魚谷山(いおだにやま。京都北山、816m)

それまでまったく目に入らなかったものが、いったん認識すると、やたらに目に付くようになるということはよくある。よくあるという以上に、ありふれた現象かもしれない。ひとの音楽演奏の拍節感のありよう、外国語の語彙、などなど、さまざまな分野で、それはある。

しかし分かりやすいのは風景、風景の構成要素だろう。以前にも書いたことだけれど、職場の建築に多数見られるので、僕がよく挙げる例は、「盲窓」だ。建物の壁面を、窓のような形に窪ませた建築意匠。かつてハプスブルク治下だった地域に多く見られるもので、スペイン、オーストリアから、新大陸を経由し、もともとヴォーリズ設計で「スペイン・コロニアル様式」の勤務先の校舎にも多い。あのキャンパスに通う多くの人の、目には入っていても、それと認識されてはいないことだろう。いったん盲窓という言葉を知り、意識すると、それ以後ははっきりと目に付くようになる。

これも以前に書いたが、スロヴェニアのカルスト地方を旅したときの「ドリーネ」にも似たことが言えた。初めそれとは気づかない。いったん気づくと、そこにもここにも、いたるところに目に付く、見える、ようになった。

草花の種類でも同じことがよくある。最近ではマツカゼソウがそうだった。篠山の小金ヶ岳で群落に出会ったとき、かすかに記憶の隅に動くものがあった。かつて図鑑で見ていたわけだが、その時は名前も思い出せなかった。その後、白髪岳の登山口で、ちょうど花期の大群落に出会って、はっきりと認識した。萩にも似た葉、株の中央から外に次第に濃くなる緑のグラデーション、みかん科唯一の草本で、葉を揉むと柑橘類の葉と同じ匂いがする。

マツカゼソウ。

マツカゼソウ。

先日の魚谷山。歩き始めの林道脇に、まばらな株を見つけた。ああ、あった、と思ったら、山道に入り、有名なクリンソウ自生地が近づくと、そこら中がマツカゼソウだらけなのだった。(クリンソウとマツカゼソウは生育条件が似ているのだろう、どちらかがあれば、もう一方もあることが多い。)

さてその魚谷山。仕事その他でどこにも行けなかったゴールデンウィークのあと、五月半ばの木曜に出かけた。北大路から「雲ヶ畑もくもくバス」に乗る。一日二往復のコミュニティバス。七、八席ほどのワゴン車だ。バス停で待っていたのは僕のほかにはいずれも男性、年配の登山客三人。ぼくともう一人が出合橋で下車。周囲は小さな集落になっている。そこから谷あいの舗装道路を一時間半ほど歩く。周囲は北山らしい柔らかい新緑ではある。松尾谷・直谷出合からしばらくすると、ようやく舗装は消えた。道が沢に沿って南から北へぐるりと回り込み、樋ノ水峠への道を分け、「北山の父」森本次男が昭和十年に建てたという丸太小屋の麗杉荘を過ぎると、林道に別れて左に丸太橋を渡り、ようやく山道になる(柳谷峠入口)。

麗杉荘。

麗杉荘。

新しい堰堤を越え、沢沿いに、何度も渡渉を繰り返しながら登っていく。クリンソウがぽつりぽつりと現れる。先に書いたように、マツカゼソウの株がそこらじゅうにある。初秋の花の頃は見事なことだろう。

すべてマツカゼソウの株。

すべてマツカゼソウの株。

ここのクリンソウは、篠山の三岳などとちがって、柵で囲って保護されたりはしていない。道の真ん中に咲いているのもある。沢の源頭部まで、まんべんなく生えているが、あまり密生してはいない。むしろ水べりにすっくりと一本だけ、花梗を伸ばしているのが凛々しかったりする。わずかに密生しているところでは、花は付けていなかった。不心得者が花梗を切り取って打ち捨てたように見えるところもあった。

クリンソウ。

クリンソウ。

沢の源頭部から左にひと登りで柳谷峠。峠の上も、乾いたゆるい谷状になっている。このあたり、十年余り前のガイドブック(『京都北山』山と渓谷社、2003)では笹原だと書かれているが、今は笹はない。

柳谷峠から魚谷山への道。

柳谷峠から魚谷山への道。

木々のまばらなその谷を左に登りつめていくと、まもなく魚谷山山頂。木立の中で、眺望はない。一本だけ、ヤマツツジがオレンジ色の花を付けていた。シャクナゲで有名な天ヶ岳もそんなに遠くない。ここにもあるかと期待したが、まったく生えていないようだった。圧倒的に多いのはカエデだ。

例によって「げんさん」レシピの「山の和風コンビーフ茶漬け」で昼食。バスを一緒に降りた男性は健脚で、とうに先に行っており、山頂にももういなかった。クリンソウ群生地のあたりで高齢の10人ぐらいのグループが下ってくるのとすれ違ったが、それ以外誰にも会わない。山頂にも誰もいなかったし、誰もやってこなかった。暫しのんびりと過ごす。
元来た道を戻る。登りのとき見落とした今西錦司のレリーフを探す。右岸、コースからちょっと上の岩にそのレリーフはあり、今西先生は半ば空を向いて、口を半開きにし、中途半端な笑いを浮かべていた。

今西錦司レリーフ。

今西錦司レリーフ。

その少し先、左に青い矢印のプレートがあるところを登ると、林業の作業用の道、文字通りの林道に出る。幅広い道を下っていく。また一つ堰堤を越えて下り、行きに通った柳谷峠入口もまもなくというあたりで、左の枝谷にそった踏み跡に入る。これを詰めると滝谷峠。この道は、やや荒れていた。

滝谷峠直下。

滝谷峠直下。

滝谷峠で一息入れ、あとは「二ノ瀬ユリ」を延々と下っていく。北山では山腹を巻く道をユリ道というのだそうだが、この言葉、どこから来ているのだろう。大部分はしっかりした平坦な道で、歩幅が伸ばせる。途中、貴船山の北峰を通る登り道が分かれるが、あくまでも山腹を行く。と思ったら、その道の一部が崩落したようで、ほんの少し、尾根の先端を乗っ越す箇所があった。また間もなく、メインのユリ道は右の谷に下りていくところで、左の尾根通しに進む道が分かれる。道標に書かれた「眺め良し」だったか「展望良好」だったか、そんな言葉に尾根道の方に進む。が、杉の下枝がかなり茂り、展望はほとんどなかった。時折、木の間越しに、東の鞍馬山のあたりが見える。567mの小ピークで、右側の樹林が伐採されたり立ち枯れていたりして、南西方向の眺望が開けていた。このあたりから、路面はカルストのような白っぽい石ころまじりになる。ちょっとした急下りがあって、右の谷からのユリ道本道に合流すると、すぐに大岩分岐。『関西周辺週末の山登りベスト120』は「夜泣峠分岐」と書いている。ここから右に下ると大岩、尾根通しに登っていくと夜泣峠、左のユリ道を辿ると二ノ瀬。

二ノ瀬に向かう。やがて左下から叡山電鉄の軋む音が聞こえて来る。杉木立の下に単線の線路が見え、列車の姿が見えると、冨士神社があって、二ノ瀬の集落に着く。滝谷峠からここまで1時間半。踏切を越え、集落の中を歩き、最後の最後でちょっと迷った。いったい二ノ瀬駅はどこなのだ? 地図を眺めて少し戻り、住宅の間の、なんの標識もない細い階段を登っていくと、中腹に駅があった。

二ノ瀬駅への階段。

二ノ瀬駅への階段。

それでまた思い出したのだが、スロヴェニアの鉄道の駅には、外側には駅名は書かれていない。ただ「鉄道駅」železniška postaja とだけ書かれている。外から駅に入っていくのは地元の人なので、駅名は要らないということだろう。この二ノ瀬駅も、隣の貴船口や鞍馬とちがって、観光客が利用することはほとんどなさそうだ。たまに、地元の人が、さらにたまに、酔狂な登山客が、利用するだけなのだろう。無人で、しかし上下線のすれ違いに使われているので、ホームは上下でこちらとあちらに分かれている。

下り列車で終点鞍馬まで行き、待機していた送迎バスで鞍馬温泉へ。去年の春も、廃村八丁や天ヶ岳の帰りに立ち寄っている。シンプルに広い露天風呂で、山を眺めながらのんびり浸かる。コーカサス系の男が三人、一人は腕に「福井」とかなんとか刺青をし、青いパンツをはいて湯につかっていた。あとは日本人らしいのが三人。コーカサス系は、女一人を加えて帰りの電車でしゃべりあっていて、フランス人だと知れた。

西光寺山 (713m)

この春は、善防山・笠松山千ヶ峰向山連山と、兵庫の山を意図的に歩いてきた。兵庫県というのは広い。関東から西宮に移ってきたばかりの頃、春に城崎温泉に、秋に淡路島にでかけたが、あとで、まったく県外に出ていなかったことに気づいて愕然とした。県最高峰の氷ノ山は一昨年ようやく登った。虚空蔵山も行っている。昨年、白髪岳に登って稜線に出たとき、西側に連なる美しい山並みのどれ一つ分からないことに何より少々ショックを受けた。

そういうわけで、4月下旬の今回の選択は西光寺山。兵庫県の中央部、「へそ公園」なるものを作って日本の中心を標榜する西脇市と篠山市の境にある。いままで、六甲周辺を除くと、「関西の山ベスト〜」の類に紹介されている山にばかり登ってきたが、この山はベスト100(実業之日本社)にも120(山と渓谷社)にも250(山と渓谷社)にも載っていない。『ふるさと兵庫100山』(神戸新聞出版局)といくつかのブログ記事を参考に、今回の行き先に決めた。そこそこ存在感のありそうな山だし、前から行ってみたいと思っていた〈こんだ薬師温泉〉も下山口から遠くない。当然「山と高原地図」には収録されていないので、Field Accessアプリで地形図を見ながら歩く。

千ヶ峰のときに引き続き、西脇市駅へ。前回は南回り(加古川経由)だったが、今回は北回り(宝塚・谷川経由)。一昔前のヨーロッパ行き航空路のようだ。アンカレッジ、じゃなかった、宝塚6:24の福知山行きに乗って、7:42谷川着。10分後の加古川線で、8:11西脇市着。そもそも、加古川線の加古川とは反対の端が福知山線の谷川だということも、つい最近認識した。加古川線ではICカードが使えないことはこれまでに学習していたので、宝塚から切符を買って乗車。山々に囲まれた小広い平地の眺めは、尾瀬(あそこは湿原だが)にせよボヒン(スロヴェニア)にせよ、なぜか嬉しくなる。

西脇市駅からは、市のコミュニティバス「おりひめ」バスに乗る(どうでもいいが、群馬県桐生市のコミュニティバスも同じ名前らしい)。座席14ほどのミニバス。平日のみの運行だ。だから週末だったら、自家用車かタクシーを使わないと西光寺山へのアプローチは難しい。西脇市駅前には、タクシーはいる。9時すぎ、「双葉小学校」で下車。

中間林間ファミリー園というキャンプ場を通っていく。林道状の道を、関西では柏の代わりに柏餅に使われるサルトリイバラの若葉など摘みながらしばらくたどると、右に入る山道がある。

「こぐり岩」の前には差し掛け小屋のようなものが設えてあって、中にはパイプ椅子や七輪が転がっていた。

ツツジというと、葛城山は別格としても、この前の向山でも、六甲でも中山でも、一面に咲いているイメージがあるのだが、ここでは、他の木々にまじって、ポツリポツリと生えているようだった。林の中で、そこだけポッとピンク色に光っている。

この山は、内陸部なのにウバメガシが群生していることがチャームポイントであるらしい。554mの小ピーク、急登が一段落していったん平坦になるところに、ベンチと説明板があり、そのあたりから実際ウバメガシだらけになる。海岸に近い山に多い、備長炭の原料になる木だ。六甲の須磨アルプスなどで散々見ていて、木自体は珍しく思えないので、あまり感動はない。僕にはあまり植物学的なセンスはないということだろう。

登ってきた尾根が山頂近くの稜線に合流する近くから、道は山腹を巻き始める。山側の杉の植林地の林床は、ミヤマシキミの群生地になっていた。

山頂は大展望だった。この山、山頂まではほとんど展望はない(今田(こんだ)への下山路も展望はない)ので、なかなか感動ものである。頂上は広すぎず狭すぎず、小さな祠と、南東方向の展望案内板と、東屋がある。案内板のおかげもあって、自分が登った虚空蔵山、白髪岳が同定できて満足だった。東屋で、半年前に賞味期限切れだったフリーズドライの野菜カレーで昼食。美味かった。

西光寺山南の稜線を外れて篠山市側、東に下っていく道は、それまでの道と違って細く薄い踏み跡のような道で、しかも多くの部分が急下りだった。ずっと潅木の林で、展望もない。

しだいに沢音が大きくなり、差し掛け屋根のあるきれいな形の炭焼き窯が二つ並んでいるのを見て少し行くと、二つの小沢の合流点で道は沢を渡る。そのすぐ先で、道は林道状になる。

サギソウ自生地はよく分からなかった。この季節ではどのみち花は咲いていまい。林道を歩いていくと、大きなアオサギが道を横切って飛んで行った。さすがサギソウ自生地である(<関係ない)。両側の田んぼの畦にはムラサキサギゴケがいっぱいに咲いていた。さすがサギソウ自生地である(<これも関係ない)。

民家が現れ、今田の田園の中を歩き、少し372号線を辿ってから、神社のある小山の裾を回り込む。

地形図には載っていないから新しい道なのだろうか、温泉へは、標識に従って、ジグザグの車道を登る。最後の最後で鬱陶しい車道登りだが、たどり着いてお湯に浸かったら、あとは温泉前からバスで帰ればいい。そう思っててくてく歩く。

いい温泉だった。露天があって、かつその露天から景色が眺められるというのが、僕にとってのいい温泉の条件の一つだが、ここはそれを完全に満たしている。一段上の小露天からは、縁の石に腰をおろすと、登ってきた西光寺山が見えた。あがって、売店で桜茶と地酒を買って、バスに乗る。ほかに温泉からの乗客はいなかった。やはりみんな車で訪れているのだろう。バスは福知山線の相野駅へ。ここはもう三田市である。改札でICカードが使えて、ちょっと感動。

向山連山 (569m) 山にソーセージを買いに、いや、ヒカゲツツジを見に。

四月中旬の土曜日。生石駅から直接歩き始めて周回するコース。大阪から生石へは丹波路快速一本で行けるし(朝夕以外は篠山口乗り換え)、「駅からハイキング」なのでバスなどを使う必要もないし、意外と交通の便はいい。

駅から市街地を抜け、向山の山懐の「水分かれ(みわかれ)公園」に向かう。標高95mとかで、本州一低い分水界ということになっている。川の流れは合流することはあっても、自然に分かれることはない。向山連山から流れ出す川は、この公園のところで、人工的に分岐する水路が作られており、そこに入っていく水は円山川を経て日本海へ、本流は加古川に合流して瀬戸内海へ注ぐ。

水分かれ公園から戻り、観音堂登山口に向かう道を素通りし、とあるブログで見た、一の山から登る道を探す。一般的なコースは観音堂登山口から取り付くのだが、一の山は通らない。山裾を北西に回り込み、獣除けフェンスに沿って進んでいくと、白いキツネの像二体をおさめた小さな祠があり、その後ろのトタン板のフェンスが倒れていて、通れるようになっている。そこから金網のフェンスに沿って左寄りに少し登ると、フェンスが扉になっている箇所があった。小さな掛け金を外して中に入る。そこからは、一の山の西の尾根を、ほぼ一直線に登っていく。かなり急で、眺望もなく、格別楽しい道でもなかった。一の山の小さなピークからしばらくは尾根は平坦になり、ところどころにミツバツツジがピンクの花をつけている。

この間、人には一人も会わない。もう一度急登があり、滝山古墳と二の山の近くでメインルートに合流すると、そこには多くの登山者が列をなして歩いていた。花のシーズンの、土曜日のこと。その先、ところどころで渋滞もしていた。

三の山を過ぎたあたりからヒカゲツツジの花が現れる。四の山、松の台展望所を経て、向山主峰への登りは花のトンネル。

向山主峰はあまり広くない。記念撮影の人々の脇を避けながら通過。ヒカゲツツジは、むしろ向山主峰を過ぎたあたりからが見事だった。

五の山も過ぎ、蛙子岩の小さな岩峰で腰を下ろす。登山道はこの岩の裾を巻いて通っており、気づかずに過ぎてしまう人が多そうだった。

岩の隙間の狭い平坦部分を確保して昼食。山めしレシピではなく、フィットネス系某誌で見かけた「めかぶと納豆とミョウガのぶっかけ蕎麦」。袋麺の「どん兵衛生そば食感」が、山で作るにはぴったりだった。この製品はしかし、残念なことに、置いている店が極めて少ない。

清水山まで行ったらまた休憩しようと思っていたが、急坂の上の、電波反射板の立つ狭い頂上は十数人の団体がまるで中国人ツアー客のように声高に喋りあっていたので通過。

向山連山は「つ」の字型の尾根をなしている。蛙子峰のあたりが右端のカーブの頂点。剣爾山で北側の展望が開けると、歩いてきた稜線が見渡せる。

下山後、駅までの途中にある〈バイエリッシャー・ホーフ〉に立ち寄る。先週の日曜に向山にでかけるのをやめたのは、この店が日曜休業だからでもあった。土曜の今日は営業している。ドイツで修行したマイスターの経営する店。帰宅してから食べた余計な添加物のないソーセージは確かに美味かった。狭い店内には思いの外多くの=三四人の客がいた。生石駅に戻って帰宅。

千ヶ峰 (1005m)

三月末、三宮からJR、加古川で加古川線に乗り継いで、西脇市駅へ。そこから神姫バスで55分、門村下車。

いい山だったが、体調が悪かった。お腹にだけくる風邪みたいな感じで、腸の上部が張るしぶり腹みたいな状態。歩き始めたらおさまるだろうという期待はみごとに外れた。

JR加古川で加古川線に乗り換え、西脇市駅から神姫バス一時間弱で門村下車。ここは兵庫県多可町。千ヶ峰は多可町と神河町の境にある。千ヶ峰の懐から流れ出す三谷川沿いに、舗装道路を山に向かう。手前の小ピークに隠されて、千ヶ峰本峰は見えない。ハーモニーパークという農業公園があり、その下の部分の三谷川は親水公園になっている。農業公園の中を抜ける舗装道路に別れ、左岸沿いの荒れた林道風の道をまっすぐ登る。途中で右岸から来た遊歩道と合流し、少し先で右に折れると、先ほどの車道の続きに出る。ここはおそらく植栽されたものだろうが、ミツマタが群生していて、黄色い花をたくさん付けている。車道をほんの少し左にたどると、かなり広い駐車場と手洗いがある三谷登山口。五六台の車が停まっている。

登山口からは沢を左下に見る急登。平坦になって、沢を渡り、今度は右岸をぐんぐん登る。沢にはいくつもの立派な滝が連続しているのが見下ろせる。三谷大滝の付近でもう一度沢を渡り、あとは左岸の植林帯の中を詰めていく。この沢、登山道ではなく沢通しに遡行しても面白そうだ。

最後にもう一度右岸に渡り、沢を離れて植林帯の急登になる。ようやく尾根に乗り、自然林も現れる。このあたりでようやくまず東側の展望が開ける。黒いプラ階段が現れると、西側の展望も一気に開ける。一息で千ヶ峰山頂。いくつかのベンチ、いくつかの標識、いくつかの案内板、クソでかい「南無妙法蓮華経」の石碑があり、五六人の人が休憩していた。360度の眺望。

とにかく腹イタなので、山メシ料理はあきらめ、おにぎりだけ口に入れて、出発。最初は階段道のかなりの急降下だ。

山頂から笹原の尾根を東に下る途中、一箇所、雪が残っているところがあった。

尾根道は市原峠で終了。車道も来ている市原峠からの下りが厄介だった。三谷登山口か、市原峠まで車で乗りつけて山頂往復するのが今では普通なのだろう。市原峠から市原登山口までの本来の登山道は、かなり荒れていた。市原峠の東屋のすぐ下から右に、道が降りている。しばらく行くと、石室のあるところで、大きくカーブしてきた車道に再び出る。そこから車道をちょうどS字一つ描くぶん下ると、左に下っていく道がある。(『ふるさと兵庫100山』はこの先車道を下るほうを優先的に紹介している。)暗い植林地の中を、踏み跡を見つけながら、延々と急下降していく。この杉林にも、林床にはところどころミツマタの花が黄色くぼうっと光っている。

最後に沢沿いになり、低い砂防ダムを左から越えると、林道になった。

田園にぽつりぽつりと人家のあるところまで来て、時計を確かめ、足を速めると、17:15ごろに丹治バス停に着いた。17:18のバスは数分遅れてやってきて、余裕で間に合った。(平日なので、一時間後にももう一本バスがある。)

思いついて、西脇から三宮への直行バスを使ってみることにした。西脇市駅まで行かず、途中の西脇(バスターミナル)バス停で降りて、18:35のバスに乗り換え。三宮まで乗り換えなしで出られるのはメリットだが、かなり先までローカルバスとして機能しており、一般道を度々停車しながら走って、あまり速くはない。延々とバスの振動に身を任せていたら、さらに具合が悪くなった。

善防山・笠松山 (251m)

播磨平野には、低いながら面白い岩山が多い。この善防山・笠松山もその一つ。3月下旬、娘1とでかけた。(この「娘1」というのは、「播州野歩記」さんへのhommageというかマネである。そして同氏も、この山には「娘1」と登っていらっしゃる。そのうち「妻1」というのも真似してみたい。)

しかし阪神間から出かけるのは、車ならともかく、少々面倒だ。行きは新開地から神戸電鉄粟生線全線を乗り倒すことになった。これが長かった。(粟生を「あお」と読むことすらつい最近知った始末。)

粟生駅で 一両編成、ワンマンの北条鉄道に乗り継いで播州下里下車。

踏切を渡って南東に進む車道は、かなり車も通るし、面白くない。それで途中左折して野田池の方に入る。野田池は北が上の地図で見ると、リーゼントのおっさんが左を向いているように見える。頰のあたりに小さな島があり、それは口角に接している。目から島へ、また島から顎の後ろへは、細い堤が通じているようだ。そこを辿ってみることにした。目から頰へは、車の通れそうな、幅のあるしっかりした道になっている。ただし池との間に柵などは一切ない。島の奥は草が伸びていたが、踏み跡は続いていて、口に当たる部分に建つ家を横に見ながら、うなじへと続く堤をたどる。こちらは幅が狭く、少し草がかぶっている。突き当たりは資材置き場のような所で、檻に入れられた犬が吼えたてる。資材置き場の中を通り抜けることもできそうだったが、池に沿った細い水路沿いに右へ、元の車道に戻る。(このコース、おそらく私有地であろうから、推奨はしない。)

そこから車道を南東に150m行ったところに、登山口の標識がある。ここからが善防山登山。また別の溜池を左に見ながら竹林を抜けると、ツバキやドングリの疎林になり、まもなく登りになる。岩がちになって、丈の高い樹木はすぐになくなり、展望が開けてくる。

この日の天気は不安定で、晴れていたかと思うと掻き曇って小雨がぱらつき、また晴れるという繰り返し。善防山の山頂に着いた頃、小雨が降った。木が茂って展望がきかないのはこの山頂付近だけで、尾根をさらに進んでいくと、西に伸びる尾根の220mぐらいのピークが目に入る。なかなか立派で、最初はそれが笠松山かと思った。笠松山はその右手後方に見えていた。

つり橋を渡り、大きな露岩の斜面を登り、右左右とくねった尾根を辿って笠松山に向かう。この間も時折小雨が降ってきた。笠松山の展望台でしばし360度の眺めを楽しみ、南へ、いったん下って登り返し、東屋のある200mのピークで大休止。「アスパラベーコン鍋」を作り、娘1と食す。

東屋のピークからいよいよ最後の下り。よく整備された階段道だが、ここで転んだ。とっさに手を突くと、刈り取られた笹の切り株が一本、左手のひらにぶすっと刺さった。ちょっと深めで、血がだらだらと流れる。左腕を上に上げながら歩く。すぐに下の谷の舗装道路に下り着く。東に向かい、駐車場近くまで来たところで血も止まったので、公衆トイレで手を洗う。まだしばらく左手を上に捧げたまま歩いていく。

つり橋の下をくぐり、一度S字に屈曲して下った道は、北東にまっすぐ向かう。やがて丁字路にぶつかって、右にとり、小学校に沿って少し行くと、皿池畔に出る。ここは公園として整備されていて、池の上に木道のような道が通されている。ここの土手の斜面は、立派なツクシの宝庫だった。斜面じゅうに、つんつん伸びている。娘1とひとしきり摘んでから再び出発。

さらに東の小さな溜池の北側を回り込んでから、北東にまっすぐ延びた農道をたどると、播磨下里駅近くの車道に出る。北条鉄道で粟生まで戻り、今度は加古川線(これも1両のワンマンだった)で加古川駅に出て、帰宅。神鉄経由より、少し早かった。

伊那佐山(637m)・井足岳(550m)

伊那佐山に行ってみた。三月中旬。例によって『関西日帰り山歩きベスト100』だけ見て。室生山地や高見山、三峰山への入り口、榛原からすぐの里山。いい感じの普通の低山だった。

榛原の駅から15席ほどの奈良交通のミニバスで10分足らず、9:20比布下車。降りたのは僕だけ。このあたりは「山と高原地図」には収録されていないので、FieldAccessアプリで地形図を見ながら歩く。

比布バス停。

比布バス停。

田園地帯。芳野川沿いの車道を、伊那佐山の姿を眺めながら歩く。

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伊那佐山を見ながら歩く。

 

「竹橋」を渡り、

竹橋。歩行者用の側道橋がある。

竹橋。歩行者用の側道橋がある。

道標に導かれるまま、集落の中の道を上がり、登山道に入る。

榛原山路集落の中の道標と丁石。十六丁とある。

榛原山路集落の中の道標と丁石。十六丁とある。

ここが登山道入り口ということになるだろうか。でもコンクリート舗装。

ここが登山道入り口ということになるだろうか。でもコンクリート舗装。

また道標と丁石がある。十三丁。

また道標と丁石がある。十三丁。

朝、慌てて出てきて、片目にコンタクトを入れていなかった。登山道に入ってしばらく、八丁の丁石があるあたりで、服や荷物を調整するのに小休止。朝食にサンドイッチを食べ、コンタクトを入れた。iPhoneのフロントカメラを鏡代わりにしたのだが、ちょっと苦労した。そのとき、年配の男性が一人通り過ぎて行った。その後は最後まで、土曜なのに、誰にも会わなかった。

ここで一休み。

ここで一休み。

道がつづら折れ(どこぞのサイトには「つづれ織り」と書いてあったが何だそれ?)になって、三丁目の丁石のあるコーナーを過ぎてひと登りすると、ようやく自然林になり、

二丁付近。ようやく上(左)側は自然林になる。

二丁付近。ようやく上(左)側は自然林になる。

二丁の丁石の先のコーナーに、「天狗岩」への分岐がある。ちょっと下って小さく登り返すと天狗岩。このコース一番の展望ポイント。吉野から大峰の山並が望まれる。

天狗岩から吉野・大峰の山々の眺め。

天狗岩から吉野・大峰の山々の眺め。

『ベスト100』には「猿岩」と書かれている。岩の中に、かつては「猿岩」と書かれた板が付いていたはずの標識の支柱だけが残っている。岩の背後の松の幹には、PCでプリントして防水した、妙に熱を帯びた注意書きがくくり付けられている。最近のもののようだ。美しいかと言えば美しくはない。

天狗岩背後の注意書き。

天狗岩背後の注意書き。

天狗岩から元の道に戻って、緩い坂をたどるとすぐに伊那佐山山頂。

天狗岩分岐から伊那佐山山頂への緩やかな登り。

天狗岩分岐から伊那佐山山頂への緩やかな登り。

神社と、倒壊しかけて立ち入り禁止の札のある休憩所がある。神社周囲の石垣に下がっている絵馬はどれもかなり古い。

伊那佐山山頂。都賀那岐神社。

伊那佐山山頂。都賀那岐神社。

倒壊しかけている休憩所。

倒壊しかけている休憩所。

神社の左奥に展望プレートがあり、そこだけ視界が開けている。プレートには遠く霞む金剛山の名は記されていたが、目の前の音羽三山については、山の姿形は描かれているものの、名前すらなかった。

山頂から北西の眺め。右奥に金剛山が霞んでいる。中景は音羽三山。

山頂から北西の眺め。右奥に金剛山が霞んでいる。中景は音羽三山。

神社の右奥に三角点があり、井足岳への道もそこから続いている。

社殿裏の三角点。

社殿裏の三角点。

井足岳への道の入り口。

井足岳への道の入り口。

再び植林地。急降下。すぐに林道に下り着く。

林道に下り着く。

林道に下り着く。

そこに、「榛原町観光協会」が設置した警告板がある。これまで無数のハイカーたちに無視され続けてきた看板だ。

観光協会による警告看板。

観光協会による警告看板。

井足岳という名前はどう読むのか。『ベスト100』は「いたりだけ」というルビを付している。しかし地元の観光協会が設置した看板がわざわざカタカナでイダニ岳と書いているし、地形図(井足岳の名は記されていない)で見ると、山麓の集落、上井足に「かみいだに」と読みが付いている。やはり「いだにだけ」なのだろう。難読である。

ルートは、この看板のある林道を少し左に進み、コンクリート舗装になる右手、林道造成でできた極細の尾根のようなところを登ると、まあ普通の山道になる。

林道から井足岳への道への入り口。

林道から井足岳への道への入り口。

『関西日帰り山歩きベスト100』も「ワイルド」とか記述していたし、帰ってからネットで見たら、二三年前の記録で倒木や藪が大変と書いている方もあった。今回藪を漕ぐことはなかったし、古い倒木は多いものの、通行が困難ということもなく、ピンクや黄のテープのおかげもあって、特に道に迷うこともなかった。この2年ぐらいの間に、手を入れてくださった方があるのかもしれない。多少のルートファインディングの経験があれば問題はない。

510mの鞍部に出て、地形図にはその先の小ピークを左から巻いていく破線が描かれているが、それらしい道は分からなかった。よく見ると、ピンクのテープが、ピークに登る方向に付いている。それに従って登ると、小ピークの上には巨石がいくつも顔を出していた。

小ピークの上。

小ピークの上。

その奥から、左に急下降。下り切ると、地形図が記していた水平の林道様の道を横切り、前方の小尾根脇の道に入る。道はすぐに尾根の上に上がり、左に鹿よけの網が現れる。

左に獣除けの網。

左に獣除けの網。

あとは概ねだらだらと尾根筋を辿り、

井足岳に続く尾根道。ところどころ異様に幅広くしっかりしている。

井足岳に続く尾根道。ところどころ異様に幅広くしっかりしている。

最後に井足岳への急登になる。井足岳の山頂部は、L字と言うか「く」の字型になっている。下辺の尾根の途中にひょっこり飛び出して、水平に近い稜線を左に回り込んで行くと、L字の一番上が井足岳の山頂だった。樹林の中で、展望はないが、明るいし、そこそこの広さがあり、静かな場所だった。山名を記した札がやたらに掛けてある。間もなく正午になり、突如どこか山麓の施設から時を告げる「エーデルワイス」のメロディーが聞こえてきておいおいと思ったが(人里近い低山だとこういうことはままある)、それも止むと、静寂が戻る。しかし何でエーデルワイスだったのだろう?

井足岳山頂。

井足岳山頂。

わかった、もうええちゅうに。

わかった、もうええちゅうに。

ここで本日の山メシ。オニオンスープのリゾット。フリーズドライのほうれん草が便利に使えた。

オニオンスープのリゾット。

オニオンスープのリゾット。

その材料。

その材料。

井足岳からの下りは再度植林地の中の急下降。ほぼ直線的に下っていく。

植林地の急下降。

植林地の急下降。

標高450mで山腹の水平道に出て、

水平道に出た。

水平道に出た。

それを左にたどると谷を渡り、

丸木橋で谷を渡る。

丸木橋で谷を渡る。

反対の小尾根に登っていく。この辺りは明るい自然林になるが、

自然林の小尾根。

自然林の小尾根。

またしても植林地の下降になり、370m付近で二つの沢の合流点に下り着く。左に巨岩を見ながら丸木橋で沢を跨ぎ、

左手に大岩を見ながら

左手に大岩を見ながら

再び丸木橋で沢を渡る。

再び丸木橋で沢を渡る。

しばらく右岸沿いの道になる。三たび沢を渡って、道は次第に沢から離れる。右下に人家が見えてきて、分岐から右に下ると船尾の集落。

船尾の集落に出る。山道終わり。

船尾の集落に出る。山道終わり。

谷の奥に三郎岳が見える。

三郎岳が見える。

三郎岳が見える。

「伊勢本街道」の369号線の車道を左へ。

伊勢本街道。

伊勢本街道。

橋の袂に鳥居があり、そこから川沿いに左に進むと墨坂神社。

墨坂神社。

墨坂神社。

境内から「山」の字の形の額井岳が見える。

「山」の形の額井岳。電線が邪魔。

「山」の形の額井岳。電線が邪魔。

春日大社から移築したという社殿にお参りし、左手の方に回っていくと、「御神水」があった。小さな池と祠があり、蛇口まで用意されている。

御神水。

御神水。

しかしそこに設置された説明板に、なんだかなーと思う。

トンデモ系説明板。

トンデモ系説明板。

「効能 当社 5万パワー(水道水の100倍)」って何だよそれ。ありがたいものはただありがたいままに置いておけばいいので、そこにトンデモ的、エセ科学的な言葉を持ってくることは、むしろ神様への冒瀆ではないだろうか。(と思ったらこんな記事を見つけた。)

神社の前から、歩行者用の赤い橋で川を渡り、13:30頃、榛原駅に戻り着いた。9.6kmの軽い歩き。

神社前の橋。

神社前の橋。

駅前でしばしぼーっと過ごし、14:10の送迎バスで美榛苑の温泉へ。日帰り入浴の風呂は宿泊者用とは別になっていて、『ベスト100』の額井岳の項に書かれているような、登山靴不可ということはない。ただ玄関に「登山者は靴をよく拭え」という注意書きはある。ぬるりとした感触の湯。露天はない。本館の売店で榛原名産だという大きな栗紅芋を買って、15:00の送迎バスで榛原駅へ。鶴橋に出て帰宅。

交野山 341m

先週の生駒山に続き、交野山(こうのさん)に行ってみた。生駒山系北端の、標高にすれば生駒山の半分ほどの山。

交野のみ野のさくらがりにはまだ少し早い。だが交野市は「かたのし」、山は「こうのさん」。ややこしい。おそらくかつて音読みがカッコいいと思われていた時代があったのではないかとも思うが、それにしても「こうの」という重箱読みは中途半端である。高野山と区別が付かなくなることを避けたのか。

出発点の私市も難読地名だ。なんでこれが「きさいち」になるのか(どうやら私=后きさきという古い用法が元らしい)。家を出るのが遅くなって、その私市に着いたのは11時少し前。京阪の支線の終点。チープに小洒落た駅だが、駅前には何もない。

私市駅。

私市駅。

今回も『関西日帰り山歩きベスト100』のコース取りにほぼ従う。『関西周辺週末の山登りベスト120』もほぼ同じルートを逆コースで紹介している。私市駅から落ち着いた感じの住宅地を抜けて歩いて行くと、路傍に小さなお堂があった。いや、お堂ではなく、地元産の蜂蜜のディスプレイだった。茨木養蜂園。購入は少し戻ったところの喫茶店に行け、と地図が掲げられている。

蜂蜜の宣伝だった。

蜂蜜の宣伝だった。

先ほど気付かずに通り過ぎた角の喫茶店〈がんぴ〉まで戻る。レンゲ、アカシア、百花、サクラからの四択。自宅へのみやげにレンゲの蜂蜜を購入。これから山歩きだというのに、荷物を増やしてどうするというところだが、今日は周回コースではなく、ここには戻らないから仕方ない。ハチミツ担いで一日歩くことにする。季節限定のサクラも買うべきだったか。

購入した蜂蜜。帰宅後に撮影。

購入した蜂蜜。帰宅後に撮影。

元の道を改めて進むと、すぐに山の中に入っていく。この辺り既にいい感じの自然林。沢沿いの道になる。沢の中には苔むした巨石が詰まっていて、流れのかなりの部分が沢音だけ響かせながらそういう岩の下に隠れている。

「月の輪滝コース」入り口付近。

「月の輪滝コース」入り口付近。

新しそうな木橋で左岸に渡り、岩壁の細い道を少し登ると、巨岩の間に挟まるようにして月の輪滝が落ちている。

月の輪滝。

月の輪滝。

道を戻って、右岸に設置された階段を登ってこの滝を巻く。

滝を巻く階段。

滝を巻く階段。

月の輪滝の上あたりの道。

月の輪滝の上あたりの道。

「岩善水」という小さな札のある水場があった。

岩善水。

岩善水。

月の輪滝コース続き。

月の輪滝コース続き。

古くて大きい堰堤を二三越えると、道は平坦になって、「大阪府民の森」の一つ、「くろんど園地」に入る。

堰堤を越える。

堰堤を越える。

とにかくこの沢沿いの道はなかなかいい感じだったと思う。浅山幽谷って感じ(←そんな言葉はない)。

堰堤の上で、流れは「すいれん池」と呼ばれる池になっており、「くろんど園地休憩所」の小屋がある。まっすぐ行けばくろんど(黒添)池を経て奈良側に出るが、左に桜並木の「主要園路」を辿る。ガードレールの付いた、林道風の幅広い道だ。シーズン前の準備があるのだろう、管理用の車がたまに走ってくる。桜はまだ開花の気配もない。

くろんど園地主要園路。

くろんど園地主要園路。

ダム池の脇を通り、延々歩く。

延々とこんな感じ。

延々とこんな感じ。

「交歓広場」が現れ、道は広場を回り込んで登っていくが、徒歩のこちらは、広場を突っ切って階段を登る。

と、キャンプ場の管理棟の前に出る。ここで「生駒山系まるごとハイキングマップ」を購入。500円。周囲にはバーベキュー用のかまどや炊事場やベンチ・テーブルが並んでいる。そのまま主要路を東に向かい、ゆるく下るとT字路。左に折れて北上する。間もなく木道の掛けられた「八ツ橋湿地」。ラクウショウ(落羽松、沼杉)の林になっていて、これも植栽したものだろうが、ミズバショウが咲き始めていた。

八ツ橋湿地。

八ツ橋湿地。

落羽松。

落羽松。

やがてゲートと駐車場がある。車でキャンプ場に来る客は、ここに駐車して、この先(つまり僕の歩いてきた方向)には、徒歩で進むらしい。結構距離あるぞ。荷物の多い人のために用意された一輪車が何台も立てかけてある。

一輪車。

一輪車。

さらに林道状の道を進むと、園地のゲートを出て、舗装された一般道に出る。

くろんど園地榜示(ほうじ)ゲート。

くろんど園地榜示(ほうじ)ゲート。

それにしても、すいれん池・休憩所からキャンプ場を経てここまで、左右の自然林はいい感じだし、池や湿地もありはしたものの、そして一応は土の道であって舗装はほとんどないものの、一時間近く一貫して林道風の道歩きで、これはちょっと退屈だった。園地の中には、右にも左にもいろいろなコースがあるので、それを選択していけばいいのかもしれないが、そうなるとまたかなりのアップダウンが増えることにはなるだろう。

車道を左に下って行く。谷あいの棚田が現れる。

車道途中からの風景。

車道途中からの風景。

道が右に曲がり、さらに左にカーブするところに、菅原神社の石鳥居がある。その手前、右側の地道を登る。この上も棚田。すぐに左に折れて、小さな尾根を回り込むと、その先にも棚田が続いている。

棚田の脇を進む。

棚田の脇を進む。

その谷を登り詰めると、ため池があり、左手に進むと〈交野市野外活動センター〉。

ため池。向こうに見えるのが「野外活動センター」。

ため池。向こうに見えるのが「野外活動センター」。

小汚いバラックとコンクリートブロックのトイレの間から奥に進むと、炊事場やテーブル、ベンチがあって、意外にも何人かのハイカーが休憩していた。小さなキャンプ場だ。夏季6〜9月のみの営業らしく、今は人の手が入っている気配はない。金網には、かつてここにやってきた学校の団体などが残したらしい記念の焼き板(にアクリル絵の具だろうか?)のプレートがいくつも掛けられているが、もはや風化してほとんど読み取れない。1998年といった数字が読み取れた。一頃はよく利用されたが、最近はあまり、なのだろうか。

キャンプ場利用記念の焼き板のプレート。

キャンプ場利用記念の焼き板のプレート。

そこからさらに北への道は再び林道風になり、旗振山の東麓を巻いて、坂を下るとまたゲートを抜け、一般道に出る。左に取って100mほど行くと、交野山への登り口があって、山道になる。登り口には、なぜか真っ赤なソファーが置かれている。

交野山登り口。

交野山登り口。

階段道を登って尾根に出ると、向こうに交野山が姿を見せる。

交野山が姿を見せる。

交野山が姿を見せる。

そこから右にさらに階段を登ると、310mの小ピークで、分岐になっている。

分岐。「交野山山頂」の標識は左下を向いている。

分岐。「交野山山頂」の標識は左下を向いている。

道標があって、右はゴルフ場管理道路へ、交野山山頂へは左に下ることになっている。ちょうどその時、男性二人組が右の道から姿を現して、交野山に登るならこっちの方が近いよと教えてくれた。地形図で見ても分かるが、左の道は、いったん谷へ相当に下って登り返すかたちになるようだ。教えられた通りに右に下ると、すぐにゴルフ場脇の平坦な舗装道路に出て、それを少し歩くと、左に朱塗りの鳥居の立つ、交野山への登り口があった。

ゴルフ場管理道路からの交野山入り口。

ゴルフ場管理道路からの交野山入り口。

そこから入っていくと、左の谷から登ってくる道と合流(道標通り・ガイドブック通りに歩けばそちらから登ってくることになったはずだ)、さらにいくつかの鳥居をくぐって、最後の岩場に掛けられた小さなコンクリートのはしごを二つ登る。

最後の岩場が現れる。

最後の岩場が現れる。

コンクリート製のはしご。

コンクリート製のはしご。

三宝荒神の小さな社があり、

三宝荒神。

三宝荒神。

その上が交野山の山頂だった。観音岩と呼ばれるこの山頂の巨石は何か唐突で、そして確かに眺めがいい。ちょっと靄がかかった天気だったのは残念。

山頂の「観音岩」。

山頂の「観音岩」。

観音岩の上からの眺望。残念ながらこの日は今ひとつ。

観音岩の上からの眺望。残念ながらこの日は今ひとつ。

今回の山メシは手抜きで、アルミ鍋に入ったうどん。と言うか、ちょうど賞味期限のものが家にあったので、仕方なく背負ってきたのだ。

交野山からは北に、急な階段道を下って行く。

交野山からの下り。

交野山からの下り。

三たび車道に出て、横断して左に水平道をたどると、

また車道を横断する。

また車道を横断する。

白旗池に出る。池を回り込んでいくと、〈交野いきものふれあいの里〉センター。本当にお役所というのは「ふれあい」が好きである。

白旗池から交野山を振り返る。

白旗池から交野山を振り返る。

そのまま池沿いに進むと、両側はゴルフ場の敷地らしく、金網フェンスに挟まれた道になる。小さなトンネルをくぐり、

トンネル。

トンネル。

T字路を左に、国見山に向かう。三月末まで、国見山東側の谷沿いのコースは登山道改修工事のため通行止めだという警告がところどころに立てられている。

国見山への道。

国見山への道。

アップダウンの少ない道が続いて、国見山の南東の肩に出る。そこから沢沿いに下って行くのが件の改修中の道で、オレンジ色のフェンスが立てられ、「通行止め」と書かれている。左に階段道を登って、

国見山山頂への階段。

国見山山頂への階段。

国見山の山頂に着く。

国見山山頂到着。

国見山山頂到着。

ここも眺めがいい。淀川を隔てて、大山崎あたりからポンポン山、さらに北には京都市街が見えている。

国見山山頂から北の眺め。

国見山山頂から北の眺め。

国見山山頂からまた交野山を振り返る。

国見山山頂からまた交野山を振り返る。

国見山からさらに北にまっすぐたどる尾根道は問題はなさそうだ。細いがしっかりした尾根道を下って行くと、250mの小さなピークに展望デッキが設えられている。

展望デッキ。

展望デッキ。

国見山からの下り道。

国見山からの下り道。

さらに下って行くと、ヒノキの植林帯に入り、その途中で道は右の谷に下っている。でも暗くじめじめした植林地の下の、その先の道はよく見えない。尾根筋をまっすぐ進む踏み跡もあるのだが、そちらには道を塞ぐように小枝が束ねて置かれている。この先に進むな、という警告の印だ。でも尾根通しのそちらに進んでみることにした。

道はここで右の谷に下りていく。でも左に尾根通しに進んでみた。

道はここで右の谷に下りていく。でも左に尾根通しに進んでみた。

しばらくは問題なかったが、やがて踏み跡は不明瞭になった。でも尾根の先、下り着くべき先の谷の道は白くはっきり見えている。右の小さな谷の向こうの斜面に、指示通りに歩いて行ったら通ったのであろう道も見えている。小尾根先端の急斜面を木や笹に掴まりながらどうにか下り切り、藪の下の細い流れを慎重にまたぎ越し、少し藪を分けると、道に出た。あの、国見山の肩から谷沿いに通じている道だ。下り着いたところは通行止め区間の最後にひっかかっていて、左に数十メートル歩くと、オレンジ色のフェンスが立てられている。が、その脇の小屋の裏は問題なく通れるようになっていた。

そこを抜けると、妙にモダンな風景が広がる。『関西日帰り山歩きベスト100』がグラウンド兼貯水池と記述している辺りは、今は「津田サイエンスヒルズ」という大規模な産業団地となって様相を変えており、今っぽい白い巨大なハコがいくつも建っている。反対側、山裾の国見池は残っていて、そこに降りる小道には進入禁止の意味らしいロープが張られていたが、六七人のおじさんたちが釣りをしていた。山裾をまっすぐ西に進む道をとればガイドブック通り津田駅に行くはずだが、途中、北に、サイエンスヒルズの中を行く。「生駒山系まるごとハイキングマップ」も、津田駅に出る道ではなく、日帰り温泉施設の〈スパバレイ枚方南〉を経由して藤阪駅に出るこちらの道を掲載している。ひと風呂浴びて帰ることができれば好都合だ。北大阪高等職業技術専門校の脇を通って、歩行者用の階段を下り、

歩行者用の階段を下る。

歩行者用の階段を下る。

道路を横断して向かいの歩道に入るとすぐに〈空見の丘公園〉がある。小さな池のほとりにコンクリート擬木のイスとテーブルが設置されている。ここで最後の休憩。

空見の丘公園。

空見の丘公園。

さらに進んで、第二京阪を橋で越えると、あった。温泉だ。

あった。

あった。

さあ、汗を流そう。うまくすればあとは送迎バスで駅に出られるかもしれない。と思ったら、

え?

え?

ってオイ! 「予め」ご了承下さいも何も、何も聞いてないよ。玄関前の掲示で「予め」もないもんだ(まあ、数日前からこの掲示はここにあったのでもあろう)。ここは年中無休のはずだが、よりによって今日臨時休業…。

しかたなくそのまま歩き続けて藤阪駅に向かう。あたりは新興住宅地だ。地形図を頼りに、駅まで近そうな道を選んで歩く。途中で左に折れると、元からの集落らしい部分に入る。人一人がやっと通れるような細い道を抜け、307号線を横断し、枚方津田高校の横を通ってまた橋を渡ると、藤阪駅が見えた。京橋に出て、帰宅。

藤阪駅が見えた。

藤阪駅が見えた。

月の輪滝の沢筋のコースは悪くないし、園地は良心的に整備されているし、交野山山頂の巨岩とそこからの眺め、国見山からの眺めは一見の価値がある。同じ生駒山系だから、先週の生駒山と同じような泥道に出くわすかと思ったが、意外にもそれはほとんどなかった。生駒よりはずっと山としての品もある。が、地味といえば地味なコースだった。

生駒山 642m━車道、鉄塔、喋る自販機、泥地獄

山好きの関東人で、丹沢や奥多摩をホームグラウンドにしてきて、関西に移住してショックを受けたことの一つは、何で山の上にこんなに車道が走っているんだということだった。今日では一種の貧困にしか見えないが、おそらくある時代の関西の経済界のセンスを表しているのだろう。

自動車道だけでなく、人工的な建造物も多い。さすがに既に取り壊されたが六甲の「回る展望台」とか。

しかしこうした山上の建造物の「起源」は、関西では社寺なのかもしれない。金剛山、高野山、比叡山、愛宕神社など今なお健在のところもたくさんあるし、かつていたるところの山上に寺社があった。信長や秀吉の焼き討ちにあったり、おそらくもっと多いのは明治期の廃仏棄釈によって廃された寺かもしれない。本当にあちこちの山の上に、寺の跡がある。そして六甲枝垂れも、大野山のプラネタリウムも、そうした山上の寺社建築の末裔なのかもしれない。

山を「歩く」ことをこととする現在の人間からすると、そうしたものは、特に古さびた寺社は一応別にすると、興ざめでしかない。(もっとも、時代は変わって、最近はスキー場だけでなく、ロープウェイやリフトの廃止・撤去も相次いでいる。)

生駒山というのは、メジャーな名前だ。阪奈の境に連なる600mあまりの山脈。関西ネイティヴだと、子供の頃に親に山上遊園地に連れて行かれたり、遠足で登ったりしたものだったりするのではないだろうか。しかし長じてから関西に移った僕は、行ったことがなかった。山歩きの観点からすると、山上に遊園地はあるわけだし、尾根筋を縦貫して自動車道は走っているし、あまり面白くなさそうだ。それでも、名前は僕でも知っているぐらい有名だし、関西の登山コース100選みたいなガイドブックには必ず出てくるし、一度行ってみないとなあと思っていた。あの暗峠の実態も自分の目で見ておきたい。3月初旬、出かけた。

近鉄枚岡駅を出てすぐに枚岡神社。

枚岡神社

枚岡神社

健脚お守り700円。登山客をしっかり商売相手に取り込んでいる。
健脚お守り ¥700。

健脚お守り ¥700。

本殿まで石段を上がり、まずは右に梅林へ。6〜7分咲きだった。広場では幼稚園児の団体が遊んでいた。ここの立派なトイレを使う。
枚岡梅林。

枚岡梅林。

道を戻って本殿前から反対側の駐車場に下り、通り抜けると幅広い道。しっかり整備された遊歩道。椋ヶ根橋の手前で右に、沢沿いの道を登り、間もなく赤いアーチの豊浦橋。
豊浦橋。

豊浦橋。

これを渡って舗装道路を横断し、桜広場エリアの中の幅広い遊歩道を登っていくと、六角形の東屋のある額田山展望台。すでに大阪平野の展望が開けている。
額田山展望台。

額田山展望台。

展望台から元の道に戻らず、そのまま上左に向かう道を取り、少し先の分岐を右へ。小さなピークを越えて、元の道に合流する。この辺りまでは幅広い遊歩道だが、ここから先は普通の山道という感じになる。周囲は自然林(杉などのモノカルチャーな植林地ではない、という程度の意味で言っている)で、案外気持ちよく歩ける。ウグイスも囀り始めている。

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案外いい感じの自然林。

案外いい感じの自然林。

山頂が近づく頃、一天俄かに掻き曇って、雪が降り始めた。初めは細雪程度。それがだんだん強くなってきた。冷たい風も増してきた。信貴生駒スカイラインの下をくぐり、最後の階段道を登っていくと、鉄塔や電線が目に飛び込んでくる。
信貴生駒スカイラインの下をくぐる。

信貴生駒スカイラインの下をくぐる。

最後の階段。いきなり電線、鉄塔…。

最後の階段。いきなり電線、鉄塔…。

稜線上の幅広い道に出ると、行く手には赤白に塗り分けられたのやら、巨大な鉄塔がいくつも並んでいる。
稜線に出たところの風景。

稜線に出たところの風景。

車道を横断し、冬季休業中の山上遊園地の開放された門を入って進む。ジェットコースターやらパターゴルフやら、様々な施設が並ぶ中を行くと、波型鉄板をカマボコ型の屋根にした、大きな休憩所があった。いくつものテーブルとベンチが並んでいる。雪を避けて、その屋根の下に入る。その真ん前が子供用SL列車の線路で、ループの中に、哀れな生駒山三角点が見える。642m。
生駒山三角点。

生駒山三角点。

登山の観点から見るからいけないので、遊園地自体は、子供を遊ばせに連れてくるには、まあ、良さそうではある。
休んでいると、これまた俄かに空が青みを増し、雪は止んだ。日が差してきたその瞬間、空中にキラキラと舞うものがあった。雪ではない。ダイヤモンド・ダストだ。こんなところで見られるとは。これは儲け物だった。でも寒い。
元の道を戻る。左右の巨大鉄塔のいくつかは、放送局の名前のプレートが付いている。TVの中継塔らしい。テレビを見ない人間にとっては、ますますテレビ無用の感が強まる。憶測にすぎないが、現在の技術なら、もっと小さな目立たない建造物でも、十分な出力と地域カバーができるのではないか。少なくとも、景観に関するまともな規制の強い国であれば、そちらの方向に進化していそうだ。
山頂部南端の塔。とってもモダンで素敵。この下から暗峠への道に入る。

山頂部南端の塔。とってもモダンで素敵。この下から暗峠への道に入る。

生駒山山頂部から暗峠への下りは、ズルズルベタベタベチョベチョの泥道だった。周囲は笹薮。滑って転倒しないよう、細心の注意を払いながら歩く。先に歩いた人がずるりと滑った痕跡が随所にある。
暗峠への道。この先は泥地獄。

暗峠への道。この先は泥地獄。

どうにか生駒スカイラインに交差するところに辿り着いて、そのパノラマ展望台で休憩。車道の屈曲部の先に造られた広場で、駐車スペースとベンチ、四阿があり、確かに眺めがいい。しかしここでも自販機が、「まいどー、あったかい飲み物、どうですかー」と喋りくさっていた。うるせーよ。
信貴生駒スカイライン、パノラマ展望台。

信貴生駒スカイライン、パノラマ展望台。

ベンチの足元に、太さ1センチ、長さ20センチほどの枝切れが落ちていた。ははん。先行者が、これで靴底の泥を落としたのだろう。僕もそれに倣うことにする。
ちょうど四年前にウィーンのシュテファン大聖堂裏の登山用品店で買って、その年のウィーンの森をはじめとして、これまでさんざんあちこち歩かせてきた靴だから、もうかなり靴底がすり減っている。
展望所から、急斜面に付けられた乾いて細い階段道を一息下ると、その先はまた笹薮に挟まれた泥道が延々と続くのだった。せっかくきれいにした靴底に、また泥が容赦なく付着する。こういう道をバランスを取りながら下っていくのは、思った以上に全身各所の筋肉を使う。(それを感じたのは、翌朝だった。筋肉痛にはならなかったが。)ストックがあったほうがよかったかもしれない。いやーいい全身運動になりました。(棒)
さらに二度自動車道をかすめ、ようやく暗峠に出る。「石畳の国道」として有名な場所。予想通り、芝居の書き割りみたいな薄っぺらい哀しい風景だった。すぐ横を信貴生駒スカイラインのコンクリート橋が通っている。多くの書物でここを紹介して掲載されている写真は、この車道を背にして、ほとんど同一のアングルで撮影されている。その位置、その角度でのみ、どうにか絵になるのだ。
暗峠。定番アングル。

暗峠。定番アングル。

暗峠から民家の間を入り、また車道をかすめ、コンクリートの坂道を登り詰めると、いくつもの道が交差する曖昧なピークに出る。ヤマケイのガイドブックが「大原山」という名前で紹介している場所だが、あまり山頂という感じはしない。
大原山。

大原山。

道標に従って、テトリスのブロックのようなコンクリート橋で小さな池の真ん中を通り、西に向かう。高圧線の鉄塔があって、その先が「ぼくらの広場」。ネーミングについてのコメントは控えよう。ここは確かに眺めはいい。西から北、大阪平野が一望で、その向こうの六甲山や淡路島は霞んでしまっていたが、南方、信貴山から葛城・金剛にいたる山並みは、とても美しかった。まばらな木々の周りにそれぞれ低い生垣が設えられていて、その中にベンチが置かれている。
「ぼくらの広場」。

「ぼくらの広場」。

信貴山、葛城・金剛山の山並み。

信貴山、葛城・金剛山の山並み。

そういうベンチの一つに陣取って、本日の山メシ。赤貝とお麩の土手煮。例によって「げんさん」レシピ。

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赤貝とお麩の土手煮。

赤貝とお麩の土手煮。

しかしまた曇ってしまい、冷たい風も吹き付ける。急いで食べて下山にかかる。大原山の分岐まで戻り、鳴川峠に向かう。右は神威寺の所有地らしく、なんとしばらくはブロック塀沿いの道である。やれやれ。
鳴川峠への道。このあたりはいい感じ。

鳴川峠への道。このあたりはいい感じ。

鳴川峠では、また信貴生駒スカイラインの下をくぐらされることになる。
鳴川峠。

鳴川峠。

鳴川峠からの下りも、泥道に悩まされた。山地によって、土の質が違う。風化花崗岩の六甲山や湖南アルプスでは、登山道がこういう泥道になることは少ない。生駒・金剛山地では、粘土質なのか、泥になりやすい。生駒の大阪側にやたらと(ドロドロになりにくい土を敷き込んだ)遊歩道が整備されているのは、このためもあるのかもしれない。
(この日は平日で、歩いている人もさほど多くなかったが、この数日後の日曜に行かれた友人キバラーさんのお話では、高齢者を中心に人が多く、転倒して半身泥まみれになっている女性、転倒して骨折している男性などを見かけたという。まさに阿鼻叫喚の泥地獄である。「全編ほぼヌタ場」なのは、雨後でなくてもあまり変わらないらしい。ガイドブック類は、このコースを難易度★ではなく、★★★で紹介すべきなのではないか。)
標高300mぐらいか、道が沢に沿うようになると、ようやく路面も安定し、歩きやすくなった。
古い道標。

古い道標。

一旦舗装道になり、道標に従って再び左の山腹を巻く山道に入り、少し行くと、竹林となり、千光寺に下り着く。
ネコノメソウがもう咲いていた。千光寺付近。

ネコノメソウがもう咲いていた。千光寺付近。

集落の中の道路をしばらく下って行くと、「ゆるぎ地蔵」。本当に揺らいでいるらしく、ブルーシートが被せられ、危険さわらないで下さい、と書かれている。
集落の中を下る。

集落の中を下る。

シートで覆われたゆるぎ地蔵。ここから右に下る。

シートで覆われたゆるぎ地蔵。ここから右に下る。

そこに道標があり、ハイキングコースは右の沢に下って、再び地道になる。
沢沿いの道。

沢沿いの道。

右に巨岩が迫っているところがあって、それが清滝磨崖仏。あとは左下に大和平群の田園を見下ろしながら、ずっと山の中腹を辿っていく道になる。
大和平群の田園。

大和平群の田園。

やがて舗装された農道となり、急激に下ると、右の尾根の先端と、左のぽこんとした小山の間を通る。小山には山口神社が祀られている。
間もなく近鉄元山上口駅。ここから800mのところに、かんぽの宿大和平群があり、日帰り入浴ができるらしい。しかしそちらに行くコミュニティバスは30分ほど前に出てしまっており、泥道下りで疲れた身体でそこまで歩く気力もなく、そのまま電車に乗る。
というわけで、さて、一回は行ったぞ、もう行かなくていいや、というのが当面の結論。

高見山

1月25日日曜、高見山の霧氷登山に行ってきた。関西の「霧氷登山」の、金剛山や三峰(みうね)山と並んでポピュラーな目的地。この時期、霧氷を見に山に登るのは、金剛山では経験があるが、高見山は初めて。

シーズン中の週末と祝日だけ、近鉄榛原(はいばら)駅から奈良交通が直通の登山客用「霧氷バス」を走らせている。榛原駅を降りると、三峰山に行くバスと、高見山に行くバスに乗る登山客の行列がそれぞれできている。高見山行きのバスは行きが8:15と9:15の二便ということになっているが、この間に、乗客が集まり次第増発し、発車するようで、全員が座れるようにはからってくれて、さらに吉野杉の割り箸三膳ずつと、たかすみ温泉の割引券が付く。しかも車中で「登山届」用紙がちびた鉛筆とともに回ってくる。帰りの便の乗客数予想に活かされるのだろうが、至れり尽くせりである。普通の路線バスの車両だが、全員が座れるというのが凄い。シーズンのポビュラーな地域の登山バスというのは、ぎゅう詰めで立って、というイメージがあったので驚いた。もう何年も前のことになるが、ススキのシーズンの倶留尊山に行った時の名張からのバスは本当にギチギチで、しかも通常の経路が土砂崩れか何かで迂回路をとり、1.5倍以上の時間がかかり、大変だったのを覚えている。

終点の「高見山登山口」バス停で降り、トイレを済ませ、登山届ポストに車中でもらって記入した用紙を型通りに入れ、歩き始める。

最初のうちは細く長い尾根の上をたどる道。旧伊勢南街道の一部で、ところどころに石畳がある。雲母曲(きららひじ)を登り詰めると、やがて林道の通る小峠に着く。小峠〜大峠間の旧伊勢南街道と林道は通行止めとのことなので、小峠から急坂を尾根に上がる。950mあたりで路面の凍結しているところがでてきたので、軽アイゼンを着ける。登山口にはまったくなかった雪が次第に増えていく。1020mで主尾根に乗ったあたり(後述するように登山地図に誤った分岐が描かれているあたり)から、見事なエビの尻尾━霧氷が現れる。樹林のせいで展望は意外となく、単調と言えば単調な尾根の登りが続く。それだけに笛吹岩で得られる南側の展望、その先の北側の展望は嬉しい。もちろんそこまでの間も、充実した霧氷の鑑賞ができる。霧氷にも色々のタイプがあるが、ここではほとんどエビの尻尾タイプのものばかりのようだった。土日二日続きの好天の二日目だったので、時折バラバラと頭上から溶けかけたエビフライが落ちてくる。

高見山の山頂からの眺めは素晴らしい。すぐ東には三峰山。室生、大峰、台高の山々の360度の眺め。条件がよければ、富士山まで見えるというが、残念ながらそこまでの眺望は、この日はなかった。「関西のマッターホルン」とかいう思い上がった(?)ニックネームもあるらしい高見山、実際三峰山あたりから眺めると端正で美しいようだが、要するに山頂がとんがっていて狭い。山頂のすぐ東側、かなりの傾斜地にも、多くの人が座り込んで昼食を摂っている。山頂西側直下の避難小屋の上は展望台になっているが、その上も、小屋の中も、座り込んでいる人でいっぱいだ。小屋の前になんとか場所を確保して、雪の上に座布団を敷き、「豚もやし鍋」を作って食べる。

山頂からしばらくは、元来た道を戻る。小峠分岐から、平野への道に入る。

「小峠分岐(杉谷平野分岐)」と、そこからたかすみ温泉への道のラインは、『日帰り山歩きベスト100』の地図は、例によってデタラメである。この部分は、ヤマケイの『関西周辺週末の山登りベスト120』も、昭文社の『山と高原地図』も同様。いずれも、高見山主尾根の1020m付近に分岐を記しているが、実際の分岐はそこから西南西に伸びる枝尾根の、940mの小ピーク付近であり、やや北寄りのさらに小さな尾根に沿った平野道は、780m付近で谷に下っていく。その谷底に、樹齢700年という高見杉と、避難小屋が立っている。地図に描かれている分岐点には、誤解を招くような枝道もないし、多くの人が歩いているコースだから、地図のせいで迷う可能性は低いが、できれば改善を望みたい。(追記:2015年版「山と高原地図」では修正されている。)  「小峠分岐」の少し前でアイゼンを外してしまったのだが、分岐から平野に向かう道は、しばらくは尾根の北面を進む。そこが凍っていることもあるので、まだしばらくはアイゼンを付けておいたほうがいいかもしれない。実際、このあたりですっ転んでいる人を多く見かけた。

登山地図では道は「下平野」に下ることになっているが、どうもそのような分岐には気づかなかった。道なりに下って行くと、平野川を渡る橋を渡って、右に川べりの通路に下り、少し行くと「たかすみ温泉」だった。わりとシンプルな、でも露天も気持ちのいい温泉。バスでもらった割引券を使って入る。そして「霧氷バス」の帰りの便は、もっぱらこの温泉前の駐車場から出る。この帰りの便も、行きと同様、公式には15:00と16:00の二便ということになっているが、実際にはその間にも、乗客が集まり次第発車していく。

『クヮルテットのたのしみ』

エルンスト・ハイメラン『クヮルテットのたのしみ(増補改訂版) 』アカデミア・ミュージック、2012

『クワルテットのたのしみ』原著初版が出たのは、1936年のことらしい。ドイツが抜き差しならぬ方向に向かい始める時期だが、今はその点について立ち入る必要はないだろう。リンク先は1978年の版。

名エッセーとして評価が高いらしく、ドイツでは2006年に朗読CD(オーディオブック)も出ている。

ぼくは中学の頃カルテットを始めた。神奈川県の田舎から御茶ノ水に出かけて、地元のレコード店(楽器も少し扱っていた)のオヤジさんに教えてもらってあったアカデミア・ミュージックちゅー店に初めて行ってみて、譜面づらだけ見てなんとかなりそうだと思った弦楽四重奏曲の演奏譜を小遣いで買って帰った。大判で黄色い表紙、粗悪な紙質の、ブライトコップ版のハイドンの変ホ長調作品33-2だった。学校のオーケストラの友人たち3人を狩り集めて弾いたはずだ。

ちょうどそのころ、まさにその輸入楽譜店、アカデミア・ミュージックから中野訳『クヮルテットのたのしみ』の初版が出た。当然のことに、むさぼり読んだ。もちろんエッセイとして味わうというよりは、貴重な実用書として読んでいた。はなから訳者が大量に補足を加えた楽曲カタログ部分もありがたかった。

なのだけれども、およそ十年後、自分でドイツ語を学び、原文を読むようになって、翻訳が相当に無茶苦茶であったことに驚くことになる。原文にない(多くの場合「日本的」な)文言も数多く付加されているし、場合によっては、翻訳が原文と正反対の意味になっているところもある。2012年に出た「改訂増補版」は、期待したのだが、誤訳の山は手付かずだった。

『クヮルテットのたのしみ』訳書の何箇所かのサンプルと、対応箇所の原著(1978年版)からの試訳を掲げる。訳書からの引用はblockquoteにして、特に気になる文言を太字にする。順序は不同。

「その意味で次のことが明らかとなる。よほど特別の事情がない限りベートーヴェンの後期の作品をとりあげて、実りのある演奏を望むということはまず時間の無駄であろう。そのような作品を敬虔に、効果的に演奏するためには、曲の精神的な意味、内面的なものにプレイヤーは入りこんでいなかればならない。」(22頁)
[原著からの試訳]:「ここで一つはっきりさせておかなければならない。よほど特別な状況でないかぎり、たとえばベートーヴェンの後期の作品を人前で演奏できるほどに仕上げようというのは、ハナから見込みがない。そのような作品は、徹底的な研究を通じて、心の中に所有することで満足すべきものである。」

ここには精神論は何もない。

「クワルテットがピッタリ合うようにするためには、リーダーの足先によってではなく、個人と個人との交際によってやりなさい。最初の出のとき、休止符のあとの出のとき、互に顔を見合わせなさい。」(23頁)
[原著からの試訳]:「クワルテットで指揮者の役割を果たすのは、第一ヴァイオリンのつま先ではなく、お互いに見合い、聴き合うことだ。1小節のゲネラルパウゼのあとの出のとき、お互いを見合うこと。それだけで練習時間がずっと節約できる。」

プローベはいいから日本式に飲み会をやれとでも?

「とにかく座った。次に音を合わせる。本当というと席に並ぶ前にピッチを合わせる方がよい。どのようにして調子を合わせるか──だがネクタイの結び方を習ったことのある人がいるだろうか──調子を合わせることについて特別の意見はない。耳の欠陥がなければ誰にでもできることであり、もし欠陥があれば生まれつきか訓練不足なのだから今さら忠告してもはじまらない。」(13頁)
[原著からの試訳]:「とにかく座った。次に音を合わせる。そんなのは当り前じゃないか? たしかにチューニングをやらない者はいない。だが一生ネクタイのちゃんとした結び方を知らずに過ごす人間というのもいるのだ。同様に、チューニングもどうやればいいのか分からないアマチュア音楽家はゴマンといる。彼らは耳に欠陥があるわけではない──でなければ今さら忠告してもはじまらない──そうではなくて、単に訓練不足なのだ。」

だから忠告はすべきなんです。

ここでクワルテットのメンバーの間で、礼儀にあまり慣れていないビギナーのためにちょっと注意しておこう。音楽のアマチュアは思った通りのことを口にするが、専門の音楽家は心得ている。」(8頁)
[原著からの試訳]:ここでビギナーのためにちょっと注意。クワルテットのメンバーの間で、礼儀なんてものは滅多にない。思った通りのことを口にする点で、音楽のアマチュアは専門の音楽家と変わらない。」
さらに、このあとの5、6行は訳者によるまったくの創作、付加らしい。ハイメランはお作法の話など何もしていないのだ。

「以上の準備が終わったら、皆の来るのを忍耐強く待つこと。譜面台の前に座って、何か奏き始める。──これから奏くかもしれない曲とは違う別の曲などを。松脂や弱音器の用意は別にしなくともよい。めったに使わないし、そのうちに誰かが置き土産に忘れていく。賢明な人は始める前に用意している。ところがいざ使うときになってとこにもなく4人が部屋中探しまわっても出てこない。帰ってからどこかにころがっていたなどということはよくあることだ。」(7頁)
[原著からの試訳]:「以上の準備が終わったら、皆の来るのを忍耐強く待つこと。譜面を広げるのはあまり意味がない──どうせ別の曲をやろうということになるのだ。松脂や弱音器は用意しておくとよい。これから来るお客様たちへのお土産にうってつけだからだ。つまり、皆が帰ったあとでイライラしないためには、こういうものは黙って持って帰られてしまうものだと思っておけ、ということである。クワルテット演奏を本当に愛するのならそれぐらい最初から覚悟しておくことだ。」

というわけで、できれば改訳版が出てほしいし、それと同時に、こういう書物の存在をそもそも教えてくれたことに感謝せざるを得ない一種懐かしい翻訳であり、かつそれ自体名調子であることは疑いを容れない中野訳も、なんらかの形で残していってもらいたいものだと思う。