979)は貴重な資料だが、ガイドブックではないし、当然ながら淡河側のことはほとんど出てこない。

多田繁次『北神戸の山やま』
多田繁次『北神戸の山やま』

1983年刊のこの本、多田繁次『北神戸の山やま』のことを知ったのはつい最近のことだった。神戸新聞出版センターの「兵庫ふるさと散歩」シリーズの一冊として刊行されており、前半が丹生山系のさまざまなコースの記述にあてられている。丹生山系の登山記録のブログをいくつか拝見していて、時々目に入ってきたのが本書の名前だ。先日、芦谷川を歩いた後、Amazonの古本で探して手に入れた。同じ著者の『なつかしの山やま』(1990)は少し前にやはり古書で入手して目を通していた。

多田繁次は、加藤文太郎とも交流があった明治39年 (1906年)生まれの登山家。氷上郡というから現在の丹波市の出身だ。

本書のカバーの裏表紙側には、「神戸市の背後で千古の眠りをつづけてきた丹生・帝釈山系をはじめ、親しみやすく、しかも野趣あふれる神鉄沿線の山やまを初めて紹介した待望の書」とある。「初めて紹介した…書」つまり空前であったわけだが、それだけでなく、ほとんど絶後でもあるように思われる。

読んでいて気づくのは、六甲をクサして丹生山系を持ち上げるのは僕の独創などではなく、とうの昔、50年以上昔に多田がやっていたということだ。その一方、今なお丹生山系が「良さ」を多く残していることは事実とは言え、その丹生山系でも、すでにいかに多くのものが失われ消えてしまっているかということに気づかされて愕然とする。

不思議なのは、上に触れたように絶後であることだ。本書の後、2012年の「北区民まちづくり会議」による上記パンフレットを例外として、丹生山系のガイドは途絶しているように見える。以前にも書いたように、関西の山ベストコース100とか250とかの類のガイドブックには、散発的に取り上げられるにしても丹生山、帝釈山止まり、まれに稚児ヶ墓山まで出てくるだけで、丹生山系のそれ以外の部分が紹介されることはまずない。特に北側、淡河・八多側はまったく出てこない。そこには奇妙な空白がある。何かこの山地は登山対象にはならないもの、一種のタブーとして隠されなければならないものであるかのようだ。

某登山用品店がやっていたTV番組でこの山地が取り上げられた時(タイトルは「六甲山地 丹生山系縦走」だった)もそうだったが、まるで六甲の一部のような扱い方をされることも少なくない一方で、六甲のガイドブックが丹生山系に言及することは決してない。例外は、そしてこれが僕が丹生山系に関する記述に触れた一番最初だったと思うが、茂木完治・手嶋享『すぐ役立つ 沢登り読本』東京新聞出版局、1991 が、六甲の三ツ下谷を紹介した末尾に、「このまま道を辿り六甲の縦走をしてもよいが、山田川を一時間下り丹生山地の柏尾谷へ行く事を勧める。この谷は全谷ナメの連続でささやかに楽しませてくれる」と書いていたことだ。

折しも、「山と高原地図 六甲・摩耶」2016年版は、それまで何の登山道の記述もないまま図面の左上に残っていた丹生山地の部分に須磨アルプスの地図をはめ込んで、丹生山系を完全に…抑圧した。と精神分析的な言い回しを使いたくなる。

他方、谷筋を除く丹生山系の道の多くは、その間に、モトクロスやオフロード車によって蹂躙されている。つまりそうしたライダーたちドライバーたちには、この山地は知られている。この問題はすでに多田の時代にも起こっていたようで、何箇所かで言及が見られる。彼らバイカーたちの情報源は何なのだろうか。

丹生山系を歩き始めたばかりでまだ何も知らなかった今年の初め、「丹生山系というのは、どうやらハイカーとバイカーの間の戦場なのだ。そこに行政も絡んでくるのだろう。たぶん地権者も」と予感を書いた(丹生山系3)が、問題はハイカーとバイカーの関係だけではない。観光学的に、とでも言おうか、何かとても奇妙なことが、丹生山系に関しては起こっているように思われる。登山や観光の対象として完全に認知され、ある意味完全な均衡に達しているといえば達している例えば六甲と違って、丹生山系をめぐる言説には、妙な多層性、その層相互の噛み合わなさ、不思議な多数の大きな空白がある。

単純に資本の問題でもあるだろう。登山・観光による多くの受益者がいると推察される六甲と違って、丹生山系ではそうしたカネの循環は今でもほとんどなさそうに思える。

多田に話を戻せば、モトクロスの問題、中山大杣池周辺の開発の問題、「中山林道」の問題などの告発も見られるが、おそらく決定的だったのは、やはり芦谷川支流の「淡河環境センター」の建設だったのだろうと思われる。芦谷川遡行記事の中でも引用したが、多田は、『なつかしの山やま』の中で、極めて高揚した文章で、この芦谷川支流を讃えている。『北神戸の山やま』では、「神戸の秘境」の章見出しのもとに、屏風谷、鳴川谷、芦谷川渓谷が扱われているが、「環境センター」に関するより直接的な言及は、帝釈山の項にある。

しかし、がまんできないのは、神戸市が岩谷峠を淡河町へ越えたところにある投町山と、神戸の秘境と言われる芦谷渓谷を、ゴミと産業廃棄物の埋立処分地に決定したことである。もし計画が実施されると、この県道をゴミ運搬のダンプカーが間断なく往き来するので、おちおちハイキングを楽しむこともできなくなる。現在(五十七年三月)「北神戸の自然と文化を守る会」が起こしている反対運動の成功を祈る。(『北神戸の山やま』p.29)

文中、五十七年とあるのは昭和57年、1982年のことである。問題の核心は芦谷渓谷を潰してしまうことそのものにあったはずで、そこにゴミ運搬のダンプカーの話を持ってきてしまうのは、話がずれ、弱めてしまっている。が、多田の悲憤は十分に伝わってくる。そして、本書のはしがき(「はじめに」)末尾には「追記」として、次のように記されている。

最近、前記丹生山系の景勝地で大規模な自然破壊の計画が、こともあろうに神戸市によって進められようとしている、というショッキングなニュースが流された。
かけがえのない「神戸の秘境」を守ろう、と立ち上がった、山を、神戸を愛する市民の総力が成果を挙げることを念願しながら、筆を進めて行く──。(同書 p.3)

結局こうした反対運動は実らなかったわけだ。同時代にことの成り行きを追っていた人には自明のことだろうが、後から読む者にとっては、この事情を知って初めて、『なつかしの山やま』の中の丹生山系を扱った唯一の章、あの芦谷川支流の魅力についての高揚した一節を含む「神戸の秘境を行く」がなぜ「懐旧編」のもとに置かれているのかも理解できる。1990年刊のこの本で、この丹生山系の章は、

昭和四十三年一月から一年間にわたって、神戸のタウン誌『センター』に「神戸の秘境」と題して連載したものを抄録することにした。今から僅かに二十年前の「丹生・帝釈山系」の姿である。

との、喪失感を匂わせる前フリから始まっている。

きちんと確認したわけではないが、推測するに、1982年以降、多田は丹生山系についてはほとんど語っていないのではないか。そしてこの多田の沈黙は、その後の、多田に限らず丹生山系を紹介する言葉の消失、沈黙につながっているように思われる。だから『北神戸の山やま』による丹生山系紹介は空前であると同時に絶後なのだ。その後は、僕らのような能天気なブログが、散発的に「行ってみた」記を紹介しているだけなのである。

『なつかしの山やま』の「神戸の秘境を行く」の1968年の文章は、当時進行していた中山大杣池周辺の開発に触れた後、最後にこんな風に言っている。

広い山地に恵まれた神戸市域で、せめて、この「丹生・帝釈山系」だけはこのままの姿で、自然保護地区として残すことができたなら、百年先の子供達はどんなに感謝することだろう。恵まれた自然公園を持つ神戸市は全国民羨望の都市になるだろう。

大杣池周辺はキャンプ場として開発され、北側から車道が通された。芦谷川支流は潰され、コンクリートで埋葬されてしまった。尾根や山腹の道は、二輪四輪の轍に荒らされている。それでもなお、丹生山系は、歩く者にとって、例えば(多田もよく言っていたように)六甲と比べて、魅力に満ちている。屏風谷、鳴川の谷筋は、多田が記した時代からほとんど変わっていないように見える。そうした「昔ながら」の丹生山系は、またもしかすると皮肉なことに、芦谷川支流の消滅を悲しんだ多田が沈黙してしまったからこそ残っているという側面もあるのかもしれない。

土地所有者との関係では、『北神戸の山やま』にはこんなエピソードが見られる。

さらにわかりきったことであるが、ゴミや空缶などを捨てたり、珍しい花木を取らぬように。数年前「グラフこうべ」で屏風谷の概略と写真を紹介したことがあった。その後で、地元の所有者から市当局へ厳重な抗議と苦言があった。くれぐれも注意して、谷歩きをたのしんでもらいたい。(p.86)

直接には、紹介記事が出て入山者が増え、その入山者の中に不心得者がいて、ゴミを捨てたり植物を盗ったりした。所有者の抗議はその点にのみ向けられていたようにも読めるが、そもそも紹介記事の掲載そのものにも向けられていたようにも推し量れる。

先に触れたように、開発がある意味行くところまで行き、山歩きやレジャーの地としての「合意」ができあがっている六甲と違って、丹生山系をめぐるディスクールは、あるいは価値観は、極めて不安定であるように思われる。そうであるからこそ手付かずで残されてきた部分も多いと同時に、それがいつ不意に破壊されてしまうかもしれないという危うさも感じられるのだ。