2009年11月3日
多くの奏者が自ずと拍節感を備えていること、アンサンブルを練っていく上で拍節感を自覚的に捉えることが鍵になってくることなどなどを、具体的な例によって示すことができるように思う。
モーツァルトの交響曲第31番ニ長調「パリ」第4楽章。

Mozart Sinfonie Nr.31 in D, 4.Satz
冒頭から8分音符の走句を持たされるセカンドヴァイオリンにとって悩みの種の楽章。冒頭から8小節間、セカンドヴァイオリンが8分音符で走り回る間、ファーストヴァイオリンは4分音符主体の断片を沿わせていき、9小節目でトゥッティになる。ここで特に問題になるのは、7小節めから8小節めの移り行きである。ここがなぜか合わない。いや、なぜかではなく、実はその理由ははっきりしている。この8小節フレーズ、セカンドヴァイオリンは8小節めの第1拍ですでにトニカに入ってしまうのだ(その前はcisの導音である)。そのため、7小節めの終わりで「自然な」アウフタクト的なわずかな伸びが生じる。そのため、順当に8小節目でドミナントから9小節目のトニカに向かうファーストヴァイオリンとずれができてしまう。本来新たなフレーズが始まるのは9小節めからである。だからここで「縦の線を揃える」ために必要なことは、セカンドヴァイオリンが、8小節目第一拍に入るときにエイやっという感じにならず、ここはがまんしてさらっと通り過ぎ、9小節目への入りをアウフタクトとしてしっかり感じ取ることなのだ。
このことの意味をしっかり見極めよう。トニカにエイやっと入る感覚、つまりカデンツの感覚を、奏者たちは自ずと持っており、かつ(ここが重要なところだが)それが拍の伸縮と結びついているということだ。
もう一つの例。これもモーツァルト。交響曲40番ト短調、第1楽章。35-36小節。

2拍子のこの楽章こうした部分は特に、1拍めよりも2拍めのほうが自ずと(もちろんわずかに)長くなっている。たいていの人はそのように〈正しく〉弾いていて、しかも自分がそう演奏していることに気づいていない。このことに気づかされたのは、これも中クラスの某アマオケで、この部分のヴァイオリンと低弦がどうしても合わないということがあったからだ。よくよく観察してみると、あまり音楽的にセンスがあるとは言い難いおじいちゃんチェロが、二つの二分音符を完全に均等な長さで演奏していて、自分は正しい、と、頑としてゆずらない。ヴァイオリンの連中は、正しく演奏していたのだが、自分たちのやっていることを自覚的に捉えていないから、このおじいちゃんをどうすることもできなかった。
ここでも重要なことは、少なくともこの部分のヴァイオリン奏者たちは、無自覚に、正しい拍節感をもって演奏していたということだ。(そしてそのことを僕に教えてくれたのがあのおじいちゃんだったということだ。)
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2009年10月30日
およそ十年前、最初の子供が生まれたばかりの頃、ボンに再び1年間住んだ。住まいは、中央駅の裏手の、Musikerviertel 音楽家地区と呼ばれるあたりに見つけた。弦楽器工房が一軒あることはあるが、別に音楽家が集住しているとか、そんなことはまったくなくて、たんにその辺りの通りの名前が、作曲家の名前を冠するものが多いだけだ。(日本の住所は「ブロック」制だが、欧米の住居表示は「通り」が基準になる。)3、4階建ての集合住宅の連なる、まあ、「閑静な住宅街」だったかと思う。
住んでいたアパートは、ヴェーゼンドンク通りとリヒャルト・ヴァーグナー通りの角にあった。アパートの、それもまさにわれわれが住んでいた1階の部屋の外壁には、マティルデ・ヴェーゼンドンクが、晩年の一時期、ここに住んでいた旨を記したプレートが打ち付けられていた。
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このあたりの街路名がいつ整備されたのか分からないが、おそらく、ヴェーゼンドンクが住んでいた場所から北にのびる通りをヴェーゼンドンク通りと名付け、それに直交するやや長い通りをリヒャルト・ヴァーグナー通りと名付け、ついでに付近の通りにも音楽家の名前を付けていったのではないかと推測する。「モーツァルト通り」があり、その1番地は「ホテル・モーツァルト」という家族経営のこじんまりしたホテルで、ボンに出かけるときは以前からしばしば利用していた。「ベートーヴェン広場」があり、その近くには「ベートーヴェン薬局」があった。ボンはベートーヴェンの出身地だが、この界隈が何か取り立ててベートーヴェンにゆかりがあるということはなかったはずだ(通りの名前は「リスト通り」)。
ボンの「中央」駅は、旧市街のはずれにある。そこからほど近いところに「旧墓地」があり、よく知られたシューマン夫妻の墓や、ベートーヴェンのおっかさんの墓などがある。ずっと前に書いた掃天星図のアーゲランダーの墓もここ。
駅の裏手、旧市街とは反対側の「音楽家地区」は、ボンから、かつては別の町というか村だったエンデニヒに行く道筋に当たる。エンデニヒは、1904年の合併で、ボン市に含まれている。そのエンデニヒにあるのが、シューマンハウス。晩年のローベルト・シューマンが入っていた精神病院。今は1階と2階の一部が市営の音楽図書館、2階の残り部分がシューマン記念館になっている。「音楽家地区」のわが家からシューマンハウスまではさほどの距離ではなかった(今地図で確かめたら800mほどだ)から、よく自転車で通った(特に自転車用に整備された道もあった)。ベビーカーを押しながら、バスで行くこともあったし、散歩がてらに歩いて行くこともあった。シューマンハウスでは楽譜や音楽関係の文献をよく借りた。市立図書館共通の利用カードがあって、それがここでも通用した。
エンデニヒには、ベビー用品店や、自然食品店もあって、そういう店にもよく行った。生まれたばかりの赤ん坊を抱えていたからでもあるし、自然食料品店では多少高価ながら日本の食材もそれなりに置いていたからだ。
とにかくよくベビーカーを押して散歩にでかけた。
「間もなく[...]男はこどもを街のあちらこちらへ長い散歩に連れ出すようになった。いつも行っていた雑踏の大通りとは反対の方向に歩いていくと、単調な古くほの暗い地区が、地面にはさまざまな色彩がさし、舗道には空が照り映えて、これまでこの街のどこでも見たことがないような姿を現す。こうしてはじめて、そしてまた歩道と道路の間で梃子のように乳母車を上げ下ろしする動きとともに、この街は「こどもの生まれた街」となる。」(ペーター・ハントケ『こどもの物語』)
ハントケのこの「街」はおそらくベルリン。僕らがいたのはボン。僕らの子供はボンで生まれた訳ではなかったが、生後すぐだったし、以前に1人や2人で滞在した時とは、街は明らかに違って見えた。「歩道と道路の間で梃子のように乳母車を上げ下ろしする動き」などは、ハントケならではの現実のキャプチャのしかただと思うが、つよいリアリティをもって読めた。(日本の街路、華奢なバギーでは、これは感じられなかったかもしれない。)
「ベートーヴェン薬局」のならびにギリシャ人のやっているSirtakiというギリシャ料理屋があって、時々お世話になった。ギュロスやスブラキが美味かった。テイクアウトもできた。ギリシャ料理につきもののウゾ。僕はギリシャに行ったことがないのだけれど、ドイツのギリシャ料理屋はたいていどこでも、無料で食前酒に出してくれた。店に行ってテイクアウトを頼んでも、待っている間ウゾが出てきた。ドイツ人客たちはいったいに蒸留酒=アル中の飲むものと思っているふしがあって、あまり飲もうとしないようだった。ギリシャ料理屋の店の人々は、僕らが飲むと、うれしそうな顔をすることが多かったように思う。
周りが住宅ばかりのリヒャルト・ヴァーグナー通りには、キオスクが一軒と、それからあと1軒だけ、スペイン人がやっているスペイン料理屋があった。ギリシャ人のギリシャ料理、スペイン人のスペイン料理は、ある意味で、ドイツに住む時の楽しみだ。ジビエやウサギを食べた記憶もある。ドイツ料理では考えられない、日本料理のような、魚の塩焼きもあって、とにかく肉も魚も美味かった。気候のいいときは白い壁に囲まれた裏庭の席で、寒いときや悪天候のときは屋内で、食事をした。バギーに乗せたままの、生後1年に満たなかった子供に、デザートのクレム・カタランを一口与えたときの、まるで「この世にはこんな美味しいものがあったのか」とでもいうような目の輝きが、忘れられない。2、3年経って訪れたとき、店は凡庸なイタリア料理屋になっていた。あのスペイン人たちはどこへ行ってしまったのだろう?
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2009年10月18日
近頃はボルダリングが流行りだしているらしい。wander-z さんのボルダリングジムの人工岩壁の画像を見て、そういうものがスロヴェニアの小学校にもあったことを思い出した。
日本の学校は、どうやら法で定められているわけでもないのに、どこもそれなりの広さの「校庭」を備えている。ヨーロッパの学校は、あの「プチ・ニコラ
」を読んでも分かるとおり、街中のふつうの建物で、校庭と言えば狭い内庭しかないところが多い。
数年前、子供がスロヴェニアのリュブリャーナで半年ほど通っていた小学校は、城山の麓にあり、やはりごくごく狭く細長い裏庭のような「校庭」しかなかった。背後はすぐ石垣で、その上を、斜面を登る道路が通っていて、いく筋かの住宅があった。その端の校舎の壁に、ボルダリングジムのような登攀用の突起が付けられていたのだった。高さはせいぜい2メートル程度。シュタイナー系の私学だったが、この設備はシュタイナーよりもスロヴェニアであればこそだったのではないかと思う。
山口由美さん(『世にもマニアな世界旅行』
)の表現で言えば「小さくて体育会系の国」、スロヴェニアは、ヨーロッパアルプスの東端に位置していて、登山が「国民的スポーツ」だということになっている。旧ユーゴの最高峰でもあったトリグラウは、標高はたかだか2864mとは言え、森林限界はかなり低く、非常にアルペン的で急峻な石灰岩質の岩嶺。森林限界も2500メートル辺りだと思う。富士山に登らずば日本人にあらずみたいなつまらない台詞と同様、トリグラウに登らずばスロヴェニア人にあらず、みたいな言い回しがあるようだ。ちなみにぼくとかみさんはかつてトリグラウの肩にあたる小トリグラウまで登った(そう言えばその話はまだ書いていなかった)が、知り合ったスロヴェニア人はほとんど登ったことがない奴ばかりだった。(と言う自分は富士山に登ったことがない。)
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2009年5月25日
Enjoy. 某ファストフードのドリンクの容器に書かれていた言葉。そう言えば、Apple 製品のおしゃれなパッケージにも同じ言葉があったっけ。これは英語ならではなのではないだろうか。ドイツ語の Viel Spaß! は根本的なニュアンスが違うし、そもそも命令法ではない。Genieß! とは言わない気がする。日本語にしても、ぴったり対応する言葉が思いつかない。楽しみなさい、とか、楽しんでいらっしゃい、とか、いかにもホンヤクではないか。
もちろんこのことから、享楽を命じる「母なる超自我の命令」(ジジェク)が、日本やドイツなど、英語圏以外のところでは見られないということにはならないだろう。モダン以後の世界に生きる私たちは、実質的に、そういうわいせつな命令の声に日々晒されていることは間違いないと思う。
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2009年5月6日
新年度開始のごたごたで、このところ更新が滞っています。
実はこことは別に、少し前から、「別館」として、標記の iPhone App 拾遺集 というブログをやっています。iPhone 用アプリ紹介のブログ。その手のブログは数多いですが、名前の通り、他のサイトではまずほとんど触れられることのないアプリ、主に人文系、ヨーロッパ、英語以外の言語、Mac関連 などに偏った関連のアプリを拾って取り上げることを中心にしています。
過去にこちらのブログでもそういう記事は書いていましたが、それを独立させたわけです。おかげで、多忙に加えてこちらに出す小ネタは減って無更新状態。あちら iPhone App 拾遺集 のほうが、これも細々とながら、まだ更新頻度は高いという現状です。
Seesaa を使っておりますので、そのままで iPhone での閲覧にも最適化されています。もしご興味をお持ちでしたらぜひあちらにもお立ち寄りくださいませ。
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2009年4月11日
気をつけたつもりだったのですが、やっぱり個別のパーマリンクは変わってしまっていたようで、かつての記事にリンクしていただいている方にはご迷惑をおかけしているかもしれません。申し訳ありません。
従来のパーマリンク、たとえば
http://www.tkyabe.com/blog/archives/2008/01/
は、
http://tkyabe.com/blog/2008/01/
に変わってしまっているようです。www は付いたままでもいいのですが、archives というディレクトリがなくなった形になっているので、以前にリンクしていただいたところからは、「見つかりません」エラーが出ていたのではないかと思います。とりあえず、上のようなケースでは、自動的に新しいアドレスに転送するように設定しておきました。
年月別のディレクトリまではそれでいいのですが、その下の個別記事のファイル名まで一部変わってしまっている様子。もしリンク切れが生じている場合は、一つ上の階層をご確認いただけましたら幸いです。
ご来訪くださる皆様には、ご面倒をおかけしまして、申し訳ありません。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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2009年4月7日

投稿のその場で検索して画像とともにリンクを入れてくれる WordPress 用プラグイン、Amazon Reloaded for WP を使ったテスト投稿です。
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2009年3月26日
西宮北口駅の北側にずどんと伸びる、比較的新しく広い道路。両側は住宅のほかはほとんどがびょういんとびよういん。その医院のいくつかが面白い。いや、単に名前が、だが。
「まき」さんは原さんとか伊達さんとかと(別姓にしないかぎり)ケッコンできない、などという古いネタがあるが、医院の名前にも同じような問題があるらしい。
この内海、じゃなかった、内科医は、何気に楽しい。
科名の前に姓を付けるのが普通の医院の名だが、ここはそれをよほど避けたかったらしい。そんなに気にしなくても、そんなに可笑しかぁないですよ。ね。
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2009年3月25日
僕はあまりたいしたゲーマーではないのだけれど、iPhone 3.0 の発表後、そのゲーム機としての可能性の拡大について、あまり指摘されていないようなのを不思議に思っていることが一つ(二つかな?)ある。
Bluetooth+WiFi での P2Pネットワークの形成は、Nintendo DS を、ドックコネクタの開放は、Wii を、脅かすことになるのではないかということだ。
DS での子どもたちの遊び方を見ていると、通信対戦の魅力が大きいことがよく分かる。それは初めにポケモンありきだったかもしれない。ポケモンが iPhone にやってくることは考えにくいが、ローカルな P2P の通信によるゲームが可能になれば、DS の魅力のかなり大きな一部を、 iPhone が備えることになるのではないか。これまでのところ、WiFi 経由で通信対戦などが可能なアプリはないわけではないが、インターネットを経由しなければならない。囲碁やチェスならば世界中の人と対戦するのもいい。しかしたとえば FlipSide5
社はマンカラやエアホッケーなど、無料でも通信対戦のできるゲームを出しているのだが、こうしたゲームが、インターネットまで出て行かずとも、手近な相手と、P2P で遊ぶことができれば、事態はかなり違ったものになってくるような気がする。
もう一つのドックコネクタの開放。これまでも、ドックコネクタをテレビに繋ぐ Apple 純正のケーブルもあったのだが、そのようにハード的には整っていても、実際にテレビに映し出せるのは、写真のスライドショーと、一部の動画だけだった。これが、サードパーティ向けに開放される。周辺機器のレパートリーが増えるであろうことばかりが話題にされている気がするが、これは、iPhone を Wii にしてしまうことにもなるはずだ。すでに iPhone 2.2 SDK に含まれていた隠し機能をハックして、バイク・レース・ゲームの Moto Chaser
をテレビ画面に映し出してプレイしている動画が、かなり前に発表されていた。
加速度センサーを備えた iPhone がテレビに繋がるということは、やはり Wii に迫ることになる。ボウリング・ゲームをテレビに繋いでプレイすることなどを考えてみればいい。
Nintendo にとっての脅威としての iPhone 3.0…。まあ、しっかりと出来上がっている生態系というものがあるから、さほど脅威ではないのかもしれない。しかし Nintendo が、自身のソフトを iPhone 向けに出してくるということは、たぶん死んでもないのだろうなあ。
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2009年3月23日
何年前だろう、京都の弦楽器店で、アマデウス四重奏団メンバーによる公開レッスンがありました。アマデウスは1987年にもう活動は止めていたので、元アマデウスと言うべきかもしれません。
アマデウスカルテット最晩年の公演を東京で聴きに行ったことがありました。ブレイニンが、指板の上で途方もないフォルテッシモを出していたのが強烈な印象に残りました。(弦のことをあまりご存知ない方のために注釈しておくと、ふつう、弦楽器の強音は駒寄りで出すんですね。指板寄りはふつう弱音。つまりあり得ない弾き方だったわけです。)
公開レッスンは、生き残りメンバーが一人一人それぞれに会場を充てられて同時に指導。僕はブレイニンがやっていたレッスンを見に行きました。狭い会場で聴衆は十数人。生徒役はたしか東京芸大や大音の1、2年生のカルテット、曲目も覚えていないし、うーん、そんなとこで突っ込まれていないでよ、という出来でした。そのうえ、ドイツ語通訳の女の子がどうにもならなくて、ブレイニンは彼女を無視して英語で生徒や聴衆に向かって直接しゃべり始める。そのときのやりとりがちょっと面白かった。
ブレイニン:室内楽 chamber music とは何でしょう?
僕:(だれも返事をしなかったので)室内(in a chamber)で演奏する音楽でしょう。
ブレイニン:(わが意を得たりというふうに)そうですね。室内。どういう室内でしょうか。それが問題なのです…。
そのあとの講釈によると、chamber (独:Kammer)という言葉で、狭い部屋を考えてはいけない。宮殿の広間をイメージすべきなのだ、ということでした。ブレイニンの講釈が歴史的にどこまで正しいかは判断が難しい気がします。19世紀には、実際、室内楽はブルジョワ(死語だな)の家庭でおおいに楽しまれていたわけですし。ただまあ、ようするに、ちまちました演奏をしていた生徒たちに対して、もっと大きな空間を考えて弾きなさいよというアドバイスだったわけですね。
自分でヴァイオリンを構えて弾き始めると、肩にというより、でっぷりふくらんだお腹にちょこんと楽器が載っているように見えました。今だったら、どう見てもメタボ呼ばわりされるのではないかという…。
そのブレイニンも数年前に亡くなったのですね。
ブレイニン追悼の2枚組CD:
以上は以前某所に出した記事に少し手を加えて再録したもの。こんなの書いていたことを思い出したのは、ありちゅんさんのところで、若かりしクララ・ヴィーク(のちのクララ・シューマン)にウィーンから与えられた die kaiserlich-königliche Kammervirtuosin という称号のことが出ていたから。この場合の Kammer- も、宮廷の、王室のといった意味なのでしょう。
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